私のお気に入り!昇る朝日、光る川面、泳ぐ鳥     

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当たり前のこと


全盲で難聴の方が講師で来られました。

見えないけれどとても明るく朗らかなかた
です。

この言いようもとても偏見に満ちてますね。
障害があるからといって、
暗いつらい人生を歩まれているわけでなく、
いきいきと自分の人生を楽しまれているというだけです。

不便だけれど、人にあわれに思われる立場ではなく、
同じ立場の仲間なのです。

彼女の言葉の端々にそれを感じました。

私の言うことを尊重してほしい。

見えないから、聞こえないから、
あなたより私の方がよくわかっているから、
こっちにしよう。
というのは、とても不快だということです。

どこかにゆく時、
例え、自分の言っている方法が間違っていても、
むりやり援護している人にひっぱられてゆくのが
いやなのです。

自分で選択したほうが、失敗でもそれは納得できます。
でも、援護者がほかの方法でやって、
それが間違っていた時、何とも言えない気持ちになるそうです。

なんで、自分を信じてもらえないか。と。

上下の関係が、不愉快なのだと思います。

話を聞いていて、思い当たることがありました。
幼い子どもと接する時、おとなは、本人の言うことより
こちらの都合で物事をすすめます。
本人の選択を待てません。
時間がかかるし、あぶなっかしいし、
手をだしたくなります。
でも、子どもたちは、自分の方法で
自分でやりたいのです。

また、老人、年老いた自分の親と接する時、
よく見聞きします、
お年寄りが何かしよう、言おうとすると、
子どもが高圧的に、それを制止します。
初めて見た時、それはその人だけの場合だと
思いましたが、
何件か、見かけるようになって、
それは、ごく普通に年老いた親に対する接し方
だと気がつきました。

動きがにぶくなってきたり、
思いが伝えにくくなってくると、
立場が逆転して、上から見てしまうようです。

盲ろうの講師の方は、それをおっしゃって
いるのだと思いました。

上や下ではなく、同じ位置にいたい。

ただ情報を遮断されているだけで、そのほかは、
何の不自由でもない。

私の自由を奪わないで。ということかと。

当たり前に見えたり、聞こえたりすることに
慣れきっているわたし。
他にも気付かないところがたくさんあります

真っ暗闇の何も見えない世界にいる人。
突然、ぬっと何かに触られたり、
引っ張られたら
とても驚くと思います。

その方と接する時、
一番大切なことは、「今ここにいます。」
ということを知らせるために、
優しく、トントンと合図を送ること。
そして、自分の名と性別をなのること。
それで、相手はやっと安心できるのです。

それから、コミュニケーションが始まるのです。

この講座を受けるようになって、
白杖を使って歩いている人を見かけるようになりました。

以前も出会っていたのでしょうが、
気がつかなかったのでしょう。

何か、困ったようなしぐさをみかけたら、
近寄って、静かに 「トントン」と合図してから、
お話してみようと思います。

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