のん気な母のひとり言 ミーハー館

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「ジニョン先輩に出会わなければRainはいなかった」

果てしない世界に飛び立った「ワールドスター」Rain

-芸能人になる前、オーディションに12回も落ちたんですか?


 「18回です」


-当時、オーディションで「顔が悪い」という評価を受けたって本当ですか?


 「中学2年のときにオーディションに行きました。その頃までも目鼻立ちのはっきりした人が人気でした。ドンゴン先輩(チャン・ドンゴン)のような彫りの深い顔立ちの人が人気で、僕は芸能人になるには未成熟な顔と体だと言われました。『二重の美容整形をしてこい』とも言われました。だから美容整形外科に行ったこともありますが、『君の顔は一重の方が似合う』と言われ、がっくりして帰ってきたこともあります。とにかく、自分なりに芸能人らしいルックスになろうと頑張りました。体に筋肉をつけ、顔の肉を落とそうと努力しました。そんな中、高校2年のときにある人の紹介でジニョン先輩(パク・ジニョン)のところにオーディションを受けに行きました。ジニョン先輩は僕の人生を切り開いてくれた方です」

rain


-パク・ジニョンプロデューサーと出会わなければ現在のRainはどうなっていたでしょうか?


 「Rainはいないでしょうね」


 それはパク・ジニョンがつけてくれた芸名「Rain」はないということなのか。それとも自身の存在自体がないということなのか分からなかった。


-でも『チョン・ジフン(本名)』という若者はいたでしょうね?


 「当時の僕はがけっぷちに立っていた人間だったので、それ以上どこにも行けない状態でした。母の病院代はたまっていたし、生活費はないし、交通費もない。僕の下には妹もいたので、僕が何かをしなければならない状態でした。もし僕がネズミだったとしたら、目の前にネコがいても、それに噛み付いて危機を乗り越えなければならない、そんな逃げも隠れもできない状態でした。僕にはそれ以外に、がけから落ちて死ぬ道しか残されていなかったんです。そんな切羽詰った思いでオーディションを受け、休まず5時間ずっとダンスをしました。そしてオーディションに受かったんです」



-パク・ジニョンさんはどうしてあなたを選んだと思いますか?


 「僕の目がハングリーな色をしていたと。実力より情熱が見えたと。この子はこれをしなければ死んでしまうように見えたと。そんな風に言っていました。今でもそのときの気持ちのままで活動しています」

ナン

-もしあの時に受かっていなかったら他の道を歩んでいたかもしれないと思いますか?


 「大学路の劇団に入ったか…たぶんそんなところでしょう。僕の人生で演技と歌とダンスは唯一の意味であり、僕を楽しくしてくれるものでしたから。このほかに僕が選べるものはありませんでした。踊る自分を、演技をする自分を人に見てもらうのが好きだった、それだけです。『僕はこれだけやったのだから見てくれ。僕よりうまい奴がいるなら出てこい』という情熱がありました」


-子どもの頃、勉強のできる子を見ると羨ましかったですか?


 「羨ましかったです。先生にはほめられるし、親に心配もかけないし。でも僕は体質上、1時間以上机に座っていられません。机に座っている時間になんとか耐えた後は、鏡を見るかダンスの練習をするか、音楽を聴くか、運動をします。試験勉強のときも音楽をかけていました」


-それなのに慶熙大学(ポストモダン音楽専攻)に合格したのはすごいですね。


 「ジニョン先輩に『大学に入れなければ歌手にはさせないし、アルバムも出さない』と言われたからです。目の前が真っ暗になりました。修学能力試験(日本のセンター試験)まで102日しか残っていませんでした。本屋に行って300ページぐらいの重い模擬考査の問題集を買ってきました。1日に3ページずつ勉強すればいいと思って。毎日3ページずつ解いて、問題まで全部丸暗記しました。ご飯を食べるときも、歩いているときも、ダンスの練習をしているときもその本を見ました。ダンスの練習に飽きたときは、徹夜でその本を覚えたこともあります。そんな風にしてなんとか大学に同格できました」


-無名のころ、1番辛かったことは?


 「オーディションには合格したけれど、それで必ず歌手になれるというわけではなかったんです。ジニョン先輩は僕の後も1週間に1回ずつオーディションを実施していましたから。不安でした。ある日、ジニョン先輩に『荷物を包んで出て行け』と言われたらどうしようと心配で、もう諦めようかと思ったこともあります。1日に何度も諦めようかという思いが心をよぎりました。自分との闘いでした」


-既婚女性のファンが多いですよね。かなり積極的にアピールしてくる中年女性も多いようですが、そんなときの気分は?


 「10代の子たちは恥ずかしがって僕の近くに来ようとしません。20代の人たちはサインを求めるくらいです。30~50代のファンたちは僕のお尻をポンポン叩きながら頑張れと応援してくれます。心強い後援者たちです」


-中年女性が熱狂するその体つきは生まれつきですか?


 「僕はすごく弱い子どもでした。いつもいじめっ子にぶたれて泣いているような子でしたが、あるときそんな自分が嫌になり、合気道やテコンドーを習って、スポーツジムに通うようになりました。意識的に体作りを始めたのは高校のころからです。体は1番の財産だし、健康も大切ですから。それに、いつか人の前に立ったときに自分の体を堂々と見せられるようになりたいと思ったんです」


-体にたくさん投資をしていますが、精神にはどんな投資をしていますか?


 「まずは知識に対する投資ですが、以前は知識に投資しなければならないという、その理由が分かりませんでした。でも最近になって知識があってこそ話すことができ、体でもそれを表現できるということが分かってきました。だから新聞を買って読むようにしています。時間がないときは社説だけでも読むようにしていますが、それほど面白くはないです。政治が何なのかもよく分かりません。理解するのは難しいけれど、読み続けていればなんらかの足しになるような気はします。でも本当はこういった知識より、寂しさや憂うつな気分を感じないようにする精神的な健康がもっと重要だと思っています。米国のアーチストやスポーツスターたちはマインドコントロールをしてくれる精神科のカウンセリングを受けていますから。でも僕はまだそんなカウンセリングの必要性は感じません。僕の精神的な健康はマネージャーたちとバイクが解決してくれます」





-ストレスを感じたときはオートバイに乗るんですか?


 「バイクは少し風に当たって気分転換をする程度です。本当にストレスを感じたときはマネージャーと外に出てサッカーのような運動をします。芸能人という職業を持っている人のほとんどがストレスを発散する場がありません。誰かに秘密の話をしてそれがもれたら大変なことになりますから。ある日、トップ記事で報道されていたなんてことになります。だから秘密の話を打ち明けられる人が必要です。幸い、僕にはそういう人がたくさんいるんです」


-年齢より大人っぽく見えますが。


 「芸能界で10年間活動しながら、周りの人たちをよく見てきました。ミスをしても小さく収まるミスもあれば、ミスは小さくても大事になってしまうこともあります。そういったことをノートにメモしておいて、暇なときに読み返しています。そういう風にしているうちに、見せかけだけではなく、ミスをしない自分になることができます。僕もたくさん恋をしたいし、時には日常から脱出したいこともありますが、そんな欲望になんとか耐えています。それらはすべて年を取ってからでもできることだからです。今は仕事にだけ情熱を燃やしたいと思っています」


-どうして年を取ってからでも恋が可能だと思うのですか?


 「僕は恋に年齢は関係ないと思っています。映画にもあるように、年を取ってからでもたくさん恋してるじゃないですか。今は仕事が楽しい。仕事にある程度満足したら恋人を作るかもしれません」


-どんな女性にひかれますか?


 「賢い女性が好きです。外見的な部分はすぐに飽きがくると思っています。もちろん美人な方がいいけれど、いくら美人でも1年過ぎ、2年過ぎれば顔なんて関係なくなるんじゃないですか?外見の美しい女性より、賢い女性が1番だといつも父に言われています」


 インタビューをしていると、自分よりRainの方が年上であるような錯覚に陥ってしまうほどだった。私は舞台の上のRainも知らず、その華やかさも知らず、その熱狂のほども知らないけれど、一緒に話をしているうちに、この若者に多くのことを学んでいる自分に気が付いた。


-カラオケには行きますか?


 「もちろんです」


-自分の歌を歌いますか?


 「いつも歌うのはチョー・ヨンピル先輩の『釜山港へ帰れ』とイ・スンチョル先輩の曲、またはポップソングですね。自分の歌は絶対に歌いません。録音しながら数千回もうたっていますから」

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