しろわんこのこだわり

しろわんこのこだわり

小説

 「何者。」
 随身の声とともに牛車ががたんと止まり、それまで静かに高麗笛を吹いていた少将は前につんのめりそうになって、慌てて手をついた。
「びっくりするなあ。」声には出さずに舌打ちする。
 ここは京の都大路。
 夜の闇は深く、その内に魑魅魍魎を隠している。
 人を食らう鬼。祟りなす怨霊。あるいは臈長けた狐などのあやかしのたぐい。
 また、盗賊どもも跋扈する。
「何事だ。」
 少し不機嫌に言って、少将が牛車の物見を開けて見ると、随身たちがなにやら騒いでいる。
「鬼か。」
「いや童のようだ。」
「その者を早くのけろ。」
 口々に言い合うところによると、牛車の前に突然人が現れ、あわや轢きそうになり、鬼かあやかしかと誰何しているらしい。
「若君。失礼いたしました。すぐに車をお出しいたします。童がおりまして、危うく轢きそうになりましたが、もう大丈夫でございます。おい、早く出せ。」
 少将の夜歩きの常のお供である乳兄弟の忠義が報告して、御者をせかせた。
「こんな夜更けに童だと。十分怪しいじゃないか、どこが大丈夫だ。」
と思うが、育ちのいい少将はもちろん口には出さない。
 この少将は後に頭中将と呼ばれる、光源氏の親友にして最大のライバルであるが、今はまだ蔵人の少将である。18才の若者で、密かに思う恋人のところを訪ねた帰り道である。
 今宵の月は、半月で、ほのかに外が見える。随身たちのたいまつに照らされたところに、確かに小さな人影があるようだ。
 と、その時。通りの向こうから松明を掲げた一団がパラパラと走り寄ってきた。
中の一人が、走りながら言う。
「そこの車の随身方。不審な童を見ませんでしたか。我らは陰陽師寮のもの。このあたりに我らの探しておる童が来たはず。」
 それならばと随身が童のいたところを振り返ると、そこには先刻まであったはずの小さな姿はなかった。
 どうした事かと、その場で立ち騒ぐ家来どもを見ていた少将は、後ろになにやら気配を感じて、ぎょっと、車内を振り返った。
「助けて。」
 少将のすぐ後ろに突っ伏した童が、震える声で小さく言った。
 少将は、失神せんばかりに驚いて、振り向いたまま思わず後ずさったが、車の中にそんなスペースはない。
 何事にも好奇心旺盛で、物怖じしない、当時の貴族の若君としては、めずらしく弱々しさのとは無縁の少将でも、この状況では、パニックになっても仕方がない。
それくらい当時の京の闇は深いのである。
「う・・。」
 口をぱくぱくさせながら、少将は何とか自分を取り戻して対処しようとした。
だが脳髄が麻痺してしまっている。
 童は、少将の狩衣の袖を引きながら、少し顔を上げた。
 物見から入った松明の薄い光の中で、童の小さな顔が白く光っているように見えた。

 「美しい。今まで見た事のない美しい童だ。先ほど訪ねて行って会えなかった人に似ている気もする。」
 しびれた脳髄の片隅が動き出したようだ。少将は、口パクをやめ、小さく息をのみ、無意識のうちに、その白い小さな顔に手を伸ばしていた。
 少将のまだ半分しびれたような脳裏に、周りの声がよみがえってきた。
 外では、陰陽師と随身たちが、消えた童を探して騒いでいる。
「あっ・・。」
 少将は慌てて伸ばした手をもう一方の手で隠した。急に恥ずかしさがこみ上げてきた。

 その時、
「若君、陰陽師の安倍清明殿でございます。」
忠義が、コツコツと牛車の物見をたたいて取り次いだ。



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