放浪の達人ブログ

アジサイ



幼稚園の時、出席した日はシールを貼る出欠席帳があった。
毎月無欠席だと金ピカのご褒美シールが貼れるという楽しみもあった。
6月のシールはアジサイかカタツムリだったと記憶している。
そういうわけで俺の頭の中は6月といえばアジサイを連想する。

生まれ育った碧南市の実家にはアジサイが植えてあったが
庭の奥深くのジメジメした日当たりの悪い場所に咲いていた。
ボール遊びをしていてその辺りにボールが行ってしまうと
なかなか見つけられなかったのでその領域は嫌いだった。
アジサイの咲く季節は梅雨ということもあって何か湿っぽいし、
灰色の空の下で雨に濡れながら庭の隅に咲く陰気なイメージがあって
俺はアジサイを愛でるどころか嫌いな花だった。

2年前、介護施設に入所していた母にいよいよ死期が近付いて来た。
話すことも手を振ることも出来ずただ寝ているだけだったし
時々意味不明のうわ言を口にする程度だった。
最期に数分だけでも自宅に連れて行ってあげようということになり、
介護車両を手配して車椅子に乗せて施設の玄関を出た。
外に咲いているアジサイの花を母に見せて「何の花か分かる?」と尋ねたら
母は小さな細い声で「アジサイ...」と答えた。
それだけでもう俺は「母は正常だ、大丈夫なんだ」と嬉しくなった。
けれど嫁に来てから60年近く暮らした家に数分戻っても車椅子で寝ているだけで、
結局それから間もなくして逝ってしまった。

それを機会に俺はアジサイを愛おしく思えるようになった。
花屋で働いている妻がアジサイを買って来て庭に植えている後ろ姿を見ていると、
母が最後に「アジサイ...」と言った時の情景や自分の幼い頃の記憶を思い出し
目頭が熱くなるとまでは言わないがセンチメンタルになったりする。

アジサイは品種改良のために現在2000種以上あるという。
ネーミングも墨田の花火とかダンスパーティーとか万華鏡とか女神降臨とか、
何かワケ分からん名前や納得できる名前や名前負けしている花もある。
だけど彼岸花と同じでアジサイは枯れたらみっともないほど汚く惨めだ。
それを妻に言ったら「女も同じよ」とポツリと言った。
「花は枯れても翌年また咲くが...」と言いかけたのだが
それは中年夫婦間では禁句である。喧嘩を売るようなものである。
「そんなことはない、お前はまだきれいだよ」と言ってみたところで
あからさまな媚び言葉として何か言われそうなのでだんまりを決めた。
中年を過ぎた夫婦は会話が減るというが話題がないわけではないのだ。
地雷を踏むのが怖くて言葉を選んでしまうから会話が弾まないのだよ。
そうやって男は寡黙になっていくのである。

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