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小人
瞑想 & 気付き
車輪が回るのはハブ(軸)があるからである。車輪はハブとタイヤで出来ている。タイヤは路面・外界との接触を受け持ち、ハブは路面とは非接触ながら、中心に在ってタイヤを支えている。
これと同じことが人間存在にも言える。通常の身心活動はタイヤであり、外界と絶えず接している。自己の内面をより深く辿ると、その中心にはハブたる意識が存在する。意識は外界(思考・感情をも含む)を必要とせず、それのみで不動のまま中心に座っている。まさに車軸の如し。OSHO言うところの台風の目である。
ここで誤解のないように言っておくが、ふつう中心と言う場合、外周より内側にあり、従って外周より小さいのが常ながら、瞑想の中心とは物理的中心のことではない。ソレは外周を遥かに越えてゆったりと広がり、なおも広がり深まりゆくもののことである。中心とはマインドの手前、表層マインド活動を脱した自己存在の深み、純粋意識、ゼロポイントのことだ。
さて瞑想とは何か。それは正にこの中心軸を探求し、常に車軸たろうとする道だ。世間で生きる人間存在である以上、日々タイヤの機能も果たさねばならない。しかしそれは車軸あっての事。車軸無くしてタイヤ無しとの探求生活に入る者をして初めて瞑想者と呼ぶ。しかしながら、車軸の存在を知る者は殆どおらず、それを実際に探求しようとする者は更に輪をかけて少ないのが実状だ。いわゆるスピリチュアルを標榜する者達でさえ、単なるオシャレや趣味の領域に止まっているケースが殆どである。つまり関わりが致命的に浅いのだ。結果、外周=マインドしか知らず、外周に振り回されるだけの日常を生きることとなる。なぜなら、その“スピリチュアル”自体が外周の一部に他ならないからである。クタクタに疲れ果てるのは当たり前だ。車軸を知るには瞑想技法にシッカリ取り組む以外ない。なぜなら、瞑想技法はその為に考案されたものだからである。
それに対して、いわゆる「気付き」の道がある。これは逆にタイヤとして路面と接している事を生のあらゆる場面でトータルに受け入れ、全面的に路面と関わり、外周に在ってさえ不動の中心意識をキープし続ける道である。言い換えれば、どのような状況・心理状態であれ、ただそれを観じ、易々と受けとめ受け流す「意識」として在り続ける道であり、世間に於ける瞑想の応用、実践のことである。従って単なる瞑想よりこちらの方が難しいのは言うまでもない。独り中心へダイブする純粋なワークが瞑想、世間で瞑想状態を保ち続けるワークが「気付き」という訳だ。この「気付き」をタントラの名の下に行っている者も多い。
さて、ここで疑問が生じる。「気付き」のためには予めタップリ瞑想に親しんでいることが必要条件である。ならば最初は集中的に中心に働きかける方が知性的で効率がよくはないかという点だ。なぜならシッカリした中心無しでは往々にして外界に囚われ、乱され、従って中心とのコンタクトを失い、修行が進まないからだ。
勿論、タイヤから即車軸へと意識のシフトが出来る人はそれでいい。生活ソノモノ、一挙手一投足が修行となることだろう。しかし“気付き”を口にする者の実体は、自分のいい加減さを全て“気付き”の一語に収斂させ、安易に修行者を名乗っているだけの人が多い。「気付き」を単なる言い訳にまで貶めているのだ。
なぜそのような事になるかと言えば、気付きは実生活と不可分の修行であり、「生活ソノモノが修行」と主張可能だからだ。ダラダラしているだけでも気付きとさえ言えば“黄門様の印篭”となるわけだ。しかしそのような者がまともに気付いている筈はあり得ないのである。
翻って、瞑想は徹頭徹尾「車軸」にワークする。ワークの焦点は常に車軸にあり、常に中心に在るを旨とする。その修行を定期的に一定期間積んだ後は、何と接触しようが万事が車軸への更なるワークの貴重なチャンスとなる。つまり如何なる状況下でも「中心に在る」修行へと転じる。中心無しに外界との接触は許されない。「まず車軸ありき」が瞑想なのだ。
ならば当然、瞑想技法に取り組みつつの気付きであれば理想的な訳だが、先の理由から、“気付き”を口にする人で、瞑想技法にシッカリ取り組んでいる人は極めて少ないのだ。気付きとは、普段の実生活の中で実践可能な技法だが、それは、
●「中心に在ること」を絶えず怠らない者の外界との接し方、在り方
のことであって、そうでないちゃらんぽらんな者が安易に猿真似できるものではないという事を明確にしておくべきである。一日にたったの5分も独り中心に落ち着こうとさえしない者が、激動の世間で「気付き」を保てるハズはないのである。こう言ってもいい----水面しか知らない者は、深みとは無縁。
●「気付き」とは、充分中心の座った人にのみ許される副次的ゆとり現象であり
● 瞑想に正面切ってぶつかった者に、何処からともなく現れる恋人だ
それ以前ではあり得ない。中心の坐った人は何をやろうが意識がやっている。中心のあやふやな人、中心の何たるかを未だ知らず、ろくに瞑想すらしない人の言う“気付き”は、継続せず、深まらず、気付きへの留意さえままならず、せいぜいが、たまに思い出す瞑想ゴッコ、その場しのぎの言い訳にまでなり下がる。
● 外に出た瞑想が気付き / 内に入った気付きが瞑想である
しかし何かが外に出るには、まず内になくてはならないのは自明の理である。
中心に至るに於いて、瞑想は直接的、気付きは迂回的にして非効率的だ。いわゆる“気付き”のみで中心の了解に至るのは殆ど不可能だろう。独り徹底して中心に親しむ瞑想修行がどうしても不可欠なのだ。
いずれにせよ、修行者の真摯な姿勢あってのことである。真摯な姿勢とは何か。それは、思考・感情(=タイヤ)との同一化を断ち、中心として在り続ける留意を持って瞬間瞬間覚めて在ること、即ち
● 常に「純粋意識」として在り続けようとする決意のことである
(いったい気付きに瞑想修行が不要だなんて誰が言った・笑)
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