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*** マッシーのおてまみ *** 知り合いのイタリア人から おてまみ 届きました この人 本業はイタリア語を教えてますが 料理が得意で 趣味が高じて 料理教室 始めました 料理も上手ですが、とにかく面白い人です イタリア料理を習いながら 楽しい会話に 時が経つのを忘れるはずです 今日はちょっと宣伝ですが マッシーのおてまみ 紹介します Ciao! みんな様 私は マッシミリア-ノ プレブィタ-リと もいます。 (マッシでいいです) イタリア人の方です。ベルガモ生まれです。 日本に15年前に住みに行きました。 日本でずっと前イタリア語とイタリア文化教えます。 たくさん生徒達イタリアの料理大好きです。 でえすけど日本に材料がみつけられません。 日本にイタリアのRistoranteわ 特別の会社からか材料はかえます。 でも。。。もし。。。イタリアのマッマ日本にきたら どゆふイタリアの料理しますか? 私のレッスン受け取ったら分かります。(私に近くのスパ―でかいます) イタリア人はみんな食べる事大好きです。 あたりまえ私も大好き でも私はおたべることくらべたら料理もっとすきです。 お料理釣ったりお友達食べたり 私はとっても嬉しです。 ずっと前から子もときも母とキッチンに一緒にいてた。 その時はイタリアのマッマのお料理勉強しました。 あなたわイタリアのマッマの料理釣って、 イタリア語とイタリアの文化おぼえませんか? きたら楽しみ教えます。 マッシ HPはこちらから→ マッシのお料理 *顔写真あります。覚悟してから開いて下さい。
2008/04/21
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今年は下品をやめて 華麗に参ります どうぞ宜しくお願い致します
2008/01/01
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ただいま シーラカンス中 ・・・
2007/09/29
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*** 上の上 裏の裏 *** シュチュワーデス やっていた時 一番 びっくりしたんは なんと 朝の 早いこと 始発の飛行機 乗務するのに 夜明け近くに 目覚ましセット 暗闇の中 よく見えずに 濃いメイク してしまう ・・・ ・・・・ ・・・ もっと びっくりしたんは 眠気マナコで 空港 着いたら すでに きびきび働く人おられ 朝からてきぱき 動き回る スチュワーデスやパイロットより もっと早い どんだけ 早く 起きてるんやろう 思うて いつも 感心していました 上には上の 航空業界 ★ 更には その上を行く 送迎業界 早朝便フライトのため いつも利用していたタクシーの 運転手さん 必ず 予約時間の1時間前 朝起きて 部屋の窓から外見ると マンションの前 待機していました いつも 1時間前から マンションの前 じっと待つ プロだましい たくましく 或る日 早朝便の前の晩 ふと 何気なく 部屋の窓 カーテン開けて 下 覗くと いつものタクシー 待機中 前の晩からマンション前 車内で夜を明かしておられました ハンコをお願いできますか? ↓ ↓ ↓
2007/06/13
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*** 金の延べ名刺 *** 航空会社に 入社して 生まれて初めて 自分の名刺 持ちました ・・・・・ ・・・ ・・・・・ 100枚のぴんぴんの名刺 大事にケースに しまいこみ 持ち歩くんは 勝負名刺 2枚だけ いつも制服のポケットの中 発射準備 整えて 裏には自宅電話番号 小さく書いて 肌身離さず ポケットに 入れてましたけんど 結局 1枚も 日の目を見ることはありませんでした ★ コカコーラ社のジョージアが 純金名刺のプぜレント ほんでもって サイバー・バズから貰いまして されど 名刺を渡す人も場所もなし ちょうど出さないといけない おてまみあり こんなん出してみようと思います シューロールはサイバー・バズの会員です。 ハンコをお願いできますか? ↓ ↓ ↓ ありがとうございます
2007/01/26
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こんにちは。今日もフィジーからです。今日はパイロットの人もスチュワーデスも 全員 サンダル履きでビーチセットを持ち、モーターボートに乗って小さな島に渡りました。ここでは、マリンスポーツがやり放題で、皆 島に着くなり 人の事なんかほったらかして、やりたい放題にまっしぐらでした。パラセーリングをやる人やダイビングをやる人、その他いろいろなマリンスポーツに分かれていきましたが、私は右も左もわからないので、皆が行く方にてくてくとついていきました。それはどうやら、シュノーケリングのコースだったようで、ここまでボートに乗ってきたのに、私達はまたボートに乗せられ、海の真ん中まで行って、ボートは止まりました。私は泳げないので、こんな深い所で降ろされても困る とボートにしがみついていましたが、ゆらゆらと気持ち悪く揺れるボートに乗っていると吐きそうになったので、しかたなく海に降りました。そして、先輩も後輩も、一体どこで習ったのというくらい上手にシュノーケルで潜って魚になっていましたが、私はマスクに水が入るたびに、ボートのへりにつかまって すーはースーハーと苦しんでいました。私は こんなに苦しい思いをしてまでここに来たので、元をとるためにも海の中は覗いて帰らねばと思い、中を覗くと、海の中はどこまでも、空の色と同じ澄みきった青色をしていたので、本当にびっくりして 嬉しくなり、にやにやしてしまいました。海の中は本当にこの世とは思えないくらい青く、それは360度青く、それは信じられないくらい青かったので、私は何度も、海の中と空の色を見比べるため、すーはースーハーしました。そして、バタ足でシュノーケルを使いこなせるまでに上達し、海の中の神秘な世界を満喫しましたが、私のシュノーケルからは、シュッシュッポッポという息が聞こえるらしく、おまけに水が激しく飛び散るという苦情があがり、気がつくと私の周りには誰もいなくなっていたのでした。その夜は 夜釣りの舟に乗り、魚が大量に釣れ ホテルでおさしみパーティとなりましたが、私が釣った子サメは 誰も手を出しませんでした・・・・フィジーの生活は 毎日が夢のように過ぎていき、帰りの便では私達は本当に幸せな気分でお仕事ができたので、知らず知らずのうちに、とてもていねいで 親切で にこやかに楽しくお客様と接していたらしく、たくさんのお客様から山のようにグッドコメントをいただき、会社からはよくできましたと表彰されましたとさ。 おしまい トラックバックあります(本当に楽しくお仕事ができると、こんな素敵な事まで考えられるんですね。)
2005/11/24
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こんにちは。私は今フィージーに来ています。ここは1週間に1回しか飛行機が来なく、私達はここに到着して降りましたが、飛行機は帰りのお客様を乗せてそのまま帰ってしまったので、新婚さんだらけの この,小さな、何もない、島に ・・置いてけぼり・・・ になり、来週 日本から 飛行機が 来るまでは・・・残念 な が ら・・・・自由!!!!! なのです。しかも ただ! うしし・・・・ ひゃーほっほ私達スチュワーデスは、年齢も出身地も育ちも環境も貧富の差も全く違う集まりですが、いい具合に上下関係があるので、なあなあになる寸前で遠慮があり、朝から晩まで一緒にいるのに、みんなとても仲良しでいられます。その上、いい具合に個人主義なところもあり、月のうち半分くらいは外国に行き、一緒に行ったメンバーと寝食を共にするのですが、皆 けんかもせずに大変仲良く暮らしています。それでも、こんな風に長~い宿泊の時は、毎日同じ顔をつき合わされるので、ちょっとは誰とも会いたくないとか、誰とも話したくないとか思うことがあり、そんな時は ”Let me alone day" という”1人にしてちょうだい日”を宣言するという手があります。これは、前の日に皆に「明日、私”Let me alone day”なので、よろしく」と宣言するだけで、次の日は、みごとに皆から無視されるというもので、1日だけ1人旅を満喫できるのですが、私が使うと、夕方ぐらいにはもう寂しくなり、宣言を解除したりします。ところで、今日はさっそく水上スキーをやりました。私は前に琵琶湖でやった時とうとう立てなかったので 今日は死に物狂いで挑戦しました。水上スキーのインストラクターは、”私の手にかかったら、誰でも絶対に立てる”と自信満々でしたが、他の人たちが次々と立って卒業していく中、できの悪い生徒は日が暮れるまで、浜辺でロープ付きの棒を握り締めて、起き上がる特訓に全身砂まみれになりましたが、その甲斐あって、最後にみごと水上でスキーができるようになり、美しい夕焼けを見ながら、ずたずたになった体で水の上をよろよろと滑ったのでした。
2005/11/24
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こんにちは。私は今ニューヨークに来ています。今回は前から一度見たいと思っていたニューヨーカー達の出勤を体験するため、朝早く起きて セントラル駅まで先回りして 通勤者達を待ち伏せしました。ニューヨークでは、普段でも人の歩くスピードが早いのですが、朝の通勤ではより一層早足になります。そして、片手にかばん、片手に新聞やパンを持ち、かっこ良く私の目の前をファッションショーのようにさっそうと通り過ぎていくので、私は目をきょろきょろと動かし、憧れのあまり ぼぅ~っと ポ~っと突っ立って見ていました。それから、女の人々は鞄を持ち、髪をなびかせ、おしゃれなスーツをばっちり着こなしていましたが、足元を見るとちゃんと運動靴を履いていたので、映画で見る通りだとほっと安心をしました。そして、手に靴袋は持っていなかったので、会社に置き靴をしていることも確信でき、本当に来てよかったなと思いました。ところで、成田からニューヨークまでは長いフライトなので、1回目のご飯から2回目のご飯までとてもお腹が空きます。それで、何か食べたいと言われた時は、何もないので、2回目にお出しする予定のアイスクリームなどをうやうやしくお持ちするのですが、アイスクリームはかちかちに凍っているため、ふたを開けても スプーンもささらない状態になっています。それを無理やり食べようと、ビジネスマンの人がアイスクリームの容器の横に、ふたとスプーンを並べて、アイスクリームが溶けるのを ぢっと辛抱強く待っている姿はとてもかわいいです。そんな訳で、セントラル駅に吸い込まれていくニューヨーカー達につきまといながら、私は駅構内にある恐ろしく忙しそうなカウンターだけのコーヒーショップに入り、コーヒーカップのぶつかり合う音を聞きながら、コーヒーを飲み、心の中で そっと かっくいい~~~~~!! と叫んで、にやにやするのでした。
2005/11/21
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こんにちは。私は新潟に来ています。新潟は冬になると雪がいっぱい積もり、飛行機を一晩中置いておくと、翌朝びっくりすることになるため、前の晩は熊本などに飛行機を置いておくという方法があり、そういう時は お客様を乗せずに、ひっそりと乗務員だけで出発します。そしてパイロットのかたがたはお仕事をするのだけれど、スチュワーデスはその間 お弁当をぱくぱく食べたり、ふだんから目をつけておいた雑誌を黙読したりして過ごします。私は今回 一番 下っぱ 若かったので、先輩がたのご配慮により、代表として操縦席へ行って離陸を経験させてもらいました。離陸の経験はとてもどきどきとして、耳につけてもらったヘッドホンからは英語が飛び交い、操縦席の中は 当たり一面緊張の場面でした。私はちょうどカプテンの後ろに座ったので、カプテンの薄くなった頭をじっと見つめて、まじめな顔で離陸に取り組みました。操縦室の夜は、高級シンセサイザーよりもたくさんあるスイッチが全部点滅し、それはプラネタリウムよりもたくさんあり、クリスマスの夜のようにとても美しかったです。パイロットの人達は、飛行機が出発するまで、何回も チェックとかオーケーとか言って あちこちを指差したり、あとは全部英語で話していたので、何を言っているのか分からなかったけれど、まるで人工衛星みたいで、さるになったような感じでした。そして、飛行機が ごォーー とかいいながら、先っぽの方が上に向いていくと、今度は星になったような気がして、頭がとんがりました。普段 飛行機に乗っていても飛行機の先っぽは見ることがないので、暗闇の中に先っぽが見えたときは、感動して鳥肌がぶるぶるとたちました。そして飛行機が空の上に上がりきった時、あまりの緊張にお手洗いに行きたくなり操縦室から出たのですが、外に出た時は 頭がカプテンのようになったかと思われるぐらい緊張していたので、頭を手で押さえて、チェックとかオーケーとかをしました。そして、私は客室に戻って、お弁当のふたを開けながら、他の人に聞こえぬよう、かっくいいーー と心の中で叫ぶのでした。 (古き良き時代のお話です・・・)こんな操縦席体験された人もいらっしゃいます。トラックバックあります。
2005/11/20
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こんにちは。私は今 中国の北京に来ています。ただ今午前7時30分。ホテルに面している大通りでは、そろそろ通勤自転車のラッシュが始まろうとしています。私は中国に来たら絶対にこの自転車のパレードを見るぞと心に誓っていたので、今朝は6時半に起きて、窓のそばに椅子を持って来て、さっきから ぢ~っと外を眺めています。この大通りは 8レーンもある広い通りなのですが、自転車専用のレーンが更にもう1レーンずつ両側にあり、そこを黒い自転車がぎっしりと並んで、びゅんびゅん走っています。そして、ちりんちりんと あっちへ横切りこっちへ横切り、上から見ているとまるで蟻の大群のようで、私は恐くなって思わずのけぞってしまいました。ところで、今日のフライトではエコノミークラスに日本人の団体の中にまぎれて、中国人のおばさんが一人ちょこんと乗っておられました。そのおばさんは離陸してから、ずっと寝たふりをされていて、飲み物サービスの時も食事サービスの時も、口を開けたまま寝たふりをされていたので、もうずっとこのまま着陸されるのかと思い、食事も片付けてしまったのですが、途中で突然目を覚まし、回りの様子から 大変なことをしでかした事に気付いたようで、通路を通りかかった私の腕を引っ張りました。ところが、中国人のおばさんは英語が話せず、何やらしきりに私に訴えるのですが、ちんぷんかんぷんで、困った私はメモを出し筆談となりましたが、それでもちんぷんかんぷんで、おばさんは諦めたようにまた寝たふりを始めました。それからしばらくして、座席の前のポケットにあるメニューを見つけたらしく、私の腕をひっぱり、メニューを見せて指をさすので、その指の先を見ると、”パン”と書いてありました。私は”パン”だけなのかと思い、試しにサラダとかチキンとかケーキの文字のところを指で指しましたが、おばさんは首をふったので、”パン”だけをうやうやしくお持ちしました。それでもお腹はすくのではないかと心配になった私は、その後も何度もメニューを見せてサラダとか、ケーキとか、チキンとかを指差して見せましたが、中国人のおばさんは”パン”だけでよかったようでした。今回は北京に2泊したので、昨日は万里の長城に行って来たのですが、行く前に 万里の長城ではお手洗いが恥ずかしいのでホテルで全部出してくるように と先輩から注意を受けていたのですが、冷え性の私は、お昼ごはんの後、さっそくお手洗いに行きたくなりました。中国のお手洗いはドアがない というのは噂で聞いていましたが、そこのお手洗いには、5つのうち1つだけドアがなく 3つに鍵がありませんでした。それで、最後の1つに外国人が長い列を作っていました。私は外見は中国人に見えるかと思い、どちらでも入れる立場にいる事を悟り 悩みましたが、やはり外国人のお手洗いに並ぶ事にし、順番を待っていると、後からやって来る中国人は どんどん空いているお手洗いに入り、ドアがあるのに閉めないで平気で用をたすので、私は目をどこにやったらいいか おたおたしてしまいました。こういう場合は、見られている人より見てしまった人の方が恥ずかしく、私はこんな恥ずかしい思いをするくらいなら、見られている人になろうかと何度も思いながら、ドアを閉めずに用を足す勇気がわくのを待ち、中国人たちはにこにことおしりをむくのでした。
2005/11/16
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こんにちは。私は今 タイのバンコクに来ています。今日は、私と先輩とパイロットの人の3人で バンコクのゴルフに行きました。私はバンコクのゴルフは初めてだったので、どんなとこかなぁと期待にわくわくしていると、タクシーは田舎道をごとごとと走って、やがて大きなホッタテ小屋の前で止まりました。そして、パイロットの人が ”君達、ちょっとここで待ってて”と言って、てくてくとその小屋に向かって歩いていったので、私は今日はゴルフではなかったのかなあと思い、後をつけて行くと、その小屋には、黄色いゼッケンを胸につけた若い女の子達がうじゃうじゃいて、階段式の椅子に腰掛けて、編み物をしたり、ゲームをしたり、本を読んだり、わいわいと楽しそうにしていました。そこでパイロットの人は、慣れた手つきで "きみ!”"きみ!”"きみ!”と女の子を指名したので、私はそれがゴルフとどういう関係なのかわからなくて頭がぐるぐると回りましたが、後になってその女の子達が私達のゴルフバックを持ってニコニコ立っているのを見て、やっとキャディさんだという事がわかり、ほっと胸をなでおろしました。私の担当のキャディさんは、18歳の ゼッケン番号799 のドクさんでした。ドクさんは、私と先輩が身につけている指輪や時計やイヤリングなどをさわってはニコニコと微笑み、ボールをこまめに拾っては腰にまいた手ぬぐいできれいに拭いてくれ、また指輪やネックレスをさわっては、ボールを拭いてくれます。かなり目がこえているのか、ドクさんがさわるものは先輩のものが多く、私も一緒になって、先輩のきらきら光る宝石を眺めていました。そして、私はドクさんにタイ語を教えてもらい、ついにドクさんが”ゴ”と言った後にタイ語で"ハー”と言えるようになり、一石二鳥のゴルフとなりました。ところで、私達は、海外から帰ってくる時、普通の旅客と違って 免税になる額がとても少ないのです。なので、ちょっと買い物をしたら、税金を取り立てられるので 税関を通る時に自白をしなければなりません。それで、海外で買い物をする時は税金のことが気になり、帰国するのが憂鬱になるのですが、前回バンコクで母へのお土産に皮のハンドバックを買った時、税関で申告をしたら、税関の人は私が大枚をはたいて買った皮のハンドバックを一目見て "税金なし”と判断し、私に行ってよしの合図を出しました。私はそんなはずはないと抗議をしましたが、これは本物ではないと鼻であしらわれ、とてもがっかりし、目の前に、へらへらとほくそ笑んでいるお店のおねいちゃんの顔がくっきりと浮かびました。そして楽しいゴルフは終わり、私達はそれぞれのキャディさんにお礼を言ってチップを渡し、3人の若い女の子達は、両手を前に合わせて、ひざをちょこんと曲げ ”コップンカー”と言ってやさしく微笑み、その愛らしい姿を見て、私は心の中で ”あぁ、チップをちびって悪かったなあ” と反省するのでした。
2005/11/15
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こんにちは。私は今ホノルルに来ています。ここに来る便はいつも徹夜便なのですが、”ちょっと夜更かししたなぁ、さあ寝るか”と思うくらいの明け方に到着するので、機内では寝ないでも大丈夫ですが、ホノルルに着くと、そこは一日が始まったばかりのまぶしい朝があり、強い日差しと明るい空気に触れたとたん、頭ががんがんしてきます。今回は 新婚さん がたくさん乗っておられ、機内はむんむんムードで一杯でしたが、ずっと手をつなぎっぱなしのカップルがいらしたので、いろいろな飲み物を勧めて2人の手を離させるのに四苦八苦しました。それから、スーツ姿に胸にコサージュというファッションのカップルや、妊婦気味のカップルや、茶髪金髪カップルなど さまざまなカップルがいらして、それぞれ、お見合い、できちゃった、婚前交渉 などと謎を解いていきました。中でも ハート型の大きなサングラスをおそろいで かけていたカップルさんには ベストカップル賞として、絵葉書に私達の寄せ書きをして贈呈させていただきました。さて、空港にはそれぞれ におい がありますが、ホノルルの空港は、ココナッツ入りのサンオイルのにおいや、グアバジュースを飲んだ後のにおいや、観光客の首に無理矢理かけた花のレイのにおいや、誰かの汗のにおいや、洗剤の残ったTシャツのにおいやらが混ざった 何ともいえない気持ちのよいにおいがします。それで、徹夜明けのとろんとした体をバスに乗せて、やしの木を見ながらホテルに向かうと、だんだん眠気がさしてきて意識がもうろうとし、半目状態になった頃にホテルに到着し、ロビーでゾンビとなります。ここで、ほとんどのスチュワーデスは 部屋に入り、一眠りした後、夕方にむくっと起きてステーキを食べに行き、夜の免税店をうろうろし、ビーフジャーキーやらマカデミアナッツやら、ブランドもんを大量に買ってほくほくとホテルに戻り、その夜はさっき寝たので眠れなくて、一晩中もんもんと起きていて、翌朝目の下にクマをつけて帰国便に乗るというのがホノルル便の過ごし方となります。が、私はそんな事をするとホノルルがもったいないので、ホテルに着くとすぐにビーチセットを持って海に行きます。そして、まず、場所を入念に選ぶと、砂にお尻用の穴を掘り、まくらの上に頭を乗せて寝転び、サングラスの上から新聞をかぶり、全身にタオルをかけ、死体のように眠ります。そして ぶるぶるっと寒くなって目をさますと、 当たりはすっかり日が暮れており、 海岸にはもう誰もいなくなっていて、 誰も起こしてくれなかったことに怒りを覚えながら、 私はビーチセットをぶら下げ 薄暗い中を ぼさぼさの髪で とぼとぼと ホテルに 戻る のでした。
2005/11/14
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こんにちは。今日は年に1度の 避難訓練 の日でした。避難訓練と言っても、機内で突然う~う~とやる訳はいかないので、訓練所にある特別にあつらえた飛行機を使うのですが、この日は普段と違って ものすごい緊張で張り詰め、お*っこがちびりそうになります。スチュワーデスは、試験に受かってから本当の飛行機に乗れるまで何ヶ月も訓練の日々が続くのですが、更に飛行機に乗ってからもこのような訓練が1年に1回突然にスケジュールに組み込まれるため、安心して仕事をすることができません。その上、この訓練では、先輩後輩関係なく、何人かがスチュワーデス役を抜擢され、もれなく数名のスチュワーデスが大恥をかく大イベントなのです。まず、全員がオーバーオールに着替えます。オーバーオールは白くて会社のロゴが入っており、エリを立てると格好いい整備士さんのようになりますが、私が着ると
2005/11/13
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こんにちは。私は今ロンドンに来ています。ロンドンといえば、馬です。といっても 競馬ではなく馬車ではなく竹馬ではなく乗馬の方の馬です。私は 馬は歯を向きだして笑うので,恐くてさわれないのですが、ロンドンは本場なので 恐い馬に乗ろうと思い、ハイドパークの近くの乗馬クラブに行きました。ロンドンの乗馬は大人なので、ド素人でもガイドさんはついてくれず、お金を払ったら、 ”はいどうぞ” と馬のひもを渡されるのですが、心配な人は乗る前ににんじんを買って与えておくと馬のサービスがいいのですが、私は何と大胆にもにんじんをケチってしまいました。にんじんをもらえなかった馬は 怒ったのか、ハイドパークに着いたとたん、形相を変え、猛スピードで気が狂ったように突進し始めました。私は慌ててむちで馬をしばいたり、馬のお腹を蹴飛ばしたり、しちゃかめっちゃかで馬の暴走を食い止めようとしましたが、ヘルメットに長靴姿のあわれな東洋人は、指から血が出る程 馬のたてがみをひっつかみ、ハンケツ状態で馬にしがみつき、小さすぎたヘルメットのせいで頭がしめつけられ、涙と鼻水にまみれて、ただただ時が早く過ぎ去ってくれることを祈り続けました。ところで、今回のビジネスクラスでは、外国人のお客様が多く、離陸前からウエルカムシャンペンで盛り上がり、空に上がると機内は突然 幼稚園に早変わりしました。日本のおそばをおはしでつかもうと頑張っている人やら、通路をふさいで宴会をしている人やら、シャンペンの続きを繰り返す人やら、まるでホテルの立食パーティのように、食事中に立ち上がって大きな体でうろうろとされるので、とてもじゃま歩きにくく、ペースを完全に握られてしまいました。その上 酔ったいきおいで他人の子供を抱っこして走り回ったり、シャンペンをこぼしたり、食事トレイをひっくり返したりと あちこちでしっちゃかめっちゃかを繰り返すので、私達は行ったり来たり大忙しでした。そういう人達は、これからはスモックを着て乗って来て欲しいと思うのでした。とにもかくにも、ハイドパークは紅葉まっさかりで、そんな小さな事など気にもせず、サイズの合わないヘルメットをかぶった東洋人は、一人寂しく馬を降り、調子にのって買ってしまったお得な乗馬10回回数券の、残り9回分の元を取るため、明日乗るポニーを予約して とぼとぼとホテルに帰るのでした。
2005/11/12
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こんにちは。私は今 ロスアンぢぇルスに来ています。ロスアンぢぇルスといえば、英語の映画です。いつも一緒に飛ぶグループのメンバーは 英語の映画好きが多く、ホテルに着くと すぐに英語の新聞を買って、ロビーで上映時間を調べ、ああでもないこうでもないと作戦を練ります。英語の映画好きの先輩は 1日で4本の映画を続けて観るプランをたてる名人で、その間にちゃんとお茶の時間やお昼の時間も組み込まれており、 "英語の映画を立て続けに観るプラン作り” の達人です。で、私も皆と一緒についていくのですが、映画を観終わるたびに、他の人とストーリーの答え合わせをし、同じ映画を観ていたと思えない程まちがえて解説している事に気づいてがっくりと肩を落とします。ところで、航空会社のロゴ入りの品というのは 家にあると”えっへん”と自慢できるので、機内でここぞとばかり いろいろな物を物色するかたが続出します。大昔は、使ったナイフとフォークを”これ、記念にもらっていいですか?”と聞かれると、 ”どうぞ、どうぞ” と新品のセットを家族分差し上げたり、ジュース用のグラスを下さいと言われると、割れないようにファーストクラスの白い布製ナプキンにシャンペングラスをくるんで差し上げたり、ペンを貸してくださいと言われると、”どうぞお持ち下さい”とナイフとフォークセット付きでお渡ししたりと大サービスをしていましたが、その事が会社に発覚した後は、経費節減のためナイフとフォークセットは絶対に回収して下さいというお達しが出ました。なので、いつも真面目に仕事に取り組む私は 食事のトレイを下げる時、ナイフとフォークをチェックし、トレイに乗っていない時は"お客様!”と、かばんから出してもらい得意気になるのですが、 ”これ、もらってもいいですか?”と最初に白状されると、気が弱くなって ”ダメです!” とは言えなくなり、”あ~・・その~・・いいです・・とは・・言え・・ないん・です・・どうか・・そんなこと・・尋ねないで・・・下・・さい”と、強行に回収できずにちぇっつちぇっつと思いながら、静かにその場を去るのでした。*お客様はこんな思いでナイフとフォークセットをお持ち帰りされていたとは・・・トラックバックあります
2005/11/11
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こんにちは。私は今サンフラ何とか という所に来ています。ここは、意外なことに 寒くて、私はうすい洋服しか持って来なかったので、あせって スーツケースに入っている服を全部いっぺんに着こなしました。外国に来て一番困るのは、タンスを持っていけないことです。私はアメリカに来る時は 洗剤とかカリフォルニア米とか便座とかマヨネーズとか電話機とかスパイダーマンとか欲しいものがたくさんあるので、スーツケースはカラに近い状態がよく、服は2の次となります。で、今回のように 意外にも寒かったりすると、2日分の服をまとめて着たりするはめになり、2日目は、重ね方を反対にしておしゃれを楽しみます。でも今日のようにさぶ風がビュンビュン吹いていると、いくら全財産をまとっても追いつかなくて、道をすれ違う人から洋服が違うと注意され、しぶしぶその辺の店で服を買うはめになります。ところで、成田からここサンフランシスコまでは 飛行機の中で夜を迎えるのですが、だいたい映画が終わる頃には 客室は真っ暗となり、お客様はむねむねとお休みになります。そして、到着の2時間くらい前になると、人々を起こしてパンをお配りするのですが、いつも面白いと思うのは、ほとんどの人が寝ぼけて 半眠でおられるという事です。最初の食事サービスの時に”きみ~!マティ二をくれるかね”とか"ワインはどこのがあるのかね”とゆったりと機内食を楽しんでいらしたお客様が、明け方無理やり起こされた時には"コーヒーはいかがですか?”という質問に ただ首をうなだれるだけになるのです。そして、髪がさかだっていたり、目がうつろになっていたり、ネクタイがずるずるになっていたり、顔にシーツの後がついていたりすると、使用前使用後という感じで、ショエ~~~!!と体がのけぞります。そんな状態の中で、機内の朝ごはんは、あってもないような どうでもいいもののようですが、それでもぼさぼさの乱れた髪でしっかり残さずに召し上がるお客様は、サービスのしがいがあり、私たちの誇り となり、私は何度も何度もコーヒーのお代わりをすすめます。そして、朝ごはんを無視し、よだれをたらして すやすやとお休みになリ続けておられた強情なかたがたは、着陸と同時にしぶしぶとお目覚めになり、ゾンビのようにふらふらと飛行機を降りていかれるのでした。
2005/11/09
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こんにちは。私は今ニューヨークに来ています。ニューヨークのフライトは、お客さまの筋が他のフライトとは少し違って、観光あり、出張あり、帰国あり、留学あり、転勤あり、旅立ちあり、家出あり、駆け落ちあり、夜逃げあり、不法入国あり、とさまざまです。私達も、ニューヨークの便は長時間なので、家を出る前は 睡眠をしっかり取り、足腰をきたえ、部屋のそうじを入念にすませ、たまった洗濯を始末し、彼氏に最後のあいさつをし、きれいなパンツをはき、お化粧をがっちりと固め、機内の乾燥対策をしっかりと準備してフライトに備えます。ニューヨーク線は途中交代があるので、ふだんよりたくさんのパイロットにたくさんのスチュワーデスが乗り込むため、ブリーフィングもわさわさわさとしています。この時に初めて一緒に飛ぶ人もたくさんいるので、名前と顔を覚えるのに、”おだんごの人”とか”眉毛の人”とか”唇の人”など特徴をつかんでおきます。さて、機内での休憩は、お客様には気付かれない場所にある専用のベットで横になるのですが、中はカプセルホテルよりも狭く、アリの巣のようにベットが上下斜め右左と入り組んでいます。中は真っ暗なので、先に入った人から奥のベットにつめていかないと、後から来た人に寝ている上に”よいしょ”っと乗られるはめにおちいります。スカートやブラウスがしわくちゃになるのが嫌な人は、寝る前にそれらを脱いでベットの上に這い上がったりするので、下の段で寝ている人はじろじろと見ないように気を配ります。(はしごはないのでよじ登りです)全員がその部屋に入ると、ドアは閉められ、休憩時間が終わるまでそこを出ることは許されません。 前夜たっぷり寝てきた私は、いつもこの時間が苦痛です。それでこっそりとポケットに小さな懐中電灯をしのびこませ、毛布を頭からかぶって薄明かりの中で、読み物をこっそり読んだりしていますが、目が疲れた時は点字用の非常用緊急脱出のパンフレットなどを持ち込んでさわって楽しみます。機内サービスも延々と長く続くため、楽しくお仕事ができるようにいろいろなことを考えて後輩に命令を下すのも 先輩としての勤めです。今回は、私オリジナル”赤いコースター”というのをやりました。飲みものを置くコースターにはいろいろな色があるのですが、感じのよいお客様には赤のコースターをひきましょうというものです。こうしておくと、お飲み物サービスが楽しくなり、また、他のスチュワーデスが担当した所を”へぇ~”とか、”ふんふん”とか確認しながら見て回るのも楽しいというものです。それぞれの色は同じ数だけあると思うのですが、今日は赤いコースターが出尽くすという大盛況で、私達は誰にも知られない秘密の仕事人と化し、楽しく機内でお仕事をしたのでした。
2005/11/06
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こんにちは。私は今 4日間の休みを利用して、タイに来ています。いつも仕事であちこち行くので、休みの日くらい日本におれ! と思うのですが、こうやってちょっとかたまった休みがあると、貧乏性の私はじっとしていられず、会社のロッカーに着替えとバックパックを置いておき、仕事が終わると その足で制服を着替えてさっさと空港に逆戻りをします。今回はバンコクから長距離バスを乗り継いで、タイ最北西のメーホンソンという所に来ました。私は"族”という字に弱く、族のためならどんな所でも行くのですが、ここに来たのも山岳民族を見るためです。それで、さっそく今日はレンタルバイク屋に行き、バイクと運転手を借りて、首なが族の村に行きました。首なが族は、山のそれはそれは奥深くに住んでいて、途中 がたがた道や泥道、道のない山の中を草をかき分けて走り、とげが体にいっぱいささったり、橋のかかっていない川をじゃぶじゃぶと渡ってパンツがびちゃびちゃになったり、バイク一台しか通れない細さの長~いつり橋を10分くらいにらんで ついに死ぬ思いで渡ったり、象さんに遭遇したりして 涙と鼻水と汗と泥でぐちゃぐちゃになりながら、やっと到着しました。それで到着した時は 私はバイクにしがみつきすぎて すっかり手も足もぶるぶるふるえていて、髪はばりばりになり、顔はひきつり、身も心もずたずたにひきさかれた状態だったので、何処から見てもタイ人に見えたらしく、首なが族の村の入場料は無料となりました。バンコクから15時間くらい 硬い椅子のバスに揺られ続け、あげくにずたずたになりながら1時間くらいバイクにしがみついてやって来たというのに、首なが族の村は、全員外出中で 首の長い人が一人 もくもくと水道の下で洗い物をしていただけでした。それで、首ながの人は じろりと私のことを見たのですが、首がむち打ち状態になっているので、目だけをぎょろりとこちらに向け、私はその姿形におじけづき、思わず”か・か・かえる!”と叫んでしまいました。そういうわけで、長~い長~い帰り道は、意識を失ってしまい、どうやって地上に戻ってきたのかもわからないくらいで、やっとのことで舗装された道に出た時には、安心のあまり ひっくひっくと泣き出しそうになってしまいました。私にとって 首なが族という族は、汗と涙と鼻水と泥にまみれた命からがらの族でありました。
2005/11/05
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こんにちは。私は今 中国の北京に来ています。今回のフライトでは 同期の美人のゆーちゃんと一緒だったので、2人で北京の銀座通りとかシャンゼリゼ通りとかいわれている”王府井(わん・ふーちん)”という所に出かけました。王府井は、広い通りの両脇に街路樹が並び、百貨商店やら、漢方屋さんやら、印鑑屋さんやら、眼鏡屋さんやら、靴屋さんやら書店やらが並ぶにぎやかな通りです。今日は日曜日とあって、この王府井は、中国人の大行進で前が見えないくらいです。そんな雑踏の中をてくてくと歩いて、百貨大楼という大きなデパートの中へ入りました。中は 体育館のように天井が高くて、ひんやりしていて、がやがやとしていて、中国人の体臭がムンムンとしていました。すべての商品は ショーケースの中にしまってあるか、壁にかかっているので、店員に頼まないと手にとって見ることができなくなっています。そして、どのショーケースの前も人だかりがして、何の売り場なのかもわからないくらい 人・人・人で混み合っています。私は最初 みんなが順番を待っているのだと思い、素直に自分の番を待っていたのですが、よく観察すると、誰も買う気などなくて、ただ 人が見ている商品をみんなで一緒になって見ているだけだということに気がつき、こういうところでは、買う気のある人がえらいのだとわかりました。私は、壁にかかっていた中国服のきれいな刺繍がたくさん入った上着が欲しかったので、”あれ!あれ!”と指をさして見せてもらい、それを着てみると、あっちからもこっちからも中国人の手が伸びてきて、私が試着している上着をさわっているのに気がつきました。そして、何人かの人がにこにこしながら、中国語で”これはいい”とか”似合っている”とか言ってくれているようだったので、私は嬉しくなってそれを買うことにしました。中国では何でも安いので、北京が初めてのゆーちゃんは、"安い安い”と言って飛び跳ねながら、大きなレースのテーブルクロスを親戚一同に配ろうと山のように買ってほくほくし、2人は大層幸せな気持ちになるのでした。
2005/11/04
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こんにちは。今日はロスアンジェルスの帰りに機内で見つけたインド人のおじさんの話をします。私達がインドの人々と機内で出会うのは、ふつうデリー便かカナダ便で、彼らは集団で乗ってきて、私達をパニックにおとしいれるなごませてくれます。色鮮やかなサリーや色とりどりのターバン巻き、7.3分けで黒ぶちのメガネ、頭に照る照る坊主をつけたパンジャブスタイルなどのインドの人達が たくさんの荷物をひきづりながら集団で搭乗されると、当たりはあっという間に一面インドと化します。そして、"ティー!”とか”アイ・アム・ベジタリアン”とか"プリ~~ズ” ”あちゃ!”とか言いながら首を横に傾けるので、私達は機内を行ったり来たり行ったり来たりと大忙しになります。そして、次第にインドの人達ははめをはずしくつろぎ、床は食べこぼしやら私物やらでごった返しになり、足の踏み場もなくなり、インドの香りが充満してきてます。それで私達は体力と気力と精神力の勝負となるので、インドの人々のフライトは気合が入ります。ところが、今日機内で見たそのインドの人は、エレッセのポロシャツを着て、たった一人で日本人の団体の中に ポツリ と座っていたのでした。そのインドの人は 離陸してからずっと静かに雑誌を読んでいましたが、しばらくすると、隣に座っている日本人女性に興味が移り、そちらをちらりちらりと見たりして過ごしていました。そして食事サービスが始まり、他の乗客よりいち早くベジタリアンの食事が運ばれると、隣の女性の食事がくるまで ぢっ と自分の食事には手を触れずに待っていました。そして、食事の後は、ふつうはインドの人は紅茶を頼むのに、そのインドの人はエレッセを着ていたので、コーヒーを飲みました。私はインドの人がコーヒーを飲むところを見たことがなかったので、嬉しくなって何度もおかわりを勧めました。それから そのインドの人の興味は反対側の日本人男性に移り、その男性が免税品のタバコを買うのを見て、私にあれはいくらかと尋ねた後、同じものを注文しました。私はインドの人が機内でお金を払う姿をはじめて見たのでちょっとびっくりしました。そして、その後、前の席の日本人が免税品のウイスキーを買うのを見て、私にあれはいくらかを尋ねましたが、高かったのか、それは買いませんでした。それからはしばらく自分の席でじっとしていましたが、お手洗いに立った時に一人旅のインド人のおばあさんを見つけたらしく、通路に立ってしきりに話しかけていました。話しかけられた方のサリーを着たおばあさんは、英語ができず、"私はえいごができません。私はデリーまでいきます。どうぞ私をたすけてください。”と書かれた大きなふだを首からぶら下げ、私が通るたびにそれを見せていました。そして 呼び出しボタンをしょっちゅう鳴らしては、 ”ティ~~~!!”と叫んでいたので、私はふつうのインドの人だと思ってあまり気にしていませんでした。 ところが、エレッセを着たインドの人は、そのおばあさんを不憫に思い、私にしきりに”彼女はデリーまで行くのでめんどうをを見てあげて”と頼むのでした。私は このインドの人のやさしい気持ちに心を打たれ、すっかりインド好きになりました。そして、英語のできないサリーのおばあさんは相変わらず呼び出しボタンを鳴らして”ティ~~~!!”と前歯のない口を大きく開けて叫ぶのでした。
2005/11/04
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こんにちは。私は今 パリに来ています。パリといえばみんなの憧れ、私達の間でも1・2を争う人気の場所ですが、私はというと、飛び始めてから3年間、同期が次々とパリに行って買い物をし、スカーフやらバッグやらをみせびらかされ、私も買う!と パリ行きを待ちわびていたのに、一度もパリのフライトが入らなかったため、すっかりパリにイコジになっています。ふつう、3年以上の乗務経験があれば、もうパリには何回か行っているので、到着と同時に はねながら 街にお買いもん に出て行くのですが、私は 右も左もわからず、やっとの思いでシャンゼリゼ通りに出ても、どっちがどっちやら ちんぷんかんぷん地図をにぎりしめておろおろするばかりです。おまけに、フランス語もちんぷんかんぷんで、私などはパリに来ても、ちぇっ!ちぇっ! と思うばかりで、ふけを落としたくなるくらい いらいら してしまいます。さて、パリでは、人間より威張っているものが3つあります。ひとつは"車”で、道を渡る時は いくら待っていても車は止まってくれないので、エッフェル塔から飛び降りた気持ちで渡らなければなりません。パリに劣等感いっぱいの私でも、こんな訳のわからない所でひき殺されたらおしまいとぶつぶつ言いながら、髪の毛を振り乱して渡ります。それから次は、"犬”です。パリには犬を連れている人がたくさんいて、私が泣き出しそうになりながらよけている車の窓から涼しそうな顔を出して風になびかれているのも犬だし、フランス人と仲良くすまして歩いているのも犬です。でも、時にはリードの先が 熊のようだったり、ぶくぶく太ったぶさいくな犬だったりするので、私は失礼のないように そっとすれ違います。それから最後のえらいものは "パン" です。フランスの人は、長いフランスパンを袋にも入れずに はだかのまま脇の下にはさんだり、自転車のかごに入れたりして、ほこりがつこうが、泥がとびはねようが、脇のにおいがしみつこうが、平気です。私は最初 フランスでは、パンの皮はむいて食べるのかと思いましたが、そうではなかったので フランスパンはえらいのだなあと感心してしまいました。私は、世の中でいばっているものの心はよくわからないので、あまり深刻に考えないようにし、セーヌ川は 何処ふく風というように静かに流れていくのでした。
2005/11/03
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こんにちは。私は今、フィリピンのマニラに来ています。ここは、飛行機から降りて空港の外に出ると、1:くさっ2:じ~とり3:むぅ~4:どん!5:ぼョョん6:プーピープーピー7:パフパフの順で、だんだんと頭が痛くなっていきます。まず、最初にマニラに降りると、独特なにおいがします。何のにおいだか説明がつきませんがマンゴのにおいとも、大衆のにおいとも一言では言えない おもしろいにおいがします。次に、空港ターミナルから外に出たとたん、お肌にやさしい湿気をたっぷりと含んだ熱気が全身を襲います。そして、ターミナルの出口には、ものすごい数のフィリピン人が出迎えでごった返し、どん、どん、とお構いなしにぶつかってきます。そのため、フィリピン人にはねッ返されながらその反動で ぼヨヨん、ぼョョん~と歩く歩き方がマニラ空港での正しい歩き方となります。そして、出口を出ると、ぷひー!!!!プヒー!!!!! という車の騒音で耳が痛みます。マニラでは もうぶつけても同じというくらいポンコツな車がハバをきかせて、渋滞に文句をいいながらクラクションをこれでもかこれでもか というくらい慣らし続けています。その音といったら、隣の人が何を言っているのかも聞こえないず、大きな声を出そうと口をあけると、排気ガスを思い切り吸い込んでしまうため、無口で送迎バスまでもくもくと歩くことになります。私はいつも マニラに来る時は、”今日は怒らないようにしよう”と決心するのですが、バスに乗り込むまでの間に 三分坊主になってしまい、すっかりいらいらしてしまいます。でもホテルに着いて、すぐにコーヒーショップでマンゴを食べると、またマニラを見直したりします。それから、ウベという紫色のお芋で作ったアイスクリームも とてもおいしくて幸せになるので、空港で怒った時は 急いで 食べてバンカイします。私は欠点というのは何処にでもあるので、そんな時は怒ってばかりいないで、食べてみるといいと思います。次に、空港のターミナルの中を通って
2005/11/02
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こんにちは。私は今メキシコに来ています。ここに来る前に 先輩から、”メキシコは息苦しくて眠れないよ”とおどされて聞いていたので、私は昨日の晩は、今日の晩の分までしっかりと眠り、はたして私は息苦しさに絶えれるかどうかと、飛行機の中でドキドキと緊張していました。それで、空港に降り立ってからさっそく思い切り息を吸ってみたのですが・・・・??ちっとも苦しくなりませんでした。でも、なかには "苦しい~!” と言ってうめいたいた人もいたので、私は何回も息を吸ったり吐いたりして試してみましたが、残念ながら苦しくはなりませんでした。それで、ここには夜到着して翌朝には出発しなければならず、せっかくのメキシコが台無しにならないよう、ホテルに到着と共に、メキシコの夜へくりだしました。マリオッチ という大きな広場では夜が真っ盛りで、メキシコ人達が 真っ黒なひげをはやして、りっぱなお腹を突き出し、大きなつばの帽子をかぶり、ポンチョから首だけを出し、大きな体を揺すりながら、ギターを弾いたり、歌を歌ったり、愛想を振りまいたり、口から火を吹いたり、ナイフを飲み込んだり、ウインクをしたり、お金をもらったり、楽しそうに賑やかな余興を繰り広げていました。あっちにも こっちにもひげの楽団がオンパレードで、ギターを弾いたり 歌を歌ったりそれはそれは賑やかで、私はすっかり陽気になり、浮かれきってしまいました。屋台もたくさん出ていたので、買い食いもしました。見たこともない食べ物がいっぱいあって、私は目がきょろきょろし、全部食べずにはいられませんでした。大きなブタの顔も売っていました。首から上がちょこんとテーブルの上に乗ってこっちを見ていました。さすがの私も これは食べきれないので買いませんでした。そういう訳で、メキシコの夜は更け、私はニコニコとホテルに戻り、たいそう幸せな気分で 眠りにつくのでした。
2005/11/01
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こんにちは。私は、ギリシアのアテネに来ています。昨日 バーレーンを夜中の2時に出発し、徹夜で闇夜の中を飛び続け、ここアテネに着いたのは午前10時でした。普通なら ここでベットにもぐり込んで、はいさようならなのですが、明日の午後にはもう出発だし、めったに来れないアテネのためと、ぢんぢんする頭をおさえて、アクロポリスの丘へ出かけました。アクロポリスの丘は、石の階段が ず~~~~っ と上まで続いていて、それをぜいぜい、はあはあと登ります。さすがに昨日は一睡もせずに働いたので、頭の中がぐるぐる回り、景色を楽しむ余裕もなく、ただひたすら もくもく と石の階段を睨みつけててっぺんにあるパルテノン神殿に到着しました。ここは神殿というだけあって、神聖な感じがし、私たちは パンパンと手を打って、深く拝みました。そして、帰りは登ってきた方角と反対側のプラカという下町へ降り、そこで昼食をとることにしました。表に椅子を出しているカフェに腰を落ち着けると、午後の日差しがポカポカと背中をあたため、丘の上には アクロポリスの神殿がそびえ、古い町並みは、土のにおいが漂い、へいの上には数匹の猫が昼寝をし、のどかな雰囲気に、今までの疲れも何処へやら、と思っていたとたん、いろいろな襲撃にあってしまいました。まず、大きなレースのショールを両手いっぱいに広げ持って売りに来た太ったおばさん、ガラスのコップを手に持ち、お金をせがむジプシーの子供達、そして、いきなり私の足元にしゃがみ込んで、私の靴にブラシをかけようとした靴磨きの少年。(この少年のせいで 私は足を椅子の上に置いて 名物のムサカを食べる羽目になりました)そして、ギターを弾き、歌を歌い、演劇を始める若者達などとてもゆっくりと情緒を楽しんでいられなくなりました。そうこうするうち、靴磨きの少年達が 縄張り争いを始め、カフェのど真ん中で とっつかみ合い、たたき合い、つばのかけあいと だんだんエスカレートしていき、相手の商売道具を踏みつぶし、最後には大声で泣き出し、そばに座っていた観光客が止めに入るまで、迫真に迫っていました。私は靴を椅子の上から降ろし、口をあんぐり開けて 一部始終を見守っていましたが、デザートのアイスクリームをぺちゃぺちゃとねぶりながら、次は帽子が回ってくるかと思いましたが、人々は何もなかったようにふるまっていたので、それは劇ではないとわかりました。私は 今日私の回りにやって来た レース売りのおばさんも新聞売りのおじさんも、ジプシーの子供達も、みんなこの靴磨きの少年たちのように 生活をかけて生きているのだと感じ、目の前をハラハラと散っていく木の葉を見ながら、寂しい気持ちになりました。そして、ゆっくりとコーヒーを飲みほし、静かにお勘定を払うのでした。
2005/10/31
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こんにちは。私は今、日本のちょうど裏側にある、ブラジルのリオデジャネイロという所に来ています。ここへ来るには、まず、太平洋を渡ってロスアンジェルスまで約9時間、そこからアメリカ大陸を斜めに南下し、更に12時間も飛行機に乗り続けなければいけません。その間、ごはんを4回食べ、映画を2本観、本を読んでみたり、お手洗いに行ってみたり、隣の人に話しかけてみたり、その辺をうろうろ歩き回ってみたり、メガネをかけっぱなしで寝てみたり、足を通路に放り出して通行人をこかしてみたり、呼び出しボタンを何度も押してみたり、してもまだまだ着かないというくらい、お尻の痛くなるフライトで、私はリオに到着した時、ターンテーブルで荷物がでるのを待ちながら、もう、 ”お~~い!”と叫んでも届かないくらい遠い所に来たことを知り、涙がにじんでしまいました。ところで、今日は日曜日とあり、コパカバーナの海岸は華やかなビキニ姿の美女がオンパレードです。ブラジルの若い女性は 皆スタイルがよく、そのグラマーな体に、ひものようななビキニをチョコンとつけているので、一緒に歩いていたパイロットの人達は、目がパチンコのように、ぐるぐると回って 忙しそうでした。海岸に面した大通りでは、きれいな色のパラソルを広げたカフェがあちこちに並び、大きな木の下では、ブラジル人達がサンバを演奏し、その音楽に集まって来た人たちは道ばたで腰をふって踊り出し、日に焼けた顔に白い歯をむいて、何とも楽しそうです。今日は 夕食後にサンバのショーを観に出かけました。サンバのショーは、まるでリオのカーニバルみたいで、頭に大きな羽根をたくさんつけた美女たちが 汗だくになって腰をふり、会場は熱気がむんむんでした。そして、だんだんのってきた観光客たちも 最後にはじっとしていられず、カメラを隣の人に預けて、ステージに出て一緒に踊り出し、円形の講堂は熱狂的になり ゆげが充満してました。そして、おとなしい日本人は波にのれず、カメラを抱きかかえたまま ひたすら固まっていましたが、ショーが終わって外に出ると、空には満点の星がちらばり、サンバの夜はいつまでも続くのでした。
2005/10/30
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こんにちは。私はバーレーンという国に来ています。バーレーンは、サウジアラビアの近くにあるお米みたいな形をした小さな島です。ここでは飛行機が毎日来ないので、私達は次の飛行機が来るまで のんびりと滞在することができ、毎日朝から夕方まで ホテルのプールサイドに寝そべって サングラスの奥から 向こう側にたむろしている外資系航空会社のクルー達をじろじろと眺めます。外国の航空会社は男性クルーが多く、男女でペアができるくらいなので、勝手にペア当て神経衰弱をして遊びます。ところで、バーレーンには さすがの成り金がたくさんいて、外を歩いてみると、運転手つきのピカピカのベンツやアメ車に どか~んと腰をおろしているアラーの神様のようなお金持ちを見かけます。こちらの人々は、皆白いシーツのような服を着て、頭に白い布をかぶっているのですが、ビジネスをする人は それに革靴をはいてアタッシュケースを持ちます。そして、一般の商人は、素足にサンダル履きとなります。街の中に行くと、女の人もちらりほらりと見かけますが、ほとんどの人が黒いベールで顔を隠し、黒い布をまとって暑苦しい格好をしています。でも よく見ると、その黒い布の下には、派手な色のドレスを着て豪華な金のアクセサリーをじゃらじゃらつけていたりするので、さすがだと感心をします。そんな中を ノースリーブに短いスカートをはいててくてく歩いていると、まるでタイムマシーンに乗ってやって来たような気がして、どうも溶け込めません。今日は皆で街のボーリング場に出かけました。バーレーンでたった1つという そのボーリング場はさびれていて、中では白い布をまとったバーレン人男性が一人で黙々とボーリングをしていました。私は あのような動きにくい服を着ながら、どうやってボーリングをするのかと不思議に思いそのバーレン人をぢっと見ていました。その人は、白い服のすそを足にまとわりつかせながら、小股で助走し、よろよろっとなったところで、ボールを一気に手から離し、ボールはみごとに10本のピンを倒したので、私は心の中で拍手を送り、アラーの神様の白い布は 得意気に ひらひらっと空中に舞うのでした。
2005/10/29
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こんにちは。今日はハズカしい話です。機内で後輩の天然気味A子が面白いことをしました。機内では たまに物を落として気付かない人がいるのですが、そんな時 私達は 落とし主を探して、本人のもとに戻るように努力をします。で、落とし主の探し方ですが、落し物は だいたい、1:早く落とし主のもとに戻してあげたい物2:わざわざこちらから探さなくても、名乗りでたらでいいか的な物3:こちらから探すと、ご本人をはずかしめてしまう物と分けます。2と3の場合は、全員のスチュワーデスに情報を公開しますが、それ以上のことはせずに、ギャレーの壁などの私達の目につきやすいところに貼り付けの刑に処し、到着までおいておきます。で1の場合なのですが、そのブツは 拾われた時点で スチュワーデスの手によって頭上高く持ち上げられ、落ちていた周辺コンパートメントを一周します。”おとしもので~す!””おわすれもので~す!”と大声で、ゆっくりと、左右を確認しながら、お客様ひとりひとりの顔を見ながら、見落としのないよう、ゆっくりと機内を回るのです。 すると、熟睡している人以外は、 "?何だろう?”と、ぢっと、 そのスチュワーデスが手にかざしているブツを まぢまぢと ながめるのです。"自分のものかな?なんだろう?”とほとんどのお客様は その手の先に集中します。機内一周で 落とし主が見つかるかどうかは、スチュワーデスの手腕にかかってくるので、この時は お客様の注意を引くようにジュースサービスの時より努力をするのです。(ジュースサービスの時は なるべく多くのお客様に気付かれぬよう、すり足を使います)それで 今日はA子がお手洗いの掃除の時に 誰かが置き忘れた忘れ物を発見し、とっさの判断でケース1だと思い、機内を一生懸命に回りました。”あの~。お手洗いに薬の箱が置いてあったので、機内を一周しましたけど、どなたもお申し出がありませんでした”A子が 得意げにコ**ームの箱を握り締めて ギャレーに入ってきたので、私達は30分くらいはギャレーから出られないはめになりました。そこへ トイレ掃除から帰ってきたWさん。(スッチーはトイレ掃除が大好きです。トイレ掃除をすると、先輩からほめられるので、後輩はトイレの前で掃除を争うのです)”ラバトリーの掃除 終わりました!”とニコニコしながら得意げに言う彼女の靴の底には、あふれそうになったゴミ箱を踏んだ証拠に、使用済みナ**ンが こんもりとついていました。
2005/10/28
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こんにちは。私は フィジーに来ています。ここは、海も空も真っ青に澄みきっていて、太陽がいっぱいあって 空気はおいしく、のんびりしていて言うことなしです。フィジーに住んでいる人々は、皆 陽気で出会った時は 片手をあげて、”ブラー!”と言って 真っ白な歯をむき出します。 そして、男の人も女の人も 同じようなごつい体をしていて、アフロヘアーに花をさし、巻きスカートをはいているので、私は最初見た時、性別が判定できなかったのですが、よく見ていると、上半身に布を巻いているのが女性だということがわかりました。私は早くにこの見分け方をマスターしたので、他の人が ”男同士で手をつないでる!”とびっくりしていた時、あれは女の人だと教えてあげることができました。ところで、フィジー便のお客様はさすがに新婚さんばかりで、機内は 熱気でむんむんです。座席が3席になっているところでは、カップルの片割れはたいていその前後か 通路をはさんで隣に座っているので、まるでトランプの神経衰弱をしているようです。そのように、別れ別れに座ってしまった新婚さんは、ペアのユニフォームを着ていない限り、すぐには当てにくいのですが、一度、お飲み物は何になさいますか?と質問をすれば、必ず相手と相談を始めるので、すぐにわかります。また、新婚さんは挙式が終わり疲れがたまっているので、機内であまりはめをはずすと、お酒を飲んだ後、青くなってお手洗いに駆け込むという現象が起こります。私は 新婚さんがお手洗いの中で胃の中の物を出したりするのはかわいそうだと思いますが、それをちゃんと流れて消えていく場所でやってほしいものだといつも思います。手を洗う洗面 台の中に すりきれいっぱい溜めこんでからそのあとで、 ”流れません”と言いつけに来るのはもう大人なのだから考えてほしいものです。その掃除を さっき配った食事のメニューを思い出しながら、これは付け合せのさやいんげん、これはにんじん、などと言いながらつまみだすのは、やっぱりちょっとはつらいなあと思ってしまいます。何はともあれ、ここフィジーでは、そんな小さな事など何も感じなくなる程、太陽はじりじりと照りつけ、何処までも青い海には きれいな魚がいっぱい泳ぐのでした。
2005/10/27
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こんにちは。私はマレーシアのクアラルンプールに来ています。日本からクアラルンプールまでは 約7時間。ハワイに行くのと同じくらい時間がかかるのに、マレーシアというだけで気軽に感じてしまうのは、やはり東南アジアだからかもしれません。今回私はファーストクラスを担当したのですが、ファーストクラスは お食事の時間は長いのですが、それが終わるとお客様はすやすやとお休みになるので、もう何もすることがなくなり、天井を見たり、壁紙を見つめたり、じゅうたんの模様をながめたり、機内をうろついたり、ため息をついたりして過ごしても まだまだ時間がいっぱいあります。ファーストクラス担当のお仕事は、その他にも操縦室に行くというお仕事があります。操縦室は お茶や コーヒー・ミルク入り、紅茶・砂糖入り、コーヒー・砂糖とミルクなど、操縦士さん達のお飲み物を担当します。それで1時間に1回は 操縦室に行って、飲み物を聞いては運んだりするのですが、今日は景色がよいので、いりびたってしまいました。操縦室の窓は、右も左も前も一面ガラス張りなので空の大パノラマ図鑑のようです。フィリピンの上空あたりでは、珊瑚礁の小さな島がたくさん見え、青紫色にラメの入ったような海が続き、私は思わず ここで降ります と叫びそうになりました。そして、目の前には青い空に白い雲がモクモクとたち、シェービングクリームやシュークリームがいっぱい見えました。空は、下から眺める上から眺める中から眺めるなど 眺め方はいろいろありますが、飛行機の正面から眺めるのが一番満喫できると思います。私はこんな180度のパノラマを眺めていると、それもこれもこのお仕事のおかげと、心の中で そっと感謝をします。ところで、今日はクアラルンプールに着いてすぐに皆で中華料理を食べに行きました。ここの名物は、”こじきダック”という料理で、あひるを一匹そのまま蒸して お皿にどんとのって出てくるのですが、ソースが独特で、皆”う~~~ん”とうなりながら食しました。私は一通り、肉の部分を食べてから、誰も手をつけなかったホオの部分をおはしでつつき、続いて、クチバシの中からベロを引っ張り出し、次に、目玉をくり抜き、脳みそをほじり、それらをすべて 食しました。ベロは、べろべろという感じで、目玉は、ふにゃふにゃしていて、脳みそは、たらこみたいでした。私の隣に座った操縦士の人はイヤなやつの隣に座ってしまったとしきりに嘆き、私は得意気におはしをべろべろとねぶるのでした。それでは またお便りします。
2005/10/26
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こんにちは。私は今 モスクワに来ています。モスクワは とてもさぶくて、人々は ごついオーバーコートにひげをこおらせ、顔を真っ赤にして歩きます。ここへ来るスチュワーデスは 皆 いやだいやだと言ってあまりホテルを出たがりませんが、私はガイドブックを片手にてくてくきょろきょろ歩きます。今日は 地下鉄に乗って、自由市場という所に行きました。自由市場は、大きな講堂のような中にあり、チーズのくさったような臭いがしました。ここで商売をする人は 皆 とても陽気で、カメラを向けるとすぐにポーズをとってくれます。ここでは、野菜・肉・果物・花・ハチミツ・香辛料など何でも売っていて、コロコロと太った明るいおばさん達が スカーフを巻いて 一生懸命呼び込みをします。そして、私を見ると、”ほれ、ほれ”と売り物を差し出して、食べろと勧めてくれます。私は まるでデパートの地下に来た気分になって、勧められるままに試食を繰り返してしまい、広い講堂を一周したら お腹が一杯になって、おまけに、手には花まで持っていました。でもよく見ると、モスクワの買い物客は 試食などさせてもらっていず、私は何かおかしいかなと思いました。中には、向こうから走ってきて、私のポケットに何かを押し込んでいった人がいて、ポケットの中をまさぐってみるとからつきのピーナッツがたくさん入っていたりして、一体これはどうなっているのかと思いましたが、よく聞いてみると、人々が私のことをベトナム、ベトナムと呼んでいるのに気づきました。 そして、ベトナム人にこんなに親切にしてくれるモスクワの人々に 私は大きな感謝をし、いただいた花を胸にかかえ、大きなお腹を押さえて その場をそっと立ち去りました。それでは またお便りします。
2005/10/25
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こんにちは。私は今、フィリピンのマニラに来ています。今回は マニラに2泊もできたので、パイロットの人達にフィリピンのゴルフへ連れて行ってもらいました。私は ゴルフがとてもへたなのに、こういう所へ てくてくとついて行くのが 大好きです。フィリピンのゴルフは、キャディさんが1人に1人ずつついてくれます。キャディさんの他にも お金を払えば 大きな傘を日よけにさしてずっと一緒に歩いてくれる子供なんかもいて、自分の体よりも大きな傘を振り回して私達に雇ってもらおうと 追いかけてきます。私は かわいそうだと思いましたが、傘は豪華すぎて恥ずかしいので、逃げまどってしまい、ちょっと胸がちくちく痛みました。ところで、フィリピンのキャディさんは若い男の子達で、黄色の長袖のシャツに、黄色のヘルメットがユニフォームです。緑のゴルフ場に、真っ黒に焼けたフィリピン人達が、黄色のヘルメットをかぶってうろうろ歩き回るので、まるで工事現場にいるような気がして、私は思わず、穴を掘ってしまいました。私の担当のキャディさんは20歳の男の子で、他のキャディさんは皆、黄色いシャツのボタンをきっちりと上まで留めているのに、彼はシャツの前をはだけて、ちょっとおしゃれをしていました。そして、彼は、とてもゴルフにうるさく、一打打つごとに、まず自分が素振りをしてから、私にクラブを与え、”レンシュウ!”と言って、私に素振りの練習を与えます。 そして、彼のOKがあるまで、私はボールにさわれず、3番で打ちたくても彼が4番と指名したら絶対に譲ってもらえないので、何度もちぇっちぇっと思う羽目になりました。 それから、彼はあたりに咲いている花をちぎっては私にくれるので、私はそれを髪にさしたり、胸につけたりと大忙しでした。そして、大きな木によじ登っては、何かの実を取ってきて、食べろ食べろと勧めるので、それも食べなくてはならず、私はゴルフをしていることをもう少しで忘れるところでした。マニラは今日もむし暑く、ゴルフを終えた私達は、腕を出して、焼けた焼けたと黒さを比べて騒ぎ、20歳のフィリピン人キャディは短くなったタバコを吸いながら どこまでも青い空を見上げるのでした。
2005/10/23
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