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不足する生活物資と新輸送ルートの開拓(1)
このような中、JR貨物の非常時対策室では、新潟と郡山をつなぐ磐越西線を使って、石油輸送列車の運行についての議論が続いていた。しかし磐越西線は、新潟と郡山とが直接つながっていない。中間にある会津若松駅をターミナル駅として、それぞれが折り返し運転をしているのである。
「やはり東北本線の復旧を待ったほうがいいんじゃないか。」
ダイヤ編成などを担う運用チームからはそんな意見も出た。磐越西線をセメント輸送の貨物列車が走っていたのは、今から10年も前のことであった。それであるから、石油輸送列車を走らせるのには運転士の再教育が必要であるし、運行機材の確保も難しかった。磐越西線は風光明媚な観光路線として人気があり、SLが走ることでも知られるが、それも新潟駅と会津若松駅の間だけであり、その先の東長原駅、磐梯町駅、翁島駅の間は、急勾配と急カーブが連続する国内屈指の難ルートでもあった。しかも非電化区間があるため、ディーゼル機関車を投入する必要があった。それもあって、急浮上した磐越西線ルートを巡っては難題が多く、部署間での議論が紛糾した。しかしJR貨物の松田佳久は、こう考えていた。
ーーできるだけ早く被災地に石油を届けるには、磐越西線を使うしかない。
JR貨物の機関車グループのリーダーだった松田佳久は
「DD51をできるだけ集めてくれ。」
との指示を出した。DD51とは、国鉄時代から使われてきた古いタイプのディーゼル機関車であるが、これなら非電化間でも走行できる。また、国鉄時代に導入された機関車や貨車は、基本的に全国どこの路線も走れる仕様であり、入線確認などの手間を減らすことができる。彼のグループは、DD51の所在確認から検査場の選定、保守技術者の確保などを進めていった。ただし、DD51は現存車両が少なく、ほとんどが退役し解体を待つ身とされていた。
「本当に走れる機関車が、あるのだろうか。」
不安は消えなかった。
JR貨物は、DD51型ディーゼル機関車の調達に動き出した。以前に、東新潟機関区に配置されていたDD51は、既に転属して新潟にはなかった。ところが廃車を予定されていたため、DD51形には余剰車輌が出ていた。このことが幸いして、全国各地から余剰車輌をかき集めることができた。九州の門司機関区からは835号機と852号機が、関西の吹田機関区からは757号機・759号機・833号機・1027号機・1188号機の5機が、愛知機関区からは832号機が、しかも吹田機関区では、路線電化の影響により、震災前日のダイヤ改正で運用数を減少させていたこともまた、調達に幸いすることとなった。廃車となる予定であった車輌を8機も用意出来たことは、本当に偶然のことであった。それらは各機関区で入念な整備が行われたのちに、全国各地から集められたDD51形ディーゼル機関車たちは、2機×4ペアを組んで運用にあたることとなった。遠距離からのDD51の輸送には、JR各社の大きな協力があった。
そしてもう一つ、タンク貨車の調達が問題となった。タンク貨車を所有するのは、日本石油輸送株式会社(JOT)や日本オイルターミナル株式会社(OT)といった石油輸送・保管の専門会社である。JR貨物の要請を受け、JOTが調査に入った。必要とした36トン、ローリー約40台分の灯油を積めるタキ38000は、宇都宮に7両、千葉に15両、その他に、他のオイルターミナルに貸し出しているものが十数両あった。しかしこれだけでは少なかった。通常、石油輸送列車は、約20輌のタンク貨車を牽引する。緊急輸送とはいえ、この数では効率が悪すぎる。
「ぎりぎり2編成か。」
JR貨物で機材調達を担う松田佳久がつぶやいた。
JR貨物でも、全国に散らばっているタキ38000を千葉と川崎の拠点に集める作業を進めていた。しかし、被災地の石油需要に見合う輸送量を実現するには、45トン積みのタキ1000の投入が不可欠となった。しかしこれらのタンク車を会津若松駅に入れるのには、新たに入線確認が必要となった。この入線確認をとるのに通常三ヶ月はかかるところを、短期間で取得することができた。
自衛隊は福島第一原発3号機に、空と陸から再び放水した。東京電力の常務は、『廃炉検討』を明言し、県民に謝罪した。枝野官房長官は、『第一原発3号機は注水により、一定の安定した状態にあるのではないか。』と述べていた。一方、仙台港に入港した海上自衛隊の輸送艦『おおすみ』が、灯油入りのドラム缶70本(14キロリットル)を陸揚げした。しかしその反面、南相馬市からは3400人が県外へ避難し、双葉町からは町役場機能を含め、1100人が40台のバスに分乗し、さいたまスーパー アリーナに避難して行った。一方で小名浜港の一部が復旧、海上自衛隊のホーバークラフト輸送艦が、毛布、飲料水、おむつ、などの物資を運び込んだ。首都圏でも避難者を受け入れる体制が整い、全国的に支援の輪が広がっていった。
自衛隊は、第一原発の使用済み核燃料の冷却のため、空と海から放水をした。一方、アメリカ国防総省のラバン副報道官は、アメリカ軍が原発対策に向けた特殊なポンプ車やホースを提供したと公表した。その際、『アメリカ軍はあらゆる事態に対応できる能力を持っている。そのため活動を拡大する余地がある。』と力説した。在日アメリカ軍約2万人に対して、日本救援の『トモダチ作戦』を発令したのである。クリントン アメリカ国務長官は、在日アメリカ空軍が非常に重要な冷却剤を原発に運んだと発言したが、ロイター通信は、アメリカの当局者が、『日本は最終的にアメリカからの支援を必要としなかったので輸送をしていない。』と言って長官の発言を修正した。自衛隊と在日アメリカ軍は、『できることは何でも協力する。』と官邸に申し出たが、官邸側は、『まずは警察と消防で対応する。』と回答して要請をしなかった。
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