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本陣の上下残りなく、下宿の諸侍、隣町、隣家の旅籠屋共が棒乳切り木(両端を太く、中をやや細く削った棒、人を打つのにしなって当たりが強い)を手にし駆けつけ、海道の真ん中に乗物を舁き据えて、高張提灯を掲げて辺りを厳しく取り巻いた。当番が下知して、小僧風情を相手にして仰山であろう、それ引き出せ畏まったと荒子(あらしこ、武家の中間・小者の中で、主に力仕事・炊事などの雑用をする最も卑しい者)共が戸を開けて、さあ、出ませいと小腕を取って引き出す。これ旦那殿、盗んだ金は返しますと、きょろりとしているのだ。年齢と言い仕草と言い、どう見ても幼稚に過ぎるぞ、きゃつばかりではあるまい、同類を探せ、詮索しよう、馬差し(宿駅で駄馬や人足の割り当てや出入りなどの指図をする役人)はいないか、当宿泊まった馬子共を残らず召し寄せよ、あい、と答えて直様に触れ回り、皆々を一所に相詰める。 八蔵も大酒を飲んで宵から関に宿泊していたが、盗みをしやがる奴はどいつだ、いやあ、こまっしゃくれた自然薯めか、貴様ならいかにも満足な死に方はしない奴だと、常に言っていたが違わなかったぞ、馬方仲間の恥晒し、ええ、磔柱で往生する奴だ、背骨をどうと踏みつけた。俯けにかっぱと伏せ、額を石に擦り付けて破り、血は紅に流れたり。無念な、貴様が踏んだのか、手足の骨をもいでくれようか、と立ち上がれば引き据え、引き据えして、そこな馬子めも慮外者、武士の前にて脛三昧で無闇に手足を動かしおってと散々に叱られる。ええ、彼奴に踏まれたのか、下々の刀でさえ斬られまいと思うのに、これこのように、臑(すね)にかけて此のように顔に疵をつけてくれたな、首が飛んだらおのれの面に喰らいついてやろうぞ、とはったと睨む目の中に、無念の涙をはらはらと思い込んだ腹立ちの、幼心の念力はぞっと身の毛も立ちにけり。 母のお乳の人が聞きつけて、駆け出てみれば大勢に取り囲まれている我が子の体、あっとばかりに腰も抜け、呆れて泣くより他はないのである。人々に悟られては今まで包み隠した甲斐もない、お姫様の乳兄弟が馬子をして、盗みをして人から言われるのも口惜しく、不憫さ、憎さ、やい、そちは国から目をかけて情を加えた甲斐もない、さもしいことを仕出かしたな、ちゃんとした血筋を受けているとも見受けるが、やっぱり育ちは争えない、その賎しい心根だからこそ親々も知っても知らぬ顔、見ても見ないふりして、その様な馬方に成り果てたのじゃ、私も子が有り覚えがある、親の心は皆同じもの、もしも母などが聞きつけても我が子の命を助けようとして火水の底に沈みもしようが、この場には助けに出られはしない。見殺しにするようではあるが、心の内で神仏に命乞いしてお祈りをして藻掻くぞや。まだそれほどの年でもないのに、自分から恐ろしい悪事を働くこともないだろう、父親が貧しくてお前に命じて盗みをしたのか、もしくは人から頼まれたのか、言い訳があればしてくれないか、母の心を推量してくれないか。今度の旅の初めから馴染みができ、馴染みを重ねたという関係もある、何とか命は助けたい、姫様のお名を思わなければ、このお乳が生んだ子で、姫様の乳兄弟だと言ってなりして助けたいが、どうなりと、こうなりと言い譯が有るのならばしてくれ、と魂の底心の底から肝から出ずる憂き涙、当番吟味の人々よ、どうか推量してくだされないか、心遣い目遣いを、それとも知らないのは是非もない。 三吉も母の顔を見上げ、見下ろして涙に咽せていたのだが、申し、お乳様、さもしい盗み致しても馬方のしたことであるから誰も恥ずかしいとは存ぜねども、あなた様お一人に対しては恥ずかしいことです。父(とっ)様の為かとは恨めしい仰せです、父様がいるほどなれば馬追いを致さないが、有り所を知らないので顔も見ていない、又、母(かか)様も持っているが女子の身の不甲斐なさ、武家奉公の頼りなさは今でも他人同然、たとえ言い訳を立てたからと言っても、盗人の名を取り、見苦しい目に遭っては父様に顔を向けられない、早く殺して貰いたい、そのように仰言られて可愛がって下さる程どうやら心が狼狽えて、決心が鈍り、死にたくない気分になりそうですよ、奥に入って下されい、もう顔を見せてくださるな、と両袖を目に当てて泣沈む。その利発さに母は更に心が暗く沈み、お前の命はお乳が貰った、私の責任で三吉を貰い受けましょう、助けてくだされ侍衆と、わっと泣き伏し声を上げ人の推量や思惑を忘れ果ててしまい泣いているのだ。 家老の本田が奥から出て来て、事情は具(つぶさ)に承った、盗まれた物は出てきている、旅先のことでは有り三吉は他領の者である。これほどの小事は裁きにかけるまでもない、お助けなされる、立ち帰れよと引き立てれば三吉は、この恥をかいて助けられ、どうして生きていられようか、もし慈悲心が有るのなら斬ってもらいましょうと、更に座を占めて立ち上がろうとしない。 ええ、小癪な、軽い罪状であるのに成敗しろとは、古今の掟にはないことだ、立って失せろと怒鳴られる。むむ、このぶんでは結局命は助かるのだな、よしわかった、とつっと立ち上がり、こりゃ八蔵、おのれはよくも俺を踏んで面に疵をつけたな、元来わしは武士の子だ、人に踏まれては生きてはいないぞ、覚えておけよと言う言葉を言い切らないのに、傍にいた中間の脇差をひらりと抜き、八蔵の首を撃ち落とした早業はさながら瞬く間の稲妻の如くである。 すわ、人殺しだ、と取って伏せ、もうこの上は料簡はしないぞ、罪人を縛る正式な縄の縛り方で三吉を縛り上げて宿の庄屋に預けおく。いずれ当方からも役人をつけて当地の代官所に引き渡そう。さあ、立ち上がれと引っ立てれば、母は性根もなく泣き入りて、前後知らずに乱れる。しかし気を取り直して、このお目出度い道中で縄付きの罪人の姿などは見たくもない、と人からは誘われて力なく見返り見返りしながら奥に入る。 子はまた母を見送って顔うなだれて目を塞ぎ、声をも立てずに嘆いていたが、むむ、これで本望だ、本望だ、悪名を取って人からは踏まれ、助けられても生きてはいない、一人死ぬよりも人を切れば行きがけの駄賃だぞ、問屋に馬を引いていく途中で他から頼まれて運ぶ駄賃はそっくり馬子の儲けになる、父(とっ)様も母(かか)様もみな一度は死ぬものだ、来世でゆっくりと会うまでのことだ、俺も誰もあの世から来てまたあの世に帰るまでのことさ、戻り馬だが乗らないかほてっぱらめ、と未練げのない覚悟のほどは、武士としても恥ずかしからぬ。惜しいやつだと涙ぐみ、引いて帰れば本陣は火の用心の声ばかりである。辺はしんと静まりかえっている。 與作は取沙汰を聞くと我が身に科をひきうけようと駆けつけて見たけれども、既に事件も落着して静寂である。本陣は門が閉まり周囲も静まり返っている。小萬が待ちかねて格子戸を叩くので走りより、どうじゃ、どうじゃ、為損なった様子ですね、ああ、仕損じたどころの話ではないぞ、私しゃ此処から覗いていたが八蔵まで殺したのはみな私らの身代わりにしたこと、明日の日中に斬られるそうですよ、可哀想な事になりましたね、と泣きながら囁けば、南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏、それはみんな我々が殺したのだ、考えてみれば我々はよくよくの悪人だ、と互いに顔を見合わせて泣くのだった。 ねえ、三吉より一時も遅れて死ぬのは済まぬと思うが、こなさんはどう思いますか、むむ、その覚悟が決まったならもうそれで安心だ、満足したぞ、宵からそうは思っていたが、親仁(おやじ)の難儀を見捨てては死なぬ気であろうかと口には出さずに腹の中に納めていた。心残りはないだろうか、はて、こう左縄になって何もかもが食い違い、不首尾になっていくからには、父様(とさま)のことも埓があきません、もじゃもじゃ言えば折角固めた覚悟がぐらつく、他の事は置いてさあ早く、此処から出たいのです、おお、嬉しい、嬉しい、裏の軒に繋いだ馬を人手に渡しては主たる人への不調法だ、死に場所には馬も引いていこうではないか、その間に体が間を擦りぬけるくらい竹格子を引き離してみてごらん、此処も小よしが色男と密会しようとの悪戯心から、ちょっと押せば離れますよ、ああ、ああ、小よしにとっては逢引する夜の楽しい通い口の窓、最後が近づく我々二人にとっては冥途へ通う鉄の門、と嘆きの詞を繰り返し、繰り返し、馬を引き出し、預けておいた脇差はそこに抜かりはないぞ私(わし)の腰に差している、えらい、それならば、この馬の鞍を踏んでそっと降りなさいよ、ああ、危ないぞ、怪我をするなよ、庇われる身も庇う身も果てる二十日の月、その月ではないが月毛(葦毛のやや赤みを帯びた毛並の馬)の駒、の尾髪乱れて置く露に袖の涙を争いし。 ひらりと飛び降り、一町(百メートル強)ばかり足早に立ち退き、海道はとかく人の往来が激しくて人目に立つから伊勢路に入ってから死ぬことにしよう。ああ、それについて考えがありまする、お待ちなさい、三吉が預けた守り袋はいかなる神の御札やら、私の懐にも太神宮の守りお祓い、汚すのは後生の障りとなるでしょう、関の地蔵堂へ納めましょう、おお、よく気がついた、と取り出す。浮線綾(模様を浮き彫りにした綾錦)に紅梅の裏、袋を開き月影に透かして読んでみれば、正一位小原太神宮、丹波の国の住人伊達の與作の一子與之介息災延命と書かれているではないか。 南無三宝、さては三歳の時に別れたる我が子の與之介だったのか、我を親とは知らなかったが與作という名を大切に、慕っていたものを気もつかずに盗みをさせて処刑に遭わさせる、手を出して我が子の首を切ったのも同然だ、と呟き尻餅を突いて足で地を打つ。大声を上げて男泣きする。 女も共に涙にくれて、不幸者とも悪人ともよくもよくも罪業を重ねたことですね。その二人が死のうと気がついたのはまだしも冥加が尽きていない証拠です、何のかのとしばらくでもこの世に留まっているのは罪が重くなるだけです、さあ、ござれ、おお、そうじゃ、と立とうとするのだが腰が言うことをきかない。残念だが腰が抜けてしまったぞ、ええ、気の弱いことと引き立てようとするが膝が折れる、相手を抱き上げても腰折れの三十一歳での憂き思い、最後は伊勢路と決めた、育ちは近江で、生まれは丹波で名産の栗、その栗毛の馬ではないが、連れて来た芦毛馬に夫を抱き抱えてようやく乗せて、妻が口を取る、はいどうどう、今こそ六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を次伝馬する途中で三途の川をうち跨いで昔の小唄、坂はてるてる、鈴鹿は曇る、に引換えて間(あい)の土山死出の山、冥途への旅路、通し馬、辿るや夢の……。 下 之 巻 與作小まん夢路の駒 與作は丹波の馬追なれど、今は野末の放駒じゃぞ、しゃんとしなさいな、與作、與作思えば照る日も曇る、関の小まんの涙雨じゃぞ、しゃんとせよ、與作、與作、與作と呼び、呼ばれつる、稲負い鳥・鶺鴒(セキレイ、男女に夫婦の営みを教えたとする伝説がある)も音を潜めている、野辺のかるかや、軒端の荻、二人の死後にも馬が秣に困らないように草を刈り残す、草も我が身もこの暁は、共に枯野の轡虫、與作は馬上に小まんは口取り最後の旅、坂の下までやって来た。 のう、あれ、明け方早くに急ぐ乗り掛け馬も、泊まりは知れて四日市、我らは泊まりもなく七七日、中有の旅の馬は屠所に牽かれる羊の如し、歩め、しいしい、ああ、しぶとい口を引けどしゃくれど行きかねる、畜生ながらに性があるので、最後を惜しむ綱すくみであろうか、私(わし)は十二で人を呼び初めて今年で二十一です、まる九年、泊めた旅人は何万人であろうか、関の一宿は狭いけれども、男や女に何人もの親しんだ者もあるにはあるが、それも当座の交わりで、今は馬より他は見舞ってくれる人もない。お前は私(わし)のために泣いてくれるのか、優しいな、と鞍にひれ伏してはらはらと袖には涙、梢には木の実がこぼれる椋本(むくもと)や、契り染めたのは三年前、抜け参宮の道ずれで、そなたは櫛田の真ん中程で、深き思いをやれ、紫帽子、本気で口説いたその真実が、関の地蔵を誓いにかけて恋の重荷の馬追うとても足も軽々、心も広き豊国野とこそ楽しんだ。
2024年11月28日
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小萬は両手を合わせて、忝なく存じます、早くに言って下されば恨まないで済むものを、堪忍して下さんせ、父(とつ)様の訴訟事も、夏の着物などを売り、朋輩にも無心して百三十匁を調え、あと少し足りないところは賃麻も大分に績み貯めましたよ、これをご覧なさいな、と麻小笥(をごけ)から銀を取り出して、父様の命乞いだけはこれで間に合います、落ち着いて下さいな、日が暮れてから大分経つ、よもや八も来ないでしょう、泊り客はないので私は暇です、馬は向こうに繋いで、中の間で休んでい行きなさいな、お互いの気の憂さを晴らしましょうと、草鞋の紐を解いているところに石部の八蔵がきょろきょろと目を光らせながらやってきたのだが、やあ、與作か、人の馬を断りもなしに、美濃路まで隠れもない米糠よりも目が荒いので有名な乾いた麦糠と異名を取っている八蔵様、目が荒くてどんなことでも見逃さないぞ、それを忘れたか。十六貫を踏み倒す気かい、この性悪掏摸目、と言いながら馬の綱を解く手に飛びかかり、捩じ上げて、こりゃやい、貴様が乾糠の八蔵ならこの俺は丹波與作じゃぞ、銀二百匁の抵当に五百目の馬が欲しいのか、遣ったら機嫌がよかろうな、三百目の釣りを持って来い、五十三次に汁を掛けて噛みこなす與作だぞ、よしゃあがれ馬鹿野郎め、畜生め、と振りちぎる。やい、一人前な男の口をきくのじゃないよ、男が立てたければ銭を済ましてからにしてくれ、腕ずくで勝負ならばさあ来い、ぶってかかれば小萬が飛びつき、ねえ八蔵殿、あなたは物の道理が分かった方なはずですが、らしくもないですよ、そちらもこちらも親方持ち、馬をやってよかろうか、取って貰ってあなたが褒められますか、そのように喧嘩腰で声高に言わなくとも、お互いに堪忍するのがよいではありませんか、情けがありませんよと言って泣き出したので、やい、此処な引き裂かれ女め、その涙は與作に泣いているのだな、俺は忝ないわいや、本来ならば銭を取るところを代わりに馬を取ってやるのがこっちのぎりぎりの堪忍なのだ、いや、それはなりませんよ、この門に繋いだ馬はこの小萬が許しませんよ、この関の小萬が許しませんよ、いやいや、この死にぞこないの女郎め、ふんばり女め、竹の鞭でも喰らえ、おお、女を相手に乱暴狼藉を働くならやりなさいよ、やあ、し損なうものか、と言って鞭をもってはっしと打(ぶ)つ。与作は小萬を押しのけて、あれは余所の奉公人だぞ、なぜ鞭など喰らわしたのだ、おお、貴様の女房だから喰らわしたのだ、むむ、よくも喰らわしたな、それでは女房殿の返礼にと拳を固めて目と鼻の間めがけて、欠けてしまえとばかりに強打した。向かってこい、やるならやろう、互いに頭上の髷を取り合って投げたり、投げられたり。ぶったりぶたれたり。激しく掴み合う。誠に馬子同士の喧嘩ということで、馬が踏み合う様な有様だ。 八蔵は力ばかり、與作は相撲や柔などの心得が有る者、摺り違いに小腕を取り、ふくらはぎを蹴返したりこりゃあと叫んで取って投げる。門柱に腰骨を打ち付けて、よろめきながらも相手を睨みつけて、どう掏摸め、覚えておけよ、宿次の伝馬宿や馬指し親方に言いつけて、海道一円のどこに行こうとも飯の食い上げという目に合わせて、乞食の身に追い落としてやろう。身を捩じ振り虚勢をはって立ち帰る。 小萬が追いつき、これ八蔵殿、お上の御用を勤める公用馬方が馬差し問屋で断られて何処で暮らしを立てられましょうか、この小萬が両手を合わせて拝んでお願いいたします、男は心をいつもさっぱりとさせているもの、いつまでも根に持たないで下さいな。ここはひとつ堪忍して下さいませ、と詫びれば相手はなお付け上がって、十六貫という銭を貸して、その上に投げ飛ばされて、勘弁したならばそっちは良いだろうが俺が悪い、気が済まないぞ、與作めの博徒打ち盗人と此処の門から喚いて行ってやるぞ。のう、これこれ、此処に百三十匁、命に代える銀ではあるが男の為です、惜しくはありませんよ、これで済ませてくださいなと取り出したのを引ったくり、必ず跡も済ませろよと、銭の値段はどうしようか、はあて、そこらは構わないぞ、そなたの勝手にしてたもれ、と言う。そんならこれで十貫分にしておこう、銭の一貫文を銀の十三匁に換算しておこう、と木綿の巾着に捩じ込んで帰るのだった。 小萬は小首を傾げて溜息ついて立ち戻り、先の銀を渡したのでやっとのことで行かせることができましたよ、ああいう人との付き合いは重ねて止めていただきたい、と呟けば、與作は肝を潰して、あの金を渡してしまったて構わない筈はない、取り返そうと立ち上がるのを、こりゃ待ちなさいな、他人に物を借りながらそのままでいてよいはずがありません。昔と違って今日では道中一体で吟味が厳しく、馬借(ばしゃく、宿駅で人馬の指図をする役人)や問屋(といや、宿次の伝馬宿)に断られたりして悪名が立ったりしたら忽ちにだめになって、何処へも出入りが出来なくなります。そしたら自然に会うことも出来なくなり、万一にもお国の旧主家に評判が聞こえたりしたらその恥辱は二度とは取り返しがつかないでしょうよ。父様の未進の件は言い延べるだけ延ばして、叶わなかった時は代わりに私が水牢に入る覚悟です。差し当たっての男の難儀を救えばわしの本望です、と言うのだが與作は聞き入れず、馬方風情に何で恥辱があるか、お前がこうして苦労を重ねているのもみんな親の為ではないか。その金をどうして遣れるものか、と駆け出したのだが、南無三宝、こりゃダメだわい、困ったぞ、この宿白子屋の主人の左次殿が何事が起きたのやら問屋の五人組中が連れ立って、それそこへ戻って来られるぞ、何のかのと言われてはやかましいぞ、ちょっとそこへ隠れて会いたくないぞ、馬も何処かに引いてくれと隣の店の幕の陰に乗り物があったのを幸いに戸を開けて片足を踏み込むと、内側から、あ痛、あ、痛い、横腹を踏み腐ったぞ、何者だと小丁稚が大欠伸びしながらひょいと姿を現した。 やあ、石部の自然薯か、與作殿ではないか、そちは此処で何をしているのです、俺は江戸までの通しの馬を追って本陣(宿駅で大名などが泊まる宿屋)に泊まるのだが、夕飯過ぎから眠たくなって此処でぐっとやったのだが、お前様は一体どうしたのじゃ、いや、気遣いしないでくれ、隣の旦那に会いたくないのでここ隠してくれと言えば、三吉は辺りを透かして見て、そこにいるのは小萬か、ええ、うまいな、うまいな、俺は前から二人の仲を知っているぞ、外の人ならだめだが與作という名で愛しい、與作の事なら後には引かない、良いとも隠しやろう、さあ入りなさいよ、と與作と三吉が膝を押しあった志、事情を深くは知らないけれども親への孝行の念が通じての行為が哀れでもある。 程もなく亭主は門口から、内外の者たち皆起きよ、問屋殿庄屋殿組中の前員いらっしゃったぞ、嬶(かか)起きて出て来い、出て来い、と喚く声で出女(私娼の一種で、各地の宿駅の旅籠にいて客を引く女であるが売春もした)ども、主婦と一緒に表に出て来た 庄屋や問屋が口を揃えて、御内儀、お聞きなさいな、今日の寄り合いはここの小萬について代官所からのお差し紙(代官所からの日を決めての呼び出し状)で、小萬の父親の横田の彦兵衛は四年この方二石二斗の御未進であり、水牢に入れられたが小萬が請負い願ったので出牢を仰せ付けられた。宿駅の係り役人の責任としてきっと取り立てて収め参らせるようにとのお達しじゃ、則ち、小萬はお預けじゃぞ、よく聞きなさいよと言い渡した。 小萬は俯いて涙ぐむ。女房も驚いて、本当に困ったことを仕出かしおって、主人に厄介をかけることじゃな、と言えば亭主は尖った声で、何が主の厄介だ、わしは一文の損も引きうけないぞ、上り下りの旅人衆も関の小萬と言う名を愛でて、百やる人も二百やる、一匁の貰いも鴎尻(かもめじり、水上のカモメの尾が跳ね上がっているように天秤竿の端がはねがるほどに目方をたっぷりと取ること)に取おるよ、百目や二両は半年にも貯まるだろうが、與作と言う博徒打ちの盗人めに有りっ丈の財産をつぎ込んで、夏の物は半がい(着物を入れる葛籠の一種)に襦袢が一枚あるかないか、與作への掛売金が相当にあるぞ、みんな自分で請け負っているのだ、帳面に記した與作への掛売りは一食付きの泊まりが六回分、酒が四升五合に盛切り十文の一膳飯が七十杯、芋と鯨の煮売りが八十五杯、喰らいも喰らった蒟蒻の田楽を百五十串じゃが、蒟蒻が腹の砂を吸い取るからと言って蒟蒻代金を砂にされてたまるものか、諺の盗人におい、ではないが、今度の訴訟事に俺は面倒は見ないよ。與作めが身ぐるみ剥いでも二石二斗の金は出ないぞ、馬を質に取ってでも彼奴にきっと済まさせようぞ、小萬を家に入れておけよ、皆御大義で御座ったと辞儀もそこそこに戸を閉めて、錠を差す音が厳しく響く。 庄屋・問屋・組頭、さてさて與作と言う奴は存じないほどの大食漢であるな、旅籠から盛切り(ひと皿売りの副食物)まで、蒟蒻を喰らい、煮売り物を喰らい、その間に小萬とい飯盛女を夜食に食っているのだな、と口々に噂しながら我が家へと帰ったのだ。 與作は肌に冷や汗を流し、ほうほうの体で這い出した開きの板戸の節穴、蔀(日除け、又は風雨を防ぐ横戸)の隙間から覗けど覗けと見えはしない、竹櫺子(竹の格子をつけた張り出し窓)の出格子に首を伸ばして取り付けば、内側から顔がニョっと出た、與作も首をひょっとひっこめると、ああ、大事無い、大事ない、これ、私じゃ、小萬か、與作様か、さっきの話を聞いてくださったでしょう、悲しい事に成り果ててしまい、わしはとうとう籠の鳥になってしまいましたよ、私がこうなったからには父様への難儀はもうかからないでしょう、こなた様に逢う事は出来るのか、出来ないのか、これが長の別れになってしまうのか、お上の御意向は我々下々には推測できません、與作の手を取り泣きつけば、いや、これ、雲に汁が出来てきたぞ、雲に湿気が生じるようにどうやら形成が変わってきたぞ、どうした縁やら三吉めが與作という名に惚れて、常に俺を大事にする、乗り物の内側で誑しこみ、隣に泊まった大名の金を盗んでくれまいか、お前を男と見込んで頼むと、おだてると此奴がお立てに乗って如何にも盗んでやろうと言う。成功すれば上首尾だし、失敗してももともと、と言い切らない内に小萬、いやいやいや、人まで罪に落とすことは辞めにして下さんせ、さても気の細いことだな、露見しても彼奴が打たれるだけのことだぞ、三吉よ、ますます頼んだぞ、もう嫌とは言わせない、と口にしたところ、はれやれやれ、はれやれやれ、しちクドイぞ、盗んでから要らないとなれば捨てるだけだ、この自然薯が人から物を頼まれて引いたりはしないぞ、親はなし、一門もいない、ひとつが五文の餅・拳固取りよりも小さい首だ、男同士の義理を立て抜く為なら取られても構わない首さ、盗みをして露見して首を取られるのは当然のことだ、それを怖がってなどいられるか、と義を立て抜く気の侍魂、侍と黄金は朽ちないとか、血筋はさすがに争われないのが哀れでもある。 おお、頼もしいぞ、命を賭けて頼んだぞと、散々におだてられて、はてな、味方があれば却って気後れがするから何処かへとっとと退いていてくれ、やあ、小萬女郎さんや、この守り袋を預けたい、はてな、お守りならば身につけていなさいよ、いやいや、これには俺の本名が書いてる、もしも見つけられて捕縛された時には人に見られて恥辱となる、解いて預けた神妙さ、裾を絡げあげて忍び入る、坂の下の彌六の所で待機している、夜中時分には戻るだろう、小萬ももう奥の間に入ったほうがいいぞ、わしゃ心配でひやひやする、南無お地蔵様、お地蔵様、ええ、今更になっての願立てがきくものか、声が高いぞ、密かに密かにひそひそと、胸はだくだくでこぼこの、坂の下へと別れたのだった。 武家は道中の掟で旅中宿泊の時の決まりで、半時(約一時間)替りの拍子木の音、九つの数や十に余った折の真夜中に、子供心の愚かさは首尾よく盗みおおせた嬉しさに拍子木を避けもせずに金襴の財布を下げながら門口にずっと姿を現した。夜回りはちらりと気をつけて、追いすがると狼狽えて乗物に逃げ入り内部から戸を閉めたのだ。夜回りは追いすがって飛びつき、乗物の戸をしっかりと抑えたのだ。簾をあげて、やあ、貴様か、これは御前のお金袋、やあ、馬方の三吉がめがお金袋を盗んだぞ、出合え、出合えと大声で呼ばわったが、これぞこの世の地獄落とし、仕掛けにかかったネズミの様である。
2024年11月26日
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向こうを通る菅笠様、足元、腰元、身の回り、すっきり綺麗に掃いたようなのは、伯耆(ほうき、現在の鳥取県)の国の人と見受けたぞ、これこれ、ここな人よ、若衆様、越後(新潟)衆か明石か、鬢がちっくり縮んでいるぞ、あそこへ大名が一頭(かしら)、瓜核顔(うりざねかお)の旦那殿、京都の東寺から出た様子(東寺は瓜の名産地)、跡から来られるのは角前髪(すみまえかみ、元服前の若者)は吉野のお方かな、花ではなくて鼻が見事だ、ここへ姿を現したは飛脚、足元がねばい三河(膠・にかわ)者と決まっぞ、常陸の衆はその有名な帯で知れるぞ、これ、そこな奴殿、越中の人と当て推量するが、どうしてそう見たのか、その下帯の越中褌を脱いで一夜をお泊まりなさいな、夕暮れは急ぎの人も呼び止める、客引きの女こそは関所にも劣らずに旅人を引き止めるもの、その関所ではないが地蔵院で名高い白子屋の左次の内、小萬・小女郎小よしと言って品川から京都までの百二十里の東海道でも有名な女衆、客を呼ぶその片手では内職に下麻(したお)を績(う)む、小笥(こけ、小箱)の懸子(かけご、箱のふちにかけてその中に嵌るように作った平たい箱)の底には恋心に心を捻る、それではないが、撚り麻(そ)の麻裃(をがせ、浅布で作った一重の裃。江戸時代の武士の出仕用の通常の礼装)を乱れさせる胸の内には、何となろうか、どうにもならない、奈良麻(ならそ)の憂き身であるよ、ねえ、小よしさんに小女郎さんよ、こうした勤めは様々にあるけれども、君傾城(きみけいせい)と言う者はこの類での女王様、それから段々とあるうちでおじゃれ(宿屋の飯盛女)の身には誰がなるのか、未明から見世曝(みせざらし)、昼休みから泊まりまで、葦切(よしき)り雀がやかましく鳴き立てるように息のありったけを喋って、それでも泊まり客があることか、どうしたことやらこの頃では一膳盛りの客さえないよ、隣にはあのように大名のお姫様、今日で三日の逗留、宵朝(よいあした)百六十人、どっぱさっぱと忙しい、これの内はどういうことなだろうか、下宿(したやど、大名行列の供の者などを引き受けること)さえ泊まりがないのだ、晩にはみんな覚悟しなさいよ、旦那殿の苦い顔、日比(ひごろ)に生えた角に一段と枝が生え、口やかましさが募るでしょうよ、怖いぞな、常には贔屓の馬子衆もこんな時には良い客を連れて来てくれそうなものではないかいな、や、それについて小女郎や、そなたの馴染みのお敵(てき)、松坂の七二はどうして見えないのです、痴話喧嘩でもしたのかい、梯子の下のごそごそが過ぎて気色でも悪いのか、あんまりごそごそとごそついて、馬は追わないで頤(おとがい)で蝿を追っているのか(腎虚して気力のない様に言う常套句)、と悪態をつくと、むむ、その七二とは九郎介の事かい、それは未生以前で今では挨拶切りのキリギリスさ、しいと言う馬追の声も聞かぬわいの、初めはたんと可愛いと元結の、脚絆のと、鬢付け買うの、帯買うのと、沓の銭まで出してやったわしの目を抜いて、一人二人でもあることか、三ではなくて、水口の名産の煙管ではないが火縄屋のおげん、まだその上に土山の櫛屋後家、庄屋のふとっちょのお米の俵のように大きな腰に食いついて、馴染みのおれをすっかり出し抜いた、その女遊びの方は兎も角も、こちらが喧しく言ったら止むどころではなくて、博打に耽って今では貧乏神同然の有様、何もかも叩(はた)きあげて現在では布子と襦袢のたった二枚の、四九(めくりカルタでする博奕の一種)をやって、親方の駄賃の算用も立たないそうだ、聞けば小萬の知音(ちいん、馴染み)の與作も博奕の友とか、與作が愛しいと思うなら意見をしなさいよ、小よしも取り沙汰を聞いているだろうと言えば、小よしは小声になって、されば、うちの旦那が亀山の問屋で聞いてきたそうで、この小萬が懇ろにしている馬方の與作めは、博奕の大将じゃ、あれが盗みの下地を作るぞ、重ねて来たとしても相手にするなよ、と注意なさった。彼奴には相当に取立てが済んでいない売掛の代金があるぞ、丸裸にしてでも掛売の代金をむしり取って、それからは門の敷居も踏ませないぞと夫婦でささやきあって頷き、それから寄合いに行かれました、語り終わらないうちに、小萬ははらはらと涙を流して、勤めの身の上でもおじゃれの身分では、下の下と言うのはこのことか、傍輩衆にも言いませんでしたが、横田村の父様(とっさま)二石一斗の未納の年貢米の工面がつかずに六十六歳で水牢の刑罰を受け、男にも娘にも子と言えばこの身だけ、境遇こそはおじゃれではあっても、お大名にも知られているこの関の小萬が父親を水牢で殺すことも出来ないでしょう、参宮をするからと口実をつけて暇を貰い、女子の身で代官所へ出向き、この秋までにはきっと納めますからと請け合って、牢を出したのは出したのですが、何を目当てにどうするというのでしょう、以前のようには客を勤めずに私仕事として賃麻(ちんそ)績み、女客がぽつりぽつりと泊まった際に小萬と言う名に愛でて心付けを頂戴して、諺の「鶴が粟を拾うが如く」袖の下を貯めて、哀れや、浅ましや、請け合いの日は近づくし、気を励まし勇まして身を細らせながら辛苦するのも父様の身を黒め暮らしをたててやりたいの念力ひとつで、身を立てている小萬が世間では悪く噂されて、頼もしくもない浮世だと、麻小笥にひれ伏してなげいていたが、あれあれ、そこに唄を歌いながらやって来るのは、混じりけなしの小室節の本式の節回し、與作、與作、と小手招き、さても見事なソンレハお葛籠馬じゃ、七つ蒲団にソンレハ曲録(法会の際に僧が使う椅子、寄りかかる部分が丸く曲げてある)据えて、我も昔は乗った身であるが、人はそうとは知らないが、白子屋の店先に馬を引きつけて、こりゃ、小萬、この旦那様にご馳走を差し上げてお泊め申し上げなさいよ、お供を入れて全部でお三人だ、さあ、お降りくださいな、と荷物を解く、小女郎と小よしがとりどりに、それ、お足の湯です、先ずは奥へと案内する、相客も御座いません、広々と場所を取ってお休みくださいな、と奥の座敷へと伴って案内する。 與作は荷物も跡付けもそこそこに、投げ下ろして、小萬、このところ会わなかったが無事で嬉しいぞ、直ぐに顔を合わせようぞ、と馬の口を取って駆け出そうとするその手綱にすがって、これ、どうしたと言うのですよ、話したいことが山ほどにある、そなたにも言う事が沢山あるはずじゃ、慌てて行かないで待ちなさいよと引き戻せば、ええ、邪魔だ、その話はいつでもできる、急ぎの用事があるのだ、離してくれ、振り切れば抱きとめて、これ、どうかお願いですよ、何がそれ程に忙しいことがあろう、どうせ心に一物ある、訳を聞かないうちは放しませんよ。と店にとんと抱き据えられて、はて、荷物さえ下ろしたに何で一物があるものか、気遣いをしているようだから手短に話して聞かせよう、この不幸せを聞いて下さいな、傍輩達がけん捩じ(掌中に握った銭を言い当てる一種の博奕)突いて銭儲けをする羨ましさ、瀬田の久三が胴元の時に、百文だけ賭けて勝負をしたろころ、勝つは勝つはで一息に七百文こりゃ門出が面白いと腰に引きつけて、腰につけた銭も景気よく、しゃんぐしゃんぐと鈴鹿では皆が突いている、此処へも出かけてまたもや六百文、勝ち取ったぞ、これで止めておけばよかったのに、慾ばりには見えないと諺で言っているが、目川村の馬子どもを集めておいらが胴を取ったぞ、当たらぬこと当たらぬこと、昼下がりから七つ(午後の四時)まで一文と六文の銭の顔を見ないほどに、前の勝ち分をぶち込んで五百余りの赤字だ、どっこい、何処かでこの損を埋めようと、梅の木の是齋(ぜさい)辻で、身を粉にして働いてやってみた、和中酸(わちゅうさん)でも効きはしない、金に直して一歩二朱の借銭を負ってしまい、借銭の重みに耐え切れずに石部の八蔵に保証人に立ってもらった。これを戦のはじめとして大津八町では八百負ける、小野の宿の小町塚では九十九文してやられたぞ、摺り鉢峠の上みたいに心細くては勝負には勝てないと、綣村(へそむら)の上で分別して、かえ守山の観音堂で観音様が三十三の姿に変化なさるというが、三十三匁の質を置いて、戎夷征伐の田村麻呂ではないが心は鬼神のように強くと出かけたのだが、土山の田村堂ではすっからかんにされて退けられてしまった、伊勢へ通し馬で行ったときに宵から暁の明星が茶屋で飲み干すような大失敗、借銭の利息をひと月にふた月分ふんだくる阿漕さ、これは何処の踊りだ、松坂を越えて伊勢踊り、雲津の渡で計算したならば二貫(一貫は銭一千文)ずつで合わせて四つ、合計で二四が八蔵めに八貫の借銭だ、これでは駄目だと思っていると向こうから馬を追ってやって来る、地體(ぢたい、そもそも)八めはぶうぶうと怒りっぽい性格、俺の胸ぐらをしっかりと掴んで、こりゃ、貸した銭はどうする気だ、俺をみ忘れたのか、八だぞ、八蔵だ、刺すように言い募る、ぐどぐどと見苦しく詫びごとなどは言っていられない、銭と言われても今はない、正味の銭を借りたのではない、数の上だけの勝負づく、一番勝負をやってみて、八貫の借銭を返すか、負けて倍の十六貫の引き負いになるか、さあ、勝負をしろと言ってみたところ、八めは多年この道で劫を経た奴、俺は八貫を現物で此処で出しておくぞ、負ければそれでやり取りなしであり、勝てば倍にして十六貫、何で済ますのだ、合点じゃぞ、抵当が無くては嫌じゃとほざく、こちらも後には引けない言いがかりだ、これ、この馬を知っているか、馬市で名高い池鯉鮒(ちりふ)の市で九両一歩だ、親方の物ではあるが十六貫の抵当に銀五百匁の値打ちのある馬を当てれば文句はあるまい、さあ、勝負しろ、と木陰に寄って銭を握り、さあ、どうじゃ、と言ったところ奴も三枚せい、さあ来い、さあ来い、と、七つじゃと、二文張りやがった、よし来たとと突くほどに手の内に残ったのは確かに七文、南無三宝、上手く当てたぞ、一文はねて六文にして当てて取ろうとして、一文をしゃんと誤魔化して突いてみたところが、悲しいかな、勘違いであって八文だったのだ。一文ごまかして七文にして奴の思う壺に当たるようにしたのは、どうした悪運のどん詰りであったか、ぐにゃりとなるほどに八めは、馬を取ったとしがみつく、今日の乗り手は氏神様、救いの神、約束の馬次の場所まで早くやれ早くやれと催促する。八めも武士を乗せているので、客から何故に馬を走らせないのだと目が抜けるほどに叱責されて、窪田の一身田(いっしんでん)村で旦那をおろしてから、おつつけ馬を取りに行くぞと、早追い(急用の折に、駕籠または馬を昼夜兼行で急がせること)程に急がせて追ってくる。親方の馬を取られては、この街道は言うに及ばず、木曽街道や中山道でも生活が立たない。八蔵めが来ないうちに早く内に行きたいと溜息をつきながら語るのだ。 小萬は心も暗闇で、他人の沙汰には違いはないが、人の心は境遇によって変わるもの、何ともさもしい気持になられましたな、古(いにしえ)はお歴々、私ら風情は下司にもお使い下さらないでしょう、縁があったればこそ肌を触れ、抱いたり締めたりした間柄、一通りではない仲、嬉しいやら、悲しいやら、一倍に愛しさが増すではありませんか、悪い病が付きましたね、それはたちの良くない雲助の身持です、友達仲間の付き合い上で引くに引けないことがあるにしても、情けないこと、私の親の未進米、この六日の吉書(きちしょ)に立てねば元の水牢、この世から八寒の地獄に親を落とす私の気持、あなたに心配をかけるつもりはないけれども、案じても下さらないで、博打にばかり凝り固まっての悪遊び、実に冷淡な気持と思えば自然に熱い涙が溢れますよ、と咳揚げせきあげ泣く。 與作はわっと泣き出して、そりゃ曲がない曲がない、情けなくて死にたいほどだ、慰めにも欲にもしないそなたの親の未進米、二石二斗など何でもない、昔わしの草履取りや馬取りの給金だったぞ、これで可愛いそなたの親を殺させたりはしないと、痩せ我慢をしての出来心、千三百石から馬追いにまで成り下がった不運のぼんの窪だ、良いことはないはずと思わなかったのが身の不覚である。これは主が下された天罰と諦めて済ますが、しこり博奕の栄耀とは、小萬よ、さりとは酷いぞや、これもそれも皆そなたの親の為だ、胸に書付があるのなら、断ち割って見せたいと、叩いて見せた胸当ても絞るばかりの恨み泣きの涙。
2024年11月22日
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お側の衆に囃されて、幼心の姫君、こんなに面白い東(あずま)とはこれまで知らなかった、さあさあ、行こう、早く行こうと急き立てた、やあ、いらっしゃいますか、そりゃ目出度いぞ目出度いぞ、再び御意が変わらぬ先に、行列を揃えろ、と一同は立ち騒ぐ。 お乳人は勇んで、それならもう一度、大殿様やお袋様とお盃事を、これも馬子殿のお陰じゃぞ、出来した出来した、そちには礼を言う褒美をやろう、そこで待っていなさいよと一同は声を揃えて悦び騒ぐ。そこで三吉は奥にお供して入ったのだ。 馬方は今まで目にしたことのない金襖を立て巡らした豪華な部屋をうそうそと落ち着かずにのぞき歩く蓆(むしろ)の他は踏んだことのないのに、畳は最上の備後表、ああ、この畳は変に滑って歩きにくいぞ、大名の家よりも此処の内が結構でござるよ、と独り言を言いながら待っている。 お乳人は大高檀紙(備中の国松山で産出する白く厚ぼったいしぼ・シワのある紙)にお菓子を色々と積み上げて、手箱に入れて出す、どれどれ三吉、そこにいたか、まあまあ、そちは殊勝な者であるよ、道中双六を披露してくれてお蔭で姫君様はお江戸へ参ろうと御意なさったぞ、お上におかれても上々のご機嫌、これは御前からくだされたお菓子じゃ、有り難く頂戴しなさい。銭差しに百文ずつ繋いだもの三筋(三百文)じゃが、買いたものを買いなさいよ、殊にそちは通し馬の馬子だそうじゃな、道中の間も用事があればお乳の人の滋野井に会いたいと言いなさい、見れば見るほど良い子じゃな、馬方をさせる親の身はよくせきなのであろうよ、親身になって話しかける言葉の端を三吉はしみじみと聞いていたが、由留木殿の御内の御乳の人、滋野井様とはお前さまでございますか。それならば、俺の母(かか)様であるよ、と言って突然抱きついた。ああ、これは慮外な、お前の母様(かかさま)じゃと、馬方の子供は持ったはいないぞ、ともぎ放せばむしゃぶりつき、引き離せばしがみつく。引き退ければすがりつき、何で事実無根のことなどを申しましょうか、わしが親はお前様の昔の連れ合い、この御家中にて番頭(何々番などと称するひと組の武士の頭)伊達の與作、あなた様はわたしの母親で、その腹から生まれた者、與之介、守り袋で御座います、父ます、父様(とっさま)は殿様の御機嫌に触って国をお出なさったのは三歳の頃でうろ覚えですが、沓掛(「伊勢の国鈴鹿山にある山村)の姥(うば)の話では母様(かかさま)も離別とやらで殿様に御奉公、そなたを姥が養育して父様(ととさま)に会わせたいとは思うのだが、甲斐もなく、母様(かかさま)が細工なされた守り袋が証拠じゃと言い、由留木殿のお乳人(ちのひと)滋野井様と申して尋ねなさいと懇ろに教えて、姥はわしが五つの年に久しく痰(たん)を患い、挙句に鳥羽の祭りに行って餅が喉に詰まったのが原因で死んでしまった。田舎で周囲の人々が面倒を見てくれてやっとのことで馬を追うことを覚え、今は近江の石部(いしべ)の馬借(ばしゃく、宿駅には馬子に馬を貸し与えて、その賃料を取り立てる業者がいた)に奉公しております。この守り袋を御覧なさいな、何で嘘などを申しましょうか、お前様の子供に間違いないことだけがはっきりすれば外には何の望みもありません、父様(とっちゃん)を探し出し一日だけでも三人して一所に居てくださいな、立派に沓も作りますよ、父(とっ)様や母(かか)様を養いましょう、父((とっ)様と一緒に居てくださいな、拝みまする母(かか)様と取り付き抱きつき、泣いている。 お乳ははっと気も乱れ、見れば見るほどこの子は我が子の與之介、守り袋にも見覚えがある、飛びついて懐に抱き入れてやりたいものと気は焦るのだが、あっあ、大事の御奉公、養い君の御名の瑕、偽ってでも叱ろうか、いやいや、可愛くともそうもなるまいよ、まあ、ちょっと抱いてあげたい、ああ、どうしよう、あれやこれやと迷いに迷う心の嘆きから出る涙、二つの目には保ち兼ねて、咽び、沈んでいたのだが、いやいや、我が子ながらも賢い子、騙して誠とは言わず、母を心の汚い者と蔑まれるのも情けない、譯(わけ)を語って合点させ、現在の恥を自覚させてこの場は一旦帰そうと、涙を拭って気を鎮め、此処へ来なさいな與之介や、手元へ引き寄せて両手を取り、さても大きくなったな、どうせ成人するのなら侍らしく何故に尋常に育たなかったのだ、顔の道具や手足まで母(かか)はこんなふうには産み付けなかっぞ、美しい黒髪をこのように剃り下げてしまい、手と足はまるで山の垢まみれのこけ猿のようではないか、本に氏よりも育ちであるなあ、再びさめざめと泣いたのであるが、これ、物事の道理を合点しなさいよ、腹から産んだのは生んだけれど、今では母でも子でもない、浅ましく成り下がったのを嫌って申すのではさらさらないぞよ、ここの理由をよくききなさいよ、母は元から御前様の奉公人である、與作殿は奥勤めの小姓であった、互いに若気の至の恋風に誘われて、すれつもつれつ一夜が二夜と度重なって、通(かよわ)せ文をお次の間に落としてしまい、小姓目付(小姓たちを取り締まる役人)に拾われてしまい、武家の作法と言うなかでも殊に御家は御法度が厳しく、御家老衆の評定の結果で父も母も御成敗と決まったのだが、御前様がお身に代えお命かけての御殿様への嘆願で、殿様の御慈悲にて科(とが)を許されてその上に、表立って夫婦になされ、與作殿は次第に取次ぎ役、奏者番頭千三百石までにお取立て、殿様に万が一のことがあれば直ぐにでも殉死しなければならない程の家格、その間にそなたを儲け、お上には姫様がご誕生、奥方様の思し召しで母(かか)が御乳をお上げ申し、首尾さえよければそなたも今、家老衆の子同然に二番とは下座にさがらない人であるよ、情けなや、父(とと)様が江戸屋敷に御勤めの際に吉原へ通い詰め、折角お役目大事と御奉公致さなければならない折りに、そのような事でしくじって、再度、切腹と決められた。けれども腹を切らせては女房を家に置かれない時には、大事のお姫様が乳離れの時期であり、御病気が出ては大変であると、母をそのまま残すために父(とっ)様の命が助かり、奉公構い(切腹に次ぐ武士の重刑で、奉公を留め、家禄を召し上げられる事)の御改易、その時に母も一所に退けば成程妻として夫への義理は立つ、夫婦の道は成り立つのでしょうが、お姫様の父離れに際してお苦しみをおかけして、身に余る御家からの厚恩に対して誰がいつの世に報じることが出来ようか、後に残って御恩に報いてやってくれないかと父(とっ)様からの理を分けてのことわりがあったので、第一には大事な男のため、夫婦の義理を忠義に代えて気持では満足できないのですが夫婦の離別をしたのです。男の子は幼くても御殿様のお怒りに触れた者の跡取りとなれば、またどのようなお咎めに遇うかも知れない、與作の息子とだけは口が裂けても言ってはならない、さあさあ、早く御門へ行きなさい、ああ、どうした因果の生まれ性であろうか、現在我が子に馬追をさせて、男の行く方も知らぬ身が、母は衣装を着飾ってお乳の人よ、お局様よと玉の輿に乗っていても、これが何の足しに成るといのか、声を忍んで泣くばかりなのだ。 子は生まれつき賢くて、聞き分けがあるので尚更に泣き入ってしまい、悲しい話を聞きました、そうではありまするが常々姥が申していたのは、姫君様と私とは乳兄弟のことですから母様にさえ会うことが出来たなら、父様も出世なさるはず、との遺言でした、殿様にお願いしてみてください、と三吉が訴えると滋野井はすばやく口を押さえて、ああ、ああ、勿体無い、その乳兄弟の件は口に出してはなりませんよ。姫君様は関東へ養子嫁御としてお下り、身分の高い低いによらず嫁入り前の女というものは悪い噂が立ってはならないもの、先方は他人であるよ、三吉という馬追が乳兄弟にいるなどとはどのような妨げになるか分からない、蟻の穴から堤も崩れると言います、軽いように思えても実はお重いもの、ひそひそと内緒話で話しても人が聞くもの、取り敢えず早く出ておくれ、と泣く泣く言えば三吉は、ああ、母様や、余りに遠慮が過ぎるではありませんか、先ずは言上してみてください。まだ、その様な事を申すのか、聞き分けのない事だ、夫のこと、子供のこと、母に如才があるものか、合点が悪い、聞き分けがない、と三吉を制止している所に、奥より、お乳の人はどちらにいらっしゃいますか、御前からお召がかかっておりまする、と呼ばわるので、あれを聞きなさいよ、人が来るので出て行きなさい、手を取って無理やりに引き出す。 不憫や三吉はしくしくと涙を流し、頬被りして目を隠し、沓をまとめて腰につけ、みすぼらしげな後影こらや、もう一度こちらを振り向いて見なさいよ、山川で怪我をしないように気をつけなさいよ、雨風雪降る夜道には腹が痛いと作病を起こし、二日も三日も休んで患わぬように気をつけなさい、毒な物は食わずに腹痛や麻疹の用心をしなさいよ、可愛い姿形であるよ、痛々しい、千三百石の世継ぎが何の罰が当たったのかどうした咎であろうか、と式台(玄関の板敷で客を送り迎えして挨拶をするところ)の段箱(式台から上がる段を箱のように作ってあるもの)に身を投げて伏して嘆きいたのだが、懐中の有り合わせの一分判金(一両の四分の一)を十三袱紗で包み、これを用心に持って行きなさいよと、涙ながらに渡すのだった。 三吉は見返り恨めしげに、母でも子でもないならば、病もうと死のうと余計なお世話です、その一歩もいらない、馬方こそしているが伊達の與作の総領だぞ、母(かか)様でもない他人から金をもらういわれもないぞ、ええ、無慈悲な、かかさま覚えていなさいよ、と言ったあとでワッと泣き出すその有様、母は魂も消えてしまい、養い君、お家の御恩を思わなければこんな具合に独り子を手放してどうして追放などいたそうか、武家奉公の身の浅ましさよ、悶え苦しみ嘆いたのだ。 時に奥の出入り口辺りがざわざわと人の気配がして、はや御出立と姫君の輿をかきあげ、行列立て、お乳の人の乗り物を平附け(直づけ)に舁き寄せた。お乳の人は何食わぬ顔をして姫様の御伽にと、最前の馬方をこの乗り物に引きつけて、お慰みに唄を歌いなさいな、畏まって候と宰領共が、こりゃ、そこにいる自然薯め、唄を歌えと情け容赦もなく荒々しく命じる、やあ、こいつは吠えているのか、なんじゃこれは、出発の前に縁起でもない、握りこぶしを二つ三つ頂戴しながらも泣き声で、坂は照るてる鈴鹿は曇る土山あいの、間(あい)の土山雨が降る。その降る雨よりも、親子の涙を中に時雨れる、雨の雨宿り。 中 之 巻 これ、泊まりじゃないかえ、泊まりなら泊まろうよ、泊まりなさいな、泊まりなさいな、旅籠は安いので泊めましょうよ。上旅籠に中旅籠、お望みしだい、好き次第、椀家具も綺麗な座敷はこの夏に、畳表を替えて寝道具も良くて、酒が良くて、お茶は最上級のもの、何もかも良いことずくめだが、木賃(客が薪や炭代だけを宿に支払い自炊して泊まること)でなりと御都合で、据え風呂もしゃんしゃん、掛り湯取って加減見て、旅の汚れの垢は存分に洗い流し、暁は七つ(御前四時)立ちか八つ(御前二時)立ちか、枕の御伽が必要なら振袖なりと、詰袖の年増なりと、足をさすって腰を打って、吸いつけ煙草の煙管の雁首、首筋元からぞっとしましょう、庄野の馬方六蔵ではないが、良い女郎衆を乗せて、足取りが軽いな、よしてくれよ、ええ、面白くもない、ああ、洒落臭い、草津の三介三蔵、石部の金吉どん、乗せてきた客がどうせ泊まるなら、泊めて下さいな。どれだけ先に行かれても、旅籠屋は皆同じです、同じ値段でありますよ。鶯の鳴く春にはいらっしゃい、伊勢参宮の御客衆、目元に塩ではないが、愛嬌が溢れる、そこへお見えのお防様、この暖かな気候に紙子を着て、紙子の名産地の仙台からおみえかな、あの旅人は京の八幡の生まれでしょうかな。足に牛蒡のような毛がむくむくと生えている。
2024年11月20日
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丹波與作待夜(たんばよさくまつよ)の小室節(こむろぶし) 上 之 巻 大名に生まれる種の一粒が何万石であろうが腹にいるうちから敬われて、持て囃す舌での鼓がたんたんと響くそれではないが、丹波の国の一城主由留木(ゆるぎ)殿のお湯殿の子(大名などの屋敷で茶の湯などを沸かす部屋に奉仕する女が、殿の寵愛を受けて生んだ子供の意)である調(しらべ)の姫はお国腹(参勤交代制で大名がその国元で儲けた子を言う)、金水引きの初元結、まだ十歳の裲襠(うちかけ、武家や良家の婦女が着る礼服。上着の上に打ちかけて着る長小袖)姿もすらりとした長身で生まれついている。東(あずま)の高家(江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。また、この職に就く事のできる家格の旗本を指す)入間殿から差し当たりは養女と言う名目で、蕾から取る花嫁御、御迎え役の諸侍は五千石を頭にして騎馬が二十騎、稚児医者は御輿附きである、大上臈(大名に仕える身分ある女で、大小はその格式を表す)と小上臈、おさし抱き乳母(お乳だけを飲ませる乳母を言うがここでは単に介添えの女を言う)お乳(ち)の人、中臈下臈の供乗り物や身分の低い侍女達の駕籠はいろは順に並べ、以上で四百八十梃(ちょう)の金銀瑪瑙や枝珊瑚珠(えださんごじゅ)、研ぎ出し蒔絵(金銀の粉を蒔きつけた上に漆をかけてその上を磨いて下の色を表した物を言う)の長柄の傘、長刀袋、傘袋、時代のついた金襴鶴菱たすき、花兎くぁ、霰大内桐(あられおおうちきり)、覆いをかけた挾み箱、濃い紅の大紐、などを高々と結んだのは盛り牡丹の花そのものだ。台所荷は次伝馬(ひと駅毎に馬を変えて運ぶこと)、お葛籠荷物(つづらにもつ)は通し馬(荷馬を目的地まで雇い詰めにすること)、三十駄の馬方の小唄が出来て、小奇麗な声の良いのを選抜なされたのも、注文通りの者を選べたのも金の御威光によるものだ。 出発の刻限は朝の九時ころと定めて、御迎え役の奥家老本田彌三左衛門は数献の盃で足元はよろよろと猩々緋の道中羽織の姿で白いところは髪だでけである。きんかん頭に顔色も繻珍(繻子の地合いに黄・赤など数種の横糸で文様を織りだした絹織物)の裁着け(裾を紐で膝の所をくくる半袴、下に脚絆をつける)を凛々しげに身につけて、何と、何と、お供廻りが揃ったらお先手(先頭の供人)から乗り出して下されい、これこれ、文左に源五左や、拙者は行列の殿(しんがり)を乗り出すぞよ、万事は夜前に申した通りである、若党、中間、荒子(あらしこ、人夫、人足)、小者(使い走りの者)に至るまで、大酒を致さぬように馬次、舟渡し等で口論・暴行を働かぬように用心致せよ、それにじゃが、泊まり泊まりの宿屋の飯盛女にじゃらじゃら致さぬように、第一に御乗り物の先で見苦しい、そうではあるのだが、長い道中で下々が退屈致すであろう。もしも色事などを企てたなら、目立たぬように物陰に寄せて、ちょこちょこと上手く処理すればよいぞ。目出度い折りであるからと申して、殊に女御のお供である。少々の事は見逃して置きなされよ。はっと答えて、宰領(荷物や人足達を指図する役)共はさあさあ御立ちだと用意をするところに、奥から女中達が声々に、ああ、お待ちくだされい、お待ちくだされい、困った事にお姫様が関東に行くのは嫌じゃ、嫌じゃと、やんちゃばかり仰せられて、お袋さまも殿様も騙したり叱ったり遊ばされるのですが、どうしても嫌じゃと幼児の如くにおむつかり、養育係のお乳の人の滋野井殿も色々と申されても、それ程に江戸に行きたいのであれば、乳母だけ行きなさいよ、とお乳の人の背中をとんとんとぶったりなされて、御機嫌が損ねていますと言っている所に、姫君は描いた眉を泣き剥がして、姫君は江戸も関東も私は嫌ですと、泣きながら走りだした。 幼少ではあるが姫君がいきなり姿を現したので、それを憚って家老以外の侍衆や下々の者も御門の陰に駆け込んでその場から姿を消した。 お乳の人は顔色を変えて、これこれ、申しお姫様、下々の子供でさえ九つや十になれば物も聞き分けもできるものです、あれ、ご覧なさい、百里あちらの山川を越えて来た白髪の御老人の家老殿、皆お歴々の御侍衆がお迎え申しに参っておられまする。江戸へいらっしゃれば入間殿の御領内です、嫁御としてかしずかれ大事にかけられる御身分ですよ、私めの育て方が拙かったのでして、女の身ではあっても乳母はこの場で腹を切らねばなりません。さあ、良い子です、御輿にお乗り遊ばせ、脅してもおだてても、嫌じゃ、嫌じゃ、皆が私を騙すのじゃ、どうして東(あずま)が良い所でありましょうや、腰元共が歌うのを聴きなさい、さあ、みんな此処へ出て、いつもの歌を歌いなさい、歌いなさい、と責め立てたので、御伽小僧(姫の相手をする少女)で頑是無い十二三歳になるのがの手拍子合わせて、山も見えない、かりそめに、江戸三界(くんだり)に行かんして、何時戻られる事じゃやら、いっそのことに殺してから行きなさいな、放しはしませんよ、と泣いたところ、ああ、置きなさいよ、置きなさいよ、お大名のお屋敷にお仕えするとて琴の組歌(小唄の数種を集めたもの)でも歌わないで、誰に習ったのか卑俗な歌、お姫様にお教えしてはいけませんよ、必ず止めてもらいましょうよ、とお乳の人はご機嫌斜め、本田も余りにしようがなくて、申しお姫様、あれは人の悪口・冗談です、花のお江戸は京都に勝って、浅草や上野は花さかり、又、堺町や木挽町の芝居の太鼓が賑やかにてんつくてんつくと賑やかで、人形芝居が楽しいです、弁慶や金平(きんぴら、江戸に流行した金平浄瑠璃の主人公で、強力無双の勇士)がえいやっと勇壮な斬り合いを見せまする、道中には面白いこととして富士の山がありますよ、天にまで届く高いお山をお目にかけましょう、さあ、お輿をお召しなさいませ、と渾身の力を込めて賺(すか)し申すのだが、いやいや、江戸へは行きません、どうあっても嫌じゃ、と泣くのである。 乳母も今は持て余してしまい、どうしたら良いであろうか、御家老も呆れ果ててしまっている。奥向きに勤める女中の若菜が、旅の出で立ちに菅笠を手に持って門の外から走り入って来て、あの、お乳の人、面白い事が御座います、十歳ばかりの剃り下げ(月代を広く剃って両鬢を狭く残したのを言う)のちっぽけな馬方が道中双六とやら東海道の絵を繰り広げ、風変わりな興味ある事をして遊んでいます。お姫様のご機嫌直しにお目にかけ申したらいかがでしょうか。おお、よくぞ気がついたな、それは聞き及んだ道中の絵を御見せ申し、お心が移るやも知れぬな、馬子であっても子供であれば大事はない、許すのでその丁稚に双六を持って参れと命じなさい。心得ましたと門外に出て、連れ立って来た馬方は、片肌脱いでそそけ髪、御前近くであるにもかかわらず無遠慮に、縁先に足を上げて、やれやれやれ、お前様方と言うのは面白くもない、傍輩共と賭け禄に道中双六を打って沓の銭をせしめてやろうと思ったのに、人を散々に呼び立ててどうしたと言うのだ、はれ、やれやれやれ、きりきり乗ったら宜しいでしょうよ、馬を走らせましょうと突っ慳貪に怒鳴った。 はてさて、利口な野郎じゃな、諺に船頭馬方お乳の人と、性格が悪く口さがない者の例に挙げられてるが、私もそちと同列じゃ、そして、歳は幾つで名は何と言う、年は今年で十一、五つの年から馬を追って初手から若衆にならずに念者なった(当時の男色関係で、兄分を念者、弟分を若衆と言うが、三吉は最初から剃り下げで若衆髷を立てたことがないのと、両方の意味で威張っている)、生え抜きの念者だ、ところで名前は自然薯(じねんじょ、山の芋)の三吉、さてもよい名前だな、聞けば道中双六があるそうだな、腰元衆も打ってみなさい、姫様も遊びなされよ、さあ、三吉も此処に来なさいよ、遠慮はいらないぞ、呼んだところ無礼をも顧みずに、短い煙管の煙が立ち混じっている女中の側もそぐわないようには見えない、さすがは童(わらべ)の一得である。三吉は絵を取り出して皆してうち混じり遊ぶのであった。 道 中 雙 六 これこれ、ご覧ぜよ、打ちなさい、是れこそ五十三次を居ながらに歩む膝栗毛、馬、はいしいどう、道中双六、南無諸仏分身と書いた六字を六角の、骰子は桜木、花の都を真ん中に思い思いの標(しるし)を置いて、さらばこちらから打出の浜、大津へ三里、ここで矢橋(やばせ)の舟賃が、出舟を召せ召せ、旅人の、乗り遅れじとどさくさと急いで乗り込む、それではないが、草津へと、お姫様から先ず姥が餅を召し上がれ、一口二口、先ずは泥鰌の踊り食い、ではないが踊るように土山(水口と鈴鹿峠にある立場・宿場と宿場の間にあって旅人や人足が休憩する場所)にある松尾坂を越えて、坂を越すのも骰子次第である、骰子を振れ振れ、振るや鈴のそれではないが、鈴鹿峠を後ろにして坂を下れば、負けまいと急ぎに急く、そのせきではないが、関から亀山に、煙草には、火打石の石薬師、おっとその手は食わないの、桑名の舟渡し、熱田の宮に上れば池鯉鮒(ちりふ)へは四里である、宿にころりと寝転がるのは岡崎女郎衆、岡崎女郎衆、岡崎女郎衆と縺れて一緒に寝ようよ、やよ、藤川に。思い思いの君待ち受けて解く赤前垂れの赤坂や、吉田、二川(ふたかわ)白須賀(しらすか)をちょいと越えて、手判(道中の関所を通過するには出発の際に、居住地の名主や五人組などの証印を押した手形が必要であり、特に婦女子・武器の往来・運搬を取り締まった)はござるか、振袖に、や、このこの新居の関、渡船場の近い今切れ、舟に召せ、召せ、蛤を食しなさいな、蛤、蛤、浜松まで、舞坂(まえざか)に三里ですよ、馴染みを見つける泊まりと聞けば、誰も惜しむ者はない縞の財布の袋井や、乗り掛け(二十貫の荷を載せた上に、人一人が乗る宿駅の駄馬。乗り掛け馬)のそれではないが掛川(かけがわ)を飛び下りて、ご機嫌の笑顔だ、さあさあ、そのにっこりではないが日坂(にっさか)の名物の蕨餅、腰につけているのは日本一の黍団子なのだが、そうではなくて日本一の大井川、骰子に無の字を打ち出せば支流の八十川からの水がみなぎり始めたので旅人が二日間足止めを食う金谷と島田で、二回の休み、骰子の目ひとつで馬の腹帯に吉の字が染め抜いてあるが、それではないけれども幸せよしの、旅双六の六ではないが、六里を一気に進む。七里八里もただ一足に先へ先へと咲きかかりたる。 藤枝、岡部、瀬戸の染飯(そめいい)、宇津の山辺の十団子(じゅうだんご)など、所々の名物を買って銭を突き出す、それではないが、手鞠をつくの鞠子に、一二三四(ひいふうみいよ)、府中江尻にすっとんとん、とんと打った沖の波、それではないが、興津の波、三保の松原が快晴に晴れる、そのはるではないが、貼る膏薬を買って名月でも吸い出せ、清見寺(きよみでら)、由井蒲原(ゆいかんばら)や吉原の花の香、蒲焼名物の鰻の肌(はだえ)がぬるぬるしているそれではないが、沼津の宿、三島越えれば箱根へ三里、骰子目次第で関を越える。悪い目打てば手判を取りに京に帰る。合点か、おお、飲み込んだ、よくわかったぞ、小田原ういろう、大磯、平塚、藤沢は触りもなくて双六の骰子の幸先もよく、門出よし。道中はやめて戸塚はと急ぐ保土ヶ谷、神奈川越えて、品川、川越え、真っ先駆けてお姫様、一番勝ちにかつ色(深藍色)の花のお江戸に着きにけり。一の裏側は双六の、骰子ではないが、幸い有り、悦び有り、慰めありける道中と、どっとばかりに興に入られたのでした。
2024年11月18日
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ああ、申し、お前様は病気で引きこもっていて世間の流行をご存知ないが、この冬から何処でも火の強い炬燵は廃りもので、北浜あたりの富豪は大方炬燵に水を入れるようで御座いますぞ、重ね井筒とも言われる身が気が利かずに無粋ではありませんか、炬燵に火を入れるなどとは、さりとはお笑止な、あれ、おかあ様や、火は要らないと仰っておられるぞ、と身をもがいているその間に、火掻き棒は焼き焦がれて紅葉色、こんもりと盛り上げて上質の池田炭を遠慮もなく、御内儀が炬燵に移す。さあ、お当たりなさいな、と言い捨てて台所の方に出られた。 傍で見ているだけでも徳兵衛は身が焦げ渡る心地がして、兄者人、その火で熱くはございませんか、いっその事で火炙りになられたら如何です、此処まで火気が来ます、少し灰を被せて消しましょうよ、と側に寄ろうとすると、そのままにして置きな、制止されては炬燵から胸を焦がすのは徳兵衛で、房は涙を流しながらも埋み火に焼き付けられる身の苦しさ、蒲団の陰から手を出して徳兵衛の着物の裾に取りすがって耐えようとする。しかし耐え難い地獄もこんな風なのかと不憫である。 主も一旦は懲らしめたもののあまりに諄くては哀れと思ったのか、ああ、温まっから帰るぞ、そなたも休みなさいと、部屋に立ち戻る。 徳兵衛は自分の兄ながらも恨めしいと思ったのか、どうせなら真っ黒に焦げるまで火に当たっていったら良いでしょうにと、言ったのだが、さすがに一言も言わずに岩木を分けて生まれたのではない人間であるから憐れみの心も湧いたようで、兄は奥の一間に入ったのだ。 徳兵衛は小腹が立ち、櫓も蒲団もひとつに掴んで取って投げれば、咸陽宮(秦の始皇帝の宮殿で、項羽がこれを焼いた時に三ヶ月の間燃え続けたという)の煙の中に顔も手足も紅で房は目ばかりじろじろと、物も言わずに息も絶え絶えに、性根も乱れるばかりである。 やっとのことで抱き上げて、袂から扇であおいで風をいれ、花生けの水があったのをこれ幸いと顔に注ぎ口に湿らせ、少しは心地も爽やかになった。 さあ、兄貴までが知ってしまったっぞ、何の面目あっておめおめと人から顔をじろじろと見詰められておられようか、いざ、この場所で尋常にと脇差を取ろうとしたところ、そうさえ覚悟が極まれば嬉しいです、嬉しいですよ。でも、この場所ではいくらなんでも思うようには出来ないでしょう。屋根伝いに裏に抜けて、六軒町の東筋の樽屋町の門へ降り、宗門(しゅうもん)でありますから日親様の御門で死なせて下さいませ、おお、尤もじゃ、尤も、有難い志、さあおいでと、立ち上がったが、さあそこでだが、そなたは法華、俺は浄土、願うところが違うので先の行き場も覚束無い、宗旨を変えて一所に行こう、南無妙法蓮華経の題目を授けて下さいな、疾く、疾くと手を合わせれば、房は不覚にも涙に昏れて、私に浄土宗になれとも言わず法華になってくださんする、さても嬉しいお心ですね、勿体無い事ではありますが今日まで毎日千遍づつ五年唱えた題目の功徳で赦してたび給えと、互いに合掌、心を鎮め、日蓮宗で受戒の時に唱える語、今身(こんじん)より仏心に至るまでよく保ち奉る、南無妙法蓮華経、今身より仏心に至るまで添わせ給え、添わせて下さいませ、南無妙法の力を頼みに、しっかりと房を背負って上がる二階や屋根の棟、ここは靈鷲山ぞと言いながら一心に這い、辿り、伝っていく道は三途の河原、ならぬ瓦屋根、霜が積もっている剣の山のように冴え返っている。此処には地獄の鬼ならぬ、鬼瓦、左・弓手も右・馬手も恐ろしく、逃れ逃れて行く末は、今ぞ冥途の門出(かどいで)と、これを限りの立ち酒ではないが、樽屋町にぞ迷い行く。 下 之 巻 道行血汐(ちしお)の 朧(おぼろ)染(寛文年間に京の紺屋新右衛門が朧月を見て工夫し考案したという染方) 筒井筒(つついづつ)、井筒の水は濁らねど今は涙に掻き濁す、月の袂に掻き曇る、朝(あした)の雲、夕(ゆうべ)の霜、あだしが浦の空舟(うつぼぶね・丸木舟)、身をなきものと知りながら、愛し憎しの戯れも、しばしこの岸、彼の岸の、假(かり)の現(うつつ)の假橋(かりばし)や、藻に埋もるる牡蠣舟(かきぶね、大阪で冬になると広島地方から入り込んで諸方の橋の下で牡蠣を売った舟を言う)の苫の隙間の灯火の、風を待つ間の影よりも明日まで待たない我が命である。自分から失う二親の育ててくださった御恩に対してどうしたらよいのかと、歩くことも出来ないで泣いている。送り迎えの色駕籠(遊女を乗せる)もしばし途絶えて何処でも馴染み、馴染みとの寝入りばな、我が身は今宵散りはてる、名残つきせぬ川岸で此処は武田のからくり人形芝居座、夜は何時であろうか、五つ(午後八時)六つ(午後六時)四つ(午後十時)千日寺(法善寺の俗称)の鐘の音も八つ(午前二時)か七つ(午前四時)、その七ではないが大阪にある七つの芝居小屋で、後々に二人の噂が世話狂言の仕組みの種となるならば、我を紺屋の型ではないが片岡仁座衛門(敵役・実事じつごと、分別があり常識をわきまえた誠実な役柄・荒事をこなした名人)が演じることになるのか、何と思うのか染川十郎兵衛は台詞に泣いてもらいたい、涙を包むそれではないが袂の襞ではないが、飛騨の掾(当時、伊藤出羽之掾座にいた手妻人形の名人の山本飛騨掾)が二つつがいの手妻にも我々二人のなりふりを写実するのだろうかしらん。しかし我々の悲惨な思いは断じて理解しないだろうね、去年のお島の心中(京の呉服商の新八が大阪井筒屋のお島に通いつめ、金に窮して生玉で心中した)の、その井筒屋に我が今、重ねる井筒と死ぬ定め、実悪役の名人・篠塚次郎左衛門に言われ、岩井半四郎(二代目の女形、若衆方)と憂い台詞が見事な初代初沢あやめ、のあやめ草ではないが、そこに置く露の儚い我が身、積もる涙の雫であろうか、西には嵐三右衛門(三代目)が吹き晴れて、空は冴えても我々は恋慕の闇の暗がりで由無き事をしでかして、八百屋のお七は東(あずま)の果てに名を流したが、それに劣らぬ嘆きぞと、いとど思いに昏れる、その暮れではないが、呉竹の節を習った浄瑠璃のも他人のことだと慰めていたが、今我が身に降る霜となって、一足毎に消え失せて、死にに行く身のあじきなさよ。 あれ、見返れば人声が我を尋ねて来る、高津の町を急ぎ近づく、危急を逃れる鰐口や、頼みをかけた御経の此の三界の衆生は皆これ我が子と聞く時は、親諸共に至るなりけり、南無妙、法蓮華経、南無妙法蓮華経、五逆(害母・害父・害羅漢・破和合僧・出仏身血)の提婆(だいば、提婆達多)も妙法の功力により成仏して天王如来となり、婆竭羅(しゃかちら)竜王の女も同じく妙法の功力で男子に変成(へんじょう)し南方無垢の世界に往生したという事実があるからには、煩悩菩提(迷いはそのままで悟りの種となる)となるぞ頼もしい、南無妙、法蓮華経、南無妙法蓮華経、六万九千三百八十四文字を、ただこの七文字に収めたる大曼荼羅や、斑雪(まだらゆき)、雨にも風にも詣で来て、朝は現世、夕は後世、この世あの世の二面(ふたおもて)今宵一つに成るそれではないが、楢の葉の影は浮世の塵芥、共に命のすて場ぞと、生玉正法寺の北にある大仏殿の勧進所、諺の「子を捨つる藪はあれども、身を捨つる藪はなし」では無いが此処が最後の死に場所とはなったのだ。 涙に迷うその中でも、男はさすがに男であって、なあ、世間の話を聞けば女が先に立ち、男は後に死に損なう、見苦しき沙汰に遇う、無念の上の死に恥であるよ、先ずは自分からと脇差を取り出して抜こうとすれば抱きついて、待って下さんせ、今直ぐに死ぬ身とは言いながら大事な夫が目の前で朱(あけ)に染まった體(てい)を見れば、気もうろたえ目も昏れてどうして死ぬことが出来ましょうか、半死(なからじに)して恥を晒し、検視の役人があなた様の死骸の帯を解き、紐を解き、打ち返し詮議するのをじろじろとどうして見てなどいられましょうか、わしから先にと手をもち添えて我が身に差しあて、忍び泣きする。 男は力なく涙に迷い、刃物持つ手も弱弱と女の膝に伏し轉(まろ)び、覆い重なり泣いている。石の鳥居のむこうからは女の泣く声と子の泣く声が、南無三宝、我が家の提灯だぞ、女房子供に家来どもに見つけられては情けない、高津の東、四天王寺の北にある小橋(おばせ)の村で死のうかと、立ち上がろうとした所へ早くも道端まで尋ねて来て、間は僅かに半町(およそ五十メートルほど)に足りるか足りないかの至近距離、因果の不幸な宿命が隔てとなって、百里でも同じようなもの、近い甲斐のない千賀の塩釜で身を焦がすのは哀れである。 妻のお辰は宵からの涙と霜で袖が凍り、物を言う気力もない中で、あれあれ夜明けも近づくか、烏がひどく鳴いているわいな、外の駆け落ち、走り者(出奔者、家出人)と違ってまた明日にでも探そうなどと呑気なことを言ってはいられない、死にに出た心中者であるから、疾くに命はもうない人、浅ましや悲しやな、女房子供がいない身であるならば殺すまい、死ぬまいものと、さぞや最後の悔み言、お房の恨みも思いやる、思えば私がいるゆえに人二人を殺すのも同様で、お房と徳兵衛の位牌に向かって言い訳も出来ない。冥途への旅を連立とうと下人が差したる脇差に取り付くところをもぎ離し、これは一興けしからぬ、此の子は愛しくはないのですかと制止すると、小市郎は「母(かか)様死んで下さるな」と、嘆く声さえ身に沁みて野辺の霜風、小夜嵐、丁稚の三太もうろうろと涙を流し、心中というものは酷く寒いものじゃと言って一緒に袖を絞るのだった。 徳兵衛は囁き声で、月は傾くし、東は白む、ためらっていて今の間に見つけられてしまっては残念至極だ、さあ、何事も宵から言ったとおりにしようぞ、はいと答えて頷くだけで、涙に物を言わせながら夫の膝をしっかりと押さえて、仰ぎながら待つ口の中で、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経を唱えて、どうぞ同じ蓮の上に生まれ合わせる事ができますように、一蓮托生と念じながらぐっと突き抜く一刀、わっと叫んだ一声が哀れ儚い最後であった。 今のが何処じゃ、さあ、知れた、そこかここか、いやいや南の方に聞こえたぞ、反響で声が逆の方向から聞こえたのにも気づかずに、皆は生玉方向へと走ったのだ。 見つけらまいと徳兵衛は畑の中を西へ東へ、ここにかがみ、かしこに忍びしが、今は嬉しい一所にと房の死骸を尋ね寄る、道も心も真っ暗闇で、埋もれ井戸へと踏み込んで真っ逆さまに頭からかっぱと落ちて、水の泡と共に消えた。哀れや後に水を汲み上げて、死体も回収された。 重ね井筒の心中と唱われて、諸人の煩悩を洗い落とし、また仏法、特に法華経のありがたさを称える縁ともなった。
2024年11月14日
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身の為になることがあるならば、今すぐにでも暇をくれてやろうよ。そう言いなさい。こう言っているのが欲得ずくでない証拠。損するといっても僅かな事です、不憫な目を見せられようか、と心配で心配で堪らないぞ、思いもよらない憂いをかけて必ず泣かせないようにしておくれよ。と涙も声もしめじめと残る方もない恩の程、房は顔も上げもせずにただあいあいとしゃくり泣く。延(のべ)の杉原紙を何枚も使って鼻をかみ、涙を拭うのであった。 客であるかどうかは分からないが表の方で、ようございました、と言う声がした。どなた様ですかと耳を澄まして訊くと、ひどく冷えるが兄貴のご機嫌は変わりませんか、と言う。はああ、諺に噂をすれば必ずその人がやって来るから、蓆(むしろ)を用意しておけ、徳兵衛様でありましょう、と耳にするより房は胸がざわざわして飛び降りてでも下に行きたい気持である。 その時に当たって丁稚が門口から、向かいの肥後屋から房様を直ぐに送らっしゃれとの声が掛かりました。お客は堺の某(なにがし)様だそうです、早く早く、と呼びかけたので料理人が不審に思い、こちらから問もしないのに先方から客の名を告げたのは何か企みがあってのことかもしれないぞ、納得がいかないと考えて、房様は暇がない、お断りしろと言う。 房はそれを聞いて、それは何故ですかと訊く。おお、その事だがあの宿で徳兵衛様に逢われた故に、その用心から肥後屋へは房をやるなと言いつけてあるのだ。ええ、御内儀様、それは筋道の立たない御言葉です、それはずっと以前にあったことです、今では縁を切った上に、肝心の徳様は現に下に来ておられます。何の気遣いがいりましょうか、堺の客に間違いなく、そのお客には正月を頼まなくてならないのです。どうぞ遣ってくださいませ、と言うのも本当とは思わないのだが、おお、それもそう、これなあ房を送ってやろうじゃないか、と呼び掛ければ下では料理人が、どうせ道筋だから駕籠へもちょっと寄ってくれないか、心得たの太郎兵衛の婆様、と使いは喚いて帰ったのだ。 さあ、身支度をして早く行きなさいよ、いや、夜も相当に更けてしまったよ、さあこのままと連れ立って二階から降りる間に、駕籠を店先の土間の方へと回した。 徳兵衛様、どうぞ遊んでおかえり遊ばせ、と言うと相手はとぼけた顔して誰だ、房か、節季間近の商いだからせいぜい稼いでおくがいい、とわざとよそよそしく口では言いながらも、籠の中の雌雄一番の鳥が仲が良いように一緒に空へ飛び立つかと思える程の喜びよう。 気色を見て取って女房は、これは夜更けに御大儀な、先ずはお上がりなさいませと、ひどく冷えるので酒をひとつ、それ燗をしなさいよ、命じると、徳兵衛は、いや構わないぞ、そのままでいい、直ぐに帰るから、最近酒が不味く感じていて、さっきも女どもが生姜酒を飲ませようと自分で生姜を下ろすやら、それが嫌なので此処へ逃げてきたのだ、又酒を飲めというのか、さあ逃げようぞ、出ようとする所に女房が立ちふさがって、どうして無理に酒を勧めましょうか、お茶でもどうぞとお愛想を言うと、徳兵衛はいやいや最近では茶も口に合いません、今もさるところで生姜茶をくれたのだが、やっとのことで逃げ伸びてきたばかり、是非とも帰してもらいたいと言っている所に兄の主が寝間から出て、やあ、徳兵衛、よく来たよく来た、夜が寝られなくているのだよ、夜通しで話をしよう、さあさあ此処へ来ないか、と呼びかけられれば兄であり、病人である、嫌とも言えないので徳兵衛は不承不承ながらに上にあがったのだ。 何と、中橋が架かったの、欄干を渡すばかりになったぞ、春には町中で渡り初めがある、自分の病気も次第に上向きになってきたぞ、寒が開けたら本復するだろう。それと言うのも今年の夏に西国の御利生三十三箇所の観音めぐり、ひとつひとつ語って聞かせよう、膝を崩してゆっくりとしたらいいぞ、果てしも知れない長話である。 徳兵衛は心が悶え悩んでいて、内心では、可哀想に房を今まで待たせた上に、今は又今で宿屋の肥後屋で待ちくたびれているであろうに、早く立ちたくて気はせくのだが仕方がない、いや、申し、今宵は我等は伊勢講の講中であって人々が待っているでありましょう、と言いおいて罷り帰ると立とうとした所、まあちょっと待ちなよ、こんな夜中まで誰が待っているものか、もうちょっと話をしようじゃないか、と制止されて、いや、鑓屋町の隠居の所に食事に呼ばれて行くのですよ、と言うのだが兄は相手にもしないで、はてさて斎の食事は明日のことであろう、是非に話をしていけと言われて詮方なくて、女房が懐妊致し何時なんどきに産を致すも知れず、どうかお戻し下されよと言うのだが兄はどうにも聞き入れないで、のっぴきならない自身番の見廻りがあり、その勤めを果たしたいのですが、これでは帰しては下さらないでしょう、あ痛、あ痛、ああ痛いここが、冷えるせいなのか急に疝気(せんき、漢方で腰または腸が痛む病の総称)が起こった、帰って養生致したい、と言えば兄は、はてどうしたことだ、夜気(よき)にあたってなお痛むであろうから薬でもやろう、いやもう、薬も喉を通りませんよ、駕籠に乗って帰りたいのです、あ痛、あ痛と呻き叫ぶのだが、内儀は仮病と推量して外へは出さない構えである。 小座敷の炬燵に火を沢山入れさせて、泊まっていきなさいと強いるのだ。いやいや、今年の炬燵はやたらと人に当たります、今も今、女共が生姜炬燵を仕掛けましてやっとのことで侘びを入れたのでした。心は先に抜けてしまって抜け殻で、何を言っているのか訳もわからない状態である。此処へなりともお寝せ申し上げなさいよと、布団を打ちかけて、内儀は表へは出させない用心で、自身で戸に内鍵を下ろした。そして内と外の者達に目配せしてそろそろと脇へ退く様子である。 さては気取られたかと察したが、そこは何食わぬ顔をしていやいや寒いのに外に出るよりも暖かくして此処に泊まった方が得策だと、徳兵衛は重い心を軽口に誤魔化して、もう外へ行く振りもせずに布団を頭から被ってしまったのも、溢れ出る涙をまぎらかす為であった。 内と外とに徳兵衛とお房が互いに相手を引き寄せようと焦がれる思いは、抑えても抑えきれずに、心の駒の諸手綱、房の思いが通ってのか、夢ではなくて幻の如くに鮮明に浮かんでくるのも夢現の感じである。まるで顔を並べていて見るようであり、抱き寄せようとすると夜着て寝る小夜布団である、涙に濡れて冷や冷やと女の髪が解けて顔に触る、かつて添い寝した夜の気持がしみじみと身にまといついてくるが、一人でころりと寝ているのはたわいも無い、心の内はむしゃくしゃしての枕、いっそ夜が明けてしまえばいい、ああ、大幣同様のこの布団である、祓いが終わると諸人が幣を引き寄せて撫でさするものだが、これを愛しい房と見立てて抱き寝している、小六も寝たろうし小夜も寝てしまったであろう、房も寝るであろうが、何処の誰と寝腐ったのか、ああ、打ちたい、踏みつけたい、叩きたいぞ、ええ、ええ、ええ、踏むな布団に咎はない、今は踏んでも叩いても、房には会えない、会わせてはくれないのか、炬燵でとんと腰も抜けてわけもなく涙が滂沱と流れ落ちる、我が身ながらに男として情けなく思われるのだ。 恋の思いにいつしか寝入り、しばしは苦しみも忘れた折りから、屋根続きの山口屋の物干し場から忍んでやって来る者がいる、余所の恋かと羨ましく、見れば雨戸の戸袋をそっと踏みしめる足元も、震えに震えて目も昏れて、やあ、此処にかいのう、房か、これはどうしたことであるかと、徳兵衛は房の手を取って炬燵の中に引きいれて、ただ泣くしかないのである。 涙を流しながらも房は男の顔をじろじろと見て、ああ、愛しくてたまりませんわ、気を揉ませるせいで顔がとても痩せてしまいましたよ、その苦しみは一体誰がさせるのですか、みんな私ゆえですね、それはそれは、忘れることもありますが、それでももう苦にしては下さんすな、こんな風に言えば何か拗ねているように見えるかもしれませんが、微塵もそうした気持はありません、私の京都に住む父親は、いかがわしい者の保証に立ち、明日を期限に借金を返済しない時は、私を先方に引き渡すとの証文に判をつかれたそうです、私はここに身を売って、先方から連れに来た時には二重売り二重判、父親が牢屋に入れられるのは目に見えたこと、今更どうにもならないことをくよくよと思うのは愚痴の至です。先立って死のうと思って剃刀を手には取ったは取ったのですが、内儀様に見つけられて死にきれずにいました、その間に此方様の声はする、向こう側からは呼びに来る、嬉しい、向こうで何にしても相談しよう、今まで待ちぼうけになったけれども、一目逢えばこれで本望です、頼りのない契でしたが、これを限り、これを限りと、逢うたびごとに観念して、今更に心に貯めている事もありません、貞女を立てているお辰様の蔑みも恥ずかしい事です、仲良くしてくださいませ、互いに生まれ変わったら本妻を定めないその前に、早く夫婦になりましょうね、言い残した事はこれだけです、さあさあ、万年町のお家にお帰りなさってくださいませと男にひしとしがみつき、絶入るばかりに泣いているのだ。ああ、聞かないうちからそなたがそのような気持でいることは分かっていたぞ、そうではあるが今の言葉、嬉しいようでありながら恨めしい、本妻があるのは初めから知っていたこと、同じ口で諸共に死んでくれ、と言ってくれよ、そなたの父親から言ってきた難題を、どうにか処置しようと心にかけ、騙り同然の才覚を働かせ、銀四百を借り出して一時ばかりは俺の懐にあったけれども、どうにも二人には死に神が付いたと見え、打つ手打つ手が逆目に出てしまい、どこもかしこも一時に潮が引くが如くにばらばらと首尾が悪く、道理上有利な立場にいる女房が理屈を詰めて泣き喚き、どのような張良・樊噲でも道理に向かう矢先はない。せっかく手に入れた銀もひとまず妻に手渡してしまった。その場でみすみす嘘の空誓文、とても逃れられないこの罰、仏神を待たなくともこちらから罰にぶち当たって埓をあけよう、途中からそう覚悟を固めてきた、死に直しは二度とない、憂い顔で死んだのでは情けない、手に手を取ってニッコリと笑いながら死のうではないか、そう言ってくれないか、炬燵の上に顔を投げつけて世にも味気ない涙の体、ねえ、その覚悟に偽りはないのですか、そう思うのは決して不思議ではありませんよ、夫婦ですもの、本当にそうだな、忝ないぞ、嬉しゅうございますと二人はひしと抱きあう。声を立てずに啜り泣く。芭蕉の発句ではないが、炬燵の炭火もさぞかし消えて凍るであろう。 奥の方にこのヒソヒソ声が聞こえたのか、兄が声を掛けてきて、徳兵衛、痛みは大丈夫か、とごつごつと咳をしながらやって来る。さあ隠れようと狼狽えて、房を炬燵に押し入れて布団をかぶせて徳兵衛は上にもたれて覆いかぶさり、顔をきょろきょろさせている。程もなく主が立ち現れて、物を言う声が聞こえていたが誰であったのだと不審そうな顔をしている。いや、あれは私が寝言を申したのでしょうが、もしかしたらあなたが病みほおけての空耳でしょうか、部屋に戻ってお休みなされよと言えば、いや、夜が非常に寝にくいのだ、最前に話しかけていた西国巡礼の物語をして聞かせよう、と言って炬燵にあたる困った展開、やあ、炬燵の火がぬるいぞ、これ女房共、火をかっと熾して、火かきに二三杯持ってきなさいと、大声で呼びかけたので、徳兵衛はぎょっとして、申し、申し、火のきついのは体に毒です、無用に願います、いやいや、裾が冷えるのはよくないぞ、膝節が焦げるくらいなのが儂にはよいのだ、と言うので、弟は平にそれはご勘弁を、火の用心が肝心です、膝の皿に火がついたならば生活に困窮すると言いますよ、お体をご大切になさいませと言うが、兄は懲らしめようと思うので意地悪く、火を早く持って来い、と再度に催促した。
2024年11月12日
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徳兵衛は入れ違いに内につっと通り、羽織を後ろにひらりと投げ、歌舞伎の実事(理詰めのつめひらきなどをする演技のこと)師のやり方はちゃんと見て覚えているぞ、その仕草を真似て女房の膝下にむんずと居て、こりゃ、最前からの次第門口で聞いていたぞ、留守の俺を寝ていると親仁の手前は夫を庇うようではあるけれども、職人に似合わない鬢付きの男を身代わりに寝させたのは念が入っているな、忝ない、入婿のことであるから家屋敷家財にも芥子ほども傷はつけまいが、自分の命に疵をつける。たった今間男を引きずり出して見せようと、奥の間に駆け込んで、何も知らずにわっと叫ぶのを胸ぐら掴んで宙にひっさげ躍り出し、どうと引き据えてよく見れば、これはどうしたことか坊主頭の小市郎ではないか、盆踊りの際に買った踊り用の葛、月代を広く深く剃り込み両鬢と後頭に残した毛で髷を短く結った頭の奴天窓(やっこ頭)を振りながら母(かか)様怖いと泣いている。徳兵衛も始末に困ってしまい、言葉も出ない、女房の方は宵からの積もる憂さ、涙が一度に吹き出してわっと叫んで伏し、消え入るかと思われるほどに泣いたのだが、ねえ、徳兵衛殿、あまりに酷いではありませんか、辛いですよ、不義する女と見据えたなら付ききりで見張っているべきなのに、それもしないで、元日から元日まで一年中、よくも行くところがあるもので、留守ばかりして家を空け、此方の留守の言い訳でどうにも手段がなくて、隠居様の声と聞いたので、傍にあったのを幸いにこの子に着せてその場を取り繕ったのも私の智恵ではありませんよ、氏神様がなされたと有り難く思うけれども、恨みを受けたのなら是非もありません、女房の口から言うのも出過ぎた無礼な言い方ですが、言ってみればあなたは人でなしの畜生同然の身、あの房とはまだ手が切れていないようですが、余所外(ほか)でもあることか、兄御の内の奉公人ではありませんか、躾や意見をするべき立場でありながら、客衆とやらの邪魔となって家業の妨げと、兄嫁御からの当てつけ言、聞きづらいし聞き難い、ああ、それも道理です、また先月の火事騒動で兄の一家が寺へ避難した際に見舞いに行ってこの目で見届けましたが、他の御山衆は押しのけて房一人だけを大事にして、ここで心底を見せつけてやろうと言う顔して人目に立つほどの親切ぶり、傍にいるのは顔見知りの人たち、あちらから私の顔は阿呆のごとくに見えたのでしょうよ、じろじろと顔を見られて恥ずかしい思いをして帰ってきました。その上にあまりに人を踏みつけにした仕方、直接見てはいないので、最前の女を房と早合点したが、先に房を連れて来て、女共だの女房だのと言ってその女房の印判までを引き探し、衣類や道具などを入れておく納戸や戸棚を見せ晒し、これが嬉しかろうか、男同士の恥よりも隠しに隠したい、女同士に恥を見せ、男は寝取られ寝間や帳台までも隅から隅まで見透かされ、夫婦の間の秘密までいちいちに見て取られ、それでもまだ夫が可愛いとはどういう前世からの因縁でしょうか。今日のことが隠居に知れて、私は親に叱られながらも心に咎を負っていますよ、あなたに人間らしい気持があるのなら、三十日のひと月のうちでせめて三日でも満足に寝物語があって欲しい、心一杯に理を込めて情けも深く口説く、千々に乱れている女房の思いは実に哀れである。 徳兵衛は一念発起、悔悟のために目覚めて、ああ、誤ったぞ、誤った、悪人とも業悪とも盗人とも、騙(かた)りとも罵ってくれ、我ながら重罪人だと思う、今までもそなたに恥をかかせて来て、止めよう止めようとは思ったのだが、今ほどの悔い改めの機会がなくてうかうかと放蕩の限りを尽くしてしまった、我一人が思い切れば、そなた、子供、隠居の為、兄貴の身上、自分の為、房めが後の為にもよい、それを知らないわけでもないのだが、明日は伊勢のご縁日、今宵の月に蹴殺され過去・現在・未来三世の諸仏の御罰を受け、二人の親に冥途から睨み殺される法もあれかし、ふっつ思い切ったぞ、今日の女も房ではない、奉公人の周旋屋の人置の娘を一角(一両の四分の一)で頼んだのだ。証拠にはその金はまだここにある、と取り出して、明日直ぐに返済する、房とは縁を切る、今までお前の心を無下にした恨みもつらみも許してはくれないか、さりとては、この徳兵衛は女房の罰が当たった、罪を許してくれよ、と両手を合わせて伏し拝んで詫びるのだ。 女房はにっこりとうち笑って、忝ない、忝ない、縁は切った、捨てたなぞとは何度も聞いておりますが、銀まで見せての誓文でやっと心が落ち着きました、今日からは本当の夫婦として過ごしましょう、皆、喜んで下さいな、と言って涙を流した。そして、いっそのこと、この上の願いに年寄って心を痛めている親御の心を一晩でも早く安らかにして差し上げたい、大義ではありますが今の誓の言葉をひと通り聞かせてやってくださいな、これは私の御無心、御恩に着ますと言うので、徳兵衛は何がさて、家屋敷・家業をも譲り受けてはわしにとっても親同然のお人、ちょっと行ってこよう、それではお願い申します、生姜酒を用意して待っております、それ、生姜を下ろしなさい、釜の下を焚きつけなさい、竹は柄が二本角のように上に出た樽を振ってみる、空の樽を提げて竹が酒を買いに出た方角とは反対に、夫は北へと出かけたのだが、辻に来てからふっと思い出して南無三宝、義理の迫った女房の台詞、尤もだと胸に応えてから房の大事をはったりと忘れていたぞ、日の暮までを期限に待てよ、待とうと、言った手筈が違ってしまっては生き死にのできる銀、いやいや、親仁は明日のことにして、ちょっと房に会ってこよう、と立ち戻る。ああ、そうもならないか、たった今に誓文を立てたが殊に銀は手放してしまっている、まず親仁の方を済ませてしまおうおか、はああ、可愛や房よ、どうか銀も首尾がついて卵酒を飲む首尾にしたいものだ、と嘆いたが心配するなと励ましたが相手は気の弱いおなごである、父親の方はどうともなれと再び立ち戻り、よくよく考えれば女房は生姜酒を準備して待っていると、自身で生姜を下ろしている心根も不憫であると、辻を越えてはまた立ち戻り、辻にたったりしゃがんだり、行くも帰るも定まらない、どうしようかこうしようか、生姜酒が煎りつくように気がなって、胸かき回す卵酒、心を二つに打ち割って君の方へと走りゆく。後は、涙の卵酒、霜の白味に……。 中 之 巻 橋はまだ工事中だが、月だけはもう渡り初めをして、中橋は六軒町へと通じている。夜を迎える娼家の格子、漢の聖人孔子様が仰るには、色の徳には隣あり、向かう両側輝かす軒の灯火目印に、昨日も今日も、明日の夜も、重ね井筒の釣瓶縄、たぐって来いとの手段であって、中では不憫や房は憂き身の品々を心一つに孕み句(兼ねて腹案の出来ている句のこと)の挙句の脇の者が勇めば力なく、片目で笑い、片目でも涙を包む火箸のもと、人を待っている宵の火遊びで小夜(さよ)も小六も浮き浮きと有り合わせの紙を引き裂いて紙縒りに捻り元結にして、火廻しの遊び(冬の夜に火鉢などを囲み、線香か紙捩じに火をつけたのを持ち、題字の同じ物を名を挙げて次々に廻し、いい詰まって火が消えた者が負けとする遊戯)をしている、ひの字日野絹、房様、何と言いますか、私は一人ね、ああ、忌々しい、緋無垢、冷酒、曳舟、火桶、雲雀、ヒヨドリ、比叡の山、檜の枝に、そりゃ鳥刺しか、鳥ではないぞや、身は丙午(ひのえうま)、また房様が忌々しい、夫を殺そうと言う事ですか、こちらは目出たく祝って姫小松、緋縮緬解く人目の暇に鬼も来るなと柊や、ひよこ、ひしこ(京阪神地方で塩漬けにした小鰯を言う)、青葱(あおもじ、ねぎを言う女房言葉)、ええ、しゃらくさいわ、二瀬仲居(勝手向きと夜の伽の両方を務める女)も小差し出で、飯炊きは来て火吹き竹、料理人まで冷やし物(冷水で冷やした果物など)、駕籠の彦兵衛の膝頭、柄杓、緋緞子、ヒキガエル、平野蒟蒻に菱紬、平野屋ゑきょう(淫薬の名)、肥後芋苗(ずいき)、さあさあ紙燭が皆消えてしまいますよ房様、さあどうじゃ、と詰めかけられて、ああ姦しい息ができぬ物が言えないので赦してたもれ、息が出ないなら火葬場の火屋にやれ、そんなら火箸で焼いて除けよう、南無三宝、火が消えた、さあ房様の灰寄せ(火葬の骨を拾い集めること)じゃと、一同がどっと笑った冗談口も明日の哀れとなったのである。 火廻し遊びの途中で飛脚が来て、何か御用はございませんか、やあ、房様、京へのぼす銀もあり御状も有るとの御事を遣わされてはいらっしゃいませんか、と問いかけた所、ああ、よくぞ寄って下さいましたな、まだ文を書いておりませんのでもう少ししたら来てくださいな、それなら明日の便りになさいませ、今宵は仕事了いでございますと言う。それは尤もで御座いますが、今夜上して明日の間に合わせねばいけない大事な要件があるのです、無理なお願い事ではありますが、もう少ししてからもう一度寄っては下さいませんか、お願いいたしますとひたすらに頼み込むのだが、返事もしないで出てしまった。 房は心も上の空で、日の暮れまでの約束が初夜(午後の八時)過ぎて四つの鐘(午後の十時)が過ぎても徳兵衛は姿を現さない、兼ねて予期していたことではあるが金策はおぼつかないと思ってはいたが、門まで出ては北を見、道頓堀の岸まで歩いて西東、足の冷えて金釘のよう、その金釘を胸に打ち込まれるような様々な思い、やあ、北から人が走って来る、そりゃ徳様よと走り寄り、見れば以前の飛脚屋である。お房様ですか、どれどれ御状はどれですか、舟が出ますのでと言う、おお、道理です、道理、この銀は京にいる私の親里に明日の日中に渡さなければ、どうにも事が片付かない銀ではあるが、いまだに先方から届かないのです、きっとおっつけ来るでしょうから、もう少ししてからまた来てください、いや、最早こられませんよ、来ても今夜は出すことができませんよと言い捨てて帰ってしまった。 房はひとりぽつねんと気が抜けて呆然している、今夜の首尾を違えてしまっては、一生この身は京に縛られて連れ添うことも絶え果てる事は知り抜いた上でのことだから、徳兵衛に抜かりのあろうはずもない。これもみな女将のお辰殿の入れ知恵だと思うから、もともとこちらの無理を押し付けたこと、いざとなれば自分ひとりに覚悟のできている事だから、まるで悲しいこともない。 内へ帰れば主の内儀が、房はいままで門にか、この寒いのに物好きな、そうじてこの中うかうかとしやる、少し心を締めなさいよ言うのであるが、それですがあまりに他所が賑やかだったので、格子祝い(遊女が客の来る呪いに、夜遅く近くを散歩して来ること)に出ましたと言い捨てて二階に上がる体、気がかりであるから目を離さずに折々に心つけていたが、房はそれとも知らないで、白い紙の障子からの月明かりで剃刀を取り出して、合わせ砥石で磨く、こうなると決まっていたら、せめてこうとだけでも打ち明けて、もう一度顔を見てから死にたいと思えば曳かれる後ろ髪、手もわなわなと震えるのだ。 主が見つけて後ろから、これ房や、それを何をするつもりなのだい、はっと驚いて振り返り、はあ、御内儀様ですか、何でしょうか吃驚しました、あまり良い月影なので、額を剃ろうと思いましてと紛らすと、うち笑って、おお、良いところに来た、幸せだ、旦那殿が髭剃ってくれと言われるので、その剃刀を貸してくれないかい、とひったくり押し包んで、しばらくは額を見つめていたけれども、ああ、一昨日の煤掃き(年末の大掃除)で肩が大分疲れてしまった、そろそろと揉んではくれまいか、はいと答えて背後に廻ったが、さては気配を感づかれてしまったかと、悲しさと怖さが一段と増してどうしてよいやら分からない。流石に遊女屋の内儀だけあって、世間話で房の気を緩ませて、これのう、房や、いつかいつかと思っていたのだがちょうど良い折なのでこの機会にそなたに意見したことがあるのじゃ、我も始めは勤めの身だった、素人の言うことと同じに聞いてもらっては情けない、心を静めて聞いておくれ、曲輪や此処の奉公は楽しみがなくては務まらない、好きな人との仲を一途に裂こうと言うのではないが、いくら恋仲でも駆け引きがあってもよいはず。必ず妻子のある人と末の約束をしてはいけないよ。男の密夫(まおとこ)同然で、なかなか思いは遂げられないものといいます、徳兵衛様とも今は縁を切ったと言っている。おお、おお、仕合せ、仕合せ、目出度い事だ、お辰様を離別させ無理に添ってみたところでそなにも嬉しいこともあるまい、そればかりか、愛しい人を破滅させて、自分は自分で相手の親戚中から憎まれて、そなたを鬼よ蛇と言う、又本妻を離別させず妾として囲われて人目を憚り、後家同然に暮らしても、それが何の手柄になろうか、若木の花はひと盛り、老い木の枯れ葉色失せて、変わるのは男の心ですよ、余の御山衆と違って十歳の時からの子飼いで、豆腐を取ってこい、八百屋へ走れ、駕籠を呼んでおいで、掃き掃除や戸棚の鍵まであずけたのは小さい頃からの馴染みであって、我が子のように思っている。良い客がつけばよい、出世をさせて下女の一人も連れさせたい、思うのは私ばかりではないよ、どこの親方(遊女の抱え主)も同じで、無分別な事をしでかして酷いめを見せないでおくれよ。
2024年11月08日
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重 井 筒 (かさねゐづつ) 上 之 巻 夜さ恋、夜になったら来なさいと言う文字を金紗で縫わせ、裾に清十郎と寝た所、裾に清十郎と寝る、それではないが鼠色の、京の吉岡、紙子染め、野暮にけばけばしい照柿色か、それとも薄柿色か、正月前の庄屋の決算期の節気節気に旦那殿は外が内で、御神酒(おみき)過ごしてうかうかと山洲(やましゅう、下級の遊女の総称)、遊女と言えば目が見えなくなるほどの狂いよう、内にいらっしゃる内儀様や我々奉公人ばかりに仕事を任せっきりで、誂え物も節気をも、どう始末をつけよう所存なのか、心掛けの悪い御主人様よ、やい三太、そりゃ何だ、茶屋に遊びに行こうが山洲を買おうが、旦那は旦那だ、我々は紺屋の手間職人に雇われている身、何事にしても浅黄にさらりとして、立ち入ったことは言わぬがよいぞ、おお、喜兵衛の言うことではあるが我が身は元を知らないだろうが、もともとは旦那の素性なのだが、重ね井筒屋と言う大阪島の内の娼家茶屋の弟で、此処へは入婿なのだ、乳飲み児ではないけれっども、小紋を持ちながら他人の見る目も構わずに、海松茶(みるちゃ、暗緑色がかった茶色)の粋な衣装を着て、遊び狂っている。御内儀は穏やかな気性で柳に風とやっておられるからよいが、隠居した親父が来られると家内は竦んだようにしんとなる。あのように遊び惚けていてはやがては身代も木賊で物を磨き下ろすように財産をすり減らしてしまうだろう、言って笑うのだ。 酒びたりに精根も尽きたのか、我が宿へと帰り来た紺屋の徳兵衛、忙しそうに立帰って、これは庄助に喜兵衛、仕事に埓があかないな、あかないな、まだこの仕事にかかったままなのか、今日は何時だと思っているのだ、師走の十五日だぞ、中之島からの注文の品、昨日を日限にした約束ではないか、谷町の蒲団もまだ持って行ってはいないだろう、兄貴から誂のあった重ね井筒の暖簾にしても遅いと言って立腹じゃ、それに女房は一体何処に行ったのだ、ああ、気のきかない奴らだ、俺が言わなかけばもうこんなにも時間がかかってしまう、言いつけも監督・見張りも口は一つで、目は二つだぞ。こう注意する事が多くては水を一杯飲んでいる暇もない、と言った所は立派である。 奉公人達も小言には慣れて平気なもの、御内儀様は鑓屋町のお兄様のところにちょっと行っくるので、御主人様が帰って見えたら、よく聞いた上で布団地を持って行けとの事でした、と告げると、それなら喜兵衛、お前が持って行きなさい、庄助は提灯を持って女房の迎えに行きなさいと、命じた。それから家内が里に連れて行っている坊主に怪我をさせるなよ、背負って帰れと言いつけると、はい、はいと返事をするのもそこそこに皆々表に出て行った。 亭主も辻まで行くかと見えたが、三十歳ほどの女性とちょっと囁き交わしてから連れ立って内に入りければ女は亭主と馴れ馴れしい様子で対坐して中流の商家の妻のような顔をしている。 年季奉公の丁稚の三太はどうにも納得がいかず、ジロジロと見るのを徳兵衛は、これ三太、此処へ来い、つっと寄れと膝下に呼び寄せて、こいつはよほどの利巧者で言うなと命じたことは口にしない奴だ、それで人が可愛がる近づきになる印(しるし)に、何かやって下さいなと言えば、例の女が、そういえばそのように感じられて目元が利発に見えまする、なんと芝居の顔見世狂言を観劇しましたか、芝居の木戸札を買うお金をやりましょうね、それとも他に何か欲しい物がありますか、と言えば、いえいえ、私は芝居が観たい時には御主人様の兄様の家から行けばいくらでも観られます、わたしゃ金が欲しいと言う。むむ、銀を貰って何を買うのです、あの、銀貰ってか、銀を貰ったらその銀であっちの方のお山がひとつ買ってみたいと仰るのじゃ、と照れ隠しに身をすくませる。 これは偉い、偉いぞ、そのためにお金が要ると言うのなら、幾らでも用立てようぞ、誰か惚れた相手がいるのかな、言ってみよ、言え、と問いかけられて恥ずかしがり、私が惚れたのはいろは中にいる、と言う。やあ、それならばいろは茶屋にいるのか、いえいえ、太左衛門筋に、何だと太左衛門橋にいろはとは、ちりぬるをわか、よたれそつねなと、念の為に唱えてみると、それそれ、その次のらむ、右源太(遊女の源氏名)ぞと答えたのだ。これは上者、上目利きだな、と豆板銀一枚をぱっと弾んで差し出し、やい、今此処に銀を持ってくる人があるので、ここいる女子衆を必ずお内儀でありましょうかと訊くであろうからいいえとは言ってはいけないよ。さて、この事をおなご衆にも傍輩にも微塵も言ってはならないぞ、いいか、合点かと念を押すと、三太郎は頷いて勿体無や、勿体無や、決して申したりは致しません、もしも重ねて言いたい気持が出てきた際には、お前様にそっと申しましょうほどに、又銀を下さいませと三太郎は阿呆な顔していながら決して損をしない、相手を上手く操ったつもりの者よりもとぼけた顔で金を貰う者のほうが人情の裏表を知っている点で一枚上手である。 その時に当たって表の方で、頼みましょう、紺屋の徳兵衛殿はこちらでしょうか、と年配の人柄の客である。やあ、治右衛門様ですか、お入りなされ、御免と言って通りける、それ女房よ、内々に話しておいた治右衛門殿である、家付きの娘であるそなたが判を押すならば銀を貸そうと仰る、お目にかかって置きなさいよと言えば、兼ねて話し合って置いたものか彼の女、これはまあまあ御懇ろな、いかにも家も商売も私の物とは申せ、子まで出来た夫婦の仲であれば今ではもう屋財家財みな亭主の物でありまする、こうしてお目にかかった上は私が請け合いましょう、詳しい事情こそ申し上げませんがこの家屋敷相応に銀の三貫目か金の五十両はお貸し下さいませ、と言葉の端々に辻褄を合わせる巧みな弁舌にさすがの口入れ(取引の仲介をする事)屋も一杯喰った感じで、あらあら、これ程念を入れる必要はないようなものですが、徳兵衛殿は入り婿だと聞いていますので、こうすれば後々の為、今後も金を用立てる為です、さあ判を押してくだされよと手形を出せば、徳兵衛は引き出しのある硯箱を引き寄せて、ここへそなたの判を、此処へは私の物を押そうお互いに印判を押し合うこと型のごとくで明白である。海鼠形の銀貨の丁銀四百目包です、吟味してくだされよ、と受け渡しを終了して、もう日も暮れます、お暇いたしますがちょっとばかり固めの杯事を致しましょうかと言えば、徳兵衛はその盃はまたの機会まで御預けにします。それではと言って相手は帰ったのだ。 ざっと済んだぞ目出たいぞ、と銀を懐に押し入れて、これ三太や、この女子衆を送ってちょっと出かけてくるから門も締めて、火も灯せ、そのうちお辰が戻ったら湯屋へ行ったと騙しておけ、必ず何も抜かすなと商売物の糊で口を固めたように口を開けさせない。女は、徳様早うと表に出た。 所帯は持っても色気はまだ捨ててはいない道理である紺屋の妻、月も冴えていく夜の嵐に、ああ提灯は持たなくともよい、宵のうちから眠たがる小市郎は下女の竹の背中でうとうとしている。風邪をひかすな大事な子供、萬年町に帰って来たのだが、訊かれもしないのに三太郎は「旦那は只今湯屋に行かれました」と言えば、ああ、どうせ湯か茶かを飲みにであろうよ、夫と思えばこそ腹も立つ、何の縁故もない同居人だと思えば済むことと恨みながら、小市郎が目を覚ましてぐずるのを暖簾の奥の小座敷にやっとの事で寝かしつけてから、私も着物を着替えましょうと押し入れを開けると、これはどうしたことであろうか、掛け硯を開け広げたままで、しかも夫婦の印判がとり散らかっている。 これはこれはと言おうとしたが、周囲を見回して気を静め、こりゃ三太郎や、そちに大事な物をやろうから火を灯してから奥へ来なさい、と言うよりも早く、あいあいあい、それではどっさりとお金を溜め込むとしようかと、小行灯を提げて奥に入る。下女や手間取り職人は見送って御内儀様と奥座敷に通り、旦那様はとあっちへ廻っては中傷し、こっちへ来ては告白する。のこぎりが押しても引いても切れるようにどちらに廻っても利益を得ようと小賢しく立ち回る、下々の者にありがちなこずるさを発揮する。 この家の隠居の吉文字屋の宗徳、代々に伝わる紺屋の形紙(厚紙に渋を引き紋を染出すのに用いる)と一緒に、禿げた頭を剃髪して、額に毛抜きを当てることもなくなった、食うに困るわけでもないのに勘定高い老爺であるが、この家屋敷の家職を妹娘に与えて、自分は鑓屋町の姉夫婦の許で暮らしている隠居の身分、薪の始末や灯心を幾分でも減らそうとの心づもりで、日暮れに一人、にょっと姿を現した。 店の者共は、あれ、お辰様、鑓屋町の隠居様がお出でになられました、という声で、おう、と言って店の中に入って来た。宗徳は尖った声で「入婿殿は何処じゃ」、節気師走内を明けて外出すると言っても出したりはしないぞ、今のは二人目の婿なのだ、あの孫の小市郎に三人目の父親を持たせてはいけないぞ、と言う顔が不平そうなので、女房は優しくも夫の浮気を押し包んで、どうして他所になど行きましょうか、方々の仕着せ物などで内の者の手が足りずに、今朝早くから仕事をして、風邪を引いて頭痛がすると言って奥の間で寝ておりまする。お前様はどのような用事でいらっしゃいました、と問えば、いやこれ、唯は来ないぞ、たった今そなたが帰ったその後で、堀江の口入れ屋治右衛門と言う者じゃが、こちらの娘御の婿殿に両判で銀四百目を貸しました、若い人の事でありますから後日の念の為にちょっと知らせておきますと、言いおいて帰られたのだ。聞くと同時に俺は目が回って一服の薬さえ飲みさしてやって来たのだよ、四百目という銀を何にすると言って借りたのだ、商売の資本に食い込みができたのか、夫婦の仲の栄耀、贅沢暮らしで使い込んだのか、ええ、え、情けない、これでは身代は持ったないだろう、俺の寺参りの談義参りして一文を賽銭箱に投げるのさえ、進ぜようか進ぜまいかと迷っている、畳算(簪や煙管などを畳に落として吉凶を占うこと)を置いてみて、たとえ算が合ったとしても三度に一度は投げずに仕舞う。傍にいる同行衆ががらがら投げる際には銭を一文つまんで肩へこう振り上げて、投げるような顔をして手品師の長二郎よろしく手に留めておく。こうでもしなくては過ごし難い身代なのだぞ、四百貫目は何に使うのだ、使い道を聞こうと決め付ける。 女房はこれを聞いて、さては丁稚めの言った事は本当で、思い当たれば妬ましい、いっそのこと本当のことを白状してしまおうか、いやいや、それも酷い仕打ち、どうかこうかと責め立てられて先ず先に立つのは夫の可愛さ、ああ、親父様はどうしたことかと思ったら大袈裟すぎますよ、私ら夫婦がどうして借銭など致しましょう、その銀は南の兄御の方に、廓(くるわ、遊郭)から出たよい奉公人を抱えたのだが、手付金をやりたいのだが世間一般に金詰りであり、特にあの周辺は利息も高い、殊に兄御は病中です。私共の判があれば貸す人があるとの頼みでした。銀を貸すことはできなくとも判を押すのは親戚一門のよしみ、特に私とは他人なのでなおさらに義理は欠きたくない。又、こちらから向こうに頼むことも出てくるかも知れないと考えて判をしたのです。内外の人も聞くでしょう、よほどの手違いがあったことか、あんまりな言い方ですよ親父様、と夫の為に言い訳をする優しさよ。 徳兵衛は女房が帰らぬ先にと足早く、門口に立ったのだが、家の中では舅の喚き声がする、南無三宝とばかりに内には足を踏み入れもせずにしばらく様子を伺っていた。 舅はそでも納得せずに、おお、夫婦が言い合わせて親を騙して身代を潰すがいいさ、寝ていると言うのも嘘に決まっているぞ、どこへ失せたのだ、と詮索する。 はてさて、留守なら留守と何でなのか言わないではおかない、あれ、あの暖簾のあちらへと指させば、宗徳は暖簾を打ち上げ孫のことは気もつかずに老眼で、何を見たのか、むむむむ、先ず職人には似合わない鬢付きが気に食わないぞ、頭痛のする寝方ではないぞ、またもや喰らい酔いしたのか、春は早々追い出してしまえ、あのような婿なら二十人や三十人は直ぐにでも迎えてみせるぞ、三日とひとり寝はさせないぞと呟き呟き雪駄を履く。内の者共はもうお帰りなされますか、送りましょうと言うと、道は申し訳にちょっと送って夜食にありつこうと言うことかと、門の戸を開ければ、徳兵衛は染物を干すために枝のついた竹を並べた虎落(もがり)の陰に姿を隠したのだ。それとも知らないで舅は帰ったのだが、危機一髪の所であったよ。
2024年11月06日
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彦九郎は衣を打ち振るい、辻にある門の片陰で頭巾を後ろへずり下げ、笠をあみだに被り、上に衣を引っ張って、暖簾の端から差し覗き、かねてから覚えていた観音経第二十五爾時無盡意菩薩(にじむじんいぼさつ)、即従座起偏袒右肩合掌向佛而作是言世尊観世音菩薩(そくじゅうざきへんだんうげんがっしょうこうぶつにさぜごんせそんぼさつ)、以何因縁名観世音菩薩(いかいんねんみょうかんぜおんぼさつ)、ええ、喧しいしいわい黙りなさい、と言いながら走り出て来た下女の様子を探ろうと、申しあなた様、早朝からのお客であったようですが、何方様で御座ろうか、と問いかけたところが、どこも下司と言う者は口が軽いもので、あれは田舎のお侍、ここの旦那様の鼓の弟子で、お国の殿様から鼓のゆえにご加増があったそうで、これも師匠のおかげですと言ってこの度御礼に参られたのじゃ、旦那様に銀十枚、内儀様へは一歩判金を五つ、わしらまでずらりと誰彼のけじめもなく一人あて三百文の御祝儀にあずかった、そなたが一日朝から晩まで喉の穴が痛いほどに観音経を読んだとて三百は貰えまいよ、さっぱりとお経などは捨ててしまい、手鼓などでも習って売ったほうが得であるよ、今からでも鼓を打ちなさいな、と下衆女の問わず語りの早口に言い捨てて、内に駆け入ってしまった。 彦九郎はうち頷いて、様子は聞いたぞ、今からでも鼓を打てとは幸先がよいぞ、皆に囁き勇んだのだ。 時も経過しないうちに客人は、裃を脱いで脇差ばかりを腰にして、編笠を被りただ一人だけで出て来て、あたりを気遣う風情である。立賣を東の方向に、洞院の南へと下ったのだ。 人々は一緒に寄り集まって、これは推量するに、きっとただ今の侍が下人どもを残して、表には槍も置きながら、自身はこの家にいるような様子にして祇園会の山鉾山車(やまぼこだし)を見物に行くと見えたぞ。七八人の下人どもが留まっているからは中々容易には討ち難い。どうしたらよいだろうかと、それぞれが小声になって相談する。 文六は血気に逸る若者なので、そのように言っていたのでは何時までも本望を遂げる時節はないでしょうよ、下郎どもが居ても目指すのはただの一人でありましょう、助太刀するのであれば撫で斬りにしてしまうまで、それからは運次第でしょう、さあさあと言って斬り入ろうとする。彦九郎は平静に、ちょっと待て、妙案があるぞ、文六を押しとどめてから再び門の前に立ち、暖簾を上に上げて、これ、申し、頼みましょう、先ほど編笠を召してここから出立なされた殿御は、山鉾を見物にと出かけられて三條上る室町で喧嘩を初めまして大勢に取り囲まれておりまする。お知らせいたします、と大声で呼びかけた。これは大変だと下人どもははらはらと駆け出しながら、三條とはどう行くのだ、室町とはどう行けば良い、北か西か、とおっとり刀でいずれも遅れまいと走った。 さあ、北の方角ですと後ろから呼びかけた。この策略が外れるはずもなく、運の盛り、刻限も先勝の時が至ったぞと喜び、衣を脱ぎ捨てふわりと捨て、親子の脇差を両人の女達に渡せば、心得て、鍔を打ち鳴らして腰に落として鉢巻も凛々しく抱え帯からげた膝頭が白々と、小足を踏ん張って立った姿は男勝りとも言うべきだろう。 南無正八幡大菩薩、神力、威力を与え給えと、心中に祈念して、二人の女は堀川口に、親子は立賣西東へとと立ち別れたと見えたのだが、中戸障子を蹴破って、ばらばらと駆け入ったのだ。 この思いがけない意外な攻撃に遭って、家内では下女も下人も「ああ、怖や」と言って裏口を指して逃げ出した。 あれ、あの者こそ宮地源右衛門ぞ、とお藤から声を掛けられた相手は、不意のことで、まだぼんやりとしていたのだが急いで立ち上がると二階への梯子、半分登ってから腰を打ち付けてしまい、拳を握って左右を睨み、控えている構え。隙間も見せずに二人の女は両方に引き添うのだった。 彦九郎は大声を上げて、我こそは小倉彦九郎である、妻女のお種と不義の段が露見したので、女は先月の二十七日に刺殺したぞ、女敵め、逃がさないぞ、と声をかけてからはったと相手を斬った。心得た、とばかりに足を上げて梯子に手をかけて「えい、やっ」と二階へ上がるのを追いすがって二階に上がろうとするのを、源右衛門の女房が壁際に架けてあった薙刀を急いで手に取り、相手を二階に上げてなるものかと切り結ぶ。下人共は物の間から、寄る棒、杖よ、箒よ、と支えるのが足でまといとなって、躊躇している隙に源右衛門は虫こ窓から手を出して、軒に立てかけてあった槍を引っつかんで、上がり口から指しおろしに突きかけたのだ。 彦九郎は嘲笑って、なんで貴様のねずみを突くのが関の山の鑓などに撃たれるものか、鼓の胴を握っても鑓の柄を握った習いは知らないだろう。構えといえば隙だらけだぞ、我流の槍の振り回しぶりを見物してやろう、と彦九郎は相手の槍の柄の身に近い籐で間を透かして巻いた蛭巻の部分をはっしとばかりに切って落としてしまった。相手は、ええっ、小癪な、われはもとより武士ではない、槍を持つ術は知らないが、鼓の御蔭で打つことは体得しているぞ、この碁盤を受けてみよと、狙いをすましてはたと打った、双六盤やら将棋の盤を取っては投げ、取っては投げして、後からは火入れ煙草盆、茶の湯で湯を沸かす風呂釜、茶碗、枕をいくつも入れておく枕箱を、がらりと打ち空けて手に触れるのをはらり、はらりと投げたのである。さながら天から降る雨のようで、寄るのが難しい状況である所に、妹のおゆらが表に廻り、辻の門に手をかけて柱を伝い貫木(かんぬき)踏んで尾垂(おだれ、庇のこと)から這い上がって抜き打ちにちょうと斬った。 源右衛門はせん方なく四尺の屏風を押し倒して、上から取って押さえれば跳ね返そうと挑み合う、遂には源右衛門はゆらの脇差をもぎ取ったのだ。その間に彦九郎は梯子を上がって逃がさないぞと追い立て追い立てして切り結ぶ。斬り合いが激しくなると源右衛門はこれは敵わないと大道へと飛んだのである。彦九郎は続いておりて、ひらりとばかり橋の上まで切り出した。 あたり四方の町々から、さあ喧嘩だと東西の門を閉じて、叩き殺せと人々が集まってきた。 藤とゆらの二人の女は大声を挙げて、正式に訴えでた敵討ちでありまする、他の人には害は与えません、粗忽な手出しをいたすでないぞと声をかけて、門の左右に仁王立ちに立った。 二人は此処が大事であると息を休めながら休息を取り打ち合わせ。命限りと火花を散らして相手と斬り合ったが、彦九郎は侍、相手は町人である、それを相手に本気で立ち会うのは見苦しいと思ったのか、自身はあまり活躍しないで、打ちかかってくれば追い払い、二三度身を揉ませて切りかからせて、もうここまでであると見極めをつけると射った矢の如くにつっと相手の手元に入り、相手の左の肩先から右の脇腹にかけて斬り捨てると、うつ伏せにどうとばかりに倒れふした。文禄も直ぐに飛びかかって母の敵と切りつけた。藤が為には姉の敵と打ちかかり、同じくゆらは兄嫁の敵だと恨みの刃を打ち下ろした。最後は四人が同時に乗りかかって一度に止めを刺したのである。これは前代未聞の振る舞いであった。 町中の者が寄ってきて手にした棒を突き並べて、四人の逃亡を警戒しながら、町内の者として念を入れるため腰の物を預かって所司代からとかくのお指図があるまで外へは逃がしたりはしませんぞ、町内の事件を扱う事務所へ取り押さえて押し込んでおけ、と四人の男女を取り囲んでしんずしんずと歩ませていく。見事さ、立派さ、心地よさ、世上にたちまちにぱっと噂が立って囃し立て、言い渡した。山鉾の賑やかなお囃子に負けないほどの賑やかさ、見事に討ち取ったり女敵うち、実話通りに仕組んだが、操り芝居で太夫の操る舌の先にかかり、世上の評判を取ることとはなったのだ。 こうして、近松門左衛門の人形浄瑠璃を続けて二曲ほど鑑賞してみたが、心中事件と言い、仇討ちと言い、実際に起きた事件をもとにしているので、所謂、不自然さを故意に隠そうと意図する作為も目立たないで、流暢な語り口の流れで観客・読者を文句なく酔わせ、楽しませてくれる。エンターテインメントのお手本のような作品である。劇的とは、極めて人間的であることの同義である。人間は人間らしさが非常に好きなのですね。死にまつわる劇的なスペクタクルの展開は、何度でも鑑賞するに堪える上質な娯楽の種なのでした。硬い事は言わずに存分に楽しめばよいのであります。
2024年11月01日
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