2007年01月30日
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イスラエルの旅行記も、いよいよ大詰めで、まとめは、しばらくのお休みの後に(教役者大会に参加するため)させて頂きたいと思います。

旅行も最後の日となり、やはり、昨晩の物が無くなったということが不可解で、気分が冴えませんが、気持を切り替えて、嘆きの壁に行きました。

私はそこで、前日買ったキッパというユダヤ人がかぶる帽子を頭にピン止めしてかぶり、そして、嘆きの壁に額をつけて叫んで祈りました。

最初は、自分のこと、家族のこと、そして、最後は、エルサレムの平和のためにひたすら祈りました。私は祈りに夢中になっていましたので、周りに一緒に参加した先生方が誰もいなくなっていることも気付かずにいましたが、添乗員が呼びに来てくれました。

そこに、伝統的なユダヤ人が来て、英語で「あなたは素晴らしい人だ!」とか話しますが、添乗員が急がせますので、二人で写真を撮ってもらって足早にその場所を去りました。

今回の聖地旅行では、ガリラヤ湖畔で、私が知っている教会員の祈祷課題やインターネット上の友達の祈祷課題をはじめ、あらゆる課題を祈ることが出来ましたし、非常に霊的な雰囲気でしたので、深く祈ることが出来ました。

一つ気になったのは、イスラム教の祈りの時間に放送される大音響の声でした。その声は、ペンテコステ派の教会の人たちが歌う異言の讃美に近い感じのものでした。ガイドさんは、気持ち悪いですが、これを聞いた時には、彼らのために祈ることにしていると話されましたが、それは名案だと思いました。

私たちは、気になる人、いや、気に入らない人を見たら、すぐに排他的になったり、誹謗中傷をしたり、無視したりしやすいものですが、その時、その人のために祈ることで必ず解決できるものです。

実は、私も人間ですから、気に入らない人に出会うことは1日に何度もあります。しかし、その時、その人のために、特に、祝福を祈るのです。そうやって、ローマ書に書いてあるように相手の頭に炭火を積むのでしょうか? 違います。祝福を祈ることで、少なからず、私の心が救われるのです。苦い思い、赦せない思い、嫉妬心から解放されて、喜びに満たされるのです。ハレルヤ!



園の墓は、イエス様の死体が納められ、そこから復活したお墓ですが、そのお墓には、急いで掘られた跡がありましたが、それが、イエス様がここに納められたという一つの大きな証拠だと聞かされました。

鶏鳴教会では、イエス様が裁判にかけられ、そして、投げ落とされたという地下牢も見ることが出来ました。そして、おそらく、その地下牢に入れられる途中に、ペテロのいた場所の近くを通った時、ペテロが主を否み、そのペテロを主がみつめられた場所であると言う場所に来た時に、主の愛を感じずにはいれませんでした。

それは、「お前裏切ったな!」というようなものではなく、「心配しなくていいよ。」という赦しのまなざしであっただろうと思いますし、その主は、失敗を繰り返し、罪深い私をも同じように見つめていて下さるのだと感じて感謝しました。

地下牢では、一人の先生が代表して祈られましたが、泣いて、「この罪人の私のためにあなたは・・・。」と祈る言葉に、「アーメン」と同意しました。

最後は、田舎の集団農場の食堂で食事をし、急いで、テルアビの国際空港に向かいました。

これでイスラエルとお別れだと思ったら、すごく寂しくなりましたが、ここは私の心の古里であり、霊的な故郷であると思います。しばらくお別れして、「また必ず帰って来ます」と主に祈りつつ、バスの中で過ごしました。





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最終更新日  2007年01月30日 09時38分37秒
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