海の散歩道

生活保護を申請するまで【海の場合】


書いてみようと思います


平成15年5月
三男を妊娠中、仕事をしていましたが
産後、数ヶ月仕事ができなくなることを危惧し
市の総合福祉相談室へ生活保護の相談をしにいきました。
でも、『お腹の子の父親の家に転がり込めばいいじゃないか』 と
跳ねつけられました。


平成15年7月
それまで勤めていたバイトを辞める
知人が出産費用をだしてくれることになり
知人に頼み、早めに振り込んでもらい
それで当面は生活していた

この月、長男がはじめて『児童相談所』 に保護される。


平成15年9月
三男出産
出産費を生活費に回したことで
退院時にお金が払えず、病院ともめた
県庁の中にある『医療相談窓口』 に病院の公衆電話から電話して
相談したら市に『高額医療貸付制度』 があると聞き
早速市に電話した。
あたしは帝王切開での出産だったため
52万の出産費用のうち9万円は『高額医療費貸し付け制度』 でまかなえた。
30万は市からの『出産育児一時金』 で。
残りは市からの『生活一時資金貸付(10万円)』 や
社会福祉協議会からの『善意銀行貸付(5万円)』 とで賄った。
(どちらも無利子で1年以内の返済が条件)


平成15年10月
三男 生後1ヶ月
生後2ヶ月からの乳幼児でも預けられる保育園を探し
市の保育課に相談に行く。
市側は『今、みなさん待ってる状態なので・・・』と言われ
あたしは相談室でかっとなり
『生活保護も受けられないで、保育園もダメなら死ねって言ってるのと同じじゃないか!』 と相談員にくってかかった。
結果、11月から預けられることになった。

このころから自分で『精神的におかしい』 と気付き
『児童家庭課』 で親しくしていた方に病院を紹介してもらい
はじめてメンタルクリニック で受診するも、医療費のことを考えると足は遠のいた。


平成15年11月
三男 生後2ヶ月
8時~18時までのガソリンスタンドでのバイトを見つけ働く。
産後の身体にはキツイ仕事だったけど、『児童扶養手当』 しかもらえないあたしには
贅沢は言っていられなかった。
少しでも時給の高いところに勤めないと・・・。


平成16年1月
この月、長男が児相から自立支援施設 へ移送された。


平成16年3月
三男 生後6ヶ月
『喘息様気管支炎』で10日入院。
24時間看護をしてもらえたので、とりあえず仕事には行けた。
でも、毎日8時~15時勤務に変えてもらったことで収入が減る 。


平成16年5月
三男 生後8ヶ月
再び『喘息様気管支炎』で入院。
当初は10日間程度の予定だったが、治りかけの所で風邪をもらってしまい
結局1ヶ月間の入院。
収入は激減 した。

2回目のメンタルクリニック受診。
主治医からは『生保を申請してください。病院からの口添えもしますから』と
しきりに勧めてくれた。
でも、あたしは申請をしなかった。


平成16年7月
三男 生後10ヶ月
三度目の入院。
収入が減る中で、家賃も滞納するようになり、精神的にもう限界でした。
三男の見舞いに行く途中、『総合福祉相談室』 にもう1度
『生活保護』 の申請ができないか電話してみた。
たまたま電話に出てくれたのが今のCW。
CWはあたしの話に耳を傾けてくれ
『1度、こちらに相談に来てください』と言ってくれた。

後日、仕事の休みをもらって相談に行った。
電話に出てくれたCWとは別にもうひとり男性がいた。
CWは優しい口調であれこれと尋ねてきた。
あたしは泣きながらだったけど、なんとか話をすることができた。
ふたりの質問は三男の父親からの援助はしてもらえないのか、
と言うものに集中した。
CWが部屋を出た隙に、もうひとりの男性があたしに言ってきた。
『その人に嫌われたくなくて、援助を申し出られないんじゃないの?』
あたしはその一言に反論しようと
『今はそんなことを言ってる場合じゃない・・・』と言いかけたところで
ひどい過呼吸 に陥った。
慌てた男性が飛び出していくと、入れ違いで入ってきたおばさんが
ビニール袋をあたしの頭にかぶせ、血圧計で血圧を測り脈をとっていた。
『今日はもう相談を打ち切ってください』というおばさんの一言で
その日の相談は終わった。
CWが『申請を検討します。後日連絡させてください』と言った。
それから30分くらい、部屋でひとりにしてもらい
落ち着いたところで帰らせてもらった。


その数日後、精神的に極度の不安状態にいたあたしは
はじめてODをして、救急車で運ばれた。


会社には自分がうつ病であることを話した。
薬を飲んでいるからお客様の車の運転も辞めさせて欲しいと話した。
話した上で、生活保護を申請するから辞めさせて欲しいと言った。
会社側は了承してくれ、7月いっぱいで辞めることになった。

病気のことをカミングアウトしたことで、色眼鏡で見る社員も居た。
でも家族や友人にうつ病を抱えた人が居る人達は理解してくれ
あたしも車の移動はできないけど、それ以外のことには全力で仕事ができた。


平成16年8月
申請に向けた準備 が始まった。
両親や兄貴への報告。
(『家族からの援助はできません』と送られてくる用紙に書くようにも話した)
6年乗り続けた愛車の廃車処分。
児相、施設への説明。

中旬になってCWが申請のために家に 来てくれた。
これは後日聞いた話だが、普通なら市役所での申請になるところを、わざわざ家に来てくれたのは、あたしが過呼吸を起こすんじゃないかという思いがCW自身にあったらしく、上司にも相談して家での申請手続きをすることになったらしい。
申請は滞りなく進み、9月には申請がおりて、8月分から受け取れることになった。




あたしは今、生活保護を受けながら病気の治療をし、子供達と生活しています。
長男も今年の3月に施設から戻ってきました。
三男は『病気治療中』ということで保育園に預けることができています。

あたしの場合はある意味『特殊』なケースらしいです。
三男の父親からの援助が条件でないと、申請はできなかったようです。
あたしが相談に行った後日、彼自身も市役所に足を運び、話をしたらしいですから。


市民にとって市役所はちょっと敷居が高い ように見えるかもしれません。
職員によるかもしれませんが、少なくともあたしは救われました。
生活保護 だけでなく、無利子での貸付 や、医療費補助の制度 もたくさんあります。
なにか困ったことがあれば、相談してみるといいと思います。
お役所仕事なので、時間も掛かるし、書類も面倒ですが力にはなってくれると思います。


今でも担当のCWは毎月1回の訪問を欠かしません。
家にくれば、2時間は話し込んでいます。
ほとんど雑談ですが・・・。
それに、本当なら市役所で手続きすることもできることは全て家でしてくれます。
(あたしが過呼吸を起こさないようにとの配慮からです。)
なにかあれば、担当外のことでも相談に乗ってくれます。


どうかひとりで抱え込まないでください。





June 4, 2005 11:33:20






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