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あとで書きます。
2022.01.24
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三一書房刊『少年小説大系 第18巻 少年SF傑作集』より。明治36年の作で、しかも翻案である。少年SFとあるが、文体的にも内容的にも少年ものとは思えなかった。あらすじは、明治に冷凍睡眠した主人公が二十三世紀の東京で目覚める、というものだが、いかんせん書かれた時代が時代だから科学的描写については『百年後の世界』にも遠く及ばない。社会体制はと言えば三百年もたっているのに極端な資本主義社会で、貧富の差の甚だしいことこの上なく、貧民窟などの描写は十九世紀も欠くやあらむ、と思えるほどである。案の定、社会主義的抵抗運動・組織などが登場して、物語は次第にSFというより政治小説という相貌を帯びる。しかも訳出されているのは前半のみ。別の出版社から明治時代に完訳が出ているそうだが、食指をそそられる内容でもなかった。ただ明治の語彙と文体の標本の一としては貴重かもしれない。【中古】 少年小説大系(第18巻) 少年SF傑作集 /月路行客(著者),會津信吾(編者),横田順彌(編者),尾崎秀樹 【中古】afb
2020.04.04
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少年は(最後まで名前は明かされない)母親の骨壺を抱えて花巻へ向かっていた。遺言通り、遺骨をある川に流すためだ。だが、いつの間にかそこは昭和八年の花巻になっていた。タイムスリップ? だがそこは昭和三年に賢治がなくなり、死んだはずの妹トシが生きていて娘の「さそり」がいる世界だった。しかもあろうことか少年は「ジョバンニ」として「カムパネルラ」殺しの犯人にされてしまう???『銀河鉄道の夜』と『風野又三郎』を踏まえて、二転三転するストーリーは、冒険小説であり、SFであり、ミステリーである。ちょっと分類しにくいが、あえてこのカテゴリーに入れた。読んでいただければその理由はお分かりいただけると思う。『図書館戦争』にも通じる世界観だから。あ、言っちゃった。でも、こんなご時世の今だからこそ、一人でも多くの人に読んでもらいたい小説だ。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」BYヴォルテールカムパネルラ【電子書籍】[ 山田正紀 ]送料無料/カムパネルラ/山田正紀
2016.12.09
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男女雇用機会均等法が施行されて何年もたっていない頃、エイズが恐怖の病気だった頃、バブル経済が日本を席巻していた頃。そんな時代にこの小説は書かれた。新しい日本は大日本帝国のような「帝国」ではないが、支配ー従属関係にあるもののうち前者をしてそう呼ぶのだと考えればよい。タイトルから推し量られるように、本書は男女の関係の逆転した22世紀の世界を描いている。なぜ逆転したか。ワクチンができたものの、エイズが筋ジストロフィーのように男性にのみ発病する病気になったので、男たちは怪我を恐れておとなしなり、逆に女たちの方が生き生きしだしたのだ。ウイルスの伝播は早い。『猿の惑星 創世記』のように、変性エイズは瞬く間に世界中に広まった。エイズが死に至る病でなくなった今、この本は時代遅れだ、という人がいたらそれは違う、と申し上げたい。もう一世代も前に書かれたのに、諷刺小説として現代にも通用する要素をもっているからだ。前提として、男らしくというのは現実世界では女らしく、女らしくというのは男らしくということだと考えよう(主人公の名前に象徴されるように、この世界の男性たちはたいてい女性的な名前である)。そうすれば、女性に虐げられる男性の姿を通して、男性に差別されてきた女性の気持ちがよくわかる仕組みになっている。前半では、作者はいわゆる「性差」を文化的なものとして読者に提示する。言い換えれば、社会による人工的な神話である。『男性の決断に関する十二章』は伊藤整の『女性に関する十二章』のもじりだし、男性は女性の数十倍「感じる」などという表現も、男性が女性に言い聞かせてきたことのパロディである。では男女の「性差」は全て文化的なものなのか。そうではない、と作者は答えを用意している。種を提供し、子どもを育てた父親はエイズで死ぬこともあるが、その際「英雄」としてますらお神社に祀られる。これは明らかに「英霊」と「靖国神社」そして戦争への諷刺である。これをもって怪しからんと思う人には再度、それは違いますよ、と申し上げたい。諷刺の対象になっているのは第二次大戦ではなく、近代の戦争そのものである。しかもこれらの儀式は男性が考え出した。政治体制を奪われ、経済活動を奪われ、科学技術を奪われた男たちは、その生きがいを武士道ではないが「死ぬこと」に求めた。子どもを育てて「英雄」として死ぬことこそ「男の花道」であるという新たな神話を創り出したのである。男性は女性に比べると何かにハマりやすい。これは男女の脳の違いによるものであり、具体的に言えば右脳と左脳をつなぐ脳梁の太さの違いである。女性は太い脳梁を通して情報が左右両脳にバランスよく行き交いするから現実的、総合的に物事を見る。夢想しやすいのは男だ。脳梁が細いために、左右のどちらかの脳が特化しやすく、ために専門的になる。古来天才に男性が多いのも、教育水準のせいばかりではなくこのような脳の性差によるものだと考えることができる(皮肉なことに、この世界で最も「やまとなでしこ」だったのは、性転換した元男性だった。あるいは今日でいう性同一性障害の傾向があったのかもしれない)。男女逆転した社会でも、男はどこまでいっても男だった。体制を打倒すべく、彼らは指導者を立てて男性優位社会の復権を目指す。思想的リーダーの名をミチルという。妻が若死にしたので生き延びたというこの禿げオヤジ、実は女性を拷問して殺すサイコであったとわかる。してみると奥さんも殺したのに相違ない。女性側の指導者が言う「近代という暗黒」とは言い得て妙である。男女平等社会への道はないのか。ある。だが小説では非常に急進的な形で提示されている。一男性としてこれはいくら何でも現実には受け入れがたい。去勢されるよりはましだとしても。物語は男たちが革命を始めたところで終わっているが、それがうまくいく保証はない。むしろ思い起こされるのは共産主義革命とその後の社会である。ここにも諷刺があり憂鬱なるディストピアがある。鼠にかみつかれたキャットウーマンたちは、その後どうしただろうか。核兵器ならぬ最後の生物兵器を持ち出しはしなかったか。男性致死率100%のエイズウィルスを。子どもが欲しければ精子バンクに行けばいいのだから。…【中古】 フェミニズムの帝国 /村田基【著】 【中古】afb【中古】 フェミニズムの帝国 ハヤカワ文庫JA/村田基【著】 【中古】afb女性に関する十二章【電子書籍】[ 伊藤整 ]
2016.11.23
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これはSFかユートピア小説かファンタジーか。分類に迷うが、どんでんがえしの結末からこのように分類した。レダム人とはよく考えたものだ。モデルはモデル。それ以上のものではない。ほのめかすようで申し訳ないが、ミステリー的要素もあるのであらすじの詳述は避けたい。ただ一読してハインラインの『異星の客』を連想したことは確かだ。『ヴィーナス』の方が1年早いが、1960年前後という出版年代を考えると、やはりこういう娯楽小説も時代精神と無縁ではありえないということか。当時ならヒッピーの聖典になりそうな本だが、半世紀以上たった今でも、本書はジェンダーのみならず、マジョリティ/マイノリティについて考えるすべての人にとって示唆に満ちている。いい小説を邦訳してくれたと思う。ヴィーナス・プラスX 未来の文学 / シオドア・スタージョン 【全集・双書】 「初版発行日」 2005-05 「著者」 シオドア スタージョン (著) 「出版社」 国書刊行会【中古】ヴィーナス・プラスX (未来の文学)
2015.06.25
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『図書館革命』および『別冊図書館戦争1』の続編。手塚と柴崎がある事件を機にくっついて、めでたく大円団に到る本。個人的には、第1章「もしもタイムマシンがあったら」で描かれる純情中年の恋愛譚が好み。切ないねえ…「いかなる低俗・劣悪な表現であっても、国民はそれを自分で見て判断する権利がある」買取時のポイントが10倍!本・ゲーム・DVDなど買い取ります。申込はこちら【中古】 afb【古本】別冊図書館戦争 2/有川浩
2013.10.09
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『図書館革命』の本編とエピローグの間の歳月を埋めるオムニバス。リストラとか児童虐待とか不審者侵入とか書籍の窃盗とかいう題材を扱いつつ、「ズッコケ三人組」的にキャラ読みさせてしまう本。差別用語を使わなくても十分差別的な表現はできる。確かにその通りだ。買取時のポイントが10倍!本・ゲーム・DVDなど買い取ります。申込はこちら【古本】別冊図書館戦争 1/有川浩【中古】 afb
2013.10.08
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これまではオムニバス形式だったが、しめくくりの第4巻は、「作家・当麻蔵人亡命事件」で貫かれている。後半の逃避行は、シドニー・シェルダンの『THE CHASE』を彷彿とさせた。日本国憲法第21条まで持ち出して、表現の自由の問題を問うあたり、これまでの集大成といったところであり、相変わらずコミカルではあるが、突き付けてくるその切先は鋭い。惜しむらくは、原電テロという言い方が気になる。今なら原発テロと書くところだ。もっともこれは3.11以前の作品なのだから、致し方ないのである。むしろ9.11以降、原発に潜む問題性を指摘した功績をたたえるべきだろう。>>期間限定<< ★中古品【ポイント10倍】 2013/12/23 09:59まで【中古】【書籍 ハードカバー】有川 浩 図書館革命(図書館戦争 4) 4巻【中古】afb【10P20Dec13】
2013.10.07
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『図書館内乱』の続編。「危機」の意味が分かるのは第4章以降。実は同じ作者の別系統の本も読んでいるが、比べてみるとこちらは異質だ。際立っている、といっていいかもしれない。表現者として当然のことなのだろうけれど、作者は一貫して検閲反対の立場をとり、しかもそれをエンターテイメントとしてコミカルかつシリアスにまとめあげる。第一級のメロドラマである。「床屋」が軽度の放送禁止用語にされている由、この本を読んで初めて知る。馬鹿馬鹿しい。いったい誰がどういう基準で決めているのだろう。買取時のポイントが10倍!本・ゲーム・DVDなど買い取ります。申込はこちら【古本】図書館危機/有川浩【中古】 afb
2013.10.04
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『図書館戦争』の続編。全5話がオムニバス形式になりながら、少しずつ話が進んでいく。「内乱」の意味が分かったのは、本を半ばまで読んでから。勉強になったのは、日本が戦前、植民地の図書的史料を自国に持ち帰ったり、本来図書館がするべきでないことをしたこと。つまり存続のために時流におもねったこと。小説の中のお話だから判断は保留させてもらうけれど、ありそうなエピソードとして心にとどめておきたい。江東新館長が行政派にも原則派にも属さない「中立」だったのも道理だ。だって自身、「未来企画」派だったのだから。それにしても郁のキャラって誰かに似ている…と思ったら、『ガラスの仮面』のマヤちゃんそっくりなのでした。とくに「紫のバラの人」と「王子様」あたりがね。追記:派生本『レインツリーの国』図書館に予約入れました。キルゴア・トラウトの『貝殻の上のヴィーナス』とうとう読みませんでしたから、今度は。>>期間限定<< ★中古品【ポイント10倍】 2013/12/23 09:59まで【中古】【書籍 ハードカバー】有川 浩 図書館内乱(図書館戦争 2) 2巻【中古】afb【10P20Dec13】 【中古】少女コミック ガラスの仮面(33)【画】
2013.10.03
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作者は男だと思っていたら実は高知出身で関西在住の女性だった。然しそれで納得がいく。まるで少女漫画を読むような女性主人公からの視座の確かさ、ボケとツッコミの掛け合い漫才のような会話の妙。こう書くと何だか本書がコメディのようだが、それはスタイルとして喜劇的なのであって、作品としては立派なSFである。「メディア良化法」なる悪法のもとに、思想と良心と表現の自由が検閲されたらどんなことになるか、近未来日本を舞台にしたシュミレーション・娯楽小説である。話の展開はなるほど荒唐無稽だ。しかしそれはそれとして、「言葉狩り」VS「公共図書館」という構図の下に、思想や良心の自由のみならず、報道や教育の問題にまで舌鋒鋭く切り込んでくる力技に感嘆する。ある人に教えられて初めてその存在を知った作家さんだが、なかなか面白い。続編だけでなく、他の作品も読んでみたいと思った。>>期間限定<< ★中古品【ポイント10倍】 2013/12/23 09:59まで【中古】【書籍 ハードカバー】有川 浩 図書館戦争(図書館戦争 1) 1巻【中古】afb【10P20Dec13】
2013.10.02
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ケベック州で交わされる、カナダの先住民アダリオとフランスの軍人ラオンタンとの「対話篇」。今日の目で読むとたいへん文化人類学的であり、示唆に富んでいる。さらにグードヴィルが加筆した部分には、フランス革命を予見したようなくだりもある。日本流にいえば「アイヌ対和人」の討論になろうか。文明というのはつくづく性悪説に基づくものだ、という感想をもった。宗教にしても、法律にしてもそうだ。結婚と恋愛とアバンチュールに満ちた文明人の性生活より、いわゆる「未開人」の性倫理の方がどれほどわかりやすくまたまっとうであることか。不摂生のために命を縮めながら、なおかつ瀉血療法に頼るという愚。社交という名前の虚偽の友情。金銭の奴隷。貧富の格差。どちらが健全か、といわれてみれば、なるほど「高貴なる野蛮人」たる彼らの社会の方が健全かもしれない。ただほとんどの文明人は、簡素な生活に耐えられないだろう。投薬も含めて、文明のおかげで生きていられる人たちもいる。結局私たちにできることは、自らの行いを日々革めつつ、彼らの生活を馬鹿にしないこと、敬意を払うこと、彼らを搾取しないことではなかろうか。蛇足ながら、同じことが健常者と知的障碍者の間にも成立すると思う。
2010.10.18
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テレマコスはオディッセアの息子。なかなか帰ってこない父親を捜しに、賢人メントレに扮した女神アテネとともに諸国を放浪する。二次創作であり、一種の外伝ともいえる。内容的には、いろいろなところで王が国を治める統治のありようを見聞きし、登場人物に語らせる。背景にはフランス王政への批判があるが、読んだ印象ではフェヌロンは革命派ではなさそうだ。要するにここでフィクションに仮託して語られるのは一種の帝王学乃至君主論であり、西洋版『論語』と言えないこともない。ただ岩波版ではそういうところだけを抄訳してあるので、全訳を読めばまた印象が異なるかもしれない。
2010.10.17
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ユートピア旅行記叢書4より。フォントネル描くところの理想郷は、原罪におびえる前のエデンの園らしい。アジャオ人の社会は不文律に基づく徹底した民主制であり、また、自然こそ神だ、という無神論が彼らの宗教観をなしている。これらは、当時にあっては過激な自由思想であったろうし、作者の面目躍如というところ。ただ、ユートピアであるにもかかわらず、男性は二人の女性と結婚する義務があるとか、男女の教育や職業が性的役割による分業制になっているとか、奴隷制とか、保守的で前近代的に思える箇所も少なくないが、これは時代の制約として大目に見るべきだろう。『ボルネオ島の近況報告』は、書簡体に擬して、カトリックの腐敗を痛烈に揶揄したスウィフトばりの諷刺文学である。ユートピア旅行記叢書(第4巻)価格:4,830円(税込、送料別)
2010.10.16
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『アウステル大陸漂流記』同様未知の南方大陸を扱ったユートピア小説だが、あちらと違って作者の陰鬱な自我は影を落としていない。むしろ貴族も平民も私有財産もないセラヴァランブの体制は、来るべきフランスの啓蒙主義思想やマルクス的社会主義思想の先駆けとして、暗闇を照らす松明の明るさに満ちている。ただ人間は理性的存在である以上に感情的動物なので、私有財産制をいくら否定しても、国家権力者が全て吸い上げてしまう国がほとんど、というのが歴史の現実だったのだけれど。セヴァランブの国名は、啓蒙者セヴァリアスに由来する。彼はマホメットによって国を追われたゾロアスター教徒だった。セヴァリアスがこの知られざる大陸に着いた時、そこには太陽神を崇拝する先住民がいた。ゾロアスター教徒として、彼が先住民の間にいかにして溶け込み、彼等を啓蒙したかについては、抄訳の関係上、十分には述べられていない。それでもその結果この国はセヴァランブと呼ばれる太陽神崇拝の君主制民主国家としての道を歩み始める。なお君主は大統領のようなもので、世襲は否定されていた。ヴェラスがいかにフランス思想の流れにおいて先駆的であったかということは、以上によっても明白である。ただしこの物語全体の中でもっとも美しいのは、啓蒙者セヴァリアス以前の物語、邪悪な神官たちの淫欲に最期まで抵抗したアイノメとディオニスタル夫婦の悲劇である。これを読むためだけにでも、本書(ユートピア旅行記叢書3)を図書館から借りる価値があると不具は思う。
2010.10.08
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ユートピア旅行記叢書3より。アウステル大陸とは要するに南方大陸のこと。北半球に相当する広大な土地が南半球にもあると期待されていたわけだが、実際に見つかったのはちっぽけなオーストラリア大陸にすぎなかった。主人公のサドゥールは両性具有である。それゆえに両性具有が当たり前のアウステル人の間で生きていくことが許された。彼等は完全なる理性人であり、性の分化に伴う感情に悩まされることが一切ない。宗教もまたキリスト教的ではない。「生前には人間の方が優れていたからといって、人間の方が死後も卓越していると肯定的に判断することはいささかもてきない」という表明は明らかに異端である。サドゥールは優柔不断に見えるが、これは作者の態度の反映でもあろう。フォワニーは「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」の人だったらしいから。しかしそれゆえにどちらの世界にも安住できないコウモリでもあった。不具はむしろそういう悲劇乃至喜劇として、この物語を読んだ。付け加えるならば、このアウステル大陸は、ガリバーのフウイヌム国のありように雰囲気が似ている、とだけ覚書として書き残しておこう。
2010.10.07
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ユートピア旅行記叢書2より。エーテルだの何だのという自然科学論議は退屈でいただけないが、哲学的やり取りは面白い。少なくともゴドウィンの『月の男』よりは読み応えがあった。植民地主義的世界観はともかくとして、光り輝く世界に到着して「女帝」になった主人公が、公爵夫人の霊魂とともに協力して世界を変えるという構想は、フェミニズム文学の嚆矢をなすものとして評価できよう。女帝は公爵夫人を「プラトニックな恋人」と呼ぶが、これは決して同性愛的なものではなく、むしろ同志愛的な結びつきを指していると思われる。「人間は、悪霊が人間に対してする以上に、互いに対して残酷です」「知識を得ようとする自然な要求は」と、精霊たちは答えた。「責められるべきではありません。ただし、自然な理性で理解できる以上のことを聞いてはならないのです」「どうして、物質世界の女帝になろうと望み、統治につきものの不安に心悩ませたいと思うのですか。自分の中に世界を創れば、統制する必要もなく、反対されることもなく、全体と部分の両方を享受できるというのに。望むままの世界を創り、望むときに変更を加え、世界が与えてくれる限りの喜びと快楽を満喫できるというのに」「どんなに豊かな世界の富を残らず手にしたとしても、彼らに固有の貪欲さが満たされることはなく、豊かになればなるほど貪欲になるでしょう」「他人の真似をするくらいなら、まだしも真似されるほうを選びます。素晴らしい人物になってもてはやされるくらいなら、誰にも似ていない独自性を選んで、悪く見られるほうがわたくしの性格にあっております」
2010.09.20
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ユートピア旅行記叢書2より。量的にも質的にも今日からみればたいしたことはない。なにより月があまりに天国的でつまらない。文学史的な価値しかないように思われる。ななめ読み推奨。
2010.09.07
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SF文庫とあるけれども、それはただ主人公の中国人が火星に不時着し、そこで出会った猫人の国で生活したからで、内容的には一種の反ユートピア的諷刺小説。猫人=中国人、迷葉=阿片、外国人=列強、チビ兵=日本兵の暗喩と考えてまず、間違いはあるまい。『ガリバー旅行記』ほどの舌鋒の鋭さとユーモアはなく(これは作者も認めているところだ)、どちらかといえば「ヤフー国滅亡記」のような悲観的かつ陰鬱な小説ではあるが、それだけ老舎の国を憂い、国を愛する切ない思いがひしひしと伝わってくる長編でもある。猫人たちの堕落の源は「迷葉」だった。今ではほとんどの国民がこれなしに生きていくことができない。ということで、この国は中毒者たちの国であり、一種の破綻国家である。その破綻国家の様相が、第三者たる中国人の目を通して次々に明らかになっていくのだが…彼らの徹底した自己中心主義、自民族中心主義、拝金主義に基づく、無教育、官吏や政治家や学者の堕落などをみると、確かに滅亡は必然であったように思える。作者は犬や兎ではなく「猫」にしたのは偶然だと強調するが、「猫」はなるほど犬に比べて統率が取れず、自己中心的で快楽主義的ではないか? だが、忘れてはならないことがある。「迷葉」はもともと外国からもたらされたものであった、ということだ。なお、作者は文化大革命の最中に死んだ。それは本書が古い中国を諷刺しているように見えながら、その実「革命」をも(予言的に)ターゲットにしていたこと、「猫」と「毛」とが同じ発音であったことと、まるっきり無関係ではないと考える。…あまり多くを語りすぎて、これ以上興をそぐような真似は控えておこう。ただ、最後に一言だけ言っておきたい。日本人は果たして猫人たちを笑えるだろうか?笑う資格があるだろうか?
2010.08.29
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タイトルはシェイクスピアの『テンペスト』から。「野蛮な」外国からきたイギリスにきたジョンが目にしたのは、人工授精と乱交と麻薬天国の退廃的な痴者の楽園だった。なるほど平和的ではある…(生まれてすぐに洗脳教育を施された子供は自分が洗脳されたことにも気がつかない)ヒッピーくずれなら礼賛するかも知れぬ、だが「文明」に毒されていないジョン君はそれに耐えられず…というお話。構図的には『恋人たち』のちょうど逆である。結末は『1984年』と同じく陰惨だ。ただ、あちらが「真っ白な」恐怖で終わるのに対し、こちらにはまだ救いがある。「文明」はそれ自体自己完結的であるがゆえに、「野蛮」な地域を征服しようなどという野望はなく、ハックスレーの意図はどうあれ、「野蛮」国にこそ救いがあるからだ。不具はもちろん、麻薬よりシェイクスピアの方を採る。すばらしい新世界
2010.04.11
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書店には『1Q84』に合わせて新訳が並んでいるが、旧訳で読む。『時計じかけのオレンジ』もそうだが、反ユートピア小説というのは読んでいて憂鬱になるのであまり好きではない。それでも読もうと思えば読める。不具にとってはそういうジャンルの文学だ。彼らは『華氏451度』の世界のように焚書を生業にしているのではない。絶えず歴史の書き換えを行っている。平たく言えばつじつま合わせだ。歴史学における修正主義という言葉がマイナスの意味で語られるのはそういうことなのかと、この本を読んではじめて得心がいった。勝者がつづる歴史を、敗者の側から解釈しなおす修正主義は有益だと個人的には思うのだが、歴史を改竄したがるのはどうやら常に官軍の方らしい。本書で語られるスターリニズムの憂鬱な戯画も、そうした修正主義を内部から告発している(残念ながら、その先にあるのは洗脳の恐怖だけなのだが)。内部から。そう、そこが『1Q84』と異なるところだ。現実の1984年の世界では、共産主義は疲弊し衰退しつつあった。地域によっては内部崩壊の危機を抱えていた。それに代わる新しい全体主義が人々を支配しつつあった。すなわち、宗教的共同体あるいは宗教的国家による「力」の台頭である。そこに鉄のカーテンは存在しない。けれども彼らは秘密主義である。排他主義である。実際に何が行われているかを知るためには、内部からの告発を待つのではなく、外部から働きかけねばならない。ここまで書けば事態は明白だ。ふかえりの『空気さなぎ』は、もうひとつの『1984年』であったのだ。
2009.12.20
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ユートピア小説には2つの顔がある。ひとつはユートピアを理想郷として描き、現代社会を風刺する陽の顔。もうひとつは、現代社会の戯画として描き、反射鏡として文明批評になっている陰の顔である。この手の小説の嚆矢である『ガリバー旅行記』にして両方の面があり、その血脈を受け継ぐ本書もまた例外ではない。たとえば病気を犯罪とみなすのは、一見倒錯のように見えるがそれだけ整備された社会を暗示し、機械を人間の敵として憎むのはフランケンシュタイン・コンプレックスのせいもあるが機械を必要としないほど文明化された社会を理想としているからである、と読むことができる。それにしてもこれは19世紀的な理想だ。ロボット三原則に生きる未来の人類にエレホン人の檄文はついに杞憂に聞こえるだろう。また、病気を悪徳とみなす前提として、生まれてくる子はすすんでこの世にやってきたのだ、という神話をエレホン人が抱いていること自体、作者が一キリスト教徒として仏教を軽んじているように思えてならない。これをもじって、本当に河童の胎児に口をきかせた芥川の発想のほうがまだしもである。ただし、「人はなぜ自殺しないのか」という問いに「あの世での幸福が損なわれるから」と答えたイギリス人に対し、「災難はいつか終わるから」と答えたエレホン人の気概は、好きだ。バトラーはキリスト教徒であったが、教会に対しては批判的だった。音楽銀行の出納係、というのは、要するに教会の僧侶ということだろう。このあたりの戯画は大変冴えている。気になることがひとつ。ガリバー的に凡庸なこの小説の主人公は、エレホン人の国で懐中時計を所有していた咎で極刑に遭いそうになるが、金髪碧眼ということで救われる。肉体的健康美を重んじるエレホン人だからという設定だが、ひょっとするとヒトラーもこの本を愛読していたのではないか。よくよく考えてみれば、病気にしろ犯罪にしろ健康美にしろ、きわめて排他的であるがゆえに成り立っているこのユートピアは、作者の理想如何にかかわらず、今日の目で見ると憂鬱なディストピアなのではないか?最後に一言。芥川の『河童』を本書の二番煎じのようにみる向きもあり、なるほど導入や胎児云々のくだりは似ていないこともないが、小説としてははるかに芥川のほうが面白い。それはこのイギリス人が高踏的な立場から学者然と当時の現代社会を批評しつつ、ついにそれが19世紀的批判から一歩も出ていないのに対し、芥川は自分の不安と抑圧をフィクションの形で世に問うたために、いつの時代においても悩める個人の慰安になっているからである。
2009.08.24
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映画の方は観たことがないが、原作は近未来を舞台にした反ユートピア小説と悪漢小説と諷刺小説とをごった煮にしたような小説。オウム真理教事件やら未成年によるホームレス襲撃事件やらを連想して反吐が出そうであるが、60年代初頭にすでに現代を予見するかのような物語を描いていたのは驚嘆に値する。全体主義国家が過去の全体主義国家の残虐行為を批判するというのも醜悪で滑稽だが、国家の都合で「時計じかけのオレンジ」に洗脳されたり、その戒めを解かれたりするのも気持ちが悪い。国民が「細胞」の異名に過ぎない社会では、個人は癌化するより自己の存在証明の方法がない。けれどもその癌細胞は、国家が死に至らないうちに巧妙かつ迅速に処理されてしまうのである。時計じかけのオレンジ完全版ちなみに不具が持っているのは前世紀の旧版なので処分。NO158。
2008.10.07
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「世界の文学」シリーズ第四巻に収録。値段を見ると390円とある。図書館の本の市で拾ってきたのだけれど、一体いつの時代の本だ。久しぶりに読むが、ひょっとしたら原書で読めるかもしれないと思われるほど、平明でわかりやすい文章だ。もっとも高校生のとき完訳を読了して以来、繰り返し読んでいるせいかもしれない。今回は糞尿譚というか、そういう描写が気になった。小人国から馬の国まで、ウンコやオシッコの話が折にふれて出てくるのは、あながち風刺ばかりではないような気がする。もう一つ気になったのは、翻訳者の中野好夫さんがIを「我輩」と訳されていること。おそらく日本を代表する風刺文学の表題を意識したのだろう。ただ個人的にはかのミュンヒハウゼン男爵を連想してしまった。なるほどガリヴァというのは愚か者という意味だそうだから、この物語の語り手そのものを風刺するのならそれもいいかもしれないが、スウィフト自身は反語的にこういう名前をつけたのだと思う。岩波文庫のように「私」でいいのではないか。洋書はこちら。
2007.05.30
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まず最初に、その名もずばり『ユートピア』。エラスムスと親交の深かったトマス・モアの著書である。以前ぱらぱらとめくったことがあるものの、途中で挫折してしまい、今回初めて完読することができた。書物の構成としては、ユートピア国から還ってきたラファエル・ヒスロディが、トマス・モアに語った物語を筆録した、という形になっている。原文はラテン語で、それが英語を初め各国語に翻訳されたそうである。岩波文庫から出ている本書も英語版からの重訳であるが、なかなかの名文だ。というより、そうでなければ最後まで読む気がしないほど、内容としては「おそまつ」である。批判じゃないのだ。トマス・モアが中世と近代のはざ間に立つ法律家として偉大だったことは認めるし、『ユートピア』にだって立派なことを書いている。ただ、貨幣経済の否定だとか私有財産制の否定だとかいう「どこにもない国」の制度を読まされても、カール・マルクスの理想と現実のギャップを知っている現代人から見れば「はあ?」と思ってしまうのだ。モアはまた敬虔なカトリックでもあった。当時のイギリス王の離婚問題をめぐる「宗教的解釈」の絡みでついに断頭台の露と消えてしまうのだが、『ユートピア』にもモアらしい面白い記述がある。いわく、ユートピア人は厳格な一夫一婦制であり、肉体上の不満から離婚などに至らないよう、互いに丸裸になってお互いを見定めてから結婚する、というのだ(婚前交渉などもってのほか)。このように現代人から見てユーモラスな箇所もあるものの、全体としてはお説教臭く謹厳実直である。モア自身の言葉を借りると、「たとえユートピア共和国にあるものであっても、これをわれわれの国に移すとなると、ただ望むべくして期待できないものがたくさんある」。けだし人間は理性のロボットではなく、しばしば情動に突き動かされる動物なのだから。『ニュー・アトランティス』は、『ユートピア』から約100年後、シェイクスピアと同一人物ではないかとまことしやかに囁かれたこともあるフランシス・ベーコンの著作である。『ニュー・アトランティス』の前身の「アトランティス」は実はアメリカ大陸で、大洪水によって一度滅び、あとには野蛮人だけが取り残されたという。先住民に対してなんとも失礼な言い草だが、時代が時代だから仕方ないだろう。残念なことに、著者の晩年に書かれた『ニュー・アトランティス』は未完のまま終わっている。そのせいだろうか。モアは赤帯なのにベーコンは青帯である。別に赤帯でいいと思うのだが。…これはモアの「物語」にも言えることだが、ユートピア小説の欠点は、社会制度については詳しく書いてあるが、人間についての記述が薄っぺらなことだ。制度さえ変えれば人間は幸せになれるのか? という疑問が読んでいてつきまとう。また二人とも人間の魂を救うよりどころとして「キリスト教」あるいはそれに酷似したものをあげているが、自分には到底信じられない。なんとなれば、宗教もまた一種のイデオロギーになりかねないものだから。はっきり言って、風刺小説として名高い『ガリバー旅行記』の方がはるかに面白いと感じてしまうのは、スウィフト描くところの「どこにもない国」の住人達がいかにも人間臭いからである。ガリバーの理想郷はついに「人間の国」にはなかったのだ。ユートピア価格:630円(税込、送料別)ニュー・アトランティス
2005.06.06
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