本能と理性と


大脳基底核、大脳辺縁系といった原始脳をとり囲むようにして
大脳皮質(新ほ乳類脳)がある。
ちょうど本能をつかさどる原始脳を
理性と知性をつかさどる新大脳皮質が覆う構造になっている。

進化の過程を思い浮かべると理解しやすい。
かつて人間の遠い祖先は海で生活していた。
(人間の身体の60%は水であり、その構成は海水に近い。)
この頃の脳はまさに原始脳だけで本能の赴くままに海を泳ぎ、
餌を獲得していたものと予想される。

進化が進むと一部の種は陸に上がるようになった。
陸の生活に適応するとともに種は大脳を発達させた。
大脳を発達させた種は本能に加え、知性や理性を有するものとなった。
このことで種は道具や言語、火の概念を理解する知的な生命体となった。
大脳をさらに進化させた種はやがて群をなし他の種を支配し始めた。
2本足歩行を始めたその種こそ我々の直接の祖先である。

動物がいつ人間になったかについては明らかでない点も多い。
動物と人間は根本的に違うと唱える学者?もいる。
ダーウィンの進化論でもミッシングサークルは未だ明らかになっていない。
また種は環境に適するように進化したのか、或いは環境に適した種が
生き残ったのか、進化の過程には謎も多い。
人類が誕生したのは必然であるのか、偶然であるのか私には解らない。

話を本能と理性に戻そう。
本能と理性は一見相容れない対極の産物のようであるが
人間の行動を理解する上で避けて通れない。

説明に困るが遺伝子は本能的(利己的)であり、大脳は理性的
であると考えている。(もっとも大脳を形成したのは遺伝子
そのものであるが・・・。)
遺伝子が最初に造った原脳は本能をつかさどり、その後にできた大脳
は理性をつかさどるようになったと考えている。

遺伝子(本能)<<原脳(本能)<<大脳(理性)


進化がさらに進めば人間は理性だけで生きるようになり、
本能は闇に葬られてしまうのだろうか?

私の答えは”NO”である。

本能”欲求”のない人間は既に死んでいる。

結論から言えば人間は誰しも欲の虜である。
生まれて間もない赤子が母の乳を吸う。生まれた瞬間から人間には
息を吸いたい、乳を飲みたいという本能(意志)が働く。
”あれ欲しい、これ欲しい。”
食欲、性欲、睡眠欲、支配欲・・・・絶えず本能は我々に欲求を提示している。
そして欲求を満たすことで我々は快感を得ている。
この不思議な原理から人間は逃れることができない。

欲求(煩悩)があるから人は苦しむ。
よって無心になることで苦しみから逃れることができる。(解脱)
このような考え方も確かに成立する。
しかし、完全に本能を無くした種は生きられない。
”究極の無は死そのものだからである。”

理性について:

理性の最も重要な働きは本能を抑えることなのかもしれない。
本能だけでは種は社会で生きていけない。それは歴史が証明している。

本能に抑制が効かなかったら一人の女性のために、食料のために命をかけて闘うことになるだろう。そのような種は欲を満たすことしか考えられず、闘争に巻き込まれて死ぬのがおちである。食い意地だけの魚は針にかかり、理性を有する種に食べられてしまう。

理性は生きるために欲求(本能)を無意識の世界に封じ込めるのだろう。(きっと理性は欲求を完全に消し去ることはできない。あくまで無意識にするだけである。)
緊迫した状態では欲求があまりわいてこない。むしろ安定(平和)した状態であるほど欲求はでてくる。ひょっとしたら理性も生存するために備わった本能の亜型なのかもしれない。

まとめ:

いずれにしても、欲求のない人間はいない。
本能が自らに語りかけ、欲求が生じるからこそ
人は生きる。
生きたいという欲求すらない人間は生存しない。
食欲の無い人間は生きない。
睡眠欲のない人間は生きない。

例え死にたいと願う人間がいても必ずどこかに生きたいという欲求が
働いている。
死にたいという欲求だけなら、死に対して何の恐怖も抱かないだろうし、
そのような人間はとっくに死んでいる。
生きたいという欲求と死にたいという欲求の両者の衝突から苦しみは
生じるのかもしれない。

生への欲求は大抵の場合無意識の中にある。
本能はマグマのようなものである。
火山から噴火したマグマだけが食欲として、性欲として意識に上る。
意識に上らない欲求はマグマのような状態で無限に存在しているのである。
(理性に封じ込まれている。)
少なくとも生きている者は誰しも最低限生きたいという欲求がある。
(ないと思っている人間は何故自分がわざわざエネルギーまで使って呼吸をしているか考えて欲しい。無意識に身体は生きたいと思っているのである!)

人間はいくら理性を発達させても欲求から逃れることはできない。

10万円手にいれたものは100万円望むのである。
100万円手に入れた者は1000万円望むのである。
欲求はいつまでもなくならないから人間は決して幸福
にはなれない。              (ショウペンハウワー)

人生はそのような欲求の連続なのかもしれない。
しかし、私は欲求のない人生より、多少辛くても欲求の多い人生を歩みたい。


最後に:
本能があるからこそ欲求が生じ人は生きると私は言った。

では本能はなぜ生じるのか?

その謎を解いた者はいない。


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