未熟な探求者には多くの可能性と道があります。ビパサナやチベット仏教、禅、アドバイタ、スーフィー...OSHO、プーンジャ、J.あるいはUG. クリシュナムルティ...などなど、オプションの海に溺れています。しかし成熟した探求者にとっては、たった一つの道と瞑想しかありません-----I Amで在ることです。(being I Am)
I Am への目覚めにおいて、ゴールと探求者が出会います。そこで道が終わった訳ではありませんが、もはや二元的ではありません。もうゴールは未来にはないのです。ソレはアナタのNowの一部として絶え間なく開示してゆきます。「大いなる道」とは、アナタの道が完結するまで、Nowの内部で絶えることなく続いて行く目覚めのことなのです。
これら三つの答えは正解です。それらはI Am の三つの質を象徴しています。完全なI Amは一つのものではなく、内なる虹の三色から成り立っています。アウエアネスはマインドの中にあり思考から解放されています。ハート、魂の感覚は胸の中央にあります。そして最後にステート・オブ・ビーイング。そこで人は単に内側に休息します。ヒンズー教ではそれを究極のリアリティーと呼びます。サット・チット・アナンダ、ビーイング、アウエアネスそしてハート。これが「私は誰か?」という問いに対する完全な答えなのです。