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内容は古代史なので、分類に迷ったが、歴史はモチーフであってテーマではないと判断した。「日本文化は韓国からの渡来人が形成した」と言われれば日本人も何となく頷いてしまうが、著者は疑問を投げかける。・コメは本当に韓半島経由か・それにしては日本の弥生時代のようなコメの栽培を示唆する遺跡は韓国に乏しい・統一新羅ができるまで韓半島に国家はなかった、したがって「韓民族」もなかった・任那日本府は、伽耶に倭族の村があったと考えればいい(著者は、はっきりと書いてはいないが示唆している)・列島にも半島の村があっただろう、その程度のものだ・韓国から何百万も亡命したら韓国の人口増加率が著しく低くなるはずだがその形跡は見られない・日本の天孫神話は北方系だが、韓国の卵生神話は南方系だ・だからといって韓国が南方系を崇めたと考えるのが暴論なら、古代日本人が韓民族を崇めたと考えるのも暴論である。・外国由来の地名は必ずしもそこに当該外国人の居住地があったことを示すものではない・在日韓国人は、世界的に最も成功した少数民族の一つである、日本にはそういうふところのひろさがある。(言いたいことは分かるが違和感もある。ユダヤ人は経済的には世界的に最も成功した少数民族だったが、ヒトラーに迫害された)飛鳥や北九州や出雲や相模の地を巡りながら、著者は日本と韓国のつながりに思いをはせる。金達寿と違うのは、彼女が自分が間違っているかもしれないと自覚していることだ。呉善花は自覚せるヘイエルダールであり、しかも間違うことを恐れない。金氏が在日として自らの存立基盤確立のためにいろいろ調べたように、彼女もまた「さすらい人」としての自分自身の姿を渡来人に重ね合わせる。そうして、古代韓国人は日本人に受け入れられて同化したのであり、韓国人が日本人を指導したのではないと説く。呉善花の意見はすこぶる穏当に聞こえる。しかし韓国では古代韓国は日本に比べて先進国だったという思い込みに基づいた言論が幅を利かせている。中国は親、自分は兄、日本は弟というわけである。しかしながらもっと残念なことは、「世界で最も成功した少数民族の一つ」である在日コリアンに対して、自らの度量のひろさを誇るのではなく、自分自身の社会的評価を貶めるようなヘイトスピーチが、いまだに大きな顔をしていることだ。【中古】 攘夷の韓国 開国の日本 /呉善花(著者) 【中古】afb
2019.02.21
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『はだしのゲン』の汐文社の出したこの本の副題は、「世界で一番貧しい大統領が見た日本」なので、迷った末にここに入れた。この記事を見るような人はたいていご存知だと思うけれども、ムヒカはウルグアイの元大統領。「世界一貧しい」というより、「世界一質素な」大統領だろう。本書はインタビューや講演、対談、書簡などで構成されている。ネルソン・マンデラのように闘争に生きた人だけあって、人生や生き方を語っているようで、内容は結構政治的である。まあ、人間関係そのものが広義の政治と言えばそれまでなんだけれども。「ホセは自分の思考や考えに忠実に行動しています」(ルシア:妻)「ムヒカさんの考え方は仏教に近い」(中川:浄土宗僧侶)「足るを知るという思想が、西洋化で失われてしまったのか」(ムヒカ)「多くのものを必要とする人は貧しい人だ」(セネカ)「日本人は秩序だって整然と物事を進める。東洋のドイツだ」「権力は私たちに思考させず、快楽ばかり与えようとしている」「人生にはヒマが必要だ」「日本での経験を通して、私は、近い将来、人類は人間による仕事を今ほど必要としなくなるだろうし、そうした事態に備えなければならないというということを学びました」(以上すべてムヒカ)とりあえず日本関係の箇所から恣意的に抜き出してみたが、全貌はまだまだこんなものではない。読んでいて生きる希望と勇気を与えてくれるという意味では、ささやかなながら良書だと思う。ホセ・ムヒカと過ごした8日間 世界でいち[本/雑誌] / くさばよしみ/著ホセ・ムヒカと過ごした8日間 世界でいちばん貧しい大統領が見た日本【電子書籍】[ くさばよしみ ]
2018.05.24
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本書は武士道の『ドン・キホーテ』的挽歌であり、またイエス的福音書でもある。19世紀末、日清戦争の勝利の興奮冷めやらぬ日本で、まさに滅びようとしつつあった武士道は、新渡戸の手によって永遠の生命を得たのである。註にあるように細かい間違いはある。儒教にしても、江戸時代は朱子学ではなかったかなど、重箱の隅をつつきはじめたらきりがなかろう。だがそれは、異端審問や魔女狩りという歴史的事実ゆえに、キリスト教を全否定するようなものである。士族の子であった新渡戸は、またキリスト教徒でもあった。彼の説く武士道の源流とその徳目(義、勇、仁、礼、信、誉、忠)およびそれらを成り立たせるための精神(修行、修養、克己)と文化(切腹、仇討、刀、女子教育)およびエートス(武士道の影響、現在、未来)について、その熱弁とユーモアに耳を傾けうるものは幸いである。本書を読む者は、人種や民族や文化の表面的な差異にかかわらず、「人間はどこへ行っても人間だ、お互いに理解し共鳴しあえる存在だ」ということに気が付くであろう。なお、本書は高いので↓『中古』武士道図書館で読まれるか、廉価版の購入をお勧めします。↓原文は英語なので、出版社によってニュアンスは若干異なりますが、岩波版がしっかりした翻訳だと思います。【中古】武士道 / 新渡戸稲造【中古】 武士道 ハルキ文庫/新渡戸稲造(著者),矢内原忠雄(訳者) 【中古】afb【中古】 「武士道」を原文で読む 宝島社新書/新渡戸稲造(著者),別冊宝島編集部(編者) 【中古】afb
2017.12.31
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「」でくくるのは一冊の中からそこだけを再読したので。「堕落論」の要旨は「生きることは堕落することだ」。「続堕落論」は反骨精神と反体制の思想を鮮明にしたもの。本音は違うくせに、建前だけ論じやがって、嘘つき! 嘘つき!坂口安吾が太宰治らとともに<無頼派>と呼ばれた理由がよくわかる。藤原氏が天皇を利用したように、軍部が天皇を利用したのだというのはけだし卓見だと思った。【中古】堕落論【坂口安吾】【新潮文庫 決定版評論集 文学研究 文学論 無頼派 エッセイ ノンフィクション 文庫本 メール便送料150円】【中古】 堕落論 角川文庫クラシックス/坂口安吾(著者) 【中古】afb白痴・堕落論 坂口安吾作品集【電子書籍】[ 坂口安吾 ]
2017.08.16
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読み物であると同時に、よくできたワークブックでもある。実は某所でさっと流し読みしただけなのだが、「のである」「のだ」を多用するな。「が、」「が、」と文を長くするな。単語に敏感になれ。などと、いろいろためになることが書いてあった(苦笑)。たとえば「思う」はひとつのことを思うこと、「考える」はあれこれ比べて考えること、など。ワークブックの部分では、文章を縮約、要約する訓練を通して文体の骨格を読み取る技術が身につくという。これも至言である。骨格と言えば「が」と「は」の」区別が外国人には難しいらしい。前者は主語につき、後者は述語につくと理解していたが、大野先生によると「が」は主語と結びついて主語ー述語関係をまとめる「は」は対比の「は」、選択の「は」でもあるという。言われてみればそのとおりだ。一番勉強になったのは敬語だ。丁寧語、尊敬語、謙譲語というが、丁寧語とあとの二つは違う。丁寧語はいま呼びかけている相手に向かって使うものだ。一方尊敬語と謙譲語は、「話の中に出てくる人物」に対して使う。たとえば「申しました」は「申す」「ます」「た」に分けることができ、「申す」は話の中に出てくるわたしがへりくだって言う謙譲語、「ます」はその話を相手に向かって伝える時の丁寧語、「た」は言うまでもなく過去形を表す助詞、という具合だ。良書なので、是非買って熟読されることをおすすめします。【中古】 日本語練習帳 岩波新書/大野晋(著者) 【中古】afb
2016.11.11
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題名は啄木の未完の小説『雲は天才である』のもじり。さすがジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳しただけのことはあって、「これは無理だろう」と思えるような外国語表現でもきちんと日本語にしてしまうのがすごいところだ。たとえば、たまねぎには穴が二つ空いている。onionのことだが、翻訳でもちゃんとそうなっている。柳瀬さんは「日本語が天才だから」というけれども、凡人にはなかなか思いつけるものではないし、気がつくものでもないと思う。その他方言考、「お」と「ご」の使い分け、七を「なな」と読むのか「しち」と読むのかの基準等について、明晰に論じている。大野さんの『日本語練習帳』が主食だとすればこちらは副菜かデザートか。肩肘張らずに気楽に読めて栄養たっぷりの本である。【中古】 日本語は天才である /柳瀬尚紀【著】 【中古】afb日本語は天才である 新潮文庫 / 柳瀬尚紀 【文庫】
2016.10.25
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手元にあるのは図書館から借りてきた昭和36年の本だから、もう半世紀以上売れ続けていることになる。たいへんなロングセラーだ。その後いろいろ改訂があっているのかもしれないが、とりあえず有紀書房の内容で話を進める。13章からなる巻末の「日本語の歴史」が面白い。日本人が漢語をようよう自家薬籠中のものにしたと思ったら、貴族文化が衰退して武士階級が台頭してくる。それに伴い、東国の言葉が日本語に影響を及ぼすようになる。現代の「共通語」も基本的にその流れをくむもので、明治以後の言文一致運動や西洋由来の概念の訳語や外来語を加えて現在に至る、云々。もっと興味深いのは、いろいろな大和言葉(和語)の意味の変遷の話である。個々の言葉の年輪のことではない。通して読むと、著者によるひとつの主張が浮かび上がってくる。「古代の女性はおおらかだった。少なくとも男性と対等だった。それが、婿取婚から嫁取婚へと結婚の形態が変わり、室町時代に至って女性の囲い込みが決定的になるにつれ、女性を卑しく小さいものとみるような風潮が強くなっていき、現在の男女差別につながっていった」それは支配階級の話で、庶民のことではない、という批判はもちろんあるだろう。だが庶民が文字を残すようになったのはごく最近のことで、文字に残る日本語と言えば長い間為政者やその周辺の人たちの言語だった。そういう意味で、額田王の時代と紫式部の時代の比較、その後明治になるまで文学史に残るめぼしい女性文学者が登場しなかったことを考えると、首肯できるものがあると思うのである。【中古】 日本語の年輪 / 大野 晋 / 新潮社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】
2016.09.07
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俗に「舌足らず」といいます。この場合の「舌」は「言葉」という意味の文学的あるいは慣用的表現であって、決して本物の舌を意味するのではありません。同様に「手短に」というときの「手」も「それで手を打ちましょう」という時の「手」であって、「(話の)流れ」「(これまでの)経緯・過程」くらいの意味で、右手左手(この場合の「手」にも「方向」という別の意味がありますが)の手ではありません。したがって、日常つかう分にはなんら差し支えない言葉……のはずなのですが、特別支援学校の先生とか、職業によっては、公的な場面でつかいにくいこともあると思います。たとえ「そういう意味じゃない」ことを知っていても、いちいちそれを説明するのは面倒ですし、相手がそれを納得してくれるとも限りません。しかしそれでも、こういう言葉をつかうのがはばかられるのは、「特別な場面」だけにしていただきたいものです。間違っても、言葉狩りの対象になどなりませんように。間違っても、たとえば小説家に対して「差別語だからつかうな」という間違った認識による圧力が強まることのありませんように。【中古】 「中国のしくみ」が手短にわかる講座 経済成長を続ける巨大国家の実体を探り、その行方を見極めるために らくらく入門塾/田畑光永(著者) 【中古】afbスライスにして水にさらしすぎると栄養の成分が水に溶けだして半減してしまうので、さらすなら手短に!〈お得〉 玉葱(玉ねぎ・タマネギ・たまねぎ) 800g 【北海道・国産】
2014.12.05
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瑞典人と結婚した著者の断章とインタビューを交えた手記で構成される、やや「歴史的」になった本。唐人お吉の時代から、戦争花嫁、岸恵子の結婚に至るまでの考察には一読の価値がある。ここには書いてないが、オノ・ヨーコや後藤久美子の影響もあるだろう。一方で、父親が日本人でなくても子どもの日本国籍が取得できるようになった平成の国際結婚の現在はこうである。もっとも、在日コリアンとの結婚状況、とくに日朝結婚は、いまでもあまり状況が変わらないかもしれない。辛口だが、日本人論としても耳を傾ける価値のある本。なお、ヤンソン由美子さんで検索するとこんなものがあった。大型絵本【1000円以上送料無料】赤い目のドラゴン/アストリッド・リンドグレーン/イロン・ヴィークランド/ヤンソン由美子
2013.12.05
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聞きなれないこの著者はノーベル文学賞の有力な候補で、オランダ人だそうである。本書の前半をなす短編小説は誠実なピエール・ロティの話。後半は4編の紀行文から成っている。一読してノーテボーム氏は遅れてきたハーンという印象を受けた。ただ彼は古い日本を愛おしむだけでなく1980年代の日本を理解し、過去と現在を知的に統合しようとしている。この頃はまだ40代であろうか、その姿勢は買いたい。北斎、写楽、長谷川等伯、楽焼、書、枕草子、歌舞伎…彼の理解は多分に視覚的であり、旅人の視点に似ている。旅行者ではない。旅を通して人生を理解しようと努める者のまなざしである。天皇が神だったのは日本史のごく一部の時期だけで、清少納言の頃、天皇は人間でしたよ、とかつっこみどころがないわけではないが、細かい点には目をつぶり、著者が愛した細部の日本を、不具もまた愛しみたいと思う。【1000円以上送料無料】木犀!/日本紀行/セース・ノーテボーム/松永美穂【Marathon02P02feb13】
2013.01.30
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図書館で座り読みして笑い転げたコミックエッセイ。部分的に勉強になるが、あくまでエッセイなので系統立てた説明になっていないのが難と言えば難。密度的には三冊で活字本一冊の内容。定価で買うのは勿体ないので、ブックオフで見かけたら蔵書にしてもいいと思った。ただし外国人の彼氏彼女がいる人は必携のこと。買取時のポイントが10倍!本・ゲーム・DVDなど買い取ります。申込はこちら【中古】 afb【古本】日本人の知らない日本語 1/蛇蔵&海野凪子5000円以上で送料無料!【中古】afb【古本】日本人の知らない日本語_2巻_蛇蔵&海野凪子_メディアファクトリー_A5版_【あす楽対応】 【中古】その他コミック 日本人の知らない日本語(3) / 蛇蔵&海野凪子【10P9Nov12】[fs01gm]【画】【中古】afb何かドラマにもなってるようですね。【送料無料】【smtb-u】【中古】国内TVドラマDVD 日本人の知らない日本語 DVD-BOX【10P9Nov12】[fs01gm]【画】
2012.11.20
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大衆読者の市場はすでに江戸時代に成立していた。そうでなければ人情本が影響力大として発禁処分になるわけがない。文明開化時のベストセラー『学問のすすめ』が与えた影響。『西国立志編』『佳人之奇遇』が興した明治的ナショナリズム。新聞小説によって大衆は毎日一定量の活字に接する習慣がついた。とはいえ識字率はまだまだ低く、本は家族や仲間内で読み聞かせするものだった。個別の読書、黙読を営む近代読者が成立したのは、二葉亭四迷の翻訳小説『あひびき』が発表されたころである。大正時代になると、人々の暮らしもかなり「モダン」になった。職業婦人も増え、彼女たちに熱狂的に受け入れられたのが菊池寛の大衆小説『真珠夫人』だった。昭和初期、プロレタリアート文学は大衆文学の台頭に危機を感じていた。啓蒙すべき対象の労働者が、プロ文学より通俗小説を好んで読むからだ。ここで価値の転向が起こる。プロ文学の大衆化指向である。…立教大学助教授(当時)の論文を、大胆に要約してみました。あしからず。近代読者の成立価格:1,260円(税込、送料別)
2010.12.04
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江戸の町人、武士、僧侶、未亡人など、さまざまな階級や立場の人々の性の営みの実態を、川柳で楽しむ本。川柳にもいろいろございまして、これなどはさしずめ『デカメロン』に近い江戸川柳の入門書といえましょう。絶版と思っていたらみすず書房にありました。日本人の笑い
2008.10.20
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副題を「ヘンリー君の現代日本ウォッチング!」。なんでも昔ウィリアム・J・マクブライトさんという人が『極東発見』という本をものしたそうで、本書はその曾孫さんが書いたものです。ヘンリー君はイギリス人。二年間の契約で日本の高校で英語教師として海を渡ってやってきました。水先案内人の英語教師ヤマシタ先生の解説に助けられながら、学校の式典、自販機文化、日本人の清潔感へのこだわり、修学旅行、日本食、アダルト文化、結婚式と縦横無尽にフィールドワーク。ときに民俗学的に、ときに文化人類学的に、読者を笑わせてくれます。やはり血は争えないのでしょうか、一読の価値がある本です。図書館で検索してみてください。残念なことに、著者はもうこの世の人ではないのですが…アーメン。
2008.05.05
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本書が中根千枝氏の『タテ社会の人間関係』を意識したものであることは著者自ら認めています。それに対して日本における仲間社会というヨコの人間関係のありようを考察したのが特色だとも言えるでしょう。日本社会の階層構造をミウチ-ナカマーセケン-ハラカラと分けたのはなかなか面白いと思いました。仲間の最小単位が夫婦であり、仲間割れというように強固であると同時にうつろい易いものだというのも確かにそうかもしれません。仲間には仲間内のルールがあり、それは世代を越えて引き継がれ、伝統になります。30年前の本なので著者はそこまで言っていないのですが、企業における年功序列と終身雇用制度が崩壊してしまった現在、仲間意識こそが日本人の帰属感を支える最後の砦なのかもしれません。それが強すぎても組織ぐるみの犯罪に、弱すぎても個人の凶行につながるわけで、バランス感覚が取りづらい時代になりました。処分本NO.137。
2007.10.10
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副題を―中国人青年が見た「日本の心」―。序 体験としての日本1 私のめぐりあい2 虫の眼で日本を歩く3 北京の風光という構成になっています。どれもそれぞれに味わい深いのですが、特に第2章は好みです。「夜山桜」「盲導犬」「天売島とマグロの眼」など、どの随想ひとつとっても、小泉八雲の世界を連想させます。ただ八雲と違うのは、毛氏がこれを日本語で書いた、ということです。自分は最初訳者名を探しました。どこをどう探しても見当たらないのを知ったとき、はじめて著者の日本語の表現力に感嘆したのでした。第3章は、死者・生者・故郷北京へのdedicated chapter(献章)になっています。それぞれの文章が著者の思い出と密接に結びついている愛すべき章です。なお、著者名をカタカナで表記すると「マオ・タンチン」となるそうです。
2005.12.27
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自分はこの本を理解したとはいえません。なぜなら禅は実践するものだからです。頭で考えて理解するものではないからです。それでも、読み終わった以上は感想が残ります。それを書きつけずにはいられないのが、自分という人間の性でしょう。自分は最初、昭和版ラフカディオ・ハーンの物語としてこれを読みました。訳文が日本語としてこなれているせいもあって、スピリチュアルな一外国人による日本発見記として読んだのです。ハーンの直感は間違っていなかったと自分は思います。ただ彼が愛したのは失われ行く日本でした。一方、グレーニング女史が愛したのは、京都の伝統的な旧い禅寺に息づく、今なお厳然として生きている「日本」でした。相国寺の老師との対話、公案への取り組みと坐禅、それを続けることによって彼女が到達した境地を語ることは難しいでしょう。というより、ほとんど不可能です。ちょうど、イチローが到達した境地を素人が賢しらに薀蓄ぶってみせるようなものかもしれません。それでも、読み進めるうちに、以前読んだこの本との共通点を深く感じるに至りました。瞑想は坐禅の従兄弟だから当然といえば当然ですけれど。著者は語ります。「私は仏教徒になったのではありません。禅は宗教ではない。神秘的な秘儀でもないし、聖なるものでもありません。禅は世界で最も自然なものです。…私は老師のように悟りを得たわけではありません。ただ自分自身で禅を経験し、そのお蔭で、個は常にまた全体であるというハーモニーを得ました」ドイツではこの本を読んで禅寺に訪れた人も多いと聞きます。自分はといえば、未だ禅を知らず、そういうハーモニーも知らない、煩悩に満ちた一俗人であります。…これ以上書き加えることも、ないでしょう。
2005.10.05
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