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ジュリア・キャメロンが書いた自己啓発本のロングセラー、『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を読了しましたので、心覚えをつけておきます。これこれ! ↓新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。 [ ジュリア・キャメロン ] これ、読み始めてすぐに「ん?」となったのですが、一般向けの自己啓発本じゃないですね。 じゃあ誰向けの自己啓発本かと言いますと、「クリエイター向け」。 いや、そうじゃなくて、「本当は小説家とか、映画監督みたいなクリエイターになりたかったんだけど、そうならないまま、批評家とか、大学教授とかになっちゃった人向け」だな。 クリエイターになるって、大変だからね。作品を生み出せば、当然、批評の対象となって、クソミソに貶されたりする。特に最初のうちはね。 で、その最初の試練が怖くて、自らクリエイターになれなかった連中の中に、そのルサンチマンから、逆にクリエイターを批判する側に回る人がいる。つまり批評家とか大学教授とかね。そういう連中は、「もしオレが小説を書いたら/映画を制作したら、もっといい作品が作れる」とどこかで思っているもんだから、当然、他人の作品をやっつけがちになる。特に才能ある若手が最初に作った作品に対しては厳しくて、酷評し、才能の芽をつぶしにかかると。 で、ジュリア・キャメロンは、こういう「クリエイターになれなかった人」向けにこの本を書いたんですな。そんな、しょーもない若手イジメなんてしていないで、本当は自分自身が「ずっとやりたかったこと」をやりなさいよと。 そういう本。だから、一般人向けの自己啓発本ではなく、クリエイターになりそこなった人に、「今からでも遅くない、クリエイターになりなさい」とすすめる本だったのでした。 まあ、ジュリア・キャメロン自身、批評家とかにイジメられ、芽をつぶされそうになった挙句、どうにかこうにか脚本家・映画監督になりあがった人なので、その経験からこういう本を書いたのでありましょう。 で、じゃあ、どうすればクリエイターになれるのか。この点について、本書全巻を通じてキャメロンが提唱しているのは、たった2つの方法のみ。気になるでしょ? 一つは「モーニング・ページ」。もう一つは「アーティスト・デート」。この2つだけ。 じゃあ「モーニング・ページ」とは何ぞや?と言いますと、朝、起きぬけに、手書きで(パソコンじゃダメよ)真っ白なノート3ページ分に、何でもいいから文章を書く。まとまった文章でなくても、その時、心によぎった考えをそのまま、思考の流れを自動筆記するみたいにして書く。3ページ分、ノートが埋まるまで書く。 一方「アーティスト・デート」というのは、1週間に一度でいいから、2時間とか3時間程度の時間を費やして、ふらりと散歩に出たり、美術館に寄ったり、行ったことのない街を訪れて気になった店に入ったりすること。つまり、何か自分のアーティスト魂を刺戟するような体験をする時間を設ける、ということですな。 はい、この2つだけ。この2つ(特に「モーニング・ページ」)を自分に強制し、1年とか2年とか続けていくと、あーら不思議、いつの間にやらあなたはずっとなりたかったクリエイターになっていますよ、と。 え¨ーーーー、そうなの~~?! ではなぜそうなるかと言いますと、キャメロン曰く、クリエイターというのは、特殊な才能をもった一群の人たちの謂いではなく、人類全体のことだから。この世に生まれた人間は、本来、全員が全員、クリエイターだ、というのですな。もちろん、すごいクリエイターと、そうでもないクリエイターはいるけれども、クリエイターであるという意味では等価。それに、総じていえばすごいクリエイターが高い評価を得るとはいえ、そうでもないクリエイターが好き、という人だっている。 そういえば永野が言っていたなあ、「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き!」と。あれは、ひょっとすると、非常に深い真理を言い当てていたのかもしれません・・・。 で、さらにキャメロン曰く、人間はみなクリエイターで、クリエイトすることを欲しているのだけれど、その一方で、自分のやりたいことをやることを恐れていると。この恐れが、自分を「ずっとやりたかったこと」から引き離す原因になっているわけね。 なぜなら人間というものは、「失敗するのではないか」と恐れる以上に、「こんなことをしていたら、成功してしまうのではないか」ということを恐れているから。だから、せっかく神様が、その人の創造力を発揮させようとチャンスを恵んでくれている(こうした天与のチャンスのことをキャメロンは「シンクロニシティ」と呼ぶ)のに、それを無視したりする。キャメロンは言います、「人は、神がいないことよりも、いることの方をはるかに恐れている、というのが私の感想だ」と。 うーん、この考察は深いな。 で、この恐れを克服するためにどうしても必要なのが、「モーニング・ページ」であると。 つまり、「モーニング・ページ」ってのは、天から降ってくるシンクロニシティと同調する恰好の方法だから。人は誰しも無心になって、恐れなく、真っ白なページに文字を埋めていく過程で、天与のクリエイティビティに気づくことになるから。遅かれ早かれ、必ずそうなる。何となれば、才能というのは、生れつくものではなく、こうやって降ってくるものであるから。 ま、これが本書のアルファであり、オメガね。かくして、才能というものが、特権的なものではなく、民主的なものになったのであります。 どう? 賛同した? 私は・・・賛同するね。最初、大したことない本かと思っていたけど、ところどころ、唸るようなことが書いてある。それに、クリエイティブな才能というのは、誰にも降ってくるものだ、だからそれを受け取る気になれば、誰でも受け取れるものだ、という考え方は、ポジティヴでいいじゃない。 というわけで、私はキャメロン教の信者となり、明日、朝起きた時からモーニング・ページ書くことにしました。私の主義は、「一応、何でも試してみる」だからね。 どうせなら、それ専用のノートでも買って、それ専用の万年筆とか買っちゃおうかな。買えばやらざるを得なくなるじゃない? 前から欲しかった万年筆を買う、いいチャンスだし。これこれ! ↓【PILOT】パイロット キャップレス 万年筆 FCN-1MR (細字・中字) とまあ、本書はこういう感じの本だったのであります。だから、一般向けの自己啓発本ではないけれども、クリエイターになり損ねた大学教授(俺のことか?)には響く本ではあります。そういうものとして、教授のおすすめ! と言っておきましょう。これこれ! ↓【中古】【全品10倍!11/1限定】ずっとやりたかったことを、やりなさい。 / ジュリア・キャメロン
November 2, 2024
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高橋哲雄さんが書かれた『ミステリーの社会学』(中公新書)という本を読了しましたので、一言。これこれ! ↓【中古】 ミステリーの社会学 近代的「気晴らし」の条件 / 高橋 哲雄 / 中央公論新社 [新書]【ネコポス発送】 著者の高橋哲雄さんという方(故人)は、文学者ではないんですよね。社会学者なの。で、社会学者の高橋さんが、ミステリーという文学ジャンルを社会学的に分析すると、まあ、そういう趣旨の本。 なんで社会学者がミステリーを、と思うかもしれませんが、よくよく考えてみると、ミステリーという文学ジャンルはとても特殊なんですな。 たとえば、ミステリーというのは、イギリスが圧倒的な産地なわけですよ。もちろん、アメリカのエドガー・アラン・ポーを始祖とする、というところはあるし、アメリカにはハード・ボイルド・ミステリー(ダシール・ハメットの『マルタの鷹』とかレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』みたいな)ものがありますから、アメリカだって、というところはありますが、いわゆる推理小説ということになると、やはりイギリスの絶対的優位というのはゆるがない。 逆に言うと、ドイツのミステリーとか、イタリアのミステリーとか、フランスのミステリーとか、ましてやロシアのミステリーなんてものはない(少ない)。つまりミステリーを産む国と産まない国があるということになる。 なぜか? 当然、何らかの社会的な条件があるわけでしょうな。たとえば、高等教育を受けた中産階級以上の層が大きいとか。いち早く産業革命をを成し遂げたイギリスには、有閑階級なるものが早くからあったわけでね。ミステリーは「暇つぶしの文学」なので、暇がある階層があるということは大きな条件になるわけ。 あるいは、「フェアであること」や「アマチュアリズム」を重んじる国柄であるとか。ミステリー作家の多くは、アマチュアですからね。また「フェア」と「アマチュア」を重んずるということは、近代スポーツの特徴であって、イギリスは近代スポーツの発祥国でもある。つまり、近代スポーツとミステリーには共通点があると。 しかし、そのミステリー王国イギリスでも、時代によって人気のあるミステリーの傾向は変わってくる。ホームズものが人気があった時代もあれば、クリスティものが流行った時代もあれば、○○が流行った時代もあれば・・・と、その変遷をたどることができる。となると、「なぜその時代に、そういう種類のミステリーが流行ったのか?」という疑問が出て来るわけで、それを考えていくと、やはりその時代その時代の社会状況が大きく関わってくる。だから、社会学者がミステリーを論じるというのは、決しておかしなことではないんです。 というわけで、この本、新書本ではありますが、一読すると色々な意味ですごく勉強になるし、刺激にもなる。 実際、私が今研究している自己啓発本も、ミステリー同様、国を選ぶわけ。アメリカとイギリス連邦と北欧と日本と韓国だけが自己啓発本の市場であって、それ以外の国では読まれていない。それはなぜか?という問いは、当然あっていいわけですよ。 また時代によって自己啓発本の流行り廃りというのはあるわけで、それも各時代の社会状況による。 そう考えると、高橋哲雄さんがミステリーという特異な文学ジャンルを研究したように、私もまた自己啓発本という特異な文学ジャンルを研究している、という同志的なつながりがあるように思えてならないわけ。 そういう意味でも、私にはこの本、実に面白かったです。教授のおすすめ!です。 それにしても、こういう図柄の大きい文学研究を、社会学者にやられてしまった、というのは、文学者として忸怩たるものがありますなあ。 先日参加したアメリカ文学会の全国大会でも、研究発表のほとんどがタコつぼ論ばっかりで、高橋さんのミステリー論のようなすごい研究なんてありゃしない。もう、うちの業界の若い連中には、高橋哲雄さんの爪の垢でも煎じて飲ませた方がいいんじゃないだろうか。 ほんっと、情けないわ~。【中古】 ミステリーの社会学 近代的「気晴らし」の条件 / 高橋 哲雄 / 中央公論新社 [新書]【ネコポス発送】
October 29, 2024
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今日は拙著の出版をめぐって担当編集者の方とオンライン会議。 そろそろタイトルとか表紙デザインを決める工程に入りつつあるのですが、今日、オンライン会議をしてみて、なるほど~と思ったことがひとつ。 私の自己啓発本研究の成果は、これまで2冊の本になっておりますが、どちらも、どちらかというと文学研究寄りというか、文学として自己啓発本を読む、というスタンスで成り立ってきたわけ。 で、今度出す本は、私が厳選した60冊の自己啓発本を解説した本なんですけど、出版社の方としては、こいつを文学寄りではなく、むしろビジネス書寄りで売り出す計画であると。 ほう! なるほど! そうでしたか!! ひゃー! ついにワタクシ、期せずしてビジネス書を書いちまったよ。まさか、こういう日が来るとはねえ。 面白いねえ。果たして私の書いた本は、ビジネス書としてのポテンシャルはあるのだろうか? ビジネス書というのは、文学研究書とはまた別な売れ方をするものなのだろうか? 読者層というのは、これまでの私の本のそれとはだいぶ異なるのだろうか? 興味津々ですな。ビジネスマンの数は、文学研究書に興味のある層とはくらべものにならないくらい多いでしょうし、ひょっとすると、すごく売れたりするのかな? 売れてほしいけど。 でまた、今日は表紙デザインの話も若干進めたのですが、これまたビジネス書兼自己啓発書としてめちゃくちゃ売れたある本のデザインを担当されたデザイン・チームに依頼する方向で検討中とのこと。 いやあ、一体、どういう感じになるのか。それも楽しみ! まあ、アメリカ文学会の方たちが目を回すような感じになるのかもね。いいね、いいね、面白いね。 というわけで、今日はなかなか面白いオンライン会議だったのでした。 さて、明日は名古屋でちょっと仕事があるので、今日はこれから名古屋に戻ります。でもその前に、ちらっと施設に寄って母の顔を見ていこう。もう、眠ってばかりだけど、生きている母の顔をできるだけ沢山、目に焼き付けておきたいので。
October 16, 2024
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日髙敏隆先生の『ぼくの世界博物誌』、読み終わってしまった。非常に面白い読書体験でした。 ところで、この本の後半は、日髙先生のご専門である動物行動学の話がメインになっているのですが、その中に、「蝶はどのくらい見えているのか」という話題が出てくる。 蝶々なんて、ごく当たり前に見かけるし、ああ、飛んでいるな、くらいにしか考えていなかったですけど、彼らがどんなつもりで・・・というか、どの程度の世界観でこの世界を飛び回っているか、彼らの視力はどのくらいのものか、考えてみれば、分からないわけですよね。 で、日髙先生は、それが知りたいと思ったと。 で、さすが研究者だなと思うのは、蝶の視力を確かめる方法を考え出すというところ。 そもそも蝶のオスは何のためにひらひら飛んでいるかというと、メスを探して交尾するために飛んでいるわけです。だから、彼らは始終、メスの姿を探して飛んでいるに違いない。 そこで、アゲハのメスの羽の標本をアクリル板に挟んで吊るしておく。で、そのアクリル板にアゲハのオスが近づこうとしたら、それはそのオスがメスを認識した、ということなわけです。 で、そうやって実験したら、アゲハの視力が分かった。1メートルか1.5メートルだったそうです。だから、アゲハは、1メートルくらいの視界のみで世界を見ていることになる。それ以上遠くは、ぼんやりとしか見えてないはずだと。 ちなみに、アゲハだから1メートルなのであって、モンシロチョウだと30センチくらいしか見えていない。周囲30センチの世界の中で、彼らは生きているのだと。 そうか。自分にごく近いところしか認識できないまま世界を生きていく、それが蝶の生き方なんだ。もしその範囲の外側から敵に襲われたら、ひとたまりもないですわなあ。 ふうむ! すごい発見ですな。科学者というのは、そうやって、すごく素朴でナチュラルな疑問から発して、いろいろなことを解明していくわけだ。 で、思ったのですが、こういう、ごくごく素朴でナチュラルな態度で、文学者も文学作品に接しないといかんのじゃないかと。 作品をよく読んで、「この作者はどうしてこういうことをこういう風に書いたんだろう?」という素朴な疑問を見付けること。そしてそれを考えていく中で、その作品の一層深い面白さを発見し、作者の思いに肉薄すること。そういう、素朴な文学論が読みたいし、書きたいなと。 最近の、特に若い人の文学論って、素朴な疑問からスタートしてないのが多いんだよな。 とにかく、日髙先生の本を読んで、私は色々なことを考え、色々なことを教わったのでした。これこれ! ↓ぼくの世界博物誌 (集英社文庫(日本)) [ 日髙 敏隆 ]
October 15, 2024
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昨日は名古屋で行われた学会に出ましたが、今日は神奈川の実家に戻っております。母のことがありますのでね。 さて、そんな私のお供になったのが、日髙敏隆先生がお書きになった『ぼくの世界博物誌』(集英社文庫)という本。これこれ! ↓ぼくの世界博物誌 (集英社文庫(日本)) [ 日髙 敏隆 ] 何でこの本を買って読んでいるかと申しますと、先日読了した山田稔さんの『もういいか』という本に日髙敏隆先生の思い出が書かれていて、それで日髙先生のことを懐かしく思い出したから。 実はね、私は著名な動物行動学者である日髙敏隆先生と直接の面識があったのよ。実は私の所属講座でその昔、二度にわたって日髙先生をお招きし、学術講演をしていただいたことがあるんですな。で、2回目の時は私が先生をお招きしたり、おもてなしをする任に当たったこともあり、先生にも顔と名前を覚えていただいた次第。 それにプラスして、日髙先生が私のことを認識するとっかかりというのがありまして。実は私の義理の叔父がかつて京都大学の医学部に勤めていて、同じく京大におられた日髙先生も叔父のことはよくご存じだったんです。で、その後、叔父は滋賀医科大学の学長となり、一方日髙先生は県立滋賀大学の学長となられた。京都から滋賀へ、という道筋も同じだったと。そういうこともあって、日髙先生は叔父とセットで私のことを覚えていてくださったわけ。 ちなみに、日髙先生の学術講演会は面白かったのよ~。内容は高度なのに、それを実に面白く語られる。もう20年くらい前の話ですけど、まあ、あれほど面白くてタメになる講演なんて、その後、聴いたことがないくらい。 そんな日髙先生のお名前を、山田稔さんの『もういいか』で目にしたもので、たまらずこの本を買い、今回の上京に持参したと。 で、実家について早速読み始めたのですが、やっぱり、期待通り、実に面白い! 優れた理系の研究者の中に、文もよくする人が時々いますが、日髙先生はまさにその例。しかも日髙先生は研究者として世界中を経めぐっておられますから、経験が豊富。その豊富な経験を元に世界各地で出会った人物、事物、経験を書かれるわけだから、面白くないわけがないんですな。 しかもこの本には随所にイラストがちりばめられていて、それを描いているのが先生の奥様の喜久子さんなのよ。 でね、その奥様のことを、日髙先生は「キキ」ってお呼びになるの! 本文中で。 ひゃー! 素晴らしい! きっと先生と奥様は仲良しさんだったんでしょうね。私は奥さんを大事にしない男は男じゃない(←『ゴッドファーザー』でドンが言うセリフ)と思っているので、奥様のことを愛情を込めて「キキ」って呼ばれる日髙先生のことがますます好きになっちゃうわ~。 っつーことで、『ぼくの世界博物誌』、まだ全部読み終わってないけど、教授の絶賛おススメ!です。 で、そういいながら、この文庫本をパラパラやっていて、最後の方にある「初出一覧」を見たのですけど、そうしたら、もう一つ驚くことが! 何とこの本の元となったエッセイ群は、その大半が『全人』という雑誌に連載されていたものだったのでした。 『全人』というのは、玉川学園の創立者、小原国芳先生の肝煎りで創刊された玉川学園の雑誌で、私のような玉川出身者からしたら懐かしいもの。その『全人』に日髙先生が長年、エッセイを書き綴られ、それがまとまって、玉川大学出版部から出版され、それが現在、集英社文庫になっていたいんですな。 いやはや。色々なことがつながって、ますますこの本が私には大切なものとなりそうです。ぼくの世界博物誌 人間の文化・動物たちの文化 [ 日高敏隆 ]
October 13, 2024
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山田稔先生から、先生のご近著『もういいか』(編集工房ノア)をご恵投いただきました~。 このブログにも書きましたが、最近山田稔先生の『特別な一日』(平凡社ライブラリー)を読了したばかりで、そのエッセイとも小説ともつかぬ唯一無二の文体で書かれたこの名著を堪能したばかりだったこともあり、『もういいか』の方もいただいたその場で読み始めました。まだ半分くらいですが、非常に面白く読んでおります。 で、この本の中に、山田先生がかつて京大時代の同僚であった生田耕作さんの思い出を綴っていらっしゃるところがあり、その直後に、坪内祐三さんについての思い出を書かれているところがある。 実はワタクシ、生田耕作さんと坪内祐三さんと山田稔先生と私自身にまつわるエピソードが一つ、ありまして。もう、矢も楯もたまらず、山田先生にお礼かねがね、そのことを綴った長い手紙を書きました。 ま、それは個人的なことだから、それでいいのですが、問題は郵便のこと。 今日、大学に出向く前に郵便局によってこの手紙を投函したところ、郵便料金が爆上がり(110円!)したことにも驚かされましたが、それ以上に驚いたのが配達にかかる日数ね。 郵便局の人から、「これ、速達にしなくていいですか?」と尋ねられたので、「え、なんでそんなこと聞くの?」と思いつつ、「いや、通常郵便でいいです」と答えたのですが、よく聞くと、今日名古屋で投函したこの手紙が、京都の山田先生の手元にとどくまで数日かかり、おそらく、来週火曜日の配達になるだろうから、と。だから、急ぎの手紙だったら、速達にした方がいいですよと。 名古屋・京都間の郵便配達に、木・金・土・日・月・火まで掛かると??!! まあ、今週は連休があるからとはいえ、ちょっと時間かかり過ぎじゃない? ひところ、郵便が届くのが早くなっていた時期があり、速達でなくても翌日届く、といったことがよくあったのに、今は逆にこんなに遅くなってしまったのか? 郵送料は格段に値上げしたのに? いやあ! 日本の郵便システム、大丈夫か? 年々値段は高くなる、その一方でサービスの質は大幅に低下するじゃ、いいところないじゃん! 今、政局の話でやいのやいの言うのはいいけど、こういう庶民の生活に直接かかわるところの議論はしなくていいのかい? なんか、かつて「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言われたこの国が、どんどんレベルダウンしているようで、先行き不安になってきますなあ・・・。
October 10, 2024
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レジ―さんが書かれた『ファスト教養』という本を読了しましたので、心覚えを付けておきましょう。 著者名「レジ―」って何だよ? ということはさておき、まあ、いい本ですわ。久々に読んだ「読む価値のある新書」っていう感じ。 ちなみに「ファスト教養」というのはレジ―さんの造語で、昔から日本でもてはやされてきた「教養」というものが、ここ20年~30年ほどの間に意味合いが変わってきた、っちゅー話。 今の日本で言う「教養」とは、「持っていればビジネス上で役立つ可能性が高い教養」の意味で、この教養があれば同僚から頭一つ抜け出すことができる知識を意味する。端的に言えば、ビジネスで成功し、金持ちになるために必要なツールとしての知識を指すんですな。だから、野心ある前向きなビジネスマンは、その分野に興味があるかどうかなどという個人的な理由からではなく、ビジネス上の必要性からこの種のファスト教養を身につけようとする。映画を早回しで観る、なんていうこともその一環で、映画というアートを堪能するためではなく、上司に話を合わせるとか、取引先の人間関係を円滑にするために、その映画の内容を知っているという状況を創り出すために観る。こういう態度が「ファスト教養」のベースにあると。 で本書は、今日のこうした「ファスト教養」ブームについて解説しているのですけれども、この本の何がすごいって、レジ―さんのライターとしての腕。2000年代以降の日本のビジネス・シーンを侵食してきた「ファスト教養ブーム」の萌芽から現状まで、立役者の紹介からそのブームが引き起こしている病理の描写まで、無駄なく不足なく、適切なタイミングで適切な例を引き乍ら、見事なまでに活写している。 たとえば小泉政権、小池都政、安倍政権など、自助努力を基本とする政治的な流れがある中、ITバブルによって、ホリエモンなど、従来の社会システム、旧来の会社概念を覆す新しいビジネス形態を打ち出す人たちが登場する過程で、「稼ぐが勝ち」的な概念が生れたという経緯。またそうした新しいビジネス・シーンの中で、負け組になりたくない若者たちが、自身のスキルアップに邁進せざるを得ない状況が出て来たということ。また自己責任という考え方を無条件に信じるようになったことから、自己責任を果たさない社会的弱者を救済するという、公的責任を軽視するような風潮が出て来るという話。 でまたファスト教養がもてはやされるとなると、中田氏やひろゆきや勝間さんなど、それに適応したインフルエンサーが次々と登場してくるのであって、出版界もそれに迎合して、ますますファスト教養一辺倒になっていく。ホリエモンも、デビュー当時は、露悪的ではあれ、根っこのところでは従来の社会システムを刷新しようという大きな志を持っていたはずなのに、今ではファスト教養の伝道者に成り下がってしまった。 AKB48の登場も、芸能界におけるファスト教養ブームの一端として捉えられるのであって、アイドルグループの中で、それぞれのメンバーが、自助努力によってライバルと差を付けようとするのもそうだし、ファンの側も「贔屓のメンバーを出世させるために、自分にできることをする(CDを複数枚買う)」などの自助努力に精を出すことになり、こうしたことによって、一部のファンの行動により、世間的には聞いたこともないようなタレントがオリコン1位を獲得するといったようなことも起こるようになると。 またサッカーのスター選手の自己啓発本もまた、ファスト教養ブームに棹差したものである、なんて指摘も説得力ありましたし、こうしたファスト教養ブームに振り回されるカップルを描いた『花束みたいな恋をした』という映画のことも解説も非常に面白かった。なるほどねえ・・・って感じです。 ・・・とまあ、ホントに今の日本の状況がスッキリ分かる。まるでファスト教養の枠内の話になっちゃうようですけど、実に「この本一冊読めば、この時代の日本のことは大概分かる」と言っても過言ではない。 ちょっと前に読んだ三宅香帆氏の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という売れ筋の本には全然感心しなかったんだけど、レジ―さんのこの本は面白いわ~。 っていうか、レジーさんの『ファスト教養』という本こそ、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問に、完璧に回答しているよね! だってさ、三宅氏のこの問いへの回答は、「本が読めないのは、日本人が働き過ぎているから。そんなに一生懸命働かなければ本も読めるようになるよ」というものだったのだけど、レジ―さんは、もっと深い回答を示している。なぜ本が読めないか、それはファスト教養を身につけるために忙しいから、だもんね。 三宅氏の問題提起とは裏腹に、日本のビジネスマンは、忙しくても本は読んでいるのよ。やたらに。ただその本がファスト教養のための本であるというところが問題なんだと。 この鋭い認識からして、レジ―さんの本は、三宅氏の本を圧倒しています。 ただ・・・ この本の最終章でレジ―さんが提示している、この状況への解毒剤というのは、案外平凡だったかな。 レジ―さんが解毒剤として提示しているのは、「ビジネスのためにファスト教養を身につけるのは、今日、仕方がないことだから、そこには目をつぶろう。ただし、ファスト教養向けの本の中にも松竹梅があって、松の方を読むようにしよう」ということだから。ファスト教養を身につける一方、もう少し本格的な教養も身につけて、クルマの両輪にしようよ、という妥協案。それがレジ―さんの回答。 これをどう評価します? 平凡・・・じゃない? まあ、それ以外に道はないのかもね。だとしたら、平凡な回答が正しい回答ということになる。 ただ、そこまでの記述があまりにも見事だったので、読者としてはもっとすごい回答を期待しちゃうのよ。 あ、そうそう、あともう一つ驚いたのが、レジ―さんがこの回答を引き出すのに補助線として使ったのが、渡部昇一の『知的生活の方法』と、川喜多二郎の『発想法』(要は「KJ法」)だったということ。ほえ~、随分とまた温故知新だこと。 ということで、最終章についてはちょっと、と思うところもなくはなかったけど、そんなことはどうでもいいぐらい、現代日本のある状況を見事に描いているという点で、この本は必読だわ~。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち (集英社新書) [ レジー ]
October 9, 2024
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老人向け自己啓発本シリーズで、外山滋比古さんの『老いの練習帳』なる本を読みました。 外山滋比古さんと言えば『思考の整理学』がベストセラーとしてつとに有名ですが、この『老いの練習帳』を出版した時、外山さんは御年95! とはいえ、本書は外山さん95歳の時の書下ろしということではなく、大昔に女性誌に連載した短いエッセイの中から「老いの練習帳」というタイトルに外れないものを厳選して編纂したという代物。 ですから、この本を読んでいると、『練習帳』とは言い条、自己啓発的な側面はあまりなくて、単なる老人の日常茶飯事を描いたエッセイっていう感じです。 たとえば冒頭近くにある「虫」についてのエッセイを見てみると、最初、外山さんのご自宅の庭の木に毛虫がたかる、という話があり、だから定期的に殺虫剤を噴霧器で撒くのだけれども、そうやって虫を退治すると、ちょっと気分がよろしい、ということが書いてある。 で、その話を継ぐように、人間にも虫がいるという話題に飛び、昔は回虫などが珍しくなかったという話から、その他にも「ふさぎの虫」「腹の虫」のようなものもあるよね、となって、そういう心の虫を退治すれば、楽天的になっていいものなんだろうな、と考えているうちに、害虫退治の噴霧器がちょうど空になった、と結ぶ、みたいな。 何コレ? うまいところに話が落ちました、みたいな? まあ、本書に書かれているエッセイって、たいがい、そんな感じですわ。心にうつりゆくよしなしごとを綴った、現代版『徒然草』みたいなものと言えばほめ過ぎでしょうか。 こういうのは、誰が買うんでしょうかね? 外山先生に教わったお茶の水女子大の卒業生とかが、「先生、お元気かな~」みたいな感じで、生存確認のために買ったのかしら。 というわけで、エッセイとして面白くないわけではないけれど、読んだからとてどうなるものでもない、老人日誌みたいな本だったのでした。少なくとも、いわゆる「自己啓発本」の範疇には入りませんな。新書723 老いの練習帳 [ 外山滋比古 ] でも、こういうのを読むと、老人向け自己啓発本というのは、沢山あるけど、実は一冊もない、というのが実情なのかもね。だったら、私がそういうのを書くというのも、あり得るのかもしれません。私だったら、もう少し実のあるものを書けるよ。本当の意味での自己啓発的な奴をね。
October 4, 2024
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母の見舞いの合間に還暦本を相変わらず読んでいます。 で、昨日読んだのは佐藤優さんの『還暦からの人生戦略』という本。【中古】 還暦からの人生戦略 最高の人生に仕上げる”超現実的”ヒント / 佐藤 優 / 青春出版社 [新書]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】 前に佐藤さんの『国家の罠』を読んで面白かったので、これはどうかなと。 しかし・・・。 まあ、常識的なことしか書いてないという点では、前に読んだ『60代にしておきたい17のこと』と大差ないかなあ・・・。 たとえば、還暦というと、定年などで社会的身分が変わることが多く、それに伴って経済力も低下し、精神的に落ち込むのも避けられないけど、そうしたマイナス要素を無くすことは無理だけど、できるだけマイナス要素をミニマムにするよう心掛けてうまく対処しましょう、とか。 昔の友人が、それぞれその道のプロになっているはずだから、昔の友人のネットワークを復活させましょうとか。 パートナーとの関係を見直しましょう、とか。 自分の能力や経験を活かして、再就職にトライすることは是非やるべきだけれども、前職の時より給料が下がるのは覚悟しろ、とか。 あらためて学習するのはいいことで、大学時代の教科書などを読み直すのもお勧めだけど、目的のない学習は続かないよ、とか。あと詐欺まがいのセミナーなんかに行っちゃだめよ、とか。 いずれ必ずやってくる死への覚悟をしないとだめよ、とか。 などなど、当たり前のことばっかり。さすが佐藤優! というような側面は特に見受けられませんでした。 結局、アレだね。還暦を迎えた人たちってのは、こういう、当たり前のことをあらためて聞きたいのかもね。あらためて聞いて、「そうだよな~、そうなんだよな~」って確認できれば、それでいいのかも。それで安心するんだろうね。 ということで、還暦本ってのはこういうもんだ、というのが段々摑めてきました。そういう意味でためにはなったけど、この本をおすすめするほどの熱意は持てませんでしたかね。 ところで、本書によると佐藤優さんは腎臓が悪いようで、人工透析寸前とのこと。そこは気の毒ですなあ。元気そうに見えるけど、そういう爆弾を抱えていらっしゃるのね。お大事にと言っておきましょう。
October 3, 2024
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「還暦からの自己啓発」というテーマでちょっと考えをまとめているところなので、何かの参考になるかと、本田健氏の『60代にしておきたい17のこと』という本を読んでみました。 本田健という人は、素性の知れない人ですが、自己啓発本のコーナーに行くと著書がずらりと並んでいる。この方面の著者としては、まあ、メジャーな人なのではないかと。で、今回読んだ『60代にしておきたい17のこと』にしても、『10代にしておきたい17のこと』『20代にしておきたい17のこと』『30代にしておきたい17のこと』『40代にしておきたい17のこと』『50代にしておきたい17のこと』など、一連のシリーズの一環として出ていて、シリーズ全体だと売り上げ数が数百万部なんだとか。 で、私が読んだ『60代にしておきたい17のこと』ですが・・・ つまらんっ! つまらん、というより、あまりに書いてあることが平凡過ぎて、コメントのしようがないよね。 本書は、「60代になったら、こういうことをしろ」というのが17のテーマごとに並んでいるのですが、たとえば「20代の時にやりたかったけどやれなかったことにトライする」とか、「音信不通になっていた友達に連絡をとってみる」とか、「もう爺さんなんだから」と消極的にならない方がいいとか、「結婚生活を続けるか、解消するか、一度考えてみる」とか、「会社時代の肩書にこだわるのをやめる」とか、「趣味を持つ」とか、「旅に出る」とか、「新しいことを学ぶ」とか、「自分なりの健康法をもつ」とか、「子供の人生に干渉しない」とか、「愛を伝える」とか、そんな程度のことしか書いてない。つまり、世間一般でよく言われるようなことしか書いてないんだもん。 平凡も平凡。この著者ならではのひねった提案とか、そういうのはひとつもない。こんな、誰もが言うようなことをずらずら並べるだけで、本が売れるの? まあ、売れているんでしょうねえ。シリーズ売り上げ数百万部なんだから。 こういうのを読むと、自己啓発本を馬鹿にする人たちの言い分も分かるよな、っていう気がします。と、同時に、こんな程度のことを書いて本がバカ売れするなら、自己啓発本というジャンルって、甘いんだなとも思う。 というわけで、とても「教授のおすすめ!」なんて言えない本でしたけど、この程度の〇〇っぽい本を書くと、売れることは売れるんだ、という勉強にはなりました。 もう、いっそ、定年後はこういう本を山ほど書いて、自己啓発本長者になろうかな・・・。【中古】60代にしておきたい17のこと / 本田健
October 2, 2024
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先日亡くなった福田和也氏の本を一冊も読んだことないなー、と思い、試しに一つ、読んで見るかと思ってテキトーに買ってみた『悪の読書術』という本、ざっと読んでしまいました。これこれ! ↓【中古】 悪の読書術 / 福田 和也 / 講談社 [新書]【宅配便出荷】 で、読んで見たのですが、これがまあ、つまらない本でありまして(獏!) この本のコンセプトは、一言で言えば「社交としての読書」。読書なんて、読者が好きなものを好き勝手に読めばいいわけですが、しかし、いい大人が子供騙しの本の愛読者であることを公表したりすると、それはそれでお里が知れるところがある。つまり、そういうのは「社交としての読書」としては失敗例になるわけですな。 だから、こういう本を読んでいる、または小脇に抱えていたりすると、一目置かれるぞ、的な本を、ケース・バイ・ケースで紹介していく――これが本書の趣旨であるわけ。 えーーー?! それって、本の読み方として、どうなの? って、思いますよね? 実際、本書のレビューを見ると、この点を批判したものがわんさか出てきて、「何を読もうがこっちの勝手だ!」とか、「昭和のおじさんに、こういう本を読んだら知的にみられる、などと言われたくない」的なコメントがずらずら並ぶ。 まあ、そりゃ、そうなりますよね・・・。私もそう思うもん。 というわけで、この本を読んで、何一つ学ぶところがなかったのでした。なーんだ、福田和也なんて、この程度のものか。だったら、恐れるに足らずだなあ・・・。 ところが。 今朝の読売新聞に、島田雅彦氏が福田さんを追悼した文章が掲載されていまして。 それによると、島田さんが福田氏に初めて会ったのは、某文壇バーであったと。その時、島田さんはイタリア人の女性を連れていて、その女性と会話を楽しんでいたのですが、そこに横やりを入れてきたのが福田氏だったんですって。 最初は、冷やかしのような茶々を入れてきたのですが、そのうちヒートアップしてきて、ピーナツを頻りに投げつけてくる。まあ、酔っ払いが絡んできたようなもんですわ。 でも、そんなきっかけで島田氏は福田氏と懇意になり、その後、対談やらなにやらで一緒の仕事を何度もするようになった。 で、島田氏曰く、福田氏は、そうやって自分の興味のある人に対し、半ば喧嘩を仕掛けているかのようなちょっかいを出しては、関係を結び、その後、その関係を育てていくような感じで人とつながる術に長けていたと。 そうした福田氏のつきあい術を称して、島田氏曰く、「福田氏の場合、社交と批評は表裏一体をなしていた」と。 ふうむ、「社交と批評が一緒」か・・・。 そんな島田氏の福田氏評を読んで、福田氏のいわゆる「社交としての読書」というものを再考してみると、読書とは社交の土台を成すもの、という考え方が福田氏にはあったのかもね。そういう風に考えると、この本は、福田氏自身の読書観を示したものであって、他人にこういう読書の仕方を勧める、という体のものではなかったのでありましょう。 というわけで、島田氏の追悼文をタイムリーに読んだことで、私の福田和也観も少しだけ修正されたところがあります。 でも・・・、まあ・・・、どっちにしてもあんまり私にとっては参考にならない本ではあったかな。
October 1, 2024
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昨日、野暮用があってイオンに行ったのですが、その中にニトリがありまして。で、見るともなく見ていると、電動ソファーが売っている。 当然、試しに座ってみるじゃん? そしたら・・・ いい! これ、イイ! 電動で背もたれが倒れ、オットマン的に足も上がって、極楽状態。これが10万円以内で買えるのか?! でも、こんなの買ったら、極楽過ぎて堕落しちゃうかもね・・・。 さて、仕事の合間に読んでいた本を読み終わってしまいました。 一つは川本三郎さんの『いまも、君を想う』という本。男性著者が、亡くなった妻の思い出を綴る本というのは沢山あって、城山三郎さんの『そうか、もう君はいないのか』とか、永田和宏さんの『歌に私は泣くだらう』、江藤淳の『妻と私』、亀井俊介先生の『わが妻の「死の美学」』などがパッと思い浮かびますが、思い浮かぶというのは、それらを読んだことがあるということでありまして、要するにその手の本に惹かれるところが自分にあるのでしょう。 で、川本さんの本ですが、ファッション評論家であった奥様との出会いから死に至るまでの思い出が、なるべく抑えた筆で淡々と綴ってある。それを読むと、すごくセンスのある、そしてガッツのある、素敵な奥様だったんだなあということがよく分かる。となると、その奥様を若くして病気で失うということは、川本さんにとってものすごい打撃だったであろうことも推測され・・・。まあ、だから読者にどうすることもできませんが、自分の奥さんは大切にしなきゃという思いを強くしましたね。これこれ! ↓【中古】 いまも、君を想う 新潮文庫/川本三郎【著】 あともう一冊、萩原健一さんの『俺の人生どっかおかしい』ですが、これはショーケンが大麻所持・使用で逮捕された時の騒動を綴った本。出る釘は打たれるじゃないけれど、当時、ものすごい勢いでいい仕事をされていた萩原さんだけに、この事件を機に彼を叩く人・マスコミの攻勢がすごくて、執行猶予付きながら実刑判決を受けたことで、その後もしばらく散々な目にあわされたと。 もちろん、自業自得の面はありますが、こういうことがあると、見たくもない人間の悪辣なところが見えちゃうんですなあ。その一方、それでも彼に救いの手を差し伸べようとする人たちもいて、救われるところもある。例えばガッツ石松氏の、萩原さんへの温かい行動なんかを読むと、ガッツさんってスゴイ人なんだな、と思います。瀬戸内寂聴さんも優しいし。あと、当時萩原さんの奥さんだったいしだあゆみさんの苦労とかね。これこれ! ↓【中古】 俺の人生どっかおかしい 萩原健一さんって、難しい人ではあったようですが、この本や『ショーケン』(これはいい本!)なんかを読む限り、人間的に深いところもあって、色々な意味で興味深い人物ではありましたね。私は一度、二子玉のデパートのエレベーターに、ショーケンと乗り合わせたことがあって、その時は何も言えませんでしたけど、せめてひとこと、「『ショーケン』読みました! 素晴らしいと思います!」と、感想を言えば良かったなと、これは今もって後悔しているところでございます。これこれ! ↓【中古】 ショーケン
September 21, 2024
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今話題の新書、三宅香帆さんの『なぜ本』を読みました。 とっても売れているようで、読書メーターの登録数も6000近い。感想だって1300越え。まあ、話題の本って感じですよね。 だ・け・ど。 一言で言って期待外れ。昨日読んだ『生きのびるための事務』とは好対照で、学ぶところがなかったわ~。 だってさ、この本、内容から言ったら、単なる「日本の自己啓発本出版史・自己啓発思想史」ですよ。 だけど、そういう風に見ると、まったく新味がない。そういう本であれば、牧野智和さんが『自己啓発の時代』とか『日常に侵入する自己啓発』という本で既にやっている。その単なる焼き直しよ。本書が引用しているような本は、私はほぼ全部読んでいるので、「ああ、あの本からアイディアを借りたのね」という感じで、すぐにお里が知れるような話ばっかり。オリジナルなものが一つもない。 でまた、自己啓発本を必要悪と見なして、そういうものが流行ってしまう日本の労働システムを批判するというスタンスも、牧野さんらの先行研究とまったく同じ。だから、新味がまったくないのよ。自己啓発本の面白さも、価値も、まったくわかってなさそうだし。 で、肝心の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の答えは、「日本人が働きすぎるから」で、その対処法としては、「あんまり一生懸命働かないようにすればいい、そうすれば本を読む余裕も生まれるから」って・・・。 まあ、アレだよね。ウクライナ戦争の解決法として、「みんなもっと仲良くすればいいと思う」と提案するようなもんだから。小学校3年生の学級会で、責任感ある女の子が手を挙げて言うようなレベル。そんなことができるものなら、っていう。 いやあ! ビックリだよ! これがベストセラーなのか! わかんないな~。なんでそういうことになるの? 別に面白い本じゃないのに。 ということで、ワタクシにはまったく響かない本だったのでした。教授のおすすめは、なーしーよ。
September 19, 2024
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坂口恭平さんの書いた話題の本、『生きのびるための事務』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。これこれ! ↓生きのびるための事務 [ 坂口恭平 ] あのね、読んでビックリしたんだけど、この本、ものすごく良い本でした。出色の自己啓発本と言っていい。日本で唯一の自己啓発本研究者であり、かつ、基本、ベストセラーは読まない主義のワタクシが言うのだから間違いない。誰にとっても一読に値する名著とみた。 まず驚くのは、これを読むと、「事務」という概念が一変するということ。クリエイティブな仕事は好きだけど、事務は・・・などという、通俗的な事務概念がいかに間違っているかということがよく分かる。 本書曰く、社畜となって給料をもらうだけの人生に、事務は必要ないと。事務が必要なのは、クリエイティブなこと、自分の好きなことだけをやって人生を冒険しながら過していきたいと思っている人のみ。 だけど、そんな夢みたいなこと、誰にでもできるわけないじゃん! と思ったあなた! あなたこそ、この本を読まなくちゃ! 自分に才能があるのかないのか、そんなこと、誰にも分からないわけですよ。他人にはもちろん分からないけど、本人にだって分からない。だから、自分に「人から高く評価される才能があるかないか」にこだわっていたら、クリエイティブな人生、冒険的な人生に足を踏み出すことなんて、まあ、無理。 だけど、そこに「事務」を導入すると、その一歩が踏み出させるようになる。なぜなら、才能があるかないかではなく、自分がやりたいこと、好きだという理由でやり続けたいことを、実行に移すための、唯一のノウハウが事務だから。 自分に対する不安、そして先行きの不安は、事務を導入することで物理的に解消することができる。そのことを、本書は雄弁に、説得力をもって、読者に伝えてくれます。実際、何者でもなかった坂口さんは、事務によって、自分の好きなことだけして生きていく術を整えたわけですからね。 しかし、そう言ってしまうと、坂口さんがうまく行ったのは、坂口さんに客観的に才能があったから、ということであって、誰もが同じ方法でうまく行くとは限らないじゃん? という疑念も浮かび上がってきますが、いや、この本が主張しているのは、そういうことじゃなくて・・・という話になって、堂々巡りになるところはある。 だけど、本書を正しく読めば、この本は確かに、地に足の着いた「夢の実現法」にはなっていると思います。本書を読むと、ワクワクしますよ! このワクワク感こそ、良質の自己啓発本の証拠。 実際、事務仕事嫌いのワタクシ、書類を書くことがこの上なく嫌いなワタクシが、これほどまでに事務という概念に魅了されるとは思ってもいなかったです。ほんと、まさに意識革命って感じ。少なくとも、ワタクシにはとてもいい勉強になりましたし、ワタクシ自身が次の本の戦略を立てる際の参考には大いになりました。 っつーことで、この本、ベストセラー嫌いのワタクシにしては珍しく、熱烈おすすめ!と言っておきましょう。生きのびるための事務 [ 坂口恭平 ]
September 18, 2024
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夕方、姉から電話があり、老人ホームに入っている母の具合があまり宜しくないと。明日、とりあえず病院に担ぎ込んで、どうやらそのまま入院という運びになるらしい。 こちらも体調悪くて、すぐに応援に駆け付けられないのが申し訳ないですけど、すぐにどうこうというわけではないでしょうから、とりあえずは様子見ですかね・・・。心配は、心配ですなあ。 私の方は、体調悪くて、このところ仕事から遠ざかっておりまして、横になって本ばかり読んでおります。1日1冊ペース。 ここ数日のうちに読んだものを列挙しますと・・・①和田芳恵『筑摩書房の三十年』②岸田今日子『妄想の森』③山田稔『特別な一日』④荒川洋治『忘れられる過去』①は、筑摩書房が創立三十周年の時に出した社史みたいなもので、これを読むと、同社の創立経緯や社としての哲学、それから戦中・戦後の一時期、筑摩書房が存続の危機に立っていたことなどがよくわかる。②は独自の存在感を放っていた女優のエッセイ集で、エッセイストクラブ賞受賞作。③は知る人ぞ知るフランス文学者・山田稔の非常に複雑な味わいのある読書エッセイ。④は詩人・荒川洋治さんの読書エッセイ集。 どれも面白かったけど、特に面白かったのは、山田稔さんの本でしたかね。エッセイ然としたエッセイではなく、本や思い出を軸に、山田さんの経験や思考がグルグルと渦を巻くような不思議な本。 まあ、こんな本を読みながら、時間を忘れれるのでなければ、不快な体調を乗り切れませんわ。【中古】 筑摩書房の三十年 1940‐1970 筑摩選書/和田芳恵【著】【中古】特別な一日 読書漫録 /平凡社/山田稔(仏文学)(文庫)【中古】 忘れられる過去 / 荒川洋治 / 朝日新聞出版 [文庫]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】 仕事ばかりで本が読めない時は、本が読みたいと思いますが、本しか読めないとなると、それはそれで忸怩たるものがある。早く体調を治して、元気にならないとね。
September 12, 2024
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中村一枝・古川一枝による『ふたりの一枝』という本を読み終わったのですが、これがまた意外なほど面白い本でした。 中村一枝は尾﨑士郎の娘、古川一枝は尾崎一雄の娘なんですが、年齢もわずか1歳違いで、親同士仲がよく、結婚前はどちらも「オザキ・カズエ」だった上、二人とも早稲田大学に進学したという。そんな二人が熊本日日新聞に代わりばんこに昔の思い出を語るエッセイを書き、それが合わさってこの一冊になったと。実際には新聞に掲載されたエッセイ以外の思い出の記も含まれているのですけどね。 ちなみに中村一枝さんは、中村汀女の息子と結婚したので、汀女は義理の母ということになる。また尾﨑士郎は、一枝さんの母と結婚する前は宇野千代と事実婚状態だったと。で、千代との生活が破綻していたところで、銀座のカフェ・ライオンで女給をしていた一枝さんの母と出会い、そのまま彼女を連れて出奔したのだとか。 ・・・などなど、もうね、このエッセイ集の中に出て来る、この二つの家族にまつわる人脈というのはものすごいものがあります。例えば尾崎一雄は檀一雄と仲が良く、一時は同じ家に住んでいたと。で、二階に住む檀のところには山岸外史、森敦、太宰治、立原道造といった連中が遊びに来、一方一階を占拠している尾崎のところには浅見淵、丹羽文雄、田畑修一郎、外村繁、木山捷平などが集まって来て、さらに近所にいた上野壮夫が住んでいたものだから、そこには小熊秀雄、亀井勝一郎、神近市子、矢田津世子などが出入りしていたというのだから、なんともはや。 昔の文人たちの付き合いってのは、すごいね。 でまた、昔の人たちってのは、男女の関係がスゴイ。まあ、よく離婚するし、やたらに愛人がいる。そういう点では、ちょっと浮気したくらいで袋叩きに合う現代の風潮とはまったく違う、なんともおおらかな(おおらかと言っていいかどうかは知りませんが)風があったんですなあ。それから古川さんの母方の叔母は山原鶴で、湯浅芳子の晩年の愛人・・・というか、少なくとも同居人だったんですけど、そういうレズビアン的な関係も、割としれっと受け入れられていたようなところがあったらしい。 つまり、現代の日本より、昔の日本の方がよっぽど進んでいた、ってことでしょうか。 とまあ、この本に出て来る様々な人々の話が面白過ぎて、いちいち、調べ物をしながら読み進めることになるので、短い本なのに案外読み切るのに時間がかかるという。 とにかく、戦前・戦後の日本のある、どこかのんびりした一面を垣間見れるという点で、すこぶる面白い本なのでした。 この本、今は絶版のようですが、古本で探せば、どこかにはあるでしょう。あるいは図書館に行くか。見つけたらご一読をお薦めします。
September 8, 2024
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先日来読んでいたジョン・マルコフの『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』という本を読み終わりましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本を書くにあたって、マルコフはブランドがスタンフォード大学に寄贈した日記やら様々な記録、それから76回(各回3時間以上)に亘ってマルコフがブランドにインタビューしたものを元に、スチュアート・ブランドの生い立ちやラ来し方を綴ったもので、要するにブランドの伝記なんですな。だから、ブランドの業績について学術的に評価するとか、そういう意図で書かれたものではないし、何かを論じるといった体のものではない。ただ、純粋に、ブランドの伝記です。ブランドはまだ生きていますけどね。 そういう意味で、ブランドの業績を論じる際のサポートというか、傍証にはなるけれども、それ以上のものにはなりそうもないな。 例えば、この本を読むと、スチュアート・ブランドというのは、割と女癖が悪いんだ、とか、そういうことは分かるわけですよ。あと、やたらに鬱になる人なんだ、とか。でも、女癖が悪いとか、すぐ鬱になるとか、そんなことを知ったところで、ブランドの業績を論じる際には役に立たないでしょ? そういうことよ。 だから、この本を読んだおかげで、私のブランド観が変わったとか、そういうことはないのだけれども、傍証としては面白い事実がいくつかありました。 例えば、前にも言いましたが、ブランドのエクセター(予備校)時代、ジョン・スタインベック(というか、海洋生物学者のエド・リケッツ)に影響を受けたというのは、結構、大きい。要するにブランドの世界観の背景に、生物学があるってことですな。 後、この人は、スタンフォード時代、東洋宗教学のフレデリック・スピ―ゲルバーグの影響を受けているんだけど、これはエサレン研究所のマイケル・マーフィーと同じ。実際、ブランドはマーフィーと仲が良かったんですな。大体エサレンで開催された第1回目のセミナー(1962年9月)に参加しているし。 あと、この人はポール・エーリックの影響も受けているのだけど、そのことは特にエーリックの「共進化」という概念に顕著。ブランドは「co-evolution」というタイトルの雑誌も作っているしね。 その他、気になった事実を幾つか挙げると、ブランドが最初にLSD実験に参加したのは1962年12月10日。ブランドはラム・ダスの『Be Here Now』の編集を手伝っている。 ブランドは一時、アイン・ランドノリバタリアニズムに関心を抱いていたが、すぐにバックミンスター・フラー的なテクノロジー主義やマーシャル・マクルーハンの方に関心が移った。 地球の宇宙写真をNASAに要求する運動については159頁。 ブランドは「学習」こそが、個人と組織を共鳴させるものであると考え、その学習を促進させるツールこそが重要であるという考えを抱いた、という話は、163頁。このツールという発想が、『ホールアース・カタログ』につながると。 『ホールアース・カタログ』の「今や我々は神のようになったのだから・・・」という冒頭の一節は、エドモンド・リーチからの引用(197頁)。 カタログの初版は1000部(203頁)。初期反応については205頁。 『ラスト・ホールアース・カタログ』の全米図書賞受賞については、238頁。当初、下馬評にもあがっていなかったが、「1971年に出た本の中で、後々まで記憶される唯一の本」という評で覆った。 『エピローグ』出版の経緯については259頁及び264頁。エピローグには、ベイトソンの影響がみられる。つまり、フラーやウィーナーの影響を受けたカタログから、ベイトソン的なエピローグへの思想的発展があった。 勝ち負けを競わない「ニューゲーム」については、262頁。 カウンター・カルチャーからニューエイジへの移行については、267頁。「60年代にベイエリアのカウンターカルチャーの創造を促した潮流は、70年代にも深く浸透し続けていた。政治の世界では新左翼が分断化していき、ジョージ・マクガバンの理想主義的な反戦運動はリチャード・ニクソンによって潰され、ニューエイジと個人の成長運動が盛り上がっていた。「ホールアース・カタログ」が仕掛けた田舎へ帰ろう運動は衰退し、その場所にはもっと個人的な救済や啓もうを仕掛けるESTから禅までが入り込んでいた」。 ブランドの「自給自足」の理想は、「クオータリー」の頃には修正されていた。(275頁) 70年代のアメリカでは「自助」という概念が流行していたが、ブランドはこれに反対し、「他人を助ける」ことを重視した。(295頁) 「パーソナル・コンピュータ」という用語を案出したのはブランド。(306頁) 「情報はフリーになりたがっている」というブランドの言葉には前段があったが、この部分だけが引用されて広まってしまった。(320頁) ブランドは、『インナーゲーム』のティモシー・ガルウェイとも知り合いであった。(329頁) ブランドは仕事で日本を訪問したことがあり、日本の文化に魅了されていた。(345頁) とまあ、私にとって必要な情報はこんなところかな? そのほか、ブランドが『地球の論点』を出した時、環境保護推進派から裏切者的な扱いを受けたことなど、印象的な記述も多々あり。 それにしても全体を通じて思うことは、スチュアート・ブランドという人が、決して天才ではなく、思想家でも哲学者でもないのだけれども、この時代のここぞという要のところにいて、情報の発信者として多大な影響力を持った、というところが面白いなと。かといって、彼はジャーナリストではないし。なんとも不思議な業績だよね! ま、そんな感じでしたかね。ブランドに興味がない人にとってはさほど面白くない本だし、興味がある人にとっても、巻置く能わざる、というほど面白くはない本だけど、読んで後悔するという本でもなかったかな。まあ、私には中途半端に面白い本でした。これこれ! ↓ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生 [ ジョン・マルコフ ] さて、1週間ほどに亘った実家での夏休みも今日で終了です。今日はこれから晩御飯をご馳走になって、名古屋に戻ろうかと。 ということで、明日からはまた名古屋からのお気楽日記、どうぞお楽しみに!
August 17, 2024
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随分前に買って積読になっていた黒沢哲哉さんの『ぼくらの60~70年代』という本をチラ読みしたらとても面白くて、サクッと読んでしまいましたので、心覚えをつけておきましょう。これこれ! ↓ぼくらの60~70年代熱中記 [ 黒沢哲哉 ] 著者の黒沢さんは1957年生まれですから、私より6歳ほど年長ですが、まあ、実質同世代と言ってもいいかなと。だから黒沢さんが若かりし頃に夢中になった事々というのは、私もすべてはっきりとした記憶があるし、同じように懐かしいものばかり。同年代のおっさんが「昔こういうのあったよね~!」という話題で盛り上がる的な感じで一気に読んじゃったというね。 たとえば黒沢さんが小さかった時、写真に写る時は常に「シェ―!」のポーズをとっていたそうですが、私もまったく同じ。同世代あるあるですわ。あと、子供の頃よく見た『チャコちゃん、ケンちゃん』の話題とかね。チャコちゃんを演じた四方晴美さんなんて、私の姉の同級生だったしね。 あと、日曜の夜は『日曜洋画劇場』を淀川長治さんの解説で楽しんだとか、「帰って来たヨッパライ」を最初に聴いた時は驚いたとか、土曜の夜は『キイハンター』を見て大人びたとか、『小さな恋のメロディ』が上映された時は胸キュンしたとか、NHKの若者向けドラマ『タイム・トラベラー』は超面白かったとか、ポール・モーリアの「エーゲ海の真珠」に痺れたとか、『飛び出せ! 青春』にグッと来たとか、ノストラダムスの大予言に震え上がったとか、ブルース・リーに驚愕したとか、篠山紀信の激写に理性を失ったとか、谷村新司の「天才・秀才・ばか」に笑い転げたとか、『ぴあ』と『シティロード』だったら『シティロード』派だったとか、薬師丸ひろ子が出てきた時は萌えたとか、まあ、そういう話が畳み掛けられるのですが、読んでいると、自分自身のその時代の頃のことが鮮やかに蘇ってきて、楽しい、楽しい。 もう還暦過ぎると、未来の話より過去の話が楽しいね! まさか自分がそうなるとは思わなかったけど、実際その年齢になるとそうなるね。 ということで、若い人が読んでも何のことやら、だろうけれども、還暦以上の人が読んだら感涙もののこの本、初老の人向けに熱烈おすすめ!です。ぼくらの60~70年代熱中記[本/雑誌] (単行本・ムック) / 黒沢哲哉/著
August 4, 2024
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吉増剛造の『我が詩的自伝』を読んでいたら、鮎川信夫のことがちょっと出ていまして。 田村隆一と詩誌『荒地』を創刊した詩人ですが、田村同様、詩だけでは食っていけなかったのか、この人は翻訳も沢山している。コナン・ドイルとか、ヘミングウェイなんかもやっている。 で、私は田村隆一の方は、割と関連本を読んでいて、面白いなと思いつつ、ちょっと女性関係が奔放過ぎてついていけないなと思うところもあり。 その一方、鮎川信夫の方はほとんど関連本を読んだことがない。でも吉増によれば、田村より鮎川の方が、存在としては大きいとのこと。 ふうむ。そうなのか。 というわけで、今度は鮎川の本、あるいは鮎川についての本を読んでみたくなってきたのですが、うちの大学の図書館には、あまり鮎川本を置いてないことが判明。ダメだね、うちの国語科の連中。誰か一人くらい、鮎川ファンがいたっておかしくないだろうに・・・。 とりあえず、鮎川はコラムの名手だったそうだから、コラム集でも買ってみますかね。もっとも、とっくに絶版だから、古本じゃないと買えないけれども。【中古】 最後のコラム 鮎川信夫遺稿集103篇 / 鮎川 信夫 / 文藝春秋 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】
June 19, 2024
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この間、大学の研究室で何気なく書棚を見ていたら、詩人の吉増剛造が書いた『我が詩的自伝』という本のタイトルが目につきまして。これ、何かの拍子に興味を惹かれて買って、買ったはいいけど読まずに放っておいたもの。それをふと手に取ったら面白そうだったので、読むことにしました。 これだよね、本を買うということの意味は。積読の価値は。これこれ! ↓我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ! (講談社現代新書) [ 吉増 剛造 ] ちなみに、こんな、仕事と関係のない本を読んでいるヒマなんかないんだよ、ワシには! やるべき仕事、書くべき原稿が山ほどある。なのに、こういう横道に逸れるという暴挙。これだよ、本を読むことの意味とは。 で、読み始めたんだけど、もうね、何が書いてあるかあんまり分からないの。詩人の書くものだからさ。論理的ではないから。 この人、何言ってんの? っていう感じで、頭の中に「?」マークが沢山つく。 だから、時々この本をほっぽり出して、論理的な本を読むわけよ。 そうすると、どうなるか? 論理的な本がつまらなく思えてくるんだわ、これが! 「こんな、筋の通った話、つまらん!」ってなるの。それでまた吉増の本に戻るという。 まあ、吉増って人は、多摩の人なんだよね。で、私も多摩の人だから。そういう親近感もある。大学も先輩だしね。 で、この本の中で、吉増さんはしばしば「非常時」っていう言葉を使う。ギリギリの、とか、にっちもさっちも行かないとか、そういう意味合いで。非常時じゃないと、本当の詩なんか書けないと、どうやら吉増さんは感じているらしいんだな。あるいは「底をさわる」というようなことも言う。底を触らないと、本当のことは分からない、みたいな。 その辺の感覚が、ちょっと分かるなあと。っていうか、今まさに、私は非常時であって、他の仕事しなきゃいけないのに、吉増さんの本なんか読んでいるんだから、非常時の読書だ。 そういうこともあって、なんか、よく分からないながらも、分かるという気がする。 また、時代も良くて、吉増さんは色々な重要な人、その時代その時代に活躍している人たちに出会って、一緒に仕事したりしている。そういう交流がまた面白い。 まだ最後のところまで読み切っていないのだけれども、面白い本です。教授のおすすめ!【中古】我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ! /講談社/吉増剛造(新書)
June 18, 2024
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今日も書評を頼まれている本(『アメリカ70年代』)を読んでおりました。結局、読了はしたのですが、大部な本なので、再読・三読しないと、全体に目配りした書評はできません。今日のところは、下読みが終了した程度の成果ですかね。 しかし、この種の文化論読んでいつも思うのですが、アメリカ人ってのは、政治の話題が好きだなと。 つまり文化論を語るにも、政治の話が大半を占めるというね。 まあ、アメリカの場合、大統領制ですから、4年とか8年とか、決まった年数をずっと一人の大統領が政治を主導することになる。なので、ケネディの時代にどうしたとか、カーターの時代にどうしたとか、レーガンの時代はどうだったかとか、そういう区分が付けやすいというのもあるかも。 逆に日本の場合、首相の首がぽいぽいすげ替わるので、どの人の時に何があったとか、そういうのが特定しにくいよね。特に宇野さんとか森さんとか麻生さんとかが首相の時どうだったとか、覚えてないじゃん。さすがに佐藤さん、田中さん、小泉さんあたりだと、言えることもあるだろうけれども。 自慢じゃないけどワタクシなんか、政治のことに疎いので、アメリカ人が書いた文化論を読んでいて、政治関連のことが延々と続くと、ちょっと飽きるところがある。興味があんまりないからね。 そういう意味では、『アメリカ70年代』という本、書評引き受けちゃったけど、結構、ハードな仕事になりそうです。まあ、自分にとって勉強にはなるけれども。
June 16, 2024
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拙著は今のところ世間受けが極めてよく、書評が絶えることがない。今日、聞いたところでは、集英社の『すばる』の7月号で、翻訳家・エッセイストの村井理子さんが、連載(「湖畔のブッククラブ」)の中で書評を載せてくれていた。これに気づいた編集者からコピーを送っていただいたが、実際、素晴らしく気持ちのいい書評であった。村井理子さんに感謝、感謝である。ありがとうございました! そして今日、もう一つ気が付いたのは、『綴葉(ていよう)』という書評誌に拙著に対する書評が載っていたということ。この書評誌は、以前にも別な拙著の書評を載せてくれたことがあるのだが、これまた嬉しい限り。 ところで、皆さんは『綴葉』という書評雑誌をご存じだろうか? これがなんと、京都大学の生協が編集して年10回出している独自の書評雑誌なのである。 おそらく、だが、おそらく、この雑誌を編集しているのは京大生協の会員の有志たち、すなわち京都大学の学生や院生だろう。それが、年10回というハイペースで、レベルの高い書評誌を40年間にわたって編集・出版し続けているのである。私はむしろその事実に驚く。 まあ、一言で言うならば、「それが京都大学」なのである。京都大学で学んでいる学生や院生だから、こういうことができるのだ。 残念だが、我が勤務先大学のここ最近10年ほどの学生たちの顔ぶれを思い浮かべると、彼らに『綴葉』のようなものを定期的に出し続けられるとはとても思えない。彼らはそもそも『綴葉』が書評している本の数々を、読むどころか手にとったことすらないだろう。うちの大学も、ひと昔前なら骨のある学生が相当数いたもので、彼らとならシェイクスピア作品を原文で輪読できたものだが、今は見るかげもない。 今では私のゼミ生ですら、私の本は読んだことがないだろうが、京都大学の学生・院生はそれを読んで高く評価してくれる。そのことに、複雑な思いを抱きつつ、感謝せざるをえない。京都大学生協『綴葉』のレベルを見よ! ↓『綴葉』(428号)
June 10, 2024
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某誌から書評を頼まれ、『70年代アメリカ』という本を読んでおります。まだ途中なんだけどね。でもなかなか面白い。 アメリカの1970年代って、何もなかった十年、みたいな見方を従来されているけれども、どうしてどうして、この十年があったから今の21世紀があるんじゃないの? という趣旨の本なんですけど、とにかく1970年代にアメリカで起こった色々な事象が俎上に上げられ、分析されている。それがいちいち面白いわけ。 たとえばこの時代を代表する映画に『ゴッドファーザー』がある。 この映画の主人公、マイケル・コルレオーネは、最初、軍人として登場する。つまり、シシリアン・マフィアの息子としてではなく、善良なアメリカ人として。 ところが、マイケルはストーリーの進行と共に変容していき、結局、アメリカ人であることをやめ、シシリー人として父の跡を継ぐ。 これが70年代だと。 つまり移民としてアメリカにやってきたすべての人種が過去を捨て、人種のるつぼの中で「アメリカ人」という架空の人種に溶け込み、統合するのではなく、それぞれの民族が独自の文化を持ちながら多様なアメリカ社会の中で生きていく、そういう新しい概念が70年代に生まれたのだと。その一つの象徴が『ゴッドファーザー』なのだと。 面白くない? ま、この本はそういうようなことが色々書いてある。勉強になります。これこれ! ↓アメリカ70年代 激動する文化・社会・政治 [ ブルース・J・シュルマン ]
June 9, 2024
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日本アメリカ文学会の中・四国支部が出している紀要に、『中・四国アメリカ文学』というのがあるのですが、その59号に、恩師・大橋吉之輔先生のことを書かせていただきまして、これがネット上で読めるようになりましたので、ちょっと宣伝を。 一昨年の6月に、アメリカ文学会中・四国支部の支部大会が開かれ、そこで私は講演をさせていただいたのですが、その内容が昨年6月に支部の紀要に掲載され、それが今年の6月にネット上で読めるようになったと、まあ、そういう次第。 で、その内容はと言いますと、私の恩師であります大橋吉之輔先生の思い出でございます。 実はその前の年に『エピソード アメリカ文学者・大橋吉之輔エッセイ集』という本を編纂・出版したのですが、大橋先生のご出身が広島であることもあって、中・四国支部がこの本を大々的に扱ってくれまして。それで学会での講演につながったと。 この講演では、この本を編纂・出版することになった経緯やら、大橋先生の思い出やら、そういうことをお話させていただきました。 ということで、もし一人のアメリカ文学者の波乱万丈、疾風怒濤の人生に興味がある方がおられましたら、是非、以下に示します文字列から中・四国支部の紀要のサイトに飛んでいただき、冒頭の「大橋吉之輔先生とわたし」というエッセイを読んでいただけたらと思います。ま、気軽に読めるものですのでね。これこれ! ↓エッセイ:「大橋吉之輔先生とわたし」 それから、もしこのエッセイが面白かったら、本バージョンの方も是非! 自分で言うのもなんですが、大橋先生というのはとんでもなく劇的な人生を送られた方ですので、この本も感動的です。これこれ! ↓エピソード アメリカ文学者 大橋吉之輔 エッセイ集 [ 大橋 吉之輔 ]
June 7, 2024
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糸井重里さんが運営する「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトで、拙著『14歳からの自己啓発』という本をテキストに、糸井さん、古賀史健さん、水野敬也さんと共に深く語り合ったトークショー「『自己啓発本』には、かなり奥深いおもしろさがある」の模様が、文字媒体で公開されています! 今日公開されたのは、全14回連載の記念すべき第1回目。これこれ! ↓Chapter 1 自己啓発本(JKB)はポピュラーソング。 | 「自己啓発本」には、かなり奥深いおもしろさがある。 | 古賀史健✕水野敬也✕尾崎俊介 | ほぼ日刊イトイ新聞 (1101.com) このトークショー、司会の糸井さんはもとより、参加者がすごい。『嫌われる勇気』や『さみしい夜にはペンを持て』の古賀史健さん、そして『夢をかなえるゾウ』や『LOVE理論』の水野敬也さんという自己啓発界の猛者が参戦してますからね。そりゃあ、14回という長丁場の連載になりますわ。 一方、YouTube 上ではつい先日行った『ニコ生深掘TV』での公開セッションも相当バズっております。これこれ! ↓深掘TV:尾崎俊介氏出演!『なぜアメリカ人と日本人は自己啓発本が好きなのか』(5月28日(火)21時~生放送) - YouTube 最近出した2冊の本が、2冊ともこれほど反響がいいとは、著者冥利に尽きますなあ・・・これこれ! ↓アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく [ 尾崎 俊介 ]14歳からの自己啓発 [ 尾崎 俊介 ] この勢いを維持するためにも、この週末は原稿書き、頑張ろうっと。
May 31, 2024
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中野利子さんが書かれた『父 中野好夫のこと』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 私がこの本を読んだのは、著者の中野利子さんがつい先日亡くなられたということが一つ。加えて、英文学者・中野好夫氏は、我が師匠・大橋吉之輔の大学時代の指導教授であったということもある。最後にもう一つ付け加えるなら、私は「娘が書いた父親の伝記」という文学ジャンルを非常に高く評価しているということもあります。ましてや『父 中野好夫のこと』は、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているのですから、よほどの名著なのだろうと。 で、読んでみた。すると・・・ うーん、それほどでもないかな(爆!) まずね、そもそも利子さんは、思春期を迎えた頃から父親の中野好夫のことが大嫌いで、意図的に距離を置いていたということがある。そして長じてからは名古屋の方の学校に勤められたこともあって、めったに実家には戻らなかったと。 で、後になってから父親の書いた本やら何やらを読んで、後付けで父親の業績などを知ったところがあるのですが、それにしたって、「はあ、父はこういうことをしていたのか」的なものだから、そこまでの深い読み取りはない。 例えば森鴎外に目いっぱい甘やかされた小堀杏奴の『晩年の父』とか、露伴に厳しくしつけられた幸田文の『父・こんなこと』のような、父娘の濃密な関係は望めないわけですよ。 ただ分かるのは、中野好夫がものすごくエネルギッシュな人で、勉強家であったこと。戦時中は、当時の国民全般と同じく国威発揚的な発言をしていたこと。それが戦後一転して反省し、二度とああいうことが起らないような社会になるよう尽力したことや、それに関して非常に多くの社会活動に携わったことなど。東大時代は英文学の泰斗・斎藤勇に心頭していたことや、アメリカ文学者の西川正身の友人であったこと。 あと、英文学の優れた研究者であったにもかかわらず、イギリスやヨーロッパの土を踏んでおらず、英会話が苦手であったことも、ちょっと意外な面白い事実でしたかね。 その他、中野好夫の最初の妻は、土井晩翠の次女で、斉藤勇の仲介で結婚したはいいものの、家格の違いに悩んだこととか、その人が若くして亡くなった後、再婚した奥さんはアメリカの大学に留学経験があり、一緒にアメリカに滞在した時は、英会話の苦手な中野好夫よりも奥さんの方が生き生きとしてしまって、中野好夫は面目丸つぶれだったとか。 私の恩師・大橋先生は、指導教授であったにもかかわらず、あまり中野好夫のことには言及しませんでしたが、あれは中野氏が戦時中、国威発揚的な発言を公にしていたことなどが関係していたのかな、なんてちょっと思ったりして。 とまあ、全体として面白くなくはない本なんですが、なんと言うか、ガツンとくる感動がないんだよなあ。やっぱり、若い頃からあまり父親に接触してこなかった娘、という立ち位置が、明確な中野好夫像を形作るには、弱すぎたということなのではないでしょうか。 っつーことで、私には面白かったけど、だからと言って他の多くの方が読んでためになるかっつーと、そこはちょっと疑問、という感じの本だったのでした。これこれ! ↓【中古】 父中野好夫のこと / 中野 利子 / 岩波書店 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】
May 23, 2024
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今から40年程前、私がまだ英文科の学生だった頃、既に学者として一家を成していた大先輩、岩元巌先生がお書きになられた『老残の記』という私家版の本を読了しました。 岩元先生は1930年のお生まれですから今年で94歳になられるはず。先生は今は千葉の方にある某老人ホームに暮らし、その一方でまだ仕事場を確保され、毎日、そこに通って筆を執られているとのこと。その意味ではまだまだお元気なのですが、しかしこの本によると、やはり寄る年波に抗うというのは難しいことのようで、お歳を召して体力が落ちてきたこともそうですが、その他、あらゆることに気力を失われつつあるとのこと。また断捨離でそれまで集めてきた貴重なアメリカ文学の本や資料など、身を切られるような思いで処分されたこととか、親しかった友人たちが次々と鬼籍に入っていくこととか。『老残の記』というタイトル通り、歳をとってあることのつらさ、苦しさを正直に吐露しておられる。 私の母が92歳で、現在老人ホームに入っており、その意味では岩元先生と同じような立場になるわけですが、私は岩元先生の子のご著書を、母の姿と重ねながら読みました。人生をどう終えるかというのは、誰にとっても難しいことなのだろうなと思いながら。 ちなみに、岩元先生は、私の師匠である大橋吉之輔先生と親しかったので、本書には大橋先生のこともちょっと出て来る。私にはそういう意味でも本書は読む価値のある本でした。 一方、今日は悲しい知らせも受け取りました。学会の友人で、私とほぼ同世代(私の方が少しだけ年下)の学者さん・H先生が亡くなられたと。60代半ばなんて学者としてはまだまだこれからのはずなのですが、ご病気のために前途を奪われてしまった・・・。 H先生とは、同時期に学会の役員をしていたもので、役員会が終わって、ちょっと飲み食いするような機会によくお話させていただいたものでした。まあ、それだけのお付き合いでしたから、本当のところは存じ上げませんが、私の知る限りでは非常に繊細な、そして穏やかな、やさしいお人柄の人でした。ちょっと歳の離れた奥様とのロマンスを伺ったことを覚えておりますが、奥様もまさか順番が逆になるとは思っていなかったでしょうし、ご落胆いかばかりかと思うと気が沈みます。 94歳、老残の苦しみを綴られた大先輩と、60代半ばで病に斃れた友人と。今日はそんなお二人のことを思う一日となってしまいました。
May 7, 2024
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昨日展覧会に行ってすっかりファンになった荒井良二さんのご著書、『ぼくの絵本じゃあにぃ』を読了したので、心覚えをつけておきます。 この本、荒井さんの幼少期の頃のこと、イラストレーターになられた頃のこと、絵本の魅力に目覚め、絵本制作に取り組むようになった頃のこと、あたりから語り始め、個々の作品の制作経緯やその背後にある思い、影響を受けた他のアーティストのこと、絵本以外の仕事にも携われるようになってからのこと、山形のご出身であったことから東北の大震災の後、東北の人々の心の復興になんとか力を貸すことができればと、様々な活動を行なったことなどが書かれております。まさに「絵本」というものを中心に語る荒井さんの人生の旅のお話。 そういう中から見えてくるのは、荒井良二さんという方のお人柄ですよ。何というか、ほんとにスッとした人。大げさなところがなく、等身大で、自然体。でもそうやってごく普通の人間として素直に素直に考えて行った結果、すごく深いヒューマニズムというか、人間的洞察に到達しちゃったみたいな。でもそういうことを得意気に語るのではなく、ごく当たり前のことのように、まるで昨日の晩何を食べたかを語るがごとくに語っていらっしゃる。そういうところに、私は非常に好感を抱きます。 実際、荒井さんの描く絵に、お人柄が出てますよね! あんな絵が描ける人が悪い人であるはずないもん。 さて、そんな感じで、私は荒井さんの絵本作家としての在り方を読んでいったわけですが、その中で、「これは、絵本創作に限らず、私のような研究者とか、本を書くタイプの人間にも通用するな」と思ったことが幾つかありまして。 たとえば、荒井さんが絵を描く時に、色々な場所で色々な恰好で描くという話とか。 一般にプロの作業場となると、使い慣れた道具が決められた場所に置いてあって、すぐにいつも通りの作業に取り掛かれるようになっているように想像するではないですか。で、実際にそういう風に仕事をされる方もいらっしゃるのでしょうけれど、荒井さんはそうではないと。 昨日はあそこで描いたけど、今日はここ、明日はまたどこか別な場所で・・・という風に、描く場所を変えるというのです。またある時は机に座って、ある時は床に寝そべって・・・という風に、描く姿勢も変えたりする。もちろん、そんな描き方は効率面から言えば非効率なんだけど、それでもそうやって描く。 それはね、結局、慣れを廃して、新しい発見を得るためなんですって。それはムダなことのようだけど、長い目で見ると、メリットがあると。 同様に、荒井さんはある時、コマ漫画を描くという仕事に携わったことがあったのですが、コマ割りをするというマンガの手法は、絵本を作る手法とは大分異なっている。でもそういう、通常の絵本制作とは異なるルール/制限の上で何かを創作してみると、そのことで新しい発見があったりする。コマ割りした一つ一つのコマをそれぞれ1ページに拡大すれば、それはそれで絵本のストーリーになるよな・・・というような発見があったりするわけですよ。 だから、面倒臭くても、慣れた手法に甘えるのではなく、しょっちゅう、別なルールを敢えて自分に課してみる。で、その制限の中で奮闘することで、何か突破口になるような発見があると。 で、荒井さん曰く、そういう突破口を沢山持っている人のことを「プロ」というのだ、と。その辺り、本文から引用してみましょう。 つまりぼくが、折れた色鉛筆の先で描いてみたらどうだろうとか、立って描いたら、あるいは床で描いたらどうかとか、自分に負荷をかけるようなことばかりしているのも、何か新しい発見がないかといつも探しまわっているからです。キャリアを積んだ分だけ、いいものが見つかる確率が上がっているだけで、ぼくだってアマチュアの人と結局は同じです。 というより、一度手になじんだやり方をずっと続けるプロの人もいますが、ぼくはむしろプロとはそういうのとは反対側にいる生き物ではないかとさえ思っています。 一般的にプロの描きとは絵を描くためのコツ、いわばうまく描くための近道を知っている人たちだと思われているかもしれませんが、とんでもない。そういう近道はありません。そんな魔法みたいなものは、どこにもない。どうやったらこれまでと違う描き方ができるか、これまでに描いたものを越えていくことができるか。プロとは、そのためのデータ、つまり、こう修正したらうまくいったとか、こういう場合は失敗したとかいう、自分なりのデータをたくさんもっている人のことではないでしょうか。(106-107) ね。これよこれ。てらいも何にもない、だけどものすごく深い洞察。荒井さんというのは、こういうものを持っている人なのよ。 あとね、これも一つ感心したのだけど、荒井さんの絵本って、ストーリーがあるようでないというか、物語的な起承転結があるわけではない。だから、ものすごく自由に、フリースタイルで、絵先行で絵本を制作しているのかと思いきや、実は絵本を作る前に詳細なマッピングをする、というんですね。 で、そのマッピングというのは、一つの紙に言葉で(絵ではなく)、この絵本に盛り込むべきコンセプトや、キーワードを書き込み、それらコンセプト/言葉を線で縦横につないだりして、相互連関を明示したりすることなんですな。つまり、一つの絵本を作るのに、設計図をかなり詳細にわたって作ると。 うーん、これはね、論文を書く時のワタクシとまったく同じ。私も一枚の紙に、この論文で扱うべき事柄や、論理の運び方、キーワードなどを書き出し、それを終始眺めながら論文を書いている。論文と絵本と、まったく別のもののようで、実は同じ制作過程を通っているんだ、というのは、私としては大きな発見でした。別業種の話って、なかなか聞けないので、その点、すごく面白かった。 それから、荒井さんは、子供を集めてワークショップを開くことが多いようなのですが、そういう経験から、「子供とは何か」ということに、非常に深い洞察を持っていらっしゃるのよ。それは、「子供は我らの希望だ」とか、「子供はみんな天才だ」とか、「子供の感性が羨ましい」とか、「我々大人は、子供時代のことを忘れてしまっている」とか、そういう通り一遍の認識では全然ないのね。 たとえば、子供は未来の希望だ! というような大人の勝手な思い込みから、子供たちに「未来のことを描いてごらん」などと指示しても、現実の子供は、未来の絵なんか描けないんですって。もちろん、過去のことも描けない。自分がもっと小さかった時のことなど、彼らには関心がない。子供ってのは現在だけを生きている非常にタフでシビアな存在であると。 なるほど! また小学校3年生あたりを境に、子供が大人の世界を模倣し出し、輝きを失っていくことを荒井さんはしょっちゅう目にする。でもそれを残念とも思わず、ただ、そういうものなんだ、という認識をされている。だから、小さい子供が、それこそ天才的な感性で、思ってもみないような作品を完成させても、「ちくしょー!」なんて思わないんですって。 ただ、そうやって子供が普通に大人になってしまうことを、止めることはできないにしても、アートによって揺さぶりをかけることはできる。 ルーティーンに収束してしまいがちな世界に、アートで揺さぶりをかけ、非日常的な活動をさせることで、「決まり切った大人」から少しはみ出させることはできる。 私が思うに、多分荒井さんという人は、絵本という形で、社会に揺さぶりをかけようとしてるのではないかと。だから荒井さんの絵本は、子供向けであると同時に、大人向けでもある。 とまあ、この本を読んでいて、色々なことを考えさせられました。読んで良かった本でしたね。 ということで、荒井良二さんの『ぼくの絵本じゃあにぃ』、教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓ぼくの絵本じゃあにぃ (NHK出版新書) [ 荒井良二 ]
April 27, 2024
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用があって、新渡戸稲造大先生の名著『修養』を再読しました。これこれ! ↓修養 (タチバナ教養文庫) [ 新渡戸稲造 ] これ、『修養』そのものではなく、その現代語訳なんですけど、まあ、内容が分かればいいかなと。 この本の原著は、明治44年に出版され、昭和9年までに148版を重ねたという超ロングセラー。元々は『実業之日本』という雑誌に連載されていたものを集めて本にしたもので、当時の新渡戸は第一高等学校校長で、かつ、実業之日本社の顧問も務めていた。片や若き学徒を束ねる立場にあり、その一方でジャーナリスティックな活動もしていたということで批判もされたようですが、そういうさがない批判に耳を傾けることなく、新渡戸は旧制高校などに進学できなかった非エリートの若者たちに対して修養を説き、向学心を煽ったと。 で、本書はそういう性質のものゆえ、市井の人々、すなわち、必ずしも学校教育を受ける機会に恵まれなかった人たちに向けて書いてある。だから、小難しいことは一つも書いてない。で、しばしば新渡戸稲造自身の経験、とりわけ失敗談などを元に、そうした失敗からの反省をもとに、「こういう風に心掛けたら、より良い人生になるのではないか」ということを説き起こしているので、著者に対して非常に親しみも増すわけよ。つまり、高所から論を説くのではなく、凡夫の立場でモノを言っている。そこが非常に好感の持てるところなんですな。 その内容は多岐にわたるけれども、勘所としては、「善用」ということ。人生、浮き沈みがあって、順風の時もあれば逆風の時もある。だけど、逆風の時はその失敗を反省し、その経験を善用して次へ進めばいいし、順風の時もまたおごらず、そこで得たものを善用し、さらなる成功に導けばよい。なんであれ、この世で遭遇することはすべて自分を磨くチャンスだと心掛けておれば、たとえ凡夫であろうとも真っ当な人生を充実して生きることができるよ、という話を、色々な観点から述べているのが本書、ということになりそうです。 だから、とってもまともな自助努力系自己啓発本であることは間違いない。いい本です。 それにしても、本書を読んでいて思うのは、昔の偉い人ってのは、実に色々な人の訪問を受けていたのだなということ。 見も知らぬ赤の他人が、新渡戸稲造を頼って、相談をしに直接、家に来ちゃうのよ。入学試験に失敗してしまったけど今更郷里にも帰れない、ついては先生のお宅の書生としてつかってもらえないだろうか、などと切羽詰まった顔をした若者がやってくる。かと思えば女子高生が何人か束になって自宅に押しかけてきて、『女大学』などという書物に書いてあることなど、とても実行できないが、先生はどう思うかと意見を聞きに来る。その他、就職のあっせんを頼む者だとか、そういう輩がやたらに訪問してくる。それも朝食前とかの時間から来るというのだから、何ともはや・・・。 すごいよね、昔の人って。今、たとえば岸田総理とかのところに朝食前に押しかけていって、就職のあっせんをお願いしたいとか言いに行ったら、下手したら逮捕されるんじゃね? でも昔はそういうのもアリだった、ってことでしょ。 でも、そういうのが通った時代ってのも、考えてみれば、なかなか豊かな時代だったと、言えるんじゃないですかね。人間的だよね。 むしろ、今もそれ、やったらいいんじゃない? 岸田首相とか、朝食前の30分、訪問してきた一般市民と面会するよ、何であれ相談に乗るよ、っていう風にしたら、支持率爆上がりじゃない? 映画『ゴッドファーザー』の冒頭場面みたいにするの。 新渡戸稲造の『修養』を、岸田首相にも読ませたいね。
April 19, 2024
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先週の金曜日、いわば時間つぶしのために買ったものの、読みだしたら止まらなくなった穂村弘さんの『短歌の友人』という本、読み終わりました。すごく面白い本でした。これは確かに、賞に値する本だなと。 これは短歌にまつわる本、といって研究書ではないし、専門家のみならず一般読者に向けて書かれているので、「文学的エッセイ」と呼ぶべきものだろうと思うのですが、そういうものとしてピカ一の出来。実に面白く、かつ啓蒙的でありました。しかも、学術的な意味での文学論にもなっているという。こう言っちゃ同業者に怒られるかもしれませんが、今日日、アメリカ文学関連の学会でこのレベルの文学論に出会ったことがない。穂村さんの本って初めて読んだけれど、これほどのものだったのかと、目からウロコ状態でした。 この本に収められたどの文章も興味深いのですけど、私が一番「お!」と思ったのは、「〈読み〉の違いのことなど」と題された一文。この文章の冒頭近くに、次のようなことが書いてある。 いつだったか、永田和宏が、歌人以外の人の歌の〈読み〉に心から納得できたことがない、という意味のことを書いているのを見た記憶があるのだが、基本的に私も同感である。 歌人の〈読み〉の場合、それが自分の〈読み〉と異なっていても、〈読み〉の軸のようなものを少しずらしてみれば理解はできることが多い。大きくいえばそれは個々の読み手の定型観の違いということになると思う。 それに対して、他ジャンルの人の短歌の〈読み〉については、定型観がどうとか〈読み〉の軸がどうとかいう以前に、「何かがわかっていない」「前提となる感覚が欠けている」という印象を持つことが多い。これはあまりにも一方的な云い方で、ちょっと口に出しにくいのだが、そんな感じは確かにあると思う。 「前提となる感覚が欠けている」とはどういうことか。これをうまく表現するのはなかなか難しいのだが、例えば、「歌というのは基本的にひとつのものがかたちを変えているだけ」という感覚の欠如、という捉え方はどうだろう。実作経験のない読み手は、この感覚もしくは認識が欠けているように思えてならない。(176-177) うーん、どうよ。すごいことが書いてあるじゃないのですか! この先、穂村さんが言っていることをまとめると、実作経験のない、すなわち歌人ではない素人には「歌というのは基本的にひとつのものがかたちを変えているだけ」という共通認識がなく、むしろ漠然と「短歌にも色々なものがある」と思っているようで、その色々なタイプの短歌の中で自分の理解できるものをピックアップして、それに対して「いいな」とか、「そうでもないな」とか、適当にコメントしているだけだと。 では、歌人ならば持っている「ひとつのもの」への認識とは何か? 例えば正岡子規にこういうのがある。 人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蠅殺すわれは この歌は、病床にあって物見遊山にも行けない自分を見つめた歌であるわけですが、ここにあるのは他人に代わってもらうことのできない、自分の人生の一回性、つまり「生のかけがえのなさ」であって、これこそが近代以降の短歌における「ひとつのもの」であると。 だから近代以降の短歌というのは、繰り返しこのことを歌っていると言っていい。それは例えば、花山多佳子という歌人の かの人も現実(うつつ)に在りて暑き空気押し分けてくる葉書一枚 という歌は、上に挙げた子規の歌の変奏であって、歌っている内容は「生のかけがえのなさ」ということである点では同じなのだと。 この「同じだ」という感覚が、歌人と素人の間では共有されていないのではないか、というのが、この文章で穂村さんが言っていることなわけ。 な・る・ほ・ど! なるほどね~。 こうなってくると、もうアレだね、実作しない短歌の批評家なんてのは、実作者からしたらお笑い種なんだろうね。 しかし、それはまた逆に、実作する者同士の批判のし合いとなると、もう、命がけということにもなる。だって、もし相手の歌が歌として通用するならば、それは即、自分の歌が全否定されることを意味するのだから。だから、そんなものは絶対に認めない。もし他の大勢の人がそれを認めるなら、自分は自害する――というようなところまで行っちゃうわけだから。実際、穂村さんはニューウェイブ歌人として名をあげ始めた頃、オーソドックスな歌人であった石田比呂志からそういうことを言われたことがあるそうで。 すごいよね。今、アメリカ文学の学者の間で、これほどの切った張ったなんてないもん。大体、実作するアメリカ文学者なんて、そうそういないですからね。 その他、穂村さんに腑分けされると、近代短歌の在り様と比べた上での現代短歌の位置づけというのもよく分かるし、著名な歌人の特色とかもすごくよく分かる。岡井隆なんて歌人・詩人の本質なんて、わずか数ページほどのエッセイにして、ズバッと核心をついているもんね。まあすごいものですよ。 というわけで、穂村弘、恐るべしということがよく分かった読書体験だったのでした。この本、教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓短歌の友人 (河出文庫) [ 穂村弘 ]
April 16, 2024
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ちょいと用があって、ナポレオン・ヒルの著作をあれこれ読んでいるのですが、読む度に不思議に思うことがあって、それは「マスターマインド」という概念についてなのですが。 ヒルはその自己啓発本の中で再三再四、成功するのに重要なのは、マスターマインドを形成することだ、と主張している。ではそのマスターマインドとは何ぞやというと、同じ目的をもった複数の人間からなる協力体制のこと。 つまり大きな仕事を成功させるには、マスターマインドを形成してかからないとダメだと。なぜなら、一人の人間にして完全な人はいないから。人それぞれ欠点があって、それゆえ死角が発生する。だから、複数の人間が協力し合い、互いの死角を消して、それでことに当たらないと、成功への道は絶対に開かれないと。 うーん。そこが分からないんだなあ。 管見によると、世に自己啓発思想家は数多あれど、こういうことを言っている人は他にいないのよ。普通、自己啓発本って、個人の成功を指南するものを言うのであって、最初から複数で協力していけ、なんて言っている自己啓発本なんてない。ヒルは、そこが独特なんだよなあ・・・。 なぜヒルは、そういうことを言うのだろう? 何か経験的なバックグラウンドがあるとも思えないのだが・・・。 その辺り、もう少し考えてみないといかんかな・・・。
April 8, 2024
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カレン・マクレディという人が書いた『ナポレオン・ヒルの哲学を読み解く52章』(原題:Napoleon Hill's Think and Grow Rich, 2008)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 これは自己啓発本の傑作として名高いナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』という本のエッセンスを抜き出し、それを現代の視点から読み解きながら解説する本でありまして、いわば『思考は現実化する』に寄り掛かった本、ナポレオン・ヒルのまわしで相撲を取るような本なんですけど、じゃあ、面白くないかというとそんなこともなく、むしろ結構面白く読むことのできる本でした。 実際、ヒルの『思考は現実化する』は1937年の本ですから、かれこれ90年近く前の本ということになる。だから記述もちょっと煩雑なところもあるし、あがっている例も少し時代がかったところがある。そこで現代の事象に照らし合わせながら『思考は現実化する』を読み解き、ヒルの主張が90年前と同じように現代にも通用するんだよ、ということを教えてくれる本書のような本があると、現代の読者としてはとっつきやすいというか、この本をきっかけに『思考は現実化する』に手を伸ばしてみようと思う人も出て来るのではないかと。 では、『思考は現実化する』を、現代風に読み解くとはどういうことか? 『思考は現実化する』の中で、ヒルは「チャンス」というものの性質について次のように述べています。曰く「チャンスは予期していたのとは違う形で、違う方向からやってくることが多い。それがチャンスのトリックの1つである。チャンスには裏口から忍び込んでくるというやっかいな性質があるのだ」と。 で、このヒルの明察を、カレン・マクレディは「アル・ゴア」という、アメリカ人なら誰でも知っている現代の著名人のエピソードを使って解説するんですな。 アル・ゴアは、クリントン政権時の副大統領であり、2000年のアメリカ大統領選に出馬した。その際、彼のアピール・ポイントたる政治的主張は「気候変動問題」だったのですが、当時はまだアメリカの一般大衆はそこまでこの問題に関心がなかった。アル・ゴア自身は、もっと若い時からこの問題に強い関心があったので、自分が大統領になれば、まず一番にこの問題に取組もう!と思っていたのでしょうけれども、残念ながら彼は大統領選に敗れ、その夢を実現することはできなかった。 しかし、「大統領選に敗れた」ということが、アル・ゴアにとっては大チャンスだった、とカレン・マクレディは指摘します。 大統領選に敗れ、政治家としてのキャリアを終えたアル・ゴアは、環境問題に取り組む活動家として活動を始め、例の『不都合な真実』というドキュメンタリーを制作して話題となり、この分野での第一人者として環境問題への発言力を強めたばかりか、最終的にはノーベル平和賞も受賞している。結局、彼は「気候変動問題」に取り組むという夢を、ちゃんと実現させたわけですよ。 つまり、彼にとって「大統領になる」ということは「夢」ではなくて、「手段」だったわけですな。で、その手段は手に入れることができなかったけれども、逆のそのおかげで、この問題について大統領になっていたらできたであろう以上の活動をすることができた。つまり、大統領になれなかったおかげで、自分の本来の「夢」を実現することができた。 カレン・マクレディ曰く、これこそがヒルの言う「チャンスは予期せぬ形でやってくる」ということの意味であろう、と。大統領選に敗れたことが、アル・ゴアにとっては予期せぬチャンスだったのだ、と。 ヒルが『思考は現実化する』の中で主張していることを、現代の事象をもって解説する、ということがどういうことか、分かるでしょ? とまあ、こんな感じで、本書は52個の現代的なエピソードを駆使して、ヒルが90年ほど前に『思考は現実化する』の中で述べたことの妥当性を証明していくわけ。そういう意味で、なかなか面白いし、『思考は現実化する』という本の、良い意味での解説書・入門書になり得ていると思います。 っつーことで、あまり期待しないで読み始めた割に、案外、ヒルの『思考は現実化する』という名著をよりよく理解する上で役に立つ本だったのでした。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【中古】 ナポレオン・ヒルの哲学を読み解く52章/カレン・マクレディ(著者),藤澤将雄(訳者)
April 6, 2024
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先日の打ち合わせを受けて、次に出す本の書き直し作業を行っております。 今度の本は、古今東西の自己啓発本の傑作を私が50冊ほどセレクトし、紹介していくという類のものなんですが、最初のコンセプトでは、50位から順に1位までカウントダウンしていく形式にしていたわけ。 ところが打ち合わせの時に出た意見として、今時の読者は50位から1位までの長きに亘るカウントダウンに耐えられないだろうと。むしろ手っ取り早く「1位は何?」というのが知りたい、というのが、現代の読者像であると。 ふーーーむ! そうですか。なるほど・・・。 となると、順番を変えて1位から50位へ向けてカウントダウンしていくことになりますが、それだと50位の本は「ビリっけつ」という感じになってしまう。 ということで、コンセプトを大幅に変えて、5つくらいのジャンル建てをし、各ジャンルで1位から10位までカウントダウンする形式にしてはどうか? ・・・とまあ、そういう結論に至り、今、懸命に新規の順位付けを行なっているという次第。 ところが、そういう風に新たなコンセプトで順位付けをしていくと、それは50位から1位へのカウントダウンとはまったく違うものになるのよ。つまり、50冊の順位をそのまま、ジャンル分けしたものに移行させることは出来ないことが分かったわけ。どうしてそうならないかは分からないけど、やってみるとそうならないのよ。 っつーことで、新しい順位付けをしているんだけど、それはそれで面倒臭いけど面白い作業でね。だから、結構、楽しんで新しい順列組み合わせをやっております。 しかし、コンセプトをちょっと変えただけで、モノの見方がまるで変ってしまうと言うのは、非常に面白い経験でした。まあ、こういう経験ができたということ一つとっても、一冊の本を作るというのは、面白い作業だなと。 そんなことを思ったのでした。
March 30, 2024
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マイケル・リット・ジュニアとカーク・ランダースの共著になる『「成功哲学」を体系化した男 ナポレオン・ヒル』(原題:A Lifetime of Riches, 1995)という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 っていうか、これ、再読なんですけど、前には心覚えをつけておかなかったので、改めまして。 ナポレオン・ヒルは、泣く子も黙る自己啓発本の王者『思考は現実化する』の著者なんですが、その割に伝記が無かった。まあ、自己啓発本の著者なんて、文学史的には馬鹿にされていますから、それも珍しいことではないのですけど、ヒルの場合は、ナポレオン・ヒル財団というのが作られているので、そこがこの伝記を企画し、ようやく一応は伝記的なものが書かれたと。 ただ、そういうものとして、結局、お手盛りの伝記になっているわけですよ。悪いことは書かない。っていうか、書けない。だから、ここに書いてあることを、100%真実だと見做すのはちょっと、っていうところがある。話半分で読まないといかんわけ。 まあ、それはそうとして、ざっと見ていきます。〇ナポレオン・ヒルの実母サラは、ヒルが9歳の時に他界。そのため、ヒル少年は近所でも評判の悪ガキに。(29)〇サラの死から1年後、ナポレオンの父ジェームズは再婚。この再婚相手のマーサがいい人で、彼女のお陰でヒルは真っ当に育つことに。(31)〇ヒルが12歳の時、マーサは、銃と交換する条件で、ヒルにタイプライターを買い与え、これがヒルの文筆業を志すきっかけとなった。(34)〇ヒルは、一時期弟と共にロースクールに通うが、その際、Bob Taylor's Magazine という立身出世雑誌を出していたロバート・L・テイラーという人物の元でフリーランスのライターのバイトをする。その後ロースクールでの学習に飽き、法曹の道は断念。(56)〇結局、1908年、25歳の時に、先の雑誌会社に勤めることになり、産業界の名士にインタビューする仕事に就く。そこでインタビューすることになったのが、アンドリュー・カーネギーだった。(59)〇同じ1908年、ヒルはフローレンス・エリザベス・ホーナーと結婚。(77)〇結婚した13カ月後に、ヘンリー・フォードにインタビュー。その場でT型フォードを680ドルで購入。フローレンスの顰蹙を買う。(84)〇1912年11月11日、次男ブレア誕生。ブレアは耳の障害を抱えていた。(90)〇1913年冬、家族を置いて単身シカゴに出たヒルは、ラサール・エクステンション大学の宣伝・販売部門に就職。ここで「人に教える」ことについての自分の才能に気づく。(93)〇その後、1915年に「ベッツィ・ロス・キャンデー・カンパニー」なる菓子製造業を起こすが失敗。企業よりも教育が自分の天性であると悟り、1916年、通信教育コース「ジョージ・ワシントン・インスティテュート」を設立。(-102)〇1917年、アメリカは第1次世界大戦に参戦。ヒルは既知の間柄であったウッドロー・ウィルソン大統領に手紙を書き、何らかの貢献を志願。その結果、ウィルソン大統領からプロパガンダ資料作成の仕事をオファーされる。ヒルはこの申し出を無給を条件に受ける。(106)〇1918年11月、休戦を申し出るドイツに対し、カイザーの退位を条件にすることをウィルソン大統領に進言。(110)〇1918年11月11日、終戦の日、黄金法則に基づく資本主義の再編というアイディアを思いついたヒルは、その思いを文章にし、シカゴの印刷業者ジョージ・ウィリアムズに見せたところ、同意を得ることに成功する。(-117)〇1919年1月、『Hill's Golden Rule』なる雑誌創刊。そこそこの成功。 「この成功は、ナポレオン・ヒルの才能、忍耐力、そして彼のユニークな編集コンセプトの証明であった。 当時、アメリカには数え切れないほどの宗教関連雑誌があった。おそらく、ビジネスに関する雑誌の数はさらに多かっただろう。しかし、"Hill's Golden Rules" は、この二つの分野を統合したユニークなものだった。それは倫理的ガイダンスと成功の秘訣を統合させた、前例のない雑誌だったのだ。」(120-121)〇「すべてのストーリー、人物描写、意見は人生における二つの真実を読者に教えていた。一つは、「自分がしてほしいと思うことは、なによりもまず他人にそうしてあげることだ」という黄金律こそが、ビジネスと人生における成功の切符であるということ。もう一つは、ゴールを定め、障害物や失望をものともせず、それを追求する人物が成功するということであった」(122)●「狂乱の一九二〇年代は、ナポレオン・ヒルにとって新しい時代の到来を意味した。彼は自分のことを、成功した雑誌をつくり出した才能ある文筆家兼哲学者ととらえていた。(中略) ”Hill's Golden Rule” の誌面は毎月、ビジネスの世界で成功するよう、労働組合や社会主義といったアメリカ社会における反競争的要素と闘うよう、読者に勧める何万もの単語によって埋め尽くされていた。 当時の伝統的保守主義者たちとは違い、ヒルは資本主義の行き過ぎを正当化したりはしなかった。彼は理解しやすい哲学を構築し、放任資本主義を一般人にとってずっと魅力的で身近なものとした。それは「高い身分には道義的な義務が伴う」という、古くからあるヨーロッパの概念に二〇世紀のアメリカ独特のひねりを加えたものであった。 このヨーロッパ産に概念は、貴族には富と権力を支配する権利があるが、同時にそれらを公正に賢く運用する義務もあるというものである。「すべての人間には、成功を手に入れるだけでなく、手に入れたなら、人生と財産のある部分を他人が同じゴールに到達するのを手助けするために捧げる義務がある」とヒルは説いた。 ナポレオン・ヒルの哲学は、物質主義と道徳を、そして資本主義とヒューマニズムを統合していた。 何千人何万人ものアメリカ人にとって、彼の説明は説得力があった。彼の哲学は、苦しい状況を乗り越えようとしている人々に希望を与え、厳しい労使対立をやわらげた。彼は野心を抱く労働者に、ストライキをやめ、自由の国アメリカで彼らが見いだすことができる無限の可能性の中から、もっといい機会を見つけるよう説いたのである。」(124-125)〇Hill's Golden Rule の表紙絵あり。「A Business Magazine of a different kind」の文字あり。(127)〇この雑誌はそこそこの成功を収めたが、ジョージ・ウィリアムズと不和になり、ヒルはこの雑誌から手を引く。(127)〇1921年4月、新雑誌『Napoleon Hill's Magazine』創刊。『Hill's Golden Rule』より判型を大きくし、目立たせた。(128)〇「加えて、新雑誌は毎号、インスピレーションを与えることを目的としたフル・ページ・メッセージで彩られていた。実際に大きな活字で組まれたこれらのメッセージは額縁に入れるのに最適であった。これらの「ページ・エッセイ」は、他の雑誌における全面広告と同じ効果を生み出していた。それはグラフィックと編集の両面で、記事と意見のページに緩衝地帯を生み出していたのである。」(130)〇1921年夏、ヒルは文筆業よりも講演業に力を入れていた。 「当時、彼は二つの講演シリーズに基づいてスピーチを行っていた。 一つは”Magic Ladder of Success”と『呼ばれ、ビジネス団体を対象としたものであった。これは、ヒルが成功の基盤であると信じていた十五の原則を網羅したもので、黄金律の哲学に忠実に、ヒルが最も大切にした理想を織り込んだ。それは友好的な協力、そして人種的、宗教的不寛容、憎しみ、ねたみの追放であった。 彼のもう一つの講演シリーズ”The End of The Rainbow"は、純粋にインスピレーションの喚起を目的としたもので、市民グループや宗教団体を対象としていた。 これはヒルが「私の人生における、七つの主要なターニング・ポイント」と呼んだものに基づいていた。彼は自分の個人的、そして仕事上の成功と失敗、そしてその両方から、彼が学んだ教訓について話した。ヒルは、こうした自分が得た教訓を、人生を乗り切る上での指針としてほしいと願い、聴衆に伝授したのである。」(133)〇「ヒルの、影響力を持つ話し方をフルに活かすため、このコースには教科書一〇冊だけでなく、六枚のレコードがつけられた」(134)〇1922年、火事でそれまでのすべての記録を失う。(142)〇1926年、『カントン・デイリーニューズ』の発行者ドン・メレットと共同で、USスティールの会長の庇護の下、「成功哲学」を説いた本の出版に向けて計画を進めるが、ドン・メレットがギャングに殺害され、計画が反故になり、ヒルも隠遁生活を強いられる。(147⁻150)〇1927年、カーネギーとの約束からほぼ20年が経ち、いよいよ成果を出すことを決意。1500ページ、8分冊の成功哲学書の刊行を計画。コネティカット州の印刷業者アンドリュー・ペルトンに対し、外連味たっぷりのセールスを行い、この本の出版を引き受けさせる。それまでヒルがアプローチした出版社は、すべて文学系出版社だったが、ペルトンの出版社は自己啓発本の出版社だったことが幸いした。(-162)〇リライトは1927年の暮れから1928年3月末まで続き、その結果、完成したのが『Law of Success』。8冊の分冊で販売され、一冊4ドルでバラ売り。全巻揃えると30ドルだが、1929年当時、30ドルあれば一家四人が一か月生活できたという。それでもバラ売りの効果か、それなりに売れた。(166)〇『成功哲学』で説かれていたのは理論ではなく、事実と証拠であり、「個人のための資本主義の福音」であって、こういう種類の本が出されたのは初めてのこと。(167)〇小売り業にとって、『成功哲学』は現在の「シリーズもの出版物」の先駆け。第一巻を買った人は、第二巻、第三巻・・・と繰り返し買って行くので、書店にとってはありがたいものだった。(167⁻168)〇『成功哲学』の第一巻の主要レッスンは、「マスターマインド」。この法則は、「二人で考えるほうが一人で悩むより良い」という古来の格言を実用的に発展させたもの。ユニークではないが、ヒルはこの法則をビジネスに応用した、という点で独創的だった。マスターマインドを組むことで、ビジネス上の協力関係にある人々の間の軋轢を取り除き、すべてのエネルギーを市場にそそぐことができる点で、大きなメリットがあった。事実、当時26歳だったクレメント・ストーンは、マスターマインドの考え方を自社と自分の家庭に応用し、効果を上げていた。(168⁻169)〇また第一巻には、振動する流体である「エーテル」に関する抽象的な議論も展開している。人間の思考の波はエーテル中で永遠に振動し続ける、的な。ゆえに、この本は「狂人の戯言」とみなされても仕方ない類のものでもあった。(169⁻170)〇『成功哲学』の好評により、1929年夏、ヒルと妻は、一時的な裕福さを味わう。そしてニューヨーク州キャッツキル山脈のふもとに、成功哲学を教える学校を作らんと、夢を見た。(174⁻)〇1929年の年末、ヒルは次の作品『The Magic Ladder to Success』の執筆に入っていたが、ここで世界大恐慌勃発。(183-)〇『Magic Ladder』は恐慌のために売れず、1930年10月には、ヒル一家は再びどん底へ。(186)〇1931年4月、ワシントンDCに移ったヒルは、「Mental Dynamite」と題した講演シリーズのプロモーションを開始。その他、貧困を脱出する様々な企てを立てるが、すべて失敗に終わる。(187-)〇1933年、50歳の誕生日を迎える直前、ヒルはルーズベルト政権からアプローチされ、国家再建本部のスタッフになる。ウッドロー・ウィルソン政権の時と同じく今回も無報酬を申し出る。ルーズベルトの「私たちは、恐怖そのもの以外、何も恐れるものはない」というフレーズは、実はヒルが考案したものだった。(189⁻190)〇ルーズベルト政権が大恐慌から国を立て直すことに成功したのも、ヒルのマスターマインドの考え方を政権が取り入れ、国を挙げて不況克服のゴールに集中することが出来たからである。(196)〇1935年、多忙により齟齬の大きくなったこともあり、フローレンスと離婚。(198)〇1936年年末、ローザ・リー・ビーランドと出会い、「情欲を掻き立てられ」結婚。(200⁻201)〇しかし、ローザ・リーは、後に書いた本の中で、「金のために結婚するのは、他の動機と同じく立派なことだ」と主張していたように、ヒルを金づると見ていた。(202)〇ヒルはこの頃、『The Thirteen Steps to Riches』という本の原稿を書いていたが、ローザ・リーはこれを励まし、自らタイプを打って三回に及ぶ書き直し作業を手伝った。(203)〇ヒルの出版を担当していたアンドリュー・ペルトンは、当初、難色を示したが、ローザ・リーに押し切られる形で出版に同意、タイトルを魅力的にすることが条件となり、『Think and Grow Rich』というタイトルで出版された。当初、一冊2.5ドルで5000部だった。そして、不況下であるにもかかわらず、本書は飛ぶように売れた。(204)〇本書の成功は、理論的に『成功哲学』に基づいていたこと、カーネギーとのエピソードのユニークさ、そしてローザ・リーが本書の明確さ・簡潔さに貢献したことなどが挙げられる。性衝動をビジネスに活かすことなど、初期にはなかったものも入っていた。想像力がビジネスに重要であることを指摘していたことも、この本が初めてだった。(206)〇クレメント・ストーンは、1938年にこの本に出会い、実際に彼の会社は、この本に基づいて大きく成長した。(208⁻209)〇1940年には、ヒルの財産は100万ドルを超えていた。この年、ローザ・リーは『How to Attract Men and Money』を出版。この後、両者の関係は悪化し、裁判の末、1941年3月に離婚成立。(212)〇その後、失意のヒルは、サウスカロライナ州クリントンで織物業の広報を担当していたオーアム・プラマー・ジェーコブズに招かれ、この地で労使関係を改善するために手を貸す、という仕事をもらう。(214⁻215)〇ここでヒルは『Mental Dynamite』の改稿・執筆をしていたが、同時にアニー・ルー・ノーマンという女性と出会い、ゆっくりと二人の交際が進むことになる。(220)〇1941年末、『Mental Dynamite』出版。(228)〇しかし、この頃、第二次大戦が勃発。紙が配給になり、出版事業には痛手となる。(228)〇ところが、軍事物資の生産をしていた地元の業者ルトゥルノーに、労使関係改善のアドバイスを求められ、この分野で再び活躍。(230)〇1943年、ヒル、アニー・ルーと結婚。(240)〇ラジオ番組で、成功哲学を説くようになり、評判になる。(242)〇1949年、65歳でセミリタイア宣言。(243)〇1951年、シカゴで講演をしたヒルは、知人の紹介でクレメント・ストーンに会い、ここからヒルの晩年の活動の扉が開かれる。(248)〇1952年8月、「ナポレオン・ヒル・アソシエイツ」結成。(251)〇1953年、ヒルとストーンとの共著『Science of Success』(後の『PMA Science of Success』)の最初の一巻が出る。これは例の17の成功法則の自習紙上講座。(254)〇1953年、ヒルとストーンは『How to Raise Your Own Salary』を出版。アンドリュー・カーネギーとの対話形式で、成功原則を語るという趣向。本書は、ヒルの文才を、ストーンの販売力で売る、という形式のパワーが存分に発揮され、ストーンは様々な媒体を使ってこの本の販促を行なった。なかでもラジオ/テレビ・パーソナリティーとして活躍していたアール・ナイチンゲールがヒルの信奉者だったことから、ナイチンゲールも熱心にこの販促に協力した。(255⁻256)〇アソシエイツの発展には、デール・カーネギーやノーマン・ヴィンセント・ピールも協力。(267)〇1959(1960?)、ヒルとストーンは共著として『Success Through a Positive Mental Attitude』(『心構えが奇跡を生む』)を出版。ほとんどはストーンが書いていた。〇1961年、78歳になったヒルは、アソシエイツのフランチャイズ化を企画。これはあまりにも無茶であるということで、ストーンはアソシエイツ事業をヒルに委託して、自らは手を引いた。(271)〇1962年8月、ヒルとアニー・ルーは「ナポレオン・ヒル財団」を設立。(276)その目的は、『アンドリュー・カーネギーの協力による、ナポレオン・ヒル博士の生涯をかけた研究、著作、教義を永遠のものにすること」。(277)〇1970年11月8日、ヒルは87歳にて永眠。(287) ・・・というような感じかな。 さて、一巻を通じて学んだのは、黄金律の重要性。 黄金律はキリスト教徒にとっては非常に重要な概念であるけれども、ヒルはこれをビジネスの極意として位置付けた。これによって、キリスト教徒のビジネスマン化に貢献したということ。 それから、彼のマスターマインドという考え方が、彼の生きた時代には大きな問題であった労使関係の改善に用いられ、効果を発揮した、ということ。つまり、アメリカが嫌悪する社会主義的な発想を廃して、それでもなお労使が力をあわせることで、労使の間にウィンウィンの関係が築けることを実証したこと。これも大きかった。この意味で、実際にヒルが二つの政権に協力したかどうかは別としても、彼の思想が、政権にとっては非常に受け入れやすいものであったことは事実。だから、彼が自分の思想の政治的活用を夢想したとしても、それは納得できる。 そして、分冊方式での本の販売や、オーディオ・ブックの販売、メディア・コングロメリットによる本の販促といった、革新的なマーケットを試みた、という点も評価できる。 これらのことが納得できたことだけども、本書を読んだ甲斐はありましたね。 それにしても二番目の奥さんのローザ・リーは、したたかな女だなあ・・・。これこれ! ↓成功哲学を体系化した男ナポレオン・ヒル/バーゲンブック{マイケル・リット・ジュニア 他 きこ書房 ビジネス 経済 ビジネス読み物 経営者評伝 評伝 哲学 読み物 経営}
March 26, 2024
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名著『思考は現実化する』(1937)でお馴染み、ナポレオン・ヒル博士の『仕事の流儀』(原題:How to Sell Your Way through Life, 1939)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本は、『思考は現実化する』のわずか2年後の著書ということになるわけですが、「セールスマンとして成功するにはどうすればいいか」というテーマに特化した自己啓発本と言っていい。ヒル博士自身の言葉を使えば「マスター・セールスマンになる方法」ということですな。私自身、「良いセールスマンになる方法を教える自己啓発本こそ、アメリカの自己啓発本の王道だ」と考えているのですが、その意味ではまさに王道の自己啓発本と言っていいでしょう。 この訳本は3部構成になっていて、第1部は総論、第2部は自動車王ヘンリー・フォードに学ぶ、ということで、ヘンリー・フォードをマスター・セールスマンの最高例とみなし、そのやり方を学ぼうと呼びかける内容。そして最後の第3部は、マスター・セールスマンになるための具体的な方法論ということになる。各部ともそれぞれ目的に沿った内容で、コンパクトによくまとまっております。 で、各部において、これはと思う文章を、以下、抜き書きしておきましょう。第1部〇どの職業が一番好きかを決めること。人間は、自分が好きな仕事をしているときに最も大きな成功を収め、またその成功は最も長続きする。(12)〇最初の五年間で獲得したい収入を、毎年自分で設定すること。ここで覚えておいてほしいのは、あなたの頭脳を”資本金”に例えた場合、あなたの年収はその六%に当たるということである。例えば、年収が六〇○○ドルであれば、あなたの頭脳の中には一〇万ドル相当の資本金が存在するということだ。収入を確保すると同時に、この資本金を常に動かしておくことが重要である。(13)〇私が最も哀れに思うのは、うんざりするような単調でハードな仕事を、生涯の仕事にしてしまった人たちだ。彼らは一週間のうち六日を、好きでもない仕事に費やさなければならない。それは、自分で自分に刑を宣告して、人生の大半を刑務所で過ごすのと同じことである。(14)〇自分の好きな仕事を選ばなければならない理由は、はっきりしている。仕事が楽しければ、ハードな労働もまったく苦にならないからだ。仕事で疲れている人がいれば、それは働きすぎだからではない。やっていることに興味が持てないだけである。(15)〇人間は、習慣に支配される生き物である。習慣には心の習慣と身体の習慣がある。意識するしないにかかわらず、あたなはこれらの習慣によって、今いるところへ導かれたのである。今いるところや、もしかすると刑務所かもしれない。しかし、誰でも人生における自分の位置を変えることができる。そして、それを可能にする唯一の方法が、「自分の習慣を変える」ことなのである。(15⁻16)〇しかし現実は厳しい。多くの人は、生きていくために嫌いな仕事を強いられている。仕事に就くことすらかなわない人も少なくない。労働を強制されるのも辛いが、もっと辛いのは「働かないことを強いられる」ことだ! (17)〇一意専心――ひたすら一つのことに心を集中させること。これがないと、大きな成功を手に入れることはできない。(19)〇契約上の金額よりも質量ともに勝る貢献をする習慣――それは、ビジネス・パーソンが大きな財産を築き上げるための最も重要なノウハウの一つである。(24)〇「見返り増大の法則」を最もよく理解しているのは農民である。彼らは次のような四つのステップを踏んで、この法則を働かせている。 ①条件に適した土地を選ぶ。 ②その土地を耕し、雑草を取り、肥料を与えて、タネをまく準備を整える。 ③豊かな実りをもたらす良質のタネを選ぶ。 ④タネが芽を吹き、大きく育つまで、毎日手入れを繰り返す。来れには一定の期間が必要である。 この四つのステップの間、農民は無報酬で働く。しかし収穫のときが来れば、それまでの労働の対価として報酬がいっぺんに支払われる。しかも「見返り増大の法則」によってまいたタネの何倍もの収穫を得ることになるのだ。(26⁻27)〇生涯を通じて自分自身の働きを売り込むとき、あなたはほかの人々との摩擦を最小限に抑えなければならない。現実に摩擦を起こさず交渉できる人はめったにいないが、これは自分を売り込むのに不可欠の要素である。 そこで重要になってくるのが、「優れたパーソナリティー」という資質である。(31)〇身体を完全に休めるには八時間の睡眠が必要である。労働に当てられた八時間も、人間社会が求める最低限の時間である。この二つの八時間は、ほかの目的のために削ったり盗んだりできない”聖域”である。その点で言うと、「第三の八時間」は好きなことに使ってよい時間であり、一か八か冒険をするならこの時間しかない。 第三の八時間は、一人ひとりの将来のカギを握っている。(33)第2部〇フォード以外から得た者の総和より、フォード一人から得たもののほうが大きい、と言っても過言ではないくらいだ。これほど偉大な人間と同時代に生き、その業績を間近に見られたことに、私は心から感謝している。(76)〇ヘンリー・フォードが私に教えてくれた最も重要な教訓――それは「一意専心」、すなわち明確な目標を選び、その達成に向けて一心に努力することの大切さである。(76)〇大恐慌が始まったとき、フォードは大自然の領域には「恐慌」がないことに気づいた。彼が見たのは、同じ太陽が地球を照らし、草の根を暖めて、大地にまかれたタネに芽を出させていることであった。ウォール街の株が暴落しても、大自然はまったく変わることがなく、自分のやるべき仕事を進めている。フォードはこのとき、ある結論に達した。「大恐慌は人間がつくり出したものに過ぎない」。そして彼は、「人間がつくったものは、すべて人間が破壊できる」ことを過去の経験から知っていた。(92)〇フォードとの対比で多くの人々を観察した結果、どんな職業であっても、「決断は遅いが修正は速い」人は、たいした業績を挙げていないことが分かった。(95)〇決断とは何だろうか? それは思考を完結させることである。思考しないで決めることは、決断とは言わない。 決断力のある人は、必然的に考える人である。(95)〇ちなみに、私が今まで採点した偉人たちの中で、フォードはマハトマ・ガンジーと並んで最高得点の保持者である。(125)〇イニシャティブと粘り強さは、フォードの最も顕著な資質であり、彼が驚くべき成功を収めたのは、この二つの資質によるところが大きい。フォードは貧困と無学という厄介な敵を打ち負かして、米国一の富豪となった。彼は、次の四つのプロセスによって、それをやってのけたのである。 ①自分が望むものを正確に知る ②自分が望むものを獲得するための明確な目標をつくり出す ③目標を実現するための計画を粘り強く追求する ④目標を推し進めるために努力と財産のすべてを集中させる フォードの成功について語るなら、この四つのプロセスだけで十分である。彼には謎めいたところなど一つもない。正直に言うと、私にとってフォードほど分析しやすい人はいなかった。彼はいつも率直に行動するし、私生活も含めてすべてがオープンである。だから、誰でも意のままに、彼の人生をのぞくことができるのである。(140⁻141)第3部〇職業がなんであれ、私たちは皆セールスパーソンなのである。しかし、全員がマスター・セールスパーソンであるわけではない!(148⁻149)〇以上は、形のないものを売り込むセールス術の一例である。協力を得るために他人を説得する努力は、すべてセールス術だと言ってもよいだろう。ところが、たいていの人は、このセールス術にさほど大きな努力を傾けない。そのために、大多数の人々は、技量の劣る平凡なセールスパーソンでしかないのである。(150)〇この五つの定義は範囲が非常に広く、人間のすべての営みを網羅するほどである。そう、人生というものは、”売り込み努力”の連続であり、それは長くて途切れることのない、一本の鎖のようなものなのである。 生まれたばかりの赤ん坊もセールスパーソンである! お腹がすけば、おっぱいを求めて大声を上げ、そしてそれを獲得する。どこかが痛いときには、振り向いてもらおうと大声を上げ、これも獲得する。 地球上で一番素晴らしいセールスをするのは誰だろうか? それは女性である。女性は男性よりも敏感で、表情豊かで、物腰ははるかに柔らかい。男性はたいていの場合、プロポーズは自分の売り込みだと思っているが、実は、売り込みをしているのは女性のほうである。彼女たちは、自分をかわいらしく見せ、美しく魅力的にし、男の心を奪うことで、その売り込みを行なっているのだ。 ベルトランドの定義に加えて、私も一項目追加したいと思う。 セールス術とは、、自分に対して好意的な行動を起こしたくなるモチベーションを、相手の心に植え付ける技法である。(152⁻153)〇イエス・キリストの精神は、二〇○○年近くを経た今でも、何千万という人々に影響を与え続けている。それは、取りも直さず、キリストがマスター・セールスパーソンだったからである。キリストは一つの普遍的なモティベーションを打ち立て、その周りに自分のセールス・プレゼンテーションをくみ上げた。(155)〇シカゴ大学学長ハーパー博士のセールス術(163~)〇誕生から死に至るまで、人間の営みはすべて「感情」によって引き起こされている。感情という昨日が、世界中のすべての活動を支配していると言ってもよい。感情を通して買い手の心に訴えるセールスパーソンは、相手の理性だけに訴えるセールスパーソンの何十倍ものセールスを達成するだろう。買い手は、感情と密接に結びついた何らかのモティベーションに駆り立てられて、購入を決断するからである。(205)〇最初にマスターマインドのノウハウを私に気づかせてくれたのは、アンドリュー・カーネギーであった。彼は、このノウハウを使うことで莫大な財産を築いたという。カーネギーは、部下の役員や幹部社員約二〇名からなるマスターマインド・グループを組織していた。そして、グループ・メンバーの知識と経験が総合された結果、彼は鉄鋼の製造・販売で成功を収めた。(212)〇習慣の法則と集中力のノウハウとは、切っても切れない関係にある。習慣は集中から育ち、集中は習慣から育つのである。明確な目標に意識を集中させることで心を徹底的に鍛えれば、やがて「目標に集中する習慣」が形成される。この習慣は潜在意識に影響を与え、その結果、潜在意識に固定された明確な目標が、実践的かつ直接的な手順を踏んで現実のものに変換されるのである。(214)〇もうお分かりいただけたと思うが、「明確な目標」のノウハウと「集中力」のノウハウは相互補完的なもので、どちらか片方だけでは、その力は発揮されない。両者が並び経ち、お互いを助け合うとこで、初めて機能するのである。 人生は「習慣」という法則に支配されている。ということは、習慣を支配すれば人生を支配できるということになる。集中力のノウハウを使って自分に命令すれば、この習慣をつくり上げることが可能になる。「われわれがまず習慣をつくり、その習慣が次にわれわれをつくる」のである(218⁻219)〇人間と習慣の間には妥協点はまったくない。人間が習慣を支配するか、習慣が人間を支配するかである。成功者はこの真理を知っているので、まず自分にとって望ましい習慣をつくり出し、その習慣に心と身体を任せるのである。習慣は、一つひとつの思考と一つひとつの行為によって、一歩一歩着実に形づくられていく。(219)〇あなたのすべての思考を明確に集中させれば、あなたの潜在意識はその目標のはっきりしたイメージを捉え、そのイメージを現実的なものに変換させる。そう、思考は現実化するのである。これは、現代の心理学者なら誰でも知っている真理であり、あのイエス・キリストもそれを知っていたと考えられる。(219)〇本書の中で、私は「無限の叡知」の力に何度も言及している。この力が、目標を達成しようとする人間に働きかけると、途方もない結果がもたらされるが、それは集中力のノウハウによってのみ得られるものである。 私は「無限の叡智」を限りなく信奉している。どんな思想も宗教も、それに口をはさむことはできない。この素晴らしい宇宙の法則は、あらひゅる疑念や心配、恐怖から人々を引き離すために、利用されるのを待っている。私が繰り返し言及するのは、「無限の叡知」にもっと慣れ親しんでほしいからである。 私は「祈り」の力を固く信じている。ここで言う祈りとは、「明確な目標」に対する信念を持った集中である。信念のない集中は結果をもたらさない。そして、新年を伴った集中はまるで奇跡のような結果を達成するのである。(220⁻221)〇帽子返却可のエピソード (250) ま、ざっとこんなところかな? こうして抜き書きしてみても分かる通り、非常に健全かつ実践可能なアドバイスばかり。しかも時折挟まるエピソードなども面白く書かれていて、読み飽きないようになっております。いい本です。 さすが、ナポレオン・ヒル、自己啓発思想界のナポレオンだけのことはありますな。これこれ! ↓【中古】仕事の流儀 /きこ書房/ナポレオン・ヒル(単行本)
March 24, 2024
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春休みになって多少なりとも気が抜けたこともあり、今は仕事以外の本をよく読んでおります。で、最近読んだ本の一冊がコレ。ディアナ・レイバーン著『暗殺者たちに口紅を』。小学校以来の親友Tから勧められたもので。 本作の主要登場人物は、4人の女性、それも60歳・還暦を迎えた妙齢の女性たちでありまして、その彼女たちが、勤め先から定年祝いとして招待された豪華客船ツアーで久々に顔をそろえるというところから小説は始まります。 で、それだけだと、なんだ、定年を迎えた社員に豪華クルーズをプレゼントするなんて豪勢な会社だなと思いますが、実は彼女たちの勤め先というのは「美術館」という秘密組織、それも暗殺組織なのね。これは元々はナチス・ドイツの残党を成敗し、彼らが不当に略奪した美術品などを回収して元の持主に返却するために組織された独立組織だったんですけど、ナチスの残党が少なくなってからは、テロ首謀者とか、児童誘拐組織とか、そういう悪い連中を超法規的に抹殺することをもっぱら行ってきた。で、今回集まったビリー、ヘレン、メアリー、ナタリーの4人も長年この組織で暗殺者を務めてきて、60歳を期に引退とあいなった。まあ、暗殺ですから、年齢的なものからくる体力の減退とかありますからね。この辺が潮時だろうと。 で、今までの暗殺者としての仕事から解放される喜びと、一抹の寂しさを抱えながら、とにかく今はバカンスを楽しもうとしていた4人ですが、このクルーズ船の中に「美術館」の暗殺者がクルーとして紛れ込んでいることを発見してしまうと。 ということは、組織がこの船の中で誰かを暗殺しようとしていることは明白ですが、では誰を殺そうとしているのか、と探っていったところ、どうやら標的は自分たち4人であることが判明。定年祝いの豪華クルーズをプレゼント、などと言い条、実は組織は口実をつけて4人を集め、まとめて殺そうとしていたんですな。 もちろん、そんな罠にひっかかるタマではない4人は、暗殺者を逆襲し、客船に乗り合わせた他の一般人を避難させた上で船を爆破、一応、4人は死んだものと思わせる細工をして逃走します。 が、組織がその程度の小細工をうのみにするはずがない。すぐに次の刺客を送ってくることが予想されるわけです。そこでビリーたち4人の女性暗殺者集団は、組織がなぜ自分たちの命を狙ったのかを探ったところ、彼女たちは組織内の理事の誰かから罠にはめられ、冤罪を背負わされたことがわかった。 もうこうなったら、逆襲するしかない! 4人は、老骨に鞭うって、暗殺組織のトップの連中を片端から始末することを決意。さて、組織対還暦レディーたちの暗殺合戦、どちらに軍配が上がるか??!! ・・・というお話。まあ、コテコテとはいえ、そこそこ面白い話ではありました。これこれ! ↓暗殺者たちに口紅を (創元推理文庫) [ ディアナ・レイバーン ] ところで、先日、小説の書き方本として非常に面白い『物語のつくり方』という本を読んだばかりなので、私としては当然、「物語のつくり方」目線でこの小説を読んでしまったわけですよ。 『物語のつくり方』によれば、シナリオとか小説っちゅーのは、要するに主人公に困難な状況を与えて、主人公がそれを克服するのを描けばいいんだと。 それを『暗殺者たちに口紅を』に当てはめれば、確かに4人の暗殺者レディーが、自分たちへの暗殺指令に直面するという困難な状況が与えられ、その状況を克服できるかどうかに自分たちの命が掛かっている状態なのですから、この条件をクリアしていることが分かる。 またシナリオ・小説にはすべて「○○は、××だ」と一言で表現できるテーマがあるべきだそうですが、そう考えるとこの小説のテーマは、「女性同士の友情は、大切だ」かな。そしてこのテーマを表現するモチーフは、「暗殺者の世界」かな。 次、「素材」は天(時代)・地(場所)・人で考えるのだけど、それはそれぞれ「現代」「イギリス」「暗殺者組織に狙われているベテラン暗殺者4人」ですね。 で、物語の構成、すなわち「起承転結」ですが、「転」がテーマそのもの、すなわち「女性同士の友情は、大切だ」なんだから、「起」はその逆、すなわち「女性同士はうまく行かない」になっていればいい。つまり、同僚とはいえそれほど仲良しではない4人がバラバラに登場し、その性格や生活ぶりの違いを強調すればいい。で、その性格も生活も違う4人が、その違いを克服しながら協力しあって困難を克服する様を描くのが「承」の役目と。実際、そうなっているし。 さて、その上で、本作の構成上の問題点を指摘するとすると、多分、「主人公が多すぎる」ということだと思います。だって4人もいるんだもん。確かに、小説の語り手はビリーで、その意味では主人公は一人と言ってもいいのだけど、それでも4人の暗殺者が登場しちゃいますから、それぞれを個性的に描かなければならないところはある。そうなると、「公生活・私生活」の両方が描かれる「ラウンド・キャラクター」が4人もいることになるので、これはちょっと混乱してしまう。 実際、本作の弱みは、そこにあると思います。 っつーことで、『物語のつくり方』をベースにすると、小説なんて見事に読み解けてしまいますな。その意味でも『物語のつくり方』って、ものすごい名著だと思う。これこれ! ↓プロ作家・脚本家たちが使っている シナリオ・センター式 物語のつくり方 [ 新井 一樹 ] というわけで、『暗殺者たちに口紅を』を、『物語のつくり方』を参考にしながら読むという、面白い読み方が出来て、結構、楽しめたのでした。
March 23, 2024
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最近・・・っていうか、もうそうなってから大分経ちますが、熱中して本を読み続けることができなくなりまして。 子供の頃は、本の世界にどっぷり浸かることができたのに、最近は30分くらいですぐに浮上しちゃう。物語にある程度の進展があると、そこで少し休みたくなるわけよ。 だもので、休み休み読むものだから、一向に読み終わらないっていう。困ったもんだ。 だけど、最近、この悩みを解消するやり方を開発してしまった。 それを称して「サーキット・リーディング」。ほれ、フィットネス・クラブとかで「サーキット・トレーニング」ってあるじゃん? あれの読書版よ。 たとえば今、3冊の本を同時に読んでいるのだけど、一冊を10分くらい読んだら二冊目の本に移り、それを10分くらい読んだら三冊目に移り、それを10分くらい読んだらまた一冊目に戻る。これを延々繰り返すわけ。すると、気分が変わるので、1時間でも2時間でも読み続けられることを発見。うん、これはなかなか良いな。 ということで、今は『暗殺者たちに口紅を』と『夜のある町で』と『物語のつくり方』(再読)をとっかえひっかえ読んでいるというね。暗殺者たちに口紅を (創元推理文庫) [ ディアナ・レイバーン ]【中古】 夜のある町でプロ作家・脚本家たちが使っている シナリオ・センター式 物語のつくり方 [ 新井 一樹 ] 特に一冊目と三冊目は、小説の書き方と、書かれた小説を交互に読むことになるわけだから、すごく面白い。 ということで、今年はこのサーキット・リーディング方式で、ガンガン本を読んでいこうかな!
March 16, 2024
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デニス・ボック著『オリンピア』という短編連作小説を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 中身に言及する前に外見、つまり本の装丁について一言したいのですが、本書の判型は少し変わっていて、通常の単行本のそれと比べてやや縦長というか、新書判の縦横比をそのまま単行本に当て嵌めたような形になっている。この縦長の判型が案外手に馴染むわけ。で、中の印刷面もページ下部の余白が大目にとられていて、ページを開いた時に両手の親指が印刷面にかぶらない。だから読みやすい。 そして表紙のデザインがまたとても美しい! この小説の重要なモチーフは「水」と「風」なんですが、表紙デザインの彩りが、まさに水色と風色なのよ。「風色」って何だよ、と思うでしょうけど、実際に現物を手に取れば、私の言っている意味が分かると思います。これこれ! ↓オリンピア [ デニス・ボック ] さて、外見は分かった、では中身は? ということなんですけど、これ、『オリンピア』というタイトルから予想されるような話ではないのね。たしかに1972年のミュンヘン五輪、1976年のモントリオール五輪、1988年のソウル五輪、1992年のバルセロナ五輪が、本作を構成する各短篇の背景として描かれるものの、別にオリンピックに直接関係する話ではない。しかし、ではオリンピックとはまるで関係がないかというとそういうことでもなく、たとえば本作の主人公・・・というか語り手であるピーターの父方の祖父母は共にオリンピック選手で、まさにオリンピックで出会って恋に落ちたという経緯がある。その意味で、オリンピックがなければ生まれなかった一族の話なわけ。しかもピーターの父親もオリンピック選手(ボート)で、その後、ボートを作る仕事で生計を立てている。 しかも、ピーターの妹のルビーは体操の才能があり、もう少しで祖国カナダはモントリオールで行われたオリンピックに出場できそうなところまでいった。だから、この一族にとってオリンピックというのは、単に他人事として見て楽しむものではないんですな。もっと身近なものであり、かつ、メダルを獲って栄光を勝ち得たとかそういうことではないので、ある意味では屈辱の歴史でもある。とにかく、無視することのできない、生生しいものなんですな。 で、そういう、オリンピックと少なからぬ縁のある一族三代の歴史が、一番若い世代であるピーターの視点から描かれると。そういうファミリー・ヒストリーみたいな小説なわけ。 といって、特に派手なヒストリーがあるわけではなく、彼らのヒストリーというのは、言ってみれば、どこの家庭にもあるような、平凡なヒストリー。でも、平凡だろうと何だろうと、当事者にとってはそれなりの痛みを伴うような、そしかもその痛みから逃れることのできない類のヒストリーではある。 たとえばピーターの祖父母世代は、ナチス時代のドイツに暮らしていたわけで、カナダに移住したピーターの両親世代にとっても、一族が背負ったドイツ時代の嫌な記憶というのは、それなりに色濃く残っている。でまたそのドイツ時代の負の遺産というのが一様ではなく、父親の一族と母親の一族で若干受け取り方が違う(母方の一族の方がより重荷が大きい)。で、実はこのバックグラウンドの違いが、ピーターの両親の間の密かな溝(溝は言い過ぎだとしても、火種のような感じ)になっていたりもする。だから、ピーターの家に、父方、母方、それぞれの親戚が訪れて来るたびに、何かひと騒動持ちあがることにもなる。もちろん小さい子供であるピーターにもそういう両親の不和が何となく分かるので、それに応じて彼の心も波立つし、その様子を見ている読者の方も、なんとなくゾワゾワしてしまう。 で、そのゾワゾワがこの連作短篇の中で少しずつ反響を強め、拡大していくのですが、その最初の例が、本作第一話である「結婚式」という短編の中で描かれるピーターの父方の祖母の死。孫も出来たほどの年齢になってから二度目の結婚式をしようと思いついた老夫婦の、その結婚式の当日に、花嫁である祖母が溺死するという悲劇。 しかし、それ以上にこの一家にダメージを与えたのは、ピーターの妹、ルビーの死。オリンピック出場も夢ではない有望体操選手だったルビーは、まるで重力の影響を受けていないかのように軽やかに跳躍することができたのですが、本当にそうやって高く飛んだまま、空中に消えてしまった。 そして空中に消えた娘を探すかのように、ピーターの父親は竜巻というものに異様に惹かれていくわけ。竜巻ウォッチャーとして、竜巻が発生したと聞けば、おっとり刀でそこに行ってしまうという。まあ、そういう人はどこにもいるけれど、特にピーターの父親は、まるで竜巻に取りつかれたようになってしまう。無論、それは亡き娘に対する鎮魂の行為でもあるのだけれど、それは妻には理解し得ないもので、このことが元で、ピーターの両親は別居することになってしまう。一方、ピーターはピーターで、大学は出たものの、その後、その先の人生で迷うところがあり、複数の女性と関係を持つようになるなど、収拾の付かないものになっていく。この時点で彼の家族も、ピーターの人生も、空中分解しそうになってしまうんですな。 だけど、その危機は、乗り越えられる。小さな齟齬の積み重ね、そしてそれほど小さくはない悲劇の数々、そういうものに引き裂かれそうになっていたこの家族は、しかし、それでも家族として立ち直る。そしてその一家の再生は、ピーターの両親の二回目の結婚式という象徴的なイベントの中で、しかも奇跡的な偶然にも助けられながら、成し遂げられていくと。 ま、そういうお話。 ストーリーとしては決して平穏ではなくて、むしろダイナミックな話ではあるんだけれども、それが「静謐」という言葉がぴったり来るような筆致で綴られるもので、印象としては非常に静かなものを読んだなという気がする。なんて言うのかなあ、本当はそれなりに騒々しいドラマなのだけど、それをガラス越しに、音もなく見させられているという感じ。それでいて、ガラスの向こう側のことが自分とは無関係とも思えず、なんだか妙にヒタヒタと琴線に触ってくるものがある。 個人的な印象だと、このドラマとしてはそこそこ騒々しいのだけど、ガラス一枚かました静謐さがあって、なんかヒタヒタくる、という感じは、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引書』にもちょっと通じるところがあるのではないかと。とにかく、なんとも不思議な、妙に心に残る読後感でございました。新興の「ふたり出版社」である「北烏山編集室」が満を持して世に問うこの小説、教授の熱烈おすすめ!でございます。越前敏弥氏の訳文も格調高く、美しい!オリンピア [ デニス・ボック ]
March 9, 2024
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新井一樹さんの書かれた『物語のつくり方』という本を読んだのですが、これがまた非常に良い本でした。これこれ! ↓プロ作家・脚本家たちが使っている シナリオ・センター式 物語のつくり方 [ 新井 一樹 ] これ、プロの脚本家養成所たる「シナリオ・センター」の開発したシナリオの執筆法を、紙上講座風に本にしたものなのですが、驚くほどシンプルかつ必要十分な感じで、物語の作り方が伝授されている。 実はワタクシ、この手の小説家養成本が大好物で、これまでにも随分読んできたのよ。 かつて斎藤美奈子氏が世に数多ある文章読本の類をバッタバッタと切り伏せた『文章読本さん江』という本を出したことがありましたが、あれの「小説家養成本版」を出そうかな、なんて下心もあったりして。これこれ! ↓文章読本さん江 (ちくま文庫) [ 斎藤美奈子 ] だから、この手の本は大分読んでいるつもりなのですが、新井一樹さんのこの本は、他の類書とは異なって、本当に役立ちそうな本だったので、ちょっとビックリした次第。確かに、この本が3万部も売れるのは納得だわ。 どこがどう優れているかを説明し出すと長くなるので書きませんけど、これを読むと、シナリオとか小説とか、要するに物語を作る、ということの実際がよく分かる。 で、逆にそれが分かると、小説を読む場合にもすごく役に立つんですわ。書く側の意識で読めるので、理解が余計に深まるわけ。 ということで、別にシナリオ・ライターになるつもりはなくても、小説の愛好家であるならば、この本は読んでおいて損はないと思います。教授のおすすめ!です。シナリオ・センター式物語のつくり方 プロ作家・脚本家たちが使っている/新井一樹【3000円以上送料無料】
March 3, 2024
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今日は午前中、家内が外に出る用事があったので、その用事が終わる頃を見計らって某所で待ち合わせて、そこにあるサブウェイでランチを済ませました。 サブウェイって、美味しいよね! ファスト・フードで一番好きかも。 で、待ち合わせをしている時に、少し私の方が先に着いてしまったので、同じフロアにあった本屋さんで市場調査をしていたんだけど、そうしたらこんな新刊本を見つけました。これこれ! ↓ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生 [ ジョン・マルコフ ] 有名な『ホールアース・カタログ』を創刊したスチュアート・ブランドの伝記ですな。実は3年くらい前に私もスチュアート・ブランドについて云々する文章を書いたことがあるので、そこに書いたことの真実性を確認するためにも、この本はゲットかな。 最近、必要な本はすべてアマゾンで買うようになってしまったワタクシですが、たまにリアル本屋さんに行って新刊本コーナーを覗き、自分のレーダーにひっかかっていなかった獲物を探す、そういう作業は必要ですな。もちろん、そんなことは百も承知なんだけど、なかなか忙しくて、リアル本屋に行く暇がない。 だけど、本当は暇があるかないかの話じゃないんだよね! 文筆業をやるなら、行かなくちゃいかんのだよね。だって、そこに文筆業の猟場があるんだから。いま、この海ではどういう魚が泳いでいるのか、見ておかなくてはならない。それはもう、本来的に義務なんだよな。 っつーことで、ちょっと反省したワタクシ。これからは心して、もっと頻繁にリアル本屋さんに出没しなくちゃ。
February 20, 2024
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翻訳家でエッセイストの青山南さんからちくま文庫の新刊『本は眺めたり触ったりが楽しい』をご恵投いただきまして、今日、それを一気読みしてしまいました。 このところ毎日、論文を書く日が続いていたので、それに飽きたというのもあるのですが、いただいたこの本をベッドに寝っ転がりながら読み進め、途中、寝ちゃったりしながら最後まで読んじゃった。 で、思うに、こういうフシダラで楽しい本の読み方を、最近してなかったなと。 昔はこういう読み方しかしてなかったんだけど、最近は仕事に追われて、義務的な読書ばっかりだからね。久しぶりに無目的な読書をして、そのことが楽しかったという。 でまた、青山さんのこの本自体、こういう読み方を誘うのよ。途中で寝ちゃったり、そうかと思うとむっくり起きて何事もなかったかのように続きを読んだり。読んでる途中で先にあとがきを読んだり。阿部真理子さんの手になるユニークな挿絵を眺めたり。こういう、弄ぶような読み方こそが、この本の正しい読み方だと思う。 本書の内容は、色々な本を読んだ回想であったり、本の紹介や感想であったり、そこから派生した飛躍した想念であったり。読書論でもあり、本なんて全部読まなくても、パラパラ部分的に読んでもいいし、持っているだけで結構面白いんだ論でもあり。色々な人の、色々な本の読み方の紹介であったり。そこはエッセイの名手の書くものだから、面白くないわけがない。 実はこの本は、随分以前に単行本として出たものの文庫化なのだけれど、当時はこういう読書にまつわるエッセイって、色々ありましたね。でも、今はあまりないような気がする。本に惑溺する人が少なくなったということか。 今、久々にこの種の本を読んで、昔は私も本に惑溺していたなあと。私も引退したら、またそういう時代の読書に戻れるのかしら。そうだとしたら、引退が待ち遠しい。 青山さんのこの本、そんな、読書の楽しさを思い出させてくれる本でした。 これこれ! ↓本は眺めたり触ったりが楽しい (ちくま文庫 あー15-4) [ 青山 南 ]
February 16, 2024
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本日、ついに拙著の見本が出て、出版社の方から送られてきました! いや~、自分の本が出ると言うのは、何度経験しても嬉しい! 完成ほやほやの本を撫でまわして、うっとりしております。 実際に市販されるのは、今月24日からですが、何というか、「這えば立て、立てば歩めの親心」じゃないですけど、この間まで「早く見本が届かないかな~」と思っていたけど、それが手元に届いた今では、「早く市販されないかな~」という気持で一杯。 で、市販されたらされたで、「早く書評が出ないかな~」になるんだよね! まあ、そういうものよ。 ということで、まだ予約しかできませんが、興味のある方は是非!これこれ! ↓アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく [ 尾崎 俊介 ]
February 15, 2024
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多井学さんが書かれた『大学教授こそこそ日記』なる本を読了しましたので、ちょいと心覚えを。 これ、『交通誘導員ヨレヨレ日記』をはじめとする三五館シンシャから出ている一連のシリーズの一環として出ているもので、色々な職業の人の実体験から、外部からはなかなか見えないその職業の裏側というか、苦労話を暴露的に書くという本。私も前に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』というのを読んだことがあって、それはそれで結構面白かった。で、今回の『大学教授こそこそ日記』ですが、これは先輩同僚のアニキことK教授からおススメされ、はい、と手渡されたもの。アニキに手渡されちゃったら読むしかないんでね。これこれ! ↓大学教授こそこそ日記 (日記シリーズ) [ 多井 学 ] さて、著者の多井学さんですが、これはもちろん身分バレを隠すためのペンネームであって、本名は別。上智大を出て、アメリカとカナダの大学・大学院を出た国際関係論の先生で、長野県のS短大に就職したのを始め、そこから国立の徳島大に移籍、さらにそこから関西学院大学に移籍して今日に至る、という経歴。ここまでわかれば、ちょっと調べれば本名はすぐに分かります。本もそれなりに出されている人ですね。専門書もあるけど、「大学教授になる方法」的な本もある。どの道、この手の本が書きたい人なんですな。 で、3つの大学、それも弱小私立短大、地方国立大、メジャー私立4大と、それぞれ異なるタイプの大学に勤めたことがあるというのがいわば強みで、それぞれの大学に勤めていた時期に経験したことを、面白おかしく書いている。それを読むと、それぞれの大学に特徴というか、くせがあって、そういう癖のある職場に適応しながら生きる大学教員の生態がよく分かります。 特に、私自身が国立大学に勤めているので、多井さんが徳島大学に勤めていた時の話はすごくよく分かる。となると、弱小私立大学に勤めている人、メジャー私立大学に勤めている人、それぞれ、この本を読むと「ある、ある!」となることでしょう。同業の人間からすれば「ある、ある!」だし、大学というところに関係がない人が読めば、「へえ、大学教授って、そういう職業なんだ」というのが分かるかも知れない。 ま、そんな感じで、「ある、ある!」と思いながら、軽くさらっと読んじゃった。 もっとも、最後のところで、多井さんが奥さんを亡くした経緯と、その後の辛い生活のことがちらっと書かれていて、愛妻家が妻を亡くすとこうなるんだ、というところがあり、そこはちょっと可哀想。私も愛妻家の一人として、奥さんには自分より長生きしてもらわないといかんなと、あらためて思った次第。 ということで、読んで特にためになるという類の本ではないけれど、大学教授の方、あるいは大学の先生になりたいなと思っている方には面白い本かもしれません。その程度のものとして、おすすめ、と言っておきましょうかね。大学教授こそこそ日記 当年62歳、学生諸君、そろそろ私語はやめてください/多井学【1000円以上送料無料】
January 19, 2024
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・・・そうか、メイコも逝ったか・・・。また一つ、昭和が消えるのぉ・・・。 さて、卒論の提出日(10日)が刻一刻と近づいておるのに、ゼミ生の一人がまだ最終章の草稿を提出してこないっていうね。いやあ、ヤキモキさせるねえ。 で、今来るか、今来るかと待っているのも疲れたので、伊藤礼さんが書いた『狸ビール』というエッセイ集を読んでいたら、結局、最後まで読み切っちまったよ。これ、講談社エッセイ賞を獲った作品なんですが。 伊藤礼さんというのは、作家で文学評論家の伊藤整さんの次男さん。日芸の教授で、英文学の人。その意味では先輩でもあるんですが、英文学での実績より、エッセイストとしての業績の方が有名かも。 で、『狸ビール』は、多趣味だった伊藤礼さんの、(鳥撃ち専門の)ハンターとしての一面を綴ったエッセイでありまして、昔は英文学者が趣味で散弾銃を担いで野山を駆け回る、なんてことがあったんですねえ。 でまた、伊藤礼さんの鳥撃ちのホームグラウンドが、東京と神奈川の境、黒川とか栗木、柿生の辺りだったそうですが、これ、私の実家のあるところじゃん。それもまたビックリ。 で、猟の実体験や、猟における先輩たちとの交流、自分が猟をする心持ち、銃のこと、猟犬との絆のことなど、一巻通してそういう話題のエッセイが並んでいる。 まあ、今時の人間からすると、まるで経験のない話ばかりですから、読んでいて「ふうむ、そういうものなのか・・・」と思うことばかり。でまたその書きぶりが、計算高くないようで、ひょっとしたら計算ずくなのかと思わせるヘタウマの文章で、非常に特徴がある。 伊藤礼の文章の代表例を挙げるとすると、こんな感じ: 薬莢のなかの火薬はなぜ大爆発を起こすのか。 本来、火薬は火をつけてもただボーと燃えるだけのものだ。このかぎりでは、火薬というものはちっとも面白くない。ところが、この場合、火薬は薬莢という親指ぐらいのボール紙の筒の中にはいっている。筒の出口側には紙塞と称するボール紙一枚をへだてて、コロスという詰め物がぎゅうぎゅうにつめこんである。火薬が燃えてものすごい量の気体にかわると、気体は広い世界に出てゆこうとあせって、あれこれと行きどころを探す。しかし、薬莢は尻のほうも側面もしっかりと鋼鉄の銃身に包まれているから、けっきょく多少無理があるとは思いながらもコロスを押し出すことにする。 コロスは、薬莢のなかにぎちぎちに詰め込まれているから、そんなに押されても困るんだとおもいながらも、とにかく気体がものすごい圧力をかけてくるので薬莢のボール紙の円筒のなかをギシギシ音をさせながら、ずっていく。考えてみると気の毒なみたいだ。 ところがコロスのむこうがわには、またもや紙塞をへだてて散弾が詰まっている。膨張した気体がギュー、スポン、とコロスを薬莢の外に押し出すと、それと同時に散弾も押し出されて、銃身のトンネルを通り抜けて銃口のそとに弾のような速さで飛び出してゆく。 これが、鉄砲の引き金を引くと弾が飛び出すしかけだ。 世の中には、こうすればこうなるというたぐいのものがいろいろある。スピードを出しすぎると白バイに追い掛けられるとか、「お茶」と言ってみるとお茶が出てきたりするのもそうだ。 だが、そうは言っても、スピードを出しすぎてもどこにも白バイがいなかったり、「お茶」と言ってみると、しばらくして「お茶ぐらい自分で出したら」と不機嫌そうな声が聞こえてきたりする。 その点で、引き金を引くとはほとんど間違いなく即座に弾が出てくるというのは心あたたまることだ。(『狸ビール』111‐112頁) ね。ちょっと癖があるでしょう? この癖が面白いと思えばこの本は面白いし、この癖が嫌味だと思えば、この本は嫌味な本になる。 私としては・・・うーん、微妙かな。面白いような、嫌味のような、どっちに判断しようかなーって悩むところ。でもまあ、面白く無くはないので、良しとしましょうか。 というわけで、絶賛ではないけれども、読んで面白くなくはないというところで、教授のおすすめ!と言っておきましょうかね。これこれ! ↓狸ビール【電子書籍】[ 伊藤礼 ] しかし、ふと気が付いたんだけど、年明けに読んだ本って、土井善晴の『一汁一菜でよいと至るまで』にしても、伊藤礼の『狸ビール』にしても、偉大な父親を持ってしまった息子の本ですな。偶然そうなったんだけど、どちらの本も、父親コンプレックスの産物と言えなくもない。そういう運命を背負うってのは、傍目で思う以上にしんどいのかもね。
January 7, 2024
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本年一発目の読書として選んだ土井善晴さんの『一汁一菜でよいと至るまで』を読み終わりましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、タイトルが日本語としてちょっと変だなと思うのだけど、内容としてはとても面白いものでした。新年最初に読む本としてはすごく良かった。 土井善晴さんは、もちろん土井勝さんの息子さん。私も子供の頃、土井勝さんの料理番組(『きょうの料理』)、見てましたからね。土井勝さんの「(この料理は)お子たちにも喜ばれます」という決めゼリフ、よく覚えています。「子どものことを『お子』って言うんだ・・・」というのがすごく印象的でね。「(何かをかき混ぜるようなシンプルな作業を)これはお子たちに手伝ってもらうとようございます」とかね。 で、この本によると、戦後、花嫁修業に料理を習う、なんてことが流行し、元海軍主計だった土井勝さんが開いた料理教室が大人気となり、一時は数万人の受講生を抱える一大産業にまでなったのだとか。で、そんな人気料理研究家の息子として育った善晴さんは、ボンボンとして甘やかされて育ちます。だけど、その後、フランスの一流レストランで修行することになり、また帰国後は和食の名店・味吉兆で修行することになる。この若い日の厳しい修行時代があったから、善晴さんも単なるボンボンから一人前の料理研究家になれたと。 で、その後、善晴さんはお父さんの料理学校の教授陣に加えられるのだけど、時代はもはや花嫁修業の時代ではなく、また土井勝さんも病に倒れたりなんかして、料理学校の経営はどんどん左前になっていく。で、善晴さんは懸命に立て直しに奔走するのだけど、その一方、これは時代の流れなのだからと諦めるところもあり、その一方自分自身の料理研究所を設立し、新たなスタートを切ると。 そしてそうした一連の料理と向き合った人生の中で、最終的に善晴さんが到達した境地が、「一汁一菜」という考え方だったと。 善晴さんの考えでは、プロの料理と家庭料理は別物なんですな。プロの料理はプロの料理として確固たるものがあるのだけど、それはあくまでハレの料理であって、毎日食べるものではない。毎日食べるものではないからこその工夫(例えば、素材を長時間水にさらし、徹底的に灰汁と栄養素、風味を消し去って、そこにカツオだしや昆布だしの旨味を入れていく、とか)というのがあって、それはそれで美味しい。 だけど、家庭料理というのは、人間が生きる原動力となるもので、それはプロの料理とは異なる。毎日食べても食べ飽きないものでなければならず、その基本は一汁一菜、すなわち美味しいコメのご飯と、具沢山の味噌汁、この組み合わせだけでいいと。しかも、その味噌汁にしても、出汁なんて取る必要はなく、ただ良質の味噌をお湯で溶くだけ。そこに、旬の野菜やら、油揚げやら、肉やら魚やら、好きなものを適当にぶち込めばいい。それだけで必要十分な栄養をとれると。 なるほどね。 ま、この本はこんな感じで、善晴さんご自身の来し方と、料理に対する思いを綴った本なのであります。 で、大まかな紹介をするとそういうことになるのだけど、この本は細部も面白くてね。 たとえば、フランスでの修行時代の話で、フランスで外食することの意味、みたいなことが書いてある部分。 フランス人はめったに外食しないんですって。年に一回とか二回とか、そんなもんらしい。だから外食するというのは、フランス人にとって特別なイベントであると。そこで、レストランで何を食べるかというのは一大問題になってくるので、でかいメニューを見ながら、何を注文するか、30分くらいかけて悩むのが普通であると。しかも、料理を頼んだあとは、それに合わせるワインを選ぶのに、これまたソムリエと相談しながら相応の時間をかける。 で、そんな風に熟考の上決めた料理ですから、一皿全部食っていくのが当たり前で、「料理をシェアする」などということは絶対にない。友人の頼んだ料理が旨そうだからといって「一口ちょうだい!」などということは絶対にないんですって。一皿の料理は、それ自体がひとつの宇宙なのだから、それを一人で全部堪能するのが当たり前。 そしてフランスのレストランでは、テーブルの上に塩や胡椒があるのが普通で、どんな凄腕のシェフが作った料理であっても、最終的に味を決めるのは客であると。日本だと、一流シェフの料理に「塩が足りない」とか言って塩を振って食べたら失礼に当たるような気がしますが、フランスではシェフがどういおうが、自分が塩が足りないと思えば塩を振ればいい。これがフランス人の個人主義、なんですな。 とは言え、どこかの国の人たちみたいに、フランスに来てフランス料理の店に入って、「コースの順番なんかどうでもいいから、注文した品全部一度に持ってこい!」とか命じて、それを回転式円卓よろしく、テーブルを囲んだ者が好き勝手にワイワイしゃべりながらシェアして食べるとなると、それはちょっとどうなのかなと。善晴さんもフランス・レストランでの修行時代、そういうことをするどこかの国の人たちにはちょっと閉口したらしい。これは、自国の文化を他所でも押し通すやり方で、それはちょっと違うのではないかと。 あとね、味吉兆での修行時代の話も面白くて、吉兆の創立者・湯木貞一と、その右腕で善晴さんの直接の上司であった中谷文雄の懐石料理思想ってのがすごかったらしい。 和食の粋たる懐石料理、あれは大昔から伝統的にあるものだと思っている人が多い(私も含め)と思いますが、懐石料理ってのは、味吉兆が創り出したものなんですってね。で、じゃあ、懐石料理ってのは何かというと、茶の湯を料理の世界に取り込んだ料理であると。だから、「茶があるかどうか」が、懐石料理の本質だというわけ。 で、ではそこで言う「茶」とはなにかというと、要するに自然のことは自然に任せる、という思想。逆に言うと、すべて人為でやろうとしない、ということになる。 だから、材料をすべて同じ形、同じ長さに切りそろえた料理、なんてのは、懐石ではない。土筆のおひたしなんかでも、同じ長さに切りそろえた土筆なんか出しちゃダメ。だって、自然に生えている土筆には、長いのもあれば短いのもあるでしょ。だから、そこは自然に任せればいい。 料理の盛り付けにしても、たとえば小蛸の煮付けだとしたら、一皿に蛸の数は5つ、なんて数を決めるのは野暮。ワシっと掴んでワシっと盛るだけ。ある皿には蛸が5つ、ある皿には6つ、ある皿には4つであっても構わない。キレイに盛り付けた料理のひと皿を客の元に運ぼうとしたのを湯木が押しとどめて、その盛り付けを上からギュッと抑えつけて崩し、「よし、できた」と言った、なんて伝説もあるとのこと。 なるほど、「茶があるかないか」ねえ・・・。面白いなあ。で、土井善晴さんもそういう懐石料理の美学を習得するために、随分勉強されたそうで。料理の盛り付けに使う器の美を体得するために、美術館・博物館・骨董の店なんかを暇さえあれば巡ったとのこと。結局、いいものを見ることでしか、目は育たないんですって。 とまあ、そんなあれこれが書いてある。とても面白い本でした。新年一発目の本としては、上出来だったのではないでしょうかね。これこれ! ↓一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書) [ 土井 善晴 ]
January 6, 2024
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ひゃー、2023年も今宵限り。年々、一年が過ぎるのが速くなりますなあ・・・。 さて、ワタクシには大晦日の日には一つミッションがありまして。家の近所にある「ブックポート203」なる本屋さんに行って、本を一冊買うというもの。 で、大晦日にこの本屋で買う本は、専門にかかわる、あるいは専門に近い本、はご法度にしているんです。そうではなくて、まったく専門外の本を一冊買う。そしてそれを元日に読む。つまり、自分にとって知識ゼロに近い本を元日に読むというところに妙味があるわけ。 それによって専門ジャンルに凝り固まった頭をもみほぐす、というのが狙いなんですが、専門外と言ったって、人間が生きているうちに読む本であるわけだから、まわりまわって、そこで得た知識がいつの日が自分を助けてくれるかもしれない。だから、遠い未来に知識の貯金をするようなつもりで、専門外の本を読むわけよ。 遠い未来と言っても、ワタクシにはもはや遠い未来はないんだけどね。 ま、それはともかく、そんなこんなで、最初は『闇の精神史』なる本を買おうかと思ったのだけど、これはちょっと専門に近すぎると思い直し、土井善晴さんの『一汁一菜でよいと至るまで』という本を買うことに。これこれ! ↓一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書) [ 土井 善晴 ] 土井さんは名うてのライターだし、若干先輩だけどほぼ同世代だし、お父さんのことも知っているし、料理の本だったら専門外だし面白いかなと。 ということで、これに決まり! こいつを明日、元日に読んで、頭のコリをほぐすことといたしましょう。 さてさて、本年も本ブログをお読みくださって、ありがとうございました。また来年も、「昨日とは異なる今日の自分とは誰か」を自問しながら、一日一日、その日の思いを綴ってまいります。どうぞよろしくお願いいたします。 では、本ブログをお読みの方だけに良い年が訪れますように!
December 31, 2023
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昨夜実家に戻りまして。やっぱりね、名古屋の職場から300キロ以上、地理的に離れると、リラックスするのよね~。だから、悩みのある人は、とにかく、地理的に悩みの発祥地から離れることをお勧めします。 ま、それはともかく。 今日は、ゼミ生から送られてきた卒論の草稿が一つあったので、とりあえずそれをちゃちゃっと添削した後は、さしたる仕事もなかったので・・・いや、そうでもないか、でもまあそれは置いておいて・・・残りの時間は本を読んで過ごしておりました。 読んでいたのは、ハインラインの『夏への扉』。非常に有名な、名作のほまれ高いSFで、本好きの人なら大抵は若い時に読んでいるのでしょうが、SFが苦手な私はこれまで読んだことがなかったのよ。 だけど、同僚で、経済学の若手研究者が、高校時代だったかにこの本を読んで経済学者を志した、という話を最近、本人から聞かされて、ふうむ、SFを読んで経済学者を志すってどゆこと? と思って、俄然興味が出た。 で、読み始めて、今のところ5分の4くらい読み終わったんだけど、なるほど結構面白い。 私はまた、もっとおどろおどろしい話なのかと思っていたんですが、案外軽めの話なのね。サイエンスがどうのこうのというよりは、若気のいたりで悪い女に騙された青年の話で。で、今、ようやくタイムマシーンがどうのこうのというところまで読み継いで、さて、主人公はこのマシーンを使って何をするのかしら? っていうね。 まあ、あとちょっとで読み終わるので、残りは明日の楽しみに残しておきましょう。 っつーことで、年末のこの時期、意外にもヒマを持て余しながら、SFの名作に読みふけるというのも、なかなか乙なものではないかと思っている今日このごろなのであります。これこれ! ↓夏への扉〔新版〕 (ハヤカワ文庫SF) [ ロバート・A・ハインライン ]
December 29, 2023
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鈴木秀子著『9つの性格 エニアグラムで見つかる「本当の自分」と最良の人間関係』(PHP文庫)という本を読了したので、心覚えをつけておきましょう。 この本は、副題にもある通り、エニアグラムについての本。最近、「MBTI」という性格診断が話題で、私も試したことがありますが(私は「主人公キャラ」だそうですが)、エニアグラムってのはあれのもっと奥深いヤーツーね。 ちなみに、何でアメリカ文学者の私がエニアグラムについての本を読んでいるかと申しますと、エニアグラムって、アメリカ1970年代の「ヒューマン・ポテンシャル運動」に非常に関連が深いから。 ヒューマン・ポテンシャル運動とは、人間の能力をもっと高めようという志向の運動だったのですが、その一環として、色々な方法が試された。その一つが「アリカ・トレーニング」という奴で、これは南米ボリビアの精神指導者オスカー・イチャソが開発した自己啓発法なんだけど、そのアリカの中で使われた性格分析がエニアグラムだったのよ。で、それを弟子のクラウディオ・ナランホがさらに理論化し、ヘレン・パーマーがアメリカに広めたので、今日まで伝わっているわけ。ちなみにオスカー・イチャソはエニアグラムの原理をロシアの神秘学者ゲオルギイ・グルジェフから得ており、グルジェフはそれをイスラム思想から得ているので、エニアグラムの原理ってのは、千年以上の歴史がある、ということにもなる。なかなか深いものがあるわけね。 さて、肝心のエニアグラムですが、本書によると、人間の性格というのはきっちり9つに分類できると。これはもう、「人間は男と女に分類できる」というのと同じくらい、基本的にそれ以外はない、という話なのね。しかも男と女の比率がほぼ同率であるように、9つに分類された性格を持った人類はほぼ同数いる。仮に世界人口を72億人と仮定すると、9つの性格が8億人ずつ存在する、ということね。 つまり、世界は9つの性格を持った人々によって構成されている、非常に豊かなものであると。エニアグラムは、人類に9つの性格があることを、多様性のある豊かなものであると捉えている。そこが面白い。 で、MBTIだとか血液型分類とか、そういうのとは異なりまして、エニアグラムというのは、個人の性格を分類すること自体に意義を見出しているわけではありません。そうではなくて、自分が9つの性格のうちのどれに当てはまるかを自覚した上で、その長所と短所を認識し、長所を伸ばし、短所をある程度矯めることで、より完全な人間になることを目指すと同時に、自分と異なる性格を持った人々と、どううまく付き合っていくかを自覚的に考えることを促す、というところに意味があると考えているわけ。 つまり、エニアグラムは、自己啓発思想なんです。 ちなみに、自分がどの性格分類に所属するかは、テストによって判明するのですが、多分、私は「タイプ4」だと思う。 ちなみにタイプ4のプロフィールは「特別な存在であろうとする人」なんですと。曰く「自分が特別な人間であることを自負しており、何よりも感動を大切にし、平凡さを嫌う。他人より悲しみや孤独などを深く味わえると感じており、思いやりがあり、人を支え励ますことを好む。また自分をドラマの中の訳者のように感じており、立ち居振る舞いからファッションまで洗練された感じ、表現力豊かな印象を他人に与える。「特別な存在である」「ユニークだ」「深い感動を味わえる」ということで満足感を得る」と。 というと、なんかいいことばっかりみたいですけど、タイプ4には固有の欠点がある。エニアグラムの用語では「囚われ」というのですが、それは何かというと、「平凡さを避ける」ということ。曰く、「タイプ4は、平凡であることを避け、自分のことを他人とは違った特別な人間だと思いたいという「囚われ」がある。自分の感受性に自信をもっているので、感性の世界に入り込み、現実を無視する傾向がある。またその豊かな感受性ゆえに周囲の理解が得られないと感じ、それが疎外感のレベルまで達すると、欝状態になりやすく、引きこもろうとする。自分の特別視ゆえに、現実に満足することができず、いつでも”本当の人生はこれから始まる”と感じている。常に深い感動を求めるその姿勢は、洗練されたイメージと共に、大げさでお高くとまった感じを周囲に与える」ですと。なるほど。 こういう「囚われ」は、タイプ4の性格を持った人が後天的に獲得しがちな習性なんですな。 ちなみに、エニアグラムでは、9つのタイプを3つのカテゴリーに分類しております。タイプ8・9・1は「本能センター」、タイプ2・3・4は「感情センター」、タイプ5・6・7は「思考センター」という大分類に属し、特にタイプ9・3・6のように、それぞれのセンターのど真ん中にいる人は、なかなか他のセンターの性格を獲得することができない。一方、タイプ4は、自らは「感情センター」に属するものの、「思考センター」の隣に位置するので、思考センターの人たちとは共鳴しやすいと。 なるほどね! さて、こんな感じで自分がどの性格なのかが判明した後は、これを元にして自己改善を図らなくては! で、エニアグラムの凄いところは、9つそれぞれの性格について、どういう風に自己改善をすればいいか、明確に規定しているところ。 これはエニアグラムの図を見ると一目瞭然なんですけど、たとえばタイプ4は、タイプ1の長所、すなわち「私は勤勉である」という方向に努力すると、好結果が生まれる、という風になっているんですな。逆に言うとそこがタイプ4の弱点なので、その弱点をカバーするように、タイプ1の方に寄っていくように努力すると、よりタイプ4の良い面を伸ばせると。 そう、エニアグラムは、各性格の短所を取り除くのではなく、別なある特定のタイプの方向に向かうよう、努力せよ、とアドバイスをしているんです。なぜなら、各タイプの短所は、そのタイプの原動力にもなっているから。それを取り除くのは意味がない。そうではなくて、一番欠けている方面へベクトルを向けることで、全体のバランスを整えることを目指すわけ。 だからね、エニアグラムを勉強すると、自分がどういうことに注意すれば、より円満な人格を得られるかがものすごく明確に把握できる。そこが凄いところなのよ。 で、さらに、このことは単に自分の性格を矯正するということだけではないのね。そうではなくて、自分が接する人、たとえば会社であれば上司・同僚・部下がいるわけですが、その上司や同僚や部下がどのタイプであるかを把握すれば、そういう連中の性格的な傾向が分かり、それを踏まえて接することができる。そうすれば、彼らに対してどうやってアプローチすると、一番実りの多い協力関係を築けるかが明確に分かるんです。 ちなみに、私・タイプ4が会社の部下だったとしたらどんな人物か、本書から抜いてみましょうか。 「タイプ4に服従という概念はない。彼らにとって、企業で働くというのは、自分の能力が認められ、その能力によって企業に貢献することを意味する。彼らの意識の中では、企業と自分は、対等なギブアンドテイクの関係にあるのだ。 彼らが、従順に従うのは、彼ら自身がとびきり高いステイタスを有すると認める相手に対してだけである。高いステイタスの条件は、地位、能力に申し分なく、感性やライフスタイルの点で高貴さをもっていることだ。タイプ4は、こうした権力者に深い尊敬の念を抱き、自分のユニークな才能を認めてもらい、世話を焼かれたいと思っている。彼らにとっては「選び抜かれた人々から選ばれる」というのが無上の喜びなのだ。自分が、その質を認めた人間に愛されたいと思っているのだ。 その一方でタイプ4は、”小さな権力者”を無視する傾向がある。小さな権力者とは、能力的に自分より劣るが、地位として、自分より高い上司である。 こうした志向を持つタイプ4を管理するのは至難の業だ。上司を小さな権力者と見なせば、それを避ける。彼らは、通常のルールは自分に該当しないと考える傾向があるので、「みんなやっていることだから、君だけわがままを認めるわけにはいかない」という叱責はぴんとこない。(後略)」 いやあ、エニアグラムめ、ワタクシのことがよく分かっているじゃないの!! で、タイプ4はこういう奴だから、もし彼が熱心に働いていないのであれば、自分が認められてないと思っている証拠だから、上司としては、まずタイプ4の魅力的な部分を評価するところから始めるのが上策。なぜなら、自分を評価してくれる上司には、タイプ4は心を開くから。しかもタイプ4は、褒められて図に乗るタイプではないので、そこを心配する必要もないと。 とまあ、そんな風に「まず褒め作戦」でやれば、タイプ4の人間を、掌の上で転がすことができると。いやはや、まいった、まいった。 ね。だから、エニアグラムは自己改善であると同時に、非常にシンプルかつ明確な人間関係改善策でもあるわけですよ。 で、そういう人間関係改善というのは、それこそ1970年代的テーマであって、たとえばエンカウンターグループとか、ゲシュタルト療法とか、この時代に流行した様々な精神療法も、根本的にはこの人間関係改善というところに収斂するわけよ。 ま、エニアグラムが出てきた背景は、ちょっとインチキ臭いところもなくはない(例えば、オスカー・イチャソなんかも、エニアグラムのアイディアは天啓的にひらめいた、とか言っているわけだし)、根拠がしっかりしているのかどうか、よく分からないんだけれども、それが効果的かどうかとなると、明らかに効果的なんですな。神秘的だけれども効果的。だからこそカトリック教会がこの考え方を採用していたりするのであってね(本書の著者・鈴木秀子さんもカトリックの修道女だし)。 というわけで、エニアグラムというのは、非常に面白い考え方、方法論なんだけど、この本を読むと、その面白さが手っ取り早く分かります。私も読んで非常に役立ちました。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓9つの性格 エニアグラムで見つかる「本当の自分」と最良の人間関係 (PHP文庫) [ 鈴木秀子 ]
December 26, 2023
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今年もあと10日足らずになりました。そろそろ恒例の「今年読んだ本ベスト」の発表と参りましょうか。ではまず第5位から。第5位:ピーター・スワンソン著『そしてミランダを殺す』そしてミランダを殺す (創元推理文庫) [ ピーター・スワンソン ] 今年もあまり娯楽的な本は読めなかったのですが、そんな数少ない娯楽読書体験から1冊。奥さんの浮気が元で、この奥さんを殺してやろうかと思い始めたある男が、空港のVIP待合室である若い女性と意気投合、この娘さんに奥さんの浮気と自分の殺意のことを話したら、「じゃ、私が代わりに殺してあげる!」的なことを言われてその気になって・・・、という話。でまた、この娘さんが殺人の天才なんですけど、この娘さんの方にも殺人を引き受ける必然があって、その辺から話が面白くなっていくというね。男の視点と娘の視点が交互に描かれる方式も面白かった。第4位:佐藤優著『国家の罠』国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫 新潮文庫) [ 佐藤 優 ] 先輩同僚に勧められて読んだのですが、確かに面白かった。外務省の闇がよーくわかります。第3位:荒川洋治著『文庫の読書』文庫の読書 (中公文庫 あ96-2) [ 荒川洋治 ] 本のことを語らせたら、荒川さんの右に出るものはないですなあ。荒川さんが紹介するだけで、その本がどうしても読みたくなる。文芸時評だの、書評だのをやる上で、荒川さんの書き方は参考になります。ま、参考になっても、荒川さんのようには書けないんですけどね。第2位:アイン・ランド著『水源』【中古】水源 /ビジネス社/アイン・ランド(単行本) 若き天才建築家のビルドゥングスロマン。まあ、面白い。高尚な文学ではなく、世俗的な文学として圧倒的な面白さ。ディケンズ的な面白さと言ったら、少々買いかぶり過ぎか。第1位:ジョセフ・ピース/アンドルー・ポター著『反逆の神話』反逆の神話〔新版〕 「反体制」はカネになる (ハヤカワ文庫NF) [ ジョセフ・ヒース ] カウンター・カルチャー批判の本。私はもちろん、カウンター・カルチャーを高く評価する側の人間なんですけど、これを読んだら、あまりに鋭い批判であり、かつ、御説ごもっともだったので、ぎゃふんと言わされてしまった。たしかに、カウンター・カルチャーというのは、反体制とはいいながら、一枚岩ではないし、詰めの甘いところ、自己矛盾したところに満ちている。そういうところを、これほど鋭く突かれてしまったら、なかなか立ち直れない。カウンター・カルチャーを讃えるのであれば、その前にまずこの本を読んで、自省しないとダメって感じ。参りました。 ま、そんな感じですかね。 ついでに、今年読んだ本のワーストも記しておきましょう。今年読んだ本で、一番のク〇だったのは・・・ワースト1位:吉田修一著『さよなら渓谷』 そもそも主人公の名前が「尾崎俊介」っていうところからして実に気に入らん! ほんと、こんな小説にこの名前を使われて、腹立たしいったらありゃしない。 姉に「この小説、読んだことある?」って尋ねたら、姉曰く「あるけど、お前には読んだと言えなかった」と。 ま、著者は、少なくとも我が家からは出禁扱いだな。 とまあ、こんな感じ。今年もまた、自分の本を書くので手一杯で、仕事関連の本はそこそこ読んだけれども、それ以外となると、あまり自慢できる読書体験はしていない。来年こそは、もう少し心と仕事に余裕を持ち、自分の楽しみのための読書を充実させるようにしたいものであります。
December 22, 2023
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文芸誌の『すばる』が児童文学の特集をやっておりまして。 で、ああ、なるほど、12月だからなと。 私も子供の頃、もうすぐ冬休みというこの時期が大好きで。寒いので外遊びができない分、ぬくぬくと家にこもって本を読むのが好きだった。 小学5年生の頃、文庫本の魅力にはまって、文庫の外国文学ものをよく読んだものでした。1冊読み終わると、文庫本の後ろにある既刊本のリストを眺め、自分にも読めそうなものに目星をつけては、本屋に買いに行くのが楽しみだった。 たとえばローリングスの『小鹿物語』ね。それから延原謙訳の『シャーロック・ホームズ』ものとか、堀口大學訳の『ルパン』ものとか。『ジキルとハイド』なんてのも、この頃読んだものでした。そうそう、『十五少年漂流記』などヴェルヌのものもよく読みました。でも同じ漂流ものなら『ロビンソン・クルーソー』の方が奥深いと思ったなあ。 で、新潮文庫に飽きると、他の文庫に行く。文春文庫の『野生のエルザ』とか。角川文庫も、新潮文庫ほどではないけれども、そこでしか読めない外国文学は随分読みました。 あの頃は、ホントに本の世界に没頭できた。ああいう熱中というのは、もう今では経験できないかも。 で、そんなことを懐かしく思い出しながら『すばる』の児童文学特集をチラ読みしたら、もう、そこには私の読んだことのない本のことしか書いてない。『トムは真夜中の庭で』とかね。『飛ぶ教室』とか。 同じ「児童が文学を読む」ということにしても、私にとってのそれと、世間のそれはまったく違うんだなと。そういう意味では、私は児童文学を読んだことがない。『ドリトル先生』とか、『ツバメ号とアマゾン号』とか、読みたいと思ったことすらない。ロアルド・ダールの作品も一つも読んでない。 じゃあ、もうだめじゃん。『すばる』の特集、私には無縁じゃん。 あーあ。今月の文芸時評、何を書いたらいいんだろう?
December 15, 2023
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