リターン・オブ・ザ・ドラゴン

リターン・オブ・ザ・ドラゴン

昇龍塾血風録外伝





時代はまだ90年代前半だった。
この日、倉澤は高校時代の友達と一緒に摂津本山に飲みに行った。
いつも行く店が満員だったので、寂れた焼鳥屋に足を踏み入れた。
カウンターに座り、一通り注文してから、ビールをグイグイ飲んでいた。
ふと見るとカウンターの中のヤンキー風の店員に目が留まった。
頭はオールバック。目つきはキツく、拳には拳ダコがあった。
ははーん。こいつは空手マンやな。
そう思った倉澤はその若者に声をかけた。

「兄ちゃん、空手やってんのか?」

目つきの鋭い生意気そうな店員が言った。

「いえ。やりたいのですが、やっていません。」

倉澤はコイツはフリーターか高校生やなと思いながら言った。

「なんでや?やりたいんやったら、やったらええねん。」

若者は言った

「はあ。やりたいんですけどクラブがありますので。」

倉澤 「クラブ?なんのクラブやねん?」

若者 「はい。應援團です。」

倉澤 「なにーーーーー!應援團!!!!?」

倉澤のテンションが一気に上がった!



.・・・・・・・・つづく






運命の出会い その弐(2話)


「ドコの学校や?」

「はい。六甲山大學です。」

これは絶対、うちの道場に入れなあかんなァ。自分からやりたい言うとるし。
この年頃のエンダンやったら、普通のおっさんやと思われたらナメて、入って来えへんな。
そうや!俺が空手部やったんをアピールしたったら、コイツは食いつくやろな。よし!
そう思った倉澤は

「エンダンか。もうすぐ幹部交代で、君も準幹になるやろ。」

「はい。よくご存知で!」

さっきまで適当に応対していたのが、見てわかる学生の態度が一変した。

「ワシも大阪岸辺大學の白鳳流空手道部やったんや。」

「そうなんですか!」

よしよし、食らいついてきたで!追い打ちや!そう思った倉澤はカウンターにあったマッチを手に取り、箱の両端にマッチを挟んで鬼の面のような形を作った。通称“鬼マッチ”大學のエンダン、武道系の学生なら先輩のタバコの火をつけるための必須アイテムである。ライターで火をつけるのは不可。失敗したらヤキを食らうのである。

「これ、知ってるな?」

「はい。鬼マッチです。」

学生の態度は更に親近感を増してきた。



・・・・・・・つづく。






運命の出会い その参(3話)


よし。だいぶん食いついてきたな。
そこに倉澤のケータイがなった。
「はい。倉澤です。・・・・。押忍。ご無沙汰しております。・・・。押忍。ありがとうございます。今、友達と飲んでおります。・・・・・。押忍。また、寄らせて頂きます。押忍。失礼します。」

なんと大阪岸辺大學の日本拳法部のOB会会長からの電話であった。
今、家で宴会しているから来いという誘いであった。
倉澤は思った。なんというグッドタイミングだろう。この若者の前でOBになっても「押忍」を連発することで、岸辺大の体育会が軟弱でないことをアピールできたのだ。若者の目も尊敬と畏怖の色を帯びていた。

そこで倉澤ははじめて自分が空手の師範であることを若者に示したのだ。

「俺、今も空手やってんねん。」

倉澤が差し出した名刺には

白鳳会館兵庫西宮支部 支部長 倉澤秀次

そう書かれていた。

「君が空手やりたいなら、よければウチに来なさい。君に向いている道場やぞ。君の名は?」

「押忍。六甲山大學應援團二回生松山友和と申します。」

倉澤、松山。後に阿修羅の師弟と言われる二人の運命の出会いであった!



・・・・・・・・つづく








エピローグ



運命の出会いから、しばらくして、倉澤は2回ほど焼鳥屋に足を運んだ。
しかし松山と出会う事はなかった。
松山からの連絡もなかった。
そして年が明けた。


平成7年1月17日午前5時46分


阪神大震災が発生。
倉澤も松山も空手どころではない生活を強いられた。
白鳳会館兵庫西宮支部が使用していた体育館も無期限の使用禁止状態になった。
この間、別の小学校の体育館を使用したり、自衛隊の基地で練習したり、公園で稽古をしながら活動の灯を消さなかった。元の体育館での活動が再開されたのは震災から実に9ヵ月後の事であった。
いつしか倉澤の記憶から松山の存在が薄れつつあった。
師範代クラスに「應援團のいい子がいたんやけどなァ。」とはいうものの安否もわからない状態であった。また倉澤のアパートも全壊だったので、松山から連絡があったとしても不通状態であったのだ。



そして震災から一年ちょっとが過ぎたある日。



倉澤の転居先の電話がなった。

松山からであった。今度の火曜日に道場に来たいということであった。聞けば松山も震災でアパートが全壊。ボランティア、学校の行事、エンダンの行事で多忙な日々を過ごしたという。

この時既に白鳳会館から昇龍塾に独立しており、松山は新生昇龍塾の五人目の入門者になった。倉澤、松山、運命の出会いから一年三ヶ月ぶりの事であった。
若村、島田、昇龍塾入門の三年前の出来事であった。





(完)






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