『福島の歴史物語」

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2008.01.01
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「おう、よく来たな。三春の様子はどうだった?」
「はい・・・。残念ながら、決してよいという状況ではありません。不作が続いて困っているところへ、大火が多くて困っていました。藩内は、町方も在方も大変です。ところで先輩、ここに来る前に浦賀へ行って、黒船を見てきました」
「おっ、お前も見て来たか」
   敬忠は驚いたような声を発した。
「はい。まるで、海の中の山のように見えました。大海を渡るのには、あれでなければならぬのでしょうね?」
「そうか嘉膳、それはよかった。『百聞は一見に如かず』と言うからな。とにかく西洋では、我々の考えの及ばぬほど、いろいろなものが進歩している。それに一番怖いのは、西洋諸国がわが国に牙を隠していることだ。清国の次は日本だろう。清国より小さい日本では、攻められたら一たまりもない」
「はい。ところで先輩。浦賀で私も、ペロリの奴が『伊豆の大島を租借したい』と言ったと聞きました。私も、租借という言葉に危機感を感じます。ペロリの帰った後の江戸の様子はどうですか?」
 嘉膳は、ペリーの名を敢えてペロリと変えて言うことで憤懣をあらわした。
「ははは、ペロリなー。しかし町方でもそんな噂が流れているのか。実はペリーとの会談のとき、私は筆頭応接の林大学頭様のお付きの海防係・岩瀬忠震様に付いて、つぶさに見学しておった」
「えーッ、先輩。それは本当ですか?」
 嘉膳は目を丸くした。
「まあ、そう驚くな。この私自体が驚いているのだから」
「いや、これはこれは・・・。そのようにお偉い方とご同席などとは、私ごときが、はばかられまする・・・」
 嘉膳はわざと平伏した。
「こら! 嘉膳! そう冷やかすな。ところでその話し合いの内容だが、今のところ、いかに親しくしているお前にでも話す訳にはいかぬ。しかし、その牙の幾つかは見えてきた。例えばお前も聞いたように、『伊豆の大島を九十九年間租借したい』などと言っておるが、九十九年という数字に意味はあるまい。つまりは永久に、ということであろう。内実は、『伊豆大島をメリケンに割譲せよ』という意味と同じ、と思っている」
「やはりそれでは・・・。香港やマカオと同じではないですか。それに大島は江戸の喉元です」
「その通りだ。しかし、さすがに林大学頭様は凄かった。綿密に逐条毎に吟味して対応し、ペリー側もたじたじのときが何度もあった。例えばな。いよいよ困ったペリーが、今まで隠していた問題を持ち出した。『交易については、どうですか? 通商関係を結べば、お互いに利益が上がります』とな。そこで林様が反論をした。『それはおかしい。そちらからは難破船の船乗りの救助問題と、薪水の補給の話だった筈。通商とは何の関係もござらぬ』とな。さすがのペリーも、反論できなかった」
「それは・・・、凄いところをご覧になりましたね」
「ただその後の問題は、もともと外国との条約の成立に勅許は不要であったにもかかわらず、日米修好通商条約のとき、幕府が天朝様に条約の勅許を求めてしまったことだ。だいたい天朝様から全権を委任されていた幕府が、個々の政策について、いちいち相談をする必要などはなかったのだ。にもかかわらず、幕府は勅許を口実に時間をかせぎ、迫られている早期調印を引き延ばそうとして、とんでもない愚行を犯してしまった。今後の日本は、今までのやり方ではどうしようもない」
 敬忠は拳を握りしめて言った。
「幕府のやり方がまずかったと・・・?」
「そうよ。大間違いのこんこんちきよ。その上、異国船打払いの可否を諸大名に諮問したりしたから、力のある諸藩主はそれを前例として、無理矢理にでも政治に嘴を入れてくるだろうよ」
 今度は敬忠が、江戸っ子の口調でおどけてみせた。しかしその顔は、すぐに引き締まった。
「いずれここで天朝様と協議をする先例ができてしまった今、今後は日本の政治を行うのに、いままでのように天朝様の意志を無視することが難しくなろう・・・。ところで嘉膳。江戸に居る間に、藤田東湖様を紹介しよう」
「藤田東湖様? あの水戸藩の?」
「おう、知っていたか。彼は今、水戸の藩主とともに海岸防備定江戸勤として江戸にいる。彼の人格は高邁、形骸化した幕藩体制の倫理を批判し、在野の人材登用と官僚体制の簡素化集中化を計っておられる。その彼を信奉した越前藩の橋本左内や薩摩藩の西郷吉之助(のちの西郷隆盛)などに、その思想の影響を与えている方だ」
 それを聞いた嘉膳は、体内に熱くたぎるものを感じた。

 嘉永七年一月、ロシアのプチャーチンが春の再訪を約して長崎を出航した。ここにきて有力大名たちも、これ以上鎖国政策を継続できないことに気がついていた。一方、かねてから大型艦建造を主張していた幕府老中首座の阿部正弘は、ついにその禁を解いた。幕府はオランダに軍艦や大型艦船を発注し、各藩も大型艦船を幕府に献上したのである。
 この年の七月、幕府は、これら幕府の艦船の鑑旗を決定した。
 白地に赤の「日章旗」であった。






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最終更新日  2008.01.01 12:17:09
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