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2017年04月30日
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カテゴリ: 日蓮正宗
大白法2月16日(951)号より。


【なぜ日蓮正宗と他の宗教を一緒に信仰してはいけないのか】


 信仰は、もっとも勝れた宗教を選び、誠実で清らかな信心を貫くことが大切です。
 たとえば一本の牛乳に、一滴の毒を混ぜたならば、いかに養分があるからといっても、あなたはその牛乳を飲むことはできないでしょう。

誠実で清らかな信心て、どこの集団がいってるのやら?

【誠実】
偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま。

【清らか】
けがれのないさま。よごれやにごりがなく澄んでいるさま。

日蓮正宗は、偽りだらけ。不真面目で真心は感じられない。

穢れきってるし、汚れて濁っている。
だから、冗談でも「誠実で清らか」と似合わない集団だよ。

で、牛乳嫌いだから最初から飲まない。
まして、カルトと言う牛乳など飲みたくもない。

あと毒とか言うけど、毒も薬になる。
そもそも薬とは、服用を間違えれば毒になる。
また、「変毒為薬」て好きで使ってるでしょ。
日蓮という毒も仏教という薬に巡り会う切っ掛けになれば変毒為薬だよ。
もちろん、日蓮信仰という偽坊主の仏教を離れた場合ね。
染まったら、惨めな末路が待っている。



 これと同じように、正しい宗教と邪まな宗教を混同して修行することは、せっかくの正しい信仰の功徳を消し、かえって苦しみを受ける結果になるのです。
 釈尊は「四十今年末顕真実」と説いて、最後の八ヵ年に説かれた法華経以前の経々はすべて複数(仮りの教え)であるから用いてはならないことを明かされています。

正宗の坊主でさえ、本気で云わないぞ。
立て前としては言うけど、法華経がと詰め寄ると「思う」「信じている」て言うだけで、学説的事実を無視してる。
それを釈尊がて釈尊はしならい法華経。
こんな邪義を広めている大白法って大丈夫か?
もう、この時点で誠実ではないではないか。


 ところが真言宗、念仏宗をはじめ、他のほとんどの宗派はこの四十余年間の経に依っているのですから、これらの教えを法華経の真実の教えに混じえてはならないのです。
 それは良薬に毒を入れ、すべてを毒薬にしてしまうようなものだからです。
 日連大聖人はこのことを、「法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し」 (秋元御言・御書一四四七ページ)と戒められています。

日蓮が尊敬している天台大師が朝題目、夜念仏を唱えていたでしょ。
亡くなるときも念仏だ。
て、日蓮自身、念仏を唱えていたではないか。
起請文でも明らかだけど、日蓮本仏だと「南妙法蓮華経」は、仏の名前て言ってるではないか。
それなら、仏の名前を念じているのだから念仏とも言えるぞ。
大白法の編集者も顕正会と変わらないな。



 大聖人の教えは、末法のすべての人々を成仏に導く唯一の大法です。


あのさ! 下痢で亡くなった人が他人を救えるのか?
まして、幽霊になって弟子の前に現れて助けを求めて居るではないか。
え!異流儀他門流の伝説だからと言わないでね。
大石寺でも伝説・伝承を根拠にしながら他はダメとかいうのは、誠実ではないからね。

そして、日蓮の教えは、成仏に導くと言うより、執着という物を塗り固めるから、地獄とか三悪道に落ちる因になります。



 また大聖人が、「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地役にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」 (曽谷殿御返事・御書一〇回○ページ)と説かれているように、いかに正法を持っても、ほんの少しでも法に背くことがあれば、あたかも千杯の漆に一本の蟹の足を入れて、漆の効用をなくしてしまうようなものであり、堕地獄のもとになるのです。

 正しい仏法は、余事を混じえずに信仰しなければ、なんの功徳もありません。
 大聖人が、「此の南無妙法藻草経に余事をまじへば、ゆヽしきひが事なり」(上野殿御返事・御書一二一九ページ)と仰せのように、成仏の大利益は、日蓮正宗の仏法に余事を混じえず、清浄な心をもって信じ行ずるとき、初めてもたらされるのです。
(正しい宗教と信仰 三二三ページ)

女犯を犯してる坊主もどきがいってもね。
日蓮正宗の自称僧侶。
宗祖日蓮を筆頭に全員が、私度僧の集団。
コスプレして頭を丸めているだけの在家ではないか。
こんなのに布施しても功徳にすらならないどころか、謗施になるだけ。
仏法誹謗の集団に布施など悪因を積むだけだよ。


【折伏実践のために】

【正しい信仰を見極めるには】

 人は、信念を基として生活を営みます。そしてこの信念こそ、信仰によって確立されるのです。
 ですから、一人ひとりの信じる教えの善悪・勝劣が、私たちの幸不幸として厳然として現われます。


【信念】
1 正しいと信じる自分の考え。「信念を貫き通す」「固い信念」
2 宗教を信じる気持ち。信仰心。
正しいと信じているからて根拠も何もないのは、妄信といいます。
カルト特有の信念を持って信仰をとかいうんだよね。

善悪、勝劣とかいうのなら、論証が出来る。
しかし、論証もまともにできないのが日蓮正宗の信仰。


 故に、本文冒頭の通り「もっとも勝れた宗教を選び、誠実で清らかな信心を貫くことが大切」なのです。
 宗教を選ぶには、判断基準が必要になります。
仏教ではその判断基準を「教相判釈(教判)」と呼んでいます。
 日蓮大聖人様は、五重相対と五重三段という教判によって、一切の教えについて浅深と勝劣を比較判定されています。それによって導き出された法華経本門寿量品の文底に秘沈された仏法こそ、唯一の真実の教えなのです。

教判とかいうけどさ、日蓮の視点の教判でしょ。
他の宗派は他の宗派の視点の教判がある。
ぜんぜん、説得力がない証明でしかない。

まして「法華経本門寿量品の文底に秘沈」てなんの根拠も論証も、文証もない。
日蓮が勝手に脳内妄想で言ってるだけのこと。
違うというのなら証明して下さいね。
論証で証明すればいいだけ。
でもできないで、正しいとか言うのだから自己中な我が儘というのです。



 この真実の大法に毒を加えたり、真正の宗教を見えないように覆ってしまう宗教を信じることは、あたかも五里霧中の迷妄の中へ自ら進んでいくことと同じです。

 唯一の正法たる日蓮正宗の信仰に不幸の根源たる邪な宗教を雑えて信仰することが、いかに間違いであるかを知っていただきたいと思います。

正しい釈尊の教えを歪めているのが日蓮の教え。
釈尊は一言も「南妙法蓮華経」がとか言ってない。
不幸の原因は日蓮の教えになる。
諸天に申しつけて、蒙古を焚きつけて日本を攻めさせたんでしょ。
国賊ではないか。


【功徳ある信仰を】

 「初詣は神社、結婚式は教会、葬式はお寺」と揶揄されるように、日本人の多くは、宗教への認識は曖昧です。
 私たちは、日々様々な事象に縁する中で、喜怒哀楽などの感情や思いが起こり生活をしています。
 折々に「学業成就」「良縁成就」「商売繁盛」など、祈願・祈祷を謳っている神社仏閣に足を運ぶのは、願いを叶えて幸せになりたいからではないでしょうか。

 信仰は、対象となる本尊に手を合わせることにより、感応道交の理の上から、その人の生命が強く感化されるものです。


初詣に寺に行くとかは仏教の教えにはない。
初詣は神道から始まって無節操に取り入れただけでしょ。

祈願、祈祷にしても仏教ではそんな思想はない。
中国を経由して中国思想が混じり、日本仏教と確立して、祈願、祈祷と言う仏教にない思想が混じってしまった。
それを仏教だとか言って、寺で「学業成就」「商売繁盛」などの、祈願、祈祷をして居るではないか。
他宗となんら変わらないぞ。

「信仰は、対象となる本尊に手を合わせることにより」てこれは、仏教だけでしょ。
神道では手を合わせるて、してないぞ。

「感応道交の理の上から」て言うのも、日蓮の魂が入ってるのか知らんが、板きれを拝んでいるから、日蓮正宗、顕正会、創価学会てみんな、気性が荒いんでしょ。


 狐を拝めば狐の性分が現われるように、低劣な本尊や誤った宗教を信仰すると、必ず悪影響が生じ、それが堕獄の因となるのです。
 大聖人様は『曽谷入道殿許御書言』に、「専ら一閲提の輩を仰いで棟梁と恃のみ、謗法の者を尊重して国師と為す。(中略)釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す。不孝の国は此の国なり」(同 七八一ページ)と仰せあそばされています。
 法華講の信心活動は、すべて宗祖日蓮大聖人の御心を心とし、本門戒壇の大御本尊様に対し奉る御報恩の行です。私たちは、仏道修行の目的である「成仏」のため、正しい御本尊様への確信を持って、妙法を実践していくことが大切です。

狐を拝んでいる人は居ない。
宗教とか語りながら無知をさらけでしている。
稲荷のことを言っているのだろうが、狐を拝んでいるわけではない。
狐は神氏(しんし)であり眷属である。
それを拝むことはないのである。
誠実なら嘘を振りまいてはいけないな。

でも、日蓮の板きれを拝んでいるから感応道交、嘘も平気でつけるんだろうね。
違うとか否定しても大石寺三兄弟を見ていれば明らかでしょ。

「釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す」て言いながら、日蓮本仏で、釈尊より偉くして居るではないか。
教主に違背しているのは、日蓮正宗である。
そして日蓮自身が教主と仰いでいるのだから、日蓮本仏論は邪義。
でもね、仏に上下はないのだよ。
みんな同列。序列を付けている所は、邪義を唱えているところばかりでしょ。
「阿羅漢」と「如来」は悟った人では同じだけど、悟りの深さが違うから、上下はあるよ。
ただそれぐらいだね。



【三業相応した信仰】

 仏教では、「身・口・意の三業」が、相応することの大事を教えています。
 身口意の三業とは、身に行うこと、口に言うこと、心に思うことで、これら身口意の働きは、私たちの生活のすべてを尽くしています。身口意の三業にわたって、正しい日蓮正宗の信心修行に励み、悪業を戒めて、善業を積ませていただくことが大切です。

 江戸時代、民間で日本六十六国の観音菩薩に法華経を一部ずつ納めて回ることが広く行われていました。その行者に対して十九歳の市之進という青年が、「口に南無阿弥陀仏を唱え、心に観音菩薩を念じ、諸国に法華経を納めるあなたの身・口・意は相応しておらず、その行いは支離滅裂ではないか」と、筋道の通らないデタラメな信仰姿勢を問い質されたという逸話が残っています。この青年こそ、後の総本山第二十六世日寛上人です。

 日寛上人は『妙法曼陀羅供養抄記』に、「心に本尊を信ずるは意業の供養なり。口に妙法を唱うるは口業の供養なり。身に曼陀羅を礼するは身業の供養なり」(御書文段 六九三ページ)と、身口意の三業にわたった至誠な信心を持つとき、必ず御本尊様の大功徳が得られることを示されています。正しい御本尊様への供養によって、幸せな生活の確立はもとより、成仏という幸福な境界に至ることができるのです。

 せっかく幸せになろうと信仰しているのに、その拠り所がいくつもあっては、自ずと行動(身)や発言(口)も一貫性がなくなってきます。このような信仰姿勢では、たとえ正しい御本尊様を信受していても、邪な道理を説く宗教の毒を雑えてしまうのですから、本来得られるはずの功徳も戴けません。

謗法与同の法主、日寛さんの逸話?
どうせ、盛り込んでいるだけでしょ。
幕府の責めが恐いから他宗と同座して、折伏も破折もしてない。
仙台で揉め事があったら、慈悲深く知りません。と見捨ててしまった。
法難に合うのが恐いから、幕府の言うことを聞いておとなしくしていた。


【余事を雑えず正直な信心で】

 御法主日如上人猊下は、「人は、とかく理屈では解っていても、わずかな欲望や魔緑にたぶらかされて、刹那的な快楽や名聞名利を追い求め、大事な時間を無駄にして、挙げ何の果てに、一生をむなしく過ごしてしまうことが多々あります。
  こうした惰弱(だじゃく)なる命を強靭な命に改変していくことができる唯一の道こそ、大聖人の仏法であります」(大白法 七〇五号)と御指南されています。
 私たちは、他の宗教という余事を雑えず、正直な一念で、勤行・順順、折伏・育成に励んでまいりましょう。

日如さんの言葉は、説得力0だよ。
名聞名利を求めた、建物行政を強行して実績作りに躍起になっている。

折伏折伏と言うけど、言ってる本人は、折伏に役に立つことをしたか?
しているか? 率先してお手本を見せる立場が何もしてない。
布教部長も口先だけで、何もしてないではないか。
無能な人間で権力を握ると、口先ばかりなんだよね。

自分の弟子が不祥事を起こしても知らぬ存ぜぬ。
女性に暴行を加えた時点では、弟子だよね。
なら、師匠として申し訳ないと謝るぐらいはするべきでしょ。

また、弟子が自殺しても葬儀にしら参加しない。
弟子の成仏を願って師匠自ら引導を渡してあげるべき事ではないか。
それすらできないで、法主と偉ぶっていてもむなしいだけの畜生ではないか。
池田さん、淺井さんとか言ってもそれ以下だぞ。
この行動だけは、人として最低限以下、クズだね。



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最終更新日  2017年04月30日 21時05分14秒
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