なるようになるさ♪ 

なるようになるさ♪ 

あの日のこと


職場から家まで車で1時間かかるので、11時すぎに帰宅しました。
「風邪をひいたみたい」と言ってました。食欲はあり、夜食は残さず食べました。

翌日の仕事の準備があったので、お風呂から上がったあと、パソコンに向かってました。すると「なんか、くらくらしてきた」と言った直後に、意識を失いました。日付が変わって、5月22日 AM0時半のことでした。

息もしてない様子だったので、私は気が動転。情けないけど、何をしたらいいのかわかりません。パニック状態です。とりあえず、救急車を呼ぼうと思って、電話をかけるのだけど通じません(ちゃんとダイヤルできてなかったみたいです)。私がバタバタしている間に、旦那の意識がもどり、顔色ももどりました。すごく長く感じだけど、時間にしては1分もないくらいだったと思います。

気持ちを落ちつかせて、救急車を呼びました。
救急隊は入院施設のある病院をあたってくれたのですが、断られてしまったので、入院施設のない「夜間救急」に搬送されました。

旦那は、酸素マスクをして、心電図、血液検査をしてもらい、診察をしてもらいました。熱が39度ありました。
診断は「熱性痙攣」。「大したことないから、お家に帰ってゆっくり休みなさい」とのこと。そのことばを信じ、夜中の3時頃帰宅。

旦那も「元気になってきた」と言ったので、私も安心しきってました。
「死んでしまったかと思ってびっくりしたよ」というと、笑いながら「僕が死んだら喪主は誰なの?」と言ってたので、「そんなこと言わないでよ、大したことなくってよかったよ」と言い返したのを覚えてます。
そんな会話をしている横で、息子が、コロコロと寝返りをしていて、「すごい、上手になったね」と旦那は嬉しそうに見ていました。

そして、非情にも、運命のときがやってきました。

3時半頃、布団に入った直後「なんか、やばい」と言ったかと思うと、一瞬のうちに、心配停止状態に。
救急車がつくまで、心臓マッサージを繰り返すも意識はもどらず。即「救命救急」に搬送されましたが、旦那は帰って来ませんでした。

旦那が最期を迎えた病院は、1回目の救急搬送の時に受け入れ拒否されたところでした。病院側の事情もあることは十分わかるのだけど、「最初に受け入れてくれていれば、すぐ処置もできただろうし、死ななくてすんだかもしれない」と思うと本当にやりきれませんでした。

懸命の蘇生処置が行われている中、私は、ずっと息子を抱っこしてました。
抱っこした時のぬくもりが、なんともいえない落ち着きを私に与えてくれました。息子の温かさに、すごく救われた感じがしました。

そして、治療が打ち切りの時がやってきました。継続治療をお願いしたのですが、医学的にもう心臓が動く見込みはないんだとか・・・。
お互いの両親も向かっている途中だったのですが、携帯でそのことを告げ、最期に息子を旦那のお腹の上に乗せ、抱っこしてもらってから、機械を外してもらいました。

救命救急の担当者も、「どこも悪いところはなく、心臓が止まったとしか説明ができないんです」とのこと。

なぜ、死んだのか、本当に納得できません。
これが、天命というものなんだろうか。

1回目に搬送されたところの見立てが間違ってたのでは?という思いもありました。そうなると、「解剖するかどうか」という判断になってきます。
でも、たとえ解剖しても、死因が特定できるかどうか確約はないし、旦那が帰ってくるわけでもない。

何度も悩みましたが、結局は、解剖することはやめました。
その決断については、全く後悔していません。

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