「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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4月放送分
♪毎日モーツァルト♪
4月放送内容
<4月3日>第46回家族への愛 ヴァイオリンソナタ変ホ長調K302
1778年22歳
この曲はマンハイム・パリ旅行のさなか1778年に作曲された。ダイナミックな構成と独特の陰影を持つ堀の深い作品。
1778年7月3日母マリア・アンナが旅先のパリで亡くなった。その日の夜、父と姉に書いた手紙では母の死を伏せていた。しかし、ザルツブルグの親友ブリンガー神父には真実を知らせていた。
父レオポルトはこの親友を通じて真相を知った。そして「私はもう愛するお母さんが天国にいることを知っている」と手紙を送った。
モーツァルトは母の死から六日後、初めて家族に真実を知らせる手紙を書く。
母を亡くした絶望の中、家族への愛がモーツァルトの支えだった。
< 4月4日>第47回衝心を癒す恋 アリア「テッサーリアの民よ!私は求めはしません、不滅の神々よK316
1778年22歳
1778年7月母の死の悲しみをぬぐい去ろうとするかのように、遠くマンハイムにいるアロイジアを想い、一曲のアリアを作曲する。音域の広いアロイジアのために高音を生かした技術的な曲。
このアリアは古代ギリシァ、テッサーリア国の王妃が重い病を患った国王を救うため、自らいけにえになる覚悟を歌う。
母の死の後もパリでの就職活動は一向にうまくいかない。モーツァルトは父と旧知のグリム男爵の家に身を寄せる。当初は熱心に支援してくれた男爵も愛想を尽かし始める。グリム男爵は父レオポルトにあてて、パリでの就職が難しいことをほのめかした手紙を送る。
9月末男爵は、帰郷を渋るモーツァルトを郵便馬車に乗せてパリから送り出す。しかし彼が向かったのはザルツブルグではなく、パリを発って二ヵ月後彼の姿はマンハイムにあった。
愛するアロイジアとの再会を願ってマンハイムにたどり着いたモーツァルト。しかしそこにアロイジアの姿は無かった。
<4月5日>第48回 失恋 ヴァイオリンソナタニ長調K306
1778年22歳
旅の途中で書かれたこのヴァイオリンソナタはヴァイオリンとピアノが静けさの中に哀調を帯びた旋律を奏でる。
アロイジアとの再会を心待ちにしていた。カールテオドール選帝侯がバイエルン選帝侯を兼任する事になり、大抵の宮廷音楽家達もミュンヘンに移った。アロイジアも家族とともにマンハイムを去った後だった。モーツァルトは一人落胆の日々を送る。
父からは帰郷を命じる手紙が届いていた。モーツァルトはアロイジアが暮らすミュンヘンの街へ。
クリスマスの夜にミュンヘンに到着する。そこでアロイジアと再会を果たす。しかし、ミュンヘンで成功したアロイジアにはかつての面影が無く、彼への態度は冷たかった。
名声も収入もモーツァルトをはるかにしのぐようになったアロイジア。その心は既に離れてしまっていた。
冷たくあしらわれたモーツァルトは父に手紙を書く。
故郷へアロイジアを連れて帰ることさえ考えていたが、想いも寄らぬ失恋に心は打ちのめされていた。
<4月6日>第49回 旅の終り ヴァイオリンソナタト長調K301
1778年22歳
1778年12月モーツァルトはひとりミュンヘンにいた。モーツァルトは選帝侯妃エリザベートに一つの作品集を献呈する。その中の一曲がこの曲である。ヴァイオリンの個性を生かした伸びやかな旋律を持つ。
就職活動が目的のこの旅で全く成果を挙げられなかった。エリザベートへの曲の献呈にわずかな望みを託していた。エリザベートから手厚い待遇を受け、就職の期待を抱いた。
しかし、就職の日を迎えることは出来なかった。失意に沈む彼はこのころ夢について語っている。「安らかな夢、元気付ける快い夢!もしそれが本当に実現したら」
そんなモーツァルトの心に差し込んだ一筋の光。それはミュンヘンを訪れた従妹ベーズレだった。気心の知れたベーズレとの過ごす一時。傷ついた心は癒された。モーツァルトは一年四ヶ月のたびを終える決意をした。
ザルツブルグで待ちわびる父に手紙を書き送る。
<4月7日>第50回 姉ナンネルとの再会 ピアノ協奏曲第10番変ホ長調K365
1779年23歳
1年4ヶ月ぶりに故郷に戻った。モーツァルトは久しぶりに家で家族と暮らした。この曲は帰郷後最初の作品といわれる。姉ナンネルと共演するために作ったもの。
幼いころピアノを見事に弾きこなし、弟と同様「神童」と呼ばれたナンネル。モーツァルトは演奏旅行に出るたびに姉に新しいピアノ曲を書き送っていた。
二台のピアノが明るく軽やかな旋律で対話する。この作品からは、気心の知れた姉と弟の再会の喜びが感じられる。
母の死と失恋の痛手に就職の失敗は重なり、モーツァルトの心は晴れない。
1775年、宮廷劇場として設立されたザルツブルグ州立劇場。設立当初から今日に至るまでモーツァルトの作品を上演し続けている。
モーツァルトとナンネルはここで、旅回り一座の喜劇を観賞した。大規模なオペラ劇場のないザルツブルグでの数少ない楽しみだった。
愛する姉に迎えられたモーツァルトに穏やかな日々が戻ってきた。
<4月10日 > 第51回 宮廷復帰 交響曲第32番杜町長K318
1779年23歳
一年四ヶ月ぶりにモーツァルトはザルツブルグ宮廷に舞い戻った。彼を待ち受けていたのは「宮廷オルガン奏者」の職だった。交響曲第32番はマンハイム・パリ旅行から戻って最初に手がけた作品。伸びやかに盛り上がる旋律と、管弦楽器の巧みな奏法。
二年前の秋、自らの意思で宮廷を辞職したモーツァルト。再び職を得る事ができた。そこには父の尽力があった。息子に帰郷後の職を確保するため、父は大司教コロレドに直訴した。コロレドは寛大に復帰を認めただけでなく、給料も以前の三倍に上げることを約束。ゆくゆくはちちの副楽長職を息子に譲ることも認めたと言う。
旅先で突然母を亡くして半年、父と姉の元に戻ったモーツァルト。ザルツブルグ宮廷音楽家としての日々が新たに始まった。
4月11日第52回 ミサハ長調K317 「戴冠式ミサ」
ザルツブルグでかかれたミサ曲の中で最も名高いこの曲は、1779年の復活祭のために作曲したもの。ザルツブルグ大聖堂で初演された。後に皇帝の戴冠式で演奏されたため「戴冠式ミサ」と呼ばれる。
曲のクライマックスでは、大規模なオーケストラと大合唱が神聖なる間の広がりを感じさせる。大聖堂では今もこの「戴冠式ミサ」が毎年元日に演奏され、ザルツブルグ市民の新年の幕開けを盛大に飾る。
ザルツブルグ時代を代表するこの曲を渾身の力で書き上げたモーツァルト。故郷での再出発を誓うように晴れやかな音楽に満ちている。
4月12日第53回 創作への意欲 交響曲第33番変ロ長調K319
1779年23歳
旅を終えて帰ってきたモーツァルトをザルツブルグの懐かしい風景画迎えた。帰郷して半年後に手がけた交響曲第33番には、モーツァルト円熟期の作品との不思議な一致が見られる。
第一楽章の中で繰り返される旋律は、交響曲第41番「ジュピター」のテーマと符合する。8歳で手がけた交響曲第一番にも現れ、モーツァルトが生涯好んだ旋律。
この交響曲には牧歌的な明るさが満ちている。後世、著名な音楽学者は「モーツァルトの田園交響曲」と呼んだ。
故郷ザルツブルグの日々の中で、モーツァルトの音楽は更なる成長を遂げようとしていた。
4月13日第54回親友の門出 ディヴェルティメントニ長調K334「ロビニヒ」第3・6楽章より
1779年23歳
モーツァルトのメヌエットの中でとりわけ有名なこの曲は、名門貴族「ロヒニヒ家」のために書かれた。この家にモーツァルトも良く訪れた。ロビニヒ家の二人の子供とよく遊んだ。
4歳年下の長男「ジークムント」を”ジーゲル”と呼び親しんだ。三女ルイーゼは父のピアノの生徒だった。
モーツァルトはこのルイーぜに密かに思いを寄せていたと言う。小さいころから仲の良かった三人はよくカード遊びを楽しんだ。
ロビニヒ家の演奏会では小さな手でピアノとヴァイオリンを奏でた。かつてイタリア旅行に出かけた時、「ジーゲルにあったら僕を忘れないよう伝えてください」と姉に言付けた。
ザルツブルグを離れてもジーゲルとの友情は変わらなかった。再会を果たした時、ジーゲルは大学卒業を迎えていた。モーツァルトはお祝いに曲を書き「ロビニヒの音楽」と呼んだ。優雅な美しさに満ちた”嬉道曲(ディヴェルティメント)”はこうして生まれたと言われる。
ディヴェルティメントとはイタリア語で「気晴らし」「娯楽」の意味。一堂に集まった貴族のために楽士が演奏した”お楽しみの音楽”
当時貴族の生活には音楽が欠かせなかった。思いを寄せる女性に音楽でメッセージを送り、誕生日や結婚式など、人生の節目を音楽が華やかに彩った。
モーツァルトは宮廷のために手がける音楽にととまらず、親しい貴族や知人にも音楽を捧げた。
幼なじみとの友情のために書き上げたこの曲が、ザルツブルグ時代を代表するディヴェルディメントの名曲になった。
4月14日第55回 旅えの郷愁 セレナード二長調K320[ポストホルン・セレナード」
1779年23歳
モーツァルトは宮廷音楽家として教会音楽の作曲と演奏をするほか、地元の大学のための音楽作りも重要な仕事としていた。
ザルツブルグ大学ーーーかつて学業を修了する8月に学生達は管弦楽セレナーデを演奏した。それは”フィナール・ムジーク”「修了の音楽」と呼ばれた。「ポストホルンセレナード」はフィナール・ムジークのために書かれた。一年の学業を終えた生徒達はミラベル宮殿で大司教を前に演奏する。こうしてフィナールムジークが幕を開ける。
第6楽章で高らかに鳴り響くポストホルンの独奏。ポストホルンは当時、馬車の御者が吹いたラッパ。帰郷する学生達を乗せた郵便馬車の合図だった。宮殿での演奏を終えた学生達は楽器を奏でながら夜の街に繰り出す。松明をともしながら行進を続ける。大学に到着した学生達は教授の前で演奏する。感謝の気持ちを伝える演奏は、友人や恩師との別れの音楽でも会った。
旅立ちの時を告げて町中に鳴り響くポストホルン。人々が郵便馬車を使ってヨーロッパ中を旅した18世紀当時、いつも旅の傍らにはポストホルンの響きがあった。
愛してやまない旅の魅力をーーー僕は断言しますが、旅をしない人は全く哀れな人間です!---と語った。
4月17日第56回哀しみの旋律 ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364
1779年23歳
この協奏交響曲は1779年夏、ザルツブルグ宮廷楽団のために作られた。協奏交響曲の作曲はモーツァルトの長い間の念願だった。
協奏交響曲とは18世紀後半にパリやマンハイムで流行って音楽の様式。複数の独奏楽器がオーケストラを背景に響きを作る。
帰郷したモーツァルトはヴァイオリンとヴィオラをソロに据えて協奏交響曲を作った。モーツァルトが完成させた数少ない協奏交響曲の一つである。
第二楽章のアンダンテではヴァイオリンとヴィオラがもの哀しい対話をくりひろげる。
1779年オルガン奏者として宮仕えの日々が続いていた。大司教コロレドはイタリア人音楽家を重用した。イタリア人優位だった宮廷楽団で新たなスタイルに選んだのがこの協奏交響曲だった。深い感情表現が異彩を放っている。
この協奏曲は哀しみの旋律に彩られている。
4月18日第57回 魂の歌声 ミサ曲ハ長調K337
1780ねん24歳
このミサ曲は1780年3月ザルツブルグで書かれた。
聖ペテロ教会はモーツァルトが13歳の時「ドミニクス・ミサ」を初演した場所。それ以来しばしばこの教会でモーツァルトのミサ曲が演奏された。倹約・合理化を推し進める大司教コロレドは、荘厳さを失うことなく、ミサ曲の演奏時間を短くするよう命じた。
高らかに歌い上げるソプラノの後に合唱が続き、音楽はクライマックスに達する。モーツァルトは課せられた制約の中、魂の歌声を響かせた。
4月19日第58回大司教の改革 交響曲第34番ハ長調K338
この曲は1780年8月宮廷楽団のためにかかれた。大司教の倹約・合理化の意向はこの曲にも影響を与えたと言われる。モーツァルトは当時、メヌエットを含む4楽章形式で書こうとしていたが、途中でメヌエットを削ったと言われる。
第一楽章の楽譜の裏には、メヌエットの冒頭を線を引いて消した後がある。最終的に「交響曲34番」は3楽章形式となった。
1780年9月に初演されたと言われている。制約の中も、創意工夫をこらした。反復を控え、次々とメロディーが変化していく。短い演奏時間にも拘らず、パリやマンハイムのオーケストラを彷彿させる雄大な作品。ザルツブルグ時代を代表する交響曲の名曲の一つである。
大司教コロレドの改革の下、モーツァルトは葛藤していた。
4月20日 第59回夕べの祈り ヴェスペレハ長調K339
1790年24歳
この曲は1780年秋に書かれた。コロレドの洗礼名「聖ヒエロニムス」の祝日のための曲と言われている。
ヴェスペレとは日没時に執り行われる「祈り」のこと。」
モーツァルト24歳。大司教のため教会音楽を創作する日々が続いていた。
4月21日第60回
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