【武侠商人】が世界に問う、日本の武の美【もののふ】戦国武将と変わり兜と甲冑のデザインブランド

隆慶一郎


隆慶一郎ワールド
同志社中学卒業 本籍兵庫県
昭和16年 三高文科丙類入学

昭和18年9月卒業
学徒出陣・復員後
昭和23年 東京大学文学部仏文科卒業
創元社に編集者として入社 
立教大学講師・中央大学助教授
昭和32年 シナリオライターとなり 日活撮影所で数多くを発表
昭和33年 「にあんちゃん」でシナリオ作家協会賞を受賞

その他「陽のあたる坂道」・「あじさいの歌」・「赤い波止場」・
「錆びた鎖」などを書き、石原裕次郎に絶大の信用を受け世間の評価も高く一流のシナリオ作家としての地位を固める。
以後、テレビの脚本に手を染め、その数は不明。テレビ局の信頼があつく「池田一朗」の名前で企画の段階が通るというような事情もあり、次々と書いたためである。
「紅萌ゆる自由寮」(旧制高校の作家による連作小説集「ああ黎明は近づけり」所載)もこの頃書かれているが、これが最初の小説と思われる。
その間、「伝七捕物帳」の放映中同じ主題の舞台脚本を、前進座の中村梅之助の為に書き、京都南座および地方巡業にて上演。
昭和52年3月 大阪中座の木暮美千代公演に「桃の別離」を書く。 この脚本は以後木暮劇団で度々地方公演で上演された。
昭和59年『週刊新潮』に「吉原御免状」を連載。『隆 慶一郎』としての出発。
「直木賞」候補となる。以降
「影武者徳川家康」(静岡新聞連載)
「刀工剣豪伝・鬼麿一番勝負」(小説新潮に連載)後に「鬼麿斬人剣」
「かくれ里苦界行」(週刊新潮連載)
「風の呪殺陣」(問題小説連載)
「捨て童子・松平忠輝」(河北新報外に連載)
「見知らぬ海へ」(小説現代連載)
「死ぬこと見つけたり」(小説新潮に連載)
「一夢庵風流記」(週刊読売連載)
「花と火の帝」(日本経済新聞夕刊連載)平成元年九月二十一日中断・未完
「夜叉神の翁--金春一族の陰謀」(野性時代連載)未完
「紫式部殺人事件」(小説新潮臨時増刊発表)
「柳生非情剣」(講談社刊 短編集)直木賞候補作
「かぶいて候」(週刊小説連載)未完
「時代小説の楽しみ」(講談社刊)
「吉野悲傷」(小説すばる連載)未完


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: