桜工房(だったところ)

桜工房(だったところ)

#6



 初めての人間の学校での授業は、ハルカには実に刺激的な内容ばかりだった。
 教会で、神父様のお説教を何時間も聞かされるよりも、延々と聖書の内容を書き写すよりも、人間の世界の授業は面白かった。
 そして今、ハルカはシオンに連れられて学園の施設を案内してもらっていた。
 教室を出るときシオンは、ミオから4時までに戻るよう言われていたようだったが。そのとき通りかかった時計台広場の時計塔の針は、5時を指そうとしている。学園の広さが半端なものではなく、施設を紹介するのに手間取ることにはこれまでで充分頷けるのだが。どうやらそれだけではなさそうと、ハルカは薄々気づき始めていた。
「あ、あのぉー。リーダーさん?」
 ハルカは恐る恐る、スタスタと前を行くシオンに尋ねる。
「シオンで良いわ。何かしら?」シオンは髪を払いながら振り返る。
「は、はぃ。あの、時間なんですけどぉー」
「時間? あら、ハルカさんこれから何か予定があるのかしら?」シオンは首をかしげた。
「い、いえー。私ではなくて、リ、シオンさんがぁ」
「私? 今日は予定がないはずよ」
 シオンはとぼけた顔をする。
「あぅ。ミオお姉ちゃんが言ってましたよぉ…」
 最初の失敗以降、ハルカは意識的にミオに「お姉ちゃん」と付けるようにしていた。
「ミオが? 何を?」シオンはにっこり笑みを浮べた。
「あぅあぅ…」ハルカは何も言えなかった。

 と、そこに顔の高さまで積み上げ分厚い本を抱えた少女が、よろよろとやって来た。
 見覚えのあるリボンで結わえたポニーテイルに、直ぐにハルカは相手が誰か気がついた。
 クラスメートで席が隣同士のカナエである。
「カナエちゃんだぁ!」
「え…! 誰ぇ? て、あ、あぁ! バランスがぁー!」
 声に反応したせいか、カナエの抱える本の山が一気に崩れシオンに降り注ぐ。
「あら! これは大変ねぇ…」
 と落ち着いた口調で言いながら、シオンは目にも止まらぬ速さで、振ってきた本をすべて掴んで元のように積み上げた。
「うわぁ…。すごいですぅ」ハルカは思わず手をたたいていた。
「ふぅ。気をつけなさいよ、カナエ」シオンはため息を吐く。
「あ、ありがとぉ、シオンさん…」カナエは地面に座り込みながら頭を掻いた。
「いえいえ。怪我はないかしら?」
「う、うん。大丈夫。あはは…、失敗失敗」
「あぅ、急に声をかけてごめんなさいぃ」
「あー、気にしなくていいよぉ。私がムチャやっただけぇ」
 カナエは立ち上がり、ぱんぱんと膝を払った。
「そうね。今のは、カナエの方が悪かったかな」シオンは言う。「あなたは体が小さいのに、こんなに本を持って。頑張りすぎるのよ」
「えへへ」カナエはめがねの奥の目を細める。「そーなんだよねぇ。お仕事だと思うと、ついー」
「お仕事ですかぁ?」ハルカは首を傾げた。
「うん。私、学園図書館で係員をやってるんだよ。言わなかったっけ?」
 ハルカはふるふると首を振る。
「聞いてないですよぉ」
「そか。じゃあ、そういう訳なのよ」
「へぇ、カナエちゃんは本が好きなのぉ?」
「うん、本は大好きだよぉ!」カナエは微笑む。「本は面白いよぉ。読んでいると、別人になれる気がするもん!」
「へぇ!」
「カナエ、それよりいつまで私はこれを持っていればいいの?」シオンは面倒くさそうに言う。
「あ、うん。ごめんねシオンさん…」
 とカナエは、シオンから本を受け取ろうとして、機と気がついた顔をする。
「って、シオンさん! まだハルカちゃんの案内してたのぉ!?」
「え、えぇ…」シオンは、ばれたかという顔をした。「そうだけど?」
「ちょっと、ちょっとぉー! 案内は4時まででしょ? もう5時じゃん! ミオさん、きっと怒ってるよぉ!?」
「あー、そうかもねぇ」シオンはぽりぽりと頬を掻いた。
「またサボる気ねぇ? ダメだってそんなの!」
「あー、えぇ。そ、それよりもさ。ほら、また本を落とすといけないから。私が図書館まで持っていこうかしら?」
「あぅ。そ、それなら私が半分持つよぉ、シオンさん! 早く教室に戻ってミオお姉ちゃんに謝ってぇ!」
「え…?」思いがけないハルカの言葉に、シオンは驚いた。
「そうだねぇ! それが良いよぉ。ハルカちゃんお願いできる?」
「あぃ!」ハルカは元気良く返事した。
「て、ことでぇ。シオンさんいってらっしゃい!」
「いってらっしゃーい!」

 二人に促され、結局、シオンは渋々教室に戻ることにした。
 夕日の沈む中、肩を落とす彼女の様子は実に憂鬱そうだった。 


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: