全220件 (220件中 51-100件目)
最近気になって手にする本の著者は、どれもこれも、自分より3~4歳しか違わない人ばかり。出会う人や、楽しそうだと感じる人もほぼ同じ年齢。3年経てばなんでもできる。でも達成する人はわずか、といっていたのは誰だったのか。いつも“もっと、もっと”と思うのだけど、あせるとことさらこの“もっと”が強くなってしまう。それが向上心として働くこともあるのだけど、結局はそれを繰り返したところで、到達点がない“もっと”なんだ。足元から遠くまで。考える幅を広げること。★今日の本スピードハックス★今日の音楽Say It< Over And Over again>John Coltrace
2007.02.05
コメント(0)
以前「個体発生は系統発生を繰り返す」とブログで書いたけれど、こうなるんじゃないかという想像を、スッと横切った「iPhone」。こちらのサイトに「iPhone」の発表のことが掲載されています。・Macworld 2007 - たっぷり見せます、携帯電話を変える「iPhone」 - 基調講演後編・Macworld 2007 - Appleからコンピュータが消えた日 - 基調講演前編PDAのようなものなのだけど、ポイントはソフト(iTunes)が使いまわせること。iPodの時も、同様のハード機器は既にあったのに、これほどの広まりを見せたのは、アップル製品であれば共有できる、ソフトがあったから。そういえば、一度お蔵入りしかけたiPod nanoくん。最近面白くなり復活です。
2007.01.13
コメント(2)
ホットヨガの体験に行ってきました。理由は年末に激しくヨガを勧められたことと、正月にたっぷりと蓄えてしまった体に危機感を覚えたから、という特に主体性のないもの。ホットヨガはその名の通り、温められた部屋で行うヨガなのですが、入った途端、もわっとした熱気に包まれ、思わず「暑いですね」というと、「今日は今年初めの回なので寒い方なんです」との答え。行く前までは正直、多くの人に広まっているんだし、ストレッチの一種だろう、くらいの甘い認識しかなかったのです。やってみると体は動かないし、足はプルプル……。終わってからもしばらく足はわなないていました。これで、かなり本気でヨガに取り組むことに。体験してみると、もっと知りたいことや欲しい環境も浮かんできたので、他の教室も行ってみることにしました。最近、知らないことを知ることが多かったけど、自分の体についてもいえるんだなぁ。
2007.01.06
コメント(0)
年末に大掃除をしていたら、2005年の自分年表が出てきました。1年間のやったこと、思い出深いものをピックアップしたもの。おぼろげながら、書き出した記憶がある!こりゃ面白い、ということで、2006年版も作ってみました。2005年のテーマは“広げる”。多い時で1ヶ月に100人以上の人と会い、その中からずっと付き合っていきたい大切な人達にも出会いました。見返してみると、コーチングを始め、自分の価値観が明確になったことがきっかけでした。2006年のテーマは“深める”多くの人と出会うと、不思議と会うべき人はその後もどこかで出会い、つながるもの。人との関係を“深める”ことに焦点を置くことにしました。半年かけて準備した教育フォーラムが終了したのが、ちょうど1年前。そして4月から環境が変わり、情報のインプットとアウトプットの、バランスのとり方についても考えた年でした。あまり変わりばえのしない道を歩いていたと思っていたのに、ふと振り返ると以前いた場所がはるか向こうに見えるときがある。そして1年あれば何でもできちゃうものだ。これから今年の行動計画を作ろう。
2007.01.03
コメント(0)
2007年の手帳として、アクションプランナーを購入しました。昨年から使ってみて、半年ほどは使いこなせなかったものの、今では、完全に右腕となってくれています。購入したのは、今年のものと色をがらりと変えて、“軽快な感じ”。手帳は、色々と試しては挫折してきましたが、アクションプランナーが、今までで一番あっていたような気がしています。昨年のブログにも、購入のきっかけとなった、イーウーマンの時間管理術講座のことを書いていました。時間管理はHAPPYになるためのツール、という考え方、シンプルで好きです。2006年のアクションプランナー
2006.11.18
コメント(0)
当時まだマイナー競技だった総合格闘技を選んだのは、肉体的な強さへのあこがれは当然あったけど、ブームの到来を計算していたからです。首尾よくデビューを果たし、大きな団体への移籍を陰で画策していた時のこと。交通事故に遭い意識を失うほどの重症を負いました。それを機に自分を見つめ直しました。利己心を抑え、他者に施すよう心がけたら今度は、「K-1」への出場をはじめ金や仕事が自然に集まり始めた。(11/12日経新聞「負けてこそ学ぶものあり。重症事故で知った打算の世界」総合格闘家 須藤元気)短いコラムの内容は躍動的だ。そして編集されているとはいえ、随所に激しい言葉が散りばめられている。言葉の現われ方は、その人自身の現れ方だから、この内容の存在感そのものの人なのだろう。おもしろいな。須藤元気さん。幸福論 須藤元気/著この本を、アマゾンのカートの中に入れっぱなしだった。
2006.11.13
コメント(0)
起業や、革新を成し遂げた個人やグループが、世界中からエントリーするコンクール、ワールド・チャレンジ2006が開催されています。800のエントリーの中から選ばれた12のプロジェクトが、BBCワールドやニューズウィークでも紹介されたそう。現在はサイト上で投票を受け付けています。12のプロジェクトのうち6がアフリカのもの。その中でも興味深かったのが、下記の2プロジェクト■ELEPHANT PAPER Maximus Sri LankaA surprising ingredient in paper helps protect the elephant in Sri Lanka■FIREPROOF JUICE Trulstech Group SwedenA 'fruitful' alternative to toxic flame retardantsELEPHANT PAPERは、「ぞうのうんちから作った、ぞうさんペーパー」という商品で、日本でも購入することができます。株式会社ミチコーポレーションが、現地NGOと共同開発した商品とのこと。・株式会社ミチコーポレーション・ぞうさんペーパー&グッズ発展途上国の例がほとんどですが、事業として収益を上げていること、ルワンダの例ではカウンセラーをつけたり、また現地の特徴を生かした発電を行う等、なんらかのプラスアルファがあることが特徴です。日本で印象的なのは、ココファーム・ワイナリーや、ぱれっとなど。社会起業が取り上げられているけれど、まだ価値観として根付いているわけではない。日本には今、共通の価値観自体もないのかもしれない。
2006.11.12
コメント(0)
任意の点P3-Dの画像はCGのもっとも得意とするところであるが、この本が目指した3-Dは従来のそれとも明らかに違う。普通のCGは、コンピュータがそのマシン内部で計算・合計をし、その結果をディスプレイという平面に立体的な映像として映し出す。それに対してこの「任意の点P」に収録されたものはすべて、読者の右目と左目から異なったデータを入れ、読者の内側にあるその脳で、立体像を合成させるのである。その結果、かなり現実離れした想像上の図形も、逆にリアリティーを持って確かに現れ、我々を魅了するのである。(任意の点P 慶応義塾大学佐藤雅彦研究室 )とにかく面白い。面白すぎます。のぞきこんだ途端、うれしくて悲鳴を上げてしまう本も、なかなかないでしょう。赤と青フィルムで見る、3D立体めがねの類は良く見るけれど、これは透明な凹凸グラスで対象を見るもの。2枚のほぼ同じなのだけど微妙にずれた画像をレンズでのぞくと、くっきりと1つの立体となって現れます。幾何学的な線や面が立ち上がり、交差し、渦巻き、前後左右して表示されるのです。この本のきっかけはPJ立案者が高校生だった30年前の、数学の教材を見つけたこと、というのも驚きます。平坦な絵なのに、脳では立体として処理する。目に見えていること全てが、真実というわけではない、ということを教えくれる本です。
2006.11.10
コメント(0)
欲しいと思っていた赤色。iPod nano (PRODUCT) RED Special Editionを購入しちゃいました。最近は赤いものばかりが目に付きます。さて、購入してみて思うのは、考えるのと実際に行動するのとでは、全く違う、ということ。どんなことができるのか知っていても、実際にサービスを受けられる立場になると、ぐっと世界が広がったように思えるのです。iPodのサービスも、ハードだけでなく、魅力的なソフトの部分が同時に用意されていたので、これほど広まったのでしょう。
2006.11.07
コメント(2)
昨日書いたように“学ぶ”ということをつらつらと考えていたら、目の前にオレンジ色のこの本がポッと現われた。この本は15名の勉強法を紹介するというもの。面白かったのは東大で薬学を研究している池谷さんの話。池谷さんによれば、何らかの行動を起こす際は、意思ありきなのではなく、脳の運動プログラムが先に動くとのこと。そして脳の運動プログラムは、行動によっても動き始めるそう。つまりやる気が出なくても、体を動かしていれば、自然とのってくるってことがありえるらしい。行動は思考の結果だと思っていたけれど、好きだと思わなかった、むしろ苦手だと思っていたことさえ、しばらく強制的に実行すると、はまってしまうときがある。まずはやってみるということなのかな。
2006.09.27
コメント(0)
成績の良し悪しは、能力ではなく、学び方を見出せるかどうか。9月の半ばまで2ヶ月間英語をやってみて、このことが腑に落ちた。通ったのは、英語そのものではなく、学び方、考え方の基本を教えてくれる、リニューアルし続けるナレッジシェアの集積のようなスクールだった。苦手意識があったり、できないとおもっていたことが、やり方を変えると、ツィ~っとできるようになる。違いを生むのは、目の前のことに対しての取り組み方。目の前のことに何も考えず取り組むのと、原因を追究し、工夫を凝らして取り組むのとでは、すぐに差が現われる。追求する原因は、「時間がない」「やる気が出ない」と外部に求め、自分に引き付けて考えなければ、結局は何も進歩しない。
2006.09.25
コメント(2)
仕事+αを持っていたい、と近頃切に思ってしまう。それが「三味線」でも「サーフィン」でも何でも良い。仕事と私生活はつながっているから、仕事以外でやっていることは、相互に関連しあって、幅を広げると感じる。それをやっている人が少ないほど、また、掛け合わせる数が増えるほど、希少性が高くなる。これまで、色々とやってきたことは、ただ、参加するだけ、だったけど、そろそろ腰をすえて、取り組むことを始めよう。
2006.09.19
コメント(0)
暖簾プロジェクト、屋号プロジェクト、町プロジェクト。これらを行うことで、観光客がかなり増えたそうだ。町の中にひっそりと存在し、周囲の人にも受け入れられている、家プロジェクト。一つ一つに深い意味が込められている。美術館でも一貫して貫かれていた考え方は、自分で感じること。うんちくを聞くよりも、実際に作品を見て、自分がどう解釈したか、どのように絵と対話したか。それが大切であり、答えはない。よく生きるとは、はっとした気づきや経験を積み重ねること。 町並み家プロジェクトのれんプロジェクト
2006.07.11
コメント(2)
港を出て数分、緑と茶に彩られた、どこか日本ではないような、大小さまざまな島が見えてきた。その先にあるのが、直島。じっとりとした蒸し暑さを感じながら、それでも台風という予報に反して、雨でないことを喜びながら、島に降り立つ。港から砂浜にかけての一帯には、宝探しのように、あちこちにアートが潜んでいる。草間弥生のカボチャを浜辺で見つけては歓声を上げ、ざばーん、ざばーんと繰り返す波際を見ながら、潮の香りの風に浸りながら、体が溶けていく。非日常から感じる、ゆったりとした時間。ずーっと海の音と香りを感じながら、不思議なオブジェたちに囲まれて、時間が過ぎていく。 アートアートカボチャの魔力
2006.07.10
コメント(2)
レバレッジポイント(てこの原理の作用点)という言葉を知っていますか?NYの犯罪多発地域で、その解決のため、犯罪の多く発生していた地下鉄をきれいにしたら、犯罪自体が激減したそうです。小さいことの積み重ねがブレイクスルーに繋がるという事例で、この時の地下鉄をきれいにしたことがレバレッジポイントです。私にとってのレバレッジポイントの一つが、このブログ。かつてほど更新できていませんが、継続して書いていきます。
2006.07.03
コメント(1)
組織には価値観がある。そこで働くものにも価値観がある。組織において成果をあげるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじまなければならない。同一である必要はない。だが共存できなければならない。さもなければ、心楽しまず、成果も上がらない。引用:プロフェッショナルの条件よく、なぜ転職したのかを聞かれる。人によって少しづつ答え方を変えていたけれど、次第に、その時の気持ちが薄れているので、まとめておこうと思う。新卒者の3年以内の離職率は40%を超えるそうだ。その40%の中の1人として、他の人はどうかわからないけど、私にとっては、価値観の違いが一番大きな理由だった。仕事の内容ではなく、そこで働く人や仕組みの方に興味があること、そして、会社の中で何度も感じる違和感は、社会に貢献しているという実感が、最も大切な価値観であることから、くるものだと気づいた。何のために仕事をしているのか、と問いかけても、その先にあるものが自分の価値観と正反対であれば、続けていけなくなる。大学の頃も、研究の目的が達成されれば、どのように社会に還元できるかが、一番のモチベーションとなっていた。次の予定なく辞めたのだけど、後悔はしていない。
2006.07.02
コメント(0)
とても興味深いサイトを紹介してもらった。「人を動かす気配りの技術」ブレインゲイト(株)働き始めて思うことは、仕事とは明確な解がないもの、ということ。解は1つと考えていた学生の頃と違い、日々変化する人の心や状況に応じて、対応していく。常にこれで良いのか、もっと良い方法があるんではないかと、思い悩みながら日々過ごしている。だからこそ、状況をわかりやすく、翻訳することが重要となる。“翻訳力”とは、たとえば会社の方針について、相手に応じて表現を変え、納得させ、やる気にさせる技術である。個性や条件が違う部下に同じ言葉で語るのは効果が薄い。目的は「売り上げアップ」でも、それをストレートに伝えるしかすべがないのか、それが部下のキャリアアップにどうつながるのかを説明し、希望や夢につながる目標を与えるかで、言葉を受け止める部下の反応はまったく違うものになる。つまり、巧みに“言葉力”を駆使する上司が一流と言えるだろう。そして相手の長所や能力に気づくためには、いい人の真似を徹底的に行うことが必要という。会社にはモデルになりうる人がなかなかいないという声もある。だが、身近なレベルでもよく探してみると、意外と「この人、いいな」と思える人が見つかるものだ。私はそういう人を見つけて、その人をモデルとして、どのように行動するのか徹底して観察し研究し、まねをすることを勧めたい。明確な解がないからこそ、何かを実行する際には、周囲の人との関係や信頼度が、相関係数としてくっついてくるのだろう。
2006.06.27
コメント(2)
世界の誰とでも六人で繋がる、という「6次の隔たり」理論。国内に住むランダムな二人にメールが届くのに、何度リンクを経るのかという実験をしたところ、平均して5.5回だったそうだ。(新ネットワーク思考)SNSの普及により、有名になった概念だけれども、始めて聞いた当時は、人と人のつながりの距離に驚いた。「6次の隔たり」で誰とでもつながるということは、それだけ、日々多くの人に影響を与え、そして受けているということ。例えば、誰かに気持ちよい挨拶をすれば、周囲の人の気持ちが明るくなる。このような気持ちの“ゆらぎ”が何千人、何万人にも影響を及ぼしているかもしれない。この日、とてもお世話になっている人の送別会だった。様々な年齢の人が集まり、あたたかい言葉と気持ちに包まれた、素敵な会だった。それは、この人が、誰にでも変わらぬ態度で接し、人と人を結びつける場と機会を提供し続けているから。この1人の人が、周囲に与える大きな影響は、計り知れない。今とても気持ちよく過ごせているのは、このような、多くの周囲の人のおかげなんだ。感謝。
2006.06.26
コメント(0)
久しぶりの友人との飲み。一人一人が、それぞれの立場で成長を遂げているのだけど、一番印象的だったのは、そろって、“仕事が面白い”と言っていたこと。自分である程度進められるようになった、任せられるようになった、というのが大きい。「自由」を手に入れるために働くということの、「自由」の意味が少しづつわかってきた。4年間たって、スタートラインにどれほどの違いがあったのか分からないけど、着実に4年分進歩している。THE NIKKEI MAGAGINE 6月号で、「藤原竜也、24歳の咆哮」という特集があった。藤原竜也さんは14歳の時スカウトされ、「身毒丸」のオーディションでは、他の人の演技のダメ出しを全て吸収して演技し、その素直さをかわれて、合格したそう。そんな藤原さんは、周囲との「温度差」に悩んでいるという。「僕がこれだけ必死に追いつこうとしているのだから、周りも追いついてきてほしい。」まだまだ、勉強不足といい、さらに多くのことを吸収しようとする点が、この日出合った友人達と、すっぽりと重なった。ずっと、頭の中に響いている「もっと、もっと」という声は、その素直な吸収力を、活用させるためにあるんじゃないかな。
2006.06.24
コメント(0)
『通勤電車で寝てはいけない!』にも書いたように、全ての時間の中でも、朝の時間の使い方は、その日一日に大きく影響するため、とても重要です。計画を立てる、本を読む、一日の睡眠時間をプラスする、などの使い方がありますが、一番良いのは、人と会うこと。一方的に知識をインプットするだけでなく、相互作用を及ぼすこと、すなわち、自分も加わって考え、それをアウトプットすることが、一日に大きく影響します。新しい環境になり、再び、朝に集まる機会を作っていけそうです。
2006.06.20
コメント(0)
父の日だからといって、特に今まで何もしたことがなかったけれど、今年は“盆栽”をプレゼント。さて、どうだろう。
2006.06.19
コメント(0)
名古屋2日目の朝は、名古屋ならではの朝食を堪能するため、近所の喫茶店へ入り、モーニングを注文。この喫茶店、店の半分は住居になっており、雑誌やテレビ家庭用調味料などが散乱。見知らぬ人のご家庭に上がりこんだようで、どうも居心地が悪い。出てきたコーヒーと、ジャム付きトーストをたいらげてさっさと退散。その後日泰寺参道途中の、えいこく屋という紅茶・スパイス専門店へ。小さな間取りにもかかわらず、中は天井から床まで、様々な種類の紅茶やジャム、スパイスがぎっしり。グリーンマスカットを連想させるという紅茶と、フレーバーティーを購入。キーワードは、赤みそ、名古屋嬢、雑多な純血文化、という感じ。
2006.06.18
コメント(0)
電車から降りるとそこは、一気に夏の熱気でした。同じ日本なのに、これほど違うものかと思いながら過ごした次の日。朝は晴天だったのに、午後から大雨。ザーザーと降る雨の中を、歩いて味噌カツの店「矢場とん」へ。味噌文化に舌鼓を打ちつつ、次はひつまぶしを食べようと決心したのでした。写真は、大須商店街の中の、不思議な招き猫。大須商店街は、軽食、電気製品、ブラジル料理等、なんでもありの面白い商店街。
2006.06.17
コメント(2)
前日の朝、祖母が亡くなったとの連絡があり、実家へ。1ヶ月ほど前に出合ったとき、いつも穏かだった祖母が、きつかったのだろう、少し不機嫌で、横になりたがっていた。祖母についてお葬式の時、初めて知ったことがいくつかあった。これまでもバラバラとは聞いてきていたのに、それが一つにまとまっていなかったのかもしれない。寂しがり屋で、気位が高かった人は、灰になってしまったけれど、人一人が生きてきた躍動感は、残っていくのだろうか。
2006.06.14
コメント(2)
近所のクリーニング屋さんは、お気に入り。というのも、働いている人が楽しそうだから。10代後半くらいのアルバイトさん(?)と、50代くらいのパートさん(?)の仲が実にいい。テキパキしないと、おばちゃんの野次が飛ぶんだけど、その野次も愛情がこもっている。生き生きと働く場には、お客さんが多く集まる。働いている人の生き生き度は、業績と比例するという。ワイワイガヤガヤ、常に何かが動いている状態は、周囲の人もうかがいしることができる。人も一緒。心の余裕や、豊かであることなど、心が開いている状態と、外見や成長度合いはリンクしている。
2006.06.12
コメント(0)
週末に友人の結婚式に出席するため、地元に帰省してきました。1泊の帰省だったのだけど、大切な人達に出会ってきました。生まれたばかりの姪。まだ赤くて、あまりにも小さな手で、にぎにぎを繰り返す、ひなちゃん。もしかしたら今回出合ったのが、最期になるかもしれない祖母。そして、結婚する友人と、結婚式場で再会した、友人達。式場の前で待っていると、聞きなれた、明るい笑い声が上から降ってきて、真っ白なドレスの彼女が降りてきました。「どーしよー。緊張してきたよー。」とすれ違いざまに囁いて、式の晴れ舞台へ。彼女は、ちょっとした物悲しさを思い起こさせ、その比でないくらいの、とびっきりの魅力を感じる人。歳を重ねることは、うれしいことや悲しいことの、深さや数が増えていくこと。
2006.05.17
コメント(2)
以前ちらりと書いた、シナモンロール。好みのシナモンロールが、ヨーロピアンシナモンロールであったこと、それを見つけたところまで書きましたが、今日は食べてみました! めちゃ、うまいですわ!デニッシュ生地に、シナモンシュガーが層状に重なってます。希望は、もう少し層が増えるといいのだけど。有栖川宮記念公園のすぐ前にある、GRAND MATINというパン屋さん。この公園には初めて来たのだけど、連休で、天気も良かったとあって、大勢の人で賑わっていました。割合としては日本人の方が、圧倒的に少ないのではないでしょうか。まるで、海外にでもいるような、錯覚。公園は起伏にとんでいて、自然の地形を生かしたような作り。よく晴れた青空に、新緑がまぶしく光っていました。将来はこんなところに住んでみたいな、と思ったのでした。
2006.05.03
コメント(2)
偶然は必然だ、というけれど、あるタイミングで行ったことが、思いもかけぬ方向で、その時の自分に、とても必要だったと思う時がある。今日も不思議な縁で、とても大切な示唆をくれる人に出会った。目の前に起きていることは、全て自分が起こしていること。行動の結果だけでなく、電車が止まったり、天災が起きたり、なんてことでさえ、自分が起こしているとしたら。。(超能力とかじゃやないよ)今ある十分な時間は、今それが必要だから。利用するためにあるのだと思えてきた。気づくこと、自分が変わることで、周りも変わっていくかもしれない。
2006.05.01
コメント(0)
居心地の良さからは、前進は生まれないんじゃないかと思っていた。居心地が良い環境だと、そこで満足して、止まってしまう気がするから。でも、止まってしまうということは、周りが見えなくなっている、または気づかない状態ではないか、とも、思えてきた。枠を広げるほど、現状では満足していられないはずだから。
2006.04.29
コメント(2)
報酬には、給与やインセンティブなどの外的報酬と、仕事そのものから得られる内的報酬の2種類あるという。(i-モード以前 松永真理)内的報酬を得るためには、それを支える、外的報酬があってこそ。生命の危険は言い過ぎにしても、マズローの欲求5段階説の、1番目や2番目が脅かされていては、5番目まで届きにくいのだろう。外的報酬が満たされると、きっと、過大すぎるのでもなく、過小すぎるのでもなく、内的報酬に自然と目が向く。そして、それは評価や昇進といったものではなく、日々の業務の中に見出した方がいい。組織ってこういうもんだ、と感じることがあった。もっと大きな目線で。
2006.04.26
コメント(0)
さて、しばらく書いていないと、話題も見つけにくくなりますね。もう、10年弱ほど前になりますが、海外で食べたシナモンロールがおいしくて、しばらくシナモンロールにはまっていました。ところが、数年前にブームとなったシナモンロールのほとんどが、層の厚いふわふわした、やわらかいもの。好きなのは、層が薄く、何層にもぎゅっと詰まっている、ずっしりとしたシナモンロールなのに。と、がっかりしていたのですが、似たようなシナモンロールをやっと発見しました。その名もヨーロピアンシナモンロール。おそらくこのパンが現地でローカライズされたよう。今度購入してみよう。♪New ASIA
2006.04.24
コメント(2)
課外授業ようこそ先輩で、女子バレー監督の柳本昇一さんが、授業を行っていました。「ボールをつなぐ、心をつなぐ」と題し、バレーボールの円陣パスを通じて、失敗した時の対応をテーマにしていました。授業では、円陣パスでの失敗の原因を書き出し、対策を考え、各班ごとにテーマと、班の名前を考え、そのテーマで円陣パスを行うというものでした。柳本さん自身、監督をしていて、バレーボール部廃止など、頑張ってもどうしようもない事態に、何度出会ってきたのだそう。その中で、開き直り、とにかくできることを探したそうです。大きな声で挨拶をする、ごみを拾うなどなど、考えればやれることはたくさんあったとのこと。自分が変わることでしか、状況は変えられないとの話が印象的でした。この番組では、子どもが対策を考えるために、失敗したことを付箋に書き出していました。どうしたらよいかを、言葉にすること、こうすることで自分の内側にあるものを客観的に、捉えることができるようになります。読むことは人を豊かにし、聞くことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。フランシス・ベーコン書くことを怠っていると、自分の中の“確かなもの”が日々の「やるべきこと」と思っている中に、消えていく気がします。このブログも、日々の大切なことの一つ。
2006.04.23
コメント(2)
この日は、月1の定例となっている、画廊めぐり。日本橋高島屋で開催されている、「手塚雄二--花月草星 展」へ。とても素敵な日本画だったのだけど、一番込んでいたのは、作家の略歴の前でした。私達は(少なくとも自分は)、何かを判断する時、正解か、不正解か、知らないことは恥ずかしいこと、という見方をしがち。“個の時代”といわれ、益々個人が必要な情報を得やすく、知識を付けやすくなり、個々の判断には、それぞれの軸や価値観が必要となるのに、まだ、個人レベルの意識が、整っていないようです。そしてむしろ知識を得やすくなればなるほど、苦労してその情報にたどり着いたのではないので、他の見方、考え方を、知りにくくなる。必要なのは、バランス。集団の中で相対的に他者との関係を作りつつ、その中で、人はこう言うけれど、自分はこれが好き、という軸が作れたら。こんなことを考えつつ、今流行り(?)の、大振りアクセサリーを購入してしまいました。いや、欲しかったアクセサリーが今流行りだったの。
2006.04.22
コメント(0)
4月初めの良く晴れた土曜日の午後に、国立近代美術館で開催されている、藤田嗣治展へ。この展示会のように、1人のみが取り上げられるものは、その絵の内容の変遷が見れて面白い。絵から、描いた年代により、この人がその時にどうなりたくて、どういう志向があったのかが、わずかだけれどもうかがい知れる。美術館の後、北の丸公園へ。とにかく大勢の人、人、人…。それでも、桜がとても美しい。日本人って、なんで、こんなに桜好きなんだろう。
2006.04.01
コメント(0)
やってきたことは、書き出したり、話したりしても、大したことはないんだけど、私にとって、その一つ一つがとても大切なことのように思えていました。学生時代は、“生徒”という大勢の中の1人だったけれど、社会人になると、組織の中で一人一人が役割を持ち、能動的に動くようになるので、学生の頃と比べて、周囲との関わり方が変わります。その少し緊張感を伴った、お互いが必要とされる関係の中で、何らかの役割が果たせることがうれしいのです。今までと同じことをしていては、どこで仕事をしても同じ結果。やり方を変えていきます。
2006.03.31
コメント(6)
以前ブログに書いたことのある山田さんが、報道ステーションの特集に出ていました。それを見ながら数日前出合った友人の、1歳の男の子を思い出しました。数週間前に歩き始めたそのおちびちゃんは、片時も目が離せないほど、うろうろ、うろうろ。プレゼントした絵本は、中身より包み紙に興味を示し、パタパタさせて遊ぶし、そばにあるものを片っ端から口に入れたり、物を運んでは落とし、運んでは落としの繰り返し。とにかく、発する言葉は文章にならないものの、エネルギーの塊のような状態。初めはストローで吸うことや、靴と歩くことも結びつかない状態から、徐々に育っていく過程を、自分より子どもを最優先にしてサポートすることは、並々ならない経験なんだと、実感。
2006.03.29
コメント(0)
拝啓 早いもので旅も最後の3日目になりました。この手紙も今日で最後です。今日は暖かい陽気が戻り、関西中がうららかなひと時に、包まれているように感じました。 午前中は、友人が行っている「トータルフットケアサロンteel(ティール)」へ行き、歩き方や靴の選び方についての話や、マッサージを受けました。あまりにも気持ちが良くて、途中で少し眠ってしまいました。この日の最後に東京へ戻ってきてから、出合った友人にもらったお花です。 今回の旅では3人の友人に会いました。歩んでいる人生は3者3様。それでもそれぞれから「起業」、「啓蒙」などの言葉が出て、学生時代は漠然としていた状態でしたが、今は、まだ形にはなっていないけど、大きく育つエネルギーのようなものを感じました。人はそれぞれに、何らかの社会的な役割を持っていて、それを実現していく力があるのですね。敬具
2006.03.27
コメント(2)
拝啓 関西旅行も2日目となりました。昨日よりも曇りがちで、気温も低いようです。三寒四温を経つつ、春へと向かっているのを実感しますが、このような日は体調も壊しやすいので、どうぞご自愛ください。 さて、今日はかねてから行きたかった糺の森をみるべく、下鴨神社へと向かいました。以前、ある随筆で糺の森についての記載を読み、一度訪れてみたいと思っていた場所です。これは途中に立ち寄った京都府立植物園です。 見事な梅や桜があちこちに咲き、親子連れで休日を楽しむ人達や一眼レフを抱えた人達で、にぎわっていました。 下鴨神社に通じる鴨川沿いは桜の観光スポットなのですが、まだ時期が早く、どの木にも桜は咲いなかったのは少し残念でした。下鴨神社では、結婚式が行われていました。 あちらこちらに結界が張られ、立ち入りが禁じられた場所がありました。下鴨神社は紀元前からある歴史ある神社で、古と今が共存するような不思議な感じがします。 これは君が代にでてくる「さざれ石」なのだそうです。「さざれ、石の…」と歌うので、「さざれ」と「石」は別のものだと思っていました。思わぬところで新しい発見をするものですね。 さて、糺の森ですが、今はこのように神社へ続く道の両側に、見ることができます。 かつては、現在の40倍近くの広さがあったそうです。 見ることができませんでしたが、いくつかの清流があり、現在の下鴨神社もこの美しい森の中の一角だったのでしょう。このような地に神様が祭られたのも、想像出来るような気がします。 また、隣接している相生(あいおい)社は、「連理の賢木(れんりのさかき)」という、2本の木が途中で1本になった木が祭られており、縁結びの神様として有名なのだそうです。生花で飾られ、下鴨神社とは異なる華やかな様相を呈していました。 明日はいよいよ最後の日です。旅行に行くと、日常とは異なる時間の流れを感じます。昨日のことが、遠い昔のように感じるのです。敬具追伸 下鴨神社のすぐ近くにある和菓子屋さんの桜餅はとてもおいしかったですよ。豆餅が特に有名で、行列ができているので、すぐにわかると思います。
2006.03.26
コメント(0)
拝啓 今年は寒い日が続きますが、それでも4月を目前にし、日ごとに春めいてまいりました。いかがお過ごしでしょうか。 さて、本日より3日間の予定で関西旅行に来ています。1日づつ、旅先の出来事を書き綴っていきますね。この日は抜けるような青空の元、気持ちの良い奈良を楽しみました。こちらの写真は、興福寺近くの猿沢の池です。 別名亀池と呼ばれるこの池は、この日の天気のよさを反映してか、たくさんの亀たちが甲羅干しをしていました。 3年ぶりに訪れましたが、奈良公園を歩く鹿を見つつ、奈良独特の春の香りと、ゆったりとした時間の流れを感じました。奈良の県花は桜で、佐保側沿いの桜並木は、それはそれは美しいのです。もし桜の時期に行く機会がありましたら、ご覧になってください。敬具
2006.03.25
コメント(0)
アートと話す/アートを話すCONVERSATON WITH ART,ON ART2006年1月14日-3月26日東京オペラシティーアートギャラリーもうすぐ終了になるこの展示会。その前にと、行ってきました。「ダイムラークライスラーがメセナとして取り組む鑑賞者教育の手法を採用」という記事を読み、興味深々だったのですが、期待にたがわず、かなり面白いものでした。本展では、アートに対する自由なアプローチを作品鑑賞の大切な一歩と考え、そこから作品と思い思いの「対話」を楽しんでいただきたいと考えています。(アートと話す/アートを話す イントロダクション)こう書いている通り、入り口で手渡されるワークブックをめくると、下記のようなことが書かれています。「作品Aと作品Bはどう違う?立体について論じてみよう。」「この作品のタイトルを見る前と見た後で印象は変わった?変わったとすれば、それはどんな感じ?」「気に入った作品に使われている材料を調べてみよう。」このワークブックがなければ、“いつもの良く分からない現代アート”のまま。ところが、この問いに答えようとすることで、絵の前に立ち止まって、頭をひねりつつ、絵と対話するようになります。ワークブックは使いまわしなので、今までに利用した人が、問いの横に答えを書き込んでいます。だから、これまで書き込んだ人とも、なるほど、こんな見方もできるね、と対話することになります。面白いと思ったことをいくつか。・絵は並び順に見なくても良いということワークブックで取り上げる絵の並び順はばらばら。比較したり、壁の一部としてみたり。こんな見方もあるのかとうろうろしていました。・一人一人が、案外真剣にワークに取り組んでいたこと会場内を巡る一人一人がワークブックを持ち、色々と書き込んでいる様子。このような取り組みは老若男女問わず、誰でも楽しめるものなんだという、新しい驚き。
2006.03.22
コメント(0)
前回、三寒四温について書いてから、早1週間。まず退路をたつことから始めた、転職活動が終わりました。生まれてから今まで、大学でやったこと、就職して3年の間に行ってきたこと、仕事、プライベートを含めて、どれ一つがかけても、現在の方向性はありえない。腹を決めて、ここしかないと思ったところで、働くことになりました。以前友人が、自分は今まで出合った全ての人に作られているから、自分が納得できることなら、周りの人も納得してくれる、と話してくれました。今の自分はこれまで関わってきた多くの人達によって作られていて、今回の方向性もその人達なくしてはありえない。本当に、本当にありがとうございました。
2006.03.18
コメント(4)
急激に暖かくなっては、また寒くなる。三寒四温と呼ばれるこの季節、それでも着実に春が近付くステップだと思うと、この気温差も歓迎したくなる。このように時間軸を変えてみると、寒暖の差に一喜一憂しなくてもすむ。今日はとてもうれしいことがあった。「退路をたつ」ということをやってみてから、きっと目の前の“寒暖の差”しか見れていなかったのだろう。周囲の人に話してみたら、みな同じような道を通り、同じように悩んでいたこと。人づてではなく、直接聞いたことがうれしかったこと。悲しいとか、寂しいとかではない、不思議な感じがすること。そんなことを話してくれた。なんだか心の中の、とげとげしていたものが、きれいに丸くなってしまった。人は関係性の中で生きているから、その関係性の中で何か作用するのは、とてつもなく、うれしい。感謝。きっと今日の日記を後で読んだら、プッと笑っちゃいそうだけど、本当にうれしい、この気持ちは残しておきたい。
2006.03.10
コメント(0)
銀座三越で、山本容子さんの「わたしの好きな時間展」が、開催されていました。テーマは4つ、「音楽」「文学」「人物」「映画」。特に映画とそのイメージ画、読書感想画は、それぞれの視点で語られていて面白い。少女時代レースが好きだった。母は言葉を覚えるより先に歌をうたわせたかったようだ。ピカソに描けないものを描こうと思った。そんな逸話と共に、本も大好きなんだろうな、ということが伝わってくる。作品はそんな山本さんの生い立ち、背景を全て表しているようだ。感受性豊かで独創的。でも作品からは、新しさではなく元々そんな絵があったような、そんな感じを受ける。オデット山本さんの美しい挿絵の本。●わたしの好きな時間展3月1日(水)~13日(月)銀座三越8階催物会場国境なき医師団日本の写真展と遭遇。さっそく入ってみると、看護士として派遣された、田村さんが、体験談を語っていた。今後の目標は?との質問に、「目標といったような、大したものはありません。 目の前に困っている人がいたら、助けに行くだけ。」と。素敵なひと言だ。●写真展「コンゴ共和国:忘れ去られた戦争」2006年2月27日(月)~3月5日(日)シンワアートミュージアム (銀座)2006年3月10日(金)~3月23日(木)新宿パークタワー 1F アトリウム
2006.03.04
コメント(0)
ぎおんご ぎたいご じしょ素敵な本を見つけた。辞書というより、じしょ。えほん。見ているだけで楽しくなる。文字が躍りだしたり、言葉と言葉が本の中で、反応しても面白いんじゃないかな、達成したら、自分へご褒美にしよう。
2006.02.27
コメント(0)
死ぬまでにしたい10のこと(日本のサイト)My Life Without Me(海外のサイト)トレーラーで暮らすアンが、ある日突然余命二ヶ月との宣告を受けます。死ぬまでにやりたいことのリストを作り、実現させていくアン。日常の人ととの交わりの温かみを感じます。やりたいことは、何も特別なことではないのだけど、周りの人を“愛している”ことが伝わってきます。10のリストはこの通り。1.娘たちに毎日「愛してる」と言う2.娘たちの気に入る新しいママを見つける3.娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する4.家族でビーチへ行く5.好きなだけお酒とタバコを楽しむ6.思っていることを話す7.夫以外の人とつきあってみる8.誰かが私と恋におちるよう誘惑する9.刑務所にいるパパに会いに行く10.爪とヘアスタイルを変える
2006.02.25
コメント(2)
銀座のHOUSE OF SHISEIDOの前で。二本の紅白の梅が、目を留めてしまうほど見事に咲いていました。以前新聞広告にこんな詩が載っていました。梅一輪 一輪ほどのあたたかさ(服部嵐雪)私はこの梅になれているのだろうか。
2006.02.20
コメント(4)
先日の日経新聞に、本来のプロフェッショナルとは、という記事がありました。この記事によれば、プロフェッショナルとは、西洋では確立した職業概念で、下記の3点が本来のあり方、ということです。1.高度な専門技術を有していなければならない2.専門技術を適用するに当たって、厳格な倫理観を有していなければならない3.すべての能力は顧客の利益のためにささげねばならないプロフェッショナルの忠誠の対象は顧客であり、会社ではない、とし、ライブドア事件や建築偽装事件のプロフェッショナル概念の希薄性で結んでいました。(日経新聞 2月9日 大機小機 本来のプロフェッショナルとは 六本木族)もう一つ、いつもとっているメルマガに、プロフェッショナルについて、こんな記載がありました。本の中で、美輪明宏さんはこういう。「10センチのヒールを履いて、1ヶ月間、1日2講演をしたらもうボロボロ。仕事が楽しいとかそういうことでやっているというよりは、使命感と義務感でやってるの。でも私はそれをするわ」プロ意識を持つというのは、好き嫌いの感情を超えた使命感や義務感を、高い意識で持ち続けるということなのだと思う。そしてその義務感というは、「やらなきゃいけない」という受身のものではなく、「私しか、それをする人はいないでしょう」という、どこか前向きな、奉仕的な気持ちのこと。(私には夢がある その夢はいつやるんですか?一歩踏み出す勇気をお届け)
2006.02.13
コメント(0)
久しぶりにアートスクールでデッサン。毎回、久しぶりですね、と言われ、ずっと同じものを描いているような。スクールに行くまでが、腰が重いのだけれど、描き始めたら時間が経つのがあっという間。以前、自発的に継続して続けてきたことは、と質問されたことがある。絵を描く才能は早々にあきらめたけど、観ること、描くことについては、そういえば、自然と行ってきた気がする。それも、絵画ではなく、広告のデザインやプロダクトデザインなど、軽いけれどひねりや意味あるものが好き。自分1人ではできないことを、一流の人達と一緒に実現する。デザインに関連したことも行っていきたい。
2006.02.11
コメント(0)
寒くなり始めた頃、急にすべて葉が落ちてしまった、ガジュマル。今までこんなことはなかったのに、はて、なぜだろうと見てみたところ、一番太い幹が空洞になっていました。このまま枯れてしまうのかと置いておいたところ、枝の先々が緑に色づいているのを発見!(写真矢印の先)少しづつ葉も出てきました。確実に生きていて、新しく芽を出し、伸びようとしているのがうれしくて。良かった良かった。
2006.02.08
コメント(0)
キャリアとは。仕事とは。この日、出合った人との会話を通して、考えるようになった。理由は2つ。その人は仕事の内容を語るとき、とても早口で、情熱的で、そして素直だった。その仕事に対する熱さを感じたこと。もう一つは自分自身の、一貫性があるとはいえないキャリアに対して、無駄ではなかったかもしれないと感じたこと。結局は、自分が仕事に対して、どれくらい満足感を持っているか、幸せであると感じるか、生き生きしているか。それがキャリアのバロメーターとなる。大学の同期と今の状況を比較して落ち込んだり、でも良いところもあると前向きに考えてみたり。数日前から、久しぶりに再会した人や、友人、切り抜きを見直すことをを通して、これらは、枝葉の部分であり、今後は幹を見ていこうと思えてきた。大学時代に巡ったアジアの国々で感じたこと。それは、自分の悩みの小ささだった。様々な国で、人は本当に真剣に、それぞれの生活を送っていた。それが世界中で営まれている。人間関係の悩みや、ちょっとした評価なんて、何て小さいんだろう、そう思ったんだ。そして、くるくると地球を鳥瞰してみる。あの時に出合った男の子は、今大きくなっただろう、あの時の女性は、話し込んだおじちゃんは。。そうしていると、幹のほうに心が向くようになる。
2006.02.02
コメント(0)
全220件 (220件中 51-100件目)