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毎日病院へ通っています自宅から主人の入院先の病院へは混んでいなければ1時間ちょっとで着きます。海岸通りを走り国際村を抜け鎌倉、北鎌倉と抜けていきます。夏の終わりであっても鎌倉は人で賑わっています。怪我をしていなければなんの不自由もなく、笑いさざめきながら古都を散策することもできるのでしょうに。今までは気づかなかったのですが、改めて健康で怪我のないことのありがたみが身にしみます。こうとなっては時間を戻すことも叶わないのですが、「その気になればなんでもいつでもできる」時は終わってしまったかのようです。鎌倉八幡宮を通過する時はその交差点を楽しそうに渡っていく人々が、まるで映画の中の非現実的なワンシーンのように思えて不思議です。ここを過ぎると建長寺から円覚寺前の北鎌倉を通っていきます。昼間のことですから蝉の声が聞こえています。どこまで走っていっても絶えることなく聞こえ、同じ蝉が鳴いているようなので車で走っているのではなく、動かない車の中に座り窓の外の景色だけが、走馬灯のように走り抜けていくように感じられます。病院に着くとそこはまた違った世界に紛れ込んだかのようで、綺麗に隔絶されているみたい。主人と話をして身の回りの世話をしている自分をなんだか自分が見ているような、その現実を受け入れかねているような全てが夢であってもう覚めようとしているような不思議な感じがします。夕ご飯が済んで面会時間も終わると、おやすみなさいをして帰ります。暗くなった道を今度は反対に現実に向かって帰っていくような、家に着いたら主人が「どこへいってたの」と迎えてくれそうな、暗い穴の中に入っていくいうな夜道です。虫の声が絶え間なく聞こえ窓の外を流れていきます。読んでいただきありがとうございました。今夜はゆっくり休みたいと思います。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.31
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相手方保険会社から書類が届きました今日病院へ行こうとしていた矢先、郵便物が届きました。事故を起こした加害者側の保険会社が送付したものです。通り一遍の挨拶に続き怪我が治るまでの対応、その後の慰謝料の話が書いてありました。治療費、通院交通費(退院できないのに)、休業補償、云々。ため息が出ます。主人は給与所得者ではないのに給与所得者用の用紙です。こちらの職業などお構いなしのマニュアル通りの手順なのでしょう。どうしたら良いのか途方にくれます。警察の事情聴取さえ手術後の体でできていないというのに。相手方が100%過失を認めているので治療費はもちろん加害者が支払います。しかし、この事故が起きなかったらできていたこともできなくなる可能性については何も触れられていません。それは怪我が治ってから、損害賠償請の話を進めるときに出て来るのでしょうか。寛骨臼を数カ所骨折し、恥骨も折れている主人に寄り添ってくれているとは思えません。最初の病院では骨がつくまで安静にして治しても、手術をして治しても治る時期には変わりがないので手術はしない、と言われました。寛骨臼の接合手術はときに大量出血を起こす危険性があるので、手術するかしないかは慎重な判断が必要なのだそうです。ですが、主人の骨折の度合いで言えば、手術をしなければ重大な障害が残る危険性も大きかったのだと転院先で聞きました。神経損傷もありうるのだと⋯手術をしても癒合不十分で再手術のことも、人工関節になる可能性も⋯それなのに休業補償は⋯というだけしかないお話です。今日手術痕を見ました。前に3ヶ所、後ろに1ヶ所、太腿にも傷がありました。あまりに位痛々しいのでここに載せることははばかられます。これから辛いリハビリだけでなく辛い闘争になるのでしょうか。悲しいです。だけど悲しみにくれていてはいられません。フルアーマーで戦わなければ。好きな海に出られない今、これからも続く病院生活、自分は何も悪くないのに危険な手術を受けなければいけなかった無念。痛み。私が弱ってはいけません。食欲はありませんが食べなければ。果物とミューズリーを買いました。料理をする気にもなりませんから。権利の主張をするのは苦手な私達です。相手のことを慮って「いいよ、大丈夫だよ」というのが常です。だけど今回はそうしてはいけないと思いました。だから食べます。読んでいただいてありがとうございました。愚痴のようになってしまいごめんなさい。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.31
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一人は寂しい病院から帰って玄関を開けると明かりがついていました。晴れた昨日に太陽光で充電しておいた階段のライトが点いていたのです。事故があってからは外へも出さずにいたのですが、昨日やっと充電できたのです。毎日何気なくやっていたことなのになんでできなかったんだろう。それにたったこれだけの光でもこんなに気持ちが和らぐなんて⋯主人はHCUから病室に移りました。窓が柔らかな丸みを帯びたカーブになっていてとても明るいです。主人は気持ちは元気でしたが、痛みはまだまだのようです。もう介助付きで車椅子に座ったり、足を動かすリハビリをしています。見ている方がハラハラしてしまいます。しばらく一緒にいて帰りました。子供たちはどこかで食事をしていくと言っていました。私は近くのスーパーでお弁当とサラダを買って一人飯です。なんだかワサワサしたところで食べる気がしなくて⋯。完食できるかなぁ。読んでいただいてありがとうございます。心配して優しい気持ちをよせてくださってしんみりしています。早く元気になってほしいです。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.29
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事故にあい主人が入院しましたルンルン北海道旅行をして仕事も済ませ、帰ってすぐのことです。主人が事故にあいました。バイクで走行中、ウインカーも出さずに左折してきた車に激突したのです。とっさに左に切ったのですが、右半身が相手の車に強くあたり、ボンネットの上を飛び越えて反対側に落ちました。すぐに救急車で病院へ向かいました。搬送された病院で検査した結果骨盤骨折で数カ所に及んでいるということです。右腕にも裂傷を負いましたが、脳や脊椎、頚椎には損傷はないと言われホッとしました。主人は手術をして早期に復帰をしたいと希望していました。しかし搬入先の主治医に「体に傷をつけて輸血までしても回復時期はそんなに変わらないよ」といわれ、それなら安静にして骨がつくのを待つか⋯と考えを変えました。すると、しばらく後で整形の主任が来て「骨折が数カ所及び恥骨も骨折している。このまま手術をしないで治すと障害が出る可能性が大きい」と改めて説明がありました。搬入された病院ではそう言った手術の経験がないので、あたふたと受け入れ先を探し、急遽緊急転院となりました。転院先の病院は規模も大きく、整形のセンター長は手術では名医と言われているようです。担当になった医師からこの手術はセンター長がすると言われお任せしました。手術は4、5時間と言われていましたが、9時に入り2時になっても3時になっても連絡は来ません。待っている間は気が気ではなく、何か不測のことが起こったのかと心配でした。その日はドクターヘリが2回も来たり、「大量出血があったようだよ」などと看護士さんたちが言っているのを聞いて私は脈が上がり、測ってみると140台で気分も悪くなってしまいました。やっと執刀医から説明が聞けたのは17時半近くなった頃でした。家族全員が集まっていたのですが、「手術は成功ですよ」と聞いて、フゥと緊張がほぐれました。主人の骨はしっかりしているのでズレを直すのに一苦労したようです。3つ入れるはずであったチタンのプレートは2つになりその他の損傷もプレートで補強しないでも固定できたそうです。あとは主人の回復力に期待して、合併症が起こらないように祈りました。その後数日経ちましたが、リハビリが始まるほどになっています。同年代の他の患者さんよりはおそらく回復は早いだろうとのことです。そんな訳で、これから数ヶ月はプチ(?)別居が続きます。とはいえ毎日お見舞いにはいっているのですが。家族もホッと一息をつき、私もブログを再開する余裕もできました。それにしても、ここのセンター長さんのブログで見た「QOLを考慮しない残念な手術が多すぎる」という意味の言葉が忘れられません。その場の修復を急ぐただの骨接ぎではなく、術後の運動能力の温存を考えてくれるセンター長さんの手術を受けられ幸運でした。私はやっと食事がまともに喉を通るようになりました。主人は手術の翌日から常食をバンバン食べているのですがw。読んでいただいてありがとうございました。次はまた北海道の旅の続きをかけると思います。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.28
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利尻島、礼文島への旅の計画稚内では天候に恵まれず、北限の夕日も見られずじまいでした。それならいっそ利尻、礼文へ行ってみようかと考えました。おいそれとは来られそうにもない北限の離島です。それに来てからずっと雨もよいの天候もきっと良くなってくれるはず⋯と計画にかかりました。利尻島には日本百名山の一つ利尻山があります。白い恋人達のパッケージでおなじみの山です。高山植物もたくさん見られ夕日が美しいペシ岬もあります。利尻山山頂やペシ岬からは兄弟島の礼文島も見えると言います。調べているだけでなんだかワクワクして来ました。問題は宿です。ネットで調べてもハイシーズンのためか予約できるところがありません。しばらく悪戦苦闘していましたがやっと見つけました。利尻島は最北亭、礼文島はユースホステルの桃岩荘です。桃岩荘のあたりは猫岩という奇岩もあり見晴らしの良いところだそうです。水の色がとても綺麗な入江花の礼文と言われるほどあちこちに咲き乱れる花⋯調べているだけでニコニコしている自分がいました。問題はフェリーです。行きも帰りも行けば乗れると稚内の友人が言っていたのですが、観光客も多い夏休みの真っ只中なので予約して席を確保しました。一等なので少し値段ははりますが、ゆったりと旅ができると思えば安いものです。稚内から利尻島、鴛泊港へは10:50分発 12:40着なので1時間50分の船旅。鴛泊港から礼文島の香深港へは15:20分発 16:05分着で45分ほどで着きます。帰りは香深港を13:25分にでて鴛泊経由で稚内まで2時間50分かかる便が取れました。宿へも連絡をしたところ最北亭は港のすぐそばでお迎えなしでしたが、桃岩荘は香深港にお迎えの方が来てくれるとのことでした。用意万端整いました。ほんの二泊三日の駆け足旅行になりますが、この機会に島の雰囲気だけでも感じられたらと思いました。北限の自然溢れる島々ではどんなことが待っているのでしょう。期待に少し興奮気味でなかなか寝付かれなかったのでまた天空の湯へ。ぬっくりと体を温め、次の日からの天候の回復を祈りながら眠りにつきました。読んでくださってありがとうございました。利尻、礼文での観光の様子も読んでいただければ嬉しいです。写真はwikipediaさんからお借りしました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.19
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市内に滞在しノシャップへ稚内市内と宗谷岬の中間にあったペンションを朝出る前に、実はひと騒動あったのです。オーストラリアから一人で来られた女性が支払いで困っていました。クレジットカードが使えず日本円もほとんど持っていなかったのです。ネットで予約した際にクレジットカードでの決済ができないとあったのですが、ネット上での決済がカードでできなくても現地で使えると思ったと言います。ペンションのオーナーも困ってしまっていました。どこのサイトから予約したのか聞いてまずその会社に電話しました。彼女のPCにそのページを出してみると確かにわかりにくい表現です。応答してくれた人にさんざん文句を言って「不明瞭な表記をしたのだからおたくの会社がこのペンションに支払って、後からベスさんに請求しなさいよ」と言ったのですがダメ。仕方なく私が立替払いをして出発したのでした。泣き出してしまったベスさんの旅行を台無しにしたくありませんでしたから。そんなこんなで一緒に宗谷岬へ。とても素敵な写真を撮る方でした。観光が終わって一緒に稚内市内に入りました。宿泊先を聞くとなんと同じビジネスホテルでした。お金の話の顛末は長くなるので、ちゃんと返してもらったことだけをお伝えします。キャッシュを持たずに旅をする人が多い欧米人には何度か出会いましたが、今回はコンビニはおろか銀行や郵便局でもお金を引き出せなかったので難渋しました。一件落着したところでそれぞれのしたいことをするために別れました。メルアドを交換してホテルにチェックインしたら連絡し会う約束をして。さて、15時まではかなり時間がありました。稚内駅周辺は観光シーズンなのに人通りも少なく寂しい感じです。小雨交じりの曇天の上にここまで人がいないと不思議な気分にすらなりました。氷雪の門のある稚内公園まで歩こうかとも思ったのですが、路線バスを利用してノシャップ岬へ行くことにしました。10分位でノシャップというバス停で降りました。ここがまた風がふきすさんで人っ気もなく、小さな看板の矢印が岬の方角を示しているだけでした。歩いて数分寂しいノシャップ岬に到着です。来る道すがらに人気のなさそうな土産物屋や食堂がありました。岬の手前の駐車場のところの観光センターは普通の感じでしたが、中に入って見ると客は私を除いてカップルと親子連れのみという侘しさです。天気のせいもあるのか段々気分も落ちてきてため息が出そうでした。晴れた日の夕方にはきっとたくさんの人が、あの可愛らしいイルカの前で北限の雄大な日没を記念に収めるのでしょうが。強風に髪をなぶられながらくすんだ色の海を眺めて落ち込みそうな気分をなだめました。バイクが何台かついたような音がしたので振り返ると灯台が見えました。赤と白に塗られていると火力発電所かゴミ焼却場の煙突のようで、これでもまた気持ちが削がれてしまい本当にため息をついてしまいました。隣には水族館があるようです。行ってみると「ノシャップ寒流水族館」「稚内青少年科学館」でした。生き物がオリや水槽に閉じ込められているのを見るのはあまり好きではないのですが、せっかくここまできたので日本最北の水族館に入ることにしました。入り口でチケットを買っていると「ゥオッ、ゥオッ」っと声が聞こえます。アザラシでした。館内に入る手前にアザラシのプールがあり、反対側にはペンギンもいました。アザラシたちは見学者が魚の入ったお椀を買って近付くと一斉に寄ってきました。いえ、一頭近寄れない子がいます。その子が鳴いていたのでした。仲間はずれなのかいじめなのかわかりませんが、魚をもらえるポジションに行くことができず鳴いて訴えているようです。気づいた人がその子の方に行くと、他のアザラシが飛んできてその子を外側に追いやっていました。なんだかうそ寒い天気と賑わいのない観光地で萎えそうになっていた気持ちが、また一層冷え込んで行くようでした。中に入ってみると魚の展示はそこそこ充実していました。大きな回遊水槽にはイトウやオオカミウオもいて迫力があります。クリオネもいました。120種類、1300点飼育展示している水族館の隣が青少年科学館でした。なんとプラネタリウムがあるではありませんか!折しもペルセウス流星群が極大を迎える頃なのでその解説もあるようです。心がキラッと光ったように嬉しくなったのですが⋯もう始まっていてなかには入れません。ついていない時ってこんなものなのですね。即即諦めて展示場内へ入って行きました。環境展示コーナーは再生可能エネルギーなどの展示がわかりやすく、小学生くらいの子供たちが参加型のコーナーで遊びながら学習していました。南極展示コーナーもなかなか良かったです。南極の氷に触ってきました。歴代の南極観測船の模型や、南極観測初期の展示物もあったのですが、何と言っても樺太犬のタロとジロの話には胸を打たれました。そろそろチェックインできる時間が近づいてきました。帰りのバス停がわからなかったので入り口の女性に聞くと「きた道を戻ってバスの通る道に出たら右に行ってください。すぐに小屋があるバス停があります」と教えてくれました。その通りに右に行ったのですが、バス停はありません。しばらく行くと右側にバス停があったのでそこで待つことにしました。10分、15分と時間は過ぎて行きました。遠くまで見通しのきく道なのですがバスの影すら見えません。来るとき乗ってきた方向からバスが来たので運転手さんに聞くと、右ではなくて左に行くべきだったということがわかりました。気分の冴えない時というのはこういうものなのですね。ブツブツ言いながらバス停2つ分歩いてノシャップのバス停へ。「なんだよ!降りたバス停じゃないの!?」と力が抜ける思いでした。駅までバスで戻るとホテルはすぐそこです。チェックインを済ませ荷物を置いてホッと一息。最上階には露天風呂もある温泉があったので夕食前に浸かって気分転換です。女性用の露天風呂からは海は見えませんでしたが体を伸ばしくつろげました。お風呂から上がってメールを見るとベスさんからのメールが来ていました。夕食を一緒にとのお誘いです。彼女はクラウンプラザホテルがいいと言っていたのですが、せっかくなので西洋料理ではなく郷土料理の店に行くことにしました。竹ちゃんというお店に行ったのですが、どこから湧いて来たのでしょう?と思うほど人がいっぱいで30分以上待たされました。席についてベスさんのセンチメンタルジャーニーの話を聞き、私も計画性のない北限の旅のことなど話してひと時を過ごしました。そうそう、この後の計画のことを話すつもりでしたがこの次に。訳あってあと2泊しなければいけなくなってしまったのでw。そのいきさつとハラハラの宿取りの模様を書いてみようと思います。読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.18
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たくさんの見所のある宗谷岬本土最北端の地 宗谷岬。条件が良ければ43キロ先に樺太も望めるのですがあいにくの雨です。強い風に吹き付けられて小雨でもかなり濡れてしまいます。前日に泊まった亜留芽利亜の娘さんが案内してくれました。バスの通っていない宗谷丘陵を抜けて岬を目指します。近くには風車がたくさんあるのですが雲が降りてきていてほとんど見えませんでした。全部で57基の風力発電の風車があるのだそうです。この地形は周氷河地形といい肉眼で見える場所は珍しいのだとか。標高20〜400メートルの丘陵地帯は宗谷岬の南に広がり、土が氷河で削り取られた様子がよくわかりました。フットパスも整備されていて、歩いて宗谷岬まで行く人もいるようでした。宗谷岬に近付くと牧場が広がり、宗谷黒牛がたくさん草を食んでいました。このあたりまで来ると行く手に宗谷岬の全貌が見えてきました。1番高く目を引くのは祈りの塔です。1983年に起きた大韓航空機撃墜事件の慰霊塔です。鶴を形取った塔の先端、鶴のくちばしは事件の起きた方角を指しています。台座は羽の形で16段。これは被害者の国籍の数。表面に貼られている石は269個で被害者の数なのだと娘さんが話してくれました。どうしてあのような悲惨なことが起きたのでしょう。国同士の主義主張はともあれ、民間機を撃ち落とすなどどうしてできたのでしょう。あの時の衝撃がよみがえり、亡くなられた方々のことを思うと胸が痛くなりました。側には世界に平和を願って造られた世界平和の鐘もありました。国連本部に一つ、ここにも一つ、石垣市にも一つと合計3つの世界平和に鐘があるのだそうです。宗谷海峡を見下ろす場所には平和の碑と宗谷海域で亡くなった戦没者の慰霊塔がありました。第二次大戦中には民間の商船も含め、アメリカの潜水艦や日本の戦艦の乗組員などたくさんの人たちが亡くなっていると書いてありました。戦争がもう二度と起こらないよう願わずにはいられませんでした。旧海軍の望楼も残っていました。戦争や争いの犠牲者の悲しい慰霊碑や国境の備えの歴史的建造物ばかりでなく、あけぼの像という明るい雰囲気の男女の像もありました。北海道の牛乳生産が100万トンを超え、乳牛の数も50万頭を突破したことを記念して1971年に建てられたのだそうです。ラ・ペルーズ顕彰記念碑もありました。欧州人で初めて宗谷海峡を航行した人だのだとか。宗谷海峡の国際名は彼にちなんでラ・ペルーズ海峡というのだと初めて知りました。間宮林蔵の像もあります。測量具を持ち、顔を樺太の方に向けている像はスックと立って力強く、歩いて日本中を周り、樺太にも行き地図を作っていった意思の強さが伝わって来るようでした。間宮林蔵の像の近くには歌碑そして真ん中にNの字がある日本最北端の地の碑がありました。雨でなければ夕方までいて北限の夕日を楽しみたかったのですが⋯いくら思っても天気ばかりはどうにもなりません。たくさんあるモニュメントを一つ一つゆっくりと周り名残惜しくも出発しました。行き先は稚内市内。これからどうしようか⋯なんの予定も決めていないままのお気楽な一人旅です。さてさて、市内に戻るとどこをどう回るか思案の一夜が待っていました。宿が取れるかさえもわからない心細い状況でしたが⋯続きは次回のブログでお話ししようと思います。読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.17
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予想外の素敵なお宿稚内空港について買い物をしてからペンションに着きました。まだチェックイン時間前でしたが快く入れてくれました。15時を過ぎればお風呂も使えるとのことでした。入ってすぐのロビーは暖炉もあり居心地が良さそうです。何せ急に最北の地の観光を思い立ったのですから、どんなお宿でも仕方がないと思っていたのですが当たりのようです。テラスの外はすぐ海。晴れていれば遠くサハリンを正面彼方に、左手には利尻富士を見ることができるロケーションです。しかしながらの悲しい雨。小雨でしたが眺めは全く良くありませんでした。左手にはここから11キロ先の宗谷岬が霧雨に濡れていました。部屋へ上がってみました。二階の海側の3人部屋です。ネット予約では1人で泊まれる部屋は満室でした。3人部屋が一つ空いていたので直接電話したところ、一人でも構わないということでこの部屋が取れたのです。広い部屋で海がすぐ前。晴れていたらどんなに気持ちはいいことでしょう。テラスに出てみると、利尻の見えるという方角にも寂しい浜が続いているだけ。お風呂までしばらく時間があったのでレストランに行ってみました。 キレイに掃除が行き届いています。壁には南極探検で活躍した犬たちのことや、有史以前からの北海道、樺太の歴史が貼ってありました。歴史の年表はオーナーが作成し、今も直筆で書き加え続けているのだそうです。南極犬のことや北海道の歴史の展示を見ているとお風呂に入れる時間になりました。そんなに広くはないのですが、海が目の前で風が心地よく入ってきます。まだ他のお客様たちは到着していないようで独り占めです。さっぱりとしてゆかたを着てまたロビーに行きました。するとオーナーがいらしていろいろ話を聞かせていただきました。絵本作家の関屋敏隆さんがよくいらっしゃるとのことでした。「北加伊道 松浦武四郎のエゾ地探検」「やまとゆきはら 白瀬南極探検隊」「りゅうじんさまは歯がいたい」などたくさんの作品を書かれています。その他にもエゾ開拓時代の写真集や資料など興味深いものもありました。上の画像の左上には関屋さんが亜留芽利亜を中心にして、ランドスケープを書いたものが見えると思います。このコピーを宿泊記念にいただくことができました。さてさて夕食の時間になりました。メインは水ダコのしゃぶしゃぶ。そのほかにもナマコやホッキ貝、ウニにカニなどとこの地の特産物が並びました。オーストラリアからいらした方とドイツに住まわれていた方たちと一緒に海の幸に舌鼓を打ちながらしばらく楽しく過ごすことができました。するとオーナーが話に加わり樺太犬のこと、アイヌ文化のこと、北限の生き物などたくさん話をしてくれました。次の日、チェックアウトを買い物に出る時間に合わせれば、宗谷岬を案内してから稚内駅まで送ってくださるとのこと。バスに乗って宗谷岬まで行くことを考えていたので、とても嬉しくなってしまいました。それぞれが思い思いの物語をし、関屋さんの作品も見て談笑していると、最北のペンションでの夜はゆっくりと更けていきました。さて、次は小雨降る宗谷岬を観光したことをお話ししましょう。今回も読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.16
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稚内へ飛びました北海道に急な用事ができたのでついでとばかり、数日北限の地を観光することにしました。到着地は稚内。用事があるのは札幌なのですが、お盆の時期と重なってしまったのでマイルで札幌便は取れませんでした。まあいいか、とマイルのきく空港を探したら稚内だったのです。札幌へ行かなければ行けない数日前の便しか空いていません。ノーマルで行けば稚内への片道は5万円ちょっと。マイルで行けばそのぶん観光に使えます。都合のいいことに札幌に行く前に数日予定のない日ができるし⋯これはきっと天の采配に違いない。この際だから日本の最北端を堪能してこよう!という訳で予定外の北限の地観光が実現したのです。自動発券ができないので少し時間をとりましたがなんとかセーフ。稚内は初めてなので少しワクワクしています。ノロノロの台風5号の影響が心配されましたが、飛行に影響はありませんでした。台風一過の素晴らしい青空の下、樺太も見えるかもと期待しての出発です。残り2席であったので翼の上の非常口の席でした。前に座席がないので、足をゆったりと伸ばせて快適です。その上隣には乗客はなく、さらにのびのびと空の旅が楽しめます。しかし、非常口の前の席に座ると万が一の時は介助をしなくてはいけません。その際の注意事項が書かれたパンフレットを読みながら離陸を待ちました。定刻より少し遅れて出発した飛行機は大した揺れもなく稚内空港を目指しました。機内放送では稚内はあいにくの小雨、気温18度とのことです。着陸態勢に入ると右側にどんよりとした雲が地面まで垂れていました。「ん?あの線はなんだろう?」雲の色が目の高さの辺りで変わり、一本の線が入っています。飛行機はスムーズに高度を下げていきました。すると地面の近く、かなり遠くですが白く見える個所がいくつかありました。白く見えたかと思うと灰色の雲にのまれるように消えていきます。「あっ、あれは波なんだ!海がずっとが広がっているんだわ」広がる海は厚く垂れ込めた雲とほとんど変わらない色でした。線のように見えたものは水平線だったのです。飛行機を降りて外を見ると雲は一層厚みを増してきたかのように見えました。その日のお宿も数日前に慌てて取ったペンションです。期待はせずにいました。仕事がらみの稚内の会社の人が車で迎えにきてくれています。ペンションの場所もわからずにきたのでそこまで送ってもらいました。雨が降っていたので傘を買いにセイコーマートへ。ペンションを通り過ぎたところにあったので、そこまで行ってもらいました。ついでに食べ物とビールを少しばかり。口コミも読まずに電話で申し込んだペンションです。夕食と朝食もお願いしていたのですが念のため。さてさて、チェックイン時刻前に着いてしまったのですが、どんなことになったでしょうか⋯続きはまた明日ということにします。久しぶりのアップにお付き合いくださってありがとうございます。明日もまた読んでくださるととても嬉しいです。 ランキングに参加しています。応援してくださいね
2017.08.15
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