『宇宙(そら)の記憶』


楽天日記を始めた目的の一つが
「読書記録として使わせてもらお」だったんですが
ほとんどアクションを起こせてませ~ん。
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「宇宙(そら)の記憶」
木内鶴彦氏の臨死体験を綴った物です。
最近改めて読み直しました。
絶版なので図書館などをあたってみてください。

本人、死んでいるのに「好奇心」とか「実験」とか出てきて、
むしろ笑えてしまいますし、たいへん読みやすい本です。

死んだら終わり!!
じゃないってことは、今更言うまでもないんですが(^^;

死んでしばらくすると、自分としての意識が薄れて...
無くなるのではなくて"膨大な意識"に融合していく。

この"膨大な意識"のことを
時間/空間/神/宇宙/光/すべて/Something Great....
といろんな記号で表現するのでしょう。
私たち自身も私たちが体験していることも、
そのほんの一断面であり、また同時に全体でもある。

そんな感じ、言葉じゃ表現のしようがありませんが。

2004年3月12日(金)

『宇宙(そら)の記憶』を図書館に返す前に、
せっかくなんで
多分カナメと思われる部分を引用することにしま~す。

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意識だけの世界では、私は時間の流れに関係なく、
また距離にも関係なく動き回る事ができた。
人の意識のなかに入ることもできた。
はじめのうちは、私の意識は私の能力と等身大であった。
つまり、私の存在「私は、私である」ということを意識することができていた。

しばらくすると、私の意識は自分の能力をはるかに超えた、
とてつもなく大きな意識に包み込まれていくようになった。
「私は、私である」という認識が薄らいでいく。
"膨大な意識" が、私の意識のなかに
とてつもなく大きな流れとなって流れ込んでくるという感じになった。

その意識に包まれはじめたとき、
私の意識のなかにはなぜか太陽系や地球、
そして人間をはじめ動物や植物など
生きとし生けるすべての生命体の誕生から終極までの膨大な情報、
つまり宇宙の創造から終極までの大きな流れの情報が浮かび上がり、
それがあたかも自分がこれまでに獲得した知識であるかのように
広がっていくのだった。

それは私がこれまで学んできた知識や理性をはるかに超えた
"膨大な意識""膨大な知性"なのだ。
しかもそれが、あたかも自分の知識であるかのように、
私のなかに広がっていくのだ。

そしてうっかりしていると、今まで築き上げてきた、
ちっぽけな自分の知性や理性が
この"膨大な意識"のなかに組み込まれてしまいそうになるのである。
つまり"自分"を意識できなくなるのだ。

うまく表現できないもどかしさを、みなさんい理解してもらえるだろうか。

この"膨大な意識"は、我々のいる時空を完全に超越した世界にあり、
我々の住んでいるこの宇宙と、そしてそのメカニズムも
すべてこの意識によって創り上げられ、
コントロールされているかのように感じた。

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