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ずっと前から不思議だった。自分には超能力があるのではないか?しょっちゅう不思議な現象を体験する。今ちょっと前、手に持っていた物が無くなっている。そしてそれは全然離れた場所に移動している。人に話すと「ただのボケじゃー」「置き忘れただけじゃん」などと言う。・・・確かにそんな言い方もある(^^ゞ今日はようやくADSLから光ファイバー接続に変更する為の工事の日。「4月14日、PMより工事」と、頭に入れていた。工事に立ち会う為、会社を退出し、家で業者を待っていたが、なかなか来ない。時間の指定は出来ないと言われていたが、遅すぎるっ(怒)NTTがボケかましているのではと確認のTELをしようとした時、ふとカレンダーのメモ欄に目が行った。「4月15日PMよりNTT工事」なーんと明日になっている!俺は時空まで曲げてしまうのか!??家の者に話すと「このボケーー」ま、そんな言い方もあるだろう。・・・こんな現象が起きないように気をつけよう(^^ゞ
2005/04/14
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春になり、すごしやすい季節になった。秋には美しい紅葉が近くで見れ、立山連邦がくっきり見える。冬には雪が降り、近くでスキーが楽しめる。ここ富山も結構いいところ。最近の夏はすごく暑くなってきたが、やはり夏が好き。夏といえば海!僕も子供も海が大好き。毎年、少ない休みの中で、近くの海に泳ぎに行く。プールとは違い、魚と一緒に泳げるのがいい。今年こそ自分で魚を捕まえるとはりきっている長男。今年は浮き輪卒業を目指している次男。写真は去年、一緒に遊んでもらった、かわはぎの子供。なんか・・迷惑そう^_^;このほか、ふぐや、ひらめの子供達も捕まえた。もちろん帰る時には、「また遊ぼうねー」と言って海に返してきます。夏が待ち遠しい。(^。^)
2005/04/13
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最近自分が何時に寝たのかよく知らない。(^^ゞそんな人たくさんいると思う。1分位考え事をすると爆睡する。信号待ちで爆睡一歩手前になったことがある。後ろの車が、クラクションでおこしてくれたが、渋滞を巻き起こしていた。(^^)vそんな人たくさんいると思う。・・??先日、写真を探しているうちに爆睡した。消してしまったかと思ったが、やっと見つけた。普段、車や自転車に乗っていると気づかないけど、たまに歩くといろんな面白いものが見えてくる。その中の一枚!よくあるものかもしれないけど、僕は始めて見た。これ一枚作るにも、発案する人がいて、許可する人がいて、作る人がいて・・・といろんな人がかかわっている。こんな思いを込めたものがうれしい。
2005/04/12
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前編:しくしくしく・・・(泣)今日は朝からとってもいい天気!こんな日は子供とサイクリングに行きたかったのに(>_^_^<さ、とっとと終わらせよ・・後編:早く帰りたい一心で何とか午前中で目標達成!今日の天気予報は、晴れのち雨。でもまだまだ大丈夫そう。今日はフェーン現象で風が強いし熱い。最高気温は28度くらいになった。家に帰ると、お昼ごはんは今年初、大好物のソーメンだった(^O^)その後、ちょっと昼寝のつもりが、一時間位寝てしまった。もったいない!どっか連れて行ってやろうかと思っていたが、起きたら子供達の友達が遊びに来ていた。それに冬物の片付けが沢山あり、結局どこへも出れず、また一日中会社の作業服を着たままだった・・・悲しいーーー(>_
2005/04/10
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久しぶりに過去に戻る。この頃、ツーリングに出かけるのが楽しくてたまらなかった。でも、会社がとてつもなく忙しく、月に2~3日しか休みが取れなかったと思う。休みの日に限って、雨が降ったり、仲間とスケジュールが合わなかったりと、ほとんどバイクに乗る事すら出来なくなっていた。時間を見つけては、磨いたり、車庫のなかでアイドリングをしていた。こいつは確かに呼吸をしていた。エンジンをかけている時は、テレパシーで話が出来るように感じた。「俺はバイクだ。走りたい!」そう聞こえたような気がする。散歩に連れていってもらえない犬のようで、かわいそうで仕方が無かった。そんな時、以前から「売ってくれー」を頻発していたFX大好き友達を思い出した。ずっと断り続けていたが、この先もいつ乗れるか見とおしが立たない状況だったのと、好きな人に大事にしてもらうのが一番と思い、譲る事にした。最後の夜、別れの磨きをしてやった。今までありがとう。一緒にツーリングに行けて、本当に楽しかった。俺以上に大事にしてもらえるように祈ってるぞ!
2005/04/09
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今日は家内の誕生日でもあり、プロポーズの返事をもらった日でもある。あれから14年が経った。あの頃は太く、重く、長く綺麗な髪の毛も、今は白髪が目立つようになってきた。無理も無い。苦労ばかりかけている。お互いおめでとうと言っても素直に喜べない歳になった。これからもよろしく!
2005/04/07
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先日、我が家の食卓に並んだカレーをみて思い出した。ちゃんとカレー作ってくれるお母さんに感謝。・・・子供達、掟を破ったのに!・・去年、夏の終わり頃。キャンプ仲間で突然キャンプする事になった。子供達も夕飯の時だけ連れ出した。キャンプ場に子供達を連れて来た時にはもうカレーが出来ていた。おなかが空いていたのと、はじめての雰囲気もあって、食べたカレーがものすごくおいしかったらしく、これでもかと思うくらい食べた。数日後、我が家でもお母さんがカレーを作ってくれた。でも、我が家には掟があった。カレーを食べた後には、必ずお母さんが子供にこう聞く。「今までに食べたカレーで、一番おいしかったカレーはどこで食べたカレー?」そう聞かれると「お母さんのカレーが世界で一番おいしいー(^O^)/」と言わなければいけないきまりになっている。ところが、子供達、この日はうっかり「この前、キャンプで食べたカレー♪♪」と答えてしまった。あちゃー(>_
2005/04/06
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子供達、今日から新学年。お兄ちゃんの方に毎日のように電話をかけてきてくれていた女の子とは一緒になれなかったようだ。仲の良かった友達、一緒になりたかった友達とはすべて別のクラスになったようだ。なんて運の悪いやつ。ちょっとかわいそう。でも、新しい友達も出来るようにという意味もあってクラス替えがあるのだろう。どんどん切り開いていって欲しいものだ。たまに勉強を教えることがあるが、難しくてわからないこともある。こんなことを通じて親も勉強して行こう(^。^)
2005/04/05
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今度小学校五年生になる息子は電車が大好き。暇さえあれば電車を見に行くか、乗りに行くか、電車でGOで遊んでいる。将来は電車の清掃員になりたいらしい。普通、運転手か車掌になりたいと言いそうなものだが、運転手になっても、電車を停止線にピッタリ止めれるか不安らしい。・・・(お父さんに似て神経質?)そんな息子にも、毎日のように女の子から電話がかかってくるようになった。息子はお父さんに似て、奥手なため、女の子のペースで動いているようだ。新学期になり、「クラス替えで一緒になるかなー?」と女の子。「わからないよー。」とそっけない息子。もう電車だけではなくて、異性にも興味がある年頃。そろそろ男同士の話もしてみたい。
2005/04/04
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毎日、10年以上前の記憶をたどるのにも疲れてきた。ちょっと一休みして、今日は現代。今度2年生と5年生になる子供達の春休みも明日で終わり。今日、お父さんは休みだったが、雨が降っているし、たくさん片付けがあり、家に居ることにした。子供達は今日もTVゲーム三昧。ゲームをやった時間と同じ時間分、お手伝いか、お勉強をする決まりにしているが、どうやらゲームをする時間のほうが長いようだ。春休み中、お友達の家へ遊びにも行っていたが、やはり遊びはTVゲームがほとんどらしい。先生が言っていたが、ゲームを知らない子は仲間はずれになることもあるという。昔とはずいぶん遊びが変わった。とは言っても、お天気の良い日にゲームをしているのを見ると、なんとも言い表せない歯がゆい思いになる。お天気が良くて、お父さんが休みなら、そろそろサイクリングに連れていってやれるのだが・・・。去年の夏だったか、以前使っていたパソコンをそんな子供達に与えた。1年生ではまだ使わないが、4年生では授業で少しさわるらしい。ローマ字がまだわかっていないのでローマ字かな変換は無理と思っていたが、変換表がかいてあるマウスパットを一応与えておいた。一文字打つにもローマ字表を調べては打っていた。長続きはしないだろうとその時は思った。インターネットをしていれば、少しづつ覚えるようだ。ぼくも最初はそうだった。今年に入ってからだったろうか、僕がパソコンを始めた頃に練習していた「特打」というタイピング練習用ソフトをインストールしてやった。これがゲーム感覚で覚えていけ、大人がやってもかなり面白かった。ガンマンとの早撃ち勝負や、ボスを倒すまで4人の子分をたおさなくてはならない。少しづつ自分が強くなって行く達成感が子供達を夢中にさせている要因だろう。毎日飽きずに練習しているのは知っていたが、ローマ字もろくに知らなかった兄貴が三日ほど前にボスを倒したらしい。この時、このソフトの中では、一級検定レベルだそうだ。やらせてみると、すっげーっ!俺よりはるかに速い。キーボードも見ていない。子供の吸収力、恐るべし!漢字は習った分しか知らないので、漢字に変換するのはこれからだ。兄貴が上手になると弟もつられて上達し出した。ちっちゃな指でちゃんと一本一本違う指でキーを打つのがとてもかわいい。二人とも上達するたびに、しっかりほめてやろう。
2005/04/03
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198?年・・だめだ。いつだったか思い出せない。大事にしていたS30だったが、友人にもS30ファンがいて、大事にするからと友人に安く譲った。その頃S30は大事にしていたとはいえ、あちこち修理が必要になっていた。バイクも好き、車も好き。でも修理する費用をまかない切れなくなってきた。こいつならきっと大事にしてくれる。そんな安心感もあって譲ることにした。僕の方はバイクと、車は軽四にした。確かスバルレックスターボ4WD。1年半位乗ったが、やはりZが好き。丁度その頃知り合いからの紹介でS130を購入。この頃はS130の方が、S30よりも安く手に入った。2リッターの2by2でHKSのターボを積んでいた。この車、インパネ周りが気に入っていた。特に夜、アンバー色に照らされるメーターは見ているだけでもなんかうれしい。内装の方もずいぶんラグジュアリー化され、高級感があった。走りの方は、重い割にはパワーがないので、スポーツカーのイメージは無かった。ターボが付いていなかったら、さっぱり走らないだろう。1年位乗っただろうか、純正ターボではないので、ピストンに負担がかかり、ピストンリングが折れたようだ。加速するとカリカリカリーと音がする。修理工場に修理を依頼したが、この頃は改造には厳しく、断られた。費用も結構かかる割には、治してもまた再発するはず。ここでS130は断念(>_
2005/04/02
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ここは、岐阜県乗鞍スカイライン。標高3000M位まで車で登れる。今日はZ仲間5台でドライブ。S30・S130・Z31。 標高1500M位だったか、SOLEXの調子が悪くなりだした。ボコボコボコ・・・(>_
2005/04/01
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今日、突然臨時ボーナスが出た。(^。^)黒字決算だったらしい。5年位前だったろうか。不景気でボーナスが出ない時もあった。儲かるようになったら還元すると言っていたので、まだ良心的な会社かもしれない。思いがけない収入に奥さん大喜び。早速日記に書こうと思ったが、なんとネットにつながらない???何かがこわれた。何?いろいろ調べたが、どうやら電話回線からADSLの信号が来ていないようだ。NTTのサポートセンターは24時間受け付けと書いてあったが、TELしても「大変混み合っています・・・」の連続。くっそー!電話はつながるので、ダイヤルアップ接続に急遽変更。つながったけど、やっぱり遅ーーい。今日は写真は大変そうだ。明日はつながってくれー。(>_
2005/03/31
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メカ好き・車好き・バイク好きの僕はちょくちょくレースを見に行った。ここは新潟県間瀬サーキット場。弥彦山の近く。コース1週約2km。カーブ数22、高低差28.9m。レース場の中では、農家の人達がレース中にもかかわらず、畑仕事をしている。この時はずいぶん修繕され、農家の人達はサーキットの下をくぐり抜けれるようになっていたが、確か1981年にはスタート間近に、ばーさんが野菜をかかえてサーキットを横切っていたのを見た事がある。タイトなコーナーがたくさんあり、ストレートらしいストレートがあまり無かった。にもかかわらず、ゼロヨン大会を見た事がある。ゼロヨン終点近くにコーナーがあり、すげー度胸と技術が必要だと思う。でもここ、草レースみたいなのをよくやってておもしろかった。帰り道、物足りなかったのか、なぜかゼッケンをつけたままの車が何台もカッ飛んでいった。今もやってるんだろうか。久々に見に行きたい。
2005/03/30
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みんなで探していたつぐみちゃんが無事帰宅したそうですー。http://blog.livedoor.jp/haneda2/よかった。よかったー。本当によかったーーー。リンクをはってくださった皆さん、心配していた皆さん、カンパーイ!!
2005/03/29
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レース中盤、トイレの帰りだったか、何やら人だかりが・・・?のぞき込んで見ると、特設ステージでレースクイーン達の紹介をやっていた(^。^)ギャラリーがすごくてよく見えない。でもこの頃はもう望遠レンズを装着した一眼レフに買い換えていた。 硬派な僕にはあまり興味は無かったが、みんなの為に撮って行くことにした。(うそつけっ!)ファインダーを覗いた瞬間から、何かが僕にとりついた?おまけにこの頃になるとカメラも全自動になり、勝手にピントは合うわ、露出は合うわ、本人の意思に関係無く勝手に被写体をとらえ、勝手にシャッターがきれる。恐るべし全自動ハイテクカメラ!(んなわけねーだろっ!)このおねーさん達は今どうしているだろう。いまでもレースクィーンをしているだろうか?(それはねーだろっ!)この輝いていた頃を一生の宝物として、「これ、おかーさんだぞっ」っと子供に自慢していればいいと思う。このレースで撮った写真は300枚以上。一冊のアルバムにしてみんなに焼き増し依頼の回覧をしたところ、ほぼ全員が一冊丸ごと焼き増しした。焼き増しだけで6万円くらいかかった。お店の人がダンボールに入れて運んできた。より分けが大変。みんなじっくり何度も全ページをめくっていたが、しまいにはレースのおねえさんしか見なくなっていた。(バイクも見ろよ~!)ん~、いい夏だった。(^。^)
2005/03/28
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とにかく場所取りが大事。今回は過去に来た者がいたので、助かった。全員がとりあえず座れる場所を確保!入場し、コースの周りを偵察。当然金網が張り巡らされていて、中には入れない。金網には所々、直径10センチ位の穴が空いているところがあった。最初は何の為のいたずらかと思ったが、あとでやっとわかった。レースが始まると、そこからカメラのレンズを突っ込み撮影している人達がいた。なんてマナーの悪い!!と思いつつ、僕も穴を見つけては撮っていた・・・^_^; 暑い!すごく暑かった。まさに過酷なレース。選手達は技術だけでなく、体力もすさまじいだろう。一時間も経つと順位がさっぱりわからない。場内中継がたより。日が落ち、マシンのライトが点灯され、暗闇の中をものすごいスピードで光が走り抜けていった。そしてチェッカーフラッグ。応援していた平選手チームはリタイヤだったと思う。残念(>_
2005/03/27
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バイクに乗るようになってからレースも好きになってきた。今日は友人6人と鈴鹿サーキットに出かけた。この頃、TECH21が流行っていて、僕もこの色が一番好き。詳しくは、またこの次。んで、おまけ。詳しくは、またこの次。
2005/03/26
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今日は晴天。絶好のツーリング日より。バイク仲間3人とツーリングに出かけた。 岐阜県、富山県をまたぐ国道156号線。通称イチコロ線。交通量が少なく、大小さまざまなコーナーが連続して続いたかと思いきや、見通しの良い直線もあり、走り屋に好まれる道。ショップの常連達だが、いつものツーリング仲間とは少し構成が違う。他の三人は何度か来たことがあると聞いていたが、僕は今日がはじめての道。お天気がとっても良く、気持ち良く健全なツーリングを楽しんでいた。・・が、コーナーが連続し出し、先頭が走り屋に変身し始めた。一人が始めるとみんな変身。ヘルメットごしにわずかに見える目が妙にとんがっていた。この頃だったかなー?バリバリ伝説っていうマンガが流行っていたと思う。みんなそれになりきっていた?コーナーリングは楽しいけど、のんびり景色を楽しみながら走りたい。ついていけないし、スピードを落とそうと思った矢先、思ったよりも深ーいブラインド+ヘアピンコーナー!!タイヤ滑ってコケたー!!バイクもろとも完全に反対車線に到着ー。幸いカート用のつなぎを着ていたのでけがは無かったが、車が来ていたらただでは済まなかっただろう。低速コーナーだったのでバイクのダメージも少なかった。よかったー^_^;過去にも似たようなコケ方をしたことがあるが、その時はビニジャンを着ていて、肩から背中までやぶれ、けがをした。今でも傷がくっきり残っている。その教訓を生かし、コケてもけがをしにくい服を着用していたのが幸いした。子供達がバイクに乗るようになったら、こんなところに気をつけてやろう。
2005/03/25
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1000アクセスのお礼に訪問したら大変な記事がありました。アクセスして頂いた方、ここを見て、ご協力願います。http://blog.livedoor.jp/haneda2/
2005/03/24
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おっとうっかり忘れるところだった。最初に乗ったHAWK3のエンジンが調子悪く、しょっちゅう片排になり、安心して乗れなくなってきた。丁度中古車が出てきたので思い切って乗り換えた。またHOWK3! 同じバイクなのに排気音がちがう。ずいぶん軽い音になっていた。少しづついろんな部分が変わってきたのだろう。日帰りだったが、初めてのソロツーリングだったと思う。事故ったらどうしよう、道に迷ったらどうしようの不安と戦いながら海岸線をひた走る。ペース配分が乱れてきてどんどんスピードが上がっていた。休憩のタイミングも自分だけだと思うと、つい、ほとんど取らなくなっていた。何度か危ない思いをした。道も何度か間違えた。頼れるのは自分のみ!ソロツーリングは自分を磨くのに最適だ。子供達もバイクに乗るようになったら、ソロツーリングをたくさんさせよう。
2005/03/23
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1983年佐渡島に親友とツーリング。 俺のFXと親友のCB750F。突然思いつきで、佐渡島へツーリングに行く事にした。直江津港からフェリーで2時間。このツーリングで、初めてフェリーに乗り、フェリーの気持ち良さを知った。波音を聞きながらゆっくり流れる時間が心地よかった。新婚旅行はフェリーでと決めた根源はここにある。今でも大好き。大型客船でカリプに行ってみたい。・・・夢。佐渡のどこへという目的は無かったが、海を見ながらのんびりと走るのが好きだったので、一泊2日で島を一周した。お天気も最高でツーリングの醍醐味を満喫した。僕はこの頃、仕事を変えた。新しい会社に入りこの親友と出会った。どれほど世話になったことか。そのうち親友は会社を辞め、貿易関係の会社を立ち上げた。それからは合う機会も無くなり、年賀状だけの付き合いになってしまったが、ある日突然亡くなったと連絡が入った。持病を持っていたらしいが、悪化したとの事。ショックだった。ちょうどこの頃だったろうか、僕は小さなバイクショップの常連だった。いつものように常連達とはしゃいでいる隅の方に制服姿のおとなしい女子高生が座っていた。このショップ社長の奥さんの妹らしい。家まで帰る足が無いので、奥さんの仕事終わりを待っているらしい。奥さんからバイクの後ろに乗っけて家まで送るよう頼まれたが、硬派の僕は断固拒否!ショップの軽トラで送り届けた。この時、誰が予想しただろうか。この子と北海道新婚キャンプをするなんて!^_^;
2005/03/22
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当時、中型免許しか持っていなかったくせにマルチシリンダーのバイクが欲しくなった。でもその時中型免許で乗れるのはHONNDA CB400FOURとKAWASAKI Z400FXぐらいだった。友達が400FOURに乗っていたのでたまに借りて乗っていた。あれもいいバイクだったが、DOHCエンジンの形が好きで、何とかFXを手に入れた。(中古)当時まわりには暴走族用のイメージがあるようだったが、全然そんなことはない。暇さえあれば磨いていた。磨いている時が楽しくてしょうがなかった。カワサキらしく、他のバイクに比べてごつい造りだった。車重も200kあったと思う。サイドスタンド1つ見ても他のバイクは軽量化の為にパイプの加工品を使ってあったと思うが、重く、ごつい部品が使われていた。フロントフォーク径も同クラスよりも1周り太かった。このあちこちのごつさが気に入った。優等生らしさを感じるHONNDAに対し、荒削りな印象のカワサキだったが、それが好きだった。このバイクでたくさんツーリングに行った。またの機会に綴ろうーと。
2005/03/20
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どさくさにまぎれて25年もさかのぼってしまった。当時の愛車CB400N・通称ホーク3。 当時メカいじりが好きだった僕は車とバイクに夢中になっていた。高校の時、禁止されていた原付免許をこっそり取得し、友人からオフロードバイクを買った。ここから一気に行動範囲が広がり、今となっては考えられない程遠くまで出向くようになった。帰りが遅くなり、多分親はずいぶん心配しただろう。ごめんなさーい。働き出してからはやはりもっと大きなバイクに乗りたくなり、友人から結構ボロなCB400Nを買って自分で塗装し直した。強烈な加速のとりこになり、今から思うとよく死ななかったなと思うことがたくさんある。バイク乗りはきっと誰でもそうだと思う。この時期がきっと一番危ない時期ではないだろうか。でもバイクの良さはいろいろある。次に目覚めたのはツーリングだった。気の合う仲間3~4人でツーリングに行くのがすごく楽しかった。今は全く見かけないが、当時ツーリングバイクがすれ違う時にピースサインを交わしていた。はじめてピースサインを交わした時はすっごくうれしかったのを憶えている。どーして無くなったんだろう。残念・・・あるのかな?知らないだけなのかな?当時、このCB400NとフェアレディZにバイクと車の雑誌、車検代で給料のほとんどが無くなった。若い時はそれでいい!!今でもそう思う。やがて息子達も同じ事を考えるのだろうか。快く理解してやろう。
2005/03/19
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ずっと昔の頃を思い出して綴ろうと思ってはじめたのに、あっという間に現代になってしまった。いかんいかん。はじめてはっきりと将来の夢が芽生えたのは小学校高学年だった。車に乗るのは好きだったが、車自体には興味は無かったと思う。いつものように兄と一緒に銭湯へ行く途中だった。後ろから見た事も無い美しい形の車が横をすり抜けた。目の前のT字路をすごいスピードで直角に曲がっていった。カッコ良かった。体中が熱くなった。目に強烈に焼きついた。その瞬間から大人になったら絶対あれに乗ると決めた。どうやって調べたか憶えていないが、フェアレディーZという車だと知った。超田舎だったので、それっきり当分見ることは無かった。中学生になってからはプラモデルをたくさん買ったのを憶えている。その頃からメカいじりが大好きになり、なんでも分解した。その影響で工業高校へ入学。ますます機械いじりが好きになり、バイクや車に興味を持出した。ここでも夢は変わらず、早く近づきたいと思うようになった。高校卒業後、念願の日産ディーラーに就職。しかし、当時2000ccで2人乗りの車に乗ることは常識から外れていた。親に相談したところで反対されるだろう。でも絶対ほしい!勇気を持って話をしたところ、「自分の給料で買うんだから、好きな車を選べ」(^o^)/遂に中古車を購入。初めて運転した時の感動と充実していた毎日を忘れていない。現在は手放してしまったが、じーさんになる前にもう1度乗ってやる!
2005/03/18
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今日は久しぶりのほんとの休み(^。^)。うれしくてしょうがない。2年前から息子二人にスキーを習わせた。1シーズンに2~3回しか行けないが、現在二人共リフトにのって滑ってこれるようになった。でも自分の体験から、少し滑れるようになった時点でスケートにいけば上達が早いと感じていた。スキーにしろスケートにしろ基本は体の重心移動だ。朝、子供達に「スケートにいくぞー」と言ったら大はしゃぎしていた。僕自身、スケートをするのは、ナ、ナント15年ぶり!当時、はじめたきっかけは忘れたが、動機は不純だったような気がする。しかし滑れるようになってくると夢中になり狂ったように滑りまくったのを覚えている。ちゃんと滑れるかちょっと不安^^;子供達は初めてとあって不安よりも好奇心の方が強いので車で移動中ずーとはしゃいでいた。40分ほどで到着。15年前はわりと綺麗だったが、さすがに古くなっていた。室内はレイアウトすら変わっていない。スケート靴をはかせ、ゴム床で歩く練習をさせた。予想以上にすんなり歩けたのでいよいよスケートリンクへGO!今日は歩けるようになるのが精一杯かなと思っていたが、1時間程で手を離しても滑れるようになってきた。転んでばかりで帰りたいと言うかなと思っていたが、汗だくになりながら転んでも転んでもまだまだ滑りたいと言っていた。スキーもおもしろいと言っていたが、スケートはもっとおもしろいと言われて意外だった。さすがに2時間を過ぎたあたりで足にきたようだ。今日はこれまでにしておく。お父さんの方は、体は忘れないもので、以前とほぼ同じ状態で滑れたと思う。まだまだ若いっ!!3人共大満足でした。お母さんの方も今日は家で自分の時間が持ててうれしいと言っていたが、ちょっぴり寂しそう。今度はお母さんも連れて行く。 そういえば少し思い出した。スケートを始めたきっかけは昔好きな子がいて、自分は滑った事も無いのに「スケートなら俺にまけせとけ!教えてあげるよー」と言ってしまった手前、必死に練習したような気がする。その子が今の奥さんだったような気もしてきた・・・・??^^;
2005/03/13
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今週は、先週仕事を休んで遅れた分を取り戻そうとがんばってはみたものの、やはり簡単には取り戻せない。体がなまったのか夜9時前になると動きが悪くなる。家に帰ってもくたびれて、本でも読もうものなら3ページ読まないうちに眠ってしまう。ホームページの勉強をしようとパソコンに向かっても、1分考え事をすると椅子の上で眠ってしまう。眠れないと言う人がちょっとうらやましい。それでも自由な時間はこの時間しかない。がんばろーっと!今日は僕の1番のお気に入り・オプティマス1200をご紹介(^。^)。灯油ランタンでオールブラス製。磨き込んだ後の様子はほとんど仏具!キャンプ仲間には俺がポックリいったらちょうちんの代わりにこれを燈してくれと言ってある。・・・(これ本心)プレヒート(予熱)してやらないと調子が悪い。プレヒートから本点灯に切り替える時の絶妙なタイミングが好きだ。ガソリンランタンに比べて、少し静か。かすかなコォーという音が好きだ。また、すりガラスに映るわずかな青みを含んだ火の色が好き。中型ランタンのくせにいつのまにかテーブルランタンになっている。それだけ光がやわらかい。僕はこの光にはまってしまった。ずーと一緒に付き合いたいし、子供たちにも受け継いでもらってほしいと思っている。あ~キャンプが待ち遠しい。
2005/03/10
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土曜日にはようやく出勤できるほど体調が回復した。分かってはいたが、会社へ行くとたまった仕事の山・山・山・・・・^^;。とても消化しきれず、日曜出勤(>_
2005/03/08
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昨日の夜は熱が下がって喜んでいたのに、朝起きてみるとなんか体がへん!また38度近くまで熱が上がっていた。もう寝ているのもいや(>_
2005/03/04
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先週の金曜日から家内がインフルエンザにかかり、寝こんでしまった。子供たちへの被害拡大を気遣い、土曜日には入院した。家に残っているのは子供二人とじーさんと僕。なんとか自分達で家事をやりくりしようとがんばってみたが、やはり大変。食器洗いはバーベキューの時などで教えたかいがあり、子供達も喜んでやってくれた。食事が大変でうちの場合、好き嫌いが激しく、一人一人メニューがちがう。親戚から煮しめやみそしるを分けてもらい、助かった。洗濯は出張で鍛えられたのでなんとかなった。そうこうしている間に小学校1年生の次男が日曜日に熱を出した。急いで医者に行ったが廊下まで人があふれている。息子もそうだったが、ほとんどがインフルエンザらしい。こうなると家事のやりくりが一層大変。親戚の応援もあって助かったが、はるかにこれ以上をいつも一人でこなしている家内は本当に大変だと痛感した。職をもっていて働きながらの主婦は想像を絶する大変さに違いない。そして火曜日、まだ回復しきっていない家内だが、退院することになった。とその日になんと今度は僕が熱を出してしまった。小学校5年の長男は家内が熱を出す一週間くらい前に風邪をひき、2日ほど寝こんでいた。それで抗体が出来たのか、今のところインフルエンザにはかかっていない。あと熱を出していないのは80歳のじーさんだけだ。弱そうで強いようだ。僕は二日間寝こむはめになり、また家内はボロボロの体で家事に戻っていた。熱が下がった今、あらためて家内に感謝し、月に1度は家事を一切しなくてもいい日を作ることにした。みなさんインフルエンザには気を付けて下さいね!
2005/03/03
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あっという間に今日が最終日。夜明けの静けさが気持ちいい。お気に入りのツーバーナー・PRIMUS君も気持ち良さそう。このPRIMUS君はオールブラス製で、朝日や夕日が当たると仏具のような輝きを放ちとても美しい。当時限定販売されていたと思う。キャンプ場の管理人さんも「はじめて見たなー」と言ってくれて嬉しかった。僕はブラス製の道具が好きで、新品の綺麗さよりも磨きこんだすこし鈍い輝きが気に入っている。これがガソリンバーナーなら最高なのだがイワタニなので当然ガス。どなたかオールブラス製のガソリンツーバーナーご存知でしたらご紹介ください。 この時はコールマンのランタンを持っていたが、今はソリッドプラス製のOPTIMUSを愛用している。これもすごく気に入っている。またの機会に紹介したい。別れが惜しいが砂湯を後にし、釧路湿原にそって釧路港に向かう。いつものように寄り道しながら帰りたかったが、今日はMOOにも寄って行きたかったのであまりのんびりもしていられない。すこし道に迷いながらもようやくMOOに到着。中を見物しているとおばちゃんたちの人だかりの中に元野球選手:金田正一投手を発見。思っていたよりもずーと大きな方だった。ちょっとゆっくりしすぎて、乗船時間まであまり時間が無くなっていた。釧路港はもう目の前なので安心していたが、なんとここで道に迷ってしまった。あせりまくって同じ道を何度か通った後、何とかギリギリセーフ^^;来た時のフェリーは「ブルーゼファー」だったが、帰りは姉妹船「サブリナ」。これも大好きな船だ。一緒に記念撮影する時間が無く残念。乗船後間もなく出航となり、ついに北海道に別れを告げた。もっと居たかったが、今回の旅行は将来の家族キャンプの下見を兼ねていたので楽しみをとっておくことにする。残念なのは、いつの日かまたこの船で旅をしたかったのだが、この航路は廃線になったと知ってくやしい。船内はガラガラだったので無理も無いか・・。帰りは近くを台風がかすめ、ちょっと揺れた。ぼくは気持ち良かったが、お嫁さんはほとんど動けない様子。今度行くときはフェリーは却下されそうだ。仕方が無い。こうやって獏たちの新婚旅行は幕を閉じた。北海道に向かう時、愛車にはお嫁さんのほか、キャンプ道具と着替えぐらいしか積んでいかなかったけど、帰りには積みきれないほどのおみやげと思い出を満載して帰ってこれました。今はこの頃と違い、たくさんの新鮮な情報が手に入れられるので、次の家族キャンプが楽しみです。最後にこの標識はやはり印象的でした。
1991/09/09
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今日の予定は層雲峡を出発し、オホーツク海に抜け海岸線をゆっくり見ながら網走-美幌峠-摩周湖-キャンプ目的地屈斜路湖に向かう。山道を抜けオホーツク海が見えた。沿岸を走り、景色のいい所をみつけてはわき道に入り見入っていた。とても気持ちがいい。 この辺でおみやげ屋さんに立ち寄り、お買い物。サービスで飲ませてくれた自家製の牛乳がすーっごくうまかった。こんなにおいしい牛乳は飲んだことがなかった。結構買い込んだ後、網走を抜け美幌峠に到着。観光地化された所にはあまり興味はなかったが、天気も良くとても美しい景色でした。記念撮影をすませ、摩周湖に向かう。屈斜路湖がすぐそばなのだが、今日の最終地が屈斜路湖なのと、明日は乗船なのであまり時間が無く今日のうちに見に行くことにしていた。霧の摩周湖と呼ばれていたが、今日はすっきり見えていてとってもきれいでした。次に訪れる時は、一周したい。水が入って来る所もなく、出て行く所も無いのに水位が一定と聞いて興味を持ちました。 摩周湖を後にし、屈斜路湖に向かう。今夜はキャンプなので屈斜路湖近くで食料を買いこむ。ここで忘れられない暖かい思い出があります。カレーを作るので、玉ねぎを買おうとしたが、売り切れてありませんでした。近くに店は無いかと聞くと30キロぐらい離れたところまで行かないと無いと言われた。もう薄暗くなってきていたこともあり、そこまで戻る元気もなかった。がっかりした顔をしていると、気さくに「どっからきたのー」とか言われて、「新婚旅行で富山からきましたー」とか話していると、自分ちの台所から家庭の食材を持って来て、「これあげるよー」とわけてくれました。その気持ちがすーっごくうれしかった。ありがとうございました。一生わすれません。何とか食料調達が終わり、砂湯のキャンプ場に到着。テントを建てた時にはほとんど日が落ちていた。受付でまきを買い、ご飯を炊くために火をおこす。何をかくそうはんごうで炊くのは小学校以来だったのでとっても不安。新婚旅行で失敗したら一生言われると思い、すごいプレッシャーだった。炊き上がり、蒸らし終わったはんごうのふたを恐る恐るあける。よかったーー!成功!!ごはんを炊いている間にお嫁さんがカレーを作っていた。私のなれない手つきを見透かし、やばいと思ったに違いない。こうしてようやく出来あがったカレーは最高においしかった。特に玉ねぎが溶け込んで大好きな味になっていた。食べている最中に犬が通りかかった。と思ったらやけにしっぽが太い。なんときつねだった。こんなにちかくで見たことが無かったので、ここでも感動した。ここは砂湯の地名通り、砂を掘るとお湯が湧き上がってきた。話の種に掘って入ろうと堀に掘った。掘っては崩れ、掘っては崩れ、1人分入るには大変だったのを憶えている。でも湖を1人占めしたようで、気持ち良かった。そのあと疲れきるまでいろんな話をし、眠りについた。今日も一日大満足でした。
1991/09/08
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今日は少しあわただしい。朝市はもっとゆっくり見たかったが、朝一番の飛行機で千歳に戻る為、思うように見れず残念。あと大沼公園とかも見たかったけど、今回は断念。あっという間に千歳に到着。高速道路はつまらないので下道で札幌に向かう。途中、みちばたでおばあさんがゆでとうもろこしを売っていた。これがサイコーにうまかった。こんなうまいとうもろこしを食べたことが無かった。じゃがいもも販売していたので、おみやげにダンボールで5箱位買い、送ればいいのに積み込んだ。積んで持ち帰る事になんとなく満足を感じた。自由気ままに立ち寄れ、荷物も気にならない。やはり北海道は車が便利だ。とうもろこしをほおばりながら、札幌へ。実は札幌にはあまり興味が無かったのだが、話の種にらーめん横丁で昼食。札幌は僕にとっては大都会なのでちょっと苦手。とっとと旭川に向かう。途中、景色のよさそうな所を見つけてはわき道に入りこんでみた。突然広大なキャベツ畑が出現。見ているだけで体の中の悪いものが無くなっていくような気持ち良さを感じた。やはりこれが北海道だ。ちょっとのんびりしすぎたか、旭川ではもう暗くなっていた。ここから層雲峡まではあまり距離はないはずだが、すごく長く感じたのを憶えている。ようやく宿に到着。広ーい温泉に入り、心地よい疲れを感じていた。今日も充実した一日でした。
1991/09/07
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今日の目的は函館の夜景と朝市を見る事。でも明日は層雲峡まで高速を使わずにのんびり走ろうと思っていました。函館から層雲峡まで500km以上あるのでのんびりとはいきません。そこで夜景と朝市を見る為だけに千歳から函館まで飛行機を利用しようとあらかじめ切符を取っておきました。飛行機は夕方の便を選んだので日中は支笏湖周辺や、日高周辺をゆっくり見てまわりました。夕方発の飛行機はとっても良かったです。飛び立ってしばらくし、水平飛行に入りましたが、間もなく着陸体制に入りました。その着陸体制の途中、函館上空にさしかかった頃、突然機内の電気が消えました。外はもう暗闇です。その直後、機体は大きく傾き、窓側に座っていた僕はここで初めて函館のとびっきり美しい夜景を見ました。30秒くらいだったでしょうか、次は反対側に大きく傾きました。しかし飛行の状態は安定していて不安になるような運行ではありませんでした。同じく30秒くらいしてから、通常の水平飛行に戻り、室内灯もつきました。機内アナウンスも流れずしばらく何だったのかわかりませんでしたが、やっとわかりました。わざわざ上空から夜景を見せてくれたのだと思います。こんな事どんなパンフレットにものっていなかったので感動しました。夜、タクシーで夜景を見に行きました。あいにく少しガスがかかっていましたが、やはりとっても綺麗でした。運転手さんが「ガスがかかってなかったらもっと綺麗だよー」と言っていましたが、ガスが引く様子も無くあきらめて宿にもどりました。明日の朝は早いので寝ようと思ったのですが、あきらめの悪い僕たちはもう一度タクシーで登りました。今度はすーっきり晴れ渡っていたうえに雨上がりだったせいかすごく輝いて見えました。まさに宝石箱をひっくり返したような美しさに吸い込まれそうでした。今日も一日とっても大きな思い出を作りました。
1991/09/06
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船上で2日目の朝を迎え、もうすぐ33時間の船旅を終えようとしています。私にとっては多少の揺れが心地よかったのですが、お嫁さんはかなり苦手だったと初めて知りました。そして釧路に上陸。念願の愛車に嫁さんを乗せ、北海道の大地を走りはじめました。なぜ北海道かというと、2年程前に出張で生まれて初めてこの地を訪れました。電車から見る風景がすばらしく、もっともっと見てみたいと思い続けるようになっていたからです。本日の予定はえりも岬、日高の牧場などをのんびり周ります。私は観光地にはあまり興味はありませんでした。北海道の良さは、気ままにわき道に入り、じっくりと見ることだと思っていました。景色のいいところを見つけては車を停め、牧場をながめているだけでとても満足でした。しかし、夕方からは強烈な雨!ここからは本日の観光を断念し、宿泊地アルファリゾートトマムに到着。雨に見舞われましたが、満足な1日でした。
1991/09/05
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乗船したのは夜中の12時近くだったと思います。愛車テラノと共に乗り込み駐車後、エレベーターで三階ぐらい昇った階にフロントがありました。周りを見渡すと広い空間、モダンな装飾、落ち着いた雰囲気にとても気持ちがなごみました。私達が予約した部屋はロイヤルステート(スイートルーム)でした。パンフレットでも調べてはいましたが、こんないい部屋今まで泊まったことはありませんでした。疲れていたはずですが、うれしくてなかなか寝付けません。専用デッキでしばらく暗い海をかき分けて行く波の音を聞いていました。翌朝、柔らかい光に目覚め、早速船内を探検。レストラン、映画館、ラウンジ。どこを見てもとっても広く、ゆっくりとした時間を楽しみました。夏休みが過ぎていたこともあり、とても空いていました。途中、姉妹船sabrinaとすれ違いました。この美しい船体と過ごした時間が忘れられず、IDにsaburinaをつかいました。9191は91年9月1日の結婚を意味します。今では9191(クイクイ)で悔いばかり残ると言われていますが・・・(笑)船の中で一番印象に残ったのは大浴場でした。大きな浴槽が2つくっついていてほんの少しの揺れに合わせ大量のお湯が2つの浴槽を行ったり来たりと海の中で温泉に入っている気分ですっごく気持ち良かったのを覚えています。大きなガラス張りの窓から海をながめているとイルカの親子が飛び跳ねながら泳いでいるのがみえました。もう最高の気分!それから映画館で映画を見て夜は売店でレンタルビデオを借り、部屋で見ていました。今日一日とっても贅沢な時間を満喫しました。
1991/09/04
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結婚式の翌日、婚姻届けを出し新婚旅行に向けての荷物の確認を行いました。以前から新婚旅行の中でキャンプをするのが夢でした。自分の愛車にお嫁さんとキャンプ道具を乗せ、北海道を二人でゆったりと旅をしたいと考えていました。私は船が大好きで、愛車もろとも船で北海道に渡ることも決めていました。住んで居る所は富山県ですが、当時クルーズフェリーは少なく、新潟からも出ていましたが、東京から出ているブルーゼファーというフェリーにどうしても乗りたかったので、わざわざ晴海まで走りました。新婚旅行一日目はほとんど高速道路でしたが、ずーとわくわくしていたのを覚えています。
1991/09/03
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今思えば、やはり人生最大の分岐点はここにありました。そしてここまでの夢であった新婚旅行でのキャンプの始まりです。
1991/09/01
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