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今日も4時起き、朝日がきれい。 昨夜は雲に覆われていた大天井も朝にはすっきり晴れ渡っていました。山頂まではごろごろの岩場を登って10分です。雲海から登る御来光を眺め、振り返るとピンクに燃える穂高、槍の上にはまんまるのお月さま。うーん、ステキっ! 日が徐々に高くなるにつれて、朝と夜との境界ラインが下がっていきます。影は今いるこの大天井の影です。 今日は最終日。燕岳を経由して、中房温泉に降りて、風呂に入って帰る予定です。 大天井から降りて大天井ヒュッテからの道との交差点で、みたことのある人が立ってました。あれっ、京・晴夫妻じゃありませんか。昨日別れる時に、明日も会えるといいね、なんて冗談のつもりで言ってたのが、ほんとに早朝から会えちゃうなんて楽しい偶然だね。この日も、燕山荘でほんとのお別れをするまで、越したり越されたり、一緒に歩いたりできて楽しかったですよ。 途中の大下りの頭という景色の良いところで、休憩がてらに絵を描きました。槍ヶ岳とそれに続く東鎌尾根、大天井、さらに今日降りてきたここまでの尾根道。すべてが見渡せます。 ああ、名残惜しいなあ。山を歩いていると、苦しくてもう来なくていいやなんて思うこともあるけれど、いざ降りる段になると、降りたくなくなります。 北アルプスは、今まで登ってきた低山とは景色がまるで違っていました。山は高く谷は深く空は広い。雪渓がいたるところに残っていかにもアルプス的な雰囲気を盛り上げています。 「北アルプスは、八ヶ岳や富士山ともまるで違う、一度来たら止められない」誰かが言ってました。僕は八ヶ岳も富士山もまだ出会ったことはありませんが、「北アルプス、君に決めたっ」ってくらいに惚れました。 燕山荘にたどりつくとビックリ。5-60人くらい小屋の前で休んだり、話したり、おやつを食べたりしています。すでにテントが10張以上張られています。燕岳を見上げれば、ぞくぞくと人が登って降りてきます。さらにひっきりなしに燕山荘に向かってグループ登山者が登って来ます。合戦小屋も大混雑で、種が飛ぶほどスイカが売れてました。 混雑時の山小屋では一畳に二人寝ることもあるって聞いてたけど、今夜はそんな感じになるのでしょうか。おぞましい光景ですね。そんな混雑も台風の心配もなく過ごせてナイスなタイミングだったなあ。 右手の傷もずいぶん癒えて、左手のプロトレック周辺は皮がむけてきました。
2011年07月22日
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今日は槍ヶ岳の東鎌尾根を歩いて大天井岳(おてんしょうだけ)に行きます。スタートとゴールの標高差はさほどないので、比較的のんびりした尾根歩きかと思っていましたが、さにあらず。アップダウンの激しいコースで大変でした。 15kgのザックを背負っての梯子や鎖は、バランスをくずすと後ろにひっくり返りそうになって怖いです。スリルが面白いなんていう人もいますが、僕は不得意。 しばらく進んで振り向くと、今まで歩いてきた東鎌尾根とそれに続く槍ヶ岳。そして進行方向の尾根沿いに大天井。さらには尾根は常念岳や蝶ヶ岳へと続いている。山にいる実感をかみしめます。うれしいのかうれしくないのか、よくわからない。ただ、山にいるんだなーって。 この日は、昨夜ヒュッテ大槍で一緒になった若夫婦と同じ道を越したり越されたりしながらの山歩きでした。心の中ではずーっと京一郎・晴美夫妻と呼んでました。ちょっと雰囲気が似てるんですよ。すれ違うたびにあいさつしたり、少しおしゃべりしたり。同行者がいるのは心強いですね。 14時までキャンプ地の大天荘に着いて、ランチタイムメニューのナン&カレーを食べるのが目標でしたが、どうも間に合いそうにありません。直射日光がぎらぎら、暑くて暑くてばてばてです。しかたなく少し手前の大天井ヒュッテで休憩。300円のアイスクリームがうまかったこと。 アイスを食べ終わって絵を描いていると、京・晴夫妻が追いついてきました。彼らは、今日はここに泊るのだそうです。熱中症に気をつけてがんばってね、なんて声をかけられて、山頂に向かってぜーぜー登りました。 大天荘に着いてまずは500円のビール。5,6種類くらいから選べるのがうれしいね。それじゃあ、久しぶりにキリンラガーをいただきましょう。 テント場は、平らでペグも打てて、快適でした。この夜は10張くらい張られていました。水は200円/1リットル。貴重な水です。トイレはここでも同じぼっとんで、紙は落とさず屑かごへ、手洗い水はなし。夕方になると雲にすっぽり覆われてしまい、夕焼けどころか360度真っ白、山頂へは明朝登ることにしましょう。
2011年07月20日
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連日の4時起床。でも早寝だし爆睡しているから睡眠不足感はありません。窓から外を眺めれば、明けかかっている空は深い青紫。フリース羽織って外に飛び出しました。 寒さに首をすくめて貧乏ゆすりしながら、雲海の水平線が輝きを増すのを眺めます。 モルゲンロート(朝焼けのバラ)。穂高の峰々がサーモンピンクに染まります。特に、白いはずの雪渓がピンクに染まっているので、全景がピンク化しているのが明らかです。刻々と色は変化し、影と光のラインが移動していきます。美しいという言葉は陳腐だけど、でもやっぱり美しい。 太陽は、今日登る予定の大天井岳(おてんしょうだけ)の上から登ってきます。大天井に向って続く東鎌尾根のルートがくっきりと見渡せます。これから大天井に行くんだっけ、そうなんですよ。じゃあ、明日の朝は雲海から登るご来光が見えるね。ですね~、楽しみだなあ。 槍とその北鎌尾根が朝日を浴びて凛と立つ姿はなんて気高いのだろう。 憧れのアーベングリューエンとモルゲンロートの両方に出会えてホントに良かった。 これを見たら死んでもいいような気がするし、逆に何度も飽きるまでみたいからなかなか死ねないとも思いました。そんな気持ちと関係なく数時間後に滑落して死んじゃうかもしれないのにね。17日はトモダチの命日だし。帰ってから彼にみやげ話をできないのがちょっと残念に思いました。 それじゃあ、また、いつかどこかで会えたらいいよね。朝食を終えると、ポツリポツリそれぞれのルートへ出発です。
2011年07月19日
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ヒュッテ大槍に泊まっていたのは10人ほど。僕を含め半分は単独者でした。 知らないもの同士なので会話もはずまぬ静かな夕食です。みんなそれぞれを尊重しましょう的な距離感を保ったままの食事。食事には一杯の軽い白ワインが供されていましたが、ワイン一杯程度じゃ打ち解けられやしない。 左隣の男性は部屋でも隣の布団。なんだかぶっきらぼうだし、部屋では道具を散らかしっぱなしだったし、ちょっと苦手なタイプだなあ。 食後には、みんな夕焼け(アーベングリューエン)を見に外に出ました。 僕は、まだ日没には時間がありそうなので、独りでもう一杯飲むことにします。数種類のシングルモルトウィスキーが飲めるらしいというのも、実はこのヒュッテ大槍を選んだ理由のひとつだからね。 ボウモアをいただきます。チェイサーが付いて一杯600円です。なに、このリーズナブルな値段。いつものBARで飲むより安いし。ボウモアはゲール語で「大いなる岩」という意味です。ボウモアを飲んで槍ケ岳登頂を祝えるなんて、なんてステキなんでしょう。 そろそろ日没が近いので、僕も外に出てみました。 南東の方角に見える常念岳の頭上には、積雲とピンクの笠雲がかかっていました。雲の下では雷光がピカピカしています。その右肩には14番目の月。 わーっ、ステキだあ。ここ数十年で一番にステキな夕焼けかも。 明日行く大天井はどれなんでしょうかね。それは北東のあのピーク。ここからそれに続く尾根が東鎌尾根。えー、あんな遠くまで歩けるんだろうか。遠くに見えても歩いて行くと行けちゃうのが不思議。あの北に続くナイフリッジが北鎌尾根ですか。北鎌って、あの加藤文太郎が死んだところですよね。そうだね、北鎌の反対面で遭難したらしい。 きれいだねー、ステキですねー、すごい景色だね。 西では穂高のピークが夕陽を浴びて燃えています。あの輝いているは北穂?その先に見える階段は前穂の1峰、2峰、3峰、4峰、5峰。奥穂はどれですか、北穂の後ろに隠れてるみたい。 私は月明かりに光る槍を撮りたかったんですよ。ああ、それもステキですねー。月夜だから星が少ないのは残念。あ、あれは北斗七星?ということはあれが北極星。まさにコンパスのように北を示している。 なにもかもがステキ。 圧倒的な光景にみんなの波長が自然にシンクロして、無意識のうちにファミリア~になってました。 小屋に戻ってきて、さっきの静かな夕食とはうってかわって和やか気分。持ってきた自作絵はがきをみんなにもらってもらい、グレンリベットを一杯おごってもらいました。別な方からは持参のハーパーも少々ごちそうになりました。ぶっきらぼうで苦手と思っていたお隣の彼も、実は同郷だということがわかってすっかりお友達。 テントで独りもいいけど、たまには山小屋ってのもいいもんだなあ。 今回の記事ではステキを連発してしまいました。実際の夕焼けの時には今日の何倍もステキを連呼してたような気がします。9時消灯。
2011年07月19日
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槍ケ岳山荘で1000円のラーメンを食べて、いよいよ槍のてっぺんを目指します。ここへ来るまでは、僕はピークハンターではないのだから、登頂しなくたって別にかまわないなんて思っていましたが、目の前にあれば登らずにはいられません。そりゃ当り前ですよね。 はしごの下で、白いチューリップハットのおばさまが座って休んでいました。旦那さんが登っていて、彼女は怖いのと疲れたのと、必ず無事に帰ってくるように子供たちと約束したからという理由で登頂を断念したのだそうです。でも、あなたは若いんだからがんばって登ってね、と励まされました。たいして年も違わない気がするんだけど。 どの岩をつかみ、どこに足をかけたらいいのか迷います。山荘には頻繁にヘリが荷物を運んできます。そのたびに風がキャップを飛ばしそうになります。ドキドキ、ドキドキ。鉄の杭をつかんで登るところが一番怖かったー。もう、ガストン・レビュファな気分。 怖いものみたさで下を見ると、うわーっ、ありえねー、これってマジすかマジすか? 最後のはしごを登ると、唐突に青い空しかなくなり、ヤッホーッ!! 来たーっ、ヤッター、槍ケ岳バンザーイッ!! 思わず叫ぶと、先に登っていた人がお疲れ様~と声をかけてくれました。僕も次に登って来た黄色のおじさんに、おめでとう~~っと祝福。 山頂から見渡す景色はもう筆舌に尽くしがたいものです。今まで登って来た雪渓、アルペン踊りがホントに踊れそうな小槍、加藤文太郎が最期を迎えた北鎌尾根、穂高へ続く尾根はヤリとホタカでヤッホー尾根か、そして明日歩くはずの東鎌尾根。 意外でしたが、下りは登りよりも恐怖感はありませんでした。槍ケ岳山荘にもどって一服し、ヒュッテ大槍までの30分は、ヨーッホヨーッホレヒホーッとハイジの歌を口ずさみながら時々振り返って槍の姿にうっとりしながら、愉快に下りました。
2011年07月18日
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槍沢のキャンプ地で岩に座って朝ごはんを食べていると、下からぽつりぽつりと人が登ってきます。おはようございまーす、なんて挨拶しながら、だんだん僕も早く登りだしたい気分になってきました。まだ朝露で多少濡れているテントをたたんで、6:50分ころに槍ケ岳に向かって出発しました。 今日は、槍沢を北西に向かってどんどんのぼり、宿泊予定のヒュッテ大槍によってザックを降ろし、軽装で槍アタックの計画という計画です。 しばらく進むと、東鎌尾根の左端に、尖った岩が見えてきました。あれ?もしかしたらあれが槍ケ岳山頂ではないだろうか・・・。休憩していた人に聞いてみたら、違うよ、槍はあんなにちっこくない、だそうです。残念。 途中の雪渓は、気温が高いのでアイゼンがなくてもザクザク歩けます。そのつもりでアイゼンなんて持ってきてないし。雪渓はやや涼しいのですが、紫外線はすさまじそうです。サングラスなしの人がたくさんいるのが驚きです。1,2時間おきに日焼け止めクリームも欠かせません。 さっき、あれが槍かどうか聞いた人と、越したり越されたりしながらの登りです。振りかえると左に赤沢山、左に横尾尾根、その間に挟まれた槍沢雪渓。ステキな光景に何度も何度も振り返りながら登りました。 9:00に天狗原分岐。再び山道を歩きます。途中の沢でジャブジャブ顔を洗って、ついでにすくった水を頭にもかけます。あー気持ちいい~っ。あっと言う間に乾いちゃうけどね。 雪渓をトラバースして見上げると、あ、あ、あー、あれこそ槍だっ!始めてみるけど、間違いないよ。ちょうど、さっき聞いた人が追い付いてきたので、あれは本物ですよねー、と確認したところ、はははと笑いながら、うん、本物だよって。 やったー、槍見たー。 彼を含めてほとんどの人は雪渓を直進していきます。僕は北側のお花畑のつづら折り。道は良くないけれど、気持ちが高揚しているから全然へっちゃらです。 ヒュッテ大槍に着いてザックを降ろし、サブザックに水とスケッチブックなどの小物だけ入れて、意気揚々と槍を目差しました。 このルートはいわゆる東鎌尾根の最終パートです。岩だらけのルートを慎重に歩きます。そしてときどき立ち止まっては槍の鋭い穂先を見上げます。ほんとに槍が目の前にあるんだなあ。パブデ感激!!
2011年07月18日
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火曜日、新宿発の夜行バスで上高地に向かいました。 バスは4列シート。お隣の人は大男だったので足が長くてこっちのテリトリーにはみだしてきます。シートは倒そうと思えばフラット近くまで倒れるのですが、後ろの人に気兼ねしてしまい、あまり深くは倒せません。結局ほとんど眠れませんでした。3列シートのバスとは大違いです。 上高地に着いたのは5時半。空の下半分はまだ霧がかかっていましたが、上半分はきれいな青空です。バスターミナル二階の食堂で朝定食を食べて、6:50に梓川の清流の音を聞きながら歩きだしました。 半袖だとやや寒いくらいの爽やかさで、気分も高揚していましたから、睡眠不足も荷物の重さも全く気になりませんでした。 連休前なので、歩いている人もまばらです。 上高地も初めてなので、河童橋から見る山々の姿、梓川の透明感、そしてまっ青な空、なにもかもがステキで独りでニヤニヤしながら歩きました。 嘉門次小屋を通り過ぎ、8:33に明神橋を渡ります。のんびり歩いているので、予定より遅れ気味です。明神を過ぎたすぐあとに、サルとすれ違いました。やあ、おはようっ、と声をかけたけれど、彼は返事もせずに通り過ぎて行きました。 徳沢では、ちょうどペースが同じくらいの年上男性2人と少しお話しました。このあたりには何度も来ているベテランのようで、今回は涸沢ヒュッテに泊まり北穂へ登る計画だとか。僕は北アルプスは初めてなんですよっていったら、北アルプスはいいよー、ぜひ楽しんでってねっと言われました。はい、もちろん、ばっちり楽しんでます。 横尾では、橋をバックにシャッターを押してあげました。ここで彼らとはお別れです。じゃあ、がんばってね、と元気に手を振って橋を渡って行きました。僕はいつも独りなので、仲のよさそうな二人がちょっとだけうらやましい気もしました。 僕は北上を続けます。横尾を過ぎると急に人が少なくなって、槍沢ロッジまでは2人に越され、1人を越しただけ。表情を様々に変える梓川に沿って、なだらかな山道を黙々と登っていきます。坂はさほど急ではないのですが、日が高くなるにつれて気温も上昇し、汗がじわじわ湧いてきます。 12:48、槍沢ロッジ到着。テント泊の受付をします。さわやかなバイトのお嬢さん。ほっと気持ちもなごみました。 受付ついでにここでお昼ご飯にしました。ラーメン一杯1000円です。器の縁までなみなみと濃いスープが満たされ、沈んだ麺がほとんど見えません。どこかの沼でもイメージして作られたのではないかと思うほどです。食べてみると、意外に美味しかった。ちなみに槍ケ岳山荘で食べたラーメンも汁が多量だったので、それが山のラーメンの標準なのかもしれません。 水も無料なのでがぶがぶ飲みました。ここから30分ほど上のキャンプ地でも水は豊富らしいので、ここで補給はしません。 梓川に沿ってどんどん登り、ババ平キャンプ地に到着したのが14:57、30分と言われたけど、1時間もかかってしまいました。ふぅ、暑い暑い。 テントは僕を含めて3つだけ。水は梓川からひいたものらしく、ホースからジャバジャバ流れています。んーっ、冷たくておいしいっ。 ブヨはいるにはいるけど、雲取山の億分の1だし、性格も雲取のような凶暴さやしつこくさはなくてずっとお上品。とてもいいキャンプ地です。 トイレは木の電話ボックスみたいな箱が一つ建っていました。 ここは東西両面を高い崖にはさまれているため、日が落ちるのは早く、日が出るのは遅く、残念ながら夕焼け(アーベングリューエン)は味わえませんでした。しかし、これから向かう梓川の上流、槍ケ岳の東鎌尾根を遠くに眺めることができます。明日はあのあたりに行くのだなあ、遠いけれど現実感のある距離です。 月夜なので、星空は望めません。簡単な夕食を済ませ、8時過ぎに就寝。睡眠不足だったせいか、テントでは珍しくぐっすり眠れました。
2011年07月18日
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北アルプスで過ごした3泊4日の夏休み。ここ10年で最もステキな夏休みを過ごせました。 左手。 あまり激しく日焼けしたくないから2時間おきくらいの頻度で日焼け止めクリームを塗っていたのですが、相棒プロトレックのバンド付近は塗り残したらしく、見事なグラデーションになってしまいました。 右手。 もう残り1時間という小学生の遠足なみのなだらかな下りで、山のお兄さん気分でハアハア登ってくる人達に挨拶しながら歩いていた時にずるっと滑って転倒。さほど激しい転倒ではなかったのですが、手をついたところに木か岩か人工物か何か鋭いものがあったらしく、グサッと切ってしまいました。 3cmくらいの長さなんですが、けっこう深くて、血がドロドロ止まらなくてあせりました。こりゃ縫わないと止まらないかも。 手ぬぐいを裂いて左手と歯を駆使してぎりぎりしばり止血。 登って来た山ガールが、大丈夫ですかぁカットバンあげましょうか? ありがとうございます。でも大丈夫、僕もカットバン持ってきたんでー(カットバンじゃ役に立たんし)。 ふもとの中房(なかぶさ)温泉立ち寄り湯に着いてほどいてみると、手ぬぐいは血だらけでしたが、なんとか血は止まっていました。 温泉の受付のお兄ちゃんに、近くに診療所とかないですかねー、って聞いてみたけど、穂高の町にいかないとないそうです。 しかたないから、処置します。 痛みに呻きながらトイレの水道で洗い、ギザギザでビロビロな皮膚の一部を裁縫セットのハサミで切り取っていると、受付のお兄ちゃんが、何か手伝いましょうかって。いい人です。 そのあと、救急セットの中の密着ハイドロコロイドパッドを貼って処置完了。これで水に濡れても大丈夫なので、温泉入ってガシガシ頭を洗いました。 24時間たっても感染の兆候は全くなく、明らかに傷は治癒に向かっています。転んだのは油断や早く風呂に入りたいという焦りが原因だったかと反省しています。逆に適切な処置ができたことに自信を深めてもいます。 山登りには何が必要で何が不必要なのか、登ることで学べることがたくさんあります。 実は、今回のルートで最もきつかったのは、夜に熊谷駅に帰ってきてザック背負ったまま直行したLewisのライブのボーカルの女性の太股のまぶしいことまぶしいこと、Lewisの転げ落ちそうな急な階段、帰宅の信号待ちでズシリと食い込むザックの重さでした。たかが10分程度の家がなんて遥か遠いのか。 寝静まった我が家、そーっとドアを開けたとたんに潤がダダダとやってきんました。顔をペロペロ。おかえりーっ、ただいまーっっ。 次回の報告は、旅の一日目に戻ります。一日目はこんな行程です。
2011年07月17日
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今日は有給だったので山に行きました。日光白根山です。 冬になるとよく尾瀬岩鞍スキー場にでかけます。ゴンドラで山頂に登ってミルキーウェイを滑り降りてくるとき、丸沼スキー場の上にぽっかり乗っかっているパキケファロサウルスのような白根山が見えます。あいつに登ってみたいなあと思っていたのでした。 いっぺん登れば、また冬にスキー場で眺める楽しみが増えるし。 北側の菅沼登山口からまずは弥陀ヶ池を目指します。あいにく降ったり止んだりの雨で、今回も遠望はまったくありません。すぐ後ろから、旦那さんが65-70くらいで奥さんが5才くらい若そうな夫婦が登ってきました。 奥さんの方が元気にガシガシ登り、旦那さんはあとからついてきます。見れば旦那さんは上はレインウエアなんだけど下は防水じゃないし、さらになんとスニーカーみたいのを履いてます。 山をあなどり過ぎなんじゃないの? あるいはわざと苛酷な山登りをさせて旦那をくたばらせようという保険金めあての作戦か。かかわらないようにどんどん登ろう。でも結局、弥陀ヶ池まで数10mくらいしか引き離せませんでした。老人こそ侮れないね。 弥陀ヶ池はすっかり霧の中でした。 白根山は全く見えません。ここから山頂までは1時間ほどなのですが、この状況で登っても楽しくなさそうだなと思い、山頂には行かずにロープウェイ山頂駅を目指すことにしました。山頂に行くより時間がかかる急な降り道は、まだ雪が残っていて滑ったりはまったりで体力を消耗しました。 途中で寄った血の池地獄。 鉄分が沈殿して赤茶色になるのだそうです。案内板には、「女性が一生のうちに流す血がたまったものともいわれる」なんてすごい解説が書かれています。 パブデさん、楽しんでますか~? うーん・・・微妙。 山頂駅で山菜そばを食べ、近くの神社に今日の無事をお祈りしたところ、雨がザザッと強まりました。これって返事?イエスなの?それともノー? 急な登りで心臓ばくばくさせながら歩いていると徐々に雲が流れ出し、日がさしてきました。弥陀ヶ池にたどりつくと、なんと真っ青な青空ですっ! パキケファロサウルスの頭もくっきり。弥陀ヶ池に逆さ白根も浮かんでます。楽しいっ。やっぱり来てよかったなあ。ついでに五色沼まで足をのばしてみよう。苦労して歩いたご褒美だ。 天気が良いと木々の合間から見える山々の様子もステキで、けっこうばててたのにウキウキした気分で下ってこれました。やっぱり山歩きは青空がいいよねー。
2011年06月14日
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金曜日に休みを取って、甲武信ヶ岳に行ってきました。今回の目的は、 1.雨の中歩いて雨の中テントを張って撤収する。 2.15kgのザックを背負って6時間は、これまで最長の歩行時間。 3.奥秩父主脈縦走ラインを数回に分けて踏破する第一段階。 でした。1は達成できたことはできたのですが、実はたいした雨ではなかったので達成度は50%くらいでしょうか。2に関しては、かなりきつかったけど、なんとかクリアです。 3に関しては全くだめでした。甲武信小屋から雁坂峠へと縦走したいと思っていたのですが、翌日からさらに天気が悪くなるという予報だったので、翌朝に同じルートを戻ってしまい、縦走ラインに線を刻むことはできませんでした。 天気はひとつの言い訳で、実は小屋から漏れる談笑や明かりにちょっと人恋しくなってしまったというのも理由のひとつです。ふがいなし。山小屋に行ったら、やはり小屋泊がいいみたいです。 山頂直前の風景 甲武信小屋 帰りの雪道 甲武信ヶ岳の山頂は2475m、360度の展望が魅力のはず。今回は360度まっ白まっ白まっ白・・・。覚悟はしてたけど残念です。天気が良くて展望も開けていたらもっとがんばれたかなあ。どうかなあ。 7月に富士山に登ろうと思っていました。しかし、もっと行きたい山がどんどん増えています。足は2本しかないし、困りました。 富士山の小屋はあまり快適ではなさそうです。北アルプスとか八ヶ岳、尾瀬などの小屋はもっと素敵そう。テントでは不便は当然だしむしろそれが楽しさだと思えるのですが、どうせ小屋に泊まるなら快適にロマンティックに過ごしたいんですよね。
2011年05月29日
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土曜日に両神山へ行きました。今までは天気のいい日を選んで山に行っていたのですが、これからのことを考えると、そろそろ雨中行軍にも慣れるべき段階ではないかと思ったのです。 天気が良ければ登山口(標高670m)から両神山の山頂を仰ぎ見ることができるのですが、この日はすっかり雲の中に隠れています。雨といっても小雨でして、心配したほどというか期待したほど道も悪くありませんでした。 登山口から二時間半ほどで、清滝小屋に到着。標高1350mくらいです。 外側はたいして濡れていないのに、むしろ汗で下着がぐっしょり濡れました。ゴアテックスといえども、やはり蒸れます。 清滝小屋は、以前は山荘としてお金を取って宿泊者を泊めていただけあって、立派な丸ログです。現在は避難小屋として開放されています。 高校のワンゲル部や一般の山歩きグループが団体で利用することもあるらしいです。この日は、たまたま他の利用者はいなかったので、広い小屋を独り占め。パンツ脱いで走り回っても平気です。 電気はありません。水場とトイレは外にあります。小屋内は火器厳禁とのことなので、外の屋根付き休憩場を食事会場としました。前回の城峯公園キャンプ場と同じで、独り焼き肉&レトルトカレーです。 遠くにチラチラと街(村?)の明かりが見えました。 夜になって雨が強くなってきました。 外ではテント泊の青年がひとり。どこにも上手はいるもんだね。 3時ごろにふと目が覚めました。雨の音が消えています。外に出てみたら、すっかり晴れ渡った夜空。西の空に半月が浮かんでいたせいで、星のかずはさほど多くはありませんでした。 もうひと眠りしよう。 4時半に起きて、軽い朝食をとり、5時過ぎに山頂へ出発しました。荷物は小屋に置いたままです(下の写真は、山頂から降りてきてから撮影したものです)。 テントはすでに撤収されていました。登っている途中で、でっかいザックを背負った彼に追い付きました。彼は時々写真を撮ったりしながらゆっくり歩いているようだったので、あいさつして追い越させていただきます。 僕のように同じルートを降りるつもりなら重いザックを背負って行く必要はないので、彼は別ルートを降りるつもりなのでしょう。 かっこいいなあ。いつかは彼のような山歩きをしてみたいです。 6時半、朝日を浴びながら山頂(1723m)に立ちました。
2011年04月26日
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今夜は職場の歓送迎会でした。楽しく飲んで、いろいろしゃべって、本来なら二次会、三次会へと凸乳じゃなくて突入してもよかったんですが、独りでBARにちょこっと寄って帰ってきました。 なぜならば・・・ 明日、山に行こうと思ってるからです。 今までは天気のいい日を選んで山に登ってきたのですが、そろそろ雨の山を体験する段階にいたったのではないかな、と思って。雨のぬかるみ、枝からしたたる雨滴、不吉な風、濃い霧、寒さと汚れ、そんなんもステキな風景であろうと思って。 明日の計画は、 10:00 家を出発 12:00 日向大谷の登山口から両神山へ向かう 15:00 ゆっくり登って清滝避難小屋に着く そのまま小屋に泊まる 小屋泊だとテントを持っていかずに済む びしょぬれで無理そうなら途中で引き返すかも 05:00 小屋で起床 06:00 山頂に向かって出発 08:00 山頂 10:00 登山口 12:00 帰宅 人生は冒険の連続だ。その中のほんの小さな冒険。 ダンブルドア先生が、死は人生最大の冒険である、という名言を残しました。始めにそれを読んだときは、わかりにくいと思ったのですが、最近はちょっとわかってきた気がします。 死ぬってことは、たぶん今まで経験したことのない変化で、それは生まれてくるっていう体験と裏表の激しい変化であり、そんな激しい変化を体験したことがないから怖いんじゃないのかな。 死んだら考えることができなくなることは怖いけれども、物質となることで時間の流れが何千倍のオーダーになるってことなのかな、それって凄いな。 ゴールデンウィークにはどこの山に行こうかまだ決めてませんが、行きたい山は山ほどあってわくわくします。ちなみに、ようやくヤマレコに登録しました。
2011年04月22日
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城峯公園キャンプ場に行ってきました。 ザックを背負って神川町の三波石峡を歩き、キャンプ場でテントを張り、翌日に撤収して城峯山に登り、日野沢コースで皆野に降りるという一泊二日の旅です。 初めてのバックパッカー挑戦は、多少の反省点やアクシデントもありましたが、それさえも次回への礎だと思えるほど楽しかったです。 今日は4時ごろになんとか帰宅しました。2割ほどの余力があったので、すぐにテントやグラウンドシートの汚れを拭きとって傷をチェックし、シュラフは洗って干しました。 今日は睡眠不足なので、早目に寝ます。次回から数回にテーマを分けて感じたことを報告したいと思います。
2011年04月03日
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お天気の日曜日には何してる? は~い、もちろん山で~す。 なんだか、山ガールとの合コンの会話みたいですが、そういうわけで今日も山歩きしてきました。スタートは東上線の東武竹沢駅から金勝山(きんしょうさん)264m、そのあと官の倉山(かんのくらやま)344m、ゴールは小川町の一力食堂です。この食堂はネットでもお勧めしてるブロガーが多いようなのです。 金勝山は、「山と高原地図」でも欄外になっているほどなので、よほど人気(にんき)がないのでしょうか。登り降りで全く人に会いませんでした。30分ほどで登れる低い山ですが、低い山には低い山なりの落ちついた良さがあります。低い割に展望もいいしね。 すぐそばに「小川げんきプラザ」っていう野外活動施設があって、土日はプラネタリウムも上映するらしいのですが、人気(ひとけ)がありませんでした。 ここからは、こんな風景が見えます。 奥の山並みの右よりにある平な山が数週間前に登った堂平山、その右隣が笠山(別名おっぱい山)です。 手前の山並みの左側、枯れ木に重なっているのが、このあと登る官の倉山です。左から石尊山(せきそんさん)と官の倉山、二つ合わせて官の倉山と呼ぶこともあるそうです。 途中に、三光神社というのがありました。 普段から、途中で神社をみかけたら参拝する習慣なので、もちろん今回も寄って行きました。境内には、例によって潤と似た「こまいぬさん あ」と「こまいぬさん うん」が居ます。 そして、立派な立派な大杉がそびえたっていました。 高い先っぽからは、いまも花粉をまき散らしているのでしょうか。うーむ、これはある種のご神体。この時期には杉は憎いけれども、この見事なソリ具合を目の当たりにして拝まずにいられないのは僕だけでしょうか。いいえ、誰でも。 さらに進むと天王池という沼がありました。河童が泳ぐなと脅しているポスターが貼ってあります。インパクトありますね、この河童。 官の倉山に着くと、三人家族がベンチでおにぎり食べてました。ピークから少し下ったところでお昼にしている4人グループもいました。そのあと、ガヤガヤと声が聞こえてきたと思ったら、50-60代と思われる10人くらいのグループが到着して急に騒々しくなりました。静かに山波を眺めたいとか、登頂の快感をかみしめたいとか、そんな気持ちにはおかまいなしです。風の音までかき消してしまい、雰囲気ぶち壊し。 個人それぞれは悪人でもバカでもないのでしょうが、団体になるとまわりの人への配慮が薄れてしまう。BARでもそう、病院の廊下でもそう、ラグビー場のジョギングコースでもそう。 集団というのは、それだけで威圧的であり一種の暴力だろうと思います。 早々にピークを後にしました。小川町の一力食堂に向かいます。ランチタイム営業に間に合わないといけないので、ときどき駆け足で下りました。 一力食堂は、天ぷらやカツやフライなどの揚げ物メインのフツーな定食屋さんですが、天丼650円で海老のつく上天丼750円とリーズナブル、僕はさらに奮発して海老が2匹の海老天丼を食べました。サクッサクでダシのほどよく効いた優しめのタレ。評判通り美味しかったですよ。 熊谷駅に戻ってきたら、階段下で街頭募金集団が声を張り上げてました。それも子供たち。隣の子よりデシベルでは負けないぞって感じで大声あげて募金をねだってます。頭がガンガンするほどです。 でも、街頭の募金箱に入れる気はないよ。怪しいもの。 このご時世、街頭じゃなくても募金する手段はたくさんあり、僕だってちょびっと募金してますし、これからもちょびりちょびりと募金していこーかなーと思ってます。しかし、ここで募金集団が両脇に並んでいる中を無視して通りすぎるのはちょっと落ち着かない気持ちになってしまう。 この間は、ちゃらそうな学生風な若者が募金を叫んでましたよ。怪しすぎて、ほとんどの人は無視してたと思います。じゃ、子供だったら怪しくないのか、それも変。 はっきり言ってうるさいし、なぜ一緒に居る大人が、もう少し声を低くするよう注意しないのか理解不能です。集団になると鈍感になるんです。これも一種の暴力じゃないかと思います。大声張り上げる集団募金運動はやめて欲しいです。
2011年03月27日
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昨日は天気が良かったので、陣見山に行ってきました。寄居の次の波久礼駅で降りて、かんぽの宿の横から登って虎ヶ岡城跡→大槻峠→陣見山→榎峠→樋口駅まで、休憩入れて4時間半ほど。 陣見山自体はテレ玉の電波塔が建ってるだけで展望のない山ですが、その登り下りの山道にはアップダウンや広葉樹林と杉林の入れ替わりなどの変化が多く、山歩きそのものを楽しめ、その途中にたまたま陣見山というピークがあっただけ、という渋目のコースでした。 低山でたいしたことない山だろうと予想していたのですが、山頂の手前は急登につぐ急登で、アキレス腱がピンピンに張っちゃってつらかったです。 樋口駅では、節電ダイアのせいで電車が来るまで30分以上待ちました。まだ来ない、まだ来ない。閑だから、ホームのベンチに座って、紅茶と井筒屋のミニ抹茶羊羹でおやつしました。おじいちゃんぽい感じです。 今日は朝一番にベルクへ行って、納豆を買いました。久しぶりに食べた納豆は格別に旨かったね。 そのあと、一日中雨だったので、家の中で過ごしました。 山ノートに昨日の山行記録をまとめたり、潤と昼寝したり、ロープワークの練習したり、休日にじっとしていられないパブデには珍しく、ごろごろしてました。 明日からは、また仕事が始まります。停電との戦いも再開しますね。ガソリンが足りないので今週もバス通です。
2011年03月21日
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(ラブ注入のリズムで) ついに山歩き用のザックを買いました。 これまで徐々に買いそろえてきた道具類の最後がザックです。なぜならば、テント一泊の装備を並べて、これを詰め込むには何リットルのザックが必要なのかを見極めたかったからです。 ネットでは、テント泊には最低50リットル以上の容量が必要だと書いてる人が多いのですが、何度もアウトドアショップに足を運び、自分の装備と見比べて、45でも十分いけんじゃねーか?という結論に達し、買ったザックはモンベルのチャチャパック45です。 水1リットルを含めて装備を詰めたところ、食糧を詰める余裕のあることを確認しました。 よっしゃっと、さっそくテストにでかけます。 腕で持つ11kgはずしりと重いけれど、ザックでは腰、背中、肩に重量が分散されて、荷物が重いという感覚は意外にも乏しいです。体全体が重くなったような感じ。 かみさんが、近くのラグビー場へウォーキングに行くと言うので、嫌がるのをなだめつつ一緒に付いて行きました。 4.5kmを約1時間で歩きましたが、思ったより平気です。 平地では良くわかんないなあと思い、昼から寄居の鐘撞堂山330m(かねつきどうやま)~円良田湖(つぶらだこ)ハイキングに行きました。 写真の池は円良田湖ですが、山は鐘撞堂山ではありません。鐘撞堂山はこの山の奥に隠れているので、この小さな山は鐘撞堂隠山(かねつきどうかくしやま)と名付けよう。 小学生の遠足によく使われるコースです。天気も穏やかだったので約2時間ののんびりした山歩きを楽しめました。 波久礼(はぐれ)駅で乗った電車は、秩父から帰るハイカーたちで満員でした。乗客の半分以上が山歩きスタイルという異様な光景でした。ほんとに流行ってたんだね。 トレーニングなので40分、ザックを背負ったままで立ってました。疲れたけれども、余力あり。来週あたりさっそくキャンプに行こうかな。 ただひとつ問題が・・・先週の山歩きの後半でも今日の後半でも、鼻水が止まらず、目がかゆく、くちびるが乾燥してピリピリ痛くなる・・・こ、こ、これって、例のあれ?
2011年03月06日
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土曜日に山歩きをしたときのこと。 大霧山から定峰峠、そのあと白石峠を通って堂平山にたどりつく直前に、堂平山とほぼ同じ標高(867m)の剣が峰というピークがありました。 写真の右の階段を5分くらい登って行けば、でっかい電波塔のある剣が峰のピークをハントすることができるけど、これを登る意義はあるのかな、目の前にあるピークにそっぽを向いて通り過ぎる左の道を行こうかな、どっちにしようか迷いました。 どっちを選択するかは、今後の山歩き人生を占うもののように思われました。 ピークハンターとして生きる道、ピークにこだわらないヤマアルキストの道。さあ、自分はどっちの道を歩むのか。 結局、さほど興味のないピークに登らない道を選択しました。 しばらく歩いて振りかえると、同じように電波塔が建ってました。重大な選択のように思えたことがどうでもよかったように思われました。登りたいと思えば登ればいい、登らなくていいと思えば登らなくていい。 たいていの人生の分岐点は、そんなもんなんだろうな、と思いました。重大な選択も、実はたいしたことのない選択であって、真剣に考えるほどのことじゃない。 人生の中には様々な分岐点があるけれども、どの分岐点も戻って歩き直すことはできない。選んだ道をただ歩けばいい。そんな風に思ったら、また歩くのが楽しくなりました。ひとりで山を歩くって、ほんとに楽しいです。
2011年02月28日
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山ガールのメッカと言えば、やはり高尾山でしょうか。テレビではときどき見ているけれど、一度は生で行ってみなけりゃと思い、あまり気乗りのしないかみさんを連れて行ってきました。 熊谷からは圏央道を通って登山口まで1時間半。 今回は途中までリフトを使います。12分座っているだけで、標高差の2/3を登ってしまいます。卑怯な手段に後ろめたさを感じます。 幼稚園の遠足でさえ、足で登っているというのに。 あの「天狗焼き」130円也を食べました。まわりは最中風で中は黒豆のあんがはいっています。 薬王院の仏舎利塔を見たり、いくつもの社殿にお参りしたり、100種類以上のお守りをどれにしようか選んだりしているうちに、いつのまにか残り1/3のうちの半分を登ってしまいます。 寺を過ぎて山道を登ること15分ほどで頂上広場に達しました。 あっけなさに失望しかけた時、あ、あれって、富士山じゃね? 意外に立派にそびえる富士山が見えて、登って来たかいがあったねーって気分に早変わりです。左の斜面は御殿場からのコースで右斜面は吉田口からのコースだろうか・・・。 猿園に寄りました。子猿とふれあえます。 こいつ、人の足やらトレッキングポールやらを登り、足や指を噛むんです。けっこう痛くて今も太股に噛み跡が残っています。係の人は、子猿が噛むのはあたりまえ、こんなんで怒っちゃだめだよ~、というおおらかな態度。猿山に入れば猿に従え。 ふもとで名物のそばを食って帰りました。そばは、たいしたことなかったな。
2011年02月22日
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週末に、両親と妹とその姪っこたちとかみさんと娘と合計8人で和銅鉱泉に行って来た。和銅鉱泉は、この辺の人達ならみんな知ってはいるけど、実際に風呂に入ったり泊まったりした人は少ないよね。 露天風呂付の部屋が14もあるらしいけど、うちは安いクーポンなので部屋はいまいちだった。 風呂はまあ、鉱泉の沸かし湯だから、それなり。 従業員のサービスは良かったよ。親切かつ丁寧かつしつこくないので好感が持てます。料理もまずまず。もっといいプランだったらより好印象だったに違いない。リピーターも多いらしく、まわりにめぼしい観光施設がないのに満室のようだった。 朝、早起きして和銅遺跡を目指して走った。北側に美の山があるせいで、日が差すのが遅い。 聖(ひじり)神社の石段を登ると、朝日でピンクに染まった武甲山が見えた。ああ、つい数日前にあれに登ったのだなあと思うと、感慨深かった。 和銅遺跡はたいしたことなかった。 息を切らしながらさらに坂道を登る。駅伝の山の神は誰だっけ、こんな坂道を走り続けるのは無理だね。立ち止まってはあはあ白い息を吐く。振り向けば両神山が輝いていた。あの山には秋に登ったのだ。あんな山に良く登れたもんだ。 神々しいってこういう光景を言うんだな。しばらく見とれていた。 もちろん、汗かいたあとの朝風呂も気持ち良かったよ。朝ごはんをおかわりしたのは久しぶりだった。
2011年02月15日
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