ベンチャーゲノムがゆく

ベンチャーゲノムがゆく

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

Shibuo

Shibuo

Comments

樺沢潤&樺澤潤 @ ああ頑張ります株式会社の樺澤潤です。 13:10 パネルディスカッション   …

Calendar

2006.04.07
XML
カテゴリ: オヤジノセナカ

3月末の人事。

校長をはじめ、幼稚園・小学校・中学校・高校
の4部門の部門長とともに人事が決定されます。

ぼくは、正採用を考えていたのもあって、
実は、こうなる前の布石が他にもあったのです。

まず、校長先生が作っていた経営改善タスクチーム
に夏頃から入っていました。

おもしろい人間がいるとのS先生とのご推薦
があったからです。

多くの経営改善案が、ここから発信していきます。。

そこで、多くの意見を求められたり、広告や
営業方法などを必死で提案していました。

ときには、幼稚園の募集をお手伝いし、営業も
廻っていました。
そして入学の時には、中学校の募集広告デザインまで
タスクチームのなかで任されるようになりました。。

そのことなども大きく影響したようです。


さて、こういういきさつがあったにせよ、ぼくが
急にトップになることで、大きな問題点が生じました。

それは、中学校と特別進学コースがこれまで
S先生が受け持っていたのに、これが
ぼくとM先生の二人に分かれたということ
ですから、どちらが意志決定権を持つのか。
朝礼もいっしょにやっており、カリキュラムも
連携しておこなっていましたから、このことは
大きな裁量権にわたる重大な決定事項なのです。

もっとも、最終決定権は高校の部長である
i先生、事務面は副の先生に最終決定を
聞けばいいとのだんどりでしたが、実際の現場では
そうもいきません。

最初に

「M先生とぼくとどちらが意志決定権をもてば
いいのですか?」

と中学主任が決まった時点の会議で問いました。

すると、高校の先生方から

「協力してやったらいい」

ということであっさりと却下されました。。

ぼくは、このことが気になって仕方がなかったのです。

それでも、年長者であり、ベテランのM先生だから
まあ、うまくいくかなと高をくくっておりました。


部長席をM先生にゆずり、副部長席である
職員室の窓際に座り、中学・特進コースのスタートが
スタートが切られたわけです。


このことがすべての問題の始まりでした。。


○問題の発生

 早速入学式の準備。
 担任の人事、そして校務分掌に。

 とめまぐるしく動きます。。。

 まず中学校の人事では

 中1にM先生
 中2にU先生(ベテラン国語教師)
 中3にW先生(ベテラン体育教師 野球部兼任)

になりました。

 この人事、すべて僕よりもベテランの先生方。
 ぼくは1年しかいないので、派閥もない。

 つまり、僕一人が大西派閥なわけです。

 *ただ、U先生だけは、理解を示してくれる
  立場の人でした。。僕自身、だれか教務をできる
  人が必要であったので、高校から呼び戻してもらった
  先生でもあったからです。 

  W先生は、ベテランもベテランで生徒指導では
  これまで高校畑で実績ある先生でしたが、野球の
  方針や、いろいろな面で、高校では冷や飯を食わ
  されつつある先生でした。


 そして、他の先生は当然、ぼくがなったことを快く
思うわけがありません。特に、ぼくに職員会議で
卑怯だといわれた女性教師には、ほんとうに苦々しい
人事だったと思います。

 そして、講師も同じく。
 同じ講師だったのが、4月からは上司と部下の関係
ですから。そんなこと、受け入れられる訳がないです。

 四面楚歌。

 さあ、波乱含みの4月が始まります。。


○5月の問題発生

 5月、今でも忌まわしい事件が起きます。
 中1の野外研修にて、いじめが起きます。

 ひ弱な感じの子で、小学校の時から、どうやらちょくちょく
いじめられていたようです。。

 それが、研修先の宿泊所で集団でいじめられたと。。。


 「いじめのない学校」

 それがうちの「ウリ」でした。

 少人数で、先生の目もしっかり行き届いている。

 礼儀作法もしっかりできる。

 それはぼくの前までの「こと」
 過去のものになっているものでした。。

 ぼくの指揮に関して、ココロから支えようとしない
先生方は、当然、指導も甘くなります。

 そして礼儀作法の面でも、僕自身そこが弱い。。
 右腕となる生徒指導の先生もいない。

 海千百戦のW先生をどうのこうのできる指導力が
ぼくにあるわけもなく、ずるずると前年度のカラーが
薄れていきます。

 というか、前年度のカラーを壊そうとしていたのは
僕の方なのかもしれません。
 去年学級崩壊を犯したベテランの先生をリストラ
しました。そして講師の先生も選抜を始めました。

 前年度まで、Sイズムで培われたチームワークを
なし崩しにしている「破壊者」が僕であったろうし、
指導力のない男であったでしょうから。。

 さっそく、M先生を信頼して、早急に対応して
もらうこと、そして学級経営に関して、立て直しを
お願いしました。

 みなさんもおわかりでしょう。

 このとき「お願い」しているようでは、甘いのです。。

 この「甘さ」が命取りとなります。。。


○「柔らかな権力」と「甘い平和」

 M先生は、子どもに強くでられない先生でした。。

 S先生が彼を中学部長に押さなかった点はここでした。

 つまり、教師として必要な権力、それがかけていたのです。

 クラスの子どもたちは、増長を始めます。。

 曖昧な権力のもとでは、「秩序」などあり得ません。
 最低限、「柔らかな権力」のないところに、学級の秩序など
あり得ないわけですから。。

 問題となったのは、K男とC子。

 問題がどんどん発生し、我が儘がのさばり始めます。

 C子は、小学校の時にもいろいろと問題を起こす、我が儘な
性格で、この子をコントロールできないことがさらなる問題を起こしていきました。

 ところが、先に、問題は夏に起こります。

 研修時いじめられた子どもが転校を決意します。。

 そう、いじめの根本的な解決ができなかった。
 そして、クラスをコントロールできなかった。

 それが最大の要因でした。

 校長から激しく叱責されます。
 一人の生徒の転校は、収入源の減収をさします。
 年間補助金を含めて100万以上の減収になります。

 ぼくには、この問題を立て直す方法はわかっていました。
 そうM先生を担任から外すこと。
 これしかないのはわかっていました。

 しかし、それは、旧派閥の人間たちすべてを敵にまわす
ことになります。M先生を中心に、ほかの先生方はまとまっていたからです。特に反抗したのが女性の先生たちで
かつてからいるK先生ほか、かなりの抵抗勢力となりつつ
ありました。

 つまり、動きようがなかったわけです。。。

 未だに、あのときにどうすればいいのか。

 四面楚歌での打開策は、結局、自分の力量なしには
あり得ないなと、今でも思います。

 再びのこの「甘さ」が命取りになりました。

 徐々に徐々に、ぼくとM先生の火種は増え、
子どもたちにも目に見える形で対立構造がはっきり
してきます。

 朝礼では特別進学コースが別朝礼に変わるし、
中3は、ぼくを支持しない体制になってくる。

 唯一の味方は、何も知らない外国人教師と
一緒に入ってきた2年生のみ。

 *外国人教師には、絶大な人気があったので、
  幼稚園から中学校までの英語教師はすべてヘルプ
  してくれました。

 また問題が起きました。。

 つぎは中1のC子でした。。。 

<続く>






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.04.07 22:15:46
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: