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武蔵野航海記
「日本人のための憲法原論」を読んで
この本は今年の3月30日発行ですから、出来たばかりです。
最初のページに「憲法とは、西洋文明が試行錯誤の末に生み出した英知であり、人類の成功と失敗の経緯を明文化したものである」と書かれています。
憲法とはヨーロッパの歴史そのものだと博士は考えているのです。
小室博士はものすごい経歴をお持ちです。
1932年生まれですから、現在74歳です。
敗戦の時は13歳ですから戦前も知っているし、その後の急激な変化も目撃しています。
現在70歳代半ば以上の方は、戦後の教育に洗脳された世代とは違い、ある程度自我が出来てから敗戦を経験しています。
ですから、考え方が偏っていない方がおられます。
東京で生まれ、京都大学理学部数学科を卒業後、大阪大学の大学院で経済学を学びました。
その後、第一回目のフルブライト奨学生としてアメリカに渡り、ミシガン大学大学院で計量経済学を学んだ後、ハーバード大学大学院で心理学と社会学を学んでいます。
さらにマサチューセッツ工科大学大学院で理論経済学を学んでいます。
その後日本に帰国し、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程を修了しました。
東京大学法学博士です。
この見事な経歴から、当然どこかの大学の教授かと思いますが、大学の教授の経験は無いようです。
若い時は生活が苦しくアルバイトをしていた時期もあるようで、またずっと独身を通しています。
何故、大学教授になって収入と社会的地位を得るということをしなかったのかは、私には分りません。
ただいたるところで、現在の日本の大学教授のだらしなさを書いているので、日本の大学の先生などアホらしくて出来ないのかもしれません。
この見事な経歴と学識さらには反骨精神が有名で、多くのファンがいます。
また多くの人脈を持っておられるようで、その発言は日本に対する一定の影響力を持っているようです。
この本を私は一回読みましたが、また読みながらブログを書いていくので毎日更新することは難しいかもしれません。
気長に読書感想文を書いていきます。
この本のまえがきでは下記のように書いています。
日本は民主主義国家でなく、近代国家でもない。
憲法も民主主義も「人類普遍の原理」ではなく、近代欧米社会という特殊な環境があって初めて誕生したものである。
憲法を知るには欧米社会の歴史と、その根本にあるキリスト教の理解が不可欠である。
しかるに、戦後の日本人は欧米の歴史も知らずキリスト教の理解もないままに、民主主義を「人類普遍の原理」と誤解し、日本国憲法の前文にまでそれを書いている。
だから日本国憲法がまともに作動せず様々な問題が噴出している。
長引く不況、財政破綻、自国民を拉致されても取り返さない政府、学級崩壊などすべてこれが原因である。
私(ジョージ)は、かねてから日本人は宗教の本質が分かっていないと主張してきました。
儒教、仏教、キリスト教の本質が分らないまま、これらの宗教を日本式に作り直し理解したつもりになっていました。
その結果、支那や朝鮮という儒教国家の発想が理解できず、キリスト教に基づく民主主義も理解していません。
だからこの小室博士の発言を至極もっともだと思えるのです。
この本を一読して感じたことがいくつかあります。
小室博士は日本の現状を本当に深刻にとらえています。
しかし博士は自分の発言の影響力を考えて、表現をできるだけ穏やかにしようと努力していることがよく分ります。
例えば、第一章では「日本国憲法は死んでいる」と表現しています。
今死んでいるということは、かつては生きていた時があったということです。
ところがこの本の終わりの方では、「日本国憲法が成立したかについては強い疑念があり、この論争は未だに決着がついていない」と書いています。
博士は、日本人はこの憲法を理解していないと考えていますから、日本人がこの憲法に合意したことは無いと考えるのが素直です。
私は日本国憲法など成立していないと考えており、これはこのブログでも書きました。
博士は、「今後日本人がこの憲法を理解すれば生き返る」と希望を持たせているのです。
小室博士は幕末以後の天皇の役割を大きく評価していて、戦後の日本がおかしくなったのは天皇教が崩壊したためだと考えています。
博士はその経歴でも分るように別に神がかりの右翼ではなく、日本書紀以来の神話が荒唐無稽であることは十分承知しています。
ただ社会学者として幕末以来の天皇の機能を正確に理解し、今の日本でも天皇の利用価値は十分あると理解している様子です。
明治憲法では天皇は神でしたが、その下で日本人は一定の民主主義の体制を作り上げていて、今の日本よりましだったというのが博士の評価です。
博士も明治憲法の体制が完璧なものではないし、捏造された神話の上に成り立った体制だということは、十分承知しています。
しかし日本に残された時間はあまりないので、即効性のある天皇制に魅力を感じているように見受けられます。
勿論、博士は日本を明治憲法の体制に戻せとはこの本には書いていません。
「第二の明治維新を起こせ」といっているだけです。
しかし、本の内容から判断して私は、「応急処置として、天皇中心の体制を作るのも一つの選択肢だよ」と日本人に提案していると感じたのです。
74歳という年齢と日本の状況から博士はあせっているような感じです。
天皇を神として日本を統一する組織を作った人物は非常に冷静な者が多いのです。
幕末の狂信的な天皇教徒は結局明治政府の中心にはなりませんでした。
薩長などのリーダーは天皇を「玉」と呼び道具とみなしていました。
実際に天皇や公家をま近でみて、彼らに何の神秘も尊敬も感じなかったのです。
大久保利通は非常に冷静な紳士でした。
彼が中心になって天皇を神として、徳川時代の士農工商という身分制度を打ち壊した体制を作り上げました。
神である天皇のもとで、すべての日本人は平等であるという「一君万民」の体制です。
これは神の下では、すべての人間は平等であるというキリスト教の教義と似ているのです。
その後を継いで明治憲法を作り上げた伊藤博文も狂信には程遠い常識的で人事のうまい男でした。
彼は明治の初めに憲法調査のためにヨーロッパに遊学し、憲法の背後にキリスト教の思想があることを知りました。
そして日本では宗教の力が弱いので、キリスト教の神の代替品として天皇を利用することにしたのです。
キリスト教の神と天皇が似ている点については、以前に私のブログの「明治憲法」のところで書いています。
キリスト教の神を天皇に置き換えて憲法体制を作っても、一応は機能するのです。
だたしそれには大きな問題が付随するのですが、当初はこれで結構間に合うのです。
明治憲法の下で、日本が日清・日露戦争を勝ち進んだことをみてもそれを納得できると思います。
戦後になっても天皇を日本の中心にしようと考える者たちが多くいます。
最近では三島由紀夫や石原慎太郎などは天皇に一定の役割を期待しています。
三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊で切腹したので、気違いのようにも思われていますが、彼の作品を読むと非常に幅の広い教養の持ち主です。
彼は天才的な直感で、まともな宗教の力がなくなった日本で国民の芯となるのは天皇しかないと思ったのです。
三島由紀夫は1925年1月生まれですから、敗戦の時は20歳でした。
敗戦で思想環境が激変していったのを実際に体験し、戦後の世相を見て結局天皇を中心としなければ日本は近代国家として機能しないと思ったのです。
石原慎太郎は、本来は作家ですが政治家の経験も豊かで、三島由紀夫と同じような結論に達したのだと想像します。
彼ら非常に頭が良く教養もある男たちが日本の将来を考えると、他にうまい方法が見つからないと考えて天皇に回帰していったのです。
そして今度は小室博士が、天皇の持つ日本をある程度まで近代化させる力に注目してきたようです。
彼はこの本で、ヨーロッパで出来た憲法というものが、如何に日本人の伝統的な考え方と違うかを歴史から説明しています。
永い伝統とキリスト教の信仰から出てきた民主主義や資本主義の考え方が日本人にそう簡単に理解できるはずがありません。
しかしこの近代国家の思想的背景を持たなければ、日本はまともな国家として復活できません。
キリスト教の信仰が無いアジア・アフリカの国が未だに近代国家といえる状態でないのももっともなのです。
そこで博士は、天皇をキリスト教の神の代替品とする思想を提案してきたのだと思うのです。
積極的に提案しているという感じではありませんが、一つの方法だとは考えているようです。
これは伊藤博文が日本を近代化しようとして採用した方法と同じです。
この体制は短期間に老朽化するという欠点をもっているのですが、今のところ現実的な方策だとして提案しているようです。
小室博士は第二の明治維新を行えといっています。
この本は若い編集者と小室博士の対話形式になっています。
小室博士の提案はこの本の最後の部分に書かれていますが、これを紹介します。
若い編集者:
先生、いったい日本はこれからどうなるのですか?
小室博士:
今のまま進むかぎり、お先は真っ暗でしょう。アノミー(行動原理が無くなった状態)になった日本は、コンパスもジャイロもない巨船のようなもの。このまま進めばタイタニックのように沈没するしかない。
若い編集者:
どうしたら憲法もデモクラシーも復活するのですか。とっておきの処方箋を先生だったらお持ちでしょう。
小室博士:
この大バカモノ!
参考書を開けばすぐに答えが出てくるほど、憲法もデモクラシーも簡単なものではない。
憲法やデモクラシーは天から降ってくるものでもなければ、誰かがプレゼントしてくれるものでもない。
戦後日本のそもそもの失敗はそこにあった。
日本人はアメリカが与えた憲法があれば、民主主義が手に入ると思ってしまった。
私があなたに言えることはただ一つ、「現実を直視しなさい」ということです。
今の日本が亡国の淵に立っていることを見つめることから、全ては始まるのです。
今から150年前の日本人は、浦賀沖にペリーの黒船が来た時、「このままでは日本は滅びる」という現実を直視しました。
当時の西洋人は有色人種たちを世界中で征服し奴隷にした。
それと同じことが日本で起こるのだということを、はっきりと認識した。
そしてその現実から逃げることなく運命と戦おうとした。
そこから明治維新が始まったのです。
今の日本はまさにそれと同じです。このままでは日本は滅びるしかない。
「その日」がいつ来るかは誰にも分らないが、このままではそう遠くはない。
日本には一刻の猶予も与えられていない。そう覚悟することが第一歩です。
若い編集者:
「もういちど、日本人は明治維新をやりなおせ」ということですか。
小室博士:
まさに君の言うとおりです。
今の日本には憲法も無ければ、デモクラシーもない。
それは明治維新と同じではないですか。少なくともあのときの日本人は明治維新に成功した。
彼らにできてわれわれに出来ないはずは無い。そう思うのです。
その覚悟ができたら、次は自分なりに考えて第一歩を踏み出すのです。
そのヒントはこれまでの講義の中にいっぱい隠れているはずです。
それが正しいか間違っているかは気にする必要な無い。
とにかく歩き出すのです。それこそが日本を再び憲法の国、デモクラシーの国に戻す道です。
最後に君に、丸山真男教授の言葉をはなむけに贈りましょう。
「民主主義をめざしての日々の努力の中に、初めて民主主義は見出される」
今さら心配しても始まらない。私たちには失うものは何も無い。
皆さんに伝えたいことはそれだけです。
以上でこの本は終わっています。
小室博士は第二の明治維新をやれと言っています。
革命を起こせとは言っていません。
言葉の定義にうるさい学者ですから、用語を間違えるはずはありません。
「維新」とは王政復古のことです。
鎌倉幕府から江戸幕府まで700年にわたって天皇の支配権は武士に邪魔されていましたが、それを取り戻したのが明治維新です。
戦後、天皇の政治的権力が奪われていたのを復活させるというのが第二の明治維新の意味です。
やはり小室博士は明治式の体制も選択肢に考えているのだと思います。
また天皇が神であった明治憲法の体制で大正時代にデモクラシーが行われ、今より良かったといっています。
神である天皇の下でデモクラシーを行うことも可能だよと日本人に教えているわけです。
博士は「イデオロギーにとらわれて、不毛な議論をしているような時間は日本に残されていないぞ」、「使えるものは何でも使え」と警告しているのです。
小室博士は「私たちには失うものは何も無い」とも書いていますが、これは色々な意味を含ませているようです。
「日本には憲法もデモクラシーもない」とその前に説明していますから、思想的なことをいっているように受け取るのが素直です。
一方この本の中では、バブル後の政府の経済政策を徹底的に批判しています。
博士は経済学者でもあるのです。
日本が経済的に破綻するという意味も含めていると私は読みました。
現在、政府(中央政府、地方自治体、官営事業)の借金は本当のところは1400兆円程度と推定されています。
日本の労働人口は6000万人ぐらいですから、一人当たり2500万円です。
また、日本の世帯数は4000万ですから、一世帯あたりでは4000万円弱となります。
政府は、国民からの借金を踏み倒すしか方法が残されていないのです。
財務省などは、体裁よく踏み倒す方法を一所懸命に研究中です。
国債や地方債を持っていないとからといって安心できません。
政府はおそらく超インフレを起こして、実質的に借金を無価値にするという方法を採るでしょう。
そうなれば、銀行預金も年金も意味がないほど価値が低下します。
こんな状態で日本の経済がうまくいくわけはありませんから、株などもどうなるか分りません。
国家と言うのは、国民の生命と財産を守るためにあるのです。
その国家の義務を明記したものが憲法です。
それがないということは、日本人は自分たちの生命・財産を守ってくれる頼りになる存在を失ったということです。
さらには国が国民の財産を狙っているという事態になっています。
こういう状態を、博士は「君たちには失うものは何もない」と表現したわけです。
少し細かい話になりますが、国が国民の財産を狙っているという件について、一つだけ友人の例を書きます。
日本には外国為替管理法という法律があって、日本のお金が海外に流出することを厳しく制限していました。
元首相の田中角栄がロッキード事件に関連して起訴されたのは、この外国為替管理法に違反したという容疑です。
日本が豊かになったため、25年ほど前にこの規制が大幅に緩和され自由に個人が海外に送金できるようになりました。
ところが数年前から日本の経済危機を心配して、海外の銀行に自分の財産を移す日本人が増えてきました。
日本政府からしてみれば、国債として吸い上げて踏み倒すべきお金が自分たちのコントロール外に逃げてしまうということです。
法律上は自由に海外送金できるので、政府は銀行に行政指導をするようになりました。
私の友人も2000万円ほど海外の銀行に送金しようとして、日本の銀行に送金依頼したのでした。
ところが「何のために送金するのか」と執拗に尋ねられたりして、三日間銀行に通ったのに送金できず、ついには海外送金をあきらめたのです。
そして一年前には、200万円以上の海外送金は誰がどこに送金したのか記録をとることを銀行が義務付けられるようになりました。
来年の一月からはこの上限が10万円に引き下げられます。
たとえ海外にお金を避難させても、政府が追いかけられるようにするためです。
国民の財産を巻き上げるには、まずお金を政府のコントロールのもとに置かなければなりません。
住民基本台帳は、国民の財産状態をデータベース化するのが主な目的で、政府はその整備を急いでいます。
今、株や大都市近郊の不動産が値上がりしていますが、これは国債や銀行預金を信用しなくなった資産家が、インフレに相対的に強い株や現物である土地を買い始めたという事情もあるのです。
こういう細かいことから、今の政府が何を考えているのかが分ってきます。
「日本人のための憲法原論」は、非常に厳しく日本の現状を批判しており、立派な「危機本」の一つです。
本屋に並んでいる「危機本」には日本の現状を実際以上に危うく表現する割には、その根拠が曖昧なものが多くあります。
しかし小室博士が書いた内容には学問的裏づけがあります。
博士はかなり前から、同じような趣旨のことを書かれていて、その表現もかなりセンセーショナルなものでした。
しかし今回の本は従来にないほど厳しい表現を使っています。
いよいよ小室先生もあせりだしたな」と感じました。
小室博士は、第一章で「憲法は成文法ではなく慣習法だ」と主張します。
第一次世界大戦で負けたドイツは、ワイマール憲法という当時考えられる限り先進的なピッカピカの憲法を作りました。
ところがヒットラーが率いるナチス党が国会で多数を占めた1933年に、ドイツの国会は「全権委任法」を制定しました。
法律を制定する権利である立法権を行政府にすべて与えるという法律です。
立法権と行政権を分けるというのは議会政治の基本原則で、この原則を破る法律を国会が作ったのでした。
憲法学者は「全権委任法は憲法違反だから無効だ」とは言いません。
無効だろうがなんだろうが、それでドイツの現実は動いているのです。
ですからドイツの憲法は1933年に廃止され、死んでしまったと考えるのです。
たとえ「憲法」と題された法律があったとしても、憲法は本質的に慣習法なのです。
つまり、憲法の精神が無視されれば、その憲法は死んでしまうわけです。
こうして小室博士は、成文の憲法が死んでいる例として新興国や支那の憲法の例などを挙げています。
また100年ぐらい前のアメリカでは、憲法の精神と違ったひどいことが平然と行われていた例を挙げて、アメリカでも憲法は一時死んでいたことを説明しています。
確かに戦争中の日系人に対する扱いなど、憲法の精神に反します。
彼らもアメリカの市民だったのです。
その後アメリカは自分たちの努力で憲法を甦らせたのです。
このように憲法は一般の法律と異なり、特殊な法律です。
ですから憲法学者の一番重要な役割は、その憲法が生きているのか死んでいるのかをチェックすることです。
しかし日本の憲法学者は、日本国憲法が生きているのか死んでいるのかという議論をしません。
そんなことを書いている憲法の本がないと小室博士は憤慨しています。
私も以前に、東大の憲法学の教授が詭弁を使って日本国憲法を弁護して、あたかもちゃんと成立したかのように論じているということを書きました。
小室博士は、日本国憲法は死んでいると判断しています。
今の日本人なら誰でも「この国は少しおかしいのではないか」と思うことがいくつかあると思いますが、これは憲法が死んでしまった為です。
死んでいれば、護憲も改憲もありません。死んだ憲法の条文を改正して何の意味があるのでしょう。
第二章では、国民が国家権力をまるっきり信用していないから近代憲法を作ったのだと説明しています。
法律というのは人間の行動を規制するのが目的ですが、法律によって規制する対象が異なります。
刑法というのは、裁判官の行動を規制するためにあります。
例えば、204条では「人の身体を傷害したる者は十年以下の懲役に処す」と書かれています。
これは裁判官に対し、刑は十年以下にしなさいと命令しているわけで、傷害罪を犯した犯人を死刑にはできないのです。
刑法には、「人を傷つけてはいけない」とは書かれていません。一般人を対象にした法律ではないわけです。
この辺から、小室博士の独壇場になってきます。
では、刑事訴訟法は誰に命令しているのか?
刑事裁判では判決が確定するまでは犯人は存在しません。
検察官が、「こいつが人を殺しました」と裁判所に訴えてきただけで、彼が犯人とは決まったわけではありません。
検察官は、色々な証拠を提出してその男が殺人犯であることを証明しようとします。
裁判所は検察官が持ち込んできた証拠以外に独自に真実を調べたりはしません。
検察官の持ち込んだ証拠が、権力をかさに着て違法な調査をやり無実の罪を着せようとしているのではないかということをチェックするだけなのです。
刑事訴訟法は検察官の言い分をチェックするためにあるのです。
例えば、本人の自白だけで、他に物証がなければ犯罪を認めてはならないという規定などがあるのです。
この背景に流れている考え方は、「国家権力は非常に強大で何でもできる。
検察官や刑事にはろくな奴はいない」というものです。
つまり近代国家の裁判官というのは、中立ではなく本質的には被告の味方なのです。
ところが日本の刑事裁判では、実際に告訴された事件のうち有罪判決は99%以上だということです。
これは裁判官もお上である検察官のいうことを信用してしまっているということです。
マスコミなどは起訴された時点で犯人扱いです。
このように小室博士は、まず裁判制度を挙げて日本人が如何に近代ヨーロッパで出来た法体系を理解していないかを強調しています。
では憲法は誰に対する命令か?
小室博士は、憲法は国家権力に対する命令だといいます。
国家権力というのは恐ろしい力を持ち、警察や軍隊を自由に動かせます。
そんな怪物のようなものを縛るものが憲法であり、憲法違反をすることができるのは国家権力だけなのです。
右翼が特定の人物を誹謗したり、会社の上司が部下の発言を封じたりしても憲法とは何の関係もなく、個々の名誉毀損罪や営業妨害というレベルの話なのです。
第三章で小室博士は、ヨーロッパで憲法が出来た経緯を説明しています。
中世のヨーロッパでは、領地を持った領主が大勢いて、国王は大領主たちの調整役として存在を許されていただけでした。
国王と領主は契約によってお互いが権利義務を負っていました。
また社会は昔からの慣習で動いていて、新しい法を人為的に作るような考え方はありませんでした。
国王は、領主との契約関係や慣習を逸脱することは許されない非常に弱い存在だったのです。
しかし中世の終わりにペストが大流行し農奴が激減したことや貨幣経済の勃興を背景にして、社会が大きく変化します。
全国を治安の良い一つの市場となることを望む都市の商人が国王と結びつき領主と対抗しはじめたのです。
商人は国王に献金し、国王はその金で常備軍を持ち、その力はどんどん大きくなっていきました
こうして全国を支配するようになった国王は、その組織を維持するためにますますお金を必要とするようになり、領主にも課税しようとしました。
領主が国王に払う税金は昔からの契約で決まっていましたから、新たな課税には領主一人一人の了解が必要です。
カトリック教会も膨大な領地を持っていましたから、その利害は大領主たちと同じでしたが、組織が腐敗してその権威が大きく落ちてきました。
国王は領主と個別に課税の交渉をするのは手間が大変です。
国王が従来の慣習を破って自分たちの特権を侵害するので、それに対抗するには、領主たちも結束しなければなりません。
国王と領主の交渉の場所として議会を開催することは、双方にとってメリットがあったのです。
こうして、国王、領主、カトリック教会、都市の大商人たちという利害関係者が自分たちの利益を主張して争う身分制議会というものができたのです。
この中世末にできた身分制議会が現在の議会の源流です。
イギリスでは、13世紀始めに国王が貴族や教会にどんどん課税したので、怒った貴族が反乱を起こして国王の軍隊を打ち破りました。
このとき国王に認めさせた国王と貴族との契約が「マグナカルタ」です。
ですからその中身は従来の慣習や貴族の特権を国王が守る義務を負わせたものです。
この「マグナカルタ」はイギリスの憲法の源流と考えられています。
このように当初の議会や憲法は、現在の民主主義を体現するものではなく特権を守るためのものでした。
ただ国王の権力をチェックするという役割が、現在の議会や憲法と共通しているのです。
「日本人は憲法や議会は民主主義そのものだと思っているがこれは誤りだ」と小室博士は厳しく警告しています。
中世末に身分制議会が発達する過程で、議決方法として多数決が採用されるようになりました。
この多数決は、ローマ法王を選ぶために枢機卿という高位のカトリック僧侶が開いた「コンクラーベ」という会議が源流で、これが身分制議会でも採用されるようになったのです。
この件は私もブログに書いています。
「日本人は多数決の正しさを疑っていないが、これも一つの擬制であることを忘れてはいけない」と小室博士は書いています。
小室博士の言われるように多数決は一つの意思決定の方法で、国民がこの方法を納得していないとうまく作用しません。
日本人が多数決を納得しているのは、ヨーロッパの伝統を理解したのではなく、日本の伝統的な発想だったのです。
日本人の多数決の考え方は、天台宗の僧侶の議決方式が源流でそれが浄土真宗に伝わり、戦国時代末期の一向一揆を通じて日本人に定着したのです。
このことは私のブログに以前に書きました。
ヨーロッパの法はキリスト教の正義が基になっているので、人間が多数決でそれと違うことを決議しても意味がありません。
しかし日本には絶対的な正義の体系がありませんから、ここからのチェックがないのです。
多数決に関しては、小室博士は説明不足だと思いました。
中世も終わりごろになると国王の力が強くなり、絶対主義の時代になってきます。
この時期に「主権」という考え方が生まれました。
主権者たる国王は何者にも拘束されないので、従来の慣習や特権にも拘束されません。
そして自由に法律を制定し課税することができるという考え方です。
ヨーロッパで国王の権力が増大し、絶対主義になっていくちょうどその時期に宗教改革が起きます。
小室博士はキリスト教の教理の説明に多くのページを割いています。
宗教に無関心になった現代の日本人でも、積極的に魂が存在しないことを主張する人はほとんどいないと思います。
ましてや中世末期の人間は、ヨーロッパ人も日本人も魂の存在を信じて疑っていませんでした。
人間は誰でも死後地獄に行きたくはありません。
ではどうしたら、極楽や天国にいけるか?
日本人なら善行に励めば良いと考えるでしょう。これは仏教の因果応報説が骨身に染みているからです。
しかし今は、キリスト教徒になったつもりで考えてみてください。
キリスト教の一番重要な教義は、「神は全能である」ということです。
神は全宇宙を作り、その自然法則自体も作りました。その自然の一部として、人間や動物も作ったのです。
神は絶対的な権威を持っていて他のものの影響を受けません。
神が人間の行動に影響されるということも当然ながらありません。
もしも人間が善行に励んだことを神が認め、最後の審判のときに救済したとしたら、これは人間の行動が神に影響を与えたということです。
人間が天国行きを神様におねだりし、その対価として善行を差し出しているのです。
こういう発想をキリスト教は「神を人間の召使にする考えだ」と非難しています。
人間は神が自分の考えどおりに作ったもので、自分の意思などはなく、神に操られる奴隷に過ぎないとキリスト教は考えます。
最後の審判のときに誰を救うかは神様が独断で決めることであって、奴隷である人間には何の発言権もないのです。
イエス・キリストの12人の弟子の一人で、カトリック教会の礎を築いたパウロは新約聖書の「ローマ人への手紙」で次のように語っています。
「神に口答えするとはあなたは何物か。造られた物が造った者に『どうして私をこのようにつくったでしょうか』といえるでしょうか。
焼き物師は同じ粘土から一つを貴いことに用いる器を、一つを貴くないことに用いる器を造る権限があるではありませんか。」
「どうして自分は救われないのか」と神に尋ねるのは、粘土が「どうして自分は便器になったのか」と陶器職人に聞くようなものなのです。
神はその人間が生まれる前からその者が歩む人生を決めているのです。そして最終的に救済されるか否かも決めています。
この「予定説」がキリスト教の教義です。
そしてこの予定説は「神は全能である」という前提から論理的に導き出せるのです。
多くの日本人には魂消るような教義ですが、「占い」のことを考えてください。
太閤秀吉は、まだ信長に仕えていない若い時、占い師に「あなたはとんでもない出世をする」といわれました。
日本には因果応報説がある一方で、運命というのは予め決まっているという考えもあるのです。
この予定説は、イエス・キリストの弟子であるパウロが主張し、カトリック神学を作り上げたアウグスティヌスも主張しました。
予定説はカトリックの公式教義でもあるのです。
ところがこの予定説はあまりに人間に厳しい内容です。
「どのみち自分が救済されるか否か決まっているのであれば、この世では自分のしたいことをして多いに楽しもう」と考えて、盗みをし遊蕩三昧の生活をする人間が出てきます。
そこでカトリックはこの予定説から逸脱し始めたのです。
秘蹟(サクラメント)という七つの儀式を行うことによって犯した罪が許されると教えるようになったのです。
宗教改革を始めたルターが非難した免罪符も同じ発想です。
カトリック教会は多くの聖人を輩出しているので、天国に対して善行の貯蓄ができている。この「救済財」は一般信徒にも分け与えられるというものです。
この考えは聖書に矛盾しますから、中世のカトリック教会は一般信者が聖書を読むことを禁止していました。
そして聖書をその国の言葉に翻訳することも禁じていたのです(聖書はギリシャ語で書かれています)。
ルターは秘蹟を行うことや免罪符を買うなどという善行によって救済されるなどとは聖書に書いていないと抗議しました。
ルター派やカルヴァン派などの新教をプロテスタントというのは、彼らがカトリックの教えにプロテスト(抗議)したからです。
ルターを始めプロテスタントの指導者たちは聖書を自国語に訳しましたが、これは一般信徒がキリスト教の教義を自分で勉強できるということで、画期的なことだったのです。
ルターは、カトリックの僧侶だったエラスムスと「自由意志論争」という有名な論争をしました。
エラスムスは、人間は自分で判断する意思を持っていると主張しましたが、これが後に次第に宗教色を薄くして「ヒューマニズム」になっていきます。
これに対してルターは人間には意思などなく神の意思の奴隷に過ぎないという「奴隷意思」を主張しました。
プロテスタントの考え方はヒューマニズムではないのです。
日本では「ヒューマニズム」は「人類普遍の思想」などと考えている者が多いのですが、それは一部の者の特殊な思想です。
ルターは情緒的でその説くところはやや不明確でしたが、カルヴァンはルターの考えをさらに推し進めました。
彼は「予定説」で押し通したのです。
神は自分が気に入った人間を救済するだけで、善行を行ったとか他人に親切だとかいう人間に分りやすい基準がそこにあるわけではありません。
ですからカルヴァンは神が特定の人間を救済するのは「神がその栄光を表すため」だとしています。
神は自分が全能であることを証明するために、一部の人間を救済するのだというのです。
プロテスタントは非常な勢いでヨーロッパに普及しました。
現在プロテスタントが優勢な国は、北米、イギリス、ドイツ、オランダ、北欧諸国、オーストラリアなどです。
フランスも一時はカルヴァン派の勢力が強くその後、国王の弾圧によってカトリック国に戻りましたが、その名残があります。
「予定説」は日本人にはとんでもない思想ですが、世界の豊かで強力な国々を支配している極めて重要な思想であることを理解してください。
その人間が生まれる前から神が救済するか否かを決めていて、彼がいくら努力してもそれを変えることはできないというのが、予定説です。
そして誰が救われる予定なのかは、神様以外は誰にもわかりません。
こんな厳しい宗教を信じる者がいるのだろうかと首をかしげてしまいますが、実際はものすごい勢いでヨーロッパに広がりました。
誰が救済されるのかは人間には一切知らされませんが、どういう人が救われるか推定することは出来ます。
神様から救われるほどの人ならば、敬虔なキリスト教徒で神を深く尊敬していることでしょう。
そうなると、真面目なキリスト教徒である自分はひょっとしたら救われる予定になっているかもしれないと思い当たります。
そして自分がプロテスタントの信仰に巡り合ったのは、ただの偶然ではなく神様のお導きではないかと思えてくるのです。
そう考えると、ますます真面目に信仰生活をおくるようになります。
このようにして、プロテスタントの信者はどんどん敬虔になって行きました。
中世のイギリス人は陽気でいい加減な民族だったそうです。
それがプロテスタントの信仰が支配的になると、今のように真面目で緻密な性格に変わってきたのです。
プロテスタントはキリスト教の教義のよりどころを聖書に求めました。
そして聖書に書いていないことは認めませんでした。
聖書には免罪符のことなど書かれていなかったので、ルターはインチキだと主張したのです。
同様に聖書にかかれていないと言う理由で僧侶も認めませんでした。
カトリックはローマ法王が神の代理人だとしていますが、これは新約聖書のマタイによる福音書に下記のように書かれているからです。
「私(キリスト)はあなた(12弟子の一人であるシモン)に言う。あなたはペテロ(岩)である。そして私はこの岩の上に私の教会をたてよう。
私はあなたに天国の鍵を授けよう。あなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
ところがプロテスタントはこれを、シモン(ペテロ)が神をよく理解していることを、イエス・キリストが褒めただけの話だとするのです。
プロテスタントの牧師は僧侶でなく、信者のリーダーという位置づけです。
カルヴァン派の教会のリーダーを長老といいますが、これには「世俗の長老「と「み言葉の長老」がいます。
牧師はみ言葉の長老で、聖書を正しく理解する専門の教育を受けたリーダーなのであって、決して神の権威を背負っているものではありません。
プロテスタントはローマ法王を初めとするキリスト教の僧侶の存在をみとめません。
ですからローマ法王が各国の王を神の代理人として国王に任命していたとしても、それが正しいとは考えないのです。
絶対的な神から見ると、国王も庶民も神によって作られたもので、50歩百歩の無価値なものです。
だから「神の前の平等」という発想が湧いてきて、中世以来の伝統である身分社会に疑問を感じるようになったのです。
中世社会と言うのは、国王も領主も商人もそれぞれ大小はありますが、他人の持っていない権利、即ち特権を持っていました。
農民でさえ、先祖代々受け継いだこの土地を耕して生活するという特権を持っていたのです。
その一方で、全ての人間が共通して持っている「人権」という発想はありませんでした。
ところがプロテスタントは、「神の前では人間は平等だ」と考え、この人類共通の権利である「人権」という概念を作り出しました。
特権というのは一部の人間しか持っていない権利であり、人権はすべての人間が等しく持っているものです。
日本のマスコミが使う「弱者の人権」とか「少年の人権」というのはおかしいのです。
身体障害者などの社会的弱者だけが持っている電車にただで乗れるなどという権利は、「人権」ではなく「特権」なのです。
未成年であるがゆえに持っている「裁判されない権利」というものも特権です。
敬虔なプロテスタントの人生の目的は最後の審判を無事に通過することであって、俗世のことにはあまり重視しませんでした。
そして神の教えに反することは昔からの伝統であっても正しいものだとは考えませんでした。
中世では、それがどのようなものであれ、昔から続いているというだけで正しいと考えられていたのです。
プロテスタントの考え方は、社会が目的(魂の救済)に合っているか否かという基準で判断するというもので、中世の習慣尊重とは違うのです。
信仰のためには従来の権威とも戦うという戦闘的で合理的な精神を身に付けたのです。
この発想は後に「抵抗権」「革命権」になっていきます。
このようにして、プロテスタントは従来の社会を変えていこうとする考え方になっていきました。
プロテスタントの教えがイギリスにやってきたとき、この島国の政治は非常に混乱していました。
アメリカの法体系はイギリス伝来のもので、日本の法体系はナポレオン法典を起源に持つ大陸法の系列です。
明治になってフランスの法体系を輸入したからです。
この英米法には大陸系にはないコモンロー(common law)という考え方があります。
コモンローはイギリス人の慣習が裁判所によって認知され、法律として通用するようになったものです。
このようにイギリスは慣習を非常に大事にする国です。
そしてコモンローが法律として認知されるきっかけになったのがマグナカルタ(大憲章)です。
中世末の13世紀になるとイギリスでも王の力が強くなり、王様が貴族や教会にどんどん課税するようになりました。
ところが中世というのは慣習で動いている社会で、貴族と王との関係は契約で決まっており、それ以外の特別なことを認めない社会だったのです。
王は契約で定められた税金で満足するしかなく、それ以上の税を徴収するためには貴族の了解が必要だったのです。
ところが当時のジョン王は貴族や教会の了解無しに彼らに課税したのです。
これは貴族の側から見ると、自分たちが昔から持っていた権利を無視されたということです。
つまり貴族が昔から持っていて、慣習によって守られていた特権が侵害されたのです。
そこで貴族たちは反乱を起こし、国王の軍隊を打ち破ってマグナカルタを王に認めさせたのです。
マグナカルタは特権階級の慣習を王様に尊重させるという内容です。
これは中世の考え方である慣習尊重を文書にしたものですが、王権を制限したというところに歴史的な意義があります。
マグナカルタはイギリスの憲法の一部にまでなっています。
マグナカルタ成立の半世紀後には身分制議会ができ、ここでも貴族と国王は貴族の特権と慣習を巡って争いました。
このようにしてイギリスでは慣習がますます重視されるようになっていきました。
マグナカルタから一世紀経った14世紀のイギリスは、対外戦争と内乱の時代でした。
フランスとの百年戦争に敗退し、今度は国内で王位を争って「バラ戦争」が起きたのです。
シェイクスピアのリチャード二世など一連の史劇に描写されているように、このときの大貴族たちは自分たちの野望達成のために血で血を洗う争いを続けていました。
その結果として、ほとんどの大貴族は死に絶えてしまったのです。
そして出自も定かでない田舎の土豪上がりのチューダー家が国王になり、強力な権力をもった絶対主義王政が始まります。
そしてこのときになってジェントルマンが社会の表に出てきます。
公爵や男爵といったれっきとしたイギリスの貴族は数が少なく二百人弱で、その下に小領主であるジェントリーと富裕な農民であるヨーマンという階級がありました。
ジェントリーは約1.6万家族おり、当時のイギリスの1%を占めていました。
少し後の時代の統計ですが、17世紀末のイギリスの階級別家族数と平均収入を書きます。
家族数 家族規模 平均年収(ポンド)
世俗貴族 160 40 2800
聖界貴族 26 20 1300
ジェントリー 16400 16~8 880~280
官吏 10000 8~6 240~120
貿易商 10000 8~6 400~200
法律家 10000 7 140
聖職者 10000 6~5 60~45
自作農 180000 7~5 84~50
借地農 150000 5 44
国内商人 40000 4.5 45
職人 60000 4 40
将校 9000 4 80~60
一般船員 50000 3 20
労働者 364000 3.5 15
小屋住農 400000 3.25 6.5
兵卒 35000 2 14
浮浪者 - -
貴族などの家族数が多いのは使用人が含まれているからです。
総家族数は約140万です。
チューダー家の王たちはフランスのように常備軍と官僚組織を持って支配組織を作り上げたのとは違っていました。
田舎のジェントリーをそこの治安判事に任命し、ヨーマンを民兵にして自分たちの支配を強化したのです。
民兵は常備軍ではなく、非常時に臨時に召集する軍隊です。
絶対主義時代以後、イギリスの社会をリードしていったのがジェントリーであり、その行動様式はイギリス庶民の尊敬を受け、そこからジェントルマンという言葉が生まれたのです。
当時のイギリスの議会は貴族院と庶民院に分かれていましたが、庶民院の議員にはジェントリーがなったのです。
ジェントリーは決して我々の感覚の庶民ではないので念のため。
王家の基盤がジェントリーでしたから、チューダーの王様も彼らを大切にし、庶民院の意向を尊重していて、決して喧嘩をしていたわけではありませんでした。
ヘンリー8世(在位1509~1547)は女好きで8人の女と結婚しました。
最初のヨーロッパ王家出身の妻を離婚する際にローマ法王ともめたのです。
ちょうどその時は大陸で宗教改革が始まっていて、その波はイギリスにも押し寄せていました。
ご存知のようにカトリックでは離婚は認められていなくて、ローマ法王の特別許可が必要なのですが、法王がなかなかウンといわなかったのです。
それではというので、ヘンリー8世はイギリスの教会のローマ法王との断絶を宣言したのです。
そしてイギリス国教会を作ったのですが、その首長には国王自らが就任しました。
そしてカトリック教会が所有していた土地を没収したのです。
ところが当時は財政難でその土地をすぐに売り払いました。
この土地を安く買ってますます力をつけたのがジェントリー階級で国王とジェントリーは非常に良い関係でした。
イギリス国教会は首長をローマ法王からイギリス国王に変えただけで、教義はカトリックと大して変わりませんでした。
その後、プロテスタントの影響を受けて今ではプロテスタントの教義に近づいています。
イギリス国教会の特長は教会の中に国旗を掲げていることです。
キリスト教は本来国家という枠組みを無視しているものですから、ドイツでもフランスでも戦争中でさえ国旗は掲げません。
イギリス国教会はその生い立ちからこうなったのでしょう。
ヘンリー8世が死んだ後、8人の妻が産んだ大勢の子供たちの間で後継者争いが起き、宗派の対立もあって政治が大いに混乱しました。
そして最終的にエリザベス女王(在位1558~1603)が王位に就きました。
エリザベス女王は美人だったようです。
そして生涯独身でしたが、自分がバージンであることを政治的に利用した有能な政治家でもありました。
国民の信頼が厚く「バージン・クイーン・ベス」と呼ばれていました。
アメリカにバージニア州がありますが、これは彼女にちなんで命名されたのです。
もっとも私生活では、美青年のつばめが何人かいたようです。
美人である上に持参金がイギリス王国ということで、ヨーロッパ中のオジサンの国王からプロポーズが殺到しました。
そこでエリザベスは、その気があるような無いような微妙な対応に終始しました。
プロポーズした相手が正式な回答をせず考慮中というのでは、相手の国王も強引なことはできません。
このようにして彼女は外交上の得点を重ねていったのです。
また当時の議会はまるでエリザベス女王のファンクラブのような有様でした。
そして彼女も、必ず議会の同意を取り付けてから政策を実施したのです。
このようにチューダー王朝では、国王が議会の同意を取り付けてから政策を実施するという「慣習」が出来上がっていったのです。
イギリスは慣習を非常に重視する国だということをここで思い出してください。
彼女は1603年に子供を残さずに死に、王位継承法によって親戚のスコットランド王であるスチュアート家がイギリス王になりました。
スコットランド王のジェームズ6世がイギリス王のジェームズ1世として両方の国王を兼ねることになったのです。
両国はもともと別の国だったわけで、最近になってスコットランド独立運動が盛んになっているのもこういう理由からです。
スコットランドには、議会を尊重するなどという習慣はありませんから、スチュアート家の王たちは議会を無視して絶対君主として振舞いました。
そのためにテンヤワンヤの騒動が起きて、最終的に革命になってしまったのです。
イギリスの革命は非常に複雑ですっきりしていません。
まず革命が二回に分けて行われているのです。
1642年にスチュアート家の国王を死刑にして共和国になりました。
しかし1660年には王政復古が行われ、死刑にした国王の子孫がイギリス王に返り咲きました。
さらに1688年にはスチュアート家の王を追放して、その娘と夫を新にイギリス国王に迎えました。名誉革命です。
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