『福島の歴史物語」

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2011.08.02
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カテゴリ: 街 こおりやま


 今年の2月、本町の市道拡幅工事現場から、1945年4月郡山大空襲の際に落とされたと思われる焼夷弾2個が発見されました。

 さて1945年7月20日、3機のB29爆撃機がテニアン島を飛び立ちました。彼らの任務は平、福島、郡山にテスト原爆を投下することでした。ところが郡山へ向かったC・エザリー機長のB29が行方不明となってしまったのです。

 軍の命令に叛き東京に進路を変えたエザリー機は、皇居にテスト原爆を投下して天皇爆殺を狙ったのです。しかしこの日の東京は雲が厚くまた乗組員も皇居の位置を知らなかったため、爆弾は大きくそれた呉服町に投下されました。 帰投したエザリーは命令違反で軍法会議にかけられることはなかったようです。

 さらに7月29日、通称1トン爆弾(テスト原爆)が郡山駅に投下されました。しかし郡山への原爆投下は、レーダーが作用しにくい地形のため見送られたそうです。

 テスト原爆は、B29が原爆の強大な破壊力に巻き込まれずに脱出するための練習用として、本物と同じ形状、重さで製造され、通常火薬が詰められました。つまり広島、長崎への原爆投下に対する訓練爆撃でもあったのです。

 これらはアメリカ公文書館の資料から、2003年8月18日、 テレビ朝日の報道番組『幻の東京原爆投下作戦・天皇を狙った男』で報道されたものです。テスト原爆の被弾地については、終戦直後、アメリカ第509混成軍団により詳細な一覧表が作られています。

 実際に投下された広島(ウラン原爆)と長崎(プルトニューム原爆)との違いは、原爆での生体実験を意味したのではないでしょうか。原爆傷害調査委員会(ABCC)は、原子爆弾による傷害の実態を調査記録するためにアメリカが設置した機関で、被爆者の治療にあたることは、一切ありませんでした。

 75年は草木も生えぬと子どものころ聞かされたこの言葉に、当時の人はその後の被害の長さを知っていたと考えられます。

 戦後66年、郡山の大地は今、原爆ならぬ東京電力・第一原子力発電所の放射能事故におびやかされています。





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最終更新日  2011.08.02 06:48:08
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