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2015.12.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
A新聞の「各駅停話」を見て、私の生まれ故郷の函館線が
あったので開いてみると、苗穂から小樽までであった。

このどちらも、それなりに思い出がある。
悪ガキであった頃の「苗穂」で新聞配達をしていたので
それなりに思い出があるが、そこからが私の子供としての
自分を変える最初の歩き出しだった。

新聞配達で陸上自衛隊の苗穂基地が、私の配達区域だったので
そこが配達の最終で、新聞を基地の食堂で並べて
取っている人が持って行くのである。


「朝飯を食って行け」と言われて、麦飯の朝食を
良く御馳走になった。

そこからが自分なりの子供としての決断をして
父と兄弟との決別をしたのである。

それが終わり、成人に達して自分なりの力を付けた頃に
住んでいたのが「小樽」である。

小樽は住んで居て家族との暮らしもあったが、
仕事に逃げていた自分が居たような気がする街である。

コンピュータの始めたのは、会社が札幌であり、小樽から
通っていたのであるが、その頃の自分が一番生意気な時期で
あったと思う。


出来ないと言う事で、コンピュータを分離する事になった時に
生意気な私は「俺を社長にするなら」と暴言を吐いて
小樽に会社を立ち上げたのである。

ただ、小樽は北海道でも古い商業都市なので、封建的な部分があり
20代後半の若造の私を認めて貰うには大変苦労した。


次の時は小樽の日本銀行の真ん前ビルのワンフロワーを
借りるまでになったが、最終的に自分は金儲けが出来ない
タイプであり、技術馬鹿タイプである事を悟り
他社に会社を譲り渡したのが小樽であった。

あの頃はコンピュータ関連の会社も殆ど無く、大手商社から
北海道の拠点として、提携話もあったが、株主である
私以前に勤めていた会社とコンピュータのリース会社の
反対で、その話も壊れてしまった。

私が一番生意気な時期であったのが、この頃であろう。
私は資本金を自分で出すだけの、お金も無いのに
「俺を社長にするなら会社を引き受ける」と言ったが、
本人は金も無いのであるから、今考えると仕事で
天狗に成っていた時期であろう。

最終的に私の叔母が、お金を出してくれたのであるが
昼は表周り、夜はプログラム作りで、午前様状態が
長く続き、同時に金の事を心配しながら、プログラム等を
組んでいたので、私は、社長等と言うのは小間使いさん
見たいな物だと思ってしまった。

これは私に向いて居ないと技術屋に戻った原点を作ったのが
小樽であった。

列車の線路を見て見ると、自分なりの思い出がある事を
今では書けるが、あの頃はガムシャラに突き進んでいた事を
思い出すものである。





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Last updated  2015.12.27 14:52:44
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