ACT・9..『「夏」が生まれるところ』



 ぱちぱちぱち、と拍手が乱丸と少女を出迎えた。
「夏見?」
「乱丸さん、お見事です。素晴らしいお手並み、拝見させていただきましたよ」
 血の気の失せた顔をして、夏見が立っていた。
「狂男爵から、『夏』を取り戻すだけでなく、彼の生き甲斐を奪うことで報復までしてきてしまうとは・・・・・・」

「あれが、狙ってやった事だって判ったかよ?」
 乱丸が聞くと、夏見はうなずいた。
 ばりばりと、頭を掻きながら乱丸、
「ま、あんだけ殴られたんだ。少しはやり返さねえとな」
 にっ、といたずら小僧のような目で笑う。
 すると、グリューネヴァルトが急に心変わりし、狂男爵の元を離れようとして悲劇的な結果になったのは、全て乱丸が導いた結果だというのだろうか?

「てめえのモンが奪われるくやしさってのを、思い知るだろうさ。おっさんはその上二回も刺されたんだしな、これでおあいこになったって事にしようじゃねえか」
 神威の乱丸と呼ばれる少年は、通常盗みの対象にならない物まで見事に盗んでしまうようだった。人と人の絆までも。

「それよりも・・・・・・」
 彼はぐるりと首を巡らせて、周囲の様子を見渡した。
 ここは、『夏』候補が今年の『夏』を生み出すのに必要な、変身の場であった。

「ここで、いいんだよな?」
 こくりと、夏見はうなずく。
「はい、この場所で彼女は『夏』を生み出すのです」
 そこは、決して明るい場所ではなかった。むしろ薄暗く、ただ一ケ所だけスポットライトに照らされている部分があった。

 柔らかな色合いのライト。

 無表情のまま、少女はそのスポットライトが照らしてる場所を見ていた。
 その一点に立つ。そうすることで、彼女のデビューがなされるのだ、彼女の消滅とともに。
 実際には姿を変えるだけで、今すぐ死ぬという訳ではない。しかし、少女の姿をした彼女は消えてなくなり、別の存在になってしまう事は間違いない。

「さあ、怖い思いをたくさんしたね」
 す、と夏見が右手を差し出し、少女をエスコートする。
「貴女は見なくていいものをたくさん見てしまった・・・・・・辛かったでしょう? 何のトラブルもなく、あの時すぐに変身してさえいれば平穏な生だったというのに・・・・・・」
 軽い、羽毛のような少女の手をそっと握り、夏見は変身の場へ導いていく。

 すると、この閉じられた空間のどこから湧いてきたのか、青色の羽根もつ無数のチョウが、周囲に飛び回り始めた。
 さささささ、と、静寂の中、虫たちの乾いた羽音が響く。
 遅くなった『夏』の誕生を祝うかのような、幻想的な妖精のダンスであった。

 その中を、ゆっくり夏見が少女をリードして歩いていく。

 本来誰も目にする事のない一瞬。
 今回、乱丸だけが特別に、その場に立ち会う事を許されたのだ。

「乱丸さん、このワンシーンを忘れないでいて下さい。誰も目にできない貴重なこの場面をお見せする事、それが私にできるあなたへの唯一の恩返しです」
 安らかな表情になって、夏見は振り向いた。
 おそらく、『夏』の誕生を見届けた後、彼も使命を終えてはかなく消えてしまうのだろう。
 それ故乱丸の心に、思い出という形で、自分の存在を残しておきたいと願うのではないか。

――――もうすぐ使命が終わる。

 使命を果たすことを目的とした、この生も終わる。
 満ち足りた表情であった。
 だが、乱丸は一言つぶやいた。

「・・・・・・つまらん」

と。

 ぴく。

 さすがに夏見の足が止まった。
「今・・・・・・何と?」
 乱丸の方を、ゆっくり振り返る。
 見ると、乱丸は不貞腐れたような顔で、二人の顔を見ていた。

「つまんねえよ、あんたら見てると、な」
 また、言った。
 夏見の顔が青くなった。
 男が生涯をかける仕事を持つことを乱丸は認め、その気持ちを理解していたはずである。
 まさかその彼が、その仕事を果たすための一番のクライマックスを、侮辱の言葉をもって汚そうというのだろうか!

 怒りで、夏見は目の色が変わりつつあった。

 その夏見に手を握られた少女も、無表情に振り返る。
 乱丸はため息をついた。

「怒るな、『こちら側』と『あちら側』じゃ、生の概念が違うかもしれねえけどよ? あえて聞きてえ、『生きる』って何だ?」
 頭をばりばり掻きながら、乱丸は問いかけた。
「前に言ったとおりです」
 即座に夏見は返答する。

「私にとっては『夏』を見守ること、彼女にとっては『夏』になること、これが私たちの生きる目的です」
 きっぱりと、自信と誇りを持って夏見は言った。
「それそれ、『生きる』って事を、どーも事務的に捉えすぎてねえか、あんた?」

「しかし・・・・・・」
 口ごもる夏見に対して、乱丸は無言の少女を指さす。
「見ろ、何でそいつには感情がねえ?」

「必要ないのです。また、あっても困るのです。喜怒哀楽が激しく精神のバランスが悪い状態ですと、生み出した『夏』はやはり不安定になってしまいます。それを防ぐために、彼女らにはなるべく純粋無垢な存在でいてもらう必要があるのです」
「んじゃ、それはそれでいいや。こっからはオレの主観で話をさせてもらうぜ」
 まばたきもしない少女の目前まで、乱丸はずかずか近づいた。

「乱暴はやめてください! そうでなくても、彼女は外界の汚れを身に浴びてしまったのですから」
「汚れ、ねぇ・・・・・・」
 ばりばり、頭を掻きながら乱丸がぼやく。
「なんでもいいけどよ、『自分の命を輝かす』ったって、こいつは何にも自分の力でやっちゃいないんだぜ? ただ、予定されてる人生をひたすら黙々となぞっているだけじゃねえか」
「・・・・・・・・・」
 夏見は無言で乱丸を見る。

「さらわれたりしても何の抵抗もしねえし、周囲が騒いだだけで、こいつ自身は少しも動いちゃいねえ。ただ流れに身を任せているだけで、自力で自分の身を何とかしようなんて思ってねえだろ、こいつは! どうだ?」
 乱丸がそう言っている間も、少女はただぼんやり立っているだけである。
「ただ息をして生命活動を維持してるだけで、それで『生きてる』って言えるのかよ? オレにはそれが理解できねえだけさ」
 己の胸の内にある考えのもどかしさに、尚もばりばり頭を掻く。

「さっきおっさんは言ったなあ? “見なくていいものをたくさん見てしまった、辛かっただろう”ってな・・・・・・どうだ、てめえ自身はどう思っているんだよ? こんな暗い穴ぐらの中で、どれだけ長い間暮らしてきたか知らねえが、逃げだした先で見たもの、聞いたこと、感じたことについて、お前はどう思っているんだ?」
「・・・・・・・・・」
 黙ったまま、少女は乱丸の顔を見つめている。

「ダメですよ乱丸さん。彼女は感情などないのです、言葉も持ちません。彼女はただ、順番が来たら変身の場へ足を踏み出し、『夏』に変化していく。それだけの存在なのです。そしてそうする事だけが、彼女の幸せであり全てなのです! 一秒でもはやくそれを成し遂げさせてあげて下さいよ」
「そうはいかねえよ」
 不満そうな口調で、乱丸は口をとがらせた。

「オレは自分の身体を張って、魔界のバケモンとやりあってきたんだぜ? けど、せっかく助け出したお姫さまが、お礼の一言も言ってくれねえってのは、寂しすぎるじゃねえかよ。・・・・・・おい! てめえは『生きてる』んだろう? 消滅する前に、一つでいいから自分の意志で、何かしてみせろよ。『生まれた時から決まってた』事に、何の疑いもなく従ってるだけで、命を輝かす事になるわけがねえ、とオレは思うぜ?」
 その時、ぴく、と少女の身体が震えた。
 唇がわずかに動く。

 本当にわずかな動きのため、とても言葉にはならない。しかし、無表情の少女の中で、何かが動いたようであった。

「まさか・・・・・・」
 夏見が呆然とつぶやく。
 乱丸は嬉しそうな顔で、その様子を見た。
「お、いい調子じゃねえか。口を開くってのも、他人に自分の意志を伝えるための第一歩さ」
 言葉を知らないはずの精霊が、彼女自身無意識のうちに、口をぱくぱく小さく動かしている。
 当然言語はつむぎ出されなかったが、イメージが頭の中に直接流れ込んできた。

“教エテ”と。

「あん? 何をだ?」
 ぶっきらぼうに、乱丸が受け答えする。
 尚も、少女の思考が届く。

“アタシ、ズットココデ一人ボッチダッタ、外ニ出ル時ハ変身ノ時ダト、ソレダケ考エテタ・・・・・・デモ、変身ノ前ニ、マブシイ所ニ行ッタ、ソコニハタクサンノ自分以外ノモノガ、イタ”

 ぱくぱくと、必死で少女は口を動かす。ここまではっきり他人と会話するのは、生まれて始めての事である。

“アレハミンナ生キテルノ?”

 大分、スムースに思考が届くようになってきた。意志を伝達する事に、急に適応してきたのだ。
 彼女に、感情が芽生えつつあることを、夏見は驚きの表情で感じとっていた。

“何デアンナニタクサンノ人ガ生キテルノ? ミンナ姿ガ違ウノハナゼ?”

 すっかり、物事を考える事を覚えたらしい。世の中に、自分以外のものが存在する事を知り、不思議に感じる事を素直に疑問として受け止めている。
 ぽん、と乱丸は少女の肩に手を乗せた。

「そいつはな、一人一人生きてる理由が違うからだ」
 ぱちくり、と少女の大きな瞳がまばたきした。

“生キテル理由?”
「おっと、それまで教えてくれなんて言うんじゃねえぞ。それだけは自分で見つけ出さなきゃいけねえ。自分の生は自分のモンだ。どう生きるか決めるのは、結局自分自身って事だ、判るか?」
 乱丸が言うと、少女は困ったような表情になった。

「じゃ、オレの方が聞くぜ? お前は何をしたいんだ。ちっぽけな生の中で、何を成し遂げたい?」
「それは決まって・・・・・・」
「答えるのは、こいつだ!」
 横から口を挟んできた夏見を、乱丸が一喝する。

「判ってらあ、お前がこの先なるのは一つだけだ。セミの幼虫は、チョウや鳥にはなれねえわな。だけど、だからといって他人に手を引かれて自分の人生の選択をないがしろにするんじゃねえ。たった一つしかない選択肢であっても、堂々と、自分の口で宣言するんだよ、でなきゃ、命が輝くわけねえと思うぜ?」
 肩に置いた掌に、ぐっと力が籠もる。
「さ、お前は何になる?」
 少女は首を巡らせ、上から照らすスポットライトの光を見た。

“私ハ・・・・・・”
 乱丸の顔に向き直る。
“私ハ・・・・・・夏ニナル・・・・・・”
「おう、いい顔になったな」乱丸も、にっ、と笑った。
「そうでなくちゃ、よ」
 とん、と少女の背中を押す。

「てめえで選んだ運命だ、てめえの足で歩いていけ」
 少女はこく、とうなずき、歩き始める。

 夏見は、不思議な気持ちでその様子を見ていた。
 これまでの歴史の中で、感情を手に入れた『夏』候補などいなかった。全ての精霊は外界との接触を絶ち、汚れを知らぬ無垢な存在として純粋培養されてきた。そして、その純粋さを『夏』のエネルギーへと変換させていったのだ。
 それから見れば、彼女は外界の汚れにまみれてしまったとも言える。

 しかし、と夏見は思う。

 変身の場の向かう彼女の、何ときれいな事か。
 これまでと、違うエネルギーに満ちているではないか。
“何だ、これは?”
 こんな『夏』候補は今までいなかった。この娘は、どんな『夏』を生み出すのか?
 驚きの連続だった夏見は、さらに仰天する光景を次の瞬間、目に焼き付けた。
 スポットライトの手前で、少女は立ち止まった。

「あん?」
 乱丸の眉が、いぶかしげに上がる。
 なまじ感情が出ただけに、怖じ気づいたのかと思ったのだ。
 と、
 彼女はくるりとUターンし、一気に乱丸の首に抱きついてきた! スキを突かれた乱丸の目が、大きく見開かれる。

 そして――――、
 一瞬の、軽いキス。

 すぐに少女は飛びすさり、うふふっ、と照れた笑い声を上げた。 そして、唇が動いた。

 ――――ア・リ・ガ・ト・ウ。

「・・・・・・・・・」

 さしもの乱丸も、この攻撃は予想外だった。
 硬直したまま、彼は少女がスポットライトの下に立つのを見た。 腰の後ろで両手を組んで、こちらを見て微笑んだ彼女の笑顔は、とても魅力的であった。

 ざああっ。

 瞬間、周りにひらひら舞っていた青いチョウたちが、一斉に渦を巻き始める。スポットライトを浴びた彼女の周囲に、青くきらめく光の竜巻が生じていた。

「・・・・・・全く、あんな『夏』候補は、初めてですよ」
 下がってきたメガネをずり上げつつ、乱丸の横に夏見が立つ。
「やっぱり外界に出すものではありませんね。どこであんな事を覚えてきたのやら・・・・・・」
 オホン、と咳払いする。
「でも・・・・・・職務上、こんな事を言っては不謹慎ですが・・・・・・何万年かに一度くらい、こういう季節があってもいいかも知れませんね」
 ふっ、と夏見は肩をすくめた。

「彼女がどんな『夏』を生み出すのか、・・・・・・とても楽しみですよ」

「ああ」
 乱丸も、こくりとうなずく。
 二人の目前で、少女は『夏』に変わっていく。青い青い渦の中で・・・・・・。
 夏見は、最後までしっかりそれを見届けてつぶやいた。
「やはり、美しい・・・・・・」
 ひとすじの涙をこぼし、静かに夏見は目を閉じていった。

 青い青い光の奔流が少しずつ収まっていくと、その場にはもう、静かにスポットライトが照らされているだけだった。

 少女も、夏見も、乱丸も、すでにその場所から消えていた。

 静寂が、その場所を包んでいった・・・・・・。







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