ACT・2... 『生徒会室』



 古い、大きな柱時計の音が、静かな室内に響いている。

――――生徒会室。

 備えられている応接用のソファに沈むように座った乱丸が、高々と足を組み、ゆっくりと室内を見回している。

 床の絨毯も、乱丸が今座っているソファセットも、壁に作り付けの本棚も、生徒会長が使用する巨大で重厚な会長机も、この学園創立とともに歴史を経てきたものらしく、どれも古ぼけている。
 そのせいだろうか、もしくは暗めの照明のせいだろうか。妙に寒寒しさを感じる部屋であった。
 冷房を入れてもいないのに、外の蒸し暑さがこの中まで侵入してこないのだった。

 部屋の中をひととおり眺めおわった乱丸は、視線をばかでかい会長机に座る男に戻す。
 生徒会長、蘭堂京平が机に両肘をついて、そこに座っていた。
 冷たさすら感じさせる美しい顔。その紅い唇に柔らかな微笑を浮かべて、乱丸の顔を見つめている。
 視線が合った。

「生徒会長ってのはいい身分だなあ京平、こんな部屋を一つあてがってもらえてよ」
 また、ぐるりと首を巡らせて、部屋を一瞥する。

「ええ、お客さんも多いものでね、応対するのにとても重宝してますよ」
 低めの、落ちついた声で京平が答える。
「そりゃ、結構」
 ぶっきらぼうに言った乱丸の目が、壁にかけられた一枚の絵に向けられた。

 それは奇妙な油絵であった。
 荒々しいタッチで『扉』が描かれており、他には何も描かれていない。

 シンプルと言うにしても単純すぎる。わざわざ豪華な額縁に入れて飾る程の作品でもないと思うのだが、そこはこの部屋の主の趣味なのだろう。

「お前のことだ、さぞかし変わった客が多いだろうよ」
「ええ、君もその中の一人ですけどね」
 クスッと京平が鼻を鳴らしたので、乱丸も苦笑する。

「相変わらず、だな、お前もこの学校も、……敷地内に一歩入っただけで全身がびりびりしたぜ。これだけ『あっち側』に近い場所、世界中探し回ったってそうそうあるもんじゃねえよな、ホント」
「この学園の創立者も、それを知ってわざわざこの場所を選定したのですよ。ですから、この学園内には『あちら側』の空気が少しずつ流れています。面白い生徒が集まってきたり、面白い事が次々に起こるのもそのためでしょう」
 口元に微笑を絶やさず、京平はつぶやく。

「そして、今また君によって、新しい事件がこの学園に持ち込まれてきたという訳ですよね」
 それを聞いて、情け無さそうに乱丸はばりばりと頭を掻いた。
「ちぇ、やっぱりお見通しかよ、たまらねえなあ」

「当たり前ですよ、よほどの厄介事でもないかぎり、君がボクを頼ってくることなどないじゃありませんか」
 愉快そうに、京平はくすくす笑う。
「相変わらず、突拍子もないものを盗んでいるんですか?」

「人聞きの悪い。が、確かに『盗み』こそ我が人生、さ」
 乱丸は傍らのザックの中から古めかしい宝石箱を取り出して、憮然とした表情で京平に見せた。
 ほお、と京平がため息をもらした。

「それはまた珍しい物を手に入れましたね」
「だろ? お前に鑑定してもらおうと思って持ってきたんだが、答えを聞くまでもねえよな」

「ええ」と、京平は頷いた。「それは『マリ-の箱』ですよ」
「やっぱホンモノか」
 ふん、と鼻を鳴らして、手にしたアンティークをじろじろ見つめる。

「確か十二年ほど前に、イギリスでオークションにかけられた後、二、三人の好事家の元を渡り歩いて行方不明になっていたはずですが、どこで見つけたのですか?」
「持ち主を次々に破滅させながら、な。なあに、そういった呪われた経緯を知らねえ無知なヤツの所にあったからよ、そいつの為にもオレが引き取って、封印してやろうと思ってな」

「確かに、その箱には最初の持ち主であるマリーの強い念が込められてますからね。これ以上不幸な人を増やさない為にも、そろそろ封印した方がいいかもしれないですね」
 京平もそう言ったので、乱丸はうむうむと頷いた。

「では、ボクが責任を持って呪いを解いて、不幸なマリーの魂を開放してあげましょう」
 すっ、と立ち上がり、京平が乱丸の方へ歩きだそうとした時、
「いやいやいや、お前には鑑定だけしてもらえばいいんだよ。封印までしてもらっちゃ悪ィからよ」
 急に声を高くして、乱丸が遮った。そのまま、箱をザックにしまおうとしている。

 京平の片眉が上がり、声のトーンがはっきりと低くなった。
「乱丸君、何を慌てているのです?」
「あん? 別に慌ててなんかいねえよ」
 そそくさと、乱丸は箱をザックに入れてしまうと、無言で自分を睨んでいる京平に向き直る。

「判った、白状する」
 こほん、とわざとらしい咳払いをして、乱丸は話し始めた。
「実は、今日オレがここに来た本当の目的はな、『恋の悩み』についてお前に相談にのってもらおうとしてなんだよ」

「ほう、『恋』ですか」
 興味をそそられたらしく、京平の目がきらりと光る。
「くわしく聞こうじゃありませんか」
 再び彼は席に座り、両肘を机について乱丸をじっと見つめた。

「ああ、一目惚れってヤツだな……」
 そう言って、照れくさそうに乱丸は頭を掻いた。

「一ヵ月ほど前の事だ、『そいつ』を見かけたのは……。見た瞬間にこう胸が高鳴ったんだよな、で、さっそく声をかけようとしたんだが、その途端、オレの話を聞こうともせずに、そいつはどっかへ消えちまったのさ。後を追ったが見失っちまってよ、それきりだ。どこの誰かもまるで判らねえ」
「一ヶ月も探して名前すら判らない? 乱丸君ともあろう人が?」
 乱丸はうなずいた。

 はっきり言って、この『御咲乱丸』はこと盗みに関しては天才の部類に入る。およそ彼が本気で狙ったもので、盗めなかった物は過去において一つもないのだ。『学園怪盗』と自称し、盗みを芸術と言い切る言葉は、その実力に裏付けされたものである。

 また、芸術的な盗みを可能にするために必要な、多くの特技も彼は身につけている。
 例えば、情報を集める能力である。
 偶然道ですれ違った、見知らぬ人間の事であっても、たちどころに名前、住所に始まり生まれた病院に至るまで調べ尽くす事が彼には可能なのであった。
 このようなすさまじい能力も、もっと世の中のためになるように生かせばよいと思うのだが、彼の興味の全ては『盗み』に集約されていく。たとえ数えきれない特技を有していても、それは怪盗としてしか生かされないのだ。

 盗みこそ、彼が『御咲乱丸』であるための存在理由であると言っていいだろう。

 恐らく口にはしないが、その女の子に声をかけた時にすら彼が思っていたことは、彼女の心を『盗む』ことであったに違いない。

 そういう男なのだ。

「この一ヵ月、オレは全力でそいつの事を調べまくった。しかし、どこにもそんなヤツは存在しないのさ。住所やら戸籍やらも存在し
ないし……痕跡すら見つけることができなかった。そこで思い当たった訳よ、もしかすると……」

うかがうように、乱丸は京平の顔を見る。
 京平は意味ありげに、にこにこしていた。
「やはり、そうなのか?」
 ぽつり、と乱丸がたずねると、京平は頷いた。

「ええ、その娘は普通の人間ではありませんね。君の予想通り『あちら側』の住人ですよ」
 それを聞いて、乱丸は「かーあっ」と叫んで片手で頭をくしゃくしゃにした。

「そうだろうなあ! あれだけの娘はこの世のもんじゃねえよ」
「くすっ……恋する人は皆、相手の事をそう評価しますけどね」
 そう言って笑う京平に、乱丸は牙を剥いて食ってかかる。

「そんなんじゃねえよ、あいつは!」
「その反応が、全くパターン通りという気がしますけどね」
 ごほん、と咳払いして、乱丸は京平から目をそらした。

「そ、それはともかく、じゃお前なら判るんだろ? そいつの居場所を教えてくれねえか?」
「おやおや、それがたとえ天国や地獄でも、今すぐ飛んでいってしまいそうな勢いですね。ですが……」
 興奮を抑えられない子供を見守るような優しい目つきで、京平はしばらく乱丸の顔を見て、そして首を横に振った。

「残念ながら、その娘の居場所はボクにも視えません」
「何だとお? 天下に比類なき大魔道士のお前がか?」
 乱丸は目を丸く見開いた。
「視るのは、ボクの専門外なもんで」
 すまなそうに言う京平に、乱丸はがっくり肩を落とした。

「そんな……、『あっち側』の住人の事で頼れるのは、親友のお前だけだったのによ、トホホ……」
 しょんぼりと俯いてしまった乱丸を、穏やかな表情で見ていた京平だったが、この時、不意にその雰囲気を変化させていった。
「乱丸君、君はボクにウソをついていますね?」

 穏やかな口調であったが、氷の冷たさがその言葉の中に含まれている。
 俯いている乱丸は、京平と目を合わせないように、そのままのポ-ズで身を固くした。
「ぎく。……何のことだ? オレはお前の事を本当に親友だと思っているぞ」
 そんな乱丸の言葉には答えず、京平は続けた。

「君、その娘がいなくなった本当の理由を、知っているでしょう」
「はて……」
 とぼける乱丸の顔に汗が流れる。
「乱丸君、ボクの目は節穴ではありませんよ」
 口調も表情もそのままだが、京平の身の回りにまとっている雰囲気が、じわりと変化していく。
 それに伴って、部屋の温度までひんやりしてきたようだ。

「ボクにウソをついて、ボクの『力』を利用しようとするのは止めなさい」
「………」
 乱丸は黙ってしまった。どこか窓の外で、カラスの鳴き声が聞こえる。
 生徒会室が、突然魔界に紛れ込んでしまったようであった。

――――蘭堂京平。斎木学園の生徒会長であり、稀代の魔法使いであると言われている。
見たものはいないが、無限の力を持つ男などと尾鰭のついたウワサが伝えられているだけで、彼を本気で怒らせたらどうなるのか知るものはいない。ただ、誰であろうと彼の前に立つとき、少なからず恐怖を感じることは間違いない。
 自分を見つめる黒い瞳そのままの、暗い闇の世界へ連れ去られてしまいそうな気分になるのだ。普通の人間なら、ここでもう彼に敵対しようなどとは考えなくなる。
 奇人揃いのこの学園の頂点に立つ男は、やはり桁違いの魔人なのである。

「………」
 部屋が重苦しい空気で満たされたその時、不意にドアがノックされた。
 ぎょっ、として乱丸が顔を上げた。戸惑っているように眉をひそめる。

 コン、コン。

 また、ノックの音が響いた。

「おい、京平?」
「実は、君がここへ来る前に、もう一人お客さんが来てましてね。そちらで待っていていただいたのですよ」

「だって、お前……」
 明らかに、乱丸は困惑していた。

 なぜなら、ノックの音は壁に掛けられた『扉の絵』から響いてきたからである。

「もう、入ってよろしいですか?」
 声まで聞こえてきた。

「ええ、お待たせしました。あなたが探していた男もようやく来ましたよ」
 平然と、京平が答える。

 一体、彼は何と話をしているのだろうか? この扉は油絵であって、その向こうには廊下も、隠し部屋も何も無いはずなのに。

 そう考えているうちに、絵の扉が開いて、黒いスーツケースを持った男が姿を現した。そのあり得ない空間から来たのは、黒縁のメガネにきれいにクシの入った髪、という品のいい紳士であった。

「初めまして」
 口をぽかんと開けている乱丸に対して、丁寧に頭を下げる。
「私、夏見と申します」
 そう言って、一枚の名刺を乱丸に差し出した。

 それを一目見て、乱丸は京平の顔を見た。
「まさか……」

 京平は頷いた。

「そう、この人は『あちら側』の住人であり、君の探している娘にも深い関わりを持つ方ですよ」
 言われて、改めて乱丸はあり得ない世界からの訪問者に視線を戻した。

 夏見と名乗った紳士は、軽く咳払いをした。そして、真っ直ぐ人指し指を乱丸に突きつける。

「ずばり、端的に言いましょう。御咲乱丸さん、あなたには責任を取ってもらわねばなりません。あなたがあの時『彼女』によけいなちょっかいを出したために、大変な事になっているのですよ!」
 ぴしり、と夏見は言い放った。

 ちらり、と乱丸は視線を外して、指先につまんだ名刺に目を落とす。
 一枚の紙片に書かれた肩書、『シ-ズン・マネージャー』。
 その活字に見入ったまま、乱丸はしばらく黙り込んでしまった。 それを見て、京平が助け船を出す。

「乱丸君、君は確かに『あちら側』の存在を知り、覗いてきた事もある現代では数少ない人間の一人です。ですが、『あちら側』の常識やルールについてはまるで無知だったようですね。君は知らず知らずのうちに『こちら側』にまで重大な影響をもたらす『あちら側』の現象を狂わせてしまったのですよ。いや……それとも、知っていてあえて……ですか?」

京平の言葉を聞くうちに、隠していた悪さが段々明るみになっていく時の悪ガキのように、乱丸は縮こまっていった。
 頭上からは、背筋を伸ばして直立不動の夏目が見下ろしている。
 ちらっ、とその顔を見上げて、乱丸はため息をついた。

「チックショウ、全部バレてるのかよ。……はっきり言って今回の『盗み』は完全に失敗だったからなあ、誰にも知られずにこっそり後始末をしようと思ってたのによ」
「観念しなさい」

「それにしても、どうしてオレの仕業だってことが判ったんだ? 盗みをしくじった事よりそっちの方が不思議だぜ」
 ぶつぶつ言いながら、乱丸ははたと気づいた。じろり、と京平をにらみつける。

「てめえ、チクッたな」
 ふふ、と微笑んで京平は目を細めた。
「壁に耳あり障子に目あり……悪い事というのは誰かが見てるものですよ」

「ぬかせ、『あちら側』と『こちら側』の境目で起こった事を覗き見るなんて芸当、てめえの魔眼ぐらいにしかできねえよ」

「それを言うなら、その場所にたどり着き『あちら側』の住人にちょっかいをかける事のできるドロボウは、この世に君ぐらいしかいませんよ」
 言い返されて、くわっ、と牙を剥いた乱丸の頭上で、夏見が咳払いをする。

「オホン、失礼、今は私との話を優先していただけませんか?」
 情けない顔をして、乱丸は軽く肩をすくめた。

「悪い悪い、で、あんたオレにどう責任を取れってんだ? 金でも払えってのかい?」
 夏見は人指し指をこめかみに当てて、首を振った。
「そんな紙切れなど何の意味も持ちません。あなたのせいで『彼女』が行方不明になったのですから、探し出し、本来いるべき場所へ連れ戻してあげるのが、この場合の償いの仕方でしょうね」

 うんうん、と京平も頷いている。
 ばりばりと、乱丸は荒っぽく頭を掻いた。
「あのなあ、あんたずっと『扉』の向こうにいたんだろ? 何でおれが今日この蘭堂京平の所へ来たのか聞いてなかったのか? この一ヵ月まるで手がかりが掴めなかったから、最後の手段としてこの魔法使いを頼って来たんじゃねえか。その京平にも見つける事ができねえってんなら、もうオレには打つ手がねえんだよ」
 悪さを叱られているうちに、開き直って不貞腐れた子供のように乱丸は口をとがらせた。

「それでも探し出してもらわなければなりません。もう時間が無いのです、あの娘があの娘でいられる時間が……」
 乱丸の責任を追求しながら、夏見の語尾は震えていた。

「そりゃ、どういう意味だ? まさか『彼女』は不治の病にかかっていて、残りわずかな命であるなんて言うんじゃねえだろうな」
 茶化すような口調で乱丸が言う。それに対して、
「当たらずとも遠からず、といったところですね」
 真顔で、夏見は答えた。

 ついで、京平が口を開く。
「乱丸君、生物には全て寿命というものがあるでしょう。人間であれば大体七十から八十年ぐらい、亀なんかは百年以上生きるものもいるようですね。逆に、虫などは大抵春に生まれ、冬になる頃には死んでしまう……。ただ、虫の中にはその一生のうち、いくつかの自分の姿を持つことになるものがいます」

「要するに卵、幼虫、サナギ、成虫ってわけだろ、一体何が言いてえんだよ?」
「そのうち、イモ虫を例に挙げれば、イモ虫はイモ虫のまま死んでしまうのは本望ではない、ということですよ」

「ああ……」
 曖昧な返事を、乱丸は口の中でした。京平は急に何を言い出したのか、と思っているのだ。
「それは、つまり……」
 夏見の顔を見る。

「『彼女』は、これから何かに変わるんだが、それは本来いるべき場所でないとできない事で、しかも時間が限られていると? それを逃すと彼女はもう……」
「そうです、そのまま消滅してしまうのです」
 ぽつりと、夏見は言った。

「せっかく生を受けたというのに、寿命を全うする前に自分が存在していた証を何にも残せない事の切なさ、無念さが理解してもらえますか?」
 口調は静かだが、謎の紳士の瞳は、真っ直ぐ乱丸を射抜いた。
 すると、それを受けて乱丸の眼の奥にも、強い光が宿った。

「ああ」と、力強く頷く。「判るぜ」

 ぶつ切りのような言い方だったが、感情がこもっていた。まるで腹の底から、熱い塊を吐き出したかのようであった。
 二人の間に共通するものを、その瞬間、お互いに感じ取ったものか、乱丸はにっ、と笑みを浮かべた。

「自分が自分であるために、他の誰にも出来ねえ事をやらなきゃ、生まれてきた価値がないってもんだぜ」

――――レゾンデートル。

 恐らく、この御咲乱丸にとっては、『盗む』こと、しかも『芸術的に盗む』ことが、彼を彼たらしめる証なのだろう。

「ちなみに、あんたはどうだい? 自分の存在の証をしっかり示しながら生きてるのかい?」
 今度は、乱丸の瞳が夏見を貫く番であった。
 すると、

「私は『シーズン・マネージャー』です。この仕事に誇りを持って生きております」
 堂々と、目をそらさずに即答した。

 ひゅう、と乱丸口笛を吹く。
「いいねえ、命懸けれる仕事を持ってる男、シビレるぜ」

……けどな、と乱丸は京平に視線を送った。

「『シーズン・マネージャー』って要するにどんな仕事で、このおっさんとあの娘の関係は、何なんだ?」
 京平が意外そうに目を見開いた。

「おやおや、そんな事も知らなかったんですか? それでよく『こちら側』と『あちら側』の壁を乗り越えて、あの娘に接触する事が
できましたね……それじゃ、もしかして君、あの娘が何なのかすら知らないんじゃありませんか?」
「おーよ、知らねえ」
 あっさり乱丸は答えたので、がくっ、と夏見の膝の力が抜けた。

「そんな顔するなよ、オレがあの場所にいたのは偶然だったのさ、『あちら側』の知り合いに会いに行く途中で、たまたま見かけたの
があいつだった。キレイだったなあ……そう思ったからつい、ナンパしようと思って……よ。ありゃあ、精霊か何かだったのか?」

「そうです、『彼女』は、季節を象徴する精霊だそうですよ」
 さすがに、京平の声にもあきれている雰囲気がこもっている。

「風は吹き、雨は降り、夏は暑く、空は青く、花は咲く……自然というものは、本当に美しく素晴らしいものです。ですが、それを構成しているものは、我々の目に見えるものだけではなく『あちら側』のものも関わっているという事を知らねばなりません」

――――『シーズン・マネージャー』。

 名刺に記されたその肩書は、どのような職業か。
 答えは読んで字の如し、である。
 例えば、日本には『四季』というものがある。
 毎年、春夏秋冬の四つの季節が順にサイクルしていくのだが、その時、一度として同じ季節は訪れない。
 つまり、去年と、今年と、来年とでは、同じ季節ではあっても、全く別の『季節』が来るのだ。
 春はその年の春、夏はその年の夏、秋も、冬も、その年のワンシーズンだけで消えてしまい、ある年の季節が再び訪れる事はない。 次の年、いや次の季節にバトンタッチする時までの、短い寿命な訳である。

 それは、我々人間から見ればとてもわずかで、あまりにも儚いように見える。

 だが限られた時間の中で、しっかりと、確実にその存在をアピールし、存在していた証を残していくのだ。

 例えば、人々の中に、思い出としていつまでも存在し続ける。
「あの春の日の陽射し……」「あの年の、あの夏はこうだった」
「あの秋の夕焼け、二人で見たっけ」「あの冬は大雪でねえ……」

人によってその姿は違えども、目に見えない『季節』が思い出になることで、形を得たり、永遠の命を得る。
 いつまでも色褪せることのない、きらめきを手に入れるのだ。

 そうなるべく、それぞれの季節を見守る存在がある。

 季節が、この世に存在しているわずかな間に、どのように振る舞ってもらうかをプロデュースする存在が、彼ら『シーズン・マネージャー』なのである。

「『彼女』たちは、長い長い間、出番を待っているのです」

 夏見は『季節』たちを『彼女』と呼ぶ。
 それは『こちら側』の世界で言えば、芸能界でデビューを目指しメジャーになる夢を持つアイドルと、それをバックアップする芸能マネージャーの関係そのままであった。
“『季節』が完全にその存在を示すこと”
 それが成し遂げられるのを見守る事が、『シーズン・マネージャー』の存在理由である。

「一つの季節に対して、その季節候補というのはそれこそ無数に存在しています。『春』候補、『夏』候補、『秋』候補、『冬』候補……
『こちら側』のアイドルと似ていますが、根本的に違う点が一つあります。それは、アイドルは職業の一つであり、他の職も選べる環境の中で目指すものですが、季節候補は違います。彼女らは、生まれた時すでに季節になるしかない事を決定されているのです。
ちょうど、セミの幼虫はセミにしかなれないのと同じように……。
その上、望めばすぐ季節としてデビューできるかといえば、そうではありません。選ばれるのは無数の候補の中から一人だけ、一年に一人ずつ、世の中に出ることが許されるだけです。それまで彼女たちは何もできません。無数の季節候補たちは、それぞれの控室とでもいった所で、呼ばれるのをただ待つだけなのです。自分が呼ばれるのは次かもしれないし、その次かもしれない、もしくは数万年先の事かもしれない……。それでも待ちます、生まれてきて、自分にできることはたった一つしかないことを彼女たちは知っているからです。『季節』という一定の時間、もしくは空間を生み出すこと。自分の命と引換えに、その使命を成し遂げる事が、彼女らの生まれてきた意味なのです。それだけのことに、凝縮された想いを注ぎ、全身全霊を込めるからこそ、世に現れた『季節』はどれも輝いているのですよ」

 真剣さを込めて、熱く夏見は語った。切実な気持ちがひしひしと伝わってくるのが判る。
 それを聞きながら、京平は立ち上がり、目を細めて窓の外を眺めた。

「全く、君はいつも無茶をしますね、よりによって『夏』という季節を盗もうとするなんて……」
 乱丸、無言で頭をばりばり掻いた。
 夏見が言葉を続ける。

「全く、とんでもない事をしてくれたものです。彼女たちはとてもナイーブなんですよ。あの時、突然あなたにさらわれそうになり、ずいぶんショックを受けたのでしょう。本来行くべき場所から逃げ出し、一体自分が何者なのかすら忘れて、あやふやな存在となってさまよっているはずです」

「そうか、だから京平にも視えねえのか」
 ぽん、と乱丸が手を打ち鳴らす。
 それを夏見がじろりとにらみつけたので、乱丸は肩をすくめた。
 夏見は、落ちてきたメガネをずり上げながら言った。

「とにかく時間がありません。責任を取ってあなたが彼女を連れ戻
して下さい。……ほんのわずかな時間でもよいのです。彼女が『夏』を生み出す事ができれば、彼女の存在が意味あるものになるのですから……。長い長い間待ち続けて得た、二度と手に入らない貴重なチャンスをムダにさせないであげて下さい」

 目元にうっすらと涙をためて、彼は乱丸に訴えた。


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