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せいちゃんが生まれたのは1958年。父は林業で生計を立て、母は畑で働いていた。テレビはなかったし、そもそも民放のテレビ放映も始まっていなかったころだ。幼い記憶は、弟2人とどろだらけで遊んだことしかない。
畑山小学校の同級生は最初12人いた。1年生の終わりの春、むつみちゃんとふみこちゃんが、ふもとの安芸の街に引っ越していった。イチロー君、ゆうこちゃん、ヨシノリ君・・・。みんな順番に畑山を出ていった。「さみしいとは思わんかったけど・・・。余った机が物置台になってたことは覚えている」とせいちゃんは言う。
中学に上がるときは、同級生は4人に減っていた。残ったのは、読書好きで理屈っぱく、アイドルの南沙織にはまっていたヒデアキと、キュートな天地真理に心を奪われていたヨシユキ。せいちゃんはといえば、美空ひばりと小柳ルミ子が好きだった。日産スカイラインの新聞広告を切り抜いて集め、いつかハンドルを握る日を思い描いていた。
女の子は、色白ですらっとしたさちえちゃんと、スリムで元気いっぱいのミホちゃん2人だけだった。
中1の冬の夜。学校で星座観察した帰り道。真っ暗な山を、さちえちゃんとミホちゃんと3人で、自転車を押しながら歩いた。
とりとめもない会話をした別れ際、さちえちゃんが、せいちゃんの方を向き直った。黙って自分のマフラーを外し、せいちゃんの首に巻いた。ミホちゃんもまけじと、自分のマフラーをせいちゃんに巻いた。
「2枚もいらんやろう!」照れ笑いし、ミホちゃんの分だけ返した。翌日、さちえちゃんに「ありがとう」と返したが、何でマフラーを巻いてくれたのかは尋ねなかった。あの夜の女の子たちの胸の内や、自分に気持ちをせいちゃんは時々思い出す。
中2の7月。授業が終わり担任が、「さちえちゃんが急に引っ越すことになった」と告げた。最後の登校日、迎えに来た父のバイクの後部座席に乗る、さちえちゃん。せいちゃんは自転車で追い掛けた。
「なんで、みんなぁ出ていくんや!なんで畑山じゃいかんがな!」
自転車は追い付けず、さちえちゃんのバイクは砂利道をあっという間に去った。
「別に泣いたりは、せんかったよ」。40年近く過ぎた今、せいちゃんは、ただ必死に自転車をこいだことしか覚えていない。
本日はここまで、せいちゃんの人生が大きく変わっていきます。
次回を楽しみにして下さい。
まじめにカキコします。
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