桜工房(だったところ)

桜工房(だったところ)

#11



 夕日に赤く染まる教室の中。

 シオンは、一人で机の上に乗った山のような書類に目を通しつつ、手馴れ様子で報告書にサイン等の記入をしていた。普段は不真面目そうに見えるが、実は仕事をやらせたらまったく無駄がなく、手際の良い仕事ぶりを見せる彼女だ。
 仕事を始めてからまだ数分だというのに三分の一くらいの書類が片付いていた。
「ふぅ、まったくどうしてこんなに無駄な書類が多いのかしら。うちの学園は…」
 シオンは肩をコキコキと鳴らし、ぶつぶつ独り文句を呟く。

 生徒に自主性を、という理事長の教育方針の下。聖エルダー学園では、学園での取り決めのほとんどを生徒たちで行っている。だがなにぶん広い学校である、小さな街くらいの人間がいる学園で、多くの生徒からの意見を取り入れ反映させていくには、各クラスのクラスリーダーの存在はとても重要なものだ。
 やる気があることはもちろん大切だが、ある程度の能力も要求される。それがクラスリーダーなのである。
 シオンの場合は後者、能力を買われてリーダーに抜擢されたタイプだ。
 文武両道、容姿端麗、その上実家はお金持ち。天は二物を与えずというが、誰もがうらやむ能力を兼ね備えたシオンがリーダーに選ばれるのは必然ともいえる。
 初めのうちは、当然ながらリーダーになることを嫌がったシオン。しかし、ミオやカナエの説得もあって、今日のように文句をいいながら何とか仕事を続けているのである。

 ふと、シオンは窓の外に気配を感じてそちらを見た。
 巣に帰るのだろうか、水鳥の一団のシルエットが茜色の空を横切っていく。
 前に見た光景だ、と彼女は思った。
 そう、あれは――

 シオンの実家は、大陸の東にある帝国の有力な貴族である。
 子供のころから何不自由ない生活を送ってきた。だが高台にある広い屋敷の外から出ることはほとんどなく、広い庭は高い塀に囲まれ登ることも出来なかったので。自室の窓から望める下町の様子が唯一外と繋がるものだった。
 深夜の真っ暗な闇に包まれた街を、朝日が昇って次第に活気付く街を、夕日が沈み赤く色づいていく街を、そして小さな生活の灯で満ち溢れる街を――街に住む人間には当たり前の繰り返しが、シオンには面白くてたまらなかった。飽きずにいつまでも見ていた。
 そして、シオンは鳥に憧れた。
 どこへでも自由に飛んでいける鳥を、お気に入りの窓からいつも見ていた。

 両親を説得して学園に来てから、シオンは欲しかったものを手に入れた。
 憧れの街での生活を。
 現在、彼女は多くの生徒が入っている学生寮ではなく、街の小さな借家を借りて一人で生活をしている。寮生活も楽しそうだが、集団生活よりも一人で何でもやってみたいという気持ちの方が強かったのだ。それに寮生活を体験したければ、ミオのところへ転がり込めばいい。
 口には出さないがシオンは、友人であるミオやカナエに対して感謝しなかったことはない。中でもやはりミオの存在は今では貴重なものだ。なぎなたと合気道の達人でもあるシオンが本気でやりあえる唯一相手が彼女であるからだ。そんな強敵(トモ)も学園に来なければ得られなかっただろう。
 まだ口に出して言ったことはないけれど、いつか彼女たちに「ありがとう」を言おうとシオンは心に決めていた。

 そんな学園で得た多くのものに対する感謝の気持ちを考えれば、こんな書類の山くらいどうってことはない。
 一時間も経たないうちに、シオンはすべての書類の確認と報告書を完成させていた。
 ふぅと深く息を吐く。

「終わった…?」
 不意に後ろからかけられた声に、シオンはぎくりとして振り返る。
「…ミオ!? いつから?」
「んー、三十分くらい前からかなぁ」壁に背を預けていたミオは、あくびをしながら答える。「すごく集中していたから声かけられなかったよ…」
 シオンは一瞬、胸が熱くなりつい感傷にかられたが、直ぐに普段の調子に切り替える。
「あら、もっと早く声をかけてくれれば良かったのにねぇ」
「そだね。そしたら十分は早く終わった?」
「冗談、『遅く』の間違いでしょ? おほほ」
「何だとぉ?」ミオは壁から背を浮かせる。「もう! こっちは学園中、君を探してだねぇ」
「ふふ、そう? お疲れ様でした」
「やれやれ…。待つんじゃなかったよ。待ち時間はすっぽかす、探しても見つからない、あげく一人で仕事を終わらせる。今日はお仕事がある日だったのに、すっかり遅刻だぁ」
 ミオは一息に文句をいった。
「お仕事? 例のボランティア?」シオンはいぶかる。
「そーだよ。手の開いている時でいいと言われているんだけどね。できれば毎日、行きたいんだけどね…」
「ふぅん? そうでしたか。で、もしかして手に提げている紙袋は制服なのかしら?」
「ん? あぁ、そうだよ」
 ミオは自分自身で紙袋を提げているのを忘れていたような様子だった。
「見せて? そういえばまだ見せてもらっていなかったわ」
「いいけど…」
 断る理由もなかったので、ミオは紙袋の口を開く――
「あれ?」
「どうしたの?」
「いや、制服が…」
「うん?」席を立ちシオンはミオの紙袋の中を覗き込んだ。「あら!」と思わず声を上げてシオンは嬉しそうな顔をした。「可愛らしい制服じゃないのぉ。私好みよ!」
「え、えぇ? そんな、なんで?」
 ミオは驚きのあまり頭が真っ白になるが、袋の中身に夢中のシオンには気づく様子はない。
「でも、これ貴女には少し小さくないかしらぁ?」

 袋の中身は、ひらひらのフリルの付いたメイド服だった。


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