天碧の果て

天碧の果て

ミッドウェイ海戦概要(中)





日本軍
アメリカ軍の攻撃により主力空母 赤城・加賀・飛龍・蒼龍4隻が沈没、248機の艦載機、108名の熟練搭乗員を含む3,057名を失った。この他、支援艦隊の重巡は避退の際、重巡洋艦三隈が重巡洋艦最上と衝突し、そののちアメリカ艦載機の攻撃を受け沈没し、最上は艦首を失い大破した。

沈没喪失
航空母艦:赤城、加賀、蒼龍、飛龍
重巡洋艦:三隈
大破
重巡洋艦:最上
中破
駆逐艦:荒潮
喪失:艦載航空機:285機





アメリカ軍
アメリカ側は、当初のアメリカ海軍機の攻撃を回避できた飛龍艦載機の攻撃によりヨークタウン(空母)が損害を受け、その後日本海軍潜水艦(伊一六八)の雷撃により沈没し、130機の艦載機が失われた。また、駆逐艦ハンマンも同潜水艦の雷撃で撃沈され、数百名を失った。

沈没喪失
航空母艦:ヨークタウン
駆逐艦:ハンマン
喪失:艦載航空機95機、基地航空機35機
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戦闘の分析
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指揮体系
空母対空母戦では、刻一刻と変わる情勢の変化に即応できる指揮体系が要求される。アメリカ軍は、現場の戦闘部隊の指揮官で、空母部隊指揮経験のあるフレッチャー少将が作戦全体を指揮した。彼は戦闘中に自分の空母を失うと、即座に指揮権をスプルーアンス少将に移し、その空母によって日本の残存空母を仕留めることに成功した。一方、日本の機動部隊の司令官が、利根4号機の米空母発見の報告の際、士気旺盛な山口多聞少将の臨機応変の攻撃要請に応える事もできず、再びの兵装転換の命令を出さざるを得なかったのも、航空畑出身でなく、空母部隊の指揮運用に不安要素があった水雷戦隊出身の南雲忠一中将であった事に加えて、アメリカ空母部隊とミッドウェーイ基地攻撃との二方面作戦を厳命されていた日本海軍と違い、日本機動部隊のみの捕捉撃滅を目指すアメリカとの戦略の根本的な違いなどが、このことに起因すると思われる。





日本軍の敗因
作戦構想の甘さ
作戦計画自体がやや性急に策定されたこともあり、戦術目標が曖昧で、実際の実施部隊に対して攻撃目標を絞り込むことをさせなかったため、実施部隊は比較的安易に最初の兵装転換命令を出してしまう。また、陽動作戦に空母を回してしまうなど、空母の集中運用、戦力集中の大原則を破っている。
索敵の失敗
まず、最初に敵空母部隊の進出が予想されていたにもかかわらず、ハワイとミッドウェイの間に敷いた潜水艦の哨戒線が敵空母が通過後に展開が完了したこと。このことによって南雲機動部隊はアメリカ空母部隊の進出はミッドウェイ攻撃が起こってからとタカをくくってしまった。そのため、偵察よりもミッドウェイ攻撃に重点をおいて攻撃隊の機数をより多くするために偵察機に水上機を割り当てている(他国に比べて南雲機動部隊の利根、筑摩が搭載していた水上機の後続距離は長いが、性能は艦上機の比でない)。また、利根4号偵察機の発艦が遅延することが分かったとき、即座に代わりの偵察機を飛ばす考えを起こさなかった(空母部隊には必ず予備機が搭載されており、実際赤城格納庫には97式艦上攻撃機があった)。これらのため、直線距離約240kmで対峙しながら米空母の発見が遅れた。また、他の無事に飛び立った偵察機も 雲の上を飛行するという初期的な誤り(当時の飛行機にはレーダなどの装備はされていないため、雲の上を飛ぶと海上の状況がまるっきりわからなくなる)を犯した。これは最初に敵空母の進出は自分たちがミッドウェイ攻撃後に行なわれるだろうという先入観が大きい。この先入観による錯誤は利根4号偵察機が実際に敵を発見した際に、南雲部隊首脳部の混乱ぶりでも明らかに大きいと考えられる。
戦術的運用の失敗
山口少将の言うとおり、陸用爆弾で飛行甲板の破壊は可能であったにもかかわらず、雷装換装を行う。貴重な時間が無駄にされたのである。ただし、これはもっともな判断ではあったものの、空母ヨークタウンの修理でも分かるように早く、アメリカ海軍の空母の甲板の修理は意外にすばやく行なうことができるため、甲板を使用不能にしたとしても再度攻撃を行なうことになることを考えると際どい判断ではないかと考えられる。それよりも、山本長官から直々に第二次攻撃隊の対艦攻撃兵装のままで待機させておくようにとの指示(文書上ではなく、口頭のみ)があったにもかかわらず、軽々と兵装の転換を命令している事が大きく作用した。これも前述した先入観が大きく作用している。
軍事暗号の寿命
暗号というものは使えば使うほど敵に対して分かりやすくなり、自分たちの情報が筒抜けになるという欠点を有している。日本の軍事暗号D暗号はかなり複雑な暗号ではあったものの、開戦前より使用していたものであるため寿命が尽きかけていた。そのため日本海軍では、乱数表の改定を5月下旬に行なったが、アメリカ軍にある程度解読され、作戦意図が分かって、主力部隊以外のすべての参加艦艇が分かっている以上、作戦行動がほぼ察知されていた。にもかかわらず、終戦まで大きな変更も無く、使われ続けるという大きな誤りを犯し続けることになる。
総じていえば、戦力的には質量ともに日本軍が勝っていたにも関わらず大敗を喫したこの海戦の最大の敗因は日本軍の慢心、油断によったといえる。

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