SAYOKONA  STAR'S

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母と過ごした27年



2015年4月3日夕方6時50分に母は他界し父の所に行きました。



ここでは母と過ごした27年を書きたいと思います。

父は私が22才の時に突然倒れ1週間で逝ってしまいました。 58才でした。
あまりの突然の父の死に、家族は勿論のこと、親戚も近所も父を知る全ての人達が驚きました。母は父の死のあと精神的におかしくなり、冷静を装ってるけど、確かにおかしい...私も若いし兄も結婚、おかしくなってる母を一人にはできず、兄も義理姉も母には随分、気にして来てくれたりしました。

結局私は母のそばに残る人生を送ったのですが、私も若いので私なりの人生を母のそばにいて27年過ごしてきました。
23才から33才までスケートのショーの仕事をしてたことで、母はもともと私の習い事のステージママ的な人だったから、ショーの稽古を観に来たり、日比谷の本番を観に来たりしてるうちに自律神経も治り約10年で精神的なものはなくなって元気になりましたよ。
33才で私がショーを引退。34才の冬にラブラドールの学が我が家に来てからは、今までの私と母の生活は一変!
学が来る前までは、母と夜お台場や六本木や銀座に買い物や食事に行ったり、車で伊豆に旅行ってほどでもないですが、お出かけしたり横浜や鎌倉もよく行ってました。
ハワイも行ったなぁ〜。
学が子犬時代はてんやわんやで大騒ぎ。
その分、家の中も明るくなりましたけどね。
今まで着てた服装が変わり、行く場所は同じでも行動パターンが変わり、今まで行ってた場所に行かなくなった所もありますが、逆に今まで行かなかったような場所に行くようになり...学が来てから母が亡くなるまでの13年は母の余生、母的には楽しかった時間だったと思います。

下田の吉佐美海岸での写真

海のそばで育った母でもさすがにこの歳で学がいなければ砂浜に降りることもなかったと思う。こんな些細な時間も母は楽しかったみたいですね。

母と年の近いオバちゃん達と旅行に行くより学達連れてのお出かけが本当に楽しかったようです。
タラの競技会は初めは母はついて来ず、学と留守番してたのですが、私が薬品の仕事を始めた頃、連発で仕事中に事故を起こしてしまい長距離の競技会場に行くのに私に付き合うようになりました。それがきっかけで、競技会に顔を出すようになって...競技を見るのも、練習会の帰りにみんなで食事に寄ることも、母は本当に楽しかったようです。

学とたらを連れ秋に鶴ヶ丘八幡宮に行ったのが私の中でとても印象に残ってる一コマで...

ここも父の時から、勝負事のお参りに来てた場所だったので学達も連れて来たんでしょうね。

八景島の帰りはいつも中華街に行くので山下公園も寄ったり...

夕方ちょこっと埼玉の彩湖に行ったり...

犬達の為に行ってた思い出は、すっかり母と過ごした思い出になっていたんですね。

こうして見ると学が来てからの母の写真は全てといってよいぐらいに一人の写真がない...
必ず学やタラと一緒の写真ばかり...犬が苦手だった母とは思えないぐらいですよ。
学が来てくれたことで、ある意味私は母をいろんな所に連れて行ってあげられたし、多少の親孝行もできたのかも?と思ってます。

本当は子供達が独立し、そのあと父と二人のんびりゆっくり旅行などしながら余生を送るはずだった母が父の突然の死で困惑し、おかしくなってしまったけど、学が来てからの残りの人生は母そのものが幸せだったと言っていたので、残された私もそばに一緒にいてあげて良かったんだと今は思います。

父が他界してからの27年は喧嘩もよくしたけど、いろんな話もよくした。
周りからは友達みたいと言われた親子だったので、今私一人になっても何故か母が家にいるような気がする時があります。

仕事が終わり家に帰り、玄関の鍵を自分で開けて入る行動そのものが母はいないのですが、玄関を開ければタラとレダが迎えに出て来てる。学が居なくても母が居なくてもリビングにいきテレビを付ければ、居た時と同じ感覚にとらわれる...
母も学もいなくなってしまった家に帰るのは淋しいと思うのではなく逆に居るような気がしてホッとする場所になってるからとても不思議です。
母が他界し2年半が過ぎたけど、もう2年半...まだ2年半...
本当に居ないんだと思えない感じです。

亡くなる前に母は病院で私に『ありがとう』と言った。

『父が他界してからの27年間、私の世話をしてくれてありがとう』と...
ありがとうのセリフは私の方なのかもしれません。


2017年10月15日 記

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