2013年 アベノミクス~反動安~ラリー 0
2015年 不動産購入 投資意欲減退 0
2015年 チャイナショックで禁パチ宣言 0
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時の経過とともに、ゆっくりとですがやる気が湧いてきました。よく考えたら、やっぱり毎月のキャッシュフローで自分は買い続けることができるのだから、何かには投資しつづけることは重要だと。現物:信用=8000万:5000万じゃなくて、信用も1:1.5を上限として攻めたいと思うようになります。震災後しばらくたってもアークランドサービスの株価は元に戻ってはいません。ただ、これはすぐには買い戻すことはできませんでした。アルバイトの主力である中国人が母国に戻るのではないか?という心配がありました。杞憂だったのですが。 で、5月頃にようやく見つけます。それが、「薬王堂」でした。 月次が震災特需でとんでもないことになっていました。私は震災悲観論を採用していたので、その特需は長く続くものと考えました。また、もともと薬王堂は割安で、不景気の際に営業利益率下落とともにさえない株価推移となっており、今までの投資法にも合致しました。あと、PLANTも買いました。薬王堂の第一四半期が7月に出た時点で「オレの妄想予想PERが2倍」と評価されましたので、「妄想PERが6倍になれば、株価3倍、2000万買ったから4千万プラスになって、何とか年初来プラマイゼロまで持っていけるぞ!」という根拠を持って気持ちが前向きになり、8月頃からは四季報を読み直したりして「復興銘柄」に手を付けていきました。その中で一つ上げるとすると、ブログにも書いたのですが(復興銘柄)SRGタカミヤは安かったですね。EBITDAってやつですか、これ時価総額と同じだったんですよ。ほんと、びっくり。HPを読んだらそう書いてあるわけです。減価償却済の資産が利益の源泉なんて、2015年にHPにアップしたら次の日ストップ高になるんじゃないか?という内容が平然と書かれてました。これも買い値から4倍くらいまでは持ってたのですがさらに数倍になってびっくりしましたね。この辺から東証2部からの指定替えとかを狙うようになりました。また、12月には、「奇跡」が起こります。よくわからないのですが、アークランドサービスが3月14日に売った値段近くまで「出来高を伴って」下がってきました。おかげでお気に入りの銘柄を余力が増した年末に震災前の枚数まで戻すことができました。2011年は年初来マイナス2%で終わりました。可処分所得全額ぶち込んでますので、そのインチキ分を入れると総額では少しプラスで終わることができ、ほっとしました。他の人よりも成績が悪かったのですが、自分の中ではギリギリのところで助かったという思いが強く、運が良かっただけであり、本当に破産する可能性があったということを、今、自分に言い聞かせて信用比率をさらに下げていきたいと考えております。
2015.11.04
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火曜日になると、セリングクライマックスです。原発の水蒸気爆発が相次ぎ、放射性物質はなんだかだだ漏れのようです。どうやって止めるのか、まったく想像がつきません。NHKの武田さんの白髪がどんどん増えていきます。それは言い過ぎか。そして、昼、ほとんどの株がストップ安になります。その日も断続的に売って、ようやく信用が5千万強まで落としました。私も瞬間最大風速で、純資産が5千万円台まで下がりました。 一週間前の「3分の1」 になってしまいました。 意識朦朧としながらも、追証自体はほぼ大丈夫なくらいです。ただ元に戻すだけで相当な時間がかかりそうです。ここから3倍に増やすなんて、、、、考えただけでしんどくなります。 奥さんが「借金が残るのだけはやめてや」と血も涙もないことを言ってきます。よっぽどひどい顔をしてたんでしょう。「ま、まだプラスだし、借金だけは残さないように信用取引をだいぶ減らしたわ」と強気で言いました。 今度は株の先輩から電話がかかってきます。「どれくらいやられた?」いい気なもんです。私はカラ笑いしながら面白おかしく答えましたが、その電話のやり取りを隣の部屋で耳をすませて聞いている奥さんがいました。。。 そこから、少しもどして、8千万円くらいで落ち着いたのですが、4月になってもまったく株式投資を頑張ろうという気になれません。コメ兵の銀座店に行っては「ああ、またガラガラだ。計画停電の最中に誰がコメ兵に来るんだ、株は売りですよ、売り」と今考えるとこの判断が一番の失敗でした。人生経験の少なさ、原子力発電の知識不足、脳のキャパオーバーによる積極的知識吸収意欲の減退、その辺が私の敗因でした。もちろん信用取引を使ってたからこうなったのはなったのですが、期待値では正しい判断をしていたと思ってます。ただ、マシンのようにはうまくいきません。実際、乗り越えるのは大変でした。 まず、自分より株でやられた人を探すという「人としてどうなんだ」ということをします。心を落ち着かせるためです。江戸時代の小作人のようです。確か、震災前1.2億あったのに、4百万かなんかになった人のニュースを見ました。
2015.10.27
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100円玉を20枚用意して、朝の7時から10時(結婚式のお迎えの時間)までひたすら動作のやや遅いパソコンで売り注文を出し続けました。平均12%下くらいで値がついたような記憶が。。。その日は金曜日も下がってたから多分1.3億くらい+信用2億の12%引きで、9千万円くらいに一気に減って、かつ信用も1億円くらいまでは下げられたけど、時間がなかったのと、200銘柄くらい板を見ながら売ったりしてたから、本当に疲れてしまって、目標の信用5千万円までは到達せず時間切れとなりました。結婚式もパケ放題ではないガラケーなのに、日経平均やニュースをチェックしたりして、正直結婚式の内容はどうでもいいような顔をしてました。本当に申し訳ないことをしました。 うちの社長から電話がかかってきます。「大丈夫?アークランドサービス売っただろ?俺、買ったよ。」・・・・ショック。一番好きな銘柄ですが、8割がた売ったわけです。買ってくれる人がいた(相対的に流動性があった)から。これは先週の木曜の値段の2割引きだったと思います。火曜日はそこからさらに下がったとこで売りました。「来週から馬車馬のように働きますよ(カラ笑い)」というのが精いっぱいでした。まだまだ下がりそうな雰囲気がただよっていて、基本的に信用組の生死は、投げをどの時点で現物組が拾ってくれるかという、自分ではコントロールできない博打要素満載の感じでした。東京消防庁頼みという。。。そして火曜のセリングクライマックスへと続きます。
2015.10.16
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※株式投資のことを中心にブログを書いてますので、それ以外のことについては注意を払っておりません。震災が起こったときに不謹慎なことを考えてそれをブログにアップするなんて、と、もし言われてしまったら、ブログの趣旨と違うから、としか言えません。ご了承くださいませ。 ただならぬ地震だと思って、早速ネットで調べると、震度が高いところが仙台のようです。すーっと先物が下がっていきます。ALサービスなども売ろうかとも思うのですが、板が薄いのでなかなか売れません。500株くらい売りましたが、5%以上下がってしまったので、こんなに下がるなら売らないぞと、止めてしまいました。そんなこんなで、七十七銀行の空売りを何千株かやったころには3時が過ぎてしまいます。やっぱり先物をやってたほうがよかったかな?ヘッジできたし。なんてそんな風に考えてました。このときはまだ津波のことなんて知りません。職場から歩いて自宅に帰ることになり、私の奥さんは深夜1時頃なんとか電車で帰宅しました。 で、家でテレビを見ていると、悲惨な光景が次々に流れます。ようやく事態が理解できました。最初に感じたのは無力感でした。繰り返し流れる映像に気持ちが揺れて、涙が流れます。「動揺」をはじめて味わいました。脳に限界のあるただの人なのです。そして、1号機の水蒸気爆発。ここで私の頭の中のコップの水がついにあふれてしまいます。「もう、日本は終わりだ。少なくとも、株式市場は全滅だ。放射性物質が飛び散ったら東京でビジネスどころではなくなるから。」放射性物質の拡散がどの程度か、アメリカ政府が80キロは危ないよ、と冷静な判断をしてましたが、私は福島の海岸と東京の距離感がいまいちよくわかってません。たとえわかっていたとしても、株式市場ってのはパニックになったらヤバイというのは美人投票の逆的な判断なので、暴落は決定的でした。また、偶然なのですが、家族の結婚式が14日の月曜日に京都で予定されてました。そこで、京都に前日入りします。日曜日の夜に「売れるものは全部売って、信用2億近くあるのを5千万円まで落とす」と決めます。もし落とさなかったとしたらギリギリ追証にかからなかったのですが、これは私の投資法ではしょうがない方法で、ショックが来たら追証回避を行って損が確定してしまうのです。家族が用意してくれたホテルに泊まってふと気づきます。「このホテル、パソコンないやんけ。。。」私、ガラケーです。急いでホテルのロビーに行くと、100円で10分動くちょっと古めのパソコンを発見します。この京都のホテル、パソコン環境のあるものが周囲には本当にありません。10時には迎えに来るとか言ってました。銘柄が多すぎて発注できないかも。いやな汗が出てきます。「ほんまにやばいかも。」とりあえず、7時半くらいにはとにかく、その1台しかないパソコンに座って、ほかの観光客には一切使わせない鬼気迫るオーラを放ち続けてました。 (続く)
2015.10.01
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2011年3月9日社長と同僚と三人で初めての店に入ります。もちろん、私は有頂天になってますから、「あれを買ってあれを売って、この銘柄がいいですよ~。」とか言っているわけです。だいたいにして常にALサービスしか押していない説もありましたが。。。そこで、社長が私の話をいつも聞いているので、その情報を総合して答えます。「あれ?君、億万長者になったんじゃない?」当時は億万長者=1億円でした。億り人なんてワードは知りませんでした。私はいつもはとっさに否定する(日本人だから)んですが、その時はよほど楽しかったのか、「いやあ~そんなことないですよ~~」なんて言ってしまいます。もう顔がにやけているわけです。「そうか、そうか、ついに君も億万長者か、わっはっは。」同僚がマジで?みたいな顔をしてます。私も強くは否定できません。なんせ、今の株が倍になるだけ(バカ)で、1.5億が5億くらいになる計算ですから。社長、1じゃないですよ、もうちょっとしたら5ですよ、なんて考えてにやけているわけです。信用も強気で張ってます。1.5倍くらいですね。2億円くらいの信用だったような。このころには証券口座が3つになっていたので、また、効率よく信用が建てられるわけです。今考えれば、非常にまずいタイミングで信用枠を拡大したのですが、結局は多くの人間が枠を増やしたときに相場が下がるのはまったく自然なことです。個別株の選定には自信がありました。結局持ち株は変わってないわけですが、いわゆる成長株と、資産内容に安全域があって割安なコメ兵みたいな株、きっちりとほぼ毎日チェックしてました。ずっと同じ株を持ち続けて、TOBや暴騰したら売って、またさらに同じ株を買い込むようなことでした。リーマンショックのときに、資産が大きかったら確実に破産していた私がたった2年ちょっとでこんなにも不遜な人間になっていました。私は常にブルなので、このときのバリュエーションも非常に安く感じてました。今は、成長株には成長株の評価がついてますが、当時は成長株でも割安な値段でして、割安な株は底を這いずっていました。 3月10日は後輩と二人で飲みに行って、おごりました。そして、3月11日を迎えます。
2015.09.25
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