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ハワイのボンダンス
2017年7月は、福島市の市制110年、福島民報が創刊125周年にあたりました。福島市はその記念事業の一環として、ハワイからホノルル・ボンダンス・クラブの約30名と『琉球国祭り太鼓ハワイ支部』の10名を招き、7月22日には、福島市荒井の四季の里でそのイベントが開かれました。ボンダンスは、福島県からの移民とともに海を渡った『盆踊り』がボンダンスとして、ハワイで踊り続けられているものです。第二次大戦後、ハワイのマウイ島に住む日系四世のケイ・フクモトがハワイでの『盆踊り』の復興に力を注ぎ、『マウイ太鼓』というグループを主催して何度も福島県を訪れ、毎年、郡山市熱海町の湯ラックスで開かれる『ふくしま太鼓フェスティバル』にも出演しています。
マウイ太鼓は、ケイ・フクモトが、福島県から移民した曾祖父のトミジロウ・ワタナベから受け継いだ福島盆踊りの太鼓を次世代に伝えるため、16年前に始めた太鼓の会です。現在、8歳から60代まで、約40名のメンバーがいます。しかしこうなるまでには、50年以上の歳月が必要でした。戦争に負けた日本の血を引く日系人としての後ろめたさが、「なかなか積極的に社会にとけ込めなかった。」と言っていました。「最初は周囲に気を遣い、小さな音で練習をしていたのです。」とケイは笑いながら話してくれました。今でも使われている太鼓は、グループの人たちによる手作りのもので、太鼓の胴にワインの樽を利用したものだそうです。しかしそれらの困難を乗り越え、公開の場での活動にするのには、多くの時間を費やしたということです。
彼等の十八番は『フクシマ・オンド』というタイトルのものです。太鼓のリズムや盆唄のメロディーは、相馬盆歌とも三春盆踊りとも、そして振り付けもまた、そのどちらにも似ているのです。日系人が多いハワイにはたくさんのお寺があり、6月から8月にかけて、毎週末のようにどこかのお寺でボン・ダンスが開催されます。マウイ太鼓もマウイ島各地のお寺をまわり、ワインの樽からつくった手作りの太鼓で踊りを盛り上げています。お盆には、日系人だけでなく、地元の人や観光客など、たくさんの人たちが集まります。ボン・ダンスは地域のお祭りとして、日系人や仏教徒以外の人にも親しまれているのです。そして驚いたことは、老若男女はもちろん、ポリネシアの人や白人そして黒人などを問わず、しっかりとボン・ダンスを踊っているのです。ハワイのボン・ダンス。それは、日系のみならず、サトウキビ農場の労働者としてやってきた、さまざまな国からの移民が多く暮らすハワイでの、共通の文化となっています。ボン・ダンスは、己の民族の文化を大事にし、他の文化を尊重するという、ハワイの暮らしや歴史から生まれてきたのではないかと思っています。
七月、そして八月にかけて、ハワイの仏教寺院の境内は連日ボン・ダンスで賑わいます。今の日本で盆踊りは、仏教寺院との関係を特に意識されませんが、ハワイでのボン・ダンスは、お盆の先祖供養行事の一環としても行なわれているのです。各寺院でのボン・ダンスの日程が重ならないようにと、時期を少しずつずらしてやるので、この二ヶ月間は、ほとんど毎日のように、どこかのお寺でボン・ダンスの太鼓が鳴り響いているのです。
やぐらの上からは威勢のいい太鼓が鳴り響き、日本のリズムが流れます。ところでボン・ダンスと一言で言いますが、踊りは『フクシマ・オンド』だけではありません。見ていると炭坑節になったり、私の知らない踊りになったりします。しかも歌がなんとビューティフル・サンデーに変わったりするのですが、踊り手はそれに合わせて上手に踊っているのです。いろいろな人種の人たちも踊りの輪に加わってくるのですが、『踊る』ということが、格好いいとされているようなのです。私は踊りを見ながら、日本でも方言というものがありますが、踊りにもハワイ方言があるのだなと、一人でガッテンしていました。それにしても、フクシマ・オンドの本拠地である福島県で、盆踊りが廃れつつあることは、寂しいことです。
ン・
ダンス、餅つき、七五三、ひな祭り。日本の伝統文化に、ハワイアンカル
チャーが少しずつミックスしながらも、私たち日本人が現代になって忘れてしまった行事や習慣を
、大切に次の世代に伝える彼等の姿と、私と話をした多くの福島県出身者を先祖に持つ3〜4世が、「私は、自分の先祖が福島県から来たことを、大変名誉であると思っている。」と話してくれるのです。私は福島に生を受け、生活しているにも関わらず、そのようなことを考えたことは、一度もありませでした。大体、ここに住んでいることが、当たり前だったのです。世代が変わっても、祖先の出身地・福島への思いは強いのだなと思っています。
福島民報創刊125周年のイベントである『日系ハワイ移民写真展〜ハワイ日系人の歩み』に合わせて福島市を訪れたのは、ホノルル福島県人会の36名でした。彼らはフォーラム福島で同時に開催された関連映画特別上映や四季の里でのイベントにも出席しました。ホノルル福島県人会の旅のタイトルは、『ふるさとツアー2017』でした。この『ふるさとツアー』は時折開かれており、2012年の6月には、ケイ・フクモトが、 郡山のコミュニティ放送・ ココラジで、その経緯を生で放送をしています。
ホノルル福島県人会は、2018年、創立95周年になりました。ところがハワイ島ヒロにあるハワイ島福島県人同志会は、今年で118年になります。どのような理由でこの2つの県人会の間で、23年という差がついたのかは分かりませんが、元ホノルル福島県人会長のロイ・トミナガさんによると、「第二次大戦前後の相当な期間を休止したため、ホノルル福島県人会は短くなったのではない か。」と言っていました。いずれにしてもハワイでの県人会は、100年にも及ぶ年月、多くの会員たちによる努力によって続いているものであることは、間違いのない事実です。
実は2018年、『 KIPUKA FUKUSHIMA ONDO 』で、2019年の第44回木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家の岩根愛さんがいます。この賞は、写真界の芥川賞と言われるものです。彼女は、ハワイで踊られるボンダンスを足がかりに、12年間もの時間をかけ、ハワイへ渡った日系移民のルーツを探っていたのですが、私もハワイに取材に行っていたときに知り合いとなりました。
2011年、東日本大震災とそれに伴う東京電力の原子力発電所の事故の際には、ハワイ州の各県人会には特に多大な援助をいただいているのですが、ハワイの福島県人会では、2度に渡って福島に来られて、募金を福島県庁に届けられました。しかもこの時、マウイ島のキース・リン レーガン夫妻がアロハ・イニシ ャテイブを立ち上げ、ほぼ100人の幼児を含む罹災者の費用全額をアロハ・イニシャテイブで負担、3ケ月、ハワイでの癒しの宿を提供してくれました。郡山からも、ほぼ30人の高校生が参加しました。その後も、ケイ・フクモトの主宰するマウイ太鼓の演奏会を郡山や三春で開いたり、それが縁で三春中町若連がマウイで演奏会を開いたりしたのですが、その橋渡しを彼女がしてくれています。
岩根愛さんは、移民を通じてハワイと福島の関連をテーマに制作を続けている若手の写真家で、2013年より三春町に拠点を構え、双葉町などを中心に撮影を続けていましたが、このほど(2019年)中江裕司監督のもと、映画『盆唄』を完成、上映に漕ぎつけています。彼女が私に、「わたし(愛さん)が三春に来たのは、橋本さんのお陰です。」と言われたことが、私の宝物になっています。
済みません。この稿は、私の自慢話になってしまいました。
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