いつもの たぬき

いつもの たぬき

長女全国中学生人権作文


 福井県教育委員会賞
 「すばらしい人生を生きたい」
               00中学三年 りきkkぱぱ 長女
 私には、二人の弟がいる。下の弟は、自閉的傾向の障害を持っている。今、小学校二年生で特殊学級に通っている。弟は恐竜の本を見るのが好きだ。教科書を読んだり、絵を描いてお話を作ったりするのも好きだ。ご飯もしっかり食べて、外で遊ぶのも大好き。今の弟を見ると昔のことが思い出される。
 弟に自閉的傾向があるとわかったのは、3歳の時だった。それを知った時、母はずっと泣きつづけていたのを覚えている。私も悲しくてしかたなかった。その時は弟を見るたび苦しくなった。私の弟がなぜ障害児にならなくてはいけないのだと思った。私達家族はボロボロになっていった。弟は偏食が酷くご飯よりも決まったパンを食べた。野菜 果物は全く食べなかった。なかなか視線が合わず、言葉の発達が遅れて会話ができなかった。言葉があまりなく、あっても、おうむ返しか、ひとりごとだった。ひもをにぎって一人の世界に入ってしまうことが多かった。ひもを無理に取ると弟はパニックになってしまうのだ。家族にも心をなかなか開こうとはしてくれなかった。何かあると母は苦しそうに泣いた。弟は、3歳で幼稚園へ入った。母は毎日弟に付いて行かなくてはいけなかった。ある日、母が幼稚園へ行けない日があった。その時、幼稚園の先生は、はっきり、「お子さんに、どう接してたらいいかわかりません。」と、母におっしゃったそうだ。家族でさえ、分からないのだ。何からしてやればいいのか、どうすれば会話ができるようになるのか。仕方の無いことだったと思った。
 それから弟は、別の幼稚園に行くことになった。いろいろと指導方法を考えてくれた。母も毎日弟といっしょに通園した。毎朝保育園で,手押し車やハイハイ運動をしていた。手足の運動は脳、身体の感覚を統合するのにいいというのだ。弟は苦しくて泣いた時もあったようだけど、母といっしょにがんばって続けた。給食では何もたべようとせず、散歩ではすぐ「おんぶ」を要求してすわりこんでしまう弟だった。それが、1年も経つと、だんだんと変わっていったのだ。年中になると人の模倣ができるようになり、みんなの中でリズム運動もするようになった。それに、もっとうれしいことと、変化があらわれた。まず弟に大好きな友達ができたことだ。いつもその子に付いて行き楽しそうにしているのだ。自閉的傾向とは、こころを閉ざしてしまうもの。でも、友達ができたことで弟の心が少しずつ開き始めているのかなあと感じた。それから、家族みんなのことを、「お父さん」「おかあさん」「おにいちゃん」「かおりちゃん」と呼べるようになった。はじめて名前を呼ばれた時 わたしはうれしくて涙が出てきてしまった。この時から家族がまとまってきたなと思えるようになった。保育園でたくさんのことを体験し、やさしいい先生方の指導と 優しい友達のおかげで弟はどんどん心を開いていった。
 そして、小学校に入学した。毎日楽しそうに学校へ通っている。今の弟があるのは、保育園、小学校でいい先生、いい友達に会えたからだ。家族でも、なるべくテレビはつけないようにしよう、弟に話しかけよう、と努力した。弟を中心に家族が一つになったのだった。
 しかし、社会に出ると、嫌な思いをすることがある。弟を見るなり、「あの子、障害児だ。」と言わんばかりに、指を指して合図している人がいた。弟のことを 何も出来ないかわいそうな子だという態度をとる人もいる。たしかに障害のある子を理解し、どう関わっていいのかなど、なかなか分かるものではない。私さえ、弟の障害のことを最初は恥ずかしく思って誰にも言えなかった。けれども、今はもっと障害について社会や地域の人達に知って欲しいと思っている。障害を背負っていても、一日一日、弟は元気に、明るく生きている。弟の対して特別扱いは必要ない。
 私は,最近素敵な本を読んだ。「生んでくれてありがとう」「たんぽぽの仲間たち」この2冊だ。この本を通じて母は、障害のある弟といきる意味を感じたそうだ。
 弟がハンディキャップをかかえていきているように、誰にでも何らかのハンディキャップはあるものだ。そして それを乗り越えようと努力するのは みんな同じ。弟のおかげで私達家族は「人は誰かを支え、誰かに支えられながら生きていくんだ」と感じることができた。これから、いろんな試練が訪れるだろうが一日一日を大切に生きていけば、素晴らしい人生を歩める気がする。
私は、弟が素晴らしい人生を生きていけるような社会になることを願い。努力して行きたい。

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