のんびり生きる。

のんびり生きる。

わしはもう安心なんかできんでも構わん


 「きれいやなあ・・・」
 横顔を夕焼けに染めたあっちゃんが、心の深い場所から湧き上がらせてきたような声で、独りごちるように言った。
 その呟きを耳にした瞬間、この二ヶ月間の心の凍えが急速に溶解していくのを全身で感じた。
 あっちゃんが死んだらどうしよう、あっちゃんと別れたらどんなにさみしかろう、あっちゃんに死なれてこの先、誰を頼ってやっていけばいいのか―ずっとそんなことばかり考えてきた。毎朝毎晩、あっちゃんの奇跡的な回復を念ずるたびに、思考を結果的に支配してしまうのはそうした不安感だった。
 あっちゃんが死んだと想像すると、胸の中が悲しみという液体で水浸しになるようだった。そうなるたびに、下枝さんの言葉を思い出して、自分に言い聞かせた。何か悩みがあるときは、その悩みをなくすのではなく、消してしまえばいい。「今度も絶対に助かる」という信念を固めるよりも、あっちゃんの再発という現実からできる限り目を逸らすことに努めた。これまで私の精神がどうにか平静のままでいられたのは、そういう努力の賜物だったと思っている。209頁


「しかし、あっちゃん、よかったなあ。久美さんも一安心やろ」
 もう何度言ったかもしれない台詞をまた繰り返す。
「やけど、二度と安心はできんわ」
 しょっぱいお湯で顔をごしごしこすったあと、あっちゃんが厳しい顔つきで言った。
「手術から四年目で再発したときは、おっ、ついに来たか、という感じやったけど、今回はさすがに再発から五年経ってまた再発するとは思っとらんかったもんね。これからは一生安心はできん。脳に飛んどるのもいつまた出てくるか分からんし、全身に回ったがん細胞が抗がん剤で果たして全部なくなったかどうかも全然分からん。ただ、わしはもう安心なんかできんでも構わんと思うとる。次はあんまり揺さぶられん気がするわ」210頁



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