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新政の瓦解後は、足利尊氏により室町幕府が開かれ、足利氏が15代に渡り政治の実権を握った。
7「中先代の乱」
建武2年(1335年)信濃国で北条高時の遺児北条時行を擁立した北条氏残党の反乱である中先代の乱が起こり、時行の軍勢は鎌倉を一時占拠する。
直義は鎌倉を脱出する際に独断で護良を殺害している。尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍の官職を望んだが許されず、8月2日、天皇の許可を得ないまま軍勢を率いて鎌倉に向かった。天皇はやむなく征東将軍の号を与えた。
尊氏は直義の軍勢と合流し相模川の戦いで時行を駆逐して、8月19日には鎌倉を回復した。
中先代の乱 (なかせんだいのらん)は、1335年(建武2年)7月、北条高時(鎌倉幕府第14代執権)の遺児時行が、御内人の諏訪頼重らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱。
先代(北条氏)と後代(足利氏)との間にあって、一時的に鎌倉を支配したことから中先代の乱と呼ばれている。また、鎌倉支配が20日余りしか続かなかったことから、 廿日先代 (はつかせんだい)の異名もある。
鎌倉幕府滅亡後、建武の新政により、鎌倉には、後醍醐天皇の皇子の成良親王を長とし尊氏の弟の足利直義が執権としてこれを補佐する形の鎌倉将軍府が設置された。
しかし建武政権は武家の支持を得られず、北条一族の残党などは各地で蜂起を繰り返していた。北条氏が守護を務めていた信濃国もその1つで、千曲川(信濃川)周辺ではたびたび蜂起が繰り返され、足利方の守護小笠原貞宗らが鎮圧にあたっていた。
1335年(建武2年)6月には、鎌倉時代に関東申次を務め、北条氏と繋がりがあった公家の西園寺公宗らが京都に潜伏していた北条高時の弟北条泰家(時興)を匿い、持明院統の後伏見法皇を擁立して政権転覆を企てた陰謀が発覚する。公宗らは後醍醐天皇の暗殺に失敗して誅殺されたが、泰家は逃れ、各地の北条残党に挙兵を呼びかけた。
信濃に潜伏していた時行は、御内人であった諏訪頼重や滋野氏らに擁立されて挙兵した(『梅松論』)。時行の信濃挙兵に応じて北陸では北条一族の名越時兼が挙兵する。
時行勢の保科弥三郎(保科氏)や四宮左衛門太郎らは青沼合戦において守護小笠原貞宗を襲撃し、この間に諏訪氏・滋野氏らは信濃国衙を焼き討ち襲撃して、建武政権が任命した公家の国司(清原真人某)を自害させる(『太平記』)。
ところが、京都の建武政権は当初、反乱軍が時行を擁しているとの情報を掴んでいなかったらしく、京都では当初反乱軍は木曽路から尾張国に抜け、最終的には政権のある京都へと向かうと予想(『梅松論』)したために鎌倉将軍府への連絡が遅れ、それが後の鎌倉陥落につながったとみられている。勢いに乗った時行軍は武蔵国へ入り鎌倉に向けて進軍する。
7月20日頃に女影原(埼玉県日高市)で渋川義季や岩松経家らが率いる鎌倉将軍府の軍を、小手指ヶ原(同県所沢市)で今川範満の軍を、武蔵府中で救援に駆けつけた下野国守護小山秀朝の軍を打ち破り、これらを自害あるいは討死させた。
続いて、井手の沢(東京都町田市)にて鎌倉から出陣して時行軍を迎撃した足利直義をも破る。
直義は尊氏の子の幼い足利義詮や、後醍醐天皇の皇子成良親王らを連れて鎌倉を逃れる。鎌倉には建武政権から失脚した後醍醐天皇の皇子護良親王(前征夷大将軍)が幽閉されていたが、直義は鎌倉を落ちる際に密かに家臣の淵辺義博に護良親王を殺害させている(7月23日)。
鎌倉に護良を将軍・時行を執権とする鎌倉幕府が再興され建武政権に対抗する存在になることを恐れていたからと考えられている。
24日は鶴見(神奈川県横浜市鶴見区)にて鎌倉将軍府側は最後の抵抗を試みるが佐竹義直(佐竹貞義の子)らが戦死、翌25日に時行は鎌倉に入り、一時的に支配する。更に時行勢は逃げる直義を駿河国手越河原で撃破した。直義は8月2日に三河国矢作に拠点を構え、乱の報告を京都に伝えると同時に成良親王を返還している。
時行勢の侵攻を知らされた建武政権では、足利尊氏が後醍醐天皇に対して時行討伐の許可と同時に武家政権の設立に必要となる総追捕使と征夷大将軍の役職を要請するが、後醍醐天皇は要請を拒否する。
8月2日尊氏は勅状を得ないまま出陣し、後醍醐天皇は尊氏に追って征東将軍の号を与える。尊氏は直義と合流し、9日遠江国橋本(静岡県湖西市)、12日に小夜の中山にて今川頼国の手により名越邦時戦死、14日に駿河国の清見関および国衙、17日に相模国箱根、18日に相模国相模川では尊氏方は義経来の北条方に遺恨を持つ中村経長が獅子奮迅の働きをするも今川頼国・頼周兄弟が戦死するなど各地が激戦に見舞われた。
時行勢は次第に劣勢となり戦線は徐々に後退。19日には相模国辻堂で敗れた諏訪頼重が鎌倉勝長寿院で自害して、時行は鎌倉を保つこと20日余りで逃亡する。
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