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2019.10.15
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    アロハオエ

 ハワイの歌といえば、多くの人はこの歌を真っ先に思い浮かべるのではないでしょうか? アロハオエは、『わが愛をあなたに』の意味で、詞の内容は、恋人との悲しい別れを歌った歌です。しかもこれを作ったのがハワイ王国最後の女王リリオカラニで、アメリカによるハワイ統合後、軟禁状態に置かれていたときに書かれた歌だという説もあるくらいですから、穿った聴き方をすれば独立国ハワイのレクイエムとして聴けないこともないという悲しい歌です。

 ハワイ王国は、1795年にカメハメハ一世が白人たちの持ち込んだ銃器により全島を統一して成立しました。それもあって早くから欧米の影響を受け、1840年にはカメハメハ三世により憲法を制定し、立憲君主制となって近代国家の体制を固めようとしていました。その一方でアメリカは、米墨戦争(1846〜1848)や南北戦争(1861〜1865)を経て、世界列強の帝国主義による領土獲得競争へと参入して行ったのです。そのアメリカが、1898年に米西戦争の勝利でキューバ、フィリピン、グアムを獲得する中で、ハワイの戦略的重要性も高まっていきました。またハワイでは、この頃から、サトウキビの大規模なプランテーションが急増し、砂糖貴族と呼ばれる白人経営者が発言力を増していたのです。

 1887年、リリウオカラニは、イギリス女王ヴィクトリアの在位50周年祝典への招待を受けたハワイ王妃と共に、国王の名代としてヴィクトリア女王に謁見しています。しかし、この留守中に起こされた、王政を打倒しアメリカへの併合を目指す砂糖貴族らを中心にした共和制派のクーデターにより、ハワイ第七代の国王カラカウアは、その武力での脅しによって新憲法草稿に署名させられ、ハワイ史上、悪名高い銃剣憲法が発足しました。それは国王の権力を全て奪い取るような屈辱的な憲法で、たとえば参政権に収入制限を課したため、ほとんどのハワイ人そしてアジア人が投票の権利を喪失し、結果として白人の帰化市民がハワイ王国を牛耳るきっかけになった憲法でした。しかも、ハワイ人による王政の強化を求める王政派のギブソン首相も、国外追放となったのです。そして1891年、カラカウア王は実質的な権力の多くを失ったのです。

 1890年、カラカウア王はアルコール依存症によって体調を崩し、医者の薦めでサンフランシスコへ移ったのですが、1891年に亡くなりました。その後を継いだのが、リリウオカラニ女王でしたが、民族意識の高まりの中で、王政派と共和制派の対立が深まっていきました。ここで危機感を募らせた共和制派は、アメリカのスティーブンス公使の要請により、アメリカ海兵隊がイオラニ宮殿を包囲し、翌日には共和制派が政庁舎を占拠して王政廃止と臨時政府樹立を宣言したのです。ハワイ革命と言われます。

 王政派による反対集会が繰り返される中、1894年、臨時政府はサンフォード・ドールを大統領として共和国の独立宣言を行ないました。翌1895年、王政派が反乱を起こしたのですが、数日の銃撃戦の後に、海兵隊を主力とする共和制派に鎮圧されてしまいました。その際、リリウオカラニの私邸より、あるいはイオラニ宮殿の庭からたくさんの銃器が見つかったとして、リリウオカラニは反乱の首謀者の容疑で逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉されたのです。そして間もなく、反乱で捕らえられた約200人ほどの命と引き換えに、リリウオカラニは女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国は滅亡したのです。

 1898年、ハワイ共和国はアメリカに併合され、ハワイ準州( Territory of Hawaii )となりました。これは米自治領という側面も持っており、完全に米領になったわけではなかったのですが、やがて準州知事が設置され、さらに真珠湾などに米軍施設が多数建設されると、名実ともにアメリカ領と化していったのです。

 ところで歴史家のラヒラヒ・ウェッブの記録によりますと、アロハオエは、まだ若い王女であったリリウオカラニが、オアフ島北部のマウナヴィリという場所で、ある少女と軍人との別れの光景を目にして書いた詞であるとされており、一般的にはこれが定説となっています。しかし歌詞の中の雨を、共和制実現を目指す白人勢力と考え、花を国民とたとえれば、王国の滅亡が目前となった当時の状況や女王の心情に符合することから、この歌に滅びゆく祖国の悲哀を重ね合わせ、国民への感謝と惜別、あるいは再決起や支持を求める思いを込めていたであろうと想像されています。リリウオカラニの悲しみは、恐らく張り裂けるほどの思いだったに違いないと思われます。歌詞は次のようなものでした。

Ha'aheo ka ua i na pali

Ke nihi a'ela i ka nahele

E hahai ana paha i ka liko

Pua 'ahihi lehua o uka

谷に降り注ぐ大粒の雨

森の中を流れゆく

谷の花アヒヒ・レフアの

つぼみを探して

Aloha 'oe, aloha 'oe

E ke onaona noho i ka lipo

A fond embrace a ho'i a'e au

Until we meet again

さようなら貴方 さようなら貴方

木陰にたたずむ素敵な人

別れの前に優しい抱擁を

また会えるその時まで

 ハワイの人びとは、心から王族の人々を愛し信頼していました。しかしこのような経緯の中で、アメリカの統治の下で、ハワイ独自の文化も次第にあるいは急激に失われていったのです。リリウオカラニの愛、そして悲しみが込められたアロハ・オエは、ハワイの人々の心のうちを静かに流れていったのです。このアロハ・オエのメロディーは、後に、キリストの再臨による平和の回復を待望するという内容の歌詞が新たに付けられ、讃美歌としても使用されているそうです。この歌が日本に入ってきたのは、昭和の初め頃でした。この曲をハワイ音楽の代表格と意識して、いろいろな人が取り上げていたのです。

 私がハワイへ最初の取材に行って帰国する前の晩、何人かの協力者がお別れ会を開いてくれました。そして宴が終った時、皆んながアロハオエを歌ってくれたのです。このアロハオエが『別れの歌』であったとは知らなかった私は、英語では歌えないので、自分としては、気持ちよく一緒にハミングしたのです。いま思い返すと、恥ずかしい思いでいっぱいです。

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最終更新日  2019.10.15 14:29:43コメント(0) | コメントを書く
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