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御縁をいただいているよびりんさんこと市川社長から、アイルランド土産をいただきました。調べれば、エドマンド・バーク家に由来する紋章とのこと。私、エドマンド・バークなる人物を全く知らなかったのですが、イギリスの政治家・史論家となっています。しかし、名言集をみると、なかなかいいこと言っています。Webから引用したエドマンド・バーク名言集>偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。それには費用もかからず、想像力以外の何の苦労も要らない。>忍耐は力の発動よりも目的の達成に資する。>決して絶望するな。たとえ絶望したとしても、絶望のうちからはじめよ。>祖先を顧みようとしない人々は、子孫のことも考えまい。>弱者の譲歩は恐怖のそれである。>我々が人間の心に発見する最初にして、最も単純な感情は好奇心である。>悪い人々が結託するとき、善人たちは団結せねばならない。>変革の手段を持たない国家は、自己保存の手段も持たない。>迷信は弱々しい心の宗教である。>知性は素材を生みだすことは出来ない。素材は自然あるいは偶然の賜である。 知性が役に立つのは、その素材をいかに信用するかという点にある。>公の災害は力強い平等論者である。エドマンド・バーク私の手元にやってきた紋章ピンバッジ。これも何かの縁、大切にしよう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月30日
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「いつもニコニコしていますね」「全く苦労していないみたいですね」・・昔からずっと言われてきました。そんなことはありません。それはそれはいろいろありました。泣きたいこともギブアップしたくなることも山ほど。リング上で仰向けにノックダウンして、そのまま白旗上げて逃げ出したい状況であっても、生きる為には自ら起き上がらなければなりません。誰が助けるでもなく、人生を助けていくのは自分自身なのです。やはり逃げてはならない。悩みや困難は、まるで人影そのものです。逃げればいつまでも追っかけてきます。前に立ちはだかる困難や障害、足踏みしたくなるような状況。大上段に構えられた太刀には思い切って懐に飛び込むことです。さすればまた、突破口も希望も見えてきます。自ら立ち上がって再び前を目指す姿勢あってはじめて、多くの援助者も出てこようというものです。人生路というものは、逆境下においても地に足をつけ、前を向いて堂々と歩いていくものでなければなりません。決して他人に迷惑をかけ、ぞんざいに毛散らかす様なものであってはならないのです。笑顔で歩む誠実で丁寧な人生に、幸福は寄り添うのです。土曜の朝、植物の水を入れ替えるのが私の役目です。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月29日
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早朝、はたとあれこれ想いが湧き上がり、床の中で一気にiPadに書き連ねていまう。これが私のブログパターン。今日もつい?が湧いてきました。そもそも此の世に於いては、苦しみや身体が感じ取る痛みなど存在しないのではないか。苦しみや悲しみ、人間間における憎悪、争い、そして身体的痛みは、超リアリティー性を持った仮想現実に過ぎないのではないか。但し、美しいものに触れて起こる感動や喜び、感じ取る悲しみ憂、良心側に立った心の傷みは全て真実であろう。舞台や映画の劇中においては、観る側には、感情移入されながらもまだ仮想と現実に立っている。The Endとともに暗い館内から外の明るみに出て、いつもの我の現実に還る。此の世においては、ロングランの舞台を生きるようなものかもしれない。人は全て、劇中の中に生きている。悲喜劇、家族、関わる人間、争い、問題提起、感動場面・・誰もが、その立ち位置からすれば主人公であり、どのような関わりであれ、特別な関係者となる。眼前に現れる必然的事象と必然的縁。ひとつ違うとすれば、台本は、監督から渡されたものではなく、自ら選択に関与できたものだということ。場面を観て、悲しみと喜びに涙する。この時、心の針が触れる良心側の観客席が現実なのだろう。超リアリティーな劇中においては、目的と強い想いをもって手にした我の台本(課題)に我を見失い翻弄されてはならない。劇中の悪に本当に塗れてはならない。なかなか解決しない人類の舞台劇。良心の観客席側を忘れてはならない。如何なる困難な時にも、良心の現実を放棄してはならない。私は全ての宗教に興味を持ちません。真理は、それらをいとも簡単に超えてしまうでしょう。2012.9.27ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月28日
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昨夜は友と角打ち屋で飲みました。飲み過ぎましたが今朝はしっかり早出しております。今、イ・ムジチ合奏団のモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を聴いています。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月27日
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世の中益々混沌として、暫く平穏な時代を生きてきた我が国も、いよいよ不穏な中に曝されることになってきています。平和を維持するのは大変だ。江戸幕府260年がたいしたものだと思ったりします。足るを超えない穏やかなる人間は慎ましく平和な中に生き、足るを知らない人間は、ブルドーザーで隣家の垣根までなぎ倒して突き進み、多くを傷つけます。個人レベルから国家まで、他者を顧みない間違ったエネルギーによって翻弄されるのは、いつも平和に今日を生きる優しき人々なのです。多々憤りを覚える日常の人間関係も世の不条理も国家の愚かさも、遅々として進歩を見ない人類の魂の成長。果たして此の世には、どうにもならない数々の不条理と幸不幸の不公平が存在し続けるのでしょうか。人間、成長の為に課題としての不条理はあっても、真の不公平など此の世に存在しない。何故なら、こう考えなければ全てが解決しない。今日までにおける人類史を観ながら、そして世の現状を鑑み良心に照らして私の疑問を払拭してくれるのは、此の一点に尽きるのです。「此の世に真の不公平など存在しない」詰まるところ、どの様な状況下にあっても、希望を棄てず、心ある人達で、前を向いた良心の培養をしていくことです。良心の連鎖こそ、天は大いにほくそ笑んでくれるでしょう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月26日
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気がつけば昨日は、此の日記を書き始めて丁度2000件目でした。丸八年です。今日まで書き続けよう思って書いてきたわけではありません。八年、二千件を、今から書こうと思って書けるものでもありません。拙いながら日々の事や想いをつらねながら、振り返れば其処に自身の事実が残っていたということになります。人生もまた同じです。当初、周りには沢山いたブログ人も、一人抜け二人抜け、今では馴染みの人は数人程度。Facebookも、巷では早、その効果を疑問視しされ、飽きられてきているのだとか。皆は何をどう期待しているのというのでしょうか。例え営業効果を期待しているのだとしても、早々容易くいくものではありません。それは何事においても、使う側の土台部分がしっかりしていなければならないということになります。全ては手段のひとつに過ぎないのです。ある日突然、これらSNSの世界が無くなったってあたふたすることもありません。はじめは無だったのですから。もらった見合い写真の相手が飛び切り美男美女で、経歴もいうことなし・・しかし、会って付き合ってはじめて分かる部分は多々あるのです。形だけ整えてもだめなのです。家庭においても、門構えの中に各々家族の形態があります。企業にも、事業規模とは別にその会社の姿勢というものがあります。成人した子はいつまでも親に甘えることなく、早々に親離れし自立しなければならない。個人における自己確立。いつまでも流浪人であってはならないのです。何をどう考え何をしているのか分からない。これでは信用など生まれるはずもない。先ずは、我の着実な小さな一歩の土台作りです。先を急いだ造成地は地盤沈下の恐れを持ち、時間をかけ少しずつ固めていったものは強固です。楽する一足飛びの人生より、一歩後退しても希望を持って二歩前進する人生のほうがよほど幸福に巡り会えるチャンスは大きいかもしれませんよ。此のブログだって、気の向くまま・・二千記事は全てありのままの自分。此の先を特段考えることもありません。ひょっとして気がつけば、十年過ぎ十五年過ぎ、三千記事、四千記事を書いているかもしれません。全ては事実の積み上。振り返れば・・人生なんてそんなものです。とりあえず自分で祝おう 祝!丸八年、二千記事 (^^)ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月24日
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今日はこれから事務所で独り静かにお仕事です。来週は忙しそうです。今日の写真ですランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月23日
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友人から私のブログに、有り難きコメントをいただきました。>nextさん 日記を拝見しいつも思うのですが、北道院で車座になって、法話をしていた時と同じで少しもぶれてないですネ。本当にきちんと、地道に真面目に生きていく姿勢がまったく変わっていないと感心しています。秋の夜長人生について語りたく・・<彼とは、かれこれ三十年以上も前、少林寺拳法の道院でほんの一時を共にしたことがあるのです。その後私は道院を離れ、彼とは、此の方数度会うことがあったかどうか。それがひょんなことから昨年再会したのです。とにかく久し振りでしたが、彼は昔の面影そのままでした。世代は同じながら、当時、道院では私が少し先輩だったか。自分自身に対しての記憶はあっても、周りの中の私がどうだったのかは定かではありません。練習の後、我々は車座になって、人の在り方などをあれこれディスカッションするのです。離れて三十年以上。今でも当時の仲間からはよく声を掛けてもらいます。この道ではペイペイだった私が、その後も事あるごとに、先生方や実績のあるOB、現役の人達と交わる機会を得ています。実に有難い事です。なんで私が、先生と呼ばれる人達の輪の中にいるんだろうと思いつつ、そんな場でも私は堂々と言うのです。「皆さんのように華々しい実績はないけれど、私は人生における段を積み上げてきたつもりです」と。例え、空手のように、脛でバットをへし折ろうと、頭突きで厚い氷を割ろうと、ボクシングのチャンピオンであろうと、横綱であろうと、やがて体力は低下し、皆年老いていくのです。生命は循環する。スポーツでも芸術においても、はたまた仕事においても、その道に真摯に対峙した先輩達には敬意が払わなければならないし、当人においは、陰日向ない誠実な生き様が大切なのです。例えば、ガッツ石松さんや、具志堅さん、内藤さん、魁皇関・・彼らがいくら年老いても、へらへら笑っていようとも、分かる人は、彼らが辿った途の重みと人柄に畏敬の念を持つものです。学歴、肩書き、地位、体力、権力、財力だけにすがった人間は、やがてはただの人。「道を極めるのもいいですが、私のように世間を多く知りながら生きるのも必要ですよ」等と、私は時々先生方の前であからさまに言うこともあるのです。勿論私は、皆さんに尊敬の念を持って交流させていただきながら。久し振りに再会した友は、六段となり門下生を指導しています。素晴らしい。私は、誠実なる彼との「縁ある再会」を、これからも大切にしていきたいと思うのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月22日
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起業してからというもの、なりたくてなった経営者ではなかった私は、数々の課題に直面しながら、それらをなんとか克服しようと様々な研修に参加したり、経営者の会に入ったりもしました。それぞれその都度勉強になりながらも、やはりスキルアップには相応のエネルギーが必要です。人によっては、その内容が合って更にスキルアップしていける場合もありますし、ついていけずに落伍者的疎外感を強く持って本来の自分を失ってしまう人もいたりします。私も、多くの素晴らしいエネルギーとスキルを持った経営者達のなかで、多少なりとも疎外感を持った一人です。また、多くの経営者に会いながら、経営者の魅力が事業規模と一致しないことも分かりました。やがて、そういったスキル面でもがくのを止めようと思ったのです。そもそも経営の才覚など他の人に遠く及ばない。競い合うのも苦手です。で、私は、経営云々という、経営者としての「刀」を下ろしたのです。そっと刀を傍らに置くと、随分と身軽です。そうだ!無手勝流でいこう!(^^)心軽やかに、信ずる処の事を為し、成り行きは天に任せる。我が身を天に預ければ、あるのは爽やかさだけです。精神支柱の太刀は心に留めておく。これでよかろうかと。武士が腰から刀を外したとして、武士は武士であるのです。腰に差すのは、竹光だって一向に構わない。青空に浮かぶ白い雲は、何事もないように、今日も悠々と流れています。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月21日
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「今月はここまで売り上げよう」「今期の目標額は幾らでこう儲けよう」・・私、全くといっていいほどそう考えることはありません。売上目標のない会社なんてアウトですね。勿論、経営採算ラインは捉えながら、社内で常に言っているのは、「信頼される良い仕事をしよう」「良い人と付き合おう。縁が円を描いて縁を生む」「自分の成長に相応しい縁ができる。だから昨日より今日、今日より明日、自らをレベルアップさせよう」「お客さんには手間暇惜しまずしてあげよう」「相手にとって何が得策かを考え、そうでないものは例え儲かろうとしてはならない」「良心に沿った無駄は大いに結構」「失敗してもいい。誰の所為にすることなく先ずは自分が悪いと思う事。謙虚に反省しなければまた同じ失敗を繰り返し、失敗を歯がゆく思えば、気づきとなって次に活かせる」「とにかく良い仕事をしよう。日々勉強しながら成長でき、良い人と交り給料貰える。最高じゃないか」小さな会社は、社長の経営に対する性根なく、こんな漠然とした中に生きています。まるでヨットです。巨艦は真っ二つになる恐れがありますが、ヨットは嵐にひっくり返っても、また元に戻ったりします。ただ、ヨットはヨットでもエンジン付きにしなければなりませんが。向こう岸に行くために、人財も募集中。大切なものが共有できれば、細かな規則は不要。昨日、弁護士さんから相談を受け、専門的分野を少々アドバイスして差し上げました。我々不動産業者へのお客様からの相談は基本的に無料。しかし弁護士さんはしっかり相談料があるのですね。で、一時間ばかりの回答で、「結構です」と言うのにちゃんと対価をいただきました。目指すはこの部分かな。敷居低くとも正当な対価を貰えるようになればいい。様々な相談案件はこちらを成長させてくれます。その分をまた次の人に還元できます。これはじつに有難い。弊社の女性社員は、相手が大企業であろうと堂々と相談に対峙できるようになっています。「親切の先出し」「誠実な情報の先出し」売上云々よりこれが大切。気がつけば活かされているのです。決して高みからの横柄でなく、お客さんも選んでいく。予約制にでもなればいいかな。基本は、相談者もこちらも誠実であること。誠実な相手であれば、ひと肌もふた肌も脱いであげる。貴重な人生時間を、縁ある人に注ぎ込んであげること。さすれば、悦びの中に生きることになるのです。もう売上目標など、どうでもいいのです。昨日も「あなたは他の人とちょっと違うね」と言われました。同業者からも言われたりします。確かに、誰とも違うかもしれません。私は私なのです。他所は全く気になりません。但し、良いところはどんどん見習います。スポンジの様に、素直に吸収しながら・・信頼の我が心で、加減をもって押し出したり含んだり。「とにかく良心に従っていい仕事をしよう」我の観る目に自信あり。我の生き様に自負あり。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月20日
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写真家さんからご自分の写真集をたくさんいただきました。この方は、会社勤めをしながら趣味としての写真を取り続け、今では写真家として周知されています。写真集をめくりながら、私は、「なるほど、写真家なんだ」と、改めてそう思ったのです。楽器を弾ける人は多くいても、「演奏家」と言える人は少ない。ピアノを弾ける人を全てピアニストとは言わない。随分とカメラの性能は良くなりました。誰が撮っても綺麗に写せます。しかし、ただ単に綺麗と感動するものとは違うのです。写真に「その人ならでは」が存在している必要があります。誰とも違う個人。その人自身が投影されたもの。やはり、芸術というのは、技巧はもちろんのこと、心に内包する部分が重要であるようです。それは創ろうとして創れるものではありません。だから面白い。誕生したばかりの写(シャ)ガールだって、心豊かであれば、高級機でないコンデジやミラーレス機で、その人ならではの感動写真が撮れるでしょう。であれば、十年選手よりその写ガールの方が、写真家に近いのです。人生においても、誰とも違う「あなたならでは」を大切にしていきましょう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月19日
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暴動を見ても政治を見ても、人間は、その誕生から21世紀の現代に至るまで、文明の進歩に比して、その精神は何ら発展を見ないままのようです。その日一日を、家族を守って食うに足りた紀元前、文明の祖に生きた人間とどう違うのでしょう。21世紀を経て、人の心は尚この有様です。昨今の状況をみて、私は時々「ファミコン、ゲームが悪い」と、半分冗談、半分本気でいうことがあります。進歩と物質の氾濫は、精神を軽々なものにしてきたようにも思えるのです。テレビの液晶画面は綺麗です。しかしプラズマ方式の方が質感と深みがあります。それよりもあるのが実はブラウン管なのです。まだ言えば、鮮やかで綺麗だけれど平面的に映る液晶より心に残るのは、皆が驚いた白黒画面のテレビの登場でした。見る側は、白黒画面の中に色を読み取ることができたのです。数々の便利性とともに、驚きと感動を忘れた人間の心は益々平面的になり、心のひだを形成されることなく子は大人に成長し、人としての奥行き感を遠ざけてきたようにも感じます。人生の全てを我に終始する。生まれた時から平坦を歩き、誤った個人主義が蔓延する世の中。成人になってもゲームに夢中な世の中は、仮装と現実の狭間で自ら希望を見失い、大局観に立つこともできない。文明の発展と裏腹に、人類の精神はなんともお粗末です。まるでハムスターの回し車の様な人間社会。世界の権力者はもとより人は、一歩喧騒の外に離れ、この人間というものを見つめてみようではありませんか。なんと、木戸孝允(桂小五郎)幼年期七、八歳頃の書です。これは少年期十一歳の書。素晴しいですね。朱書きで「天晴見事見事(あっぱれみごとみごと)」と評価されています。故郷の先輩達に、あっぱれ!物質的便利さのない時代。しかし、そこに生きる人には、大人も子も「凛」とした部分がありました。大切なのは、世を想い人を想い、大局観に立った気高き精神か。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月18日
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世界的に見ても国というものは、紡ぐ歴史の中で戦争のない平和であった期間の方が少ない。我が国においても、第二次世界大戦終結後から今日までの平和というものは、たかだか七十年にも満たないのです。出口の見えない紛争地帯も、保って一世代限りの平和も、人類はなんともか細い善の中に生きていると思わせます。一個人の利己主義と我欲は、国家においても、権力集中のなかでまま増幅され、あらぬ方向へ流れていきます。家庭においても様々な組織においても国家においても、その運営はそれらを司る個人の心の資質に因るところが大。自己利のために、あわよくば他人の芝生をも侵害して我のものにする。市場経済における企業も個人レベルにおいても、過ぎた我欲は、法に抵触するかしないかの線上を行くことがしばしば見受けられます。バブル崩壊もまた、多くの人が我を忘れ、地につかぬ利得に夢中になった結果です。国家間においても、提起された問題は冷静に精査されるべきでしょうが、過ぎた我欲は一歩下がって立ち位置を変えてみることをしません。善も悪の心も持ったのが人間ですが、残念ながら、マザーテレサやガンジーの様に特別の魂は別として、広く一般には、自分の生活が担保されてはじめて、理性を保ち他人のことまでを考える心の余裕を持ちます。社会形成において決して独りでは成り立たない個人は、自らを確立させ、自他共栄を図りながら、成長と希望のある平和な世の中に生きることが理想でしょう。けれども、日常生活における小さな領域から国家間まで、利害は時に激しく蠢くのです。良いところも悪いところも、世を動かすエネルギーは個人の欲求から発せられるものであり、時代の成長と変化の歴史は、その時折のそれら強いエネルギーを持ったリーダー達によって牽引され、刻まれてきたのも事実なのです。そもそも穏やかな心を持った多くの民は、他人に対して 無理難題、力任せの傍若無人な振る舞いには至らない。どの国においても、時代を生きて来た市井の多くの人達は、いたって平和に生きる人々であるでしょう。歴史に名を残すものが偉いとは限らない。片田舎に生きる人の笑顔に溢れるばかりの幸せを感じるように、高貴な精神を持った人というのは、案外その辺にいる目だたぬ人なのです。強引で暴力的な光景に、善なる心が揺れることなく、違和感を抱かない人間と国家というのはどうだろう。これらを鑑みても、今更ながら、地位も肩書も育ちも財産の多寡も学歴も、国の権力者も、人の心の資質とは正比例しないことは明白なこととなります。良心に照らすことのできないそれらは、世の役に立つことはないのです。宗教においても、暴力的で排他的なものは真理から遠ざかるのです。世界における善なる人々は、争いなく他人の垣根を壊すこともなく、心穏やかに今日という日を慎ましく生きています。善なる良心と十分な想像力をもってすれば、悠久の人類史に立って、数々の反省や人間の愚かさも愛も、過去から現在を貫いて容易く是々非々の判断をできるでしょう。あるいは、遠く離れた宇宙空間からこの地球を見下ろしてみればいい。なんともちっぽけな、個人と国家が見えてくる。原発にしてもしかり。解決を見ないまま、三、四十年もすれば現在の責任者などいなくなる。専門的な人間も育てられないまま、この少子化の中で、目処のつかない大きな負担をしいられるのは何の責任もない子達。それでも、信じたいのは、騒々しさの陰に隠れて今日も笑顔で善に生きる、真理に近い世の人達。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月16日
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昨夜は、写真家ご夫婦と弊社社員と私の四人で愉しく懇親しました。美味しい料理とお酒の次は、ジャズライブを聴きに。その後、ワインバー、そして、是非行ってみたかった角打ち屋さんへ。ビルの階段を下りて扉を開ければ、そこには極上の空間がありました。角打ちうえだこの空間、はまりそうだ。成功している人に共通しているのは「行動力」と「まめさ」かな。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月15日
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会社には風通しの良さが必要です。冗談や言いたいことを言い合える環境が大切。人が気軽に出入りでき、コーヒーの一杯でも飲んで一休みして帰る。常に笑いが満杯の会社でなければなりません。社長は社員に対して、誠実に本音で対峙する。バトルも時に大いに結構。厳しく叱責注意した後、また飲んで語って楽しくやる。酒の席では一切仕事の事などグチグチ言わない。社員が、気晴らしに社長をああだこうだと言ったって結構。本当の悪口、陰口にならなければいい。また、社長は、周りにどう批評されようと、恥じることのない堂々の人生、そして経営姿勢をもっていなければならない。社員が、職場に誇りをもてる環境でなければならない。同業者にも歓迎され、快く付き合ってもらえ、恥をかくことのないようにしてやらなければならない。教師が生徒をぶん殴ったって、其処に愛情があれば、それを暴力とは言わない。事実、田舎に行くと、そんな教師と生徒の愛情が常に交錯している光景がいたるとことに見られるでしょう。事業規模や高給で人心を留めておくことはできません。人の心は流れる。だから面白い。縁に一喜一憂しない我の構築が、何にもまして大事。さすれば、日々の誠実さは、投げたブーメランのように、縁が円を描いてまた我に舞い戻ってくるのですから。今夜は、弊社がご縁をいただいた、北九州大好き人間の写真家、小川裕司さんと一献傾けながら楽しく過ごします。PORT MOJIランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月14日
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「益々頭が薄くなって・・」「相変わらず短足で・・」「何ですか、そのフグみたいな顔して」「あっ!あれ!あの顔写真、社長ですか?」↑誰が誰に言っているのでしょう・・さて連想ゲームです。ふぐ~だるま・・一昨日、十七八年前に我社で働いていた女性パートさんが突然やって来て、私のことを言いたい放題。後方に飾ってあった、昔、お客様にいただいた手描きの達磨大師を指差し・・「社長の顔ですか?」(^^) と。社内に居合わせた、まだ面識間もない現在社員を前に、言ってくれるは言ってくれるは・・^^;「あの頃はまあ、よく頑張ったね」「うちのお陰で子供も養えたじゃないか」(^^♪「ほんと安給料でね」「皆も騙されたらいけませんよ」「給料そのまま、時々お菓子買ってくれて騙されるんですから」(^^)「あのね。言いたいのはそれだけか?お茶飲んだらとっとと帰ってね」^^;代々、我社では、社長を社長とも思わない傾向があります。雇われている者が社長に言う言葉でしょうか・・ 私の写真で踏み絵実験すると、多分に踏むおそれあり。他所の国だったら銃殺刑ものだ。全くもう。^^;社員は大笑い。「明るくていいじゃないですか。一週間分笑わせてもらいました」(^^)それにしても、「ふぐ」と初めて言われたな。全くもう!トホホの元社員だ。しかし、退職してからも、時々お客さんを紹介してれるのです。★さてここでクイズ。本当の私は、下記の内どれでしょう?見事正解の方には、豪華客船でいく世界一周の旅パンフレットを差し上げます。ふるってご応募ください。(^^)ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月13日
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デビュー作「西郷札」や芥川賞受賞作「或る『小倉日記』伝」を執筆した松本清張の旧居を、縁あって現在所有者さんから預かっています。借りていただいている会からは、定期的に会報が届きます。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月13日
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趣味や想いを自己表現できる場のSNSの世界。人間は誰しも自分をよく見せようとします。飾る部分もまた自分であるわけです。「そうありたい」「ああありたい」 仮想の世界は、多分に自らを繕っていく部分があります。又、見る側によっても増幅された想像によって勝手に相手を作り上げてしまいます。互いに想像の世界で作り上げたものが、さて実際に思い違いであったことに気付き、大きく落胆もするわけです。現実同様、傍若無人な身勝手も、人の心に土足で入り込むようなこともあったりします。想像の世界に夢見た人ほど、心傷つくのです。実際に会って初めて、相手の人なりを判ることもあります。友達なども、その辺を考え、ゆっくりいくのがいいでしょう。私の知る限り、自分の所在が前面に出たfacebookなどは別としたSNSの世界に遊ぶなら、仮想と現実を捉えて付き合うべきでしょう。広く知れた人や、信頼の下に相手からくるのはともかく、やたら友達人数が多い人も?と思わせることがあります。見ているとそれぞれのやりとりも軽々。返事が全ての人にコピー&ペーストなようなものであったりと。どうも自分の都合が優先しているようでもあります。不思議と、人間はその人に相応しい縁で人生を創りあげられます。誠実さや信頼できるかは、文面でおよそ判断できます。きちっとしたひとは、やはり丁寧です。それらを考えながら自分の付き合う人を選択すればいいいでしょう。気楽に楽しみながらも、心の高みを持つ人との交わりは、自分の人生をも豊かにしてくれるでしょう。個性はそれぞれです。判断は、誠実さや考えが、善なる良心に従い、一貫していること。堂々としたその人の存在。私は、中立、当たり障り無くの人も好きではありません。いわゆる傍観者的。一見分かったようであっても、ある面、八方美人で無責任とも思えます。会社においては、部下に優しく、上に何も言わない保身の上司。社費は使うが、身銭を切って部下に奢ることもない。いざとなれば、自ら前面に立ち、部下をかばうことなどまずありません。自己主張が強くてもいけませんが、やはり真の責任者が信頼に値するでしょう。例えば、コミュの管理人等、使われてきた人と、責任ある立場に生きた人との違いも出たりしますね。自己中心でなく自己犠牲ができるかどうか。何がいいか悪いかということではなく、人間は十人が十人に好かれることはありません。人の観方に信頼の自分自身を構築し、合わないとすれば、そっと離れていくのも良しです。特に年重ねてくると、余計な人間関係に煩わされる人生時間がもったいない。せっかくの人生を、是非心豊かにするために、このSNSを大いに利用し、素晴らしき人と出逢っていきましょう。最後に、ブログもSNSも、運営者は商用を意図したものであるのは当然のこと。ある日、突然サイトが打ち切りということもなくはありません。我々は、軒下を借用している身です。有難く利用させていただきながら、万一なくなっても一喜一憂しない。気がつけば、これまでブログを二千記事書いてきたことになります。これらを保存などしていませんが、今日突然全て消えたとして、コツコツ書いてきた事実は、私の中にしかと残っているということです。其処です。人生のワダチがどうであるのか・・自分の人生を、自信を持って振り返ることができますか?ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月12日
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仮装と現実が交錯するSNSの世界。但し、Facebookは除かれるでしょう。Facebookを始めて間もない私ですが、これは実名を出しての堂々の交流がなされています。個人というものを少し伏せ、仮名で交流することが悪いわけではありません。人間は誰しも、例えば仮装することによって恥ずかしさを抑え大胆な演技ができるように、内在する心を解き放つことができるのです。社交的も内気も、日々の喜びも悲しみも悩みも、趣味をはじめとしてそれぞれの想いを、仮想の中で大小なりとも表現できるようになるのです。これまで表面だけで捉えがちだった個人というものが、実は海面に見える氷山の塊が、その下に隠れた大きな部分の如く一部分であるとのと同様、個人においても大半の真実が内包されているのだと気付かされるのです。閉じ込められていた心を少し開くことによって、誰もが持ち合わせている個性というものに、明かりを差すことができるのです。人は誰しも自分の心を表現したい。例えば、自己表現できる音楽プレーヤー、映画監督、各クリエーター等々。ピアノが弾けたらいいな。絵が描けたらいいな。出来る、できないに係わらず、個人の想いの深さは、プレーヤーを凌ぐこともありえるのです。その想いと表現の乖離に、もどかしさを多々感じたりするのです。自己表現・・それら輝く想いを、つい日常の喧騒の中に、いつしか心を閉じ込め、せっかくの個性を押し殺しているのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月11日
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今日のブログやSNSの発展は十年余りを経てきました。ネット社会のお陰で、これまで知り合うこともなかったであろう遠隔地の人とも、出逢って交流することができます。たかだか七十年の人生において知り合う人の数は凡そしれています。それがこうして垣根無く多くの人との出逢いを実現してくれるわけです。これらの何が良かったか。世の中には、それぞれにきらめく沢山の個性が存在する。若い人も年配者も、男性も女性も、「個性」が活きている。我々はつい他人を表面だけで捉え、その人を判断しがちです。しかし、数々の趣味、仕事、喜び悩み、見識、人生観等々を垣間見てくると、はたと気づかせる部分や素晴らしい才能をもった個人に驚き、人間は皆、誰とも違うかけがえのない自分というものを、此の世に授かり生きているのだと改めて思ったのです。人生事情も様々。私は、他人の好き嫌いが強い方。国民性の違いへの好き嫌いも強い。最も大切とするところが合わないと我慢ならないところが多分にあります。仕事においても、パパッと判断してしまい、縁に一喜一憂しない。地位や肩書きにも惑わされない。この人と付き合えば・・損得は、あくまで人としての在り方であり、付き合ってこちらが心豊かになれるかどうか。これまでも多くの良い縁に恵まれ、特段自分の力も才能もないまま他人に活かされて今日までやってこれたのは、その私なりの良い人の判断に自信を持つからなのです。私の判断する良い人。それは、犬が犬好きを分かるようなものでしょうか。その部分が違えば、相手に地位や権威があり、儲からせて貰えるようであろうと近づきもしない。人間には人としての大切な部分が必要。しかしながら、自負する他人の判断だけでは視野広く心広いとはいえません。欠点多く人間的にもできていず、好き嫌いの拘りの強い私が、此のSNS等によって目からうろこが落ちるように多くの個性に触れることによって、人間そのものに対して多少の受け入れと優しさを持つことができるようになった気がするのです。私はこれまで紆余曲折の人生路を歩んできました。心の葛藤も数々。その中で、今もつい目がいくのが、華やかなスポットライトを浴びて生きる人より、裏方であり、日の目を見すとも、陰日向なく誠実に生きている人。誤った個人主義、過ぎた自己利が蔓延する世にあって、やはり誠実は基本。その誠実さあって人の心は動かされるのです。いずれにしても、私なんぞよりずっと素晴らしい個性と人間性を持った人が此の世には満載。しかもそれは、学歴や肩書きや地位を離れた部分で存在する。それが嬉しいですね。多くの輝く個性に出逢って、私も少しは、他人に対する優しさと愛おしさを持つことができたでしょうか。それがこのコミュニケーションの世界。交流の中で、人は人に、今日を助けられているかもしれません。年老いても、生き甲斐と輝きを保てているかもしれません。そういうことからすれば、ある面、ノーベル平和賞的に世に役立っているかもしれないのです。人は決して独りではない。今日の貴方が、遠く離れた他人の今日を勇気づけ、心折れそうな今日の貴方を、他人の一言が救っているかもしれない。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月10日
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SNSの楽しみ方をお話ししましょう。(S)ソーシャル (N)ネットワーキング(S)サービス私は、楽天ブログを九年やっています。初期は他にココログやgooなど数点のブログサイトがあり、その後アメブロ、ヤフーブログなどに広がっていきました。楽天ブログも当時は随分と多くの、そして個性的なブロガーが沢山いたのですが、その後辞めたり他に移ったりとして、現在は書いている人も少なくなってきたようです。商用的な部分が目立つとしながらも、見易さコメのし易さで、私は結構気に入っています。当時は早々たる人気ブロガーによって賑やかで、今のFacebookのように実名を出し職業を出しての、堂々としたブロガーも多くいたのが楽天ブログです。いずれにしても、分散したり辞めたりと、馴染みの人がほとんどいなくなったのは寂しい限りです。そんな中で、長く続けている人というのは、やはり信頼に値する側面をもつということでしょう。それは、おそらく仕事においても他の面においても、その人はそうであろうと思わせるのです。何時も其処に、変わらぬその人の存在がある。何となく安心しますよね。プロフィール画面も度々変わる人と一貫している人。いろいろです。さて、いわゆるSNSというのは、mixi、趣味人倶楽部、Facebook等、積極的交流を目的としたサイトだろうと思います。仕事においても現役、実名を出してのFacebookと違い、ニックネームで呼び合うSNSは現実と仮想の中に遊ぶことになります。楽しみ方はそれぞれです。日常のいろいろなことを離れ、気の合う仲間や同感する人を見つけホッとする。地域を超え、本来なら出会えない人達と知り合うことができる。遠い昔の先人達は、出会いを求め見聞を広めるために、千里の道を東へ西へ、自らの足で訪ねたのです。それに比べれば何とも有難い世の中です。私が直接面識を持ち、初期からコツコツ続けられている楽天でのブロガーは下記のような方達。実名、顔、生業もはっきりし、本人の考え、生様等々、堂々の一貫性があります。よびりん人生大学亞さん人力屋神谷商店さん鍛冶屋の息子さん栢野克己さんランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月09日
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昨日は、ビアガーデンで開催された、地区の同業者による懇親会に社員と共に出席しました。隣席の先輩社長から「貴方のところの社員さんは、飲みの場でも活き活きとしておられる。仕事においてもさぞ充実しているのでしょう」「よく教育しましたね」そうお褒めの言葉をいただきました。我が社は歴代、有難きかな優秀な社員に恵まれてきました。パートさんであっても、どこのパートさんより優秀に育てる自信があります。何でもさせるので、多くを覚える事ができます。募集しなくとも、社員はいつも向こうから雇って欲しいとやって来ました。採用するのに経験は不要。学歴やこれまでどこでどう実績を残したなどはどうでもいい。商業学校でなくとも、経理などできる。採用に当たっては、誰でもいいという訳にはいかない。ただでもいらない人は要らないのだ。女性も男性も関係ない。できる人はできる。十年いる人より、入ったばかりの若い人が優秀な場合も多々ある。慢心のうさぎより、謙虚に前を向いて一歩踏み出す亀の方が期待できるのだ。気づきの多い人は、例え失敗しても安心していられる。気づきは波紋を描き鳥瞰的に観ることによって更に多くを気づくことになる。柔軟に変化できる人間こそ優秀ということになるのだ。パートさんでも二十歳の子でも、幹部になることはできる。採用に当っては、何より心の所在が大切なのです。そこを十分観るのです。そこを間違えなければあとが楽です。大切な部分が共有できれば、多くの社内規則など必要ありません。良心にのっとって、自分で考え自分で行動する。「いい社員さんを持っていますね」そう言われた私は、「営業力においても人間的においても、私よりずっと社員の方が上です」「私は正直なところ、経営の才覚もなくできた社長でもありません」「人を育てるのも下手です」「ただ、このハートは誰にも負けません」私はいつも本音で社員に対峙しています。時に直情的に激昂し、スポーツの監督やアニマル浜口氏のようにバトルしながら。私は、コーチングなどといった、空々しいスキルの指導はできないし、好きでもありません。粗削りでもいい。本音での付き合いが大切なのです。「貴方たちが他人であれば何も言わない」「この会社にいる限り、ああなって欲しいこうなって欲しいから私は言う」お陰で皆、社員は長くいる。私は、採用前にとにかく私の考えの全てを本音で伝えます。良いとこも悪いところも、自らの欠点も。で、入社して・・大いなる勘違い。「社長ってひどい人!(ーー;)」と思っても、俺し~らない。「ちゃんといっただろ?あの時」「欠点だらけだって」(^ ^)それでもこの会社に入ったあんたが悪い。何事も自己責任だ。爆ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月08日
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SNSの世界は、時に想像空間の中に遊んでいるわけです。私、ブログを始めて九年目になります。拙いものを書き連ねてあっという間に、もうすぐ二千記事を書いたことになります。昔においても、およそ日記というものを一週間以上続けた記憶がありません。今から二千記事を書けと言われても、とうてい書く気にはなりません。気の遠くなる話です。しかし、振り返れば書いてきた事実が。とりとめもなく書きながら・・文面というものは、多少ごまかせたとして、続ける中にでは決して人の本質をごまかせるものではありません。ありのままの自分。想いのたけを綴っていく、というスタンスです。朝方、「はっ!」と想いがつのったかと思うと、寝床でiPadを前に書き連ねていきます。早朝の四時の場合も五時の場合も、はたまたこうして、仕事の合間に書いています。書きたいことは山ほどあって、それが枯渇することはありません。一度にあれもこれもとなって、つい長文になったりもします。誰が読もうと読むまいと、私は私の想いを素直に書いているだけです。ところで、私が書いているブログや、フェイスブックでは、あまりないようですが、いわゆるSNSサイトでの「ミニメール」。これは、便利ですが、使う側によって、多分に誹謗中傷の温床になりやすいとも思われます。私、仕事中に目の前で仕事以外の携帯ひそひそ話が大嫌いです。こそっと席を離れ、陰や外で話をしている。時にはいいでしょうが、それが頻繁なのはアウトですね。雰囲気悪い。人間堂々が一番。女性の方には申し訳ないのですが、あの、大奥的雰囲気も大嫌いです。新入りや部外者、特に同姓にたいする排除的な部分。陰険な目と目で見合い、自分の領域に入ってきた部外者への敵対心がもろに出て。なんとも浅ましい光景を見たりします。大抵その根拠が低レベル。AさんがBさんを誹謗中傷する。私は、誹謗された側の言葉を聞かない限り、聞いた半分だけを捉えておきます。まあしかし、そんなことをするまでもなく、言っている人間を観ればおよそ、その是非が判ろうというものです。いずれにしても、心の運び方が大切です。十人が十人に好かれることはないのです。私等、妻しか応援者はいないかも・・否、その妻からもうんざりされているかも・・トホホ縁についていえば、縁に一喜一憂しないことです。来るものは拒まず、去るものは追わず。これが一番宜しいかと。縁というものは、自信をもって、「魂が引き合う」ものと言えます。いろいろ人間関係で思い悩まれる人は、そんな人達に心振り回されるより、自分の立ち位置をしっかり創ることです。さすれば、人が見えてきます。自分も一緒になって堕ちていくか、心を磨いて、人生を豊かにしてくれる人と付き合っていくのがいいのか。肩書きでも地位でも育ちでも財産の多寡でもなく、心触れて落ち着く人。そのような崇高なる精神を持った人と付き合うのが宜しいかと。私、例えば、ガッツ石松さん、具志堅さん、アニマル浜口さん達と一緒に飲んで語ってしてみたいんです。"話噛み合わなくても心が噛み合う"そうそう、新庄も、あの藤岡弘さんも入れてあげよう。よかったら陛下もどうぞ。魂の格が上位の人達と触れ合えば、人生もまた愉しい。(^'^)ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月07日
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昨日に関連します。幼児から成年となる迄の若い時にこそ、沢山の、心ときめく感動に出逢って欲しいのです。自然に触れ、草花を美しいと思い、巡る季節に愛おしさをもち、動物と戯れ、友達と遊びに熱中する。楽器や音楽の綺麗な音色や調べに耳を傾け、良質の映画やドラマを観て涙する。恋をし失恋をし、書に親しみ、字とその行間を読み取る。読み綴りながら、いつしか浮かび上がる情景。想像力は戦争の怖さや、人間の喜びや悲しも、我がことの様に感じ取れる。やはり、幼子の時から、仮想世界のゲームに夢中し、自己を中心とした、 過度の競争に生きるべきではないと思っています。ゆったりした世界に心を遊ばせれば、情操が育まれます。成年迄に得たその情操部分は、やがて心の養分となって、後の人生を生きる支えとなり得るのです。同時に、社会生活における自他共栄というものに有効作用するかもしれないのです。心の養分は、コブに水分を蓄えたラクダが砂漠を行くように、紆余曲折、時に人生砂漠の真っ只中においても、疲れた我の退避場所、休息場所となって支えてくれることでしょう。例えば人間関係に思い悩む事があったとして、それ迄に出逢った感動や美しき人の心は、決して小説や映画の中のことでなく、事実として、我の心を折れる手前で踏み止ませてくれるでしょう。大切な時期に得た心の養分は、優しき心をもって相応しき人の縁をもたらします。魂の引き合いというやつです。その人の周りを観れば、その人となりが判る。人生は善に寄り添ったものとなり、物質的より遥かに意味ある価値位置で、真の幸福に出逢うチャンスをもつことになります。やがて年老いて、外見は枯れていったとして、瑞々しさを蓄えた内面が朽ち果てることはありません。何時だって、思い出と共に心の懐から取り出せるのです。翻って、乏しい感動で育った心を後で取り戻す事は至難です。若い時に書を読み言葉に親しめば、その後も、難なく文面や言葉をすっと理解でき、親しむことのなかった言葉を直ぐに思い浮かべることができないように。自己利に向いて合理的で無機質な感情は、さして心豊かな思い出もなく、年老いて枯れた外見と共に、感動の蓄えを持たない内面も枯れ果て、何とも寂し限りなのです。永遠の瑞々しさを持つか、それとも、競い合いと自己利を急ぎ、かけがえのない人生路に必要な養分を孕んだ感動を忘れて行くのか。年老いても瑞々しく若い感性に生きる人と、若くしても既に殺伐として無機質で抑揚なく、多くの感動も思い出も持たない人。やはり、人生においては心の財産を創っていかなければなりません。今も、話して愉しく、飲んで有意義、人生経験豊富、間合いをもって心豊かにさせてくれる付き合い人は、やはり、此の感動を多く持っている人なのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月06日
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先日、インターンシップ制度により弊社で研修中の学生さんに尋ねたんです。「これまでの人生で感動したものや事ってある?」「・・・これと言って・・」「例えば、現代の若い人達って、私なんかからすると、溢れんばかりの物や便利性の中に生きてきたんじゃない?」その様な質問をしていくと今の若者達は、物心ついた時には既にゲームがあり、携帯があり、パソコンがあり、進化した家電が当たり前のように周りに並んだ中で生活をしていたのに気付きます。「そうか・・それがいけないんだな」と私。恵まれ過ぎた世の中に育った若い人達。ある面、真面目でいい若者ばかりだけれど、おじさんには画一的で個性に欠けるとも映るのです。「ところで、現代は、不便な物は何一つない満たされた世の中だよね」「その物で言うと、劇的な変化や驚くような物に出遭ったことはあるかな・・」「そうですね。びっくりしたのは、iPadが出た時ですか」「iPad!? iPadでびっくりなのか・・」^^;Next的極論からすれば、そもそもゲーム機なんぞに育てられたのが悪い!となるのだ。爆私は正に「三丁目の夕日」の時代を生きてきました。三十年も四十年も前から、「ひょとしたら、有史上、私が生きたこの時代が最高の時代ではないのか」そう思っていましたし、今もそう考えています。不足の中に生きながら、人が生き生きしていた頃合いのいい時代。小学生の頃住んでいた市営住宅の台所には、大きな釜戸があって、薪をくべて食事の支度をしていました。鎮座したステンレス製の冷蔵庫には、氷屋さんが毎日運んでくる氷の塊が放り込んであった。夏休みのある日、集会所であったイベントは、発売されたばかりの東芝の炊飯器一号機でした。主婦がそれを驚きの表情で囲んでいるのを覚えています。暫くの間、友達と十円、二十円を握り締め通った、唯一テレビが置いてあったお店。やがて、我が家にも白黒テレビがやってきました。それまでは、ラジオから流れる放送に耳を傾けていました。ゲルマニウムのラジオキットがやっと繋がり短波放送が聞けた。小説の行間に場面が浮かび・・想いは野山を巡り・・物も事も、数々新鮮な遭遇が待っていたものです。日暮れまで外で遊ぶ目に、立ち上る炊煙が温もりを持って捉えられました。時代が変わったとして、田舎にいけば、まだ児童も教師も町人も、表情は豊かです。隔世した未開の地に暮らす人々の笑顔が、貧しくて満たされていないとは誰も思わない。際限のない足るを知らない不幸せと、十分に足るを知る幸福。ある面、感動がない社会に生きるのを可哀想とも思います。満たされた中に感動を失った世の中。けれども、いくらそのような世の中であっても、自らその感動に出遭いにいくことはできるのです。つべこべ言わず、目先の勉強を離れ、素早くメールを打つことなど自慢せず、空想を楽しみ、情操の世界を彷徨ってみよう。長い社会人人生のスタート地点まで、大いに心を遊ばせよう。私自身、新しい物好きで、人より先んじて、PCもiPadも扱ってきたけれど、心を持って物を使っているのです。決して物に遊ばれてはいない。原発も、それを司るのは人の心なのです。翻弄されない、主体性を持った自分でいましょう。そうすれば、悦びや感動を見つけることができるでしょう。子供の頃、父親の机の引き出しから失敬した石川啄木「一握の砂」昭和二十六年刊半村 良の「雨やどり」。人情の機微に富んで大好きなシリーズ。まあ、大いに書に親しみ、映画に感動し音楽を楽しむ・・よくよく観れば、人生には感動がいっぱい!まんざらでもないですよ。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月05日
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二十年近く前、煙草屋の店頭や自販機を飾っていた健さん。決して引っ剥がしてきたわけではありませんよ。自販機屋さんか誰かにもらったものです。八十歳になっても、健さんのように、身体も心も背筋を伸ばしていたいですね。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月04日
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車を買い換えた途端、迂闊な一旦停止や駐車違反で取り締まられることが続け様に発生。違反は違反であっても、見れば前後がしているのに、私だけが何故運悪く・・その他、諸々と運が付かない事が多い気がして・・しかしある日、この人ははたと気がついたのです。「この車が来てからろくなことがない」運転すれば、運の悪いことを車内でぶつぶつあげつらい、不満を車に向けていた自分に。そんな主人を運ぶ車は、さぞ嫌な想いをしていたのだろうと。恥ずかしき我が心を、申し訳なさで洗ったその人は、自分の車のハンドルに、愛情をもって小さなリボンをかけてあげたのだそうです。その後、何も起こらなくなったのは言うまでもないこと。此の場合に限らず、同様に思う事は多々ありますね。せっかく与えられた唯一なる自分の身体、そして人生事情。それを、感謝の気持ちを忘れて周りを羨み、卑下して。日々を共にして生きているこの身体と心。自分という存在を自ら否定し、手放してしまったらあまりに「我」が不憫。もっと自分を愛してあげなければ。最大の応援者は自分自身であり、信頼に足る自分にしていかなければ、「人生を棄てないでよ」と、自分が悲しむだけでしょう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月02日
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本日は十時出勤。今、音楽を聴いてのんびりしています。社員は隔週土・日連休休ですが、私は基本的に連休なし。今年はなんと一月一日に管理物件にトラブル発生で仕事していました。酒飲んでいなくてよかったです。夜中の三時に呼び出されたこともありました。で、必要に応じてノンアルコールで心の準備。さて、私は連休をとらない代わり、急遽思い立って阿蘇に行ったり、里山風景の中でローカル列車を撮っていたり、山間の喫茶店で、ソーメン流ししてギターライブ聴いていたり・・突然いなくなることもあるのです。いざ!という時の為に、することはし、集中する時はして、しかし、囚われるのは嫌いで、代わり映えのしない日々であっても、泳ぐのを止めれば死んでしまうマグロが回遊しつづける様に、固定されるのを怖れる私は、死ぬまで自由に魂を遊ばし続ける身でありたいと思っています。リスクと自由の中を生きながら、生きるを満喫しているNEXTです。いいでしょ?(^^♪やはり萩の町がいい。落ち着くな~その心を見通せる、無防備で純粋な先生が大好きです。人間は、裏表なく凛として、純粋な心を持った人が好きです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年09月01日
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