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「生きている実感」がわからない、
などの理由で殺人したり犯罪に及ぶ人がいる。
この人達にとっての「生きている実感」ってどういうもんなんだろう。
なんか、スンバラシイ、エクスタシーみたいなもんをイメージしてんだろうか?。
目の前の現実がバンバン面白いように展開していく時の、
高揚感みたいなもんを想像してるのかなぁ。
私の思う「生きている実感」は、
頭痛に苦しむのも生きているからだと思うし、
なかなか成果の上がらないというか、見えない子育てのイライラ感も、
私が生きているから感じることだし、
私が子育てしているから感じることだし、
魔法のように物事が進まないのも、
子供が生きていて、私とは別人格で生きているからこそで、
上手く行ったらいったでうれしいのも生きている実感だと思う。
生きているからこそ、
悩み、苦しみ、疲れ、痛むんだと思う。
そして喜び、感謝、笑えるんだと思う。
確かに、人を殺して後悔するのも生きている実感だけど、
こういうことで実感を得ようなんて感心できないのは周知の事実。
もっとて手近で簡単なところで実感できると思う。
簡単手近な所で生きている実感がわかないっていうのは、
私も随分と関心を寄せた「成功哲学」なんかに有るんじゃないかと思う。
あくまで毒論だけど。
大金持ちになること、
素敵な結婚相手にめぐり合うこと、
自分の好きなことを仕事にすること、
仕事を要領よくこなして昇給、昇格すること、
そういうことが成功スタイルになっているせいじゃないかと思う。
私は最近、こういう成功哲学と成功スタイルをほぼ捨てた。
ただひたすら地道に目の前の出来ることを淡々とやって、
人生終えることにした。
主婦業と子育て第1に生きることにした。
端から見たら要領の悪い、恰好の悪い生き方と言えるかもしれないが、
それで結構、十分と考えている。
主婦業と子育てと今後やるであろう何か経済活動をやって感じる、
幸福感、閉塞感、不足感、充実感、不安感、…、
全てが生きている実感ナンだと思う。
それはなんとも平凡で取るに足りなく、
語るほども無くありきたりなものだろう。
こういうことに大きな価値をや期待をおくもんでもないんだろう。
(と、ここで思うにはかつては大きな価値と期待を持っていたからなんだけど。)
私には人生の意味なんかわからないし、
覚醒なんて興味ないし(かつてはあったけど)、
今はとにかく今この瞬間にしか興味が無い、
というか子育てに翻弄されていて、
そう生きざる負えない。(子育てしていると妙に現実主義になると思う。)
それで、大分持っていた精神世界の本を処分することにした。
私にはこういう世界のことはわからない、
わかりえない、というのが最後に出した結論。
とこの手の本は高いから随分と散財したなぁ、
っていうのが正直な感想。
そして今はそろそろ夕飯の準備しなくちゃっていうので、
アタマが一杯という現実であり実感。