のんびり生きる。

のんびり生きる。

誰の目の前にもある真実を


著者名:長田弘 
出版社:講談社


20世紀という時代は日々のすみずみまで、大量の音という音にうめつくされてきた時代だ。けれども、そうして慌ただしく消し去られてきたのが、じつは沈黙であること。そうして失われてきたのが、こころの奥行きをつくるべき沈黙のおおきさ、深さであること。<省略>
 カンチェーリの音楽を聴きかえすたびに感じるのは、記憶の力ということだ。過ぎた日をふりかえると、音の記憶はあっても、記憶には音がないということに気づく。音ではないのだ。記憶の力は、そのときこころの置き場所となった沈黙だけを、いま、ここにありありと取り出す。     <カンチェーリのこと>より


人間の不治の病は、食欲ではない。飢えなのだ。
                   <不治の病のこと>より


「芸術とは、たのしい記号と言ってよいだろう。それに接することがそのままたのしい経験となるような記号が芸術なのである」〈芸術の発展〉鶴見俊介より

「長い年月にわたって人びとに大切にされる詩は、現実をしっかりとつかんでいる。私たちの日常生活の核心にある大切なものを、私たちにしらせるはたらきをするからだ」(デューイ)鶴見俊介より
            <詩人トゥルミ・シュムスキー>より



言葉、文字なしにないのは本。そして、本なしにないのは読書だ。けれども本を読むということが、じつは読書なのではない。読書というのは、読書という習慣なのだ。

『哲学者の笑い』に語られるのは、なぜいまでも二千五百年後の世界が古代のギリシア人が遺した言葉を必要とするのか、ということだ。古代のギリシアの哲学者たちのした仕事は、言葉のする仕事だった。これ以上はないような単純な言葉で、誰の目の前にもある真実を、静かに、あるいは平然といってのけることが、言葉のする仕事だ。
          <樽の中の哲学者のことなど>



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