パン作り 0
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今時、親と同居してもトラブルの元だし、スープの冷めない距離が最適ということで、親の家の近くに親に家を建ててもらった友人は、結構多いです。家は自分で建てたとしても、土地は親の土地って場合はもっと多い。それってうらやましいけども、ごく普通の事と思ってます。我家ももし夫の会社が移転しなかったら、子どもが生まれてからは親の実家に同居してたと思うし、大きな負担となる、家の資金を自分で全部負担していたら、ごく普通の収入の家庭では、まず共稼ぎは必須。それでも家のローンと子の大学進学が重なれば、高校時代から塾代や受験料など、負担がとても重いです。でもそれって・・・本来そんなに大きな負担になってはならない事だと思うのです。普通に働いていたら、小さな家くらいは買える、子も進学が自由に選択できる、そんな社会を、単純に求めるのが、とってもまっとうな事だと思うのです。大昔の貴族と平民や奴隷の階級社会ではないのだから。平民も普通に生活していれば、衣食住に困らない、それが目的の国の政策だと思うんですよね。でも、時々見かけるのが、親に家を建ててもらうのを「甘えている」「自立していない」と批判する若い人の意見です。子供の頃から、「他人に迷惑を掛けてはいけない」と育てられてきた、今の若い人たち。私の場合、「若い人」に40代位の人も含まれているかもです。正直言って、昭和34年生まれの私の子供の頃は、「挨拶しなさい」「悪い事はしてはいけない」「嘘をついてはいけない、騙してはいけない」(でも、思いやりのウソってのは、良い場合もあるけどね、みたいな)とはよく言われたけど、「他人に迷惑をかけてはいけない」、という言われ方はあまりしてこなかったです。又、「よそは、よそ、うちはうち」この事もどうにもならない現実であり、(将来は変わるかもしれないけど、今は)不公平でも受け入れて暮らせよ、って事を幼い頃から受け入れるよう訓練されていた気もします。それに、ともかく周りの大人が近所の子供たちに関心大で、いつも声を掛けられ、お菓子をもらい、家へもってけと何かを預かったり、困った時はもし気が付いた大人が要れば、そこでも放っておかれずに、おせっかいを焼かれるのが当たり前だったしなあ。近所の大人にみつかると面倒なので、放っておいて欲しいと思ってたくらい。それが、今の義務教育では、先生も親も「全員に同じ経験をさせてやらないと、不公平だし、可哀そう」って感覚で、各家庭ではそれぞれ経験できる事が違うのだから、学校で同じ経験をさせてやらねば。。。と、学校の行事を思いっきり詰め込んできたように思う。平等にしてやろうとこっちは頑張ってるんだから、はみ出して迷惑をかけるなよ、全員足並み揃えて当たり前なんだ・・・という学校のプレッシャー。それが、不登校の引き金の一つのようにも感じます。昭年生まれの私の年代では、まるこちゃんの世界よりもっといろんな子、いろんな家庭があり、それなりに皆与えられた環境が違うんだな・・・と子どもながらにわかっていました。海外旅行に行く子も(ごくごくたまに)いれば、当時は自家用車もそんなに持っていない時代だったから、ドライブ経験がない子も居る、それが当たり前だった。学校でも一緒の行動についていけない子もいるから、周りの子が手伝ったり、そのうち面倒を見る係にされちゃって先生にもあてにされたりして、そのせいで次の授業に遅れてしまったり。一見冷たそうな美人なのに、そういう責任感や優しさのある級友の新しい面を見て、いまだにあの子は素敵な人だったと思い出したりするのです。大変ではあるけど、それも経験だし、助け合うのが当たり前、イヤなところ、コワイところがある子も、はじき出したりせず、なんとか当たり障りなく平和に過ごそうって思ってましたね。皆同じじゃなくて、この子にはこんな大きな欠点・・・ってか、付き合い辛さがあるけども、だからって全否定はせず、社会に受け入れるのが当たり前っていう。もちろん、完璧じゃあないし、小競り合いは毎日のようだったので、その中で自分はこう思うとか、腹が立ったとか、声を出すことも学んでいた。だけど、「人に迷惑をかけるな」と社会や親全体に言われて育ったら、迷惑をかける子は、「間違い」であり、「悪」になってしまいます。今、闇バイトに手を染めてしまった子達の報道を見ると、生活の為なんとかお金を稼がなくてはならない所まで追い詰められていたりみたいで、親や祖父母に甘えることをせず、自分でなんとかしなくちゃ、って気持ちを感じるのです。周りは、「お金のことなら相談してくれれば出すけたのに」「お金に困ってるとは、言ってなかったので、気づかなかった」とビックリしてしまうけど、多分子供の頃から、周りに迷惑を掛けたり、甘えたりすることを学べなかったんじゃあないかな?そんな気がしてしまいいます。
2024.10.27
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洞口さんは「10年近く向き合っていますが薬飲んで対処。扁桃腺オペには中々踏み切れず」と説明した上で、「生きているってつまりそういう事。だから辛くない。生きている事をありがたく機嫌良く過ごしたい。みんなと今回の映画祭を通じて愉しみたい」と、自身の映画祭を控えて、前向きな気持ちでいることを綴りました。生きている事をありがたく、機嫌良く過ごしたいまさにそれが、生きるコツかなあと思います。生きていることを楽しんでいれば、周りも心配しつつも救われますね。そういう風に生きたいなって、私も思っているのですが、機嫌良く暮らすことは、言うほど簡単ではない・・・という人も多いのではないでしょうか。私も目指して、毎日をコツコツ過ごしていけたらな。
2024.10.22
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今日の空車の窓から見た時、自然とアニメ「母をたずねて三千里」のオープニングの歌が頭に流れました。思ったより似ていませんでしたが、久しぶりにこの曲を聴いてとても懐かしかった。昭和中盤当時子どもの私には、イタリアという先進国からアルゼンチンという後進国に、どうしてお母さんは出稼ぎに行かなくてはならないのだろうと、まずその設定が良くわからなかったです。大人になって映画などを観てから知ったのですが、この物語の当時アルゼンチンは>移住者の増大,大土地所有の普及,農牧業の発展,鉄道の発達, 外資 の 流入 などによって,19世紀末より経済的繁栄を続けたという時代だったのですね・・・ウィキに寄れば、「アルゼンチンのパラドックス」20世紀はじめに加速度的な経済発展を遂げながら、その後の凋落もまた加速度的であり、先進国(ただし農業・畜産業国)から発展途上国に転落した唯一の国となったアルゼンチンは大恐慌(1929年に始まり、1930年代後半)まではきわめて安定的かつ堅実な国家だったが、恐慌が起こってからは最も不安定な国に数えられるようになった。1930年代以降、アルゼンチン経済の凋落には著しいものがあったにもかかわらず、1962年まではアルゼンチンの1人当たりのGDPが、かつての宗主国であるスペインは言うに及ばず、オーストラリア、イタリア、日本よりも高かった1930年代から70年代まで各政権は「経済の自給自足」を達成するため、輸入代替を追求する戦略をとっていた。しかし、政府が「工業の発展」を推奨したことで資本は分散し、農業生産は劇的に減少・・・どことなく、日本の高度成長とその後の失われた30年と少しダブる気もします。数年前に、アルゼンチンの映画で、ユダヤ系移民の子孫が、将来が見えないアルゼンチンを脱出し、ポーランドに移住したいと願う映画を観て、それから余計にアルゼンチンの歴史の不思議が気になっていましたが、今度ちゃんとアルゼンチンの歴史の本でも読んでみようかな。「僕と未来とブエノスアイレス」アルゼンチンの映画ももっと観てみよう。<めじろ奇譚>アルゼンチンとイタリアの関係ヨーロッパの国々に広い土地を安く提供する代わりに、アルゼンチンで農業を行ってもらうという方法で移民を誘っていたそうです。独立後から20世紀中頃にかけて、内戦から逃れるため約300万人のイタリア人が移住し、その数は当時アルゼンチンに住んでいたスペイン人よりも約100万人多いものでした。ちなみに、かの有名なアニメ「母をたずねて三千里」は、1882年のブエノス・アイレス(アルゼンチンの首都)に出稼ぎに行ったまま、音信不通になっている母アンナ・ロッシを尋ねるべく、主人公のマルコ・ロッシがイタリア・ジェノヴァからアルゼンチンへと渡る姿を描くストーリーです。アルゼンチンへ移住!日常はこんなにも素敵!良くない点も解説日系人を含むさまざまな人種が集まる移民の国ですが、治安は南米の中でも良く、日本人観光客の姿も見られます。月5万円で生活できるほど物価が安いことや、買い物途中に気軽に話しかけてくるフレンドリーな人が多い・・・こちらのサイトでは良いところと悪いところが紹介されていますが、もし可能であれば旅行で行ってみたい国の一つです。
2024.10.13
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職場の女性の先輩(70代)Aさんの何気ない言葉「嫌な事は気にしないようにしている」と言う。もう少し年上の男性の先輩が「どうやれば、気にしないでいられるのか?」と。私が「考えないようにするしかないかな?」などと三人で雑談してたんですが。「忘れるよう、努力するのよ」と。「努力」!!今まで考えたこと無かった。そうか、努力が要るんですね。「考えない方が良い事は、忘れる努力」を習慣にすれば、Aさんみたいにいい感じの70代になれるのかなー。なかなかいい話が聞けた一日でした。
2024.09.13
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歳をとるにつれ、若い頃持っていたものは、そのまま持ち続けられるわけではないのだなと思う。モテていた人が、冴えなくなるのも良くあることだし、IQが高かった子が、それを生かしているわけでもなく。あんなに活動的でアイディアが溢れていたのに、今は・・・という事も多いものだ。昔以上に、想像以上に活躍している人も多いけれど、なんにせよ、若い頃の恵まれ度や持ち物で、将来が決まるわけではないなあと、つくづく思う。給料や収入は、確かに若い時に決まってしまうかもしれないけど、でも今時給料だけが収入ではない。投資や副職もある程度誰にも可能になった。(昔は株も、ネットではできなかったから、サラリーマンでも昼間に証券会社に行くか、電話しなくてはできなかったので、営業職か役員などでないと難しかったのだ。しかも、スマホどころか携帯自体が無かったのだからね)自分らしい決断と選択を繰り返して、失敗したり、上手く行ったと喜んだりを繰り返した結果も、今と、5年後、20年後では変わってくるんだろう。どんなに報われないと思っても、悲しく辛いと思っても、やっぱり早々に諦めたり、手放してしまったりしない方が良い。まだまだ、誰にも分らない将来、黙々と生き抜いたら、それが一番なのかなあ。
2024.08.16
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ずっと親にも、小鼻が小さいので金運が無いと言われてきました。でも、最近サングラスをして気が付いたのですが、あれ?なんか、前より鼻が目立つような???ネットで検索して見るともしかして、小さい小鼻というより、三番目の少しふっくら盛り上がってる小鼻かも?今のところ、金運は特に良くもないけど、年齢と共に?ってか、ずっと正社員で働いてきたから?ですよね、、、でも、悪くもないなあと最近思うようになりました。もしそうなら、今後少し楽しみです!鼻の形で金運、仕事運、性格がわかる | 人相 (uranailady.com)
2024.08.16
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ん?今日は・・・オリンピックのせい?ネットの通信がすんごい遅い。どうしてだろ?心付けって、こちらから相手にお渡しする事の謙譲語かしら?ちょっと今他に言葉が思いつかないので、とりあえず使わせてもらおう。退職の日に、何人かの社員さんから、お菓子やタオルなどを頂いて、以前から思ってたけど、そういうお心づかいって、染みますね。癒される~~、ありがたい。退職って、場合によってはお払い箱、って感じもあって「さあ、もう新しい時代が始まったんだから、邪魔者はサッサと去れよ」でもあるわけで。自分で決めたことだし当たり前で、未練もカケラもないし、それはそれでいいんだけど、でも少し気持ちをもらうだけで、こんなにこんなにありがたく、嬉しいものとはね。私も、お世話になった人には少し気持ちをお渡しすることもあったけど、その範囲はもっと広げても良かったのかもなあ・・・と思った。まあ、今更ですけどねーそれでもまだ人生は続くので、これからはもうちょっと物を上げたりもらったりしてもいいのかもね。そうか、そういう経験で、あんなに年寄はモノを上げたがるし、お返しにも熱心なのね。
2024.07.28
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今日、TVの日本のインバウンド特集で、外国では宗教で寄付をすることはあるが、日本のお賽銭のように、個々がお金を入れるようなことはなくて、それがとても良いと思う。というような話が出たのだけど・・・良く考えたら、たった5円でお願いするなんて、日本人ってほんと、調子がいいよね。と言ったらば、夫が、「神様は、お願いをかなえてくれるわけではなく、お願いを聴いてくれるだけだから」という。なるほどねー?ま、いろんな説がある事でしょうけども。んっ、それなら、会社の愚痴をお賽銭入れて聞いていただけるのかな!?家族や友人に迷惑かけて聞いてもらうより、いいかもーーーって一瞬思ったんだけども。いやいや、現実できないわなー。神様に失礼で。それと同じくらい、愚痴を人に聞いてもらう事も、失礼な事なんだよねー。わかっちゃいる。わかっちゃいるし、愚痴った後って、余計気持ちが重くなるのよね。聴いてもらって、悪かったなって。もっと楽しい話したほうが良いって、わかってるもん。じゃあじゃあ、一体どうしたら良いのだろう。うーーーーん・・・私は動画を観るのが、面倒で、あんまり見ない。数秒、数分、本当に見たいとこ以外の、挨拶や前振りを長々見てるうちに、「もういいや」って、消してしまう。でも、pinterestとかの画像だと、延々と見ちゃうのよね。最近見るの、人生の格言みたいの多いなあって気が付いた。自分には、こういう格言が大切だわ、とどんどん保存するんだけども、見返すことは無い (;^_^Aでも、今日は見直してみた。人が自分のために使ってくれた時間は、その人の命であることを忘れてはいけない落ち込みやすい人は自分について考えてる時間が長い大切な人や推しを考えれば落ち込みにくくなる何が私を苦しめているのか自分が握りしめているその物差しです意志が濁れば 意地になり口が濁れば 愚痴になり得が濁れば 毒になるうまく行っていない人ほど他人を批判するほんとうにやさしい人は「正論」よりも「寄り添い」で接してくれる人上手く行った時に褒めてくれる人はたくさんいますが上手くいかない時に支えてくれる人はめったにいませんもしいたら誰よりも大切にしてください問題は他人事のように考えるとちょうどいいどうでもいいことを気軽に話せる人こそが実はどうでもよくない人
2024.06.01
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平穏に、辛い事無く暮らす毎日を、やっぱりどうしても当たり前の平凡でつまらない毎日と受け止めてしまうのよね。実際半数の人が一度は癌にかかるというし、その中でがんで亡くなる人は二割前後らしい。治療や手術を経てもう癌にかかっていた事を、周りは忘れかけている人も多いけど、本人は毎年定期健診で再発に怯えていたりするんですね。今のところ、まだかかっていない、もしくはそう信じている人たちと、癌が判明した人の間に、境目というものは無いのかもしれないな。。。と感じる。そして、意外と改善したり、期待しても回復せず亡くなったり、予測がつかないものなんだ。癌になっても、毎日ほんのりゲスだったり、笑顔で楽しんだりして毎日をごす。癌でなくても、同じなんだな。今を、笑顔で過ごせたら何より素晴らしい毎日。あと、ネットの仲間には、間近にいる人に言えない事も意外と聴いてもらえたという話、そうかもしれない。私もここで書いて、コメントを頂いて、なんとかやり過ごすことができたこと、沢山あったと思う。癌になったと聞いた時、どう声を掛けたら良いのかわからないのも正直な気持ち。でもネットでは、見知らぬ人がかけてくれる言葉にも励まされたという事を聞き、それで良いんだなと思ったり。やっぱり、良く知らない人にわざわざ声をかけること、現実には難しい。余計なお世話とか、良く知らないくせにとか、自分は健康だからって気軽に言うなとか・・・そう感じられてしまうかもしれない怖さがあるから。。。でも、しらんぷりより良いのかな?難しいから、何かできるかどうかはわからないけど、でも、表面の言葉ではなく、心が伴えばいいのかも。ただ、私の場合余り共感力が無いので、ちょっとハードルが高いのですが
2024.04.29
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夫が、いつも新しいギャラクシーの成田凌さんのCMで、傘が沢山かかっている場面が映ると、楽しそうにふふっと笑うんですね。私もこのCMは好きだけど、でも笑う意味が良くわからない・・・ところが、私は私でダイアン津田さんが馬鹿にする平野レミさんのブロッコリーを、深津絵里さんがおそらく苦労してまさに今できたところの、オールフリーのCMに、毎度ふふふッと、どうしても笑ってしまうんですねー。自分でも毎回毎回どうして笑ってしまうのかよくわからないんですけど。https://youtu.be/j8yG-SoMJZ0
2024.04.22
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仕事の無い日はのんびりと、そして普段できない衣替えや大物の洗濯などを片付ける事ができる大切な日ですが、私の場合どうしても、老後の不安とか?後、暇があるとふと、過去の後悔とかで心が暗くなってしまいがちなんです。まあ、昨日の日記にも同じような事を書きましたが。そしたら、今何気に開いた記事で、少し元気をもらいました。同じようなことが、沢山の老人に起こっているのですね。私だけではないのだなと。「老後の楽しみが何もない」を一瞬で解決する“すごい方法” (msn.com)ある研究では、心配事の4%は自分の力では解決できないようなこと、残りの40%はただの取り越し苦労、30%はすでに起きた出来事に関すること、22%はごくごく些細な悩みごとだと言っていますつまり、大切な時間とエネルギーを、考える必要のない96%のことに吸い取られて、今日を楽しめずにいるのです。これについて、インド人宗教家のオショー・ラジニーシは、次のように語っています。「人生とは経験であって理論ではない。人生に解釈は必要ない。人生とは生きることであり、経験し、享受することである。1分、1秒ごとに命があなたのドアをノックする。しかし、あなたは頭の中で考えている。あなたは言う。 “待て。私がドアを開けてやるから。その代わり、決定するための時間を私にくれないか”と。命は微動だにしない。ただ一生、日常が訪れて、去っていくだけ。あなたは、ただ苦しそうに引かれていくだけである」紹介されていた本、楽天ではレビューや評価がまだついていないけど、早速読んでみたいと思います。もし私が人生をやり直せたら [ キム・へナム ]
2024.04.14
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満開の桜は美しいですが、散り行く桜もいいものですね。柔らかな明るい新緑の葉が出てきて、色合いも可愛らしいです。川面の花びらが流れていく様も、観て飽きないですね。最近川の流れのようにのカバー曲がCMで流れると、必ずそのCMに見入ってしまいます。https://youtu.be/z-d3dbAJifEアイナ・ジ・エンドさん、魅力的。。。https://youtu.be/yq5t4hC4WuI
2024.04.13
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金曜日、何とか今週が過ぎました。花粉のせいか雨のせいで洗濯物とかがスッキリ乾かず、手間が多くなったせいか、ものすごく、ぐったりしています。疲れました・・・でもその分ぐっすり眠れて、ここ何年か、夢を覚えていることが全くなかったのですが、なぜか夢を記憶して起きる日が多くなりました。昨年亡くなった猫のりろと夢で会えた時は、もう完全に二度と会えないと思い込んでいたので、夢だと認識してたけど、気持ちが爆発するほどの喜びにドカンと襲われてビックリしてしまいました。りろに会えたことが、これほどまでに嬉しいとは。今まで、夢なんてどうせ脳が作り出した幻に過ぎないと思ってましたが・・・今朝の夢は、娘と知らない街をさわやかウォーキングしてる場面で・・・そう、昔は知らない街を歩き回る夢を良く観ました。歩き回るだけでなく、船で沖に出て、素潜りし何か大切なものを探す夢とか、あと、追いかけられる夢とかも。雨上がりの爽やかな空気と、濡れた緩やかな坂道の石畳・・・素敵なお店があったので入ると、木枠の大きな窓から綺麗な植物や山の風景が見えました。でも、お店だと思ったら知らない方のリビングで・・・(;^_^Aりんとした江戸っ子みたいなぴしゃっとしたしゃべり方をするおばあさんが、シャキシャキしゃべりながらも、温かく無作法を許して仲良くしてくださったのが嬉しくて。。。みたいな。夢なんて意味は無いけど、でも小さな場面が美しくて、楽しかったです。そのおかげで、今朝は寝坊してバタバタで、週末余計にクタクタになってしまいました。昨年までは、寝付けない日も多く、疲れていても朝は4時とか5時とかにどうしても目が覚めてしまっていたのですが、最近は寝起きが悪いです。ジム通いのおかげでバタンキューなんでしょうかね。たいした運動にもなっていない気もするし、あれから全く体重が減らないのですけど・・・まあ、運動は大事ですしね。
2024.03.09
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欲しいけどセールにならないコート、今日売り切れてました(;^ω^)ま、しょうがない。ご縁が無かったという事で。春先には花見を兼ねたウォーキングで、まだ肌寒い中結構出かけるんですが、もう真冬のコートの気分じゃないし、でも意外と風が強かったりで寒いんですよね。なので、ハーフコートが欲しいんだけども。でもまあ、薄手のスプリングコートも、ジャケットもあるしね。10年選手のユニクロのダウンも、まだ使えるっちゃ使えるし。無駄使いしないで済んで良かったと思おう。あと半年で定年退職と思うと、ちょっと財布のひもも引き締まる今日この頃ですわ。ま、65歳からは年金も出るし、半日パートを探せば今と同じ位の手取りにはなるんですけど、老後は心配ですよね。イヨイヨ老後かあ。。。って感じです。
2024.03.06
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猫は、自己中だけど、とても暖かくて優しいし、細かいことは気にしない。イヤな事は記憶に残っているだろうけど、自分が快適に生きる為なら、そこそこリセットできるように思う。猫が執念深いと思う人は、猫にひどいことをし続けた人ではないのだろうか・・・悪意無く、とか、ウッカリとかしてしまったことで、いつまでも根に持つ猫は、今まで見た事が無いと思います。かといって、何より自分の居心地や快適が一番という姿勢を貫いているとこ、真似していきたいなあ。小さいことは気にしないでね。気にしたからと改善するようなことも、無いしねえ・・・さあ、元気出して行こう!!(泣)
2024.02.16
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コロナのせいもあるかもだけど、もう4年半経ったんだわーーーと思うと、ちょっと驚く!60歳の時は、これから老いていくのだと、なんとなく不安で、でもまだ元気は元気だし…って感じで。64歳の今は、60代にすっかり慣れて、むしろ、老後はもっとのびのび自由に生きて良いのかもしれないと思い始めた。昨年実母が亡くなり、正直肩の荷が降りた。本当の気持ちを言えば、人は85歳位で死ぬのが一番良いのかもと思ってる。実母も義母も、80歳の頃はとても元気だったけど、85歳を過ぎた頃からは、一人では生活できなくなってしまった。親の面倒をみなくていい人は、長生きして欲しいというかもしれないけど、毎日世話を続けながら、自分自身も老いていくのは気が重いことだ。とはいっても、寿命なので人それぞれ頂いた寿命を全うするのが良いことだし、もちろん自死はできるだけ避けなくてはいけない。でも、自分が置いた時の事を思うと、子供たちの重荷になりたくない気持ちが強い。かといって、我々年代の年金だけで老夫婦2人老人ホームに入る資金は足りない。せいぜい片方が入り、もう片方が少しは世話をするのが精一杯・・・ってか、一人入ったら、残りの一人は生活費もほとんど残らないわーーー(;´・ω・)2人で50万円・・・そんな年金もらえる夫婦って、今90歳前後の世代なら意外といるんだけど、今の60年代じゃあもう少ないんじゃない?今後どんどん少なくなるわけだし・・・どうなってしまうのか考えると、心細いわあ。でも、TVでは毎日畑仕事をして元気にお過ごしの90代もおられて、長生きするならこんな風でいられたら良いなあ…とも思う。毎日毎日、歩いて、そして仕事して。足腰丈夫でいられたらねえ・・・5年単位で考えたら、60-65のブロックがもうすぐ終わろうとしている。とすると、65-70、70-75、75-80、80-85と、せいぜい長生きしてもあと4ブロックなんだなー。この4年半は、イヤな目に合う職場で精神衛生上非常に良くなかった。でも、友人と沢山遊んで楽しい期間でもあった。読書会、日本画、ウォーキングがてらの小さな旅もチョコチョコ行けた。65歳からの5年は、もっともっと楽な気持ちで、やりたい事を、恐れずになってみたい。残り少ない人生、今までの人生では恥ずかしい事ばかりしてきたなあ。今からそれを変えられるとは思ってないけど、なら、少しでもいい方向に、積極的に動いてみよう。あと、可愛い服を着てるちょこんとしたおばあちゃんに向かって。考えてみたらこの4年は、15歳の子が19歳になるのと同じ位大きな4年だった。幾つになっても、4年は4年なのかもね?歳をとった4年間は、もっと意味のない短い4年かと思ってたよ。。。
2024.02.08
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「あなたは、人に好かれるたちですか?」と聞かれても、どっちでもあるかな・・・と思うしかないけど、ほとんどの人に非常に好かれる人も、世の中にはおられますね。やはり美人か、可愛い事が多いけど、ごく平均的な方も多いし、ユニークな方も。共通点は、話すと気が楽になる・・・共感力と、意外と肯定される気分になれるってことかな。結果楽しい後味がのこります。大事ですよねー。でも、そうわかっていたとしても、なかなかできるものでもありません。ただ、私の場合今は余り人に好かれることも無いけど、「モテ期」も何度かあり、やたら男女ともに好かれる日々もありました。何故かはわかりません。でもその時、正直すごい疲れてしまいました~。毎日、沢山の人が近づいてきて話しかけられ、返答し、あちこち誘われて、どうしようか迷う、家でのんびりしてても、急にいろんな人が訪ねてくるとか。私の能力では対応に心が追い付かず、放っておいてほしいなあ。。。って、思うところがありました。人気のある人は、皆が集まってきていろんな人に時間をとられても苦にならず、楽しそうです。多分そういう星の元に、そういう性質で生まれてきて、内面と状態が調和しているんでしょう。じゃ私はどんな状態が心地よいかと言うと、正直あまり好きでない人とは、一緒に居たくありません。(そりゃそうですよね)一般的に言うような欠点があっても意外とOKなので、それでも好きだなーと思う少数の人と、気持ちが通じて、年に何回か(せいぜい月に2度とか・・・それ以下でもいいかも)会って、一緒に旅行か、ウォーキングか、ランチとかできれば幸せです。皆さんはいかがですか?
2024.01.24
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昭和40年代生まれ位の女子は、なんとなく経験があるんじゃないかと思うんだけど、家の中でお父さんと、お兄さんとか弟とかがエライ人で、お母さんは女中的な立場で、その娘である私たちは、さらにその下働き的立場・・・みたいな。あ、そういえばNHKドラマ「作りたい女と食べたい女」でもそういう会話があって、それで昭和の頃はそうだったなーと、懐かしく思い出したんです。若い女優さんが演じているのに、昔っぽいエピソードだなって思いましたが、今でもまだそういう家庭もあるんでしょうか。昔の日本では、男性が上で女が下というのが当たり前だったんです。外で辛い思いをして妻子を養ってやってるのは、男だぞ!みたいなセリフもドラマなどで良く聞きました。なんか、それほどまでに辛い思いをして働いていたお父さんって、会社で仕事ができず怒られてばかりとかだったんでしょうかねえ?高度成長期で、ノルマがきつかったのもわかりますが、でも昭和50年位まではのんびりしてたと思います。どの家のお父さんも5時過ぎには家に帰ってきてた記憶があるので。でも、会社で嫌な事があると、家に帰ってきてからお母さんに当たり散らすとか言う話もたまに聞きました。漫画「ダメオヤジ」の頃からかなあ?実はお母さんの方が強かったんじゃない?みたいな常識にかわってきたのは。どっちの家庭もあったと思います。小泉今日子さんのポッドキャスト「ほんとのコイズミさん」を聴き始めて、思いの外フェミニズムという言葉が良く出てくることに驚いて、なんかタジタジとしました。子供の頃から聞いていた「フェミニスト」という言葉は、男性がドアを開けてあげたり椅子を引いてあげたり、女性を持ち上げるような態度をしつつ、女性は自分より弱くて劣るものだから、護ってあげないといけない、というようなイメージだったんだけど~なんか違うような?とは、子供の頃から思ってたけど。むしろ、フェミニズムって真逆じゃない?フェミニズムは、性差別をなくし、男女の平等な権利を訴える思想や運動だそう。LGBTQ+(エルジービーティーキュープラス)は、「Lesbian(レズビアン)」「Gay(ゲイ)」「Bisexual(バイセクシュアル)」「Trans-gender(トランスジェンダー)」「Queer/Questioning(クィア/クエスチョニング)」の頭文字)も当然含まれる。だけどシンプルな説明では済まない程、いろんな立場の人がいるよね。最近よく「働かないおじさん」という言葉が使われるようになり、65歳まで定年が延びたせいで、会社は高給(60歳以降下がっても、真面目に働く若い子よりはずっと高い)で雇用を継続しなくてはならなくなってしまった。本人は「同じ仕事をしてるのに、給与が下がってやってられない」というけど、同じ仕事って、60歳の頃はもうほとんど胡坐をかいてろくに実務をしていなかった人も結構多いから、そのつもりで居座られても、成長していく新入社員より役に立たなくなっている。だけど、奥さんに「働けるだけ働いてもらわないと困る」とか、言われて尻を叩かれているんだろうなー。まだまだ働こうと思えば働ける年齢であることは確かで、人によって仕事の質と量は格段に違っちゃうおじさん達の存在、若い人から見ると邪魔な存在になってきている。それでも、若い人を成長するよう見守ったり、助けたりすることもできるはずなのに、自分の若い頃の至らなさもスッカリ忘れて、少し失敗すると「あいつはダメ」とか早々に切り捨てようとするんですよ。自分の保身ばっかりで、ミスした時はその場に居ない部下のせいにして「〇〇に指示してあるのに、まだやってないのか」とか言って済ますオジサンも多く見かけます。ただ、男性にしてみると、妻は気楽に辞めたり転職したりして、パートで自分の小遣い稼ぎをしてるけど、自分は辞めたくても辞められず、転職だって自由にはできない責任を負って生きてきた、という思いがあるでしょう。女性の場合、男性と同じなんて、大変なばっかりでイヤという本音もありますよね。仕事がイヤになったり、家事分担で家庭内での不平等を感じたら「辞めて専業主婦になってやる」とか、「フルタイムじゃ疲れちゃうから、扶養の範囲で働けるなら」と転職できるという気軽さが。私自身フルタイムで働いているけど、「専業主婦でもいいのに、働いてやってる」的な気持ちがどこかにありますもん。イヤイヤ、よく考えてみ?夫の収入で買いたいものも自由に買えない生活より、自分が働いてる方が気楽で自由だから働いてるんでしょ?自分のためだよね?・・・なんですけども、「夫が全て家計の責任を負うべき」って意識が、基本にある。ただ、家事や育児の問題では、どうしても妻にばかり負担がかかり、仕事と育児両方やったら絶対妻の方が大変!!だったりするのも事実ですよね。っていうか、育児だけで、会社で仕事しているより何倍も大変です。でもそれ、なかなかわかってもらえないんですよね。育児出産未体験の人なんか、「まさか、うそ~」って言いますもん。男性の育休も、「何もできないヤツが家でゴロゴロしてても邪魔なだけだし、しかも育休の給付金じゃ給与よりかなり低いので、育休など取らずに仕事に行って欲しい」ってのも本音でしょう。しかも、家事育児も必死に頑張ってフルタイムで働いても、女性の場合ずーーーーっと低賃金のままです。若い頃はそんなにまで差が無いけど、年齢を重ねた時役職がある女性も少ないし、基本給が30万以上になる女性は大企業でないと田舎ではまずありえません。男性の「仕事を辞められない」立場もわかるけど、でも、もしも女性の賃金も同じ位になるならば、男性でも女性でも、どちらが働いても家計を維持できるようになるでしょう。賃金格差が無くなれば、男性だって専業主夫を選択できるようになるはず。役場なんかに電話した時思いません?男性が出ると要領が悪くウダウダ時間がかかる事が多くて、対応が女性だと早く正確にサッと済むとか、そういうこと。女性の方が仕事できないなんて、絶対にウソ。確かに性による違いはあるけど、でもそれだけではないです。そう考えると、やっぱりやっぱり、性差別を失くしていきたいと思うんだけど、絶対に実現しないですよね。でもさ、会社ではなく町内会なんかの、報酬がほとんどないような仕事だと、高齢の男性が順繰りに会長始め三役を引き受ける事になってて、女性はやらなくても済むの、気が楽。町内会の防災だの美化だのの委員長だって、男性役員が居れば長は必ず男性がやってくれることになっている。そういうとこ、女性はちょっと楽させてもらっているんだよね。でも反対に「女なんかが会長なんて、ありえない」と抵抗する人もまだまだ多いかもしれないけど。小泉今日子さんは芸能の仕事で、収入面では性差別だけで差が付くことは無いのかもしれないけど、やはり女が口を出すことや、意見を言うこと、知識がある事だけでも、男性から批判される事もあったんだと思うんですよね。若い頃美容院で読んだ週刊誌で、「小泉今日子は言いたい事を言って性格が悪く、評判が悪い」と書かれた記事を読んだことをずーーーっと、今でも覚えています。当時大学生だった私は、その記事の内容について「エ、そんなことも言っちゃいけないの???」と、ビックリしたからです。おぼろげだけど、「田舎に(仕事で)行く時は、こんなフリフリの服着ていきたくない」とか、そんな感じの発言が2~3個紹介されてたんですけどね、田舎育ちの私は馬鹿にされてるなんて思わなかったなあ。ってか、そもそもアイドルの服、余りにフリフリで変って思ってたんで・・・小泉さんはオシャレだから、普段着はもっと違う服なんだろうなってそうイメージできたんですね。生意気と言われ、又芸能界でセクハラなど、嫌な思いはあったでしょうね。それでもずっとコイズミさんを貫かれた、聡明な女性でカッコイイです。
2024.01.21
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noteは、人の話を少し深めに聴いたりとか、長い文章を読むのが好きとか言う人でないと、面倒になっちゃうサイトかなと思います。なので、面倒で行かない日も多いのですが、時間に余裕がある日ややることが無く退屈な日なんかに行くと、いろんな新しい情報や、実際に体験している人のリアルな話が効けたりするので、私は気に入っています。今日は、一人お遍路をしたり、NPOでアフリカに学校を建てたりの活動をしている女性の記事を発見して、なかなか面白く感じてフォローしたのですが、その中で私が良く知らない言葉がありました。『HSS型HSPを改善したい』とおっしゃるのですが、私はその意味が解らなかったので、調べてみました。この中でどれかと言われたら、私も同じですが、アオノさんのように活動的では、まるっきりないです。だから、アオノさんの書き物がとても面白く感じます。生き辛さもあるのかもしれないけど、誰もが結局は自分の心のままに生きる事しかできないですね。
2024.01.21
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このあいだ、マツコが、約束があるとどうにかして行かずに済まないかと考えると言っていた。段々気が重くなってしまうって。わかるわあ。そういう人って結構多いんですね。私も特に子供の頃、楽しい予定や、中の良い友達との約束や、約束した時はワクワクしてるのに、その日が近づいてくると、面倒になってしまって・・・自分はなんて協調性が無く、自分勝手なのだろうかと、我ながら不思議に思いつつ、何とか気持ちを切り替えようと試みてみたって、やっぱり前日には「熱が出たことにして、朝寝坊しようか・・・」などとぼんやり考えてしまうのだった。それでも、行ってみたら予想以上に楽しいという経験が繰り返されて大学時代は漫画研究会での合宿や、スキーとか本当に楽しい記憶となった。予定を無かった事にして、グータラしていたかった、子供時代の私からは想像できなかったことだけど、家の事情で急に行けなくなってしまった合宿だけが、今も思い出したくない悲しい思い出になってしまったことが、むしろ意外。あ、そういえば今思い出したけど、卒業後無理やり行かされた合宿も面白くなかったっけ。。。あれは、メンバーが元々漫研男子と、他グループ女子との合コンだったようなのに、恩義のある先輩が、変な策略をしてね。やっぱり大事なのは、その場に私が参加しても自然で当たり前のメンバーの一人としていられるかどうかなんだよね。友達男子数人と一緒に、女子一人でスキーに参加したこともあったけど、他大学の女子たちと同じ部屋になって、すっかり仲良くなってめちゃくちゃ楽しかった事もあったし、卒業間近の自動車免除の合宿でも他大学の子達と仲良くなって良い経験ができたから、最初っから特別仲良い人と一緒でなくても全然構わない。ただ、そこの私が混じっても大丈夫な、対等の関係であればそれで快適だし、それぞれの想いを自然に話せる同士であれば充分。だけども・・・仲良くなれそうで、今一つ通じ合った気がしない仲間も無いわけではない。会社とか、クラスメイトとか同じ場所で何年か過ごしたりして、同じ年代だから仲間にはなるんだけども、話をしても響き合わない場合。明日会う約束をしてるのは、そういう意味でちょっと不安なメンバーなので。何十年ぶりかで憂鬱になっている。大学ではあんなに楽しかったけど、中学高校とあんまり楽しくなかったから。。。生まれは地方ではまあまあにぎわう街中だったけど、小学五年生で山の町に引っ越し、それからはどうも心が通じ合う程仲良くなれた友達は数えるほどしかできなかったんだよね。どうもその土地に馴染めなかった。。。だけど、何故か地味で冴えない私と会いたいという旧友もいてくれて、時々誘ってくれて会うんだけども・・・なんか話しても話してもすれ違ったままなような、もどかしさが残るんだ。ま、そこまで求めず、近況を伝えあって、理解したり、笑いあったりで充分なんだと思おう。
2024.01.19
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誰かと自分を比較するって、詰まるところ、自分が全部勝ちじゃなきゃイヤ!!ってことなのかもなあ。。。確かに大谷みたいに、自然に全部勝ちな生まれの人もいるんだろうけど、少なくとも私はそうじゃないし。自分が明らかに負けているとしても、別にいいじゃん。それって当たり前の事なのに、いつから素直に受け入れられなくなっていたんだろう???若い頃の私はむしろ、いつも誰かの後ろに隠れていたい、目立ちたくない、って思っていたよね。得意な事も幾つかあるけど、全体的に自分はやや劣るの立ち位置でいるのが性に合っているとわかっていたのになあ。うーん・・・不思議。どうして、人と張り合ったり、妬んだり、ムカついたりするようになったのだろう。いつから???自分の人生を楽しく生きるには、絶対に誰かと自分を比較しちゃダメ。比較するとしたら、以前の自分より少しでも良くなっているかだって、「チャポンといこう」でも聴いたような気がする。っていうか、あの優しくてしっかり者のお二人でも、そんな風に苦しんで生きてきた部分もあるんだよねー。そして行き着く先は、結局他人ではなく、自分だけの人生を、どう楽しめたかってとこなんだねえ。落ち込んでる時間はもったいない。私は昔の自分よりも、明らかに下り坂、って気がする(;´・ω・)りろのように生きていきたいと、最近思うようになった。いつも自分を愛し、自分を愛してくれる相手もたっぷりと愛して、相手にも愛情と愛情表現を求めて。かといって、さらっと。自分のテンポで、毎日快適な場所をみつけては昼寝してる猫のように、生きられたら良いよねー。
2023.12.27
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人気のポッドキャストらしく、聴いてみたら、なるほどなあと思った。すごくわかる。土とか泥とか・・・私も長年、自分はそれを選んではいけない、持ってはいけない、望んではいけない…みたいな感覚を持って生きていたから、土(泥)族だね。でもこれが人気だという点にビックリした。共感する人がそれだけ多いってことだよね?そうなんだ・・・って。小宗派だと思ってたのに。ってか、多分少数派ではあるのだろうけど、今までそういう話をしたり聴いたりする機会が無かったのに、意外とそういう感覚持って生きてる仲間が存在するんだー!?って驚きと、ふむふむ、結構普通の感覚だったんだねっていう、安心感。ただ、全部がそういう感覚ではないから、余り長くこの件について話すのはちょっと面倒になってきた。それでも、「そうそう、わかるわあ」って調子で、ついつい続きも聴いちゃうんだけどね。************ただ、色々聞いて思ったのは、人気のポッドキャストが必ずしも自分にとって面白い話とは限らないという事。特別人気があるわけでもないとか、余り知られていないとかでも、話し方や声、もちろん話の内容がしっくりきて、なんとなくずっとこの人の声聴いてたいなあ、みたいなのが一番心地よいかな。
2023.12.21
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ラリマーと言う石と山梨宝石博物館で出会い、宝石にほとんど興味がないが、鉱石には他社王興味がある私・・・に妙にシックリきて。その場では購入したいシンプルなデザインがみつかりませんでしたが、家に帰ってからminneでシンプルで大きすぎず身に着けられるものをみつけて購入しました。とはいえ、バブルの頃は毎日ダイヤの小さなネックレスを付けて会社に行くのも当たり前だったというのに、今はついつい忘れてしまう。若い頃はデコルテが見えるような服が好きでしたが、今は寒さ対策で?首元が締まっている服が多いのでつける甲斐もあんまりないんですよね。見せる為ではなく、自分の心の為に付けたいと思って手に入れたラリマーと言う石。心の傷、ストレス、隠れた闇を癒す力があると聞き、私にピッタリな気がしましたが、でもその効能を知る前に、観た瞬間、何か自分にとって特別な心惹かれる魅力を感じました。つまり、一目ぼれですね。思い込みが強い私なので、気のせいかもしれませんが、自分が望む効果を感じます。周りの人をもう一つおおらかな気持ちで受け止められるような気がします。…気のせいかもしれないけどね。でも、そう感じる事が何より必要な事かなーと思えます。ラリマー 石言葉 ペンダント ネックレス 【優しさに包まれて】パワーストーン 天然石 首飾り 14KGF 愛と平和の石 癒し 優しさ 愛 お守り 占い 運勢UP ブルー レディース かわいい 可愛い おしゃれ ギフト プレゼント ペンダントトップチャーム 石言葉ペンダント↑この商品の説明書きから引用します。世界3大ヒーリングストーンのひとつラリマーは、愛と平和の石と言われ、マイナスエネルギーの感情を鎮め、優しさと親切心で満たしてくれる癒しのパワーストーンです。また、ラリマーは、世界でたった一箇所からしか産出されないため、非常に希少価値の高いストーンとなっています。(ラリマーはドミニカ共和国の南部にあるバオルコ (Baoruco)の鉱山から産出されています)●深い海の癒しのエネルギーを感じる独特な淡いブルーの色を持つラリマーは、ただ見つめているだけでも心が癒されてきます。例えば、海岸の砂浜を歩いている時に、穏やかな海から、優しい海風が吹いてくる時に感じるような、とっても心地の良い深い癒しのエネルギーを感じることができます。淡い水色は人の心を癒す色とも言われており、そんなラリマーは、まさに、あなたを癒すために生まれてきたパワーストーンと言えます。●優しい癒しのパワーであなたを包みこみます普段の生活によって生じるストレスからの解放や人間関係の改善、気分が落ち込んだ時に心を癒すなど、そんな時にきっとこのラリマーが優しい癒しのパワーであなたを包み込んでくれることでしょう。
2023.12.16
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60歳のお誕生日を迎えられ、その表情を拝見してとても嬉しく思いました。ご成婚以来、立場故の笑顔を作られてきたように感じて、いつも胸が痛かったですが、最近の雅子様は、独身時代のようなツンとしたちょっとクールな表情をされるのも魅力的です。もちろん、クールというのはきりっとカッコイイという意味で、冷たい感じではありません。高貴で温かく、自然に楽しまれているご様子に、心から安堵します。まだ体調に波がおありという報道も聞いてはいますが、でも雅子様らしいご様子が、本当に魅力的で、もう嬉しくてたまりません。私と天皇は同じ学年で、ずっと不思議な存在でしたが、長年同じタイミングで入学したりしてきたのですから、親しみも感じます。どうか、これからもお幸せにと、願わずには居られません。
2023.12.10
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子供の頃、私は自分を善人であるべきだし、多分善人側であると信じて暮らしていたかなー。大人になって振り返ると、確かに友達からは好かれていたし、信頼もされていたと思う。でも、誰かを仲間外れにしたことが無いかと言えば、気に食わない時は・・・してた。ただ、長く続く訳ではなく、こちらも何かされての反撃でもあった。お互い同等で、どちらが上でもない関係だったし、どちらに味方が無くてもあっても、一対一の事だったとは思う。だけど64歳の今思えば、いつからか私は自分が良い人とは思えなくなっていた。人を傷つける失敗を何度も繰り返し、修復することもできず。子どもの事となると利己的になり、おおらかな正しい判断ができずにいたことも数え切れない。はあ・・・特別優れていなくても、大雑把に言って「良い人」だと自分を思えたら、人生に悔いはないのかもしれないなー。自分がしてきた事に、胸を張れたら。自分も意見を持って後には引かないところはそのままでもいいかもしれないけど、同時に、温かい思いやりが無いと、結局は空しくなってしまうんだな。。。わかっちゃいるけど、なかなか・・・です。
2023.12.10
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やっと金曜の夜ですが、今一つリラックスできません。なんか今週はとっても長く感じました。誰に聞いてもそう言う方がほとんどなので、きっと今週は長かったんでしょうね(;''∀'')長くは感じたけど、でも多分あっという間に年を越してるんじゃないかという予感。今年は・・・コロナから脱却してホッとしたけど、でも余り良い事が無い年でした。心にも余裕が無く、母の死と愛猫の死と、コロナにも感染したり・・・何より会社の雰囲気が最悪でしんどかったです。来年定年という事で、それまで我慢したいと思ってますが・・・こんな精神状態で、早く来年退職したいと思う日々は、人生の一年を無駄に費やしているような、もったいない感があります。残り少ない人生の一年一年を、少しでも快適に楽しく過ごす為に、どんな選択をしたらいいのかな。
2023.12.08
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多分旧Twitterで見た話ざっとうろ覚えの内容は、足が無い方が車いすに乗っているのを見て、子どもが素直にどうしてかと、母親に聞いた時の、母親の答えである。「あなたにはおじいちゃんとおばあちゃんが居ないでしょう。」「うん、友達にはいるけど、私にはいない。」「おじいちゃんとおばあちゃんが居ないのは、あなたのせいではないでしょう。いろんな人がいるの」「そういえば、〇〇ちゃんにはお父さんがいないね」「そうね、それは〇〇ちゃんのせいではないでしょう」「うん、違う」「だからみんな同じじゃなくて、持ってるものと持っていないものがあるのよ」他人への思いやりや理解の話だけではなく、自分自身にも当てはなる話だと思った。いつも、歌が上手かったらな、楽器ができたらな・・・足が速かったらどんなに楽しかっただろう、私ホントは運動や体を使うゲームが大好きなんだけど、運痴で下手だから役立たずって思ちゃうんだよね・・・そんな思いを沢山抱えて生きてきた。でも、それは私が持っていないものだから、仕方がないものなんだな。単に、他人が持っているけど、自分には無いものの一つに過ぎない。どんなに欲しくても、手に入らないもの。だけど、持っているものがある。そんな風に思うと、心が穏やかになるなあ。自分にも他人にも、そういう思いで接することができれば、少しはこの世も楽しめるんじゃないだろうかと。
2023.11.27
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羽生結弦さんの離婚のニュースにビックリしました。確かに熱狂的なファンが多い印象ではありましたが、そこまで人を追い詰めるものでしょうか。愛あらば、好きな相手の幸せにホッとするのが理想ではありますが、確かに諦めきれないとか、嫉妬とか、そういう気持ちはわかります。でも、こんなひどい状況だったとは驚きました。又、ジャニーズ性加害問題で、なぜ被害者を傷つける人が居るのか、理解に苦しみます。どんな言葉が投げつけられて、どう傷ついたのかは、全く知らないのですが、自分の楽しみのために人の傷に塩を塗り付ける人は、一定数いるものなのですね。私だって思いやりの足りない考えを言うことは多いですが、個人をピンポイントに狙う訳でははありません。実際に自分が損をしてると思う事や、このままでは若い世代の為にならないおかしいと思う制度などについて、考える事はどうしても言わなければいけないと自分なりに考えています。むしろ、多数の強い立場の人に向かって、弱い立場から吠えているような気がしています。熊被害でクマを殺処分する事を批判する件でも、庭先で殺された人の恐怖には何も感じないのでしょうか。私も、人間本位過ぎる動物殺しには反対ですが、そもそも人は生き残るために、沢山の敵や食べ物となる動物を殺しながら、ここまで歴史を作ってきたわけで、きれいごとを言ってたらとっくに滅んでいたでしょう。平和な世の中で、生きるために闘う、相手を殺す、と言う事をただ残酷だと思うようになったとしたら、それこそ平和ボケではないかと思います。子供が通う通学路にクマが出てきたら・・・なんて、想像するのも恐ろしい。子孫を守るために敵を倒すのは、正しい姿だと私は思う。。。でもそれをできる人はほんのわずかだから、お願いして、助けていただき、感謝する事しかできません。歴史的にスポーツとしての狩りというものもありますが、大量に虐殺し滅ぼすわけではなく、戦う訓練や本能としてある程度必要なのではないかと思います。命を大切に思うのであれば、自然と共生していこうとする神聖なマタギの精神を尊重してほしいです。
2023.11.18
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今報道番組で、初めて夜間中学を知りました。高校さえも、夜間高校がどんどん無くなっていった経緯があったのに、今は不登校経験者の増加とともに、夜間中学がふえてきているそうですね。とはいえ、やはり教員不足が問題だそうです。家庭の事情で転々とした子供時代を過ごし、又いじめの経験などで足し算引き算や漢字がわからないまま、世の中になんとなく不透明な恐怖を感じて生きてきた人たち。わかる。一回つまづいたところで、一気に何もかもわからないままになってしまい、取り戻す機会もないまま諦めてしまうんだろう。私は勉強が割合得意だったのに、ニ三日学校を休んだだけで、四捨五入がさっぱりわからなくなり、その後しばらく理解できず不安だった。それが、様々な科目や分野で起るわけだものね。今の教育では、自分の努力だけで取り戻すことは難しいように思う。昭和40年代は、放課後先生が見てくれたこともあった。娘の不登校の時は、本当にありがたいことに、担当の先生が仕事帰りに我が家により、その日の教科を教えて下さって、お陰様で随分とわからない部分が減ったと思う。本当になんという負担だったことでしょう。感謝してもしきれないことです。夜間中学でクラスメイトと学校生活を経験し、勉強のおかげで出来る事、わかる事が自然と増えていく経験で、世間への恐怖が消え、見える世界も色鮮やかに変わってきたという。そうなんだよね。皆が当たり前に知っていること、身に着けていることを自分だけが知らないという不安が、生活全般に与える影響は大きくって、なかなか自信を持つことができにくいに違いない。昭和の時代から比較して、段々と学校は、できうる限り合理的に従順で均一な人を育てて送り出すシステム、に変わってきた部分があるように思う。だから、不登校経験者も増えてしまうのだろう。違くたって良いし、得意不得意がある方が良いのかもしれないし。均一であるより、違いがある方が生物は生き残れる可能性が大きいんじゃなかったっけ?誰もが、挫折してもそ先の生き方を見つけることができる助けになるのが、学校ってものであってほしい。学校教育は、教師の仕事がハード過ぎる為に、仕事内容や生徒自身を均一化することで何とか機能している危うい環境なのかも。大昔、寺子屋とか西洋の学校ができた時位にさかのぼって、先生の仕事は勉強や思いやり、マナーを教えるだけにシンプルにすればいいのになあ。もちろん、運動会や音楽会で頑張った経験、遠足や修学旅行、キャンプなど楽しい経験も記憶にある。だけども、今ほどぎゅうぎゅうに詰まっている必要はないと思う。毎年でなく、二年に一度とかでもいいはずだし、全員が同じ経験を体験する必要もない。皆が同じだから、一回はみ出すともう元に戻ることがむずかしくなるのだろうし。部活も、ほどほどで。もっとやりたい人は、親が責任を持ってクラブに属するようにしたほうが良い。先生が土日も部活に出ずっぱりとか、おかしいよね。特別やりたい先生もおられるだろうけど、それは学校ではなく、ボランティアとかでクラブコーチとかすればいいと思うわあ。
2023.11.08
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しばらく前に、やっと母の最期の年金が振り込まれたので、遺産相続の協議書を作れる準備ができました。でも、動けないんですよね。気力体力低下の一途。先日もマジでまずいと思ってジムの検討をしてたんですけど、でもまだ実際は動き出せません。ウダウダ苦しむより、ともかく汗かいたりお日様に当たったりすることで、いつの間にかポジティブに動きだ冴えるという話も聞きますが・・・猛暑のせいもあり、なかなか。昨日の日記で、気持ち自体は少し整理できた気がしてるんですけどね。体は全然ついていけません。そろそろ、せめて喪中はがきの準備だけでもしないといけませんね。
2023.11.05
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猫の葬儀が済んでほっとしたというのにむしろ、すごいだるさと心理的なしんどさに、体が動きません。正直母が開くなった時は、然程来なかったのに、不思議です。っていうか、やはり猫と言うのは物凄く優しいし、面白いんですよね。天皇陛下の園遊会で、ひふみんの話が長くなり5分もお話しされていた報道がありましたが、その中で「猫は楽観的」との表現がありました。そうなんですよ。もう体も自由に動かず、おそらく体中痛いところも不快なところも一杯あったと思うのです。食事も摂れないというのに、いつもの場所に飛び上がろうとして、床に落ち動けなくなったりしてましたが、特に悲嘆にくれる様子もなく・・・いつものように自分ができる事をしようとするだけでした。誰かを批判したり否定したり、ましてや良く怪談などにあるように恨むなど考えられません。いつでも自己中、でも他の人にも自己中を許しているように思えました。私もそういうところにとても支えられていたような気がします。自分自身も曲げないけど、勝手な私の事も家族の事も目一杯愛してくれたと思います。反対に私の両親は、心の底では私がキライなのではないかと、私はずっと感じていました。私を便利に使うには良いけど、愛情は妹に注いでいたと。なので、特に失っても心に空いた穴を持て余すこともありませんでした。ただ、生前も死後もできるだけのことをするだけです。さらに、大学時代の友人や先輩の死が思われて、ますます気持ちが沈んでしまいました。大学時代、ほとんどのメンバーが平均寿命位まで生きると信じて疑いませんでしたが、若くして亡くなった方も多く、今年も訃報が届きました。もちろん私自身も、誰であれ、突然重病が判明する可能性は低くはありません。医療が進んでいるとはいえ、治療が難しい病気はまだまだ多いものです。長生きしたいかと言えば、寿命の長さには特にこだわりません。ただ、子供たちにもう少し力を貸せたらいいなと思うし、夫婦でもう少し長く助け合って暮らしていけたら良いなと思います。でも。。。ほんと、わからないものですよね。だから、ずっと生きられるとたかをくくらず、今日できる事をして、少しでも今を楽しんで時間を慈しめたらいいですね。と、思いつつ、おそらく秋うつに陥ってます。
2023.11.04
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どうしてこう、むきになってしまうのか。。。どうでもいい、というのが昔の私の口癖で、確かにその頃はとっても気楽だったし、意外とそう思う事で、辛い気持ちも逃すことができていたのかもしれない。どうあっても、良いわよー、という、ぶれを受け止める余裕は、どこからきてたのかしら?まず、欲が無かった。目立たず、誰かに絡まれたりせず、地道に、でも自分の世界では楽しい事を持って暮らしてるようなとこ。でも今は・・・?何もかもが、どうでもいいと思えない。なんでこうなってしまったのだろう???謎・・・特に今も、気が上の方に上がってしまってるなあ。これは今年初夏に通っていた整体師さんに言ってもらった言葉。「なんでか、気が上の方に上がってしまってて・・・」って。そうそう、こういうの良くない。カッカするって言うか、もやもやくすぶってるような・・・イライラ、不満?でもねえ、衣食住そこそこ恵まれ(そのために精一杯の努力をしてきたわけだけど)大きな不満などあるわけが無い。水も、ガスや電気も不便ない生活はとても豊かなはずだよね。これを当たり前と思っちゃいけない。思い通りにいかないのが当たり前なのだから。
2023.10.11
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ちょっと、聞いてくださいよ・・・毎度のことだけど、今日も同僚(部下?)にぶちぎれました。机を一つ増やすから、いずれそこにあったキャビネットを二つ移動すると社長から聞いてましたが、突然今日机が届き、連休前でメチャクソ忙しかったけど、連休中に社長が作業したくなるかもしれず、その時キャビネットが片付いていないと、その後永遠に何年もグチグチ言われ続ける事が経験上わかっているので、やむを得ず中味を全部出して片付けたのです。私一人で。同僚は全く全く少しも手伝わず。(いつものこと)それはいいとして・・・前部長は整理がとても下手な人で、現部長も同じ。彼ら二人の引継ぎは数年あったにもかかわらず、全く引継ぎできていず、前部長の古い書類で一杯でした。それを、片付けたり、捨てたり、シュレッダーに掛けたり・・・もうそれはそれは大変な作業でした。私自身の銀行関係、WEB関係、社保、派遣等の重要書類も、他のキャビネットに移して整理したりもあり、くったくた。終わった頃、役員がきて「綺麗になったな」って言ったわけなんですよ。そしたら、同僚がすかさず「ただ、出して移動しただけですから~」って。えっ、自分がやったことにしてる=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇) 〣重ねて、私の大変だった仕事をディスってる!?∑(๑°口°ll๑)し…信じられない。その後、キャビネットをどけると、いつもだらしない彼女の落し物が一杯。腹たつし、彼女のとこは掃除機掛けないでおこう・・・と思ったけど、昭和30年代生まれの私にはそういう割り切りが、とても難しく。。。(同年代の方はわかります・・・よね?)つい、掃除機掛けたら、彼女が帰ってきて、PCが付いたり消えたりしてる!!と大騒ぎしだした。「おかしいな?」と思っても、私がそこ片付けていたの知ってるのだから、普通の人はまず私に、「掃除してもらった時に何か、触りました?」とか、「どこか電源抜けたのかな?」とか確認すると思うんですよ。で、どうにもならなかったらわかる人に聞くでしょう?でもイキナリ大騒動にして皆を呼び集めてから、私が掃除のときに電源を抜いたに違いないと社長に言わせるのですね。これも、いつも通り・・・。心底性悪なの。でも、人当たりが良いし美人なので、男性や若い子には大人気で、自分には味方が沢山付いていると知っている。私だって、仕事抜きで話せば楽しいもの。でも、もう一緒に仕事するのは限界だーーー。いつもこうやって、はめられてばかり。私って、なんて馬鹿なんだろう。自分自身がふがいなくて、悔しさがぐるぐるする!でも、無理にそういう人と付き合う必要はない・・・今まで仕事を教えてきた後輩は、心根と頭の良い子ばかりだったので、経験上こういう人種との付き合い方のマニュアルを得てきていない私。でもそれで、いいんじゃない?来年定年まで、余り考えないように。ガンバレ、どんくさいわたし。
2023.08.11
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さっき…とてもショックな事が。庭で見かけて、可愛いなと思っていたカマキリ?別の子かもしれないけど、中くらいの同じ大きさ。その死体が、PCチェアの右下にぺちゃんこになって落ちていたのだ。多分・・・今日夕方の水まきの時、私の服のどこかについて家に入り、PCに私が座った時に落ちて・・・気づかず、私が椅子で轢いてしまったんだろう。すごいショック。庭で元気でいて欲しいと願ったところだったから。はあ・・・でも、子供の頃なら恐ろしい程のショックを受けて、多分数年引きずったのではないかな。私は、幼い頃虫取り遊びばかりしていて、夕方放して帰ったと言っても、弱って死んでしまったものもあっただろう。忘れられないのが、大きなつがいのカブトムシを捕まえて飼っていたのだけど、1970年大坂万博に一泊だったか二泊だったかで行って、家に帰ると、暑さの中、腐ったスイカなどに埋もれて二匹とも息絶えていた事は、今思い出しても胸が痛くなる。どうして、もっと涼しい場所に置かなかったのだろう。誰かに世話をお願いしなかったのだろう。もう一つ、夕方駐車場で良く友達や家族とバトミントンで遊んでいたのだけど、後に下がって羽を追った時、街灯の下に行き、沢山の虫を踏みつぶしてしまった・・・あの感触。怖くて自慢は見られず、逃げて家に帰ったけど、マジであの感触に20年位悩まされた。だけど、63歳の私は・・・残念だと思ったけど、子供の頃程のショックを受けはしない。当たり前かもだけど・・・死にすっかり慣れている。そりゃ、必要とあらばゴキやら蜂やら殺してきたし。死って慣れるものなのだ。人を殺して平気な人っているのかもだけど、そういう人は、暴力や死に慣れながら生きてきたのかもしれない。そんな風に思った。
2023.07.27
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最近何度か、数人の社員の相談にのり、その内容は、「自分はこんなに頑張っているのに、給料が安い」というものばかり。で、私も全く同じ事を感じてる。まあ、世の中ほとんどがそうかもね。にしても・・・彼女たちの自己評価と、私が感じる評価との違いが、余りに大きく隔たっているのに何より戸惑う。。。幾ら丁寧に説明しても、ほとんど聞いていず、時間が経つほどに、勝手に仕事を手抜きして、本人は「仕事が早くなった」という。・・・そこまで雑な仕事を、私は今までどの会社でも観た事が無かったし。やんわりそれを今まで何度も注意してきたのだが、全く効果なし。別の人は、仕事を引き継いでも大事なとこは良く理解できず、些細な部分に細かくこだわり、「自分はごまかしはできない」というんだけど、そこ、どうでもいい部分なんだけどなー。。。(-_-;)など、など・・・・仕事ってなんだろう。自己評価って、大概の場合間違っているのだろうか。(私自身も?)
2023.07.27
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今まで何度か、不眠症になった期間がありました。一番つらかったのは、長女妊娠中で、前置胎盤で危険だったこともあり、余り動くことができず、そのせいもあるのか、全く眠くならず数ヶ月。多少うとうとしてはいたはずですが、まるっきり熟睡などできずに妊娠時期を過ごしました。後で知ると、妊娠期眠れないって事は実際あるらしいですね。ホルモンの影響とかなんとかで。今なら医師が助けてくれるのかもしれませんが、私は誰も助けてくれず、その上上の子も下の子も10ヶ月丸々ずっとつわりで、食べたらすぐ吐いてしまうというね。人により妊娠期の辛さも幸せもあると思いますが、私は実に妊娠が辛い部類の人だったと思います。もちろん、一回目に十分辛かったので、まさか2人目がもっと辛くなるなんて、夢にも思わなかったのですが。で、母が23日に死んでからも、まるきり眠れない日が続いてました。一晩中あれこれとりとめのない映像や考えが頭を流れるだけ。幻影というか、結構怖い映像や、現実的ではないので悩まなくても良いような事で、延々と悩み苦しみ、解決策を探して一晩過ぎるような感じです。でも昨日、少しお菓子を食べてみると、やっと眠ることができました。食欲がなく、できるだけ食べたく無い気分なのですが、甘いものでリラックスできたのか、お腹一杯で眠気がきたのか?凄く救われました。昨日までは、心臓が精一杯張りつめたような感じでしたけど、今日は張りつめ感があまりなくなってます。眠れるって幸せなことですね。
2023.07.04
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夫は以前から腸を長い事患っていて、元々6月に手術の予定ではあって、5月に計画通り検査入院も済み、後は手術とリハビリだったのだが、6/2に突然激痛で緊急入院となった。その時状況が悪くて手術が延期になっていたらと思うと、もっと大変だったんだなー。お陰様で無事上手く行って6月中旬に術後経過が良く退院できていたのだが、その数日後、今度は母が行きつけの病院から、緊急搬送。元々同居のきっかけが心不全のカテーテル手術後だったけど、その後ずっと心不全も、持病の糖尿病・高血圧全てとても良い状態で着たので、油断していた。あっという間に多臓器不全に陥り、帰らぬ人に。同時に、私と家族のコロナ感染。これ、どうも会社の人からうつったらしく、母が亡くなった日にすでに会社の数人が似た症状で高熱が出ていたと、後で知った。ところが、会社が用意していた検査薬が余り良いものではなく、以前から反応が出ないと不信があったももの。でもこれで、陰性だったという事で会社の人々はコロナではないということにして済ませてしまったらしい。実際、それで済んでしまったのだから軽く済んではいるということでしょうけど。母の事で仕事中や夜中に何度も呼ばれたり繰り返していた私は、心も体力も弱っていたせいか、しっかり感染してしまったらしい。そして月末に母の葬儀が済み、そして私のコロナの誰かに移す可能性の在る時期も終わった。これが最初から最後まで、全部6月の中にコンパクトに収まってしまった。もう、この6月の箱は、過去になった。7月・・・・・・少しずつでも元気になっていきたい。
2023.07.02
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昨日までは、熱の上下も激しくて、どんどん喉と鼻と耳の奥が痛くなるし、それから、来客用簡易ベッドに元々布団が敷いてあった上に私の布団を敷いてくれて、最初はふかふかで気持ちよかったのですが、気づいたら腰が外れそうにいたくなってしまっていて、力も入らないし…今までできていたことができなくなり、大して重くもないものも、どうにも持ち上げられなくなり、歳をとった母もこんなふうに思うようにできなかったんだろうな…と、少し分かった気がしました。お金が無くて施設に入れない老老介護なども、本当に思うようにならない中、しんどい毎日でしょうね。前から自覚はあるのですが、やはり私は奢っているのだなと改めて思う事になりました。今日は体温も平熱になり、喉の痛みもやや軽減してきたようです。 家族に感染しそうなのが心配です。
2023.06.26
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金曜日。今週はちょっとしたトラブルが浅く長く続き又仕事でも同僚が講習や有給でほとんどいなかったので意外と細々忙しかった。昨日から、すっごいだるい。とりあえず、今日は又お灸で少しらくになったとこ。さっきまではしんどくって何もできなかったけど。明日はできれば4時頃起きて草取りしたい・・・でも、この分ではちょっと無理かしらね。雨が降ったり、今日はとても暑かったり、そういう事も影響してるのかしら。そうそう、今朝6時前の空気ったらもう、最高に気持ち良かったのよ。何か緑の香りのよい涼しい風に庭中包まれて涼しくて、明るくてハワイみたい。。。って思った。ハワイは二度だけ行ったことがあるのだけど、もう一回行きたいなあ。行けたら良いな。でも、一回はヨーロッパ旅行もしてみたいよねえ。人生、もしかしたらあと30年程もあるかもしれない。余生というにはあまりに長い。体力維持して、できれば旅行の費用も貯めて、いろんなとこ行ってみたいな。気が付けば、最高に良い仲間に出会えた大学時代の友人は、随分沢山亡くなってしまった。今病気と闘っている仲間もいる。気が付けば、私もいつ死んでもおかしくないんだな。今、たまたま自分が生きているのね、不思議なものだ。あんなに元気で、楽しい仲間、夢を持っていろんなチャレンジをしたり、若さゆえの裏切りや独りよがりもあったかもしれない。そんなことも今思えば当たり前のこと。自我や世の中や家庭や、いろんなものと戦いながら、なんとか自分らしく生きてきたみんな。それが人生の全てなんだな。意味など無く、過ちも正しいも無く、ただ必死で生き抜く。間違いもしてきたけど、今あるものそのままだけ。自分も周りの人も、誰も否定しないでいられるなら、それだけで素晴らしいのかも。
2023.06.16
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「社交辞令」って、私もできるだけしないようにしてる。お互いの距離を推し量るとか、どこまで付き合うかとか、私のような者にはちょっと難しすぎる。なので、季節の御挨拶とかでも、本気でない事は書きはしない。だけど、なにせ季節の挨拶などの並びで、今度ランチでも行きましょうと書いた時、本気で返事をくれる人は、そもそも時々ランチに行っている仲間か、昔からの友達と決まっていて、本気で「じゃ、いつ、どこの店にしようか?」としっかりした返事をくれるとは限らないよね。それを気にすることも無いし、何しろ「もし丁度良い機会があれば・・・」でいいじゃない?って思う。花さんは、私の居る会社の役員さん。ひと回り以上年上の女性なので、今まで何度もごちそうになってきて、今度はごちそうさせていただきたいな~と思っていたし、この前職場の同僚数人で〇〇という店でランチする予定と言った時、自分も参加したい!とおっしゃったので、人数を増やせないかとおお店に問い合わせたら無理だったという経緯もあった。今回は久々にちょっとした物を送る際に、なにげにお誘いしたのだけどね。今、病院でもらったという「春には自律神経失調症が増えるので注意」という内容の印刷物と、手紙と、お菓子を持って、車を運転して我家までいらしたので、心底ビックリしてしまった。最初は混乱したけど、つまり、そのせいで胃腸の調子も悪く、残念だけどランチは無理というお断りだったんだな~~?!Σ(・□・;)ええっ、そんなマジで受け取ってもらえなくても良かったのだけどな(;''∀'')だけどほんとに、フットワークも軽く人づきあいもマメで、すごい人だなあと思う。その点で私とは正反対なの。物おじせず、誰とでも心を交わしていく。。。あこがれる。私も彼女の1/10でも、人の気持ちに寄り添えるような人だったら、もっと生きやすいんだろう。でも、私には得体のしれない理解しがたい沢山の人と交流して生きていくのは、とても難しいこと。私にはキャパオーバーなのだし、無いものねだりは無理よね。
2023.06.03
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先日のTV番組で、ベッキーのネガティブさにビックリしたことがあった。でも、わかる~。良く知らない人たちの間に一人はいった時とか、土地柄で感覚が今一つかみ合わない人たちの中で戸惑う時とか・・・自分はひとりぼっちで、周りから相手にされていないと感じる事があった。まあ、今も同じなんだけどね。でも、そういう感覚って結構多くの人が抱えているネガティブさなんだなあ。。。と。ネガティブな考えを大切にし過ぎると、被害妄想とか、周りを切り捨てるために非難したりとか、そうなりやすくもなるし、文句を言いがちにもなってしまって・・・そうなると、周りの人が次第に遠ざかってくの・・・まあ、当然だよね。だから、余り考えすぎない方が良いんだよね。わかっちゃいるけど、何か上手く行かずに躓いてる時とかってどうしてもね。だから、そういう人は少しだけ、自分に都合良いように考える習慣をつけると良いのかも。少し前に流行った「鈍感力」という言葉、正確にはどういう意味かよく知らないのだけど、ある意味そういう考え方なのかもしれない。余りに自分に都合の良い考えは、自己中となったり、呆れられたりするかもだけど、自分の心の平和ってものは、何より豊かな自分の為の栄養なのかもしれないとも思う。まずは、自分の心の中を幸せに、生きたいものですね。
2023.05.25
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昨日たまたま読んだネットの漫画で。無口で家族に関心のない夫がそのうち定年を迎える。ワンオペ育児で必死で育てた子供たちも独立していった。仕事を持つ友人たちは、自由に離婚を選択している人も多いが、自分は仕事より家庭を優先して生きてきた。でも、今になって何のために生きてきたのかわからなくなってくる。この先、この愛情の無い夫と老後を一緒に暮らさなくてはならないのかという寂しさ・・・でも、自活していく決断はできない・・・という場面。夫が60歳より若くて、まだこの女性は50代中盤のようだ。年金は離婚した時、夫婦で結婚していた年月の分は分割できる。足りない分は、贅沢言わずにパートでもいいのではないだろうか。今の日本、地方ではどうせ長く務めた人もパートも給料に大差はない。大企業や公務員で、子育て中も仕事を辞めなかった女性だけは、高収入もありうるかもだけど・・・それ以外はそんなにまで違わない。女に高い給料を払うなど、もったいないと考える経営者がほとんどなのだ。離婚をすすめるわけではないが、この女性が今からでも何か始められる、と考えないの?なんかもやもや・・・もどかしい感じ。夫を否定しつつも、夫と居れば安定してるから・・・って考え方が疑問。新しい事を始めるのはコワイし、実際慣れない頃はクタクタになるだろうし、精神的にも辛いかもしれない。だけど、最初っから諦めてるなんてなあ。まずは何かできる事を探して、やってみようとも思わずにいる生き方が、どうなんだろう?って感じた。今は子供の世話も無く、この方の場合は運良く老人介護の負担も無いようだ。自由じゃん?なんでもできると考えたらいいのになあ。ちょっとくらい失敗しても、その時こそ「夫が生活を支えてくれているのだ」という安心感があるのだし。自分が動いてみれば、夫の何かが変わるかもしれないし、夫のどこかを理解できるかもしれない。お互い仕事があるのだからと、夫に笑顔で家事を(まずはちょびっとから)手伝ってともちかけてみてもいいんじゃないか?仲良く片方が皿を洗い、片方がふきんで拭くとか、そんな昭和のような共同作業をしてみるのもいいんじゃないだろうかな。夫に拒否されたとしても、何もしてみないより後悔は少ないのじゃないだろうか。離婚を考えるのならば、その前に夫との関係も今までと違った風に、いろいろと試してみたらいい。相手を否定するのではなく、押し付けるのでもなく、何か提案してみたり、楽しく過ごすヒントを探してみたりしてみては。夫がやりたい事は何なのか、一緒にできる新しい楽しみはないのかどうか。やるだけやってみて、いよいよ「こりゃ、だめだ」と愛想をつかし合ったらば、その時離婚を考えたらいいのでは。。。ただ、自分が空っぽな気がしたから、夫を否定するってのはなあ。。。自分が空っぽだと感じる事は、私も良くある。空っぽさは、仕事で埋まるものではないような気がする。仕事は、収入のため。生きがいではない。あと、時間つぶし・・・(;^ω^)暇をつぶしてお金がもらえて、私はそこが良いと思って、仕事を続けている。暇がコワイ。(私はマジでからっぽ感が高い方だから)女性ではなかなか高収入は見込めない、努力して仕事をこなしても、半分も仕事をしない男性の半分以下の給料。家庭の中でも外でも、女性の人生は空っぽ感がつきまとう。だけど、だからと言ってそれは夫や周りの人のせいばかりではないのだろう。生きにくい日本であっても、死ぬその日まで自分なりに道を選択して生きていくのは、誰もが同じ。底まで覗けば、結局は空っぽなのかもしれないけど、まあ、ちょっと楽しかったらそれでいいかなって思う。私のいる会社であれば50代に派遣さんで入ってくる女性はとても多く、70歳近くまで継続されている人も沢山いらした。正社員募集している時期もあるけど、50代で常識のある人なら歓迎されるだろう。仕事の経験より、その人の人間性(さぼらないとか、優しいとか、挨拶できるとか)が優先すると思う。給料は高めではないだろうけどね(;´・ω・)でも特別安いわけでもないし。まあ、日本じゃどこもこんなものでは。ダメ元で、今が空しいのなら何かTRYしてみたらいいんじゃないのかな~・・・と感じた。
2023.05.17
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もう10年位前になるけれど、免許のゴールド更新に行く途中で、自転車の老人をはねてしまった。当時は、車と自転車だと車が責任を取って当たり前みたいな時代で・・・その後は、自転車にも歩行者にも、安全を考慮する義務があるという風潮になってきて、良かったなあと思ってます。実際のところ、その事故は、細い十字路を渡り切るところの、徐行している私の車に、左右を見ないで老人が突っ込んできた事故だったのです。ゴールド免許の更新に行く途中だったので、事故の処理後に行った警察で「もうゴールドじゃありませんね」と言うと、「今回はゴールド更新で、もし減点などがあれば次回はゴールドではないかもしれません」というようなお話でしたが、次回もちゃんとゴールドで、減点も罰金も何も無かったので、おそらく警察の事故の調書でも私の過失は少なかったのだろうと思います。ところが、ついつい私が心配して謝ったりしたものだから、もう完全被害者になり切ってしまったその老人・・・その後も、「通院の度に仕事を休んで自分を病院に連れて行け」とか、いろいろなとんでもない要求を突き付けてきました。もちろん、「タクシーを使ってください、その分も保険で出ますから」とは伝えてあったのですが、ともかくもうわがままを言いたい放題です。そもそものろのろ同士の事故だったので、目に見えるけがは無く、うちみとかが老人ゆえになかなか治らないという話・・・元々痛みのあった各所の持病までついでに治療しようという感じです。老人は心底自己中の人が結構存在するので、要注意です。その恐ろしい体験があったので、その後は事故に巻き込まれたら必ず、「あなたの側に止まれの標識があるのに、どうして左右確認せず飛び出したのですか」と最初に言うことに決めました。もちろん、私が悪ければ言いませんよ。当然ですけど。おせっかいともいえますが、自分が事故の目撃者(通行人など)であった場合も、傍観者からの言葉として、一時停止しなかった方にそう言います。優しいみなさんも、本当に気を付けたほうが良いです。人は弱いので、自分に都合の良いように話を捻じ曲げ、誰か責任転嫁できそうな人に押し付けようとする気持ちが働きます。普通の人なら「まてまて、どう考えても自分の方が責任が重いなあ」と気が付くでしょうが、そうではない自己中な人が世の中にはいるのです。大昔昭和の時代には、先に謝った方が負けとかいう噂があり、自分が悪くても絶対に謝らないドライバーも結構居ましたが、あればいけません。本当に険悪になりますもんね。でも、必ず言うべきことは言う、これは心がけておいた方が良いと思います。
2023.05.06
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今、国立医大9浪母親殺人事件の件がTVで報道されている。あ、これって、私の母にそっくり。医大ではないけど、東大か早稲田・慶応までと子供の頃から言われ続けていた。でもそれは、中学当時旺文社等の全国模試で常に上位100名の(数学などは何度か1位で)名簿に名前が載っていた私には多分それほど難しい事ではなかったはずだ。母の望みはそれ程無理難題ではなかったし、肉体的な虐待は無かった。しかし、言葉の暴力は小学生の頃から浪人が決定して家を出る時までずっと続いた。それが虐待と、この事件で本人は裁判官に言われるまで気付かなかったというし、親自身もそうだったんだろう。テストで100点とれば、クラスで何人100点だったか聞かれ、私一人のみでないと、ダメじゃないかと言われる。(じゃ、どうすれば?)98点なら、何故2点間違ったのかと、ぐだぐだ最低1週間は繰り返し繰り返し文句を言われる。92点なら、1ヶ月は続く。80点台なら、死ね!ブス!おまえなんか生まれ無かったらよかったと。テストなどしょっちゅうあるのだから、結局一年中毎日毎日私は言葉の暴力を受け続けていた。漢字テスト、最初余り点数が良くなくて、その後練習して得意になったら、「私が煩く漢字練習をするように言ってやったおかげ」と何度も恩を売る。良い事は全て、母のおかげで悪い事は全て私がダメだから。努力するのは私だが、認められることは全くない日々が、ずっとずっと続き。基本勉強は面白くて好きだったけど、段々嫌いになって、そして高校で脱落してしまった。大学に行きたくなかったが、それも許されず、やむを得ず勝手に家を出て、費用は親がかりで図々しくも私は東京の寮付きの予備校に申し込んでしまった。母と一緒に暮らしている限り、気持ちも塞ぐし、やる気もつぶされ、集中もできない。母は、私が理科に夢中になれば、理科を勉強するのを禁止し、その科目をこっそり勉強していれば取り上げられてしまう。苦手な科目のみしか勉強させてくれない人だった。好きになる教科、成果が出て興味を持った教科はもう、勉強できなくなるシステム。母と暮らしている限り・・・無理だと思った。一浪しての東京での予備校生活にほっとしたけど、母のいない心から安らげる日々に、ついつい気が緩み、早稲田・慶応等に落ちて、運良くその次位の偏差値の大学に幾つか受かったが・・・母はもう一浪しなさいと私に言った。とんでもない!と、なんとか学費を出してもらい、私は自分が受かった大学に通い始めることができたけど、本当に本当に、人生で最も幸せだと思った一人暮らし。母と一緒に居ないだけで、毎日罵倒されなくてもいい、何もかも否定されなくても、大丈夫。世の中では、親に大学など無駄と言われる女子が多かった時代、恵まれていたのかもしれない。だけど、私は普通の学生生活の毎日を、時には叱られ、時には一緒に喜んでもらえたら。それで幸せだったと思う。母の居ない大学生活が幸せで仕方が無かった。私はこの事件の女性ほど、母に従順ではなく、いつも大声で反抗しまくっていたし・・・母は近所に恥ずかしいと、私を責めたけど、でも、多分それでよかったのだ。ただ、母の事を他人に言うことは、やはり難しかった。誰かに相談できる事ではなかった。時代にしても、親を批判するなど余り許されなかった気がする・・・もし教師に相談しても、お母さんはあなたの事を思って厳しくされているのだとか何とか、言われてオシマイだったのではないだろうか。そして、もしそんなことを私が教師に相談したことが知れたなら、もっともっと本格的な虐待に移っていった気がする・・・最終的には、自分の背丈に合う場所を自分でみつけだし、譲らない。誰かの言うがままになろう、となど思ってはいけない。それは本当に大切な事なのだろう。
2023.04.23
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ふてくされず、心を閉ざさないように・・・と、気持ちを立て直したところ、なんか状況が好転しました。この平和が長く続くかどうかは、私の気持ちの浮き沈みにもよるので、どうなるかわかりませんが、でもやっぱり、心を開放して、ま、いいか。って思ってたほうが、なんやらかんやら悪く思い詰めるよりはずっといいみたいですね。わかっちゃいるんだけど、どうもね。。。追い詰められるとフーッとなる、小動物のように小心者だから。
2023.04.12
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私の悪い癖。集団の中で、中心付近に自分が居ないと感じる場では、周りを切り捨てて、見ない、聞かない・・・ように動いてしまう。でもさ、いつでも中心に居る人もあれば、ほぼほぼ地味で辺境付近にいながらも、気の合う仲間と楽しくやってる人も多いんじゃないかな。私は明らかに後者なのだけど、すごーく地味で目立たない面と、何故か人に「印象に残っていた」と言われ驚く面もあるらしい。そして、私はいつも中心に居たいとも思ってないし、目立つのが好きではない。でも、今定年も近づきつつあって、世間では老女の仲間入りしてるにもかかわらず、ついつい自分は以前のままのつもりで生きてるんだよね。そこに、ずれがあって。老人として地に足を付け、落ち着いていればいいのに、どうもそこに追いつけなくて。ギャップに戸惑い続けてる。そもそも、職場は高齢者が多く。実際50代後半が主軸なので、私もついこの間まで中心の層にいたわけ。とまどってしまうのよね。で、嫌になって、もう心閉ざして仕事だけキッチリ完璧にやろうとかいうモードに入ろうとしてしまう。ピッコマの、生きなおす漫画にもそういうテーマが意外と多いの。自分の世界やプライド、やり方にこだわりのせいで、周りに目が行かなかったせいで一回目の人生に失敗し、奇跡の力で?生きなおすことに。二度目の人生では「未来を知ってる」からではあるのだけど、最悪の未来を回避するために、最大限の努力をする。その時、周りの人との協力や、信頼関係がものすごく大切になっていくのよね。より良く生きようとすると、結局周りの人とのつながりを大切にすることにつながっていくわけ。まあ、私もごくごく一部の大切な家族や友達は、できるだけ裏切らず、つながりを大切にしてきたつもりではあるけど、大切な人と、そうでもない人との間に、太い区切り線をキッチリ引いてきたのかもしれない。気が合わなくても、ちょっとちがうんじゃない?と思う面があっても、それはそれで、会話や笑顔、関心を持つ方が楽しいのよね。ピッコマの漫画を沢山読んできて、最近そんなことを思います。漫画と違い、人生は一度きりだから(でも命の連鎖は宇宙の法則だと思ってるけど)今、この時、ふてくされずに、つながりを大切にしたいものです。
2023.04.10
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永年勤続で10年目を迎えたパートさんは、72歳。以前正社員で長く勤められていたので、通算したら30年位かも。でも15年位前にいったん夫の母親の介護の為退職されて、10年前にパートとして戻られたというわけ。考えてみたらその方が会社にパートとして再就職されたとき、私は「お年寄りだから、いたわらないと」と言う態度で接してきた事を改めて思い出す。おいおい、その時今の私より、1歳若いじゃん!?なんか・・・やっぱり自分の事って見えないものだから、私、もっと自分をわきまえて、まずは自分が自分を労わらないとだわー。
2023.04.04
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今朝がっちりマンデーにバービーちゃんが出演されていて、最近読んだ記事を思い出した。自分の体や性、生き方全般への考えを、ストレートに発信するバービーさん。今でこそそういう人も増えてきているけど、最初の頃は「あからさまだなあ」とびっくりしてた。でも、今他の人の様子をうかがわず、ずーっとスタイルを変えてない姿勢が素敵だなあと思います。デブでもありのまま。そして、努力して自分をそのまま生きしながら美しく。何より、最近私がはまってる言葉「堂々と」した姿がいい♪
2023.04.02
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TVで90歳を超えても自分の足で畑に毎日向かう方を紹介されると、いいなーーーもしも90才以上長生きすることになったら、こうでありたいものだ。と思う。農家でないので家から歩いていくような畑は無いけど、まあ、庭で育つネギや三つ葉を毎日ちょちょっと刈って使ったり程度でも嬉しいものです。ともかく、自分で歩けて、お風呂なんかもちゃんと自分で入れるようにいられたら最高です。それには・・・やっぱり毎日スクワットやかかとの上げ下げ程度でも、足腰を維持するための運動を、10回×3回位は続けたい。たったそれだけでも、続けるのと止めるのとでは大違いになるんだろうなー。掃除も、軽いマキタ程度の掃除機はちゃんと自分でかけたい。トイレや洗面所もざっと綺麗にして、床もしゃがんで時々拭いたり、ピッカピカは無理でもざっと掃除は自分でやりたい。身ぎれいでいたい。清潔感…お風呂と洗濯、大事だよねーーー。年寄が不潔は絶対不快だもの。加齢臭も、できるだけこざっぱりした香りで消せたらいいな。。。 もちろん、おおらかで温かい心が持てたら最高だけど。これは、元々自信が無いので・・・(;^_^A
2023.03.03
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今日はとてつもなく気分が凹んでて。たまたま、ダウンタウンの番組でイヴルルド遙華さんの姓名判断を知り、早速検索。イヴルルド遙華の姓名判断以前から知ってたけど、私の姓名はあまり良くない。結婚前はかなり悪く、結婚して吉凶半々程度?占いによっては最悪と言われることも無いわけでもなく。。。第一、生まれてこの方自分の名前にしっくり感じた事が無いのです。ごく普通の名前なんだけど、呼ばれるたびに違和感が。で、以前からいろいろ当て字を考えてて、コレかなって文字に変えてみたら、大吉となった。・・・ちなみに、家族の名前は私以外全員大吉だった。占いなんて、信じない方も多いとは思うけど、私なんか気になる方なんだよね。名前に違和感を持ってきたから、余計に気になるのかもしれない。戸籍の文字を変えることは難しいようだけど、通り名というか、普段使う漢字を変える事くらいはいいかもね。
2023.01.19
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