りょうちゃその戦う理由




なぜ、あたしが一定の宗教の一定の人達を叩くのか。 
たぶん、無宗教の人や、もしくは宗教団体と言われるものに、不快な思いをさせられたことのない人にはわからないことだと思います。
でも、そんな不快な思いをして、分かって欲しくない。
あんな風に、憎しみで身体中が引き裂かれそうになる思いは誰にもして欲しくない。
だから、いろんなものに書き込んで人に知らせていかなくてはいけないと思ったのです。
過酷に生きて過酷に死んでいった人がいること。
その人が教えてくれたこと。
その人があたしに教えてくれたこと。


彼に出会って、彼と一緒に時間を過ごして、一緒に歌を歌って、悩みを乗り越えて、音楽を聞いて、あたしは本を書いて、

彼は残酷にも、あたしの幸せだけを願って死んでしまった。
今、あたしがここに命あって生きるのはもはや権利ではないと思ってしまう。
少なくとも今のあたしにはまだ、そんな風には思えないのです。
あたしが生きるのは義務。
命をとして、あたしの幸せを願いつづけて死んでいった、最愛の人のためにあたしは生きてる。
だから簡単に死なないで欲しい。いろんな人に言いたい。

人の愛は壊れているところもあるかもしれない。
でも、誰もが誰かに愛されてる。少なくとも、過去は誰もが誰かに愛されてた。

あんなに強く、一生懸命生きて、過酷に死んでいった最愛の人を見たら、命の火を消すのはなかなか難しいことだと知らされる。

そんな一生懸命に生きた人の命をまるで足元の蟻のように、彼らは嘲笑い、死に追い詰めたことすら自覚していない。

その宗教団体が悪いんじゃない。
そういう人がたまたまその宗教をしていただけ。
だから、あたしは友達でその宗教を信仰している人がいるけど、なんとも思わない。
その人は「宗教者である前に、自分は人間である。」ときちんと自覚して生きている人だから。

だから、日記とは別にここで真相をきちんと記したいと思いました。
勘違いして立腹している学会員さんも多いようだから、立腹する前にきちんと日記を読んでくれたら分かったと思うんだけど、文字では限界があるのねぇ・・。

ってことで、どんどん追加していく予定です。
今後ともよろしくww

【うちの猫の腹の下】彡サッ!


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