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息長の編(504年)
★
男大迹王が領地とするのは、
大淡水湖(形状からみると琵琶湖)の西岸の
安曇川の扇状地・高嶋(現在は高島市)である。
その地で息長一族は鉄の鉱脈を
当てたことが大きな発展をもたらした。
鉄を武器に用いず、鍬、鋤きなどの
農耕具に用いて美濃・飛騨まで水田地帯を拡大した。
淡水湖・淡海(あはうみ→近江)を眺めれば
北東に神の島・竹生島、東岸遙かに
神の山・伊吹山が見渡せる。
下図では、伊吹山(標高1,377m)は
長浜市の13km東方にある。
天野川は長浜と彦根の中間を琵琶湖に流れ込む。
・・・・・・・・・・・
< 琵琶湖
:公式の 水深
(s) 最大103.58m
、
面積670平方km、周囲241km>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先ほど
大迹王は、伊吹山の山麓に住む
しかし、真手王が自分の幼い娘を、
息長家伝来の家訓に沿って
大和の幼い武烈王に嫁がせるという約束を
結びたがっている話題には、
男大迹王はあまり触れたがらない。
なぜなら、百済、新羅、伽那でも新しい国造りが行われ、
倭国でさえ
そうなのに大和と言えば旧態依然なのである。
真手王だけは、 「伝統&雅」
のみで民を治めんとしている大和
が、
最後には勝つと信じているようだ。
気分が優れない 男
大迹王は、
天野川に沿い、湖畔に降りて、坂田に住む
真手王の従兄弟・大跨王の所に出かけた。
そこには三尾に住む男大迹王の
妃の弟・椿が来ているという。
///
椿は、「朝鮮半島の伽那の情勢が怪しいので、
男
大迹王が渡って、探って欲しい」
との三尾の都奴牟期王の命令を伝えた。
伽那は息長一族の故郷でもあり、
その「 真金
」、「 琴
」、「 法
」で、
交易で 生活は守られ、癒され、律せられている。
///
男大迹王と真手王達は3月に三国湊を立ち、
伯耆不二(大山)を左に見ながら
淀江港に立ち寄った。
淀江の族長・加茂王が屋敷で出迎えてくれた。
(
伯耆大山 標高1,729m)
加茂王には
「息長ほどの大族が大和の下にいる理由が判らない」ようだ。
男 大迹王は真手王の代わりに説明する。
「 大和は雅と風儀
(てぶり)で国を治めている」と。
真手王が捕捉する、
「 風儀とは古き仕来りを守っていくことかと
。」
加茂王は、
「それは正しい。そうしたいのであるが、しかしそうもいかぬ。
倭国
を見れば判るのであるが、
先王・武は南朝に多くの貢ぎ物をした返礼に
鎮東大将軍の称号をもらい将軍府(太宰府)を
開けたうえ、部下に将軍、三相
の位を授与する権限を得、
国の形ができた。
ここまでは良い。
現王は若いとき
寧波に留学して南朝を熟知しているから
位を大盤振る舞い
で、自分も副将軍様!」
と大笑い。
さらに、
「倭国は百済と半島で対峙しているというが、
実際には戦闘はない。
軍尼に徴兵を命じて統制しようとしており、
淀江からも騎馬、兵を送った。」
真手王は
「倭国も百済や新羅のように成りつつあるのですか?」
と尋ねる。
「そのとおり。吉備が中立を守っているが、
どちらかに付けば大和は巻き込まれ、
雅、風儀だけでは国は保てない」と加茂王。
皆、酒に酔いしれた。
★
脱線: 近江国
について
近江国は古代律令国のひとつ。古事記には「近淡海(ちかつあはうみ)」、
「淡海(あはうみ)」と記載されている。
遠江国 (=遠淡海、とほつあふみ)が遠い浜名湖畔にあるの対して、
近江国 は近くの琵琶湖畔にあることから命名された。
なお、浜名湖は、古代には淡水湖であったが、1498年の 明応東海地震 津波で
海に繋がったことを忘れてはならない。ということは、ここは大地震に将来遭遇
する可能性が高いかも知れないと、歴史認識しよう。 南海トラフ地震!
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Ref. [講演記録] 1498年明応東海地震の津波被害と中世安濃津の被災
新潟大学人文学部
また、大陸から借用した漢字をもてあそんだ日本人は、仮名書きでも遊んでいる。
先人のお遊びで、子孫は頭脳が鍛えられるが、呆け頭には大変な苦労だ!
・・・・・
アナウンサーでも大地震の時など、各地の地名を間違って読んでいて、
地元の人には、くすぐったく感じるものである。
・・・・・
★
(呆けの写経は続く)
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