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昨春から都会に出かけることは控えていたのだが、昨夏に当たってた名古屋のホテルランチペア招待の利用期限が3月末なので新型コロナの感染者数も東海地方は少しは落ちつき緊急事態宣言も終了した3月半ば昨年3月に娘と九州旅行に出かけた時以来1年ぶりに名古屋駅前で娘と、高層ビルを見上げました。電車代や駐車料の安い瑞浪駅前まで車で出かけ、そこからはJRを利用しましたまだ午前10時位だったし、名古屋駅前のプロントでモーニング。ヨーグルトかゆで玉子かを選択して税抜き360円です。あ飲みかけなので、コーヒーの写真が残念な事になってます2月に楽天カードを作ったので、貰っていた楽天ポイントで代金を支払う事が出来ましたどんどん、楽天経済圏に引きずり込まれる私そのうち楽天銀行や、楽天証券でもやってる気もして日曜日の午前中なのですが、以前に比べて人出が少ないようにも思えます。私だってホテルランチの件がなければ、名古屋まで来る事もなかったし1年前にこのブログで、ビルを作っているところ? それとも壊しているところかと聞かれた場所は更地になり、新たなビルがここに建てられるようです。リニアの駅も名古屋に出来る事もあり今後、大規模な再開発が予定をされているので、この名古屋駅前のオブジェ「飛翔」もほかの場所に移転がされるようだ。名古屋市制百周年を記念して作られたものだとかそんな再開発も影響があるのか、ないのか新型コロナの影響は、確実にあるのだろう名古屋駅周辺の地下街はシャッターがあちこちで見られた。新しいお店になっていたところもこちら名古屋駅前同様に再開発が目立ってきている名古屋の中心地、栄(さかえ)でテレビ塔がシンボルとなっているのだが今春、命名権を得た企業により「中部電力ミライタワー」と名前を変えるそうだその周囲には、新しい店舗が幾つも出来てテレビで見て行ってみたいなぁ~と思っていたのだがやっと実現がしました。なんか霧状のものがもくもく出るパフォーマンス名古屋などは地下街が発達しているし、地下かビルの中でしか人を見ないのに、珍しく地上に人の姿が・・・問題は真夏の暑さの人出なのだけどテレビ塔の下では、お酒が気軽に飲めるお店もあります。その脇にはテレビ塔の昔の部材のようなものがテレビ塔の北側は公園で、人の姿などまず見かけなかったのが、東京みたいなこじゃれた街並みが。う~む代官山か自由が丘にでも来た気分に浸ろう更に進むと広場のある公園で、お子さん連れのファミリーなどが、のんびりとピクニックをしていた遅めのランチは、テレビ塔の真下にある地下街セントラルパークのとんかつの藤で名古屋名物の味噌カツ丼を食べた。2時になったところで娘はワンコインの晩酌セットそれにしても、いつも地下街を歩いているので名古屋の街並みが新鮮に感じます。栄から名古屋駅方面を眺めました。名古屋の道路は、戦後復興で火災の延焼防止に広く作られていますキャベジンや、コルゲンコーワとか聞いた事があります? 様々な分野で営業展開をしている興和はナゴヤドーム⇒バンテリンドームの命名権を得た会社で、名古屋に本社がありますテレビ塔に並ぶ栄のシンボルである栄オアシスで、イオンで貰っていたクーポン券を使っての、ゴンチャのタピオカドリンク若い女子で賑わっていました。さてさてせっかく名古屋まで行くのであれば次に行けるのはいつかもわらないし、栄も名古屋駅前も大須にも出かけてみたい。と言うことでお安いホテルで泊まる計画を立ててまして午後も遅くなってきたし、足も疲れたのでホテルにチェックインして、また後から街に出かけようとホテルに向かう途中に、かつて丸栄百貨店のあったあたりの地下街に、丸栄百貨店に使用されていた大理石が飾られていました。ここにも新しい商業施設が作られるそうだ今年3月上旬にオープンをしたばかりの「ホテルフォルツァ名古屋栄」ですがサイトの千円割引クーポンや、ポイント二千円が使えるので安く済みそうなので楽天トラベルから予約をしました二人分で六千円の宿泊料ですが、クーポンやポイントを使ったので三千円になって、作ったばかりの楽天カードで支払ったので、更に楽天ポイントが50円つくそうですし、楽天トラベルを使った事で、楽天市場の利用でもポイント増もされるそうですよどんどん楽天経済圏沼にどっぷりと。更に素泊まりの宿泊プランにもかかわらず、開業記念で朝食ブッフェがつくそうです。これは嬉しいしかし、今回の予約の決め手になったのは開業記念で、宿泊者は赤、白のワインとかドリンクバーの利用が出来るそうでしてしかも飲み放題だったりします(ワインは宿泊日の夜のみ。時間制限あり) 私は3杯ワインをいただきました。コーヒーとかお部屋に持っていけますお部屋です。ビジネスなので広さは期待出来ませんが、とても快適です。窓際のソファを娘が気に入りまして、部屋にもこんなんが欲しいと言ってました栄のど真ん中、ロフトやパルコ、松坂屋などがすぐそばにあります。お昼も遅く飲み物もいろいろと飲んだので、夕飯はコンビニのおにぎりとかを調達し部屋で食べましたお風呂は洗い場もあるタイプで、うちの風呂よりもバスタブが大きい。最新式のシャワーもあって、朝にも入ってしまいましたドライヤーもパナソニックのナノケアの高価な機種ではないですか。うちで使っているのは、この一つランクが下のものシャープの空気清浄機もありましたしクッション型のマッサージ機も置いてありました朝食ブッフェではあんかけパスタや、味噌カツひつまぶしおにぎりといった、名古屋メシも食べることが出来ました。ランチブッフェも食べるので控えめにお店があく午前10時までは、ホテルでだらだらしてから街に出ました。お店によってはまだ開店をしてなかったりする栄のバス停には金シャチが乗ってましたそうそう、その日は建て直す名古屋城の天守閣から金シャチが地上におろされたそうです盲導犬サーブの銅像もあります。岐阜の片田舎で飼い主さんを助けていました栄のど真ん中の一等地も再開発で新たに地上33階の高層ビルが建つそうでして低層階には商業施設、中層階はオフィス高層階はホテルになるそうですそう、新しいビルは中日ビルです。ここは中日劇場もありましたし、地下には名古屋グルメの飲食店もあってよく出かけました無論、中日新聞の本社も入るのでしょうね昨夏に三幸製菓と地元のスーパー、バローのタイアップで当たったホテルランチのペア券は緊急事態宣言で期限も延びて、3月末までとなっていましたので、今回の名古屋プチ旅行のきっかけとなりましたやってきたのは高級ホテルの「名古屋東急ホテル」でかなり前にも、懸賞で当たってここのフレンチレストランでペアランチを娘と食べた事がありそれ以来です重厚感のあるアナトリウムラウンジのグリンデンワルドは、福山雅治の映画「スクープ!」でロケに使われたそうだ現在公開中の藤原竜也と、竹内涼真の映画「太陽は動かない」とか最近やっていたNHKのドラマ「ドリームチーム」でも、このホテルがロケで使用されたみたいだし(冒頭の恩師のお別れ会)名古屋を代表するホテルの一つだけある今回のホテルランチの招待は、オールデイダイニング「モンマルトル」のウィークディランチのお肉とお魚ツインプレートランチセットが食べれるそうで、10分程前には到着。ここが後に満席になりましたメインのプレートの他にも、スイーツ&デリカのセミブッフェが利用できましたよメインのお肉と、お魚料理が登場。ホームページをによると、税・サービス料込みで3000円のランチのようだパンも色とりどりで、何をお皿にとるか迷ってしまう。90分の制限があったがそれより早くに席をたち、泊まったホテルで預けていた荷物を受け取って大須方面へ向かった。横断歩道の向こうには名古屋グルメの一つの「矢場とん」数軒先には、台湾ラーメンの「味仙」のビルが見える矢場とんにはテイクアウトの売り場も用意されていた。新型コロナで作ったものか、前からあったのかは不明名古屋駅前(メーエキ)、栄と繁華街を巡ってきたが、ここは古くは大須観音の門前町として浅草のような存在であったみたいだが、今は秋葉原的な要素も門前町の名残のお年寄り向けの老舗もあれば、電化街や、古着やコメ兵のようなお店もあって、最近は食べ歩きなども楽しめる大須のど真ん中にある萬松寺は、織田家の菩提寺として清州に建てられ、父親の葬儀で信長が位牌に抹香を投げつけたお寺である後にこの地に移転されたが、名古屋大空襲で全焼。今は近代的なお寺となった名古屋の街中に住む人に人気のスーパーサノヤは地元のテレビなどでもよく紹介されている。てくてく歩いて終点の大須観音に到着。その歴史は古く12世紀あたり、岐阜羽島の中島観音が元のようだ。後村上天皇の頃に勅願寺となり、家康の命で現在の地に移転された名古屋大空襲で焼失し、近代的なお寺になるが真福寺(大須)文庫は、醍醐寺、根来寺と並ぶ、日本三大経蔵として知られている(仁和寺、根来寺と共に本朝三文庫でもある) その数は15000にも及ぶ本福寺本古事記と呼ばれる、日本最古の古事記は国宝に指定をされており、他に国宝、重要文化財の書物が数多く所蔵をされているそうだ。日本三大観音の一つでもある大須観音からは地下鉄で、JRの鶴舞駅に行くが電車が出たばかりで、時間あるので目の前の鶴舞公園で時間つぶし。ここは桜の名所なので、今頃は咲いているのかな名古屋公会堂は昭和天皇のご成婚を記念し戦前に建てられ、国の登録有形文化財に指定をされている。昔は映画の試写会で何度か利用をした事があった。名古屋1泊2日の旅はこれにて終了 2021年3月中旬に名古屋で撮影にほんブログ村
2021年03月24日
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国内での新型コロナの感染数もかなり減って多くの自治体で、自粛も徐々に解除がされて観光施設なども営業を再開したところもあり斎藤道三ラブな岐阜の大河館や岐阜城も行く事が出来ますが、犬山城は閉鎖中ですこのあたりの違いはクラスター中心で、ここ最近感染が出ていない岐阜県と、それよりは多い愛知県の違いなんでしょう。ところで世間では愛知は違った意味で有名になりました。コロナの陽性を知っていて、人にわざとうつしてしまった男性(亡くなられた)のニュースは衝撃的だった俺はコロナだ!と放言して、業務を妨害する男性のニュースも、多くは愛知県内だったりして・・・(汗) ゴールデンウィーク中に田植えがあって、今年は転勤で息子が愛知県に行ってしまったので、帰省はさせたくないし苗を渡す手伝いを私がする事になったところが愛知県住みの旦那の弟が、帰省したいという。田んぼが大変だろうから手伝いたいのかと思ったら、暇だからというそうで(汗)そんな訳で私が田植えの応援をしなくても済んだけども。愛知の車が来たら、近所の人が嫌がるのでは?なんて思ったけど逆に車を見て久しぶりだからとしゃべりにきたりで。それでも気を使って念の為にと家の中には入らずに、昼は野外で食べるというので、舅や姑も外で一緒に食べてるし(汗) せっかくの気遣いも意味なし中津川市は感染者がないままだし、新型コロナも、テレビの向こうの話みたいなどこか他人事のような部分があるんじゃないかと思う。もともと家からどこかに行くというのも、私の車でいつもの病院と床屋位だしこのままおさまればいいが、寒くなってきて第二波とか来たら嫌だなぁ。冷え込んだ経済活動も、スグには戻るように思えないし。先が見通せないので不安が募りますよね。ご商売をされている方は猶更だと思います犬山にちなんで、どこもかしこもご城下はわんこです。わん丸君というらしいです特技は肉球ハイタッチ。そのちょんまげを触ると良い事があるんだとかそして、ご城下で目につくのがハートだこれは後から出てきますが、お城のすぐ近くにある三光稲荷の絵馬がピンク色のハートなので、それにあやかってもう、あっちを見てもこっちを見てもハートです10年前に来た時には、しけた田舎町だった犬山は、昨今には若い婦女子が集まる行楽地になってましたお城からまっすぐ伸びた町筋には新しい飲食店が、たち並んでいて楽しくお食事を楽しんでたり2月上旬に名古屋駅前に泊まる機会があったんですが、その時にもホテルの近くで名古屋モーニングを食べてたら他の地方からやってきていた女子大生たちがモーニングを食べながら今日は犬山に行くと楽しそうに話してましたし。地元以外でも犬山の知名度はかなり上がっている模様まぁ、うちの場合も久々にお城ではなくて地元の情報番組で犬山をよく取り上げるので、どんな街になったのか一度、見に行きたいなってノリで出かけた訳ですし飛騨高山のお醤油味のシンプルなみたらしだんごがあったので食べてみました。年に1度は出かけていた高山も新型コロナもありご無沙汰です同じ岐阜県とはいえ、飛騨地方に岐阜ナンバーで出かけるのは躊躇しちゃいます。感染者もいない中津川市ですけども、車のナンバーはクラスターの起きた地域と同じなので今日も久しぶりに名古屋に行きたいと、娘とも話してました。デパートとかも再開をしているそうですが、違った意味でそちらに出かけるのも躊躇しちゃいます。人ごみはまだ怖いですから普段から都会暮らしの方とは、またズレた感覚なのかもしれないさてさて、こちらのしぶい建物は旧磯部住宅といいまして、平成16年に犬山市に寄贈をされ保存整備の上で、無料での一般公開がされています。元は柏屋という呉服屋さんで、国の登録有形文化財に指定されていますよなにやら由緒ありげな燈籠が街中にありました↑このような由来だそうです。木曽福島にそういえば、山村代官屋敷ってあったしここ犬山も尾張藩だけど、木曽も尾張藩であるから関係も深いのかな。山村甚兵衛は代々、山村家の当主が名乗っていたそうだ犬山城の真下にあるのが「針綱神社」で、主祭神は尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)と言いまして、尾張氏の祖先神で尾張国一宮に鎮座する真清田神社の御祭神でもある天火明命の十四世孫にあたり、父の尻調根命(尾綱根命)と共に針綱神社に祀られています熱田神宮、(はだか祭りの)尾張大國霊神社、津島神社、(今は岐阜だけど)千代保稲荷神社と共に尾張五社に選ばれ、東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除安産、長命の神として濃尾の総鎮守とされている犬山城を築城した織田信康(信長の叔父)が安産を祈願して、自ら彫り上げた木製の狛犬が奉納されたそうだ。さて日本で犬の名が付いた自治体はここだけだそうだが、その由来は、犬を使って狩りをしていたからとか、小野に山が多かったので小野山(おのやま)がいぬやまとなったとか大縣神社の祭神の大荒田命は、針綱神社の祭神の一人玉姫命の父親にあたり、大縣神社からは針綱神社が戌亥(いぬい)の方角になり、いぬいがいぬやまになったなんて説も。その脇には「三光稲荷神社」がありましてウィキペディアによりますと>創建時期は不明。かつては三狐山(三光山)に>鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていた>という。江戸時代以降、犬山城主成瀬氏の守護神>とされる。神仏習合で三光寺とも称していたが、>明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社と>なる。>1964年(昭和39年)、現在地(針綱神社西)に移転>する。猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社>ともいい、三光稲荷神社の境内社であるが、独立した>存在である。社務所でも三光稲荷神社と猿田彦神社を>併記している。かわいらしい桜のおみくじと、ハートの絵馬またも由緒ありげな燈籠があり↑このような由来のものであった。しまった~下調べなく出かけて、めぼしい写真を撮ってブログを書くにあたって、ネットでどのようなものだったのか調べているだけなので今になって、三光稲荷では嬉しい倍返しをしてくれる神社であったのを知った次第だ拝殿前の銭洗池で、お金を洗うと倍返しになるそうで、清められたお金を持っているだけでも運が良くなるそうださてさて、これは飛騨高山でも見かける蔵ですね。お祭りの山車でもしまわれているのかもしれませんこちらは、えらく最新式の蔵のようでしてピカピカな「どんでん館」は、前回で紹介した共通券を使って、安く見学ができます犬山祭についてウィキペディアで紹介すると>犬山祭(いぬやままつり)とは、愛知県犬山市>にて、毎年4月の第1週の土曜日、日曜日に行わ>れる、針綱神社の春季祭礼である。2006年>(平成18年)3月15日には「犬山祭の車山行事」>として国の重要無形民俗文化財に指定されている>また車山(山車)13輌は、1964年(昭和39年)に>愛知県の有形民俗文化財に指定されている。2016年>(平成28年)12月1日には、「山・鉾・屋台行事」>としてユネスコ無形文化遺産に登録された。市内に>あるどんでん館には4輌の車山が常設展示されており、>祭礼以外でも間近で車山を見ることができ、祭りの>雰囲気を味わえる。>針綱神社の祭礼に対して、1635年(寛永12年)より>下本町、魚屋町からの練り物が出されたことに>始まったとされている。1641年(寛永18年)には、>同・下本町により「車山」が出され、からくりが>奉納された。>車山は、1644年(寛永20年)より魚屋町、後には>1649年(慶安2年)の頃、犬山城主成瀬隼人正正虎に>よって奨励されたこともあり、他の城下各町村に>おいても出されるようになった。「車山」とは他>地域の祭における山車や曳山のことで、他では>2層が多いが、犬山では3層の構造となっている。>これは「犬山型」とも呼ばれ、下層がお囃子所、>最上層にはからくりが置かれ、中層は「中山」と>呼ばれて最上層のからくりを動かす層となって>いる1日目を「試楽(しんがく)」、2日目を>「本楽(ほんがく)」と呼ぶ。>城下町であった13の(縦横の通りの1ブロック毎に>下本町、中本町、魚屋町、寺内町などの名称がある)>各町より、犬山では「車山」と書いて「やま」と>呼ばれる13輌の山車が曳き回される。「試楽」では、>車山が針綱神社へ向かい、からくりを奉納する。>その後1年分を表す365個の提灯に載せ変え、早い>町内では18時30分から21時30分ごろまで提灯に>火を点して町内を巡る。夜の部については「夜車山>(よやま)」と呼び分けている。「本楽」は針綱>神社で神事が行われ、13町の車山と共に3町(内田、>坂下大本町、鵜飼町)の練り物も同神社へ集結する。>また、曳き手(手古衆)達が力を合わせ>車山の一方を持ち上げ一気に半回転する>ことは「どんでん」と呼ばれる。そんな訳で「どんでん館」では本物の山車を見物することが出来るその次にはからくり展示館(文化資料館別館)も見学をしに行きました。なんだか門からして、いい感じですからくりと言うと、やっぱり茶運び人形が有名ですよね。からくりについてウィキペディアで紹介させていただくと>語源については、「糸を引っ張って動かす」と>いう意味の「からくる」という動詞の連用形の>名詞化といわれ、16世紀後半頃から用例が確認>されている>日本のからくりについての記録は、『日本書紀』の>斉明天皇4年(658年)に見られる指南車が最古の>もので、この指南車についてはこれより古く『三国>志』にも記述がある。これは台車の上に立つ人形が>車輪の差動を利用し、車がどの方向に進んでも常に>南の方向を指し示すというものである。>平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、桓武>天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)がからくり人形を>作ったという説話が記載されている。また巻二十四>第五には「飛騨工」(ひだのたくみ)が絵師百済>河成を驚かせるため、四方に扉がある堂を作り、>いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じ違う>場所の扉が開く仕掛けを作った説話も記載されている。山車からくりは>祭礼の際に曳かれる山車・車楽などに、からくり>人形を載せたものである。山車の内部に囃子の演奏>者と一緒にからくり操作者が乗り込み、曳行時や>宮入り時に囃子の演奏に合わせてからくり人形を>操作し、披露・奉納する形が一般的である。>元和5年(1619年)に名古屋東照宮祭が始まって>以来、名古屋を中心とする中京圏に集中的に分布>し、主に愛知県と岐阜県に跨って特色ある祭礼>文化を形成している。享保15年(1730年)に>7代尾張藩主になった徳川宗春は「民と共に世を>楽しむ」政策を実行し、8代将軍徳川吉宗の質素>倹約策で自粛されていた東照宮祭の豪華に復活させ、>他の祭や遊興を盛大に行う事を奨励し、活動の>場を失っていた、京都の玉屋庄兵衛をはじめと>する、全国のからくり人形師達を名古屋に招いて>からくり人形師達が尾張地方に移住した事に>より、名古屋を中心とする中京圏で、からくり>文化が発展し根付いた。>名古屋中心部のものは大部分が第二次大戦の戦災で>失われたが、岐阜県高山市の高山祭、美濃市の美濃>まつり、愛知県犬山市の犬山祭、津島市の尾張津島>秋まつり、半田市の亀崎潮干祭など、戦災を免れた>山車が周辺地域には多く残っており、現在でも各社>氏子の地元住民が、山車に乗り込んでからくり人形を>操る姿が見られる。>他にも京都祇園祭の蟷螂山が、御所車の上に>乗ったカマキリのからくりで有名である。また>江戸の山王祭・神田祭においても、山車の人形に>からくりを施したものがあったというといった訳で、犬山祭りを次には見てみたいものだ 2020年1月25日に愛知県犬山市で撮影 新型コロナの感染節の為に、観光施設などが臨時 休業をしている場合があります。お出かけになる 時にはご確認をにほんブログ村
2020年05月25日
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苗木城、明智城、岐阜城と美濃国の城が続きましたがラストは、尾張の白帝城。木曽川を見下ろす犬山城の登場です。今年1月25日可児の明智城に出かけた時には、こちらにも一緒に登城してきましたというか気分的には、こちらの犬山城をメインに考えていて、時間があったから午後から、明智城にも立ち寄ってみたというのが正確なのかもしれません。やっぱ田舎の山城址よりも、国宝の現存天守はワクワクしちゃいますすいませんっ~、光安叔父上~(麒麟がくる)さてさて犬山城は3回位は出かけてますけど前回は10年以上前のようです。このブログでも紹介をしていました ↓リンク2009年05月21日「国宝天守より木曽川を臨まん。犬山城(白帝城)」いよいよ犬山城の本丸鉄門が見えてきましたこの先からは有料ゾーンとなります。ここに来る途中に、街角のポスターでお得な情報を得ることが出来たので、早速、犬山城下町周遊券(760円)を購入してきましたこの1枚で犬山城と、城とまちミュージアムからくり展示館、どんでん館を見学が出来てそれぞれを、単独で購入するよりも190円安く済みます。犬山城入場料だけで550円するので、実質は3つの施設を210円だけで見学できる訳でしてなにせ10年ぶりの犬山だから、次に来るのもいつになるかもわからないし見学できるものは、見ておいても損にはならない。さてさて天守閣は戦国時代のほんまもんの建築物ですが、この本丸鉄門を含めて廃藩置県による廃城処分で、天守閣を除いて城門や櫓の殆どは取り壊されてしまったので新たに作られたものだ。ただし幾つかの門が近隣の寺などに払い下げられて、山門などとなり、現存をしているそうだ「瑞泉寺山門(旧・内田御門)」 犬山市「常満寺山門(旧・松の丸裏門)」 犬山市「運善寺山門(旧・城門)」 一宮市 「浄蓮寺山門(旧・松の丸門)」 一宮市「徳林寺中門(旧・黒門)」 丹羽郡大口町「専修院東門(旧・矢来門)」 丹羽郡扶桑町 といった感じらしい。結構、残されているもんだ。全国の失われた有名な建物なども、このように今も寺社などに移築され、今も見る事が出来たりして。それを見学するのも楽しいものだ。たとえば秀吉により、破却された聚楽第の遺構も、国宝の大徳寺の唐門などに転用をされているそうだしではでは犬山城について、いつものようにウィキペディアで説明をさせていただくと>文明元年(1469年)犬山城の築城/応仁の>乱の最中に岩倉織田氏当主の織田敏広の弟・>織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりと>いわれる。1497年(明応5年)に同盟関係に>あった美濃守護代の斎藤妙純が近江で戦死>したため、岩倉織田氏の勢力は衰退した。>天文6年(1537年)清洲三奉行の織田信秀の>弟・織田信康は居城の木ノ下城を廃し、現在の>位置に城郭(乾山の砦)を造営して移った。>現存する天守の2階まではこのころ造られたと>考えられている。>天文13年(1544年)織田信康が斎藤道三との>戦い(加納口の戦い)で戦死し、子の織田信清が>城主となった。永禄7年(1564年)織田信清は>織田信長と対立して敗れ、甲斐に逃れた。以後、>池田恒興や織田勝長などが城主を務めた。>天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでは、>信雄方と見られていた大垣城主・池田恒興が>突如奇襲をかけ、信雄方から奪取する。これに>より、犬山城は尾張国における西軍の橋頭堡と>なり、さらに羽柴秀吉は本陣を敷いて小牧山城の>徳川家康と対峙した。>天正15年(1587年)織田信雄に返還された。>天正18年(1590年)織田信雄が改易されると>豊臣秀次の領地となり、その実父の三好吉房が>城代を務めた。文禄4年(1596年)豊臣秀次が>切腹すると、石川貞清が城主となった。>貞清は城の改築を行なう。慶長5年(1600年)>関ヶ原の戦いでは岐阜城、竹鼻城などと共に>西軍の拠点となり、稲葉貞通、稲葉方通、加藤>貞泰、関一政、竹中重門らが附属されたが>岐阜城が落城すると石川貞清を残して東軍に>移った。>一方の石川貞清は犬山城を放棄し関ヶ原に参陣し>敗北したが、東軍についた木曽衆の山村良候らを>犬山城で解放したことが評価され助命された。>慶長6年(1601年)小笠原吉次が城主となる。>慶長12年(1607年)平岩親吉が城主となる。>元和3年(1617年)親吉没後6年間親吉甥の>吉範が城主を務めたのち、尾張藩付家老の成瀬>正成が城主になり、天守に唐破風出窓が増築>される。成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで>城主として居城とした。>現存する天守が建てられた年代については>天文期説、慶長期説などがあるが、現在の>ような姿となったのは成瀬正成が改修した>1617年(元和3年)ごろである。2004年>(平成16年)3月末日までは日本で唯一の>個人所有の城であったが、>同年4月1日付けで設立された財団法人>犬山城白帝文庫(現在は公益財団法人)に>移管されている。2006年(平成18年)>4月6日には、日本100名城(43番)に>選定された。>尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの>高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山>城である。別名の白帝城は木曽川沿いの>丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上に>ある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」>(早に白帝城を発す)にちなんで荻生>徂徠が命名したと伝えられる。すいませんね。ウィキペディアの文章をそのまんま丸写ししただけで、申し訳ないですが、そのまま天守の説明も続けます>犬山城の天守は、外観3重、内部は4階、>地下に踊場を含む2階が付く。天守南面と>西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、>入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の>望楼部を載せた望楼型天守である。>窓は突上窓と火灯窓、両開き窓なと、地階>1・2階出入口を含めて、総延面積は698.>775平方メートルに達する。天守台石垣は>野面積という積み方で、高さは5メートル>ある。>天守の高さは19メートルある。1935年>(昭和10年)5月13日、当時の国宝保存法に>基づき旧国宝(文化財保護法における重要>文化財に相当)に指定。1952年(昭和27年)>3月29日付けで文化財保護法に基づく国宝>(新国宝)に指定された。>指定に係る告示は1952年(昭和27年)10月>16日付けの官報に掲載され、指定名称は「犬山>城天守 1棟」。構造・形式は「三重四階、地下>二階付、本瓦葺、南面及び西面附櫓、各一重、>本瓦葺」とある。>所有者は公益財団法人犬山城白帝文庫。>犬山市が文化財保護法に基づく管理団体に>指定されている。1961年(昭和36年)から>1965年(昭和40年)に行われた犬山城>天守の解体修理と古文献等によって、>この天守は下の2重2階の主屋が1537年(天文>6年)または、1601年(慶長6年)に建てられ、>1620年(元和6年)頃に3、4階を増築。その後>唐破風の付加などが行われて現在の姿になった>と考えられている犬山城は国宝の現存天守で、とても貴重なお城だけど。なにより最上階からの、この木曽川を見おろすのが一番好きだ。珍しく木の柵も低いというのもポイント木曽川の対岸は美濃の国。苗木城から眼下の木曽川や向こうの恵那山を眺めるのも良いがここからの景色も絶景かな、絶景かな。中山道鵜沼宿のある各務原市になります。近くに航空自衛隊の岐阜基地があるので、航空祭に3度出かけ、一昨年のものは写真整理が時間がかかりここで紹介をする事もなくお蔵入りなまま。あぁ同じ年の春出かけた北海道旅行も。時期もこれ位であったんで、この機会にと思っていたのにこの日記も書きかけの状態のまま、3日、4日と過ぎているのに、まだ半分位しか書けず。もう犬山城の話もあらかた書いたし何の話をしようかと・・・。まだ朝ドラ「エール!」の続きでも。朝ドラってオーディションで受かった新人女優とか若手男優を中心にしてて、どうしても演技の未熟さとかが目について、後半の無理な老け具合(10代で60代)に引いてしまう事も多いが今回の主人公夫婦も、若いとはいっても既に定評もある二人だけに、感情移入も出来やすくって、ハラハラ、ドキドキ、クスクス。旦那は音ちゃん役の女優さんが埼玉県民にはそこらへんの草でもくってろ!とのたまった映画を見てないんでなんかすごく表情のある子だなぁ~とコメディエンヌな部分に圧倒されているみたいで、そういった部分では喫茶店のバンブーの女店主の破天荒な過去を語る小劇場もいつも笑わせてくれる。網走の男もすごかったがオックスフォードで法律の勉強? 過去にあまちゃんも、朝ドラのわりに攻めているなぁ~と思ったが、このエール!も民放のドラマのような軽さがかえって、楽しいしプリンスの毎回のかっこつけた登場シーンもぶっ!!と噴き出してしまうし夫の悩める作曲家も、オドオドして、良い表情するなぁ。今週は私も子供の頃に替え歌として運動会で覚えた「紺碧の空」でして石原良純や、松岡修造くらい熱い応援団長を演じる三浦貴大が、30代半ばにして学生服似合います友和&百恵夫妻のどちらにも似てますよね今朝は、甲子園を目指していた頃に親友とキャッチボールをしていて、運悪く彼をケガをさせてしまって、彼の為にも野球を続けたかったが才能は無く。せめて応援で早慶戦で早稲田を勝たせたいと、男泣きで語っていたぎゅと手に握った野球ボーが大写しになり親友の書いた「ゆくぞ甲子園」の文字。彼の話を聞く裕一の表情もすごく良かった。彼でなければ、裕一は演じられなかったのではないかと思う程、はまり役じゃないのかな昨日の夜は久々にスポーツのニュースが大きく扱われていた。と言っても選抜に続いて夏の甲子園も、新型コロナの影響で中止が決まったという残念なニュースでその知らせを受けて泣き崩れる高校球児の震える背中が不憫だったウィキペディアによると>1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会が>豊中グラウンドで行われた。この当時は遠征>費用をすべて出場校が負担していたこともあり>会期を短縮して出場校の費用を軽減することが>考慮された結果、複数のグラウンドを設置する>ことも求められた>ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドの>ポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせる>ため突貫工事で建設され、1924年8月1日に球場が>完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年>(きのえねのとし)という60年に1度の縁起のいい>年であることから、甲子園大運動場と命名された。>第二次世界大戦に伴う1942年から1945年の>中断をはさみ、1946年は敗戦により放棄した>朝鮮、満州、台湾の枠を削除した19枠で大会が>再開された。1948年に学制の改定に伴い、それ>までの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国>高等学校野球選手権大会」に改称する事になった>ことにあわせ朝日新聞社が新しい大会歌として、全国から詞の>応募を行い、そこで選ばれた「栄冠は君に輝く」の>作詞をした加賀大介は野球をしていたが、試合中の>怪我が原因で骨髄炎を起こし、右足切断を余儀無く>され野球を断念したそうである。↑加賀大介の事を主人公に「ああ栄冠は君に輝く」という映画があるそうで予告編を紹介します。ラジオで早慶戦を聞いてたって、そうなると清水のモデルは加賀大介のようだ彼は、自宅前の小学校(松井秀喜の出身小学校)で子供らが野球をしている様子をよく眺めていたんだとか。それ故に野球に対する加賀の熱い想いが強く込められているんだとか。作曲はエール!の主人公の古山裕一のモデルとなった古関裕而で歌うのは同じく主人公の親友でプリンスのモデルとなった伊藤久男である。ではでは犬山のご城下に繰り出そうぞ 続く! 2020年1月25日に愛知県犬山市で撮影 新型コロナの感染節の為に、観光施設などが臨時 休業をしている場合があります。お出かけになる 時にはご確認をにほんブログ村
2020年05月21日
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やっぱり浜辺ですよ。打ち寄せる波!海無し県の岐阜県民の家族がやってきたのは愛知県蒲郡(がまごおり)市目の前には太平洋の大海原が広がっています昨秋、岡崎に住む息子の車を旦那が運転し娘や私と出かけた蒲郡ドライブ。水族館をのぞいてから次にやってきたのは「竹島」です。蒲郡や竹島は何度も来てますがこんなに天気が良い日の訪問は、初めてなのかもしれません。磯遊びを楽しんでいる親子なども見かけました小さな竹島の周囲をぐるっと一周できる遊歩道があったので、とりあえず歩いてまわってみることにした浜辺ではウェディング写真を撮っていた懸賞で当たって以前に出かけたハワイもどこに行っても、日本人カップルばかりだったけど、最近は中国人カップルとかばかりなんだろうか?私はグアムに新婚旅行に出かけたけど最近は、グアムやサイパンに行く人も少ないようだ。抜本的に海外旅行へはご年配のお客さんが多いのかな? 最近ナイル川クルーズに参加した人が感染しているケースが多くあり、エジプトにこんなに行かれてるんだと驚いた飛行機とか結構、換気が良いそうで電車も頻繁にドアの開閉があるのでクルーズ船のような事にはならないとテレビで言ってたが、旅行についても自家用車で、野外の行楽なら問題は無いみたいだうちで出かけるような信州ドライブもそういった意味から気晴らしには良いかもしれないが、うちの旦那は花粉症で春先のお出かけは嫌がるけど、今年は花粉が少ないような気がすると言っているそんな旦那がいるので普段からマスクのストックがあるから、今回のマスク不足問題がなかった。トイレットペーパーも備蓄されている。サランラップや飲料水収納力があるから、ついついため込んでしまったりも・・・さてさて「竹島」について、いつものようにウィキペディアで丸写しをさせていただくと・・・あっ日本海のではないですよ。蒲郡の小さな竹島ですので標高22m、周囲約680m、面積約1.9ha。基盤は花崗岩質である。対岸とは約400m離れており、竹島橋によって、結ばれている。対岸とは僅か400mしか離れていない。しかしながら、竹島は暖地性の植生であり、対岸の植物相とは大きく異なるという特異的な環境である。このため、1930年に天然記念物に指定された。また、魚つき保安林に指定されている。1953年から行われた調査では、238種の高等植物が自生していることが判明した。この中にはサカキカズラ、カゴノキ、キノクニスゲらも含まれる。竹島は全域が八百富神社(竹島弁天)の境内である。竹島弁天は日本七弁天の一つとされる。八百富神社は、市杵島姫命を祀る神社で、養和元年に藤原俊成が、竹生島より勧請し創立されたとされる。徳川家康も参詣し、4石8斗寄進した。また、この地方の領主である松平氏は、正月、江戸への出立、帰郷の際は必ず参拝したといい、古くから信仰を集めてきた。大正4年には大鳥居が建立された。この鳥居の額は東郷平八郎の手によるものだったが、太平洋戦争の供出により残っていない。といった訳で神社にも参拝をさせていただきました見上げるような大きな立派な樹はご神木のようだといった訳で竹島を散策して、大満足対岸にはレトロな蒲郡クラッシックホテル飲食だけでもいいから、一度、利用をしてみたいものだ↑にもあった大鳥居をくぐって戻るがびゅ~びゅ~と吹き飛ばされるような強い海風が吹いていた渡り終えて振り返ると竹島は、こんな感じまるでテルテル坊主みたいな石像があった無料の駐車場に戻る途中にあったおみやげ物こちらは美味しそうな顔出しパネル。といった感じの、昨秋の家族ドライブをやっと紹介しましたさて、ここからは今年2月終盤の話ですえ? ユニバーサルスタジオジャパンへ行ったのかって? いえいえ大阪ではありませんよ昨秋に、娘の会社の入っている厚生福利サービスのジョイセブンで映画チケットを1000円で購入が出来るというので、娘と二人で行けるだろうと軽い気持ちで購入をしたのだが・・・全国共通のイオンシネマの鑑賞チケット2枚(2月末迄有効)、名古屋駅前のミッドランドスクエアシネマのチケット2枚(3月末迄有効、1枚は私が利用済)だったけど、何だかんだで気が付けば2月も後半しかもイオンシネマは、そのまま2枚も残っていたので、見たいという気持ちはある。松本のイオンならコロナウイルスも大丈夫そうだが、車で2時間半というのもキツイし、各務原もまた同様だでは一番近いイオンシネマはと言うと・・・愛知県豊田市の駅前にある、KITARA豊田になりそうだ。土日は混んでいそうだしやはり、ここは私一人で空いている平日に出かけて2本立てにチャレンジするか映画館の利用者は、3時間無料の地下の駐車場があって、人に会う事もなく映画館ロビーに行けた。いつもなら早くに行き真ん中あたりの良い席を指定をするのだけど今回は別だ映画の始まる直前に、まわりに人のいない少し端っこ、少し前の座席にすればいいと思ったが1本目の「ジョジョラビット」は5人だけ。1ブロックごとに一人ずつといった感じだ(笑) 椅子のひじ掛けとか触りそうな所は、予め除菌シートで拭いたヒットラーに憧れる少年の家には、秘密の部屋があり、そこにはユダヤ人の女の子が隠れていたというヒューマンタッチの話だそして駐車場が3時間無料なので、見てから一度、車を出して再び入場をしなおして昼から見たのは本年度のアカデミー賞を受賞した「パラサイト半地下の家族」である。再び上映直前に指定席を取ろうとしたが、流石にこちらの方は20人位はいたと思うが、後ろは通路で、横の人とも2席はあける事が出来た貧乏な人は賃貸で、屋上の屋根部屋や半地下で過ごすというのは、よく韓国ドラマで出てくるけど、金持ちの邸宅には更に・・・・。ある意味でジョジョラビットと同じ展開ではあるが、凄惨な最後が待っているミッドランドスクエアのチケットの1枚は昨冬に私が「ジョーカー」を見ていたけど今年になり、ジョイセブンで名古屋駅前の映画のペアチケットが当たったので、2月中旬に娘と出かけた際にたぶんアカデミー賞を獲るんじゃないかという予想からかジョーカーをやってて娘が観ることにした。パラサイト並みに格差社会の残酷さを感じ取れる映画だ私の方は既に観ていたのでシリーズ完結編「スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け」を観る。やっぱり大画面で観てこその映画だし! この頃には名古屋にも平気で出かけられたけど、今となっては映画館どころか名古屋に出かけるのも躊躇してしまう。蒲郡のうつしちゃる~という男から実際に豊田の女性が感染してしまったそうだ。岡崎も感染者が出たし、息子は当分はうちに来ないでと言ってきたテレビでは、映画館とかは空間が広いしライブハウスとかより安全だと言っていたさて2月下旬に出かけた「KITANA豊田」には、フロアにかっちょえ~映画キャラのフィギュアが並んでいた。等身大?日本のアニメの複製画らしきものも展示をしてあって、なんだか得した気分♪映画館には4月公開の「007」最新作の広告があったが、その頃には少しはコロナおさまってたらいいけど、無理かなぁ~とか言ってたら公開が延期になってしまい11月20日になったようだジェームス・ボンド役のダニエルグレイグセクシーでかっこええです♪ テレビでも録画してまして、スターウォーズ同様にこれ観ても削除できないしさてさて世界のTOYOTAのある愛知県豊田市サッカーの「名古屋グランパスエイト」のホームタウン(名古屋市、みよし市も)でもあり、ホームスタジアムの「豊田スタジアム」なども(名古屋のパロマ瑞穂スタジアムも)そして、ここでは昨年のラグビーのワールドカップの試合も行われた。日本中がラグビーに盛り上がったように、今夏のオリンピックも無事に開催が出来たらよいのだけど・・・・ 2019年10月13日に愛知県蒲郡市& 2020年2月下旬に愛知県豊田市で撮影にほんブログ村
2020年03月15日
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再開をしたばかりの宝塚歌劇団だが、政府の大規模イベントの自粛要請を受けて、再度の3月19日まで休演をする事になった。うちのチケットはその後だが、果たしてどうなるんだか。更には3月末が使用期限のユニバーサルスタジオジャパンのペアチケットも先週末に行くつもりだったけど、休園で行く事が出来ず、今度は後半の三連休にホテルを予約をし直したのに、↑の自粛の要請で3月22日まで休園延長となり、旅行日程も再度の変更。というか、それを見越して既に月末のホテルの予約もしていたので来週分をキャンセルをすればいい訳だが月末に行けるんだろうか?自分で購入していれば返金もされるけど、企業招待のギフトチケットだから紙切れになってしまうかも寒くても正月に行っておけば良かった。でも寒いの苦手で、3月に予定を組んでしまった訳でして、大失敗。大阪同様にやばいのが名古屋でして、自前で買った名古屋駅前の映画館チケットも、3月末期限なんだけどどうするべ。期限を延ばしてくれるといいけど無理だろうなぁ~。まさかこんな事になるとは思わなかったし。これからは期限があるものは、早めに利用をしてしまおう北海道は雪まつりと言われているが、大阪はライブハウス、東京は屋形船。最近は関東でナイル川クルーズの帰国者の感染が続いているが、名古屋はハワイ帰りの奥さんが帰国直後に出かけたジムからの感染が広がって三河地方の蒲郡のご家族まで感染そこのオヤジが自分が感染をしているのを判っていながら、街の飲食店などに出かけうつしちゃる~とは! そんな全国に名をとどろかしてしまった蒲郡(がまごおり)昨年秋に家族で出かけました息子の住む岡崎市からは車で30分位で蒲郡に行けて海を見る事が出来るので山国の岐阜県民は、行楽先には都会か海を見に行くのが一番です息子の車ですが旦那の運転で、息子や娘と4人で蒲郡ドライブです。やってきたのはちっちゃな「竹島水族館」で現在、こちらも臨時休館中です。テレビでも規制のないロシアからやってきた観光客がスカイツリーに登れなくて残念がってたけど普段なら人だらけの浅草も、人が少ないと言いながら満喫をしていたので、まぁそれはそれで良かったような・・・話戻します。ちっちゃな「竹島水族館」は結構、人気があるんですよ入館料がワンコイン。たったの500円とお財布に優しいのも、ありがたいですけど飼育員さんたちのアットホームなパネルが館内のいたる所にありましてそれを読んでいるだけでも、くすっと楽しくなる大人も楽しめる水族館ですわ~い。カブトガニだぁ~。これを見たくて子供を連れて、瀬戸内海の笠岡市にあるカブトガニ水族館まで出かけた事がありますし大水槽はないけど、それに負けない位にインパクトがあるのが、こいつらですねどこが頭で、尻尾はどれだか???パネルはこんな感じです。おしゃれさんらしいですそうやって見ると、愛嬌すら感じますカブトガニ博物館で見た、小さなカブトガニがひっくりかえっていて、あたふたしているのを見た覚えがありますけどこの子は、今日はひっくりかえってないようですねカラフルなアパートには、適当な名前の住民たちがナオミらしいですこっちは個人住宅のようですねほうほう・・・色んなのがいますよねカニ足がワイルドです。戦っているみたいですついつい、真剣に読んでしまったのが飼育員さんのグルメ日記流氷の天使クリオネも。まぁ本当の名はハダカカメカイというらしいですがへんてこな生き物のコーナーもありましたゆらっとしてます見るからに、ぬるとしていますウーパールーパーでしょうかねまたまた、かわいいやつがいましたゲームのぷよぷよだか、ドラクエに出てくるやつみたいつぶれたやつもいました自販機もまた、水族館仕様になってましたお~~。ダイオウグソクムシ自販機だぁワンコインの入館料なのに、アシカショーなどもやってました。南米からやってきたラブちゃんは捕獲をされたオタリアという種類みたいです新人さんだと言う飼育員さんが、頑張ってショーをすすめていましたジャンプも得意です輪投げも出来ます水球もお手の物ですあらよっと!岡崎に戻って、夕飯はラーメン屋に出かけました。愛知県豊橋市にある飲食チェーンの物語コーポレーションの「丸源ラーメン」で全国各地に支店があるので、食べた事がある人もいるのでは焼肉きんぐとか、ゆず庵とかもここみたい他にも、違う飲食チェーンも展開をしているし。愛知県の会社だったとは! 大手チェーンだけに安定した美味しさでしたその日は、旦那と娘と私と3名で息子のアパートの広い居間に、泊めてもらいましたよ。枕のかわりにクッション使い冬用毛布と夏布団を重ねたりで、寝袋を敷布団代わりで・・・次の日の帰りには、イオンスタイル豊田に立ち寄りまして、リカーショップに併設がされた豊田バルで娘とお酒を・・・旦那は運転があるので飲めませんから、普通に通路の椅子で座ってたようです日本酒もいただきました。海は?と言われそうですが、後半で紹介しますね。青い海ではでは。桜が咲く頃にはコロナウィルスも下火になるといいですね 2019年10月13日に蒲郡で撮影にほんブログ村
2020年03月12日
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1月ですが桜です。大晦日に帰省してた息子が1月3日に、転勤先の岡崎に帰るというので、その車に娘と同乗をして今年初めての行楽先は三河です。下道を岐阜県瑞浪市から、愛知県豊田市へとその途中の豊田市小原地区の道沿いには小原四季桜が今も咲いてました。この桜は春と秋の二度咲くそうでして、前にセントレアに行く途中にも冬の時期に桜を見たのですが、その時もピークは少し過ぎてましたピークは11月半ばで、紅葉とのコラボなども楽しめるようです。豊田の市街地に出てきました。中津川ではいらっしゃいをおいでんさいと言うが、三河弁はおいでんというらしいイオンスタイル豊田に行くと、来店者にねずみの絵の描いてあるどら焼きを一つずつ配っていたので、三人で一つずつ朝食はタリーズで。入り口でコーヒーの試飲もあったので、そちらもミニカップで貰った。お正月らしい店内を一通りまわり今度はイオンモール岡崎へ息子の車に乗せて行ってもらって、ここからはバスでも息子のアパートに行けるので、息子を解放。娘と二人でイオンモール岡崎をうろつくお昼ご飯はフードコートで、京都北白川ラーメン魁力屋でラーメンを食べました夕刻にイオンモールから路線バスで東岡崎駅へ。ここで路線バスの乗り換えが必要なのだが東岡崎駅に、新しいショッピングスポット「オト・リバーサイド・テラス」が出来たばかりだと娘がいうので立ち寄ってみたどこで、そんな情報を得たんだろ。正月でまだお休みのお店なども。パンケーキのお店が繁盛してたが、ラーメンも食べたし今日はパステラスにはどど~んと、徳川将軍初代の徳川家康の騎馬像が。岡崎は徳川家康の生誕地である。岐阜県可児市の彫刻家で日本芸術院会員の彫刻家神戸峰男さんが制作したものだそうだこの奥に家康の生まれた岡崎城があるせっかくだから、夕刻の岡崎城下を散歩してみた新しく橋を架けていた。桜城橋(さくらのしろばし)といい、「乙川リバーフロント地区整備計画」の目玉施策だそうだこちらは西の方を流れる矢作川にかかる矢作橋で、日吉丸(秀吉)が蜂須賀小六に出会ったという橋で、かつては東海道。今は国道1号線の橋である夕刻の岡崎をてくてく歩いて、岡崎シビコの食品売り場で特売品を買い込んでから、路線バスで息子のアパートで、簡単な食事を作り次の朝は娘と二人で、JRを利用して浜松まで、餃子を食べに行こうという話となったJR岡崎駅前には、若き日の松平元康(徳川家康)像。最近、テレビで母親と引き離され、人質生活を長く続け、父を早くに失った苦労続きの少年期をやっていたがこちら静岡県浜松市は青年期の29歳から45歳までの17年を過ごした城下であるJRの駅ビルメイワンの奥には地上45階建最高部の塔屋上ヘリポートの高さ、212.77メートルの超高層ビル、浜松アクトタワー駅ビルメイワンの最上階にあるのが本屋に併設された「エクセルシオールカフェ浜松メイワン店」で本を3冊、持ち込めるので景色を眺め1時間ものんびりしてしまったエクセルシオールカフェはドトールコーヒーよりもちょっぴり高級路線な、イタリアンエスプレッソを中心とした系列店だ今回は餃子を二店舗は食べたいと思っていたので、ランチ営業が始まったばかりの「初代しげ」へ。ここは浜松餃子まつりのG1餃王座グランプリにも輝いた実績がある他にも食べたいので、一人前を頼んで半分こフードコートなので、こうゆうこともできるビールは娘がぐびぐび飲んだ餃子の町として、その消費量を宇都宮とトップ争いを繰り広げている浜松餃子は肉の使用量が多く、ジューシーで使われる野菜は白菜よりもキャベツがメイン、玉ねぎを刻んで入れる店も。餃子を円形に並べ、中央にはもやしをのせるお腹も一杯になったので、地元の小さな神社に次いで参拝に来たのは、五社神社諏訪神社。五社神社は、太玉命、武雷命斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし家康が浜松城主時代、三男の長松(後の徳川秀忠)が誕生すると、当社を産土神とし現在地に社殿を建立した。家光の命により諏訪神社は、五社神社の隣に社殿が造営され遷座をしたが、共に浜松空襲で全焼した国学者の賀茂真渕が幼少の頃、師と仰いだ五社神社の神主である森暉昌の功績を記した顕彰碑東海道五十三次の江戸から数えて、29番目京から数えて、25番目にあたる浜松宿は東海道最大規模の宿場で、本陣が6軒あり旅籠も94軒もあったそうだネットで浜松のスターバックスがおしゃれだと娘が見つけて、立ち寄ることにした。「浜松城公園店」といいまして、名のごとく直前には浜松城に出かけたんですが、次回の日記で紹介します娘がスターバックスの会員になっているのでコーヒーのおかわりを100円(税抜き)で一緒に購入できるので、二人の場合はいつもこうしている。(会員外のおかわりは税抜き150円)ここ最近はちょっとな~という感じだった抽選で当選しないと購入ができないスターバックスの福袋、今年はなかなか良かったみたいで、だったら抽選に申し込んでたら良かった。来年は応募してみようかなタミヤやバンダイなどの国内プラモメーカーの大半が静岡県に生産拠点があるそうだが、昔家康が腕利きの宮大工や彫刻士師を、駿府に集めたことから木造模型が盛んになったとかかつてはテレビチャンピオンでも名をはせたプロモデラーの山田卓司さんは、浜松出身だそうで、その作品が展示されていた静岡県磐田市のイメージキャラクターの悉平太郎(しっぺいたろう)をモデルにした「しっぺい」君。怪物退治のために信州駒ケ根からやってきたワンコだ「浜松魅力発信館ザ・ゲート・ハママツ」は 遠州鉄道高架下に設置されており、つい最近まで、いだてんの展示がされていたそうだ後半の主人公である田畑政治は、浜松の出身だったそうだ。↑もはや家康ではなく田畑に見えてくる。そして女城主の井伊直虎もまた浜松北部だし「ガヴリールドロップアウト」というアニメの聖地が浜松らしいが、「苺ましまろ」「干物妹!うまるちゃんR」「クラシカロイド」といったアニメも浜松が舞台らしいこの人が何者かわからないけど、繁華街で絵馬が沢山あった浜松と言えばさわやかハンバーグ。駅前のお店の前は通ったが、今回は餃子を食べに来たのでパス。静岡おでんとか、マグロや日本茶、メロンなどと静岡県には美味しいものがいっぱいなのだけど午後も遅くなったので、浜松を離れる前にもう一軒の餃子店に出かけた。このお店は以前に、ドライブで立ち寄った事があるが今回は、居酒屋的な「浜太郎」駅前店へと言うのも、夕方のハッピーアワーにはレモンサワーとハイボールが、何杯でも99円になるというので、もはや餃子より酒が目当てな娘であった無論、お酒のあてに餃子も頼む。ここも浜松餃子まつりで、餃王座グランプリを受賞 している。美味しいのでガンガン食べれるしマツコの知らない世界の餃子激戦区で迷ったらここで食べろ!のコーナーで紹介もされた赤餃子と、黒餃子も食べてみた。完食~!と言うわけで、ハートな浜松編へ続きます 2020年1月3、4日に三河&浜松で撮影にほんブログ村
2020年01月08日
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前回に続き、息子と娘と出かけた渥美半島ドライブでやってきたのは伊良湖岬。うちのあたりでは朝夕のチャイム(今は違う)が島崎藤村の椰子の実であったので、前から馴染みがあったりもしてる30年以上前にも出かけてたし、何年も前には、懸賞で当たったメロン狩り×ホテルバイキング(写真の高台のホテル)の家族家族で立ち寄った事も。そんな伊良湖には恋路ケ浜という、椰子の実が流れ着いた美しい浜があるネットによれば、なんでも>昔、恋ゆえに都を追われた高貴な男女が>おりました。女はこの恋路ヶ浜に、男は>裏浜に人目をさけて住み、2人は逢瀬も>ままならないまま病に倒れ、>お互いの名前を呼びながら亡くなりました。>その女の心は女貝に、男の心はミル貝に>なったという伝説が、恋路ヶ浜の由来ですなんて伝説もあるのだけど、名前からなのか恋人聖地にも認定をされている更に、この海岸線は渥美サイクリングロードがあり日本の道100選にもえらばれていて、その日も、サイクリングを楽しんでいる人たちの姿もあった。他にも日本の渚百選、日本の音風景100選、日本の白砂青松100選にも選ばれている幸せを呼ぶという四つ葉のクローバー(シロツメクサ)って、子供の頃に道端で見つけて、押し花にしたりしませんでした? あれって恋路ケ浜で最初に見つかったそうで、発祥の地なんだとか 日本では、四つ葉は「希望」「信仰」「愛情」「幸福」の象徴だと言われていますクローバーとかは見かけませんでしたが、浜辺には、うちの辺りでは見かけないような色んな花が咲いていましたかつてはコククジラをはじめ、ザトウ、セミ、ナガス、シロナガスクジラ、マッコウ、シャチなど、数多くのクジラがよく見られたそうで日本の商業捕鯨の発祥の地であるとか。今でもオキゴンドウなど小型のイルカ類なら見る事もあるそうだもともとは、旧海軍の第一機動艦隊の生存者と遺族の発起により、全国海洋戦没者伊良湖岬慰霊碑委員会が建立をした大東亜戦争における海軍機動艦隊戦没者の招魂慰霊碑があった昭和19(1944)年に編成された第一機動艦隊だが同年6月に行われたマリアナ沖海戦が初陣となり、翔鶴・大鳳・飛鷹をはじめ多数の艦船と航空機を失い、その後に解隊となったそうだ「君今ここに甦る」の慰霊碑は昭和47年に建立、慰霊祭が行われ、昭和49年には11月3日を全国海洋戦没者合同慰霊祭の日と定めたそうである椰子の実も流れ着いたこの岬の先に広がる大海原の彼方には、故郷の地も踏むこともなく、若くして命を失った青年たちの激戦の地がある差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり金子兜太の句碑があった。差羽(サシバ)とはタカ科の渡鳥で、全長は約50センチ、体の上面が灰褐色で、腹には白地に褐色の斑がある日本では夏鳥で、秋になると大群をつくり東南アジアへ渡るそうだその近くにも石碑があったが、ネットで検索をしたが、いまいちわからなかったそんな石碑とか興味のない息子や、娘がガンガン先をすすむので、後からネットで調べればいいや程度で、近くにも行かず写真だけ撮ってきたのだ行きの海岸線の道と違い、小さな山を越えるような帰りの道は、趣も全く違っていて、植生もうちのあたりとは違うので、これはこれで面白いどことなく南の島のジャングルみたいというのは、言い過ぎかこの海を渡るのはタカだけではなくって小さな蝶もまた海を越え、暖かな地方へむかうというここのブログでも、北信州にお住いの方がアサギマダラの事を日記で書かれていたばかりだこれは、日本最大級の蝶のモンキアゲハ(紋黄揚羽)だと思うがその為、こういった立て札もあった樹のトンネル。楽しい散歩道だった振り返ると、こんな感じ1時間程を要して、車を停めてある道の駅伊良湖クリスタルポルトに戻ってきたその脇には、何やら説明版があって古墳らしいが、草ぼうぼうで全容もわからない他の地にあったのを移動、復元したものなのか~。ネットでは綺麗な時の写真があり、石組があるそうだけど草、刈ろうよ・・・・道の駅の中には、椰子の実博物館というものがあって、無料で見学ができる伊良湖に流れ着いたという椰子の実。明治31(1898)年の夏に、伊良湖で1ヶ月半程滞在した柳田國男から、浜に流れ着いた椰子の実の話をきいた島崎藤村の詩が、世に広まり歌にもなったアサギマダラ(右上)など、この地で舞い飛ぶ蝶の標本やタカなどの鳥類の標本化石とかクジラとか出土をした遺物もあった島崎藤村は来たかどうかはわからないけども、松尾芭蕉など古くから文化人にも愛された伊良湖であるが、古くには天武天皇時代に、麻積王が配流された地でもあったそうで万葉集には、王の「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す」との歌が残されている。恋人の聖地のレプリカという訳で、伊良湖からの帰り道には電柱にまじって風力発電の大きな風車娘がネットで調べて人気があるという「渥美の丼屋まるみ」に行くと、午後1時半程なのにこの行列。名前を書いて待つこと50分! 席について出てきたのが、娘の頼んだのは、海鮮ミルフィーユ丼(中盛)で1270円。小盛りでいいじゃないかって言ったけど、見た目が良さそうだと頼んで、ふ~ふ~言いながら食べていた横からはこんな感じで、ちらし寿司が隠れていて、いかにもインスタ映えをしそうだし私は手軽な価格の海鮮バラちらし寿司(小盛り)の690円。刺身の苦手な息子はとんかつにしたが、こういったメニューがあるのも有難い店を出るともう午後3時。私の車の置いてある岡崎城付近の24時間で700円の駐車場で下して貰って、そこから下道で自宅に帰ると午後7時近くになっていた 令和元年9月1日に愛知県田原市で撮影にほんブログ村
2019年09月25日
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旦那は家の他に、地域の仕事もあって引っ越しにしか行けてない息子の家に娘と二人で出かけた9月1日の日曜日は息子もお休みだったので息子の運転で、愛知県三河地方に位置する渥美半島まで海を見にドライブに出かける事にしました。岡崎からは国道1号線を利用さほど時間もかかりません途中には、きゅうりのキューちゃんの工場がありましたよ。東海漬物のロングセラー商品のキューちゃんは、ここで作られているのか渥美半島に来たら必ず寄るのが、道の駅田原めっくんはうす温暖な渥美半島はメロンの産地で、数千円の高いもの(といっても、5玉入り)もあれば一玉1000円以下のお安いマスクメロンも購入が出来るのだお土産に2つで1800円のメロンを購入しメロンのソフトクリームをおやつに、ぱくっと車など、工業製品で有名な愛知県だけども農産物もいろいろあって、うちのあたりのスーパーも愛知県産が多い。愛知県が日本一の生産量の農産物が紹介されていたので、書きだすとキャベツ21.7% (田原市、豊橋市)しそ 70.3% (豊橋市、豊川市、田原市)ふき 37.9% (東海市、知多市、愛西市)とうがん 41.7% (豊橋市)いちじく 27.3%(安城市、碧南市、常滑市)ぎんなん 40.0%(稲沢市)きく34.6% (田原市、豊川市)洋ラン類(鉢)16.5%(豊橋市、西尾市、東海市)観葉植物(鉢)34.4%(田原市、西尾市、岡崎市)ばら 14.0% (豊川市、田原市、西尾市)うずら卵 69.6%(豊橋市、豊川市、阿久比町)あさり類 23.1%と、いった感じでして今回やって来た渥美半島は、田原市にあたり、道の左右にはハウスとかも多かった。そして最初の目的地に到着息子がネットで見つけて、行きたいなぁと、漠然と考えていた道の駅あかばねロコステーションそこに広がる海岸には、サーフボードを持つ青年たちの姿も。赤羽根海岸は全国有数のサーフィンポイントであるらしい生サーファーを見るのは、生まれて2度目。前は湘南あたりで靴に砂が入るのが嫌なので、近くまで行く事もなく遠くから見物赤羽根漁港に帰ってくる漁船気分だけ、漁師さんにもなれるらしいあかばねロコステーションでは、この地域で作られた鉢植えの花とか農産物もいろいろ。先程ほどではないけどメロンも売られていたハワイアンカフェルルモアナで、娘が買ってきたのははやりもののタピオカドリンク今度は気分だけ、サーファーになれるみたいだこういった南国風の街路樹を見るとリゾート気分周囲はハウスとか農地なんだけど。海を見に来たのに、なかなか見れないやっと先端付近まで来て、海岸線の道になった。ちょっぴりだけど眼下には伊良湖岬と、恋路が浜だぁ~島崎藤村の椰子の実で有名だが、実際に拾ったのは友人の柳田國男であるらしい3つ目の道の駅は、伊良湖クリスタルポルトで、伊良湖港の旅客ターミナルも兼ねているここに車を置いて、伊良湖岬を少し散策をしてみよう。海沿いに遊歩道なども整備されている伊良湖出身の江戸時代後期の漁夫歌人糟谷磯丸の銅像があった。貧しい漁夫で読み書きが出来ないので無筆の歌よみとも呼ばれている35歳で歌の道を志し、生涯で数万首をうたったようだ。磯丸は旅が好きで近隣どころか京都や、伊勢、江戸まで出かけたそうで、渡辺崋山にも会ったうである磯丸が作ったまじない歌は、掛け軸にしたり、歌碑にすると願いが叶うというので人気があったそうである磯丸よりも少し遅くに生まれた渡辺崋山だが、ここ渥美半島にあった田原藩の江戸詰めの藩士の家に生まれ、後には家老にもなった。画家としても有名だが幕府の対外政策に批判的であった為に蛮社の獄で責めを負って、自死をした海無し県の岐阜県生まれの息子、海の間際までいき、スマホで写真を撮っていた伊良湖岬の目の前にあるのは、神島で三重県鳥羽市になる。三島由紀夫の小説潮騒の舞台だ。この小説はギリシャの古典「ダフニスとクロエ」をヒントにしているそうだ。潮騒は万葉集からで潮騒に伊良虞(いらご)の島辺 漕ぐ舟に妹(いも)乗るらむか荒き島廻(しまみ)を伊良虞は、伊良湖岬もしくは神島のことだそうだ。(柿本人麻呂作)小さな山の上には、伊勢湾海上交通センターがあり、通航船舶に対して航行管制を行ったり、航行情報を提供しているそうだそして見えてきたのが、渥美半島の先端にある伊良湖岬灯台で、日本の灯台50選になっているそうだが、流石に良い灯台を100も選べなかったのか1929(昭和4)年に、設置された灯台は2002(平成14)年に改築されたそうだやっぱ海岸線では、灯台は絵になるが興味がないので先を急ぐ息子や、娘に遅れないように、写真を1枚、2枚と簡単に撮って急ぎ足でとは言っても、こんな道端の大きな石もなんか絵になるなぁ~と、またカメラをむけたりも。二入が行った先は食事とか土産が出来るお店が、幾店か並んでいて大アサリなども食べれるが、まだ時間も早いので、ここでは食事はせず。今度は違うルートで道の駅に戻る事にした 後半に続く 令和元年9月1日に愛知県渥美半島で撮影にほんブログ村
2019年09月21日
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息子が愛知県岡崎市に単身赴任をして3ケ月が過ぎて、夏も終わり秋を迎えようとしている。昨日は休みのようでアクアトト岐阜へ行ってきたと写真をラインで寄越していた旦那は地域と、家の農作業で忙しいので引っ越しの当日しか出かけていないけど私と娘は月に1回程度は遊びに出かけている。先週末は息子の運転で渥美半島へ三人でドライブ。その写真はまた今度岡崎では花火大会も見たし、お城にも出かけたが、まだまだ紹介したい事は色々とあります。今回は岡崎で食べたものとか紹介しようかと思いますこれは6月の引っ越し当日。旦那の運転でワゴン車(レンタカー)に、荷物を積んで高速で岡崎へと向かいます。豊田あたりで矢作川にかかるカッコイイ「豊田アローズブリッジ」を過ぎたら、いよいよ岡崎ですこちらに来て思うのは、やっぱガソリン代金が安い! うちの辺りよりリッター10円位安いので、車で出かけた時には豊田あたりで、ガソリンを満タンにして帰ります。勿体ないので高速ではなくて下道を使ってますそして岡崎に来て驚いたのが、ゴミの分別袋がいっぱい~。うちの方は燃えるごみと燃えないごみ袋しか売ってないし、値段も岡崎より4倍位は高いです。別にゴミ袋がなくても、こちらでも雑誌&新聞、ペットボトルとかトレー、衣類などリサイクルに出してますけどね娘が松本で使っていた家電もあるので、今回新たに購入したのは単身用の冷蔵庫と、電子レンジのみ。引っ越しの当日に岡崎のヤマダ電気で購入(電子レンジは持ち帰り)をして一緒にカーペットやカーテンを購入をしたら喫茶コーナーで、パンケーキとドリンクのセットをタダで食べる事が出来たそして引っ越しと言えば、やっぱりお蕎麦と言う事で、ランチはお蕎麦私は、お餅ものっかったぶっかけの蕎麦さて前回、前々回で紹介をした岡崎城はガスの引き込みの立ち合いを終えたので私だけで岡崎城の観光を終えて、電車で帰宅しましたが、その時にお城の近くにある老舗和菓子店の「和泉屋」さんへここには、岡崎市の非公式キャラクターの「オカザえもん」と、名古屋のSKE48の松井珠理奈さんも来店した模様ここではみたらし団子が有名なようだけどやっぱ気分的にかき氷が食べたいと思って生いちごミルクを注文しましたとってもジューシーな、生のいちごのソース(?)をかけて、さくさくっと今夏は、娘とかき氷の食べ歩きをしてまして、恵那川上屋とかコメダ珈琲などここで紹介できればいいのですが、もう季節は秋・・・これから出かけるお城でも、何か食べたいと、思って抹茶のシュークリームも購入し岡崎公園のベンチで、早速、パクっとみたらし団子が名物だというのに。私は高山のシンプルなしょうゆ味のみたらし好きなんで。それにショーケースに入ってたおっきなシューが、むちゃくちゃ美味しそうだったしね岡崎城の観光を終えて、名鉄の東岡崎駅に向かう途中に、乙川(菅生川)に面して「菅生神社(すごうじんじゃ)」があってウィキペディアによれば>起源は第12代景行天皇の時代にさかのぼる。>110年10月、景行天皇の子の日本武尊(やまと>たけるのみこと)が東国平定のために菅生の>地を通過した際>高石(たかいわ)に伊勢大神を勧請し、神社を>建て「吹矢大明神」と称した。菅生神社が>岡崎市最古の神社と言われるのはこの言い>伝えをもとにする。(中略)江戸時代文化・>文政の頃から、乙川(菅生川)に提灯を>付けた鉾船を浮かべ金魚花火や手筒花火等を>打ち上げ奉納している>1818年(文政元年)には岡崎藩主上覧花火が>催され、城下各町や近在の村々が技を競った>という。8月第1土曜日の祭事は現在、「岡崎>城下家康公夏まつり」の花火大会との共催で>行われている徳川家康公や、岡崎城主などにも関わってきた神社だけに由緒もありそうだし。最近はやりの御朱印も、ここでは限定のものなどもあって人気があるようだ。私は集めてはいないが乙川(菅生川)にかかる「殿橋(とのばし)」から見えた岡崎城。このあたりで仕掛け花火などもあり、高価な有料座敷席はたもとの河川敷(岡崎城&神社側)に設けられている1645(正保2)年に、水野忠善が岡崎藩主だった頃に橋がかけられ、当初は菅生橋と呼ばれていたが後には殿橋と呼ばれた。その橋は今より100メートルほど下流にあったそうである明治38年に先代の木造橋梁が完成し、馬車鉄道が橋上を通っていたそうだ。1927(昭和2)年には最新鋭の技術(鉄筋コンクリート構造)で現在の橋が完成した。中央には複線の市電が走り、その両側には車道、さらにその外側に歩道が作られて後には耐震工事、修復工事も行われてきた名鉄の東岡崎駅に到着すると、徳川家康公の手形のモニュメントがあった駅舎には岡崎の産業品などが展示されていたお土産は家康公ではなく、オカザえもんのキーホルダーを岡崎城の土産物屋で、↑で紹介をした和泉屋さんのどら焼きも購入これは先週末に岡崎に娘と出かけた時に立ち寄った「道の駅藤川宿」で、東海道の三十七番目の宿場の「藤川宿」(岡崎市藤川町)の国道1号線沿いにある徳川家康公の石像が、お出迎えをしてくれるご当地サイダーのコーナーには、岡崎市出身の内藤ルネのイラスト入りのものも戦国武将で有名な岡崎市だが、現代でも世間でも名の知れた人物が出てきている中日の近藤貞雄元監督や、木俣達彦捕手相撲力士の琴光喜関にレーシングドライバーの中島悟もだし俳優の杉浦直樹に、平泉成もしぶいよガロの大野真澄に、兄弟デュオの狩人あみんの岡本孝子、お笑いのキンタロー。天野ひろゆき。シンセサイザーの冨田勲は岡崎にある父親の実家で小中学生時代をおくったそうだこれは後日、娘と車で出かけた時に行った喫茶店「あおい珈琲」で、外壁には葵の御紋広い店内には落ち着いたソファーなどもあり、スマホの充電用のコンセントなどもあったりで長居が出来るもちろんモーニングタイムの利用で、ここでは様々なドリンクの料金にモーニングをセットをするもので、トースト&ゆで卵は無料で付けられるモーニングセットの種類も多く、これは娘が頼んだフレンチトーストのセットでドリンク代に280円プラスこっちはホットドックセットで330円プラスおにぎりの和食セットで180円プラス最初に出かけて気に入ったので、その場で直ぐにコーヒーチケットを購入したので後日、娘や息子とリピートもしました娘と車で岡崎に行った時の帰り道に午前中に、豊田市のイオンスタイルに立ち寄って、早い時間での帰宅だしいつものルートと違う足助町方面へこのあたりは自然薯が有名でして「とろろ庵」で、自然薯のとろろがたっぷりかかったお蕎麦を注文。しかも定食などを頼むと、セルフで麦ごはんが食べれるのでそちらにも、お蕎麦のとろろをかけてパクッ 平成元年6月から夏に、愛知県岡崎市で撮影にほんブログ村
2019年09月05日
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ここ最近になって夏の終わりを思わせるようなお天気で、夜の涼しさに閉口して長袖のパジャマを持ち出してきましたし街では栗きんとんの販売も始まりましたさてさて前回に続いての「岡崎城」ですが前にちゃんと内部も見学をしてました。が忘れてました。復興天守は特徴がなくってそんな訳で、見学した時の日記もブログで紹介してましたので、松平郷などと共に↓リンクからご覧くださいませ2010年05月17日「松平! 将軍ではなく、情熱のミューズにひかれる」2010年05月14日「飛騨の三大桜と、ジンヤ」2007年11月03日「金龍昇天、三河の家康の城。」ではでは前回の続き、岡崎城の紹介をします空堀にかかった石橋もまた、見た目もかっこいいですね。愛知県よりも名古屋の方が有名みたいですが、名古屋のあるのは尾張で織田信長や、豊臣秀吉の故郷でもあります徳川家康が生まれた岡崎があるのは、愛知県東部にあたる「三河(みかわ)」で、尾張と違う国でしたから人の気質も、文化も違っていたりもします。更には岡崎などの西三河と豊橋などの東三河といったように分かれますし奥三河という岐阜県寄りの区分もされます尾張の人は見栄っ張りで利に聡い、短気な商人ぽい気質なら、三河は辛抱強く堅実でおっとり頑固な農民気質って、信長&秀吉と家康の性格そのまんまのような気も。この石像はしかみ像といいます浜松の三方ヶ原での戦いで武田の大軍に大敗し多くの家臣を失った家康が、自戒の念を忘れることが無いよう「徳川家康三方ヶ原戦役画像」を描かせたのですが、それを元にした石像です「われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。 われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。」神君だけあって家康が残した言葉はどれもが心に響きそうである家康は能が好きだったそうで、二の丸があった場所に建てられた本格的な屋外能楽堂もあった家康は「宝の中の宝といふは人材にしくはなし」との言葉も残しているが信長などは戦いで破った相手の武将などは容赦なく殺してしまうが、家康は敵方であった武将らも助けて、自分の配下としたそうだ。流石に人材こそが宝。出自の悪い秀吉は信頼のおける家臣を作るのに大変だったが、家康には苦労を共にした三河家臣団がいたから、天下が盤石となったのかも若かりし頃の家康、「松平元康」の像だそうだが彼を支えてきたのが「三河武士」たちで、三河衆とも呼んでおり、三河国時よりの家康の家臣らで忠誠心が強く、江戸幕府の創業は彼らの貢献なしでは出来なかった彼らは譜代大名となり徳川宗家を支えていく訳であるが、中でも有名なのが本多忠勝。平八郎かもしれない。彼は徳川四天王のひとりで、信長には「花も実も兼ね備えた武将」、秀吉に「日本第一古今独歩の勇士」と称賛もされた戦国武将だこの像では鹿角兜と甲冑で身を固め、名槍蜻蛉切を携えています。その奥には家康の出生から天下統一までと、それを支えた三河武士達をわかりやすく紹介してくれる「三河武士のやかた家康館」です勇壮果敢な平八郎は、徳川秀吉の懐刀として映画やドラマなどでも登場するが、私が一番印象的なのは大河「真田丸」の藤岡弘、さんかなぁ~。生涯において参加した合戦は大小合わせて57回に及んだそうであるところが、どの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったそうである。その名采配ぶりを配下のものらは「忠勝さまの指揮で戦うと、背中に盾を背負っているようなものだ」と称えたそうだ本多忠勝(平八郎)がなぜ、岡崎城でたくさん紹介されているというと、江戸時代の後半には彼の子孫がここの城主であった事と、出生地が岡崎でもあったので。他の市町村であれば学者芸能人などがならぶ出身者も、流石に家康公のおひざ元だけに徳川家康、本多忠勝の他に松平氏、細川氏大久保氏、鳥居氏、板倉氏、酒井氏、渡辺氏青山氏、内藤氏、水野氏、蜂屋氏、大須賀氏植村氏といった名だたる武将、大名などやあの服部正成(服部半蔵)も、岡崎出身だ顔出しパネルの本多忠勝公の横にいるのは娘の稲姫(小松姫)で、真田丸では真田幸村の兄の信之の正室として登場をしたので、覚えている方もおいでいなるかもしれないこの婚姻は徳川方と真田氏を結ぶものとして家康の養女として信之に嫁いだそうだけどこんな逸話も残っている。ウィキペディアより>小松姫が家康の養女であったとする話の中に>婿選びの逸話がある。家康が若い武将達を>列座させて小松姫の相手を選ばせたところ>家康を前にして委縮している中で、小松姫が>平伏している一人一人の髻を掴んで面を上げ>させて吟味していたところ、髻に手を差し>伸べられた瞬間に信之は叱咤して、鉄扇で>小松姫の顔を打った。小松姫はこの気骨に>感動して信之を選んだといった伝承があるそんな勝気な稲姫がのんびりと、令和の世の岡崎城で散策をされていた。武将隊のメンバーは、徳川家康の他に徳川四天王の酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝と稲姫で、交代で岡崎公園で記念撮影や案内などをしており、週末には演舞もあるとか酒井忠次は徳川四天王、徳川十六神将のともに筆頭で、家康第一の功臣とされている。家康の父の松平広忠に仕え、竹千代(家康)が駿府へ今川の人質とされた時には、最高齢(23歳)で同行して以来、家康の配下として主な戦いには全て参加をしている大河「おんな城主直虎」で、イケイケな若武者であったのが井伊直政で、最初は外様であったのが江戸期には譜代大名の筆頭となった為、三河衆に妬まれた事も。徳川四天王。徳川十六神将、徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣であった武田氏の旧臣約120人が配属をされた際に、武田の赤備えの将であった山県昌景の意志を継ぐという意味合いもあり、直政は兜や鎧をはじめ装備を赤色で統一させた。赤色だと目立つので、戦さの最中にどこに自分の部下がいるのか直ぐわかるからだとか徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられる榊原康政は、13歳の時に松平元康(家康)の小姓となり、三河一向一揆鎮圧戦では初陣を果たし、家康から武功を賞されて「康」の字を与えられた。武勇では本多忠勝に劣るが、部隊の指揮官としての能力では、忠勝に勝り井伊直政に匹敵するとされているともなると他の武将も気になるので、徳川十六神将なども名を挙げてみると・・・酒井忠次、本多忠勝榊原康政、井伊直政の他には、米津常春、高木清秀内藤正成、大久保忠世、大久保忠佐、渡辺守綱、蜂屋貞次(または植村家存)、鳥居元忠、鳥居忠広平岩親吉、服部正成、松平康忠(または松平家忠)まっ、ようわかりませんですが、家康一人で徳川幕府を樹立したわけでもなく、彼を支えた沢山の人たちの手で勝ち得た勝利と言う訳で早朝に、大河ドラマ「葵 徳川三代」の再放送ご覧になっている方は、あ~いたいた、とかなるのかななんかすごいです。既に20年近くも前の作品になるんですが、特に女性陣が映画みたいな重厚感あって。山田五十鈴とか岩下志麻、小川真由美、草笛光子というベテラン陣が品があるというか。圧倒をされます。江守徹の三成はちょっとジジむさいような・・・(こそっと)浄瑠璃の語源ともなった御伽草子の「浄瑠璃姫物語」では三河国矢矧(今の岡崎)の長者の娘浄瑠璃姫が、奥州へ向かう途中の牛若丸と恋に落ち、叶わぬ恋に悲観をして菅生川(乙川)に身投げをしたという話ですが、岡崎城の脇にはひっそりと浄瑠璃姫の供養塔がありましたよ岡崎の出身で世界的な地理学者の志賀重昂氏がテキサス独立戦争のアラモの戦いと、戦国期の三州長篠城の戦いが似ていると、感銘を受けて岡崎と長篠の石を使っ、大正3(1914)年サンアントニオ市アラモ砦史跡の一角と、ここ岡崎公園にアラモの碑を建立したそうですなんでもアラモの砦から援兵を求めて、友軍の下に走った青年ボナムが、武田の大軍に取り囲まれている状況下の長篠城を、脱出をして岡崎城の家康に危急を知らせた鳥居強右衛門の両者の「強い使命感」に、東西の別はないと感動して建碑を思いたったのだとか鳥居強右衛門は夜陰に乗じ城の下水口から川を潜って武田軍の包囲網を突破し、無事に岡崎城にたどり着いて援軍の派遣を要請をした。織田の援軍も岡崎城に到着しており、連合軍は長篠へ向けて出発する手筈となっており、強右衛門はこの朗報を長篠城の味方へ伝えようと戻る途中で武田軍に捕らえられてしまった取り調べで、織田と徳川の援軍が長篠に向かう事を知った勝頼は、援軍は来ないから諦めて城を明け渡すよう、偽の情報を伝えるように命じた。長篠城の見通しのきく場所へと引き立てられた強右衛門は、間もなく援軍が来るから持ちこたえるよう城に向かって叫んだので勝頼は部下に命じ強右衛門を殺してしまったところが強右衛門の報告のおかげで、援軍が近いと知った長篠城の城兵らは、強右衛門の死を無駄にしてはいけないと奮い立ち、援軍が到着するまで武田軍の攻撃から城を守り通す事が出来た。信長は、強右衛門の最期を知ってその忠義心に報いる為、立派な墓を建立させたそうである「忠義護邦家の碑」の忠義は、名のごとくであるが、邦家とは国家の事だそうだ。日露戦争直後の明治39(1906)年に建立されたそうで山県有朋が書したとの事だ「鎮魂の錨」は、今までの海戦のものであるとは思うけど、どういったものなのか詳しくはわからなかった。城は戦いの為のものであってそこでは沢山の兵士らの命も奪われてもしまうやっぱり、戦いのない平和な国であればよいのだけど小瀧喜七郎は、かつて岡崎藩士であった家に生まれ、日清・日露戦争に従軍をした。明治41年に岡崎町役場の書記となり、行政面で手腕を発揮し、昭和8年には第四代岡崎市長に就任をした。助役時代より岡崎公園の修築や改修に力を入れた為、公園助役、公園市長の異名をとった人物竹下景子さんは尾張名古屋の出身ですが、NHK朝ドラの「純情きらり」で主人公の母親役を演じ他の演者と共に手形が、舞台となった岡崎に今も残されているそんなこんなの岡崎城と、岡崎公園はいかがでしたでしょうか。今回の訪問ではうかつにも龍神神社の境内にあった竜神の井戸を見てこなかったのが残念です。またリベンジしますでも家康が能を舞うからくり人形は、見る事が出来ましたそして今は使う人も殆どいなくなったであろうお城の公衆電話は今も健在です自動販売機も葵の御紋。家康仕様ですしお城の真横を通る国道1号の歩道橋にも葵の御紋がきらびやかに徳川家康が江戸へと下ると、豊臣方の田中吉政が岡崎城に入城し、城下の整備を行い矢作川に初めて橋をかけ、東海道を城下へ引き入れた。外敵から城を守るように道を幾度も曲げさせた二十七曲がりが作られた 令和元年6月4日に愛知県岡崎市で撮影 ブログの日記更新を先にさせていただきましたが 皆さんのブログには、本日&明日中に伺わさせて いただきますにほんブログ村
2019年08月29日
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そういった訳で、息子が単身赴任で岡崎で暮らすようになって、早3ケ月が経とうとしている。なんだかんだで月に1度は娘と顔を出しているのだが引っ越し初日に、息子は家から荷物を運んだレンタカーで旦那と家に帰って後から自分の車で岡崎入りをする事になっていたが、私はガス開栓の設置の立ち合いをする為に、一晩泊まった無事に電気、水道、ガスのライフラインも整ったので電車で家に帰る前に、折角だし岡崎市の観光をして行こうと思い、行った先は「岡崎城」。岡崎は前に数度は来てたけど、岡崎城の観光は実は初めてだ(と思ったら2007年に登城してた)1993年に再建された「大手門」は高さ11m幅16.4m、奥行6.3mで、石垣には地元産の御影石を使用し、入母屋造り。本来は現在の浄瑠璃寺の南にあったそうだ江戸幕府時代には岡崎城は「神君出生の城」として神聖視されており、家格の高い譜代大名が歴代の城主となったそうだ。神格化された君主との事から徳川家康が東照神君として有名だが源頼朝は鎌倉神君であるそうだもともと神々の子孫である天皇は、神君と名乗る必要はなかったそうである。中国や東アジア地域では王朝の建国者を「高祖」「太祖」「神祖」などとして廟号をおくり信仰の対象としてきた江戸幕府を開いた神君家康公は、「権現様」とも呼ばれて信仰され、「神祖」、「烈祖」などとも称されていたそうだウィキペディアの記事を引用させていただく>三河国の土豪である松平氏の第8代当主・>松平広忠の嫡男として天文11年12月26日>(1543年1月31日)寅の刻(午前4時頃)に>岡崎城 にて誕生。母は水野忠政の娘・於大>(伝通院)。幼名は竹千代(たけちよ)>3歳のころ、水野忠政没後に水野氏当主と>なった水野信元(於大の兄)が尾張国の>織田氏と同盟したので織田氏と敵対する>駿河国の今川氏に庇護されている広忠は>於大を離縁。竹千代は3歳にして母と生き>別れになる。>天文16年(1547年)8月2日、竹千代は数え>6歳で今川氏への人質として駿府へ送られる>こととなる。しかし、駿府への護送の途中に>立ち寄った田原城で義母の父・戸田康光の>裏切りにより、尾張国の織田信秀へ送られた>だが広忠は今川氏への従属を貫いたため、>竹千代はそのまま人質として2年間、尾張>国熱田の加藤順盛の屋敷に留め置かれた。>2年後に広忠は家臣の岩松八弥の謀反に>よって殺害された。今川義元は織田信秀の>庶長子・織田信広との人質交換によって>竹千代を取り戻す。>しかし竹千代は駿府に移され、岡崎城は>今川氏から派遣された城代により支配>された。 墓参りのためと称して岡崎城に>帰参した際には、本丸には今川氏の城代が>置かれていたため入れず、二の丸に入った。>天文24年(1555年)3月、駿府の今川氏の>下で元服し、今川義元から偏諱を賜って>次郎三郎元信と名乗り、今川義元の姪で>関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶る。>名は後に祖父・松平清康の偏諱をもらい>蔵人佐元康と改めている。>永禄元年(1558年)2月5日には今川氏から>織田氏に通じた加茂郡寺部城主・鈴木重辰を>攻めた、これが初陣であり、城下を焼いて>引き揚げ、転じて附近の広瀬・挙母・梅坪・>伊保を攻めた。この戦功により、義元は旧領の>うち山中300貫文の地を返付し、腰刀を贈った>永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで>先鋒を任され、大高城の鵜殿長照が城中の>兵糧が足りないことを義元に訴えたため、>義元から兵糧の補給を命じられた。しかし>織田軍は大高城を包囲しており、兵糧を>運び込むには包囲を突破する必要があった。>そこで5月18日、鷲津砦と丸根砦の間を突破>して、小荷駄を城中に送り込み、全軍無事に>引上げた。翌19日、丸根の砦を攻め落とし、>朝比奈泰能は鷲津の砦を攻め落とした。義元が>織田信長に討たれた際、大高城で休息中で>あった元康は、大高城から撤退。>松平家の菩提寺である大樹寺に入り、自害>しようとしたが住職の登誉天室に諭されて>考えを改める。その後、今川軍が放棄した>岡崎城に入ると独自の軍事行動をとり、早い>段階で今川からの独立を果たそうとする。といった訳で幼くして母と別れ、尾張国に人質にされ、父も殺され、今度は駿河国に人質にされて苦労の末、やっと岡崎城に戻ってきた訳ですが、まだまだ苦労も絶えません。三方ヶ原の戦いでは武田信玄に大敗を期し、信長の配下となり、秀吉を称えて天下分け目の関ヶ原で、大勝利をおさめ大坂では真田幸村に本陣に攻め込まれた事もありましたが、やっと家康が天下を手に入れたのは、高齢になってからです岡崎城天守をバックに、そんな家康公にあやかった出世ベンチに座って、一休み次はウィキペディアで、岡崎城について>菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山と>いう丘陵を利用して造られている。元は、>龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代で>あった西郷稠頼、そして、その子頼嗣が>北方に対する防御として築城したもので>ある。>当時は、龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と>呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平>昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが>岡崎城である。龍頭山はもともと小高い丘で、>山頂に本丸が置かれた平山城として築かれて>いた>1531年(享禄4年)岡崎松平家を破った松平>清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を>整備して勢力を広げたが家臣の謀反により>命を落とす(森山崩れ)。1542年(天文11年)>城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。>当時、櫓や門の屋根も茅葺で、当地は石の>産地ながら石垣などもなく、ただ堀を掘った>その土をかきあげて、芝を植えただけの土塁が>めぐっていた。1549年(天文18年)松平広忠が>家臣の謀反によって殺害されると、岡崎城は>今川家の支城として城代が置かれ、山田景隆、>三浦義保、糟谷備前らが城代を務めた。>1560年(永禄3年):桶狭間の戦いで今川義元が>敗死すると、松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は>岡崎城を取り戻し、今川家から独立する。1570年>(元亀元年)徳川家康は本拠を浜松城に移し、>岡崎城は子の松平信康が入った。しかし、信康は>謀反の疑いをかけられて自刃。以後、重臣の石川>数正、本多重次らが城代を務めた>1590年(天正18年)家康が関東に移封となると、>豊臣家臣の田中吉政が入る。家康に対する抑えの>拠点の一つとして、吉政は城を拡張し、強固な>石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備した。>また、城下町の整備も積極的に行い、岡崎の>郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を>通るように変更し、>岡崎の二十七曲がりといわれるクランク状の>道に整備され、現在の岡崎城の原型を造った>本多康重から3代忠利にわたる改修によって>平城となっている。この際、本丸に複合連結式>望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が>建てられた。>存城当時の東海地方の城では3番目に数え>られる規模であったが、1873年(明治6年)の>廃城令によって廃城となった。城内の天守>以下の建物及び土地を払い下げ、現在は一切の>建物を失い、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居>曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を>残すのみである>敷地は龍城神社、岡崎公園として整備された。>1959年(昭和34年) 鉄筋コンクリート造で>天守が再建される。2007年(平成19年)材木町で、>マンション建設に伴う発掘調査によって石垣が>見つかり、日本国内で4番目の規模の城である>ことが判明した> 三河国守護代・西郷稠頼が岡崎城を築城した>際に龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて>天に去っていたという。以降、天守に龍神を>祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と>称したという。徳川家康が誕生した際にも>金色の龍が現れたという。>徳川家康を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀る。>藩主本多忠粛により東照宮は岡崎城三の丸に遷座。>本丸には本多忠勝を祭神(映世大明神)とする>映世神社が創建、1876年(明治9年)に東照宮を>岡崎城本丸に遷座、映世神社と合祀して龍城神社に>改称する。社殿が造営される。>1964年(昭和39年):社殿が再建される。>このさいに天神地祇、戦没者を合祀した。といった訳で、ウィキペディアの記事によって徳川家康と、岡崎城についてコピペをさせていただきました当時は 出産に際して、えなと呼ばれるへその緒や胎盤などを埋めて祀ることで、その子の健康を願ったとの事から、家康公のえなを埋めたと伝えられる塚。もとは本丸南にあったものを、今の場所に移したそうだ岡崎城内で生まれた竹千代(徳川家康)の産湯に、この東照公産湯の井戸の水が用いられたそうだ現在でもこの井戸の水を汲み上げ、浄水設備を通したあと触れることができるように、井戸のすく隣で常時流れているこっちは二の丸御殿の井戸その説明です↑東隅櫓について、ウィキペディアによると>2010年(平成22年)3月、東隅櫓が再建>された。望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階>建で、入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を>務めた本多氏の家紋立ち葵が刻まれた本瓦>葺き。壁は白漆喰塗り。>高さ約9.4メートルで、かつて東曲輪だった>岡崎公園駐車場の南東角に位置する。1781年>(天明元年)の「岡崎城絵図」を基本資料と>しているが、東隅櫓の図面は現存しなかった>ため、愛媛県松山市に現存する同時代の松山城の>野原櫓などの形式を参考にして、江戸時代の>工法を忠実に再現し建設した>城内で発掘された石材を使い、空積みの石垣も>築いた。隣接して同時に整備した長さ約45メートルの>城壁と合わせ、総工費は約1億円。年中無休で>内部を公開している。やっぱ当時の工法で復元をしているので、見応えあるなぁ~。ところで岡崎城があるあたりの地名だが、愛知県岡崎市康生町(こうせいちょう)といって、江戸期は岡崎城の郭内であった1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、岡崎康生町となったが、やはり家康の生誕地であった為に名付けられたらしい。最後に、岡崎城のある岡崎公園は日本さくら名所100選に選ばれているそうなので、来春にはお花見に行けたらいいな8月にビル越しに岡崎の花火を見た広大な広場はここでした。何せ家康公のお城だけあり中身が濃いので、後半に続きます。次回姫も登場します 平成31年6月4日に愛知県岡崎市で撮影にほんブログ村と
2019年08月23日
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いよいよ2月になりましたね。平成もあと3ケ月。あちらこちらで平成最後といったキーワードも使われ、ポテトチップスの賞味期限が平成31年4月30日のでかでか表示パッケージとかこちらはでかでかの大きな青い機体を間近に眺めながら、お食事も楽しめる中部国際空港(セントレア)に、昨秋オープンした新スポット「セントレア・フライト・オブ・ドリームズ」であるなんといっても目玉は、ボーイング社から寄贈をされた、ボーイング787型機の飛行試験1号機「ZA001」であろう。機体のおよそ35%を、中部地域で製造している日本の航空機製造技術を象徴する機体だボーイングの本社がかつてあったアメリカシアトル(今はシカゴ)の町並みをコンセプトとしたレストランなどが並ぶフードコートがあり、機体を眺めながら食事ができる(今回は既に名古屋の金山で食べてきた) シアトルと言えばボーイングというより、マリナーズのイチローだけどもイチローも愛知県出身だし、何かとゆかりのシアトルだ。さてさてこの写真を撮ったのは今年の1月25日(金曜日)の夜。次の朝の便で娘と海外旅行に行くのだけど、朝便出発(集合時間が早朝)で、夜帰り(家には終電?)という訳で・・・朝早くにセントレアに着くのはリスクも大きいので、大事をとって前泊しようと会社が終わった娘と電車で、金曜日の夜セントレアにやってきたので、ホテルに入る前にボーイング787見物ホテルは、セントレアからは徒歩数分の「フォーポイントバイシェラトン名古屋中部国際空港」で、昨年11月にオープンしたばかりだ。やっぱ前泊はセントレアの敷地にあるホテルが便利だし土曜日出発の前泊が多いのか、ツインがなくキングスサイズのダブルの部屋しか残ってないが、ベッドが2メートル越えの横幅なので、並んで寝ている感覚もなくツインのように快適に眠る事が出来た部屋の内装がおしゃれな感じだし。お風呂もシャワーがバスタブの外側なので、ゆっくりお風呂に浸かれたのもありがたい。この点が駅近同様に、ホテル選びのポイントの一つだ更には、オープン記念で朝食が付く上じゃらんのポイントが10%も付く、期間限定のプランだったので、二人で泊まり実質1万円ちょっとはお値打ちだと思う集合時間はセントレアに7時15分だが朝食は午前6時からスタートだったのでのんびりホテルの朝ブッフェも楽しめた卵料理各種は目の前で調理をしてくれて手羽先とか味噌カツのような名古屋飯もホテルの前は常滑の海だけど、部屋からの景色はずばり東横イン! ちょっと向きがよくなかったみたいですといった訳でセントレアに、集合の時間前に到着し、Eチケットの控えを貰って利用する航空会社のカウンターで荷物も預けて、航空券も受け取ったので展望デッキから飛行機見物風がつめた~~い。ものの1,2分で写真これだけ撮って室内に退散。強風で帽子を飛ばされないようにと放送している。この中に、私が乗ろうとする飛行機もありますセントレアのマスコットのなぞの旅人フーには、いろんな仲間もいるようだなんとその日と次の日には、ここでは全国武将隊大博覧会があるらしくってステージ前にファンが場所取りをしているし。私も見たいくらいだが・・・2月22日は忍者の日らしくって、空港職員が忍者の装束で出迎えてくれる趣向らしい出入国の税関が顔認証をする、自動化ゲートになっていたし。スタンプを欲しい人は専用のゲートで押してもらえるが、ま特に欲しくはない。飛騨の家具の椅子が置かれたコーナーでくつろぐいよいよ飛行機に乗り込み、出発時間を少し遅れて動き出した。ワクワク。窓際だし電波などを伴うスマホとかゲーム機器などは使用できないが、そうゆうのは全く関係のない一眼レフで、滑走路上でも写真をパチリ快晴のセントレアから、ふわ~と飛び立って東海市などのコンビナートの奥には名港トリトン。そして名古屋方面が広がりこちらは木曽三川の木曽川、長良川揖斐川だと思われる河口その日は西日本なども寒波が到来していて雲の合間からは、ほんのり白くなっていた中国? 九州? 四国? 飛行ルートとかわからないので不明とか言っているうちに、28日(月曜日)夜にセントレアに無事に帰ってきましたあっ、肝心の旅日記は次回から始めますまた窓際でしたが、夜なので暗くて何も見えなかったです夜の空港も、なんとも素敵な写真が撮れますね窓の映り込みを防ぐためには、ぴたーと窓ガラスにカメラのレンズをくっつけて撮ればいいですそれはバスとかの窓ガラス越しの写真も同様でぴたーと、くっとけてみて下さいただタイミング的に斜め前、斜め後ろの写真になる時もあって、その映り込みはご愛敬日本人は自動化ゲートで短い時間で、荷物の出てくるターンテーブルに待機をしてるとアテンダントのお姉さんが、ゴルゴ13をお忘れのお客様はおいでになりませんか?と大きな声で探していたが、名乗り出る人はいなかった後ろのターンテーブルには、ガタイの良いお兄さんたちがいたが、後で調べると2月2日に、岐阜市の長良川競技場で行われる「バローグループpresents日仏ラグビーチャリティマッチ2019~FORALL復興」に出場の為に来日したフランスのリーグTOP14の強豪「ASMクレルモン・オーヴェルニュ」のチームの皆さんのようだ。対する日本はトップリーグ選抜で、日本一に輝いた神戸製鋼をはじめ各チームの主力メンバーらが揃ったそうだその日に帰ろうと思えば、深夜には家に戻れるとは思うが、以前の旅行で同様に深夜帰宅で、次の日に会社に出勤をしてへろへろだった娘は、今回は1日お休みを貰って(その日までの3日間は普通に休日)常滑で後泊をする事にしていたホテルに行く前にセントレアの展望デッキで行われているイルミネーション「光の聖堂」を見に出かけたのだが、寒いので早々に退散宿泊者は3日間は駐車場が無料になる為旦那の車でセントレアに出かけ国内旅行の前泊に利用をした事がある、常滑駅前の「スプリングサニーホテル名古屋常滑」のジャパニーズスタイルの部屋に泊まるそこからは常滑ののどかな風景が広がり伊勢湾の向こう側には、鈴鹿山系の白い山並み常滑駅からセントレアへ向かう赤い名鉄電車。下の電車は名鉄空港特急「ミュースカイ」で乗車券のほかに、360円の別料金が必要になるので1回しか利用をした事がないです帰ろうと思えば帰れたところを、後泊をして常滑に残ったのは、ついでにイオンモール常滑で、年末からロングラン上映となっている「ボヘミアン・ラプソディ」を観ていきたかったのでうちのあたりから出かけられる映画館は名古屋駅周辺か、飯田、松本、各務原とかなりハードルが高くて、観に行きたくてもなかなか行けないまま年を越し、旅行のついでに観て帰ろうと。ホテルに荷物を預けて、1キロ程のイオンモール常滑へ映画「ボヘミアン・ラプソディ」予告編1970年代半ば、日本ではイギリスのベイ・シティ・ローラーズ旋風が起きてキッスやデヴィッド・ボウイなどなど中1だった1976年あたりには、もうクィーンのファンになってました映画メイキングFMラジオに似顔絵を描いてリクエストもしていたしブライアン押しでしたね。手を取り合ってこのまま~行こう♪ 日本語の歌詞の歌もあり、日本が好きでオフで来日していたフレディにも親近感もあったしI Was Born To Love Youとは言っても、今のようにインターネットで検索したら相手の情報が根掘り葉掘りという時代じゃなかったんで、今回の映画にあった奥さんとの関係とか、親しい男友達の事とか全く知らなかっただけに、フレディがエイズで亡くなったとのニュースは衝撃的でしたSomebody To Loveいわゆるアイドルっぽく入った世代でもありハードロックは苦手なんで、こういった軽いイギリスっぽい楽曲の方が好きでした。この後にビリー・ジョエル。更にはアルフィとか米米クラブ、そしてクレイジーケンバンドのような路線にいった人間なので(小学高学年の時は最近なにかと話題のジュリ~でした)You're My Best Friend映画ですがグレイテスト・ショーマン同様に素晴らしい歌の存在が映画を引き立ててくれます。しかもブライアンとロジャーが監修をしているのですから。フレディーの少年期の様子が、少しでも語られていたら良かったかなライブエイドの実際の映像最後のライブエイドでの、映画の題名にもなった冒頭の「ボヘミアン・ラプソディ」の、ママ~♪なんて涙ボロボロ。でも、↑この映像を見たからといって涙は出ないです。2時間あまりの映画を見ていてこその、フレディと親しい人たちの絆の強さを思う涙ですのでという訳で10代にしてクィーンにはまっていた頃を思い出しつつ、映画の余韻にひたりイオンで久々に日本飯。というかごく普通なメニューだけど私はハンバーグで、娘は唐揚げの定食でどちらも千円前後だったかな。久々の味噌汁も有難いし。食後は冬の見切り真っ盛りのイオンでお買い物を楽しみタリーズのお正月の福袋に入っていたドリンク券(ショートサイズならどれでもOK)を利用し、のんびりくつろいでからホテルの荷物をピックアップして、名鉄電車で名古屋市内の金山駅へ金山駅前のサイゼリアで少し早い夕食をとってからJRに乗り、駅からは会社帰りの旦那の車で帰宅しました。ではでは次の日記から旅行記をスタートをしますね 平成31年1月25日~28日に愛知県で撮影にほんブログ村
2019年02月01日
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さてさて1泊2日の東京旅行から帰ってきた次の日には地元中津川の蔵開きに出かけたがそのまた次の日は、例の無料日帰りバス旅行に私だけで参加してきた。今年3度目の参加だもう、この高級ジュエリーの写真もお馴染みじゃないかと思うが、高級ジュエリーの直売小売店がメインで、他に団体向けのお土産屋さんや、ちょっとした観光とか食事が付いた旅行で、この手の旅行が今月もまた募集してたんで応募したけど、また当たるといいな中高年の女性なら、よく当たるみたいだけどおひとり様で参加は嫌な人が殆どで、有料で同行者と参加される場合が多く、今回は蒲郡オレンジパークでのミカン狩りが人気なのか家族3名といった参加者もいたオレンジパークでは子供でもできるとふれこみの、ミカン大福作りもあった確かに、あっという間に出来てしまった持ち帰り用の袋もくれたので、舅姑に土産に渡したら、うまかったぞ~とか言ってたが続いては、前にもこの手の旅行で食べたしらすご飯の定食で、お金を余分に払うと鮑やサザエの海鮮焼きにランクアップをするそうだが、私はサザエとか苦手。例え好きであっても余分にお金は払いたくないこの釜めしだけでも美味しいのに、なぜにうどんのプチ鍋なんだろう~。W主食はきついので、どちらも少しずつ残した食事の時に50円割引クーポンを貰ったのでそれを使ってのミカンとバニラのミックスソフトクリーム。これを食べたくて残した部分もあるがオレンジバークにはかわいいフクロウが売り場にいて、看板フクロウ食事の後には今回の旅行のメインでもあるミカン狩りだが、この時間だけは傘が必要なそれなりの雨が降って残念自分の傘も持参したが、濡らしたくないので、オレンジパークの大きな置き傘を借りて、いざミカン狩りご飯の後でもあるので、4玉くらいしか食べる事が出来なかった。ご飯というかソフトクリームもでかかったしねそして食後の運動。今回の旅行で楽しみにしていた蒲郡の竹島フリータイムだ。ここの海岸は、旦那の会社の組合主催の潮干狩りで子供が小さな時に、2度程来た事があるが潮干狩りに夢中で、竹島に行く事はなかった無論、足腰の弱いお年寄りも多いのでフリータイムで、駐車所の目の前にある竹島水族館や、喫茶店で時間をつぶすという選択肢もあった。階段を登って行くと竹島には八百富神社があった。ここはパワースポットとしても有名らしくて大大吉のおみくじもあるそうだが、私普段からおみくじはひかないのでパスちゃんと、御参拝はさせていただきました詳しくは↑で小さな島だけど、神社の境内には見上げるような大きな樹もあり歴史を感じさせる御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)で藤原俊成卿の勧請によって創建されたとか日本七弁財天に数えられるそうだけど他の六つは曖昧。三大ならば琵琶湖の竹生島、神奈川の江島神社、安芸の厳島神社で、どこも行った事がある。元々がインドの河川の神(水の神)であったそうだ 八大龍王(はちだいりゅうおう)は、天龍八部衆に属す龍族の八王で、法華経(序品)に登場し仏法を守護している。昔から雨乞いの神様であったウィキペディアによれば>竹島は全域が八百富神社(竹島弁天)の>境内である。竹島弁天は日本七弁天の>一つとされる。八百富神社は、市杵島姫>命を祀る神社で、養和元年に藤原俊成が、>竹生島より勧請し創立されたとされる。>徳川家康も参詣し、4石8斗寄進した。>また、この地方の領主である松平氏は、>正月、江戸への出立、帰郷の際は必ず>参拝したといい、古くから信仰を集めて>きた。>大正4年には大鳥居が建立された。この>鳥居の額は東郷平八郎の手によるもの>だったが、太平洋戦争の供出により>残っていない。標高22m、周囲約680m、>面積約1.9ha。基盤は花崗岩質である。>対岸とは約400m離れており、竹島橋に>よって、結ばれている。橋のたもとには>大正〜昭和初期に文人達が多く利用した>料理旅館「常磐館」があり、菊池寛の>「火華」をはじめ多くの作品に残されている。海のない山国のケンミンなので、海ではとりあえず海水を触ってみる。なかなかに透明度もあって綺麗な三河の海だ島には遊歩道もあったが、天候なのかどうかはわからないが、立ち入り禁止になっていた島から振り返ると、海辺の高台に見えるのは蒲郡クラシックホテルで、経済産業省が認定する近代化産業遺産の一つ。1934年に元鉄道省建築課長の久野節と陸軍建築技師の村瀬国之助による設計で建てられた城郭風のホテルであるそのクラシカルな佇まいから、様々な映画ドラマのロケでも使用されており、最近では岐阜県出身の綾野剛主演の「ハゲタカ」でも日光みやびホテルとして登場をしている藤原俊成と言えば、小倉百人一首の選者である藤原定家の父親で 世の中よ道こそなけれ 思ひ入(い)る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなるとの歌が、百人一首に選ばれている。現代訳はこの世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。思いつめたあまりに分け入ったこの山の中にさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる海辺の文学記念館の建物は、明治末期に建てられた診療所を復元したものだそうだ竹島の後には、蒲郡のインターの近くのえびせんべい共和国へ。ここも蒲郡ではまず立ち寄る土産物店だえびせんなどの試食も盛りだくさん無料でコーヒーを飲める休憩所もあり観光の疲れをしばし休められる。高速に乗る前のトイレ休憩も兼ねていたりも蒲郡から高速に乗って徳川家康の生誕地岡崎へGO。オレンジパークと竹島というもっともらしい観光も既にしているので岡崎城はスルーしてその近くにあるカクキュー八丁味噌での工場見学が、その日の最後の訪問場所だった。ウィキペディアによれば>江戸3代将軍徳川家光の時代に当たる正保>年間(1645年 - 1648年)に、岡崎城から>西に八丁(873メートル)の三河国額田郡>八帖村(現在の愛知県岡崎市八帖町)で>創業した>早川家が1878年(明治11年)に愛知県庁に>提出した上申書には同家の創業は「1645年>(正保2年)」と記されている。正方形の>枠内に太い隷書体の「久」のマークは、歴代>当主が代々早川久右衞門(はやかわきゅうえもん)を>名乗っていることによる。現社長は19代目の>当主になる。>1892年(明治25年)から宮内省への味噌>納入を開始し、1901年(明治34年)12月>28日、宮内省御用達を拝命した。NHK連続>テレビ小説『純情きらり』(2006年)では、>まるや八丁味噌とともに舞台となっており、>撮影現場としても工場が使用された。更に、八丁味噌であるが>米麹や麦麹を用いず、原材大豆の全てを麹に>した豆麹で作られる豆味噌のうち、現在の>愛知県岡崎市八帖町にて生産されてきた>ものを指す>名古屋圏では「味噌汁」といえば豆味噌を>用いた赤い汁のものが一般的であり、八丁>味噌も他の豆味噌同様、濃い赤褐色をして>いるのが特徴である。との事で愛知のお隣、岐阜県でもお馴染みのお味噌である昨夜の報道ステーションでドラフトで岐阜県飛騨市出身の根尾選手を、地元「中日」へとテロップ出しているくらいだし、モーニングサービスなども愛知発祥だけど、岐阜も盛んで同じ地域で、同じ生活圏という意識も高いかつても高木守道や和田一浩といった岐阜県出身者が地元枠っぽく中日ドラゴンズに在籍してたが、今年のドラフト指名も地元志向が強いようで、ドラフトの目玉選手でもあった1位指名4球団競合の根尾昂選手は、岐阜県飛騨市出身だし根尾の飛騨高山ボーイズ時代の僚友である垣越建伸投手はお隣の岐阜県高山市出身で5位指名となった。更に3位指名の社会人勝野昌慶投手は岐阜県可児市の出身である生まれは三重県であるが6位指名の滝野要 選手は岐阜県の大垣日大に通っていたので岐阜県にも縁のある選手だ。あと岐阜系の選手をよく取る広島の4位指名の中神拓都選手も岐阜県岐阜市出身。みんな活躍して欲しいものだかなりの年季の入った大きな樽には、江戸時代のものすらあるそうだが、真新しいものがあった。高齢化により樽を作ったり修繕できる職人が減少する中で、樽職人の育成も始めているんだとか味噌蔵の見学の後には、八丁味噌による赤だしの味噌汁の試飲とか田楽味噌の試食も。その後は直売コーナーでお買い物タイムカクキューの本社の建物と、味噌蔵は国の登録有形文化財に指定されているそうだ岡崎のゆるキャラ、オカザえもん。自販機も八丁味噌のような色合いバス旅行の参加者にもれなく貰えるみかんや赤だしなどなど。クイズに当たって、宝石屋さんでは顔パックシート2枚も貰った自腹で買ったえびせんは、これだけ買って300円也。今回はこれとソフトクリーム、お賽銭くらいしかお金を使わなかった 平成30年10月15日に愛知県で撮影PS。中日スポーツを買ってきました~にほんブログ村
2018年10月26日
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深夜のセネガル戦は、私も0時のキックオフに頑張って起きていたけど、例のGKのパンチング失点で潔く寝てしまったので、起きたら同点で引き分けてて良かった。今迄BS-1の再放送での試合を見てました。残すポーランド戦では引き分け以上。いや快勝を願いますまだまだブログでは桜の季節の日記が続きますこちらで今までにも紹介していますし、お覚えだと思いますが、地元商業施設などで千円以上といった買い物をすると貰える応募用紙で応募をすると日帰りバス旅行1名無料招待が当りバスに乗れば中高年ばかり。1名参加はなぁ~と思って、お友達や旦那さんを同行させるには旅行内容の割りに高い料金払わなきゃいけないというアレ。更に高価な宝飾品などの直売店に必ず立ち寄らなきゃいけないという例の旅行に今年の春も一人で出かけました今までに出かけた先は娘がいた関係で松本とか岡谷出発では伊豆の修善寺、愛知の岡崎とかで中津川からは近江八幡2回、福井、愛知の蒲郡といった感じで1年に1度位は当たり、食事も付いているし、それなりの観光も出来るのでタダで旅行が出来るならばとそれは私が過去にも、この手の旅行に出かけていてどういった流れであるのかを、ある程度は知っているからであって、ネットで無料日帰りバス旅行と検索するといろいろな体験談があるので、うちの姉のように小金があり、衝動買いが好きな方は参加しない方が・・・お高い買い物をしてしまい帰ってから家族に叱られるのがオチだタダより高いものはない。普通に旅行会社で催行する格安の旅行だって同様で、先日の韓国旅行でも名産といっても紫水晶店に、高麗青磁の店、カジノ、免税店土産物屋などに立ち寄ったりするのも似たようなものそのあたりはツアー代金が安いしね~と割り切るしかない。と言った訳で目的地到着タイトルから行先はバレバレですが、ここの名物はもちもちというか・・・ぶにゅぶにゅの伊勢うどんたまり醤油に鰹節やいりこ、昆布等の出汁を加えた濃厚なつゆを、長時間かけ柔らかくゆで上げられた太い緬に絡めて食べるもう一つがてこね寿司でして、漁師が漁の合間に食べた漁師飯がもとで、鰹や鮪などの赤身の魚を醤油を中心としたタレに漬け込んだ後、寿司飯と合わせて食べるものだ。この名物セットが無料旅行の昼ごはんだった数日あるバス旅行の日程から3月27日を選んだ時は曜日は考えたけど、桜の咲き具合はまったく考えてはいなかった。でもでもお伊勢さんで今年初めての花見。桜の具合も良い感じ。この花は緋寒桜? 違うかなぁお伊勢さんは昨夏に家族で参拝したのが最後だが今回の無料バス旅行が、お伊勢さんとおはらい町の自由散策と知り、これは行くしかないと。着いてスグ名物の伊勢うどんとてこね寿司も食べる事も出来たし五十鈴川にかかる長さ101.8メートル、幅8.42メートルの木造の宇治橋(別名は御裳濯橋)の袂にあるバス駐車場で解散してのフリータイムは思ったよりも短くて、内宮まで参拝をしてたら、のんびりおはらい町はうろつけない。がここまで来て参拝をしないのは・・・ここは速足で参拝をさせていただく事にしよう。それでもカメラでパチパチ写真も撮りながら・・・ウィキペディアによれば>神宮の定義では宇治橋を渡った先は神域ではなく>神苑であるが、崇敬者・参拝者は通常神域と扱うこと>から、一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされる>初めて鳥居が設置された時期は不明であるが、>室町時代後期の宇治橋を描いた絵には既に鳥居も>描かれている川の増水などでの流木などが橋脚に>衝突し損傷しないように、宇治橋と風日祈宮橋>(風日祈宮参道の橋)の上流側に数本の杭が立て>られており、木除杭と呼ばれる以前にこちらに伺った時は集中豪雨の後で、大きな木が本当にひっかかっていた。五十鈴川は神路山を源流とし、倭姫命が御裳の裾の汚れを濯いだという伝説から、別名御裳濯川(みもすそがわ)ともいい古くから清流とされ和歌にも多く歌われている内宮の西端を流れており、御手洗場(みたらしば)が作られ、以前は手洗いだけではなく口濯ぎまでされていたそうだ。さてさてここからは、ウィキペディアによりますと>伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢>神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない>「神宫(じんぐう)」。他の神宮と区別するため>「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて>「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社>本庁の本宗(ほんそう)である。>伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神>(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り>神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの>正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、>豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる>伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を>祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結び>つきが強く、現代でも内閣総理大臣及び農林水産>大臣が年始に参拝することが慣例となっている。>また、式年遷宮が20年に一度行われる>祭主は今上天皇第一皇女黒田清子、大宮司は>小松旧侯爵家当主小松揮世久 伊勢信仰の>中心となる神社で、日本全国の神社で授与>される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。正宮は石段の下からならば撮影が出来る。中央に見える鳥居を「板垣南御門」といい、鳥居の両側の玉垣を「板垣」、鳥居の奥に見える建築物を「外玉垣南御門」、手前にある石段を「石階」というそうだ。参拝の作法は二拝二拍手一拝主祭神は天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ、天照大御神)で、三種の神器の1つ八咫鏡を神体とする。相殿神は天手力男神 (あめのたぢからおのかみ)、万幡豊秋津姫命 (よろづはたとよあきつひめのみこと)>正宮(しょうぐう)の他には、別宮の荒祭宮と>風日祈宮、所管社の滝祭神(たきまつりのかみ)>酒の神様を祀る御酒殿神(みさかどののかみ)>御稲御倉(みしねのみくら)、神嘗祭の時に>神々の食事の御料を納めた由貴御倉(ゆきの>みくら)、宮域の守護神を祀る四至神(みやの>めぐりのかみ)がある正宮に次ぎ尊いとされる荒祭宮(あらまつりのみや)の祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)で、正宮で一般国民ですが、国家安泰レベルのお願いをしてその参拝後にこちらのお宮で個人レベルのお願い事をするそうだウィキペディアによれば>『日本書紀』によれば、天照大御神は宮中に祀られて>いたが、崇神天皇6年、笠縫邑に移し豊鍬入姫命に>祀らせた。垂仁天皇25年、倭姫命が後を継ぎ、御杖代と>して天照大御神を祀るための土地を求めて各地を>巡った。垂仁天皇26年、伊勢国にたどり着いたとき、>この国に留まりたいという天照大御神の神託があり、>倭姫命は五十鈴川上流の現在地に祠を建てて祀り、>磯宮と称したのが皇大神宮の始まりという>江戸時代にはお蔭参り(お伊勢参り)が流行した>庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、>弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語ら>れるように、多くの民衆が全国から参拝した>明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度に>おいては、すべての神社の上に位置する神社として>社格の対象外とされた。といった訳で、かなりの急ぎ足での内宮参拝も無事に終え、お楽しみタイムもなんとか作る事が出来ましたやはりお伊勢さんに来たらここに来ないと・・・最初に欲しいお馴染みのお土産も購入して年季の入った看板娘こちらはにゃんこの看板娘・・いや招き猫銀行もこんな感じ。おみくじ付きって興味ある伊勢参宮街道の終点である宇治橋手前から、宇治今在家町から宇治中之切町を経て宇治浦田一丁目に至る約800メートルのおはらい町は、内宮の鳥居前町でいつも参拝者で賑わっている。江戸時代には、参宮客が年間に二百万~四百万人も押し寄せ、庶民の憧れの地でもあったところが戦後近代化により、宇治橋脇まで大型バスが入った事で、参拝客はおはらい町に立ち寄らなくなってしまった。そこで洋風化をする世の中に逆行するように「内宮門前町再開発委員会」を結成し、伊勢らしい建物によるまちづくりを目指した地域の人らの熱意によって、江戸時代の町並みが蘇えり三重県や伊勢市も町並み再生に協力し、電線の地中化や路面の石畳化を実施をした。家族とくれば娘がふらふら~と立ち寄る酒蔵も、今日は時間もないので素通り更には赤福餅の企業が、当時の赤福の年商に匹敵する約140億円をかけて、平成5年の式年遷宮に合わせ伊勢志摩の特産物や土産を扱う物販店を中心に出店をしたおかげ横丁を開業。経営は間もなく軌道に乗って開業から僅か10年で借金の返済が完了したそうだウィキペディアによると>伊勢路に実在した妻入の木造建築物を細部に至る>まで徹底的に再現し、「世古」と呼ばれる伊勢>らしい路地を形成している。また、木目が美しいと>されるトガ材ですべての建物を建設し、土壁や>瓦の焼き具合などにも注意が払われている買い食い~。ここに来たら何かを食べないといられないちょっと忙しくはなったが、それでもお伊勢さんなかなかこれないのに、来ることが出来て良かった旦那がケチなので昔、アメリカのラスベガスとグランドキャニオンの旅を格安で行ける優待旅行当たったのに、(招待じゃなく)優待だったらお金いるんでしょって、旦那(鶴)の一声で旅行は出来ず、よ~しだったら招待旅行なら文句はないだろう!という訳で、スペイン、イタリア、ハワイ、韓国複数回ペア招待で行けたけど(ベトナムはサーズで国内どこでも旅行に変更、フィンランドは家の用事で辞退)、最近は懸賞もご無沙汰でこのような無料日帰りバス旅行でのお出かけばかり伊勢神宮から高速に乗ってかなりの時間が経った頃車窓から見えるのは愛知県の小牧城いよいよ宝飾品直売店で、お高い宝石の鑑賞タイム最初の展示室のみ写真撮影がOKだ。売り場などを抜けると、休憩所もあって雑誌などもあるし椅子でまったりと時間をつぶす。最初の時は用心をしてお土産代ともしもの時の自宅までの交通費分の現金持参でカードは持っていかなかったこうして夕刻に自宅到着。お土産はやっぱりアレ赤福餅は外せないそして子供の頃から好きな、我が家の定番お土産の真珠漬。別に真珠の漬物ではなくって、真珠を作るアコヤ貝の貝柱を粕漬にしたものだ。それに虎屋のういろも1本娘が好きな天ぷらも袋に入れてもらい、とろろこんぶこれも好き。更におせんべいはどれでも好きなのを選び3つで1000円。伊勢エビは買えないので伊勢エビが入っているらしいせんべいを購入 平成30年3月27日に主に伊勢神宮で撮影にほんブログ村
2018年06月25日
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山梨県が本拠地のアイスやケーキ、和菓子などのチェーン「シャトレーゼ」に立ち寄ったらイチゴ大福ならぬ、サクランボが丸ごと入っているという「サクランボ餅」シャトレーゼは旦那がここのアイスが好きで会社帰りに買ってくるが、もともと和菓子屋だったそうで、ミニサイズの饅頭とかお餅もお安く息子のおやつに購入それにしても今年の国産サクランボは安く山形産の佐藤錦の最盛期には、4パックで税込み1000円で売られてもいたのでまた買っちゃいました旬と言えば、馬籠のホタル祭りに出かけてきましたが、ホタルの写真は無理だろうと目視で楽しんだ数日後、姑からホタル煎餅を貰った。無論、ホタルは入っていない・・・7月のお盆となって馬籠出身の姑の妹らが実家のお墓参りに姑も誘い、お昼はうちで五平餅。とりあえず急の来客時には馬籠の五平餅をふるまう。テレビにもよく出演をしている白木屋のものだ姑らの馬籠の実家は、長兄が恵那に家を建て実家はなく、お墓だけが馬籠に残されているその長兄も今は亡く全く付き合いもないようだが、他の兄弟とは行き来をしているさて、写真はイルカではなくてたぶんシャチ?名古屋と言えばしゃちほこだし。しゃちほこと言えば、国宝犬山城がたぶん落雷のために鯱片方が壊れてしまったとか。ここ最近は愛知はゲリラ豪雨が激しい先週の木曜日に、名古屋が所前夜祭の収録がCBCテレビ(TBS系列)であり、観覧にペアで当選したので姉と一緒に、暑い名古屋へ出かけてきた。午前中に私だけ座席券に交換しお昼に栄で姉と合流。観覧のお礼だと言って姉がお昼ご飯をおごってくれた。八丁味噌の田楽に、大好きな自然薯汁を麦ご飯にかけて収録まで時間があったので、栄の愛知県立美術館でやっていた大エルミタージュ美術館展に姉のおごりで。最初のエカテリーナ2世の肖像画は撮影OKだったのでパチッとそろそろ時間なので栄からは徒歩数分のCBCテレビ局へと。局入りする関取を一目見ようと、沢山の人がスマホ片手に陣取っていて。大人気の新大関の高安~ギリ撮れた(汗楽屋入口が右奥なので、どうしても横向きもしくは後ろ向きになってしまう。新関脇御嶽海そして名古屋場所で、通算勝ち星歴代1位を狙う横綱の白鵬。やっぱ貫禄があるし残念ながら今日から休場となった横綱の稀勢の里。実は名古屋場所にも行くのに場所では見れないが、前夜祭では見れたケガをしっかり治して、万全のカタチで土俵に戻ってきて欲しい同じく名古屋場所で休場してしまった横綱鶴竜。写真は撮れなかったが他に日馬富士嘉風、正代も出演。そろそろ中に入ろうかな午後4時からの本番は撮影禁止だが、それ以前は写真OKだったので。CBCの若狭アナが司会で相撲好きのデーモン閣下がゲストだった。内容は他局の格付けチェック風の内容。松坂牛と飛騨牛の違いだなんてマニアックすぎる木曽出身の御嶽海関の後援会や協賛企業が御嶽海関の星取表を地域に配ったみたいだテレビでも大応援団が名古屋に来ていると言っているが今日の大相撲では関取衆の着物や浴衣特集をやっている。こうゆうのもいいな中に入らなくても、関取見物に名古屋城いってみるのも楽しいかもさてこの時期の風物詩として忘れられないのがボーナスをあてこんだ金融機関の、サマーキャンペーン。最初は食品の粗品が多いゆうちょ銀行外れなしのくじを引いての粗品は、食品コース水だし緑茶パックだったこちらは東海労働金庫。ネックタオルとぬれテッシュと夏仕様の粗品だった。夏というので、それにちなむ粗品が多い中JA(農協)ひがしみのは、東急ハンズとコラボのちょリスの保冷バック。更に特別金利で1年0.12%(条件にもよる)はなかなか良いし。ちょうど30年物の保険の満期金が入ったので、そのまま定期にした十六銀行はトムとジェリーのミニトートと中に入れれる保冷バックのセット。他にもくじを引いたが、外れてポケットテッシュだった更に岐阜信用金庫はムーミンのトートバックに中に入れれる保冷バック・・・十六とおんなじやし。やたら保冷バック流行りの年のようだ。あっボーナスですがさほど多くはないです。通常預金とか時に他行の満期継続定期を解約して、それをひっぱってきているのでその数日前になるが、実は店舗のおまけ見本に惚れて、婦人誌を買ってしまっているのよねリサ・ラーソンの保冷バックとお弁当箱などをつつむ保冷シートのセット。そんな訳で当分は保冷バックはいらないかも。やっぱハリネズミの一番かわいい旦那がLEDの懐中電灯が欲しいというのでヤマダ電機で、ポイントとかも使って購入をしたら、千円以上のお買い物だったのでペアグラスを粗品に貰ったその数日後、来月閉店のアピタ中津川店に行くと懐中電灯が3割引きになっていたのでまたまた購入。台風、雷雨シーズンには停電なども懸念されるしLED懐中電灯は長時間使用できるので各部屋に欲しい更に2階は廊下が人感センサーなので、息子が横のトイレの消し忘れをよくやるので、安くもなっていたので、トイレ用に人感センサーのミニライトを購入して設置した。これ便利だしアピタ中津川店の閉店セールは、棚が減りワゴンに代わっていくなど、なんだか寂しいなぁ~~。この機会に安いものを・・・千円もするような高級な歯磨き粉はわずか100円、歯ブラシや歯間ブラシとかは50円ぽっきりの激安価格娘が1個だけあった歯間ブラシのおまけが付いたのを探してきたし海外旅行の土産っぽいマカダミアナッツチョコレートと、ビーフジャーキーは目の前で半額位になったし今日から三洋堂書店のレンタルが準新作と旧作は税抜き50円だというので、幾つか借りたら、夏場に使える割引券もおまけに付いてきた。早速、宮沢りえとオダギリジョーの映画を午後から見た 平成29年7月に撮影日記更新を先にさせていただきましたが、皆さんのブログには日曜日位までにはお邪魔させて戴きます
2017年07月14日
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知る人ぞ知るホワイトサイクロンである。長島リゾートの中部地方最大の遊園地にある名物コースターで、何より木製コースターなのが最大の特徴。てな訳で2月中旬に娘と出かけた長島リゾート、最後は遊園地ネタでも遊園地に隣接をするホテル花水木別館のお得なシルバー&レディスプランに泊まったので↓、2日間に渡って長島リゾートを大満喫厳寒期の長島リゾート、ホテル花水木別館の最上階でまったり宿泊者は宿泊当日と翌日の2日間に渡り、隣接する遊園地の長島スパーランドや、日帰り温泉の湯あみの島、なばなの里(ベゴニアガーデンは1回)に入場できる上、アウトレットのジャズドリーム長島もあるので、2日あっても全部回るのは大忙しって感じでした初日の日曜日は遊園地も混むだろうと考えて、翌日の月曜日に遊園地に行く事にしたのですが、宿泊者特典として、開園時には一般客よりも10分早く園内に入場が出来るので、人気の遊具にダッシュで並ぶ必要もないホテル宿泊者は遊園地の入園はタダで出来るが、乗り物代金はやっぱり有料、ジェットコースターなどは高額だし乗り放題のパスポートを、追加で3800円(一人)で購入して、早速、一番人気のスチールドラゴン2000にGO!開業当初は、最高部高度、最大落差、最高速度、全長の4項目で世界一だったが、今では全長のみが世界一の2749メートル面白かったので後からまた乗ってみた。平日なので待ち時間も2度目でも待って15分位だったかなあと写真は撮り忘れたがアクロバットという、足の着かないぶら下がった感じのジェットコースターに2番目に乗って、3つ目は長らく長島スパーランドの代名詞であるホワイトサイクロンにチャレンジ。この写真は真横にある観覧車から撮った世界最大級の木造コースターであるホワイトサイクロンは1994年に運航開始。はっきり言って一番怖かったです他のは型とか上半身も固定されているし、動きがスムーズだけど、これってガタッガタッ。ブルンブルンと上半身も揺さぶられ、ムチ打ちになるかと思ったくらい。怖いよ~3年前に来た時には、実は乗り放題パスポートを購入しながら、私は4つ位しか乗れずに元を取ることが出来ず娘がアトラクションに乗るのを、横のベンチで見ているだけという失態を演じてしまったと、言うのもジェットコースターは平気だけど(でもホワイトサイクロンは苦手) 年をとってなのかどうも三半規管が弱くなったのか、早い段階で回転系の乗り物に乗ったら乗り物酔いをしてフラフラになってしまいそこで脱落してしまったので今回はそれを踏まえて、回転系のものは敬遠。娘は逆に回転系が好きなので、それを一人で乗っている間に私はまったり観覧車に乗っていた。夏には温室みたいに暑いケド、冬場は逆に暖かで昼寝でもしそうだその間、娘はこうゆうのに一人で乗っていた。娘曰く一番怖かったそうだ。じわじわと上昇して殆ど逆さまになるので、おなかのあたりがガードで痛くて大変だったみたいだ逆に娘が一番好きで今回も何度も一人で乗ったのが、このジャイアントフリスビー。富士急のトンデミーナと同じ機種だが、ネット検索すると気絶しそう、吐きそうといった感想が。私が前に酔ったのは、これより小さなフリスビーだったし、絶対、乗りたくない機種だ上から見たら、こんな感じ。グワ~ングワ~ンとくるくる回転までする巨大ブランコがかなりの時間、大きく揺れている最強マシンだ。スリル満点だと言えば話は変わるが今週はWBCの予選リーグをやっており、連夜のTV観戦中最後まで放映してくれるので、キューバの試合は午後11時過ぎてたし。昨日の満塁シーンもどうなる事かと冷や汗初戦のキューバ戦、なかなかパワフルな打線だったので3点くらいの点差をつけていても、打たれるのでないかと最後までハラハラ、ドキドキ。しかもヤクルト山田君のぎりぎりホームランかという打球は、すぐ手前で学生がグラブで取ってしまって、エンタイトルツーベースになりなんか嫌なムードその子の連れが、ナイスキャッチとその少年の写真を撮ってSNSでネットに載せたので、ネットで拡散して名前とか調べられて、確かにやっちゃいけない事をしてしまったんだとは思ういはするけど、違った意味でも怖かった夜だ。熱男~!!とソフトバンクの松田が文句ないホームランを後で打ってくれて試合の流れ良くなり試合も勝てて、少年の為にも良かった。これで1点差でもし負けでもしたら・・・・何が悪いのか悪くないのか、今回の場合は夢中で手を出してしまったのかもしれないが、善悪の判断が本人も全く分からず、SNSに載せて炎上という場合も多い線路に侵入して写真を撮った女優とか。まっ、おでんをツンツンするのは論外だ。同情の余地なし他にも巨大バイキングに乗ったり、こんなので高い所から景色を楽しんだりと、今回はしっかり乗り放題の料金分の元は私も取る事か出来て、ほっと一安心園内で花壇の手入れをされている従業員の方。先日紹介をしたなばなの里なども、沢山の方が日々の手入れなどをして、来場者を楽しませてくれているのだろう前に来た時には、長島スパーランド内でランチを食べたけど、今回は昨日も出かけたジャズドリーム長島でまだ食べたかったものがあるので、遊園地も存分に遊べたので少し遅めのランチへ。既にホテルで宿泊プランにあったあんみつも食べているので軽めでいいやアウトレットのジャズドリーム長島は、3年前に来た1月末には冬物見切りがすごくて、1万5千円位はするダウンコートが3千円ポッキリとかで購入出来たので今回も、冬物を買うのも楽しみだった初日には既にこれだけお買い上げ。松坂屋の小さな袋のは、冬の遊園地は手袋が必需品だというのに娘は持参したけど、私は忘れたので高そうなものが千円だったので買ったものだ。買って良かったぁ~ジェットコースターとか怖いというより、寒い!更に1万6千円もする牛革シューズも閉店セールの最終日だったので、半額の半額の4千円で買えたし2日目には娘がハッピーパックで既に安くなっていた、化粧品の3500円相当のセットを半額の900円で購入そんなジャズドリームの食事処だけど三重県めしと名古屋めしに別れていて、いくつかのお店があるので初日に私は伊勢うどんを食べた娘はお肉。本当はとんてきを食べたかったみたいだけど高かったのでお得なチキンみたいだ。あまり待たなくてもすぐに出てきたで、2日目に食べたのはハンバーガーそれに一人分のポテトとジュースをつけて娘と仲間で。こうゆうのが出来るのは母娘だからこそかも。まっ半分以上は娘が食べるけどもね夜になった。ここは名古屋です夕刻のバスで長島リゾートから名古屋駅に移動。6時頃家路を急ぐサラリーマンを横目に、そんな仕事帰りの人たちの為にあると思われるハッピーアワーはビールアップルタイザーなどが安く飲める私はビールは飲めないので、アップルタイザー二人で3杯ずつ飲んでのお食事だ今回の近場旅では、サイトの期間限定ポイントなども使いって名古屋のビジネスホテルを、素泊り一人3千円以下で泊まり名古屋の夜をぶらついて、次の日は出来たばかりの長久手のイオンモールに出かけようって楽しみにしていたのだが次の日に息子の住宅ローン控除の相談会が、地元でありようわからんから一緒に来てくれと息子に頼まれていたのでとりあえずホテルには私も一緒に泊まるが、次の日は娘は夕刻までそのまま名古屋に残り、私は昼前の電車で戻り午後からの相談会に息子と出席する予定。せっかく慌てて帰ったのに、息子はフードコートでスガキヤでラーメン食べてるし。娘みたいに分けてはくれなかったネットでも簡単にできるという確定申告だけど、必要書類も私が揃えたが、申告書を息子と一緒に書いていてどうも数字をどこに書き込むのかイマイチわからない部分もあり、前に計算間違えで住まい給付金の書類を送り返されて、書き直して再提出したという経験上税務署の方が書類をチェックしてくれる相談会には、ぜひいっておきたいので。お陰様で無事に所得税から控除された10万円弱、息子の口座に振り込まれました。所得税から引ききれなかった分は毎月の住民税が安くなるとネットにあったけど、どうかなぁ~。すまい給付金だがどんな計算の間違いの不備あったかというと、給付金の計算は自分でやらなきゃいけないのだが元となる税金の金額をかけてから割ると、正しい金額になるのを、割ってからかけたので少し少ない金額になってしまった。このように些細な金額でも正確に申告をしなきゃいけないのに、今話題の関西の学校校舎の契約金額が3通りもあり補助金が通ってしまうなんて、いい加減な気もする一つぼろが出てしまうと、あれもこれもと普段の行状が問題視されるのは前都知事と同じで、ここの幼稚園の運営にも携わる夫人なども、公衆の面前でカップルがチューをしていたので、みっともないからと突然に女の手をつねったと、堂々と保護者への通信とかに書いてたらしくって、しかもタイトルが「がまんならない」って話それました。業者とか住まい給付金を30万円貰えるってセールストークに使うけど、少ない収入なら確かに30万が貰えるかもしれないけど、息子ですら満額でも20万な上に旦那と息子の建物の持ち分があるので、息子の場合には8万円となった。旦那の方は何やら条件面から対象外だった今回の住宅ローン控除にしても、旦那は長年ゼイタクもせずにコツコツためていた貯金、財形を切り崩して家の支払いにまわしたので、住宅ローンは組まず控除もなくて息子だけが住宅ローンを組んだ訳ですが、昨年末の住宅ローン残高か、建物の代金のどちらか金額の少ない方が対象になる訳で建物の息子の持ち(権利)分だけ計算した税務署の方あれ?こんだけ?って声が出た位。その金額の1%が控除される仕組みだけど、息子のように扶養家族なし控除なしの人間ならまだしも、奥さんや子供が複数いるような家庭は既にたくさん控除されているので「オレは3千万借りてるし30万だぞとか言ってたのに、僅か2万とか雀の涙で、当てが外れてガッカシなんて話もきかれるネットで驚いたのは、住宅ローン控除にいった人が隣の窓口の若夫婦が、住宅ローンを親が払ってくれているのに貰えると思ったらしいので呆れたというか羨ましいって話があった。やっぱ、世の中にはそれは違うだろうってのに気が付かない人もいるみたい次の日の午前中、栄のセントラルパークのいつものお店で娘の飲むハーブティーが3割引きだったので大量に購入をしたが、こうゆうお金は当然、親が払うものだと思っているのか娘は隣ですまし顔。ライトアップは名古屋の繁華街の栄である 平成29年2月に長島リゾート、名古屋市内で撮影にほんブログ村
2017年03月09日
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知る人ぞ知る「光のトンネル(華回廊)」であるどこまでも続くような、全長200メートルの輝くトンネルは2000年に登場し、なばなの里のイルミネーションを一躍、有名にした寒い寒い冬の夜を彩るイルミネーションはいつ頃にブームになったのか詳しくはわからないが極寒時期の観光客誘致にと、全国のあちこちで開催をされ、日本有数の規模と人気を誇っているのが長島リゾートの「なばなの里」である普段であれば、昼間のお花畑がメインであるが秋から春にかけての寒い時期に、中部地方では今年のなばなの里のイルミネーションはとテレビCMが連日のように流される個人で行こうと思えば行けるし、地元から日帰り観光バスのコースもあるし、名古屋からもバスも出ているが、やっぱり渋滞は嫌いだし、並ぶのも嫌、混雑しているのも嫌だって訳でずっと行くのを躊躇していたのだが、3年前にホテル花水木で泊まって長島リゾートを楽しむ宿泊プランの中に、宿泊者はホテルのバスで夜のなばなの里に送迎してくれるというのがあって、これは楽ちん体が冷えても、すぐに温泉にGO!で、部屋に敷かれたふかふかの布団に寝れるのはナイスじゃないかと。しかも、夕飯前の夕刻から行くのもあるが、夕飯を終えてから営業時間の終わり頃出かけるプランは人出も減っていて良いのじゃないかとそんな訳で、混雑する時間には人でごった返す光のトンネルも独り占め。先を行く遠くの方の人はホテルのバスに乗ってきた人たちだと思う。園内は自由行動で集合時間に間に合えばよいので、他をまわってから、こちらに来たのが功を奏したなばなの里のお花にちなんでか、無数のお花の小さなライトが光のトンネルを作っていた。さて当然ですが話差し込みます。昨夜のゴールデンタイムのテレビではいつものインテリ芸人のクイズ番組で、東大&京大生が選んだ人気の戦国武将スペシャルだったので歴史ファンなので見たけどなんか信長はまだしも、家康、秀吉・・・ってまず戦国マニア並びに、戦国ゲームマニアが選ばない1.2.3位の三英傑そろい踏みには言葉もないしかも女性陣はお市、淀君、ねねって・・・普段戦国に興味のない一般人がとりあえず、名前の知ってる名前を挙げた感じで意外性が無かったしかも戦国武将クイズとしながら、関連の国語社会、英語、理科とか全然、いつもとかわらないジャンルだし、信長の名付けた岐阜県に接した県名は? はい、岐阜県民なのですぐ言えます更には岐阜県出身の作家の名前を挙げよとかって…平成合併で馬籠が長野県から生活圏の岐阜県に越県合併した関係から、夜明け前の島崎藤村は長野県出身者から、岐阜県出身になった経緯から、岐阜県に取られた!とイラっとした長野県民が200人はいたかも。何せ藤村は小諸で教師もしていたので破壊とか信州を舞台にした小説も多い。藤村の 小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず若草もしくによしなし しろがねの衾の岡辺日に溶けて淡雪流る この歌は早春の頃の詩である真田幸村、思ったより下だった。あの徳川に屈服せず逆らい続けた山奥の小大名であるというのは,何だか小気味よい。小諸城は武田方の城で山本勘助が縄張りをしたとも伝えられており、後には滝川一益や仙石秀久も治めた。戦国の最前線の城の一つだ。兎に角、決勝でお市の夫の武将の名前(長政と勝家)を、誰も答えられなかったような、戦国に疎くても勝てる芸能人レベルの戦国クイズだったてな訳で光のトンネルも過ぎて、いよいよメイン会場に出た。ここは8000坪もあるそうで今回のテーマは「大地」 世界四大大陸の大自然と日本の山里の風景の移り変わりを表現しているそうで、まずは北米の壮大なモニュメントバレー西部劇とかで出てきそうな光景だ。写真ではぼやけてしまっているが、満月に近いまんまるの月が空に浮かんでいた3年前に行った時の日記は↓にリンクを貼ったがあの時は世界遺産にもなった富士山で、あれはあれでよかったなぁ~♪キラキラ光る地上の星々よ~♪ なばなの里イルミネーション冬華の競演今度は北極じゃなくて。。。南極大陸のオーロラ北極は氷だけで、陸地がなかったんだっけ(汗)暗くて見えにくいけど、ペンギンたちが次々に海にダイブしている。クジラもいたっけ更にはアフリカ大陸の雄大な大地にはキリンやゾウもいた朝、まぶしく太陽が昇り大地を照らし、傾いてくると周囲を赤く照らし、太陽が静かに地に沈むと、暗い夜の闇に包まれた大地。その繰り返しここはどこだかわからなかったが、ユーラシア大陸で大小16の湖と92箇所の滝が織りなすクロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園で、世界遺産であるそうだ真っ赤に照らされたのは、秋の紅葉? そんな美しい地域でありながら人の争いは絶えないウィキペディアによると>1991年3月にはクロアチア紛争の最初の武力衝突>であったプリトヴィツェ湖群事件の舞台となった。>公園はクロアチア内で独立を宣言していた>クライナ・セルビア人共和国の軍隊が占領し>ホテルや周辺施設をバラックとして使用した。>この過程で一帯はいくらかの損害を蒙った。>1995年8月になって、クロアチア紛争を終結に>導いた嵐作戦の際にクロアチア軍が一帯を>奪還した。最後は日本の棚田の風景だ。満月には兎が餅つき。ホタルも舞い飛んで、花火も上がってなんだか盛りだくさんな日本の夜美しい音楽に合わせ、世界の大自然が映し出されるスクリーンは高さ30メートル、幅155メートル写真で見るよりも色鮮やかで華やかな感じなんてのを見ながら、閉店間際の売店で娘はホットワインをご購入。ちびちび飲んでいたら間もなく閉園のアナウンス。そろそろ帰るかとは言っても閉園したら即閉門という訳でもないし、バスもそれより少し後の出発時間になっている。お土産も買いたい人もいるかもしれない配慮だ帰路は先程の光のトンネルでは無くて、長さは半分ほどの100メートルの日本の秋がテーマのもので、真っ赤に色づいた紅葉のようなトンネルかと思えば、色が変化するようで赤、橙、緑の三色のLEDライトを使って日本らしい色合いを表現しているそうだ。しぶいっ青く赤く黄色と言えば、信号か山の紅葉は色鮮やかな赤ではなく、こんな感じの色合いだなこちらは花ではなく、葉っぱが色づいていたもう誰もいないし。この独り占め感がたまらないから、個人ではなく花水木に泊まっての送迎サービス最終回分を利用しているトンネルを入るときも月に送られ、トンネルを出ても月が迎えてくれた早春を迎え梅も咲きだし、その向こうにも月紅白の梅。イルミネーションはゴールデンウィークまでしているので、春には桜でも咲くんだろうか何の木かわからないが、枯れ木が池に映されてこれはこれで面白いなばなの里の入り口付近にあるシンボルツリーは20メートルほどあるヒマラヤスギだボリュームを出すように丁寧に枝の先まで電灯を装飾してあるそうだ。土産物屋にはまだ人もいたが送迎バスにむかった入り口付近のイルミネーションが寂し気に見送ってくれた。ホテルに戻ったら、即温泉に入るとしよう! 今回は一眼レフのカメラ(キャノンEOS)を持参しました 平成29年2月上旬に長島リゾート(三重県)で撮影にほんブログ村
2017年03月07日
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カラオケなどでも人気のあるハナミズキ、よく街路樹などにも使われていて、伊那市などでも優しい花が咲いていました。そんな花が年中常に頭の上で咲いているのが温泉施設に、遊園地、アウトレット更には日本最大級のイルミネーションも楽しめるナガシマリゾートの中核宿泊施設であるホテル花水木である「長島リゾート公式HP」三重県桑名市の海辺にあるが名古屋駅からはバスで1時間もかからず行く事が出来、手軽に非日常的なリゾート気分が味わえる。前にも娘と出かけてよかったので、今冬も2月半ばに娘とリピート。前回の滞在は3年前でして↓花水木に泊まって、長島リゾート満喫の2日間(2014年1月)ここの宿泊利用者の特典として、宿泊当日と翌日の滞在中には、すぐ横の遊園地や毎日歌謡ショーも開かれる日帰り温泉施設、近隣のなばなの里の入園(ベゴニアガーデンは1回のみ)が何度も出来るしかも部屋が使えるのは、午後2時からだがチェックインは午前中に出来るので、朝から長島リゾートを存分に楽しむ事が出来、次の日にも荷物を預けて夕刻までしっかり遊べるてな訳で、当日の10時には現地入りをしてチェックイン。今回は茶室でお抹茶を飲めるウェルカムサービスは娘がもういいやと利用せず、アウトレットでうろついて午後2時過ぎ一度、部屋に入る事にした無論、少し休んだら今度は日帰り温泉施設でまったりしようという作戦だ。今回も前回同様花水木別館の平日のシニア&レディスプラン60歳以上のシニアの男女と、それより若くても女性はみんな利用できるお得プランだ別館の最上階にある部屋は和洋室で、二人で利用するには広くない?って感じで、前の時の下層階の部屋より間取りがいいようななんか、同じプランをリピートして前よりも印象が良くなるってなかなかない事だから嬉しくなってしまった。お茶菓子も桑名の名物のお餅みたいだ娘、和室でまったり~。和洋室の洋室ってまず使わないけど、開けておくと部屋が広く見えて開放感があるのが良い。テレビも2台あるから見たいのがあってもケンカしなくていいや窓を開けると、隣接する遊園地。明日は月曜平日なので遊園地は空いているんじゃないかと翌日出かける異にしているスチールドラゴン2000は、現在は2つの日本一と1つの世界一(全長)を持っているジェットコースターこうゆうの、私は平気だけど絶叫系は年齢制限とかもある場合ので乗れるうちに乗らなきゃ西側をむくと鈴鹿山系なんだろうか。白い山々。青いのは夏場に人気の巨大プールのウォータースライダーのものだ。子供がまだ小さい時に懸賞に当たって二三度遊んだ夕刻、温泉にもいってきて部屋で休んでからレストランで夕食をいただく事になった。たぶん本館は部屋食だと思うけど、別館はレストラン食事内容はプラン内容で違ってくるのか詳しい事はわからないが春分も過ぎて外はまだ寒いけど、お料理の方は春の料理になっていた。初めに言うが何かね前の時より食べ応えがあったのは前はメインが蛤、今回はお肉だったから?キャビアの入った海老とか味もいい感じで、持ってくる給仕のスピードも前は食べてから間があいてしまったが、今回は食べ終える位の絶妙なタイミングで次の料理が出されたのも良い料理自体もなんか手が込んで見えたりもして残すものもなく、どれも美味しく食べれたしお刺身の盛り合わせもいい感じ。奥のは伊勢海老でとても甘かったお肉も柔らかでメニューにあるだけで満足度も高い私の大好きなタケノコも五角形の器になった大根は上の具をどけると梅の花の形にくりぬかれてなっているそうだ一足先に春と言えば、早咲きの桜も実際敷地に咲いていたし味噌汁の味噌の種類は選べたが、やっぱ赤だしで長島リゾートのどこかで収穫されたイチゴらしい夜遅くには今度はここの温泉にも入る。なんか内湯、日帰り温泉のよりここの方が広いような露天は流石にそれ程でもないけどゆっくり休んでの翌朝の、朝焼けも綺麗だし海がキラキラ輝くのは山国の人間は普段は見れないので格別だ早朝、お部屋に小梅とお茶を中居さんが持ってきてくれる。朝ごはん後にお布団をどうするか聞かれたので、そのまま敷いておいて貰う事にしたここのチェックアウトは午前11時と遅めなので朝食の後にまたお風呂に入ろうかな。朝食の会場であるレストランに木馬朝はこんな感じ。お粥を頼んだ。お粥だが黒い納豆が珍しかったので、それも食べた廊下には日本有数の焼き物が飾られておりこれは北大路魯山人こちらは人間国宝にもなった岐阜県多治見市出身の加藤卓男。ラスター彩を復元した事で有名だチェックアウトの時に荷物を預けて、今度は遊園地だ。午後になって帰り際にプランについていたあんみつもしくはコーヒー無料チケットを使ってのあんみつ。娘はコーヒーいやぁ~、極寒のこの時期に名古屋から手軽にリゾート気分。リピート必死の今回のプランは一人あたり2万円以下であった。様々な施設の利用料とか考えたら安いような・・・ 平成29年2月上旬に長島リゾート(三重県)で撮影にほんブログ村
2017年03月04日
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今朝もバリバリに寒い松本の朝です。えっ? まだ松本にいるのかって? 旦那もまだ関東の出張から帰れない模様だし、娘の飲み会の送迎終わったら帰る予定なので、今日は映画アニー!でも見てこようかなさてやってきたのは塩尻駅、1月15日の朝の事です昨年のラストの旅は、スーパー&サントリーの懸賞でサントリー白州蒸留所へ日帰りバス招待旅行に、旦那と出かけたが今年最初は今までにも何度か出かけ、ここにも紹介している、先に宝飾店に寄ってから観光をするという中高年の奥様の当選が多い日帰りバス旅行1名招待。今回は塩尻駅からの出発なので、朝から一人でのこのこやってきました塩尻駅には何やら懐かしい列車がいまして。検索すると長野新幹線が出来る前、上野⇔長野を走行していた特急あさまに使用された189系特急型電車の国鉄色のようで快速に利用されてましたバスに乗り込み先は長いから、というか午前中の宝飾店がメインなので昼食が遅くなるので、途中の中央道の恵那峡サービスエリアで、栗きんとんらしきものが入った饅頭をパクリこういった旅行も、知り合い(有料)と参加する人が多いが無料招待の自分だけで参加する人もいるので、今回も気の良い、少し年上の諏訪の奥さんとバスではお隣になった高価な宝飾を買われた方がいたかどうかは、早々に販売会場を後にして、待合で健康食品(果物の干したの等)の試食試飲をしていたのでわからないが、宝石クイズで当てて粗品を貰ったさて今回やってきたのは愛知県の蒲郡(がまごおり)。最初懸賞では、中津川の天空の城、苗木城なんてマイナーな行先だったので、それも面白いと応募したけど何らかの理由から愛知県蒲郡に行先が変わっていた旦那の会社の組合の旅行とかでも、過去に複数はやってきた懐かしい「オレンジパーク」で、お昼御飯だ鍋などもあって、なかなかおいしそうな団体用のお料理だ白飯にしらすなどを混ぜたご飯も美味しい。1杯はそのままで2杯目はひつまぶしみたいにダシ汁をかけて食べる食事の後は、殻つきらっかせいを一掴みお土産に貰える腹ごなしに売店をうろつくと、みかん染めだって こちらはみかんワイン。どうしようかなぁ~買おうかなぁって、置物と思ってか誰も注目しないけど・・・zzzz・・・・お~~、テレビとかで驚くと細くなるやつだぁ!叩いてもいないしフラッシュもたかなかったが、気配や視線を感じたのか、眠たそうに眼を開けたさて、このオレンジパークだが様々な果物狩りが楽しめ、この時期はいちご狩りの時期で食後だけど、別腹~~ビニールハウスでたわわになったいちごを練乳を貰ったけど、それを使う必要もなくパクリパクリ、パクリ、パクリ・・・3パック位は食べたかなそして団体旅行どころか、個人ですら立ち寄るインター近くにある「えびせんべいとちくわの共和国」盛りだくさんの商品が並び、試食も出来る 食事、いちごを食べてからなので流石にばくばく食べれず、無料サービスのコーヒーをまったりといただく高速で愛知県岡崎市に異動して、岡崎城から八丁(距離)にあるので「八丁味噌」となったそうだが、個人で来たこともある「八丁味噌カクキュー」へ 宮崎あおいさん主演の朝ドラ「純情きらり」でロケをした会社だ。本当は工場見学もされるはずだったけど、天候悪化で短縮され八丁味噌の試飲 試食にお買い物タイムになった。岡崎の岡の字が顔の「オカザえもん」人気キャラになったもんだ子連れバツイチらしく小さいのは「オカザえもんJr.」こんなイケメン武士も岡崎にはいるそうで、グレート家康公「葵」武将隊の面々だ本当はこの後に「岡崎城」90分自由散策もあったが、それも残念ながら無くなってしまったのは南信州の大雪で中央道の中津川→飯田が通行止めとなり、足助町など一般道の中馬街道で飯田へと行く事になったので飯田から中央道に入るが、駒ケ根サービスエリアもご覧の通りで本線でスリップして、反対向きになった車も無事に塩尻駅に到着し、電車で平田駅に戻ったら駐車場はこの通り旅行で貰ったお土産に買ったのは殻付きアーモンド♪ 平成26年1月15日に信州、愛知で撮影
2015年01月24日
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お待たせしました。いよいよブログ開設10周年記念の復刻版の日記もいよいよ今回がラストです。ががが~~と古い日記をコピーして貼り付けるだけの楽ちんなアップもこれが最後と思うと・・・(泣) とは言ってても日々前進。この間にもあちらこちらへと出没をしているのでそんな写真もたまる一方だし。てな訳で愛・地球博の後半娘はリベンジできるか?です 2005年6月13日「愛知博の予約が、スムーズになった!?」 今朝、愛知博のネット観覧予約にいった方は 驚かれたと思います。今までのがウソのように スムーズにアクセスが出来ます。9時半頃にも トヨタも、日立も残ってます♪ 4月の状態がウソのように、ゴールデンウィークを 過ぎると、ネット予約が出来なくなりました 9時15分には、トヨタの予約は無くなってしまい やっとつながったら、×マークばかり! イライラを、つのらしていた方も多いはずです これは不正アクセスの方法を、有料でネットで 流していた人がいて、普通の人のアクセスが 難しい状態になっていた為です。先週末に 協会は、予約システムを直して、不正アクセスを 排除するといってましたが、システムが改善を された結果なのかな♪ 愛地球博は、協会側の不手際も合って、一部の 不心得な人たちが、サツキとメイの家の予約や 今回の不正アクセスによって金儲けをしてました 自分では、不本意ながら、せっかくなチャンス 子供にねだられて、そういった人にお金を払い 予約権利を、手に入れた人もいると思います 私は悔しいから、それくらいなら行かないほうが マシと思ってましたが、夏休み予約前の、今回の 改善で、子供とネット予約をして万博にまた 行く気になりましたよ 前売り券の特典でもある、ネット事前予約も アクセスできずに、自分の行きたいパビリオンを 会場で長く行列をされた方も沢山、おいでに なったと思います。見ることすら出来なかったかも そういった人の無念の気持ちを、考えるとね~ いたちごっこなのかもしれませんが、協会側は 一般の人の「当然の権利」を護る為にも、不正な アクセス、高額なネット販売などに厳重に挑んで ほしいものです ただいま10時。1時間を過ぎて、トヨタと 三菱未来が× あとは三角で、まだ若干、企業館も 残っているみたいです。これから、地球博に行かれる方 ホント、良かったですね 2005年7月13日「夏休みの万博」に、チャレンジだ~ 4月の予約なしの企業パビリオン無し、滞在時間 わずか5時間ちょっとの万博しか、体験をしていない娘の 「やっぱり、あれも、これも、もっと観てみたいな~」と いう一言で、夏休みに万博に行く事になっていた しかし、万博の事をすっからか~~んに忘れていた おとといの夕刻に、ついに自腹でチケットを購入 もう、予約はお盆にかかってしまってる。しかし 全員補習もあって、行ける日が限られてしまって あと10日、早く気がつくべきだった 姉よりも年の近い姪が、コンサートに行くつもりが 仕事が入り、チケットが2枚、うちにまわってくる事に なったので、夜に名古屋でそのコンサートを見てから 名古屋市内のホテルに泊まり、次の日に万博がベスト だろうなぁ~~~と、日にちを決定をした 昨日の朝のネット予約は過酷だった。9時1分には 日立の14時の時間帯が無くなり、9分(今朝は6分)に トヨタはもぬけのからだった。呆然といているうちに 目指すパビリオンの予約は、なくなってしまっていた 日にち的には、その日がベスト。日立は夏休みは 長時間の行列を作らせないように、トヨタのような 整理券配布になるので、朝イチで、それを狙いたい 2番目の瀬戸日本館は予約が無いから、当日勝負として 3番目の長久手日本館や、太地の塔など・・・・ なんとか出来ないものかなぁ~。予約なしはツライし なんて思いつつ、キャンセル狙いで、取れました 長久手日本館。時間も午後遅めで、当日の行動には ベストです! 地道にキャンセルで、2個目の 予約も取れたらいいな2005年7月18日「キャンセル拾いで、日立に、長久手日本館♪」 それは、数日前のことだった・・・・ 1ケ月前の9時からの「ネット予約」開始後 日立館は、9時1分に、既にある時間は ×がついていて、アクセスできないまま 呆然としたまま、全て×になっていた 昨日、愛地球博は21万人を超え、日立は 7時間待ちになった時間帯も、あったそうだ 熱中症の配慮か、夏休みに入る7月21日から 日立館は行列ではなく、トヨタ館のように 「整理券方式」になるという すでにゴールデンウィークの頃に、5時間待ちの 行列が珍しくなかった日立館。グローバルハウスが 行列解消の為に、マンモスの単独コースを作って スムーズな人の流れを、早々に作ったのと対照的に あまりにも後手後手に、まわってしまったのでは ないのだろうか この三連休の中日(なかび)の人出の多さは 素人ですら予想が出来たのだが、なぜ、この 3連休から「整理券配布」が出来なかったのか 理解に苦しむ とにかく、真夏の炎天下での「幼い子供が長時間の 行列」の解消を望むのだが、今度は整理券配布の 為の行列が出来るんだろうなぁ、きっと そんな訳で、夏休みのお盆は、更なる人出も予想 されるそうで、当日券の販売中止など、場合に よっては「入場制限」も、考えるそうだ その昨日の報道が影響をしたのか、しなかったのか 今日は朝からキャンセルが続出! おかげさまで 念願の「日立」が拾えました。これで、娘と二人で 夏休みバージョンの「長久手日本館」を見てから 娘だけで、自分のと私の予約で、「日立」と「大地の塔」 (娘が一番楽しみにしてるらしい)に入れます♪ 中 略 私の場合、日立、長久手日本館、ガスパビリオン 大地の塔などなどの、ネット予約が出来ました (最初は日立ではなく、色々と予約をしてみたけど やっぱ、日立に楽に入りたかった。朝の整理券は トヨタ狙いなんで・・・) あと3日といった場合でも、何かしら拾える チャンスはあるので、あきらめずにキャンセルを 拾ってみて下さい それにしても、今回の万博は、情報を持つものと 持たないものでは、あまりにも不公平感があります 中部地方のように、毎日のようにいくつもある 万博番組や、新聞、ニュースなどで、外国館や グルメ情報を、熟知をして、全期入場券を使い 何度も足を運び、現地慣れしているのと違って 高い交通費を払って、ホテルも探し、コミコミの 万博で、数時間も並んで「日立館」ですか・・・ 「何時間も並んでまで、そんなに見たいのか?」 なんて、とても言えないですよ 遠方の人には、たった一度だけの万博。日立館に 入るチャンスもたった1回しかないから、数時間でも 並ぶしか無いんです。ですから、お盆とか、連休の ように、帰省者や、遠方の来場者が多い時は、比較的 簡単に来場が出来る全期利用者の人は、来場を遠慮を してあげるだけの配慮も、してあげたらいいのになぁ~ なんて思うけど・・・・ そういった時には、イベントもあるから、そうもいかない のだろうね。とにかく、誰にとっても、サイアクの万博の 思い出だけになってしまっては、残念ですよ 4月の万博は散々だった娘に、見たかった大地の塔 日立館、長久手日本館・・・・。リベンジは出来そうな 予感です 2005年8月14日「楽しい夏休み♪ 中間報告」で一部抜粋 愛・地球博の感想 いや~、盛りだくさんな一日でした! 館内をフラッシュ 無し撮影をしていたので、ぶれまくってしまいました(泣) しかし、心の中に秋篠宮様ご一家の笑顔を焼き付けさせて いただきましたよ。清楚なたたずまいに感激です2005年9月26日「世界のお肉料理は、何が好き?」で一部抜粋 今朝、パソコンの電源を入れると 日立のタイマイ君が、海に帰ってしまい 半年間の愛地球博が終ったんだなぁ~と しみじみしてしまった。毎日のように 地球博に出かけてたリピーターの方は 落ち込んでいないかなぁ~~ 娘の心残りは、ワニ肉を食べれなかった事だが 「リトルワールドへ、行けばいいじゃないの 他にもダチョウ肉だって食べれるよ」という 私の言葉に、娘の心は、既にリトルワールドだ PS, なんだかんだで行楽に忙しく愛・地球博に娘と出かけた時の 日記は書いてないけど、娘、大満足でリベンジできました 息子は高校の社会見学で行きながら携帯ゲームしてたようです 愛・地球博の写真も楽天ブログの初期の制限でみんな 剥がして削除してしまった(オリジナルデータは保存 してある)ので、当時の夕焼け写真をアレンジしました ラストの写真は、開田高原から望む御嶽山です
2014年11月28日
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2005年を語る上で避けて通れないのが、やっぱりコレだ2005年4月9日「愛・地球博。33パビリオンもまわれた」 4月6日に入館したものに、印をつけたら、全部で32にも なってるし、あと2日この調子でまわれば全部制覇できるかも 夢見る山のウォーターラボと、トヨタ館をまわった時点で 入場後2時間が経過していた ネット予約をした時間にグローバル・ハウスのオレンジコースで NHKのスーパーハイビジョンを見て、その後に月の石や猿人の 骨などの展示からマンモス・ラボ(今日、ここでボヤがあった そうで驚きです)。ブルーコースの方はソニーの50メートルの ビジョンを見てからマンモスラボへ ネット予約なら、ブルーコース、オレンジコースを選択できるが 当日の整理券配布は自分でコースは選べず、どこかの奥さんが 係りの人に「1時間前くらいに並んだら整理券をもらえる?」と 聞いていたけど、係員も「それは、ちょっと・・・」と言葉を 濁していた。並ばない為の整理券配布に2時間位並ぶ事もあるとか オレンジコースは耳につけると説明が聞けるハイテク機器を利用を したり、触れるマンモスの牙も展示されている。マンモス・ラボで 小さな女の子がお母さんに、一言 あのマンモス、食べると、おいしい~? 1時近くになったので日本広場にあるレストランへ出かけたけど 飲み物付で千円の食事が主流で、私はカルビ焼肉のロコモコ風料理 姉は味噌カツ丼にした 食後、外国館に向かっていると、「あと5分で始まります!」 などという美味しい言葉に引かれ、長久手愛知県館の「地球タイヘン 大講演会」に。スーパー歌舞伎をてがけた方の演出だそうですが 小さなお子さんは泣き出すかも。アイスマンが環境破壊の為に氷河が 溶けて、5千年の年月を超えて現れたのは、地球滅亡への警鐘を 鳴らす為だったのですって。その後の、中部千年共生村では人を 見つめるロボットとか、水のスクリーンの内側の世界を楽しんだり 午後2時から、6時までの4時間は、コモン3、5、6の数々の 外国館をまわりました もう、周囲は夕暮れに差し掛かり、人の波も落ち着いてきました ネット事前予約の三菱未来館。ははは~~、予約なしでも待ちなしで 入れますね。黄色のWAKAMARUから自然の話を聞いてから 月と、地球のプレショーになるんですが、みんな疲れてしまって 地べたにへたり込んでいました。とても立って見る事は出来ないです そしてド迫力のIFXシアターで、ティラノザウルスや、月の無い 世界などなど美しくもあり、恐怖の映像を見せてくれます。お月様に 感謝しなきゃね♪ もう疲れたし、暗くなってきたから帰ろうかと、ゲートに向かうと 「今なら、待ち時間なしで、リニアの内部をご覧で来ます!」と 元気なお兄さんの声。待ちなし~? 見るしかないですよ 山梨の実験線で実際に使用されてる、超電導リニアの内部を 見てきました。さらに「5分でご入場できる」という言葉に 超電導リニアの走行シーンを、3Dの大画面で見ちゃいましたよ 素敵な演出です。キラリと光ったボディー、スピード、緊張感! この時間、ワンダーランド展覧車は、40分待ちでした さあ、ゲートの直前にあるパビリオンは、ワンダーサーカス電力館 うちのチケットも電力会社の招待だし、5分の待ち時間は乗るしかない かわいらしいライドに乗って、万華鏡の中や、宇宙、海底、四季の 美しい風景、日本の祭り・・・なかなか夢があるパビリオンであり 最後を飾るのにはふさわしいものでした モリゾー、キッコロのお土産も物色をして、ゲートを出たのは 午後7時30分過ぎ。10時間に渡る愛・地球博の旅は終わりました 今度は中央線で多治見方面に帰るので、愛知環状鉄道に向かいました 混むことも無く待ち時間も無く、スムーズに乗つぎが出来ました 外国館のクロアチア館だけショーの関係で、15分待ちましたが 他は、0~10分の待ち時間。不満どころか、充実しすぎた一日でした は~~~~、疲れた2005年5月23日「娘にとって、サイアクの愛・地球博」 今日は、愛・地球博、ついに、10万人を突破をしました 私も、主人も、娘も、その10万人の一人です でもね~~、行かなきゃ良かった 人ごみが苦手なのをそれでも万博なんだからと連れ出しました 主人の見たかったマンモスも、トヨタも何一つ望みをかなえて あげれませんでした。しかも見る可能性は十分にあったのに 職員のミスによって、散々な万博になってしまいました 朝7時前に家を出て、団体のバスで万博会場には9時20分に 着いたのにもかかわらず、瀬戸会場の駐車場の手前の道路で 職員によって、バスは止められました。あと数分もしないで 着くというので、みんな降りる用意をしていた時にです 予約が無いバスは、ここから先には進めないというのです 事前にバス会社は、西ゲートの団体駐車場が満杯であると 聞いており「瀬戸会場に空きがあるから、行ってください 当日、行けばわかります」といった回答を、得ていました しかしながら予約の時の番号が無いと、入れないというので 協会側に電話をすると、その予約をした時の職員がいないから わからないというんです。あちこちに電話をまわされ、その場で 30分近く、バスは動く事はありませんでした。おトイレだって 我慢をしています。既に、万博は開場をしており、会場間を 移動する無料バスも、横をスイスイと通っていきます 気もあせります 子供も、大人も「このままじゃ、整理券ももらえない」って 言い出していますし、実際、私も10時までの行動が勝負だと 思っていました。瀬戸会場からゴンドラに乗っていけば、十分に 間に合うし、瀬戸日本館に行くのもいいと思ってました 向こうの指示で、目の前の瀬戸ゲートではなく、西ゲートで バスから降りる事になりました。リニモの駅よりも、遠い 団体駐車場にバスが着いてからも、まだ、バスから降りる事は 許されてません。下ろすにも協会からの許可がいるそうです 赤ちゃんは泣きだして、もうイライラも限界を超してます やっと、約1時間後の10時20分頃にバスを下車して 小走りで、娘はトイレに向かいましたが、あわてていたので ポケットに入っていたのケータイを、便器に落としてしまい 手を突っ込んで、拾ったのですが、ケータイは壊れてしまいました 娘の粗相なのかもしれませんが、でも恨み言も言いたくもなります 西ゲートから中に入ったら、もう10時45分でした。もう 当日ネット予約は既に無いかもしれないけど、でも、娘に 一つでもパビリオンを見せたいと、近くの長久手日本館に行くと 「安全管理上、当日ネット予約を中止しました」って・・・ わざわざ、ここまで来たのに、こんな事なら、直接、外国館 エリアに行けばよかった 帰ってくるバスの中で、瀬戸会場の駐車場に、バスの予約は してあったと聞きました。職員のミスらしくって、協会側が 「すいません」とお伝えくださいと言う事でした 「すいません」といえば、それで許されるのですね バスの中に閉じ込められ不快な思いをした上、万博の開場後 1時間以上も遅れて入場した為、目当てのパビリオンも見れ ませんでした。ケータイは壊れて、人ごみの中でふてくされる 娘をなだめすかして・・・・ 私は5月の平日に、また万博に行きます。ネットの事前予約で 日立と長久手日本館は確保しているので、会場前に北ゲートから 入り、三井・東芝も行くつもりで、それなりの満足は出来ると 思います。しかし、人ごみの嫌いな娘。ましてや今度の事で もう万博には行きたくはないといいます2005年5月8日「ガラガラの愛地球博で、残りはカウントダウン」 3回目の万博は雨だった。でも、屋内施設だから 移動に少し傘をさすくらいで、苦痛はなかった グローバルループの下の通路は、予想通りに 雨漏りがひどく、傘をささなければならなかった それにしても、来場者が少ない。学校の遠足が帰った 夕方からは、誰もいないパビリオンに入るのが気がひけた くらいだった。並んだのは「大地の塔」の20分のみ お陰で、もう見たかったあそこも、ここもどんどん まわれてしまって、姉はもう、2日目の来場にして 万博卒業宣言ですよ。あらかたまわってしまったから 私も、サツキとメイの家は別にしても、あと1回位で いいかな~ 5月6日(金曜日)朝9時開園時より、夜8時40分まで滞在。天気雨 ネット事前予約 長久手日本館(PM14:00~14:30) 日立グループ館(PM17:00~17:30)AM 9:00 <三井・東芝館AM9:40~10:10入場の当日ネット予約> 1 「ガスパビリオン」 2 「三井・東芝館」 瀬戸会場に、モリゾー・ゴンドラで向かう <瀬戸日本館のAM11:45の整理券を貰う> 3 「瀬戸愛知県館」 4 「瀬戸日本館」PM12:00 お昼ごはんを瀬戸会場で、白熊を見ながら食べる 長久手会場に、モリゾー・ゴンドラでもどる 外国館コモン1をまわる 5 イエメン館 6 カタール館 7 イラン館で、「チャイハネ」を飲む ¥200 8 バングラディシュ館 9 パキスタン館10 スリランカ館11 韓国館12 中国館13 「長久手日本館」14 「大地の塔」(20分程、行列に唯一並ぶ)PM15:0015 「グローバルハウス(ブルーコース)」 整理券を貰い、そのまま入場 外国館コモン1をまわる16 サウジアラビア館、「音楽CD」を、もれなくプレゼントして貰う17 モンゴル館18 ブータン館19 中央アジア共同館20 ネパール館21 インド館 自販機で120円のジュースを飲む22 「日立グループ館」 <夢見る山「めざめの方舟」の18:15の整理券を貰う>23 カナダ館PM18:0023 夢見る山「めざめの方舟」 外国館コモン2をまわる25 国際赤十字・赤新月館 ここのお土産。可愛くって安くて、寄付にもなる26 中米共同館27 アメリカ館28 ドミニカ館29 キューバ館 カクテル「フローズンダイキリ」を飲む。¥50030 国連館31 国際熱帯木材機関館32 メキシコ館33 アルゼンチン館 「アルゼンチンタンゴ」の実演34 「ワンダーサーカス電力館」PM20:40 リニモで高蔵寺経由で名古屋のホテルに向かう 名古屋駅にPM21:50着。ホテルにチェックイン
2014年11月27日
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いやぁ~~、連日の日記更新で写真の在庫があるのか気にされる方もおいでになるかもしれないが、先週末のまだ手付かずです!。5月末の旅行も手付かずです!!そんな訳でまだ5月以降でも日記10回分はあるのでご心配なく今日の日記は、5月中旬に珍しく西へ家族で出かけた時のものですが、土岐から東海環状自動車道に入ったばかりで東側には中央アルプスが遠くに見れた 更に進むと「豊田アローズブリッジ(正式には矢作川橋)」をわたります。ここを通る時には助手席から必ず写真を撮るお気に入りだ舅も姑も松本の娘のところばかりに行くので、たまには義弟のところにでもって旦那の運転で、みんなで出かけたんですけど高速道路のETC、休日半額割引ももうすぐ無くなってしまいますしね(6月末まで)伊勢湾岸自動車道を通る時は、デラックストイレがある「刈谷ハイウェイオアシス」に必ず立ち寄って休憩をしますこれがトイレなんですが、応接室みたいにソファーセットもあり寛がれる方もおいでになります。トイレの中はいたって普通ですえびせんべいの里の試食も楽しみの一つです最近はサービスエリアや、道の駅もドライブ旅行の楽しみの一つですね 直売所もあれば、温泉もあれば、観覧車も!てな訳で2時間程で(年上だけど)義弟のお宅へ。お昼にラーメンを食べに行ったんですが、信州の方がうまいなぁ~と後から旦那なんと、愛知県からも木曽の御嶽山が見えました流石に3000メートルの山だけあります2190メートルの恵那山も見えました。船を伏せたように見える事から舟覆伏山 (ふなふせやま) などと呼ばれるそうだが、こっちからだと確かにそう見える。横には中央アルプスこの付近は西尾市を中心にお茶の生産でも有名です。行きは高速ですすす~~ときたけどドライブの醍醐味は下道を走ってこそと言う旦那ですので、帰りは豊田ICでおりて下道を遠くに行く訳でもないし、国道派なのでETCの週末半額割引きの終了はさして影響がないみたい。といっても豊田市中心地は渋滞もあったりで。世界のトヨタのご城下です。奈良時代より「挙母」と称されていたのに、トヨタ自動車に拠り 昭和34年に豊田に改称したんだとか平成の大合併のお陰で、お隣の恵那市のお隣はもう豊田市ですから今回は豊田から北上し瑞浪を通過して恵那市に戻ってきました土岐からは遠かった中央アルプスも随分と近くに見えるようになって、帰ってきたなぁ~~と実感最近まで桜の写真を紹介してましたが、春は花も良いですけど山の新緑も綺麗ですもう、そろそろかなっと5月中旬に市内蛭川へヒトツバタゴの花を見に出かけたら、まだ1週間早かったようで咲いておらず↑みたいな感じで・・・ じゃ蛭川にある芝桜の有名なお宅に出かけたら、こちらは遅かったみたいであぁ、花の時期は短くて・・・なかなか見頃の時には行けないものだでも花の時期が長いのか菜の花は綺麗に咲いていた春にも赤くなるモミジ?秋イメージのある紅葉だけに、春の菜の花とのコントラストがなんだか違和感あります。菜の花には桜の方が似合いそうそんな訳で、ひっそりと木陰に桜も咲いておりました やはり緑の多い山里のお花畑は美しいですね。ここ個人のお宅の周囲に植えられているのですが、ここも野菜よりお花派?そんな花々も良いですが、やはり春の山里の楽しみの一つが新緑花を見に行った蛭川で、春の日を浴びて輝くような新緑を。栗?こちらは柿の葉かな? こんな綺麗だった新緑の緑も随分と濃くなって、北海道を除いて梅雨入りをした。局地的な豪雨もあり、俄か雨も降ったら青空も広がりなんだかわからない天気だ半袖も着てみたが時間によって室温もバラバラ。半袖着たり長袖着たり、上着を着たりと大忙しだったりする今日この頃蛭川を流れる和田川の中流から下流にかけ、渦動水流による浸食、風化作用によって大小さまざまな「甌穴」が500個以上も点在しているそして4月には数百年も前から続くという、県指定の重要無形民俗文化財に指定されている「杵振り踊り」が行われるお店の外観の写真を忘れたが、蛭川のツインクルのモーニングに久しぶりに出かけたが、パンの他におにぎりのもあり茶わん蒸しもコーヒーより味噌汁が似合いそう4月からコーヒーがちょっぴり値上げされていたが、まっこれでも400円もしないけど後日、近所で見たヒトツバタゴの花の樹 写真は2014年5月中旬に愛知、岐阜県で撮影
2014年06月07日
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娘と1月下旬に出かけた「長島リゾート(三重県)」のなばなの里「ウィンターイルミネーション冬華の競演」での写真をまだ紹介していなかったので、桜の咲かないうちに紹介をしてみたいウィンターイルミネーションは3月31日までなので、まだ見ようと思えば見に行けるし、今なら「しだれ梅」も咲いているとか、テレビCMで言っている。そんな訳でグーグル+の自動の加工で、メインの富士山もギンギラギンと輝いておりまるで地上の星々のようだ当日は長島リゾートの花水木に泊まったので、食事の後にホテルから、なばなの里へ直通バスが出て閉園間近の遅い時間の殆ど人がいなくなった状況で、イルミネーションを楽しむ事が出来ましたなかなか見る事が出来ない「ダイヤモンド富士」も、ご覧の通り 色が徐々に変わっていきます「富士山に虹」などもかかりました娘が昨日は綺麗な七色の虹が見れたと、喜んでケータイで知らせてきました。グーグル+などで安曇野、松本あたりから虹の写真もアップされていて、ほんとネットで情報が共有化されていてそして「紅富士」 こんな情景も貸切状態で、感動もんですわ富士山に並んでの名物は200メートルもの光のトンネル(暖かな光)で、ネットによれば点灯直後に行くと人の頭ばかりがあり、通り抜けるのに渋滞で15分位かかるとかこちらは帰りにその前を通りがかったら、入り口は既に立ち入り禁止になっていたので、トンネル内は誰一人いなかった食事前の点灯直後に行くのと、食事の後の閉園間近に行くコースがあったけど後にして良かった~~。てな訳で何か説明する事もなさそうなので、写真をご堪能ください 写真は望遠レンズがついたままの一眼レフ(最初の写真)と、コンデジ(後の写真)の両方を持参したんですけど、やっぱ夜の撮影、あまりに画質に差がありすぎです。ちなみに三脚は使って(持って)ませんウインターイルミネーションのシンボル「水上イルミネーション」の幅約5メートル、長さ約120メートルの青い光の川は、木曽三川(木曽・揖斐・長良川)を表現しているのだとか チャペルの前には、高さ約18メートルの天然木のツリー一面ブルーLEDの雲海のような幻想的な世界には、クリスタルホワイトのアーチが飾られており、そのアーチを通り抜けると2人は幸せになれると言われているとか 更に、なばなの里は紅葉が約300本ある紅葉の名所だそうでそれにちなんでの100メートルの「秋の光のトンネル(もみじ)」 平成26年1月20日になばなの里(三重県)で撮影
2014年03月19日
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完全週休2日制とは言え連休ではないので、なかなかお泊り旅行に出かけられない娘だが、夏休み&冬休みの休日を好き(暇)な時に交代で取れるので、昨年9月以来の三連休を取る事になり昨春以来、久々の母子で宿泊旅行をする事にしたので行先は娘の希望で久々の大都会「名古屋」だ。しかし名古屋だけじゃ勿体ないし、何か観光をトッピングをしようと思いついた先は、中部地方有数の観光地である「長島リゾート」(三重県桑名市長島町)知ってらっしゃいます? 三重県の一番端っこ。名古屋駅からバスで45分で気軽に行けるんですが、遊園地もあり温泉施設もあり、アウトレット施設もありって事でとても1日でまわれるものでも無いって事で、オフィシャル宿泊施設に泊まって、1泊2日で満喫しちゃおうって計画です既に前日に名古屋で前泊しての2日目、朝に名古屋駅から往復1900円のバスで長島入り。まずは宿泊する旅館で宿泊当日&翌日に施設利用が出来るというチケットを貰いまだ隣接する遊園地が開園しないので、滞在中に利用が出来る飲み物券(もしくはあんみつ)で、まったりと3つのオフィシャル宿泊施設に泊まると、隣接をする遊園地長島スパーランドの入園(パスポートは中で入園料を引いた差額分で購入)、隣接する日帰り温泉施設「湯あみの島」の入館、近隣にある「なばなの里」入園が出来るのでお得だ冬季は遊戯施設の点検などもあって、残念ながら名物の木製コースターであるホワイトサイクロンは乗る事が出来なかった名古屋はこの冬、一番の寒さとなった冬至の日の青空の下、怖いではなくって「さぶい~~~~!」を連発しながらあれやこれやと娘と乗ってみたお昼ご飯は、園内のレストランで中華時間待ちなど皆無で、時には貸切状態でガンガン乗れてしまったので、旅館のチェックインタイムの午後2時頃には、寒いし引き揚げる事にしたウェルカムドリンクとして、旅館「花水木」の中庭にあるお茶室でお抹茶をいただけるそうで娘、お茶をいただくのは初めてだと言うあれ? そうだったっけ。京都とかによく連れては行っていたけどいよいよお部屋へ。「花水木」本館はそれなりのお値段をするが、今回はそれよりはお手頃な「別館」の利用によるレディス&シニア平日プラン2万円弱(1泊2食)だ無論、露天風呂の大浴場もあるけど、お部屋のお風呂も温泉だったりする。日本茶みたいな色だ少し休んでから隣接する日帰り温泉施設の「湯あみの島」へここの露天風呂には大きな花崗岩があって、恵那付近から持ってきたものだそうだで、日替わりで歌謡ショーなどもあり、来場者が気軽に楽しむ事が出来るのだ。その日は「別れても好きな人」で有名なロス・インディオス。私の生まれる前にデビューしたというベテランなんだけど、いやぁお元気!という訳で、遊園地で遊んで、温泉入って、歌も聴いてという大満喫の1日目も日が暮れ、いよいよレストランでの夕食「花水木」本館のようにはいかないかもしれないが、それでも上品な感じのお料理が次々と出されてくるお酒を飲む訳でもないし、食べるのが好きな娘が次々に平らげその食べ終えるのを見計らったような、絶妙のタイミングで次のお料理を運んできてくれるのだけど私の方は慌てて食べきるって感じになってしまって、まっ食べかけのも横に置いておけばいいんだけどもね~普通なら1時間位で食べそうなコースを、なんと40分で食べきってしまったまっ、レディス&シルバープランだから食べるお料理自体が少なめのような気がした食後はお部屋で寛いでから、今回の旅のメインイベントである近隣の「なばなの里」ウィンターイルミネーションへと宿からシャトルバスで出かける事に。入園は↑で無料通行券を利用♪点灯前後の夕方に出かけて帰ってから宿で食事のと、宿で食事をしてから、閉園間近に出かけるコースのどちらを選ぶか迷ったが後にして正解だった。人が殆どいないし 詳しい写真はまた次回、まとめて紹介をします翌朝。朝食30分前にはお目覚めのお茶と梅干のサービスお粥か白飯か選べる朝食をいただき、まったり温泉に浸かり午前10時直前にチェックアウト隣接するアウトレット施設の「ジャズドリーム長島」に出かけ冬もの最終見切品をあさる松本パルコにあるのに、アウトレットに行くと娘が飲みたくなるゴディバで一休み。娘は2万円のダウンコートや、私の1万円超のジャケットがどちらも3150円! 5千円のが800円のセーターとか二人で8着購入大満足でバスで名古屋駅に戻り、私は電車で自宅。娘の方は高速バス2回分回数券利用で2500円で松本へと・・・ 平成26年1月に長島温泉で撮影
2014年01月24日
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前回の日記で紹介をした、岡崎を体現したゆるキャラ「オカザえもん」が今回も登場! しかも中日ドラゴンズのマスコットの「ドアラ」と、7月27日に開催された愛知県の「一宮七夕祭り」で夢のコラボだ 参考資料・ホンモノ・・・・って顔がなんだかモコモコしてる? 春に岐阜市で登場した時の写真と見比べると、縫い目が雑だし。前ボタン?となると、この愛想の良いドアラも? 参考資料・ホンモノなんだか腹が出てるしっ! これでバクが転出来るのか?中年になったドラゴンボールの孫悟空。作者の鳥山明は名古屋市出身で愛知県在住なので、やっぱ愛知県キャラ県民税もさぞかし・・・。お~~っとカツラだぁ~~!愛知県碧南市出身で東京大学法学部卒業。農林水産省の官僚だった、愛知県の大村秀章知事だったのかっ! と、ニセモノだらけの一宮七夕祭りだけど、このお嬢さんたちは、本物のミスの七夕の皆さんだ 今回のお祭りでは海外の方や、色んな方にカメラを向けたけど、やっぱミスの方が絵になるなぁ~~織物産業の街だけあって、ワンピースもとても上品だし ミス七夕のお嬢さんたちの他にも、ミス織物のお嬢さんもおり、最後はコラボで6人で並んで下さったのに、望遠のカメラなので全員が近すぎて入らないしっ!やっぱ人物は望遠でと、標準は持たずに望遠レンズだけで出かけたけど、パレードにしても近っ! かぶりつきに近いので、コスプレなのに全身像がなかなか撮れないし望遠カメラじゃなくても、やたらにデカイ、鬼太郎のおやじ なんだか、どこかで見た人たちは一般参加のコスプレーヤーだ もはやかぶりもの?って感じで、コスプレになるのかそのクオリティも人それぞれで、なんだか手作り感がほのぼのしている もう、こうなってくると何が何だか似てるんだかなんだかわかんないけど、ウォーリーを探せ アートなキャラも街を散策し、異彩を放っていた 平成25年7月27日に愛知県一宮市内で撮影
2013年08月12日
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いよいよ8月です。7月上旬の猛烈な暑さほどはないですが、それでも山の上でもムシムシとした毎日が続いてます。あぁ~涼しい風が~。前回の日記で姉が熱中症でと書きましたが、家族が心配かけないようにとの事で、軽い脳こうそくであったそうです発作とかではなくべらべらしゃべる、口から生まれたような姉が呂律がまわらなくなったようで、受診をして判ったそうで、点滴をしまくり既に退院をして減塩の食事など、日常生活の注意を受けてきたでそんな連絡も受けた先週の初めに、旦那が急きょのヨーロッパ出張で、週末には慌ただしく出かけていきました。私はパスポートが切れ3年経ちますが会社において有効パスポートがあると海外出張要員 事前にわかってたらユーロとかも円高の時に買っておいたけど、アベノミクスで高くなったしね~TVでも円安による物価高をいっているけど、実際スーパー店頭でもなんだか高い。暑さとかも関係があるのかわかんないけど、今の値段では買う気が起きないがこれで消費税アップなんてした日には、とほほだ・・・いくら安くても米国産のお肉や、中国産の野菜とか食べたくはないけど、スーパーであれば自分で産地なども選ぶ事が出来るけど、外食や加工品とかはねそんなアベノミクスの円安で、海外の方がここぞとばかりに来日をしており、木曽路の電車や路線バスなどでもよく見かけるようになった。「バカンス」との長期休暇も手伝っているかもしれない8月一杯、海外出張の旦那のお盆休みはどうなるんだと思ったら、9月に振替でとれるようだ。ムフフ・・・これってチャンスかも。お盆の高額期間ではなくって9月って旅行に出かけるにもお得かも。台風さえ来日しなければ! というか、旦那がいないんだぁ~。家の事は姑に任せる事が出来るし、こうなったら以前から出かけたいと思っいた、あそこやここに出かけてしまおうか。旅の仲間の姉は退院したばかりなので誘えないし、気楽に一人旅だいたい平日なんぞに、お出かけ出来るようなお気楽な人間は周囲に皆無で、先日、当たった平日の昼間開催のアイスショーだって平日の遊び仲間の姉が入院で、どうするべ~と思ってたら、ちょうど息子が休みで一緒には行けたけど・・・暗くて心地よい音楽が・・・しっかり睡眠タイムになった息子だしそんな訳で、久々に図書館で前から気になってた観光地のガイドブックと分厚い時刻表を借りてきて、プランをたて第一弾、明日&あさってで出かけてきます。前に行ったのは家族旅行で、15年前位になるのかな♪ 第二弾では、貴婦人と一角獣展を見に関西にも行きたいし交通費は節約をして、お馴染のJR「青春18切符」で!それにしてもネットのおかげでホテル予約とかもお手の物旦那が到着後に利用する、鉄道の時刻&プラットホーム運賃なども、現地の鉄道機関のHPで簡単に検索ができたしかも現地の言葉で無くて、日本語に訳してくれるのだから至れり尽くせりというものだ。旦那、到着早々に風邪をひいたそうだ。飛行機の中は乾燥もしているしね~なんて近況もネットでメールをしてくれるので、やっぱ便利な世の中ださて、今回の2Dな漫画やアニメ、ゲームなどの世界から飛び出してきたような海外の皆さんは、なにも円安だから来日をした訳ではない。毎夏恒例の「テレビ愛知」主催の「世界コスプレサミット」で世界各国で開催された予選を勝ちぬいて見事に、本選大会出場を射止めた皆さんだ世界コスプレサミット(WCS)は、海外での日本漫画の人気を高め、海外と国内のコスプレイヤーの交流を目的に2003年に始められ、回を重ねる毎に参加国が増えて海外からの取材も多い。本選地の名古屋の他にも愛知県各地でパレードなどがされ、県をあげてのお祭り騒ぎだ 2006年からは国の外務省が後援をし、外務大臣賞が授与をされている他に、国土交通省が所管をするビジット・ジャパン・キャンペーンの一環としても認められている前から見に行きたいなぁ~とか思いながらも、なかなか出かけられなかった同じように30年も前から、見に行きたいと思っていたいたのが愛知県一宮市の「七夕まつり」で、日本三大七夕祭りが一般的に宮城県仙台市や、神奈川県平塚市愛知県安城市なんだけど、この一宮市が入る事もあるそうである7月28日、先週の土曜朝に旦那が成田空港に行くので駅に送ったついでにどこかに行こうかなぁ~とネットの検索で、この一宮の七夕祭りで、世界コスプレサミットのパレードがあると知って、これって一石二鳥?いやいや名古屋まで旦那と電車で一緒に行き、名古屋駅の新幹線乗り換え口まで健気に送って行ったので、一石三鳥というものだ。早速、事前に購入していた青春18切符を利用をしたので、交通費も2300円ですんだからお得だし それにしても皆さん、かっこいいなぁ~。このパレードの他にも名古屋大須のパレードや、セントレアのステージなど8月3日の名古屋での本選大会の他にも、スケジュールも一杯のようで・・・・日本をゆっくり楽しむ暇もない位かもセントレアでの写真をネットで見たら、この一宮のキャラと違う衣装を着ている方が多かったので、どんだけ衣装を日本へ持ち込んだんだろうか~? そんな訳で彼らを見たい方は、8月3日&4日あたりに名古屋にご来訪くださいませ 平成25年7月28日愛知県に一宮市で撮影
2013年07月31日
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なんだか脱力・・・・。WBCではさほど活躍出来ないのではないかというようなチームの大躍進に、準決勝でここぞという場面で鳥谷、井端、内川のお膳立て。さぁ~キャプテン阿部がここで一発大逆転? と・・・あれ?あれ?あれ?のアウト~なんでもWスチールが出来たらやってもいいよ~というサインが出てたそうだけど相手チームの捕手の盗塁阻止率がすごいぞ!ってのは、事前にTVの解説でも指摘されてたし。1塁&2塁でも阿部が大きいのを打てば良い訳で・・・。実際、私もそれを期待してたけど、監督は期待してなかったんだ、4番に自分がすえたキャプテンを・・・・・ ここにきて様々なWBCの記事が出てきており、首脳陣を含めチーム全体でのまとまりがなかったのかなぁ~とか、私的には感じます井端、井端、井端ではなく普通であれば日替わりヒーローのように色んな選手の名前が出てきてもいいはずなのにね~。そうゆうのがなかったしそんな中で、大会ベストナインには当然のように指名打者で井端投手でマエケンが選出。おめでとうございます~。パチパチパチまっ、不振も程がありすぎるホームチームに戻ったら、井端効果で少しは勝ち試合もしてくれたら良いのだけど・・・てな訳で、フィギュアスケートもオリンピック男女それぞれ3名枠は死守は出来たけど・・・・世界大会で金メダルを目指すのは、どの競技であってもそこに自分のピークを持ってくる必要がある。チャンもヨナも「世界フィギュア」を見据えて万全のコンデションを整えてきての金であった。ところがだ自国大会敵なしの彼らと違って日本は群雄割拠。日本代表になる為には事前の大会で好成績を残さないといけないそして事前の女子が表彰台を独占した四大陸選手権は、今年は日本開催と言う事もあって、有力選手がみんな出場をしているし。見に行く方や視聴率を考えれば、え~? 羽生君、真央ちゃん出ないの?って感じになってはいけないのだろうけど、人気競技だけに人気選手は引っ張りだこ そんな中でヨナには勝てって・・・。だったら勝てるような環境を浅田選手に用意してあげなきゃ。日本全国の期待を受けてしまって4回転で苦しんでた安藤選手を思いだしてしまった。高橋選手も羽生選手もピークは日本選手権あたりだったそうだ。しかもこれでは勝てないと思ってなのか、高橋選手は異例のシーズン中のショートプログラム曲の変更飛ぶ鳥を落とす勢いだった羽生選手も、インフルエンザにかかっての復帰でペースを上げすぎひざを痛め、古傷の右足首の痛みがぶり返し6分間練習で転倒し右手首を痛めるって・・・満身創痍な中での出場はひとえにソチ五輪で日本人枠3人を死守する為なぜ公務員ランナーはオリンピックに出られなかったのか? それだけの結果が選考レースで出せなかったからと言われたら最後だけど1回だけの選考レースで選手を決めれないという大人の事情。伝統あるレスリングは何故、オリンピック競技からハズされたの?ってな感じで色々あるようでてな訳で、いよいよ第85回記念選抜高等学校野球大会、通称、春のセンバツが明日よりスタートします。WBCで活躍をした選手でいうと、井端選手は芸能人通学でも有名な堀越高等学校で2年時に選抜で、3年時に夏の甲子園に出場したそう。中学までピッチャーだったらしいですよ~鳥谷選手は、聖望学園高校から3年時に遊撃手兼投手として、夏の甲子園に出場し、初戦にリリーフで登板し143キロの速球を投げたとか マー君はハンカチ王子との対決で全国で有名になったけど、プロ入りを念頭にPL学園に進学したマエケンも1年時の夏の甲子園、3年時にはセンバツ出場を果たしているが、夏の甲子園に出場するには大阪府大会を勝ち抜かなければならず、1年時の夏は大阪桐蔭との大会史上初の決勝再試合で先発し、完投勝利を挙げての出場しかし2年夏の地区予選でも大阪桐蔭と対戦。平田良介、辻内崇伸、中田翔と対戦。打席に立った時に辻内の速球を右肘に受けて直後の投球を、平田に逆転2ランされてしまい、最終回には辻内から本塁打を放つが及ばず敗戦って、すごい試合だったんだなぁ~ しみじみ・・・で、名を残す選手って身体能力が高くてセンスがあるのか、かつては4番でエース? で、嫁は元女子アナ多し(爆) さぁ、日本ハムの大谷君ど~すると言う訳で、ながながと写真とは全く関係のないスポーツネタを書いてみました。写真の方は3月上旬に出かけた愛知県瀬戸市の「窯垣の小径」(かまがきのこみち)瀬戸市が設定する「陶の路」の一つで、製陶所が幾つもあった洞町にある路地だ顔料として使われた鬼板粘土の壁や、窯道具「ツク」「エブタ」「エンゴロ」などを埋め込めて作られた塀が続く、素敵な散歩道でした。あの当時はまだ寒かったなぁ~~そして日も過ぎて先週末は連日、名古屋へお出かけしました。ドラゴンズのオープン戦? いえいえ違います~。前にも紹介した↓中津川の路上ライブ 「3月の陽気に誘われて。せともののお雛様と凱旋ライブ」 そこで紹介をした「the Canadian Club」が優勝したというNHK名古屋の音楽番組「Uta-Tube」のHPをのぞきに行ったら、あら何やら公開録画の観覧者募集の告知があるではないですか~。しかも私の好きな「島唄」の「THE BOOM」って生で聴きたい!と早速応募をしまして当たりました~♪で姉を誘いまして、二人で名古屋へGO!今までの出演者(SKE48などもあるが)を見ても、観覧者は少し高めな年齢層かな?と思ったら、アラフォーな奥さん多し。年金生活者の方もいたりで疎外感なし(爆) 当選番号順に入場し前から5番目位だったかな。背の高い若い子とかも勿論いるので足もとからは見えなかったけど、人の隙間から結構近い位置でのステージ観覧はライブ感いっぱいで、島唄いい! 沖縄に行った時も頭の中には常に島唄が流れてたもん。もしくは、ざわわざわわ~~か 右側のビルがNHK名古屋の入居してるビルです。その日は「THE BOOM」の他にも3月までNHKの「東京カワイイTV]に出演をされていて、昨年は男性歌手の歌を英語でカバーして話題になった「BENI」ちゃんも、ライブをして下さって、いやぁ~素敵なステージでした。ご自身の曲は勿論のことカバー曲では私の好きな歌が~! オンエア前なのでそれ以上は語れません放映は4月だそうですが、まさかクレイジーケンバンドの時みたいに映っていませんように・・・ 「Uta-Tube」公式HP更に近くの名古屋三越デパートで「大北海道展」をしていたので、お昼には札幌の有名ラーメン店(もはや全国区)の「すみれ」プロデュースによる「おにやんま」の鶏白湯(パイタン)スープの味噌ラーメンを食べてきた 北海道は家族と2回程行った事があるけど、そうそう行ける所でもないので北海道に限らずこのような物産展でイートインがある場合は、高額でなければ利用するようにしているのだ 平成25年3月に愛知県内で撮影
2013年03月21日
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昨年の半ば、舅姑がお見舞いに連れて行ってくれと いうので、旦那の車で愛知県に出かけることになり 病院のお見舞いも午後になるだろうし、ついでにと その近くの神社にでも出かけることにした 愛知県稲沢市の「尾張大国霊神社(おわりおおくにたま じんじゃ)」で、通称を「国府宮(こうのみや)」という そうそう、その前に前回の契約社員の話は息子ではなく 息子の友達の話である。書き方が悪くてご心配かけました そのご祭神は、尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)と いって、尾張人の祖先がこの地に移住をし開拓をし、その日 その日を生きていく糧を生み出す根源である、国土の偉大な 霊力を、神として敬うという「國霊神(くにたまのかみ)」 である 奈良時代には「国衙(こくが)」に隣接をして、御鎮座をして いたことから尾張国の総社と定められて、国司自らが祭祀を 執り行う神社であったので、通称を「国府宮(こうのみや)」と 呼び、尾張の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く 信仰をされてきた そんな歴史豊かな国府宮が今も有名なのは、旧の正月13日に 開催をされる「儺追神事(なおいしんじ)」によるところが大きい この参道を近隣の地域から、褌一丁の裸男達の集団が続々と 「なおい笹」を捧げ、喚声を上げて威勢良く拝殿へ駆け込んで いくのだ 手桶隊が登場し、ぎっしり集まる裸男らにめがけ水をかけ 事前に選ばれて御神事に参加をしてきた、神男(儺追人)が 全身無垢の姿で裸男らの中に飛び出し、裸男らは神男に 触れる事で自分達の厄災を祓うことが出来ると信じ、一斉に 神男に殺到するという勇壮果敢なお祭りであるそうだ ちなみに今年は2月15日の開催となるらしいので、興味の ある方はどうぞ 儺追神事の様子(公式HPより) そんな訳でやってきたのは、愛知県西春日井郡豊山町の 「名古屋飛行場」で、再建中のJAL国内線の路線も減り 民間機は少し寂しいが、反対側に航空自衛隊小牧基地が あって、滑走路を共有をしているそうだ 愛知県は「県営名古屋空港」という愛称をつけ、所在地 から、「小牧(こまき)空港」とも呼ばれる 飛行機の時刻表は、常滑沖の中部国際空港セントレアの 発着便と混同を避ける為に、「名古屋(中部)」と「名古屋 (小牧)」と区別している事も 海外旅行で利用空港の記入で、名古屋と書くのか中部と書くか 迷う事がよくあるし。そんな海外便も以前は、この小牧空港で あったので、利用をする事が無くなった国際線のターミナルは 今は巨大ショッピングモールになっている 「エアポートウォーク名古屋」には、先ほどの国府宮も鎮座を する稲沢市に本社のあるスーパーのアピタと、135の専門店 それにシネマなどもあり一日のんびり遊べそうだ 早速、果汁のジュースを飲んでみた 国際線の空港の雰囲気も残しており、その日は何やらハワイな 気分で・・・・。小さな舞台は週末はいろんなイベントをして いるみたいで、前に来た時にはウルトラマンショーをしてた そんな空港もある豊山町の一番有名な出身者と言えば、野球の イチローであり、彼が少年時代にチチローと通っていたのが 空港バッティングセンターで、ご近所の北名古屋市出身である 日本ハムの稲葉篤紀も同時期に常連だったとか ちなみにイチローの実家は先ほどの「エアポートウォーク 名古屋」の近くらしいけど行った事は無い。この地域には 旦那の弟(私より年上だが)家族が住んでいるので、以前 から馴染の地域で、映画を見に行くのも車が利用できる このあたり すぐ脇を走る「国道41号」は、名古屋市から富山市へ至る 一般国道で、「ヨンイチ」とか「シッピン」と呼ばれている そうだ。我が家も下呂から高山方面に遊びに行くときによく 利用をしている この周辺は以前はかなり混む道でだったが、名古屋高速11号 小牧線が頭上に出来て、かなり緩和をするようになった。よく 白バイさんがおりますよ。ご注意 そんな訳で、その日のお昼ごはんは・・・(前後するけど) こんなものを私はいただきました~ 姑はこんなんです。全部平らげてました ここからは別日の残り写真で。ナゴヤドームの脇の 大型ショッピングモールのクリスマスツリーはやっぱ ドラゴンズカラー? そこにも美味しいお食事どころがいっぱいあるので、何処で 食べるかいつも悩みます。その日は、こんなん食べました 年末に名古屋で見つけた自販機の「でら!珈琲」。どんな味 だったのかな。珈琲豆も値上げでインスタントなども商品の 価格値上げが予定をされているとか・・・ 平成22年12月18日等に愛知県で撮影
2011年02月10日
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今年の紅葉は綺麗だったと、あちらこちらに 書かれている。11月中旬に全国的に有名だと いう愛知県の三河にある「香嵐渓」が一週間程 早かったと紹介をしたが・・・ 標高が香嵐渓よりも幾分高いので、紅葉の見頃が 香嵐渓よりも一週間程早く見頃になるというのが 近くの稲武(いなぶ)に位置する「大井平公園」の 紅葉で、まさに見頃であった 大井平公園内には、天保時代に植樹をされた巨樹の 森もありるそうで、植林をした古橋暉皃は農業や 林業などの産業や、教育で稲武の発展に貢献をした 人物であるそうだ。今回は時間がないのでパス 名倉川沿いには約五百本のカエデやイロハモミジ イチョウが植えられており、赤や黄、緑に茶色と 色とりどりで、まるでパステルで色を塗ったよう また紅葉の時期に行われる「もみじおまつり」が 行われており、地元の人により五平餅やだんごや アマゴの塩焼きなど「秋の田舎の味覚バザー」が 行われていた 旦那は、大っきな「わらじ五平餅」をぱくり 私の方は長芋でなく、「自然薯(じねんじょ、山芋)」の 芋汁かけご飯だ ここの紅葉やお祭りは、事前に知っていた訳ではなく 香嵐渓に向かう道の途中に、もみじまつり会場こちら といった矢印があったので立ち寄ってみたのだ いや~、香嵐渓が人だらけだし、少し早い事もあって イマイチだっただけに、有難いもみじまつりだった 岐阜県恵那市に戻る途中の川手トンネルは、以前にも 紹介をしたが、速度があえば「どんぐりころころ・・・」の 音楽が聴こえる 女城主の里としても有名な、恵那市の岩村町では産業祭を していたが、午後なので店じまいを始めたところもあり 行きに先に寄っておけばよかった やっぱこうゆうグルメ系の祭は午前中に行くのが勝敗の カギだ。地震の体験カーも、震度が小さいのか余裕の表情 でもでも、こんな元気いっぱいのチアの演技は見れたけど この岩村町のひっそりとした小さな神社も華やかに なにも有名なところまでいかなくても、身近な所に 秋も来れば、紅葉も美しいのかも・・・ さて、ここからは前回の盛り沢山のナゴヤドームの 日記で紹介をする事が出来なかった、ドームの屋根の お話をひとつ・・・ 天井の屋根の採光用のシャッターが開閉するんですよ 「スカイロール」と言うそうで、晴天時であれば昼間の イベントや草野球程度ならば照明なしでも開催する事が 可能だそうで それが閉められていくと、まるで巨大な万華鏡のよう 真っ暗なドームもまた美しい・・・・ 平成22年11月中に愛知県&岐阜県で撮影
2010年12月08日
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10日程前の話になるけど、東海地方有数の 紅葉のメッカ、香嵐渓(こうらんけい)に 旦那と二人で出かけてきた 本当は高山とか、下呂温泉もいいかなぁ~とか 考えていたけど、前の日のローカルな情報番組で ここを特集をしていて、そういやぁ~、行った事が なかったし!と思いついたのだ 見頃はその次の週末だといっていたので、紅葉には 少し早いと知っていたが、ピークの紅葉の名所など 渋滞、駐車場は満杯だろうし、あえて早めでもいいか そんな訳でスムーズに香嵐渓入り。途中の山間部の 紅葉もまた美しく、これを見ただけでも来たかいも あるというものだ ところで、楽天ブログの写真登録の容量が少ないので 数多くの方が、写真登録サイトのフォト蔵をしており その大がかりなメンテナンスの影響で、一部の写真が こちらに表示が出来ない為に、困っていたりも 新しく写真を登録をしたものは、問題もなく表示できる ので、こうやって日記更新もする事も出来たが、まだ 古いものは「あれ、写真が見えないし」ってものも 今後もフォト蔵メンテナンスの最中には、写真が一時的に 見えなくなるので、その点は御承知下さった上で、次の 日にでも、またのぞいていただけたらと思う という訳で、香嵐渓(こうらんけい)の話に戻るとするが ここでも以前に紹介をした足助城や、ひな祭りでも有名な 三州街道(塩の道)の宿場として栄えた、足助(あすけ)宿に あり、今では愛知県豊田市にあたる 足助にある香積寺の三栄和尚が、寛永11(1634)年に 巴川から香積寺に至る参道に、楓や杉を植えたのが 最初だそうで、その後も地元民らが数多く楓が植え 足されて散策路が整備をされたそうだ 昭和の初めに、当時の住職と町長が「飯盛山からの薫風は 香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの 山気を運んでくる。山気とはすなわち嵐気也」から香嵐渓と 名づけたとか 奥三河の山里も、何気に見どころがあって、かわいいお店 などもあったりして・・・・ 消えゆく昔の日本の田舎暮らしや、技術の伝承を行うを 目的としている三州足助屋敷は有料だったので、外から 眺めるだけにして・・・・農林水産省の第5回「むらの伝統 文化顕彰」農林水産大臣賞を受賞をしている かわりに、渓流を望みながらの珈琲を一杯飲んで一服だが さすがに愛知県だけあり、朝はモーニングも用意されている こちらは名古屋名物のういろ(ういろう)。全て当てるまで 帰れま10で、我が家では「きしめんだろう!」と言っていた のに、我が家からよりも名古屋に行くのに2倍も時間のかかる 渥美半島出身である、はんにゃの金田が答えて間違えた 名古屋名物の和菓子のういろも、なんだか田舎バージョンに なっているし 金田とかは、きっと遊びには名古屋じゃなくって、三河の中心 豊橋あたりにいくだろうとか話していたのだが 昔懐かしい焼き鳥もあったし、娘がいたらきっと買い食い必至 紅葉の下には様々なお店があって、ウサギのかわいい小物に 来年は卯年かと、年賀状もそろそろ作らねばと思いもして お土産には名物の紅葉の天ぷら。甘~い味に仕上がっていた 平成22年11月14日に愛知県豊田市足助町で撮影
2010年11月24日
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家族4人で伊良湖岬に出かける途中で、先にまず 立ち寄ったのは、御正月に三河の人たちが初詣に 出かけ、日本三大稲荷の一つでもある「豊川稲荷 (とよかわいなり)」で、私は二度目の参拝となった 豊川稲荷と言うのは通称で、本来は曹洞宗のお寺で 「円福山豊川閣妙厳寺」(えんぷくざんとよかわかく みょうごんじ)といい、北海道、東京都、神奈川県 大阪府、福岡県に別院を持つ大寺院である 主に神社などで見かける「鳥居(とりい)」は、神域と 人間が住んでいる俗世界を分けへだてる結界として また神域への入口としての一種の門の存在である その起源は、天岩戸に隠れた天照大神(アマテラス)を おびき出す為に鳴かせたという「常世の長鳴鳥(とこよの ながなきどり、鶏」にちなんで、神前に鶏の止まり木を 置いたことが起源である 更にインド仏教のトラナや、中国の華表や鳥竿、牌楼に 朝鮮半島の紅箭門、イスラエルの移動型神殿、雲南省と ビルマとの国境地帯に住むアカ族の村の門(ロコーン)等 海外に起源があるとも言われている 明治政府は「神道」によって、国をまとめようとした為 廃仏毀釈、神仏分離によって、寺院と神社はまったく 別とされたけど、「神仏習合」によって神と仏は同居 同座をしていた名残りであろうか この神仏習合は、霊亀元(715)年に越前の気比 大神の託宣によって神宮寺が建立され、奈良時代から 国家的な動きとして広まり、鹿島神宮、賀茂神社 伊勢神宮なども神宮寺が併設をされた 更には、宇佐八幡神は神体が菩薩形をとる神(僧形 八幡神)となり、桑名の多度大神は神の身を捨て 仏道の修行をしたいと託宣をしたそうである その逆に和銅3(710)年に、奈良の興福寺が春日大社を 鎮守とし、お隣の東大寺は大仏の建立に協力をしてくれた 宇佐八幡神を勧請して鎮守(手向山八幡宮)とし、延暦寺は 日吉大社、東寺は伏見稲荷というようにと、その寺院に 関係の深い神を、寺院の守護神や鎮守とするようになった 大阪の四天王寺、吉野の金剛峯寺、荼枳尼(だきに)天を 祀る京都の真如堂(真正極楽寺)の門前にも、同様に 大きな鳥居がある 稲荷神とは稲や養蚕、食べ物の神であったが、中世より 商工業が盛んになると、生産や商業の神となり、さらに 仏教でも荼枳尼(だきに)天と習合して祀られ、稲荷神の 使いをキツネとする民間信仰が生じ、日本全国に広まった 豊川稲荷のご本尊は千手観音で、「稲荷」とは鎮守として 祀られる荼枳尼(だきに)天の事で、鎌倉期の禅僧であった 寒巌義尹(かんがんぎいん・豊川稲荷の法祖)が入宋して 後に日本への帰国の途上で、荼枳尼天の加護を受けた 為に、護法神として尊崇するようになったそうだ 荼枳尼(だきに)天は、梵語のダーキニーを音訳したもので インドのヒンドゥー教や仏教の女神で、大黒天(シバ神)の 眷属であり、死者の心臓を食らう夜叉として恐れられて いたが、大日如来の霊力に心服をして善神となったそうだ ダーキニーはジャッカルにまたがっていたのが、中国や 日本に伝わる際にジャッカルはいないので、その代わりに 狐(夜干)に乗る荼枳尼天の姿となった 荼枳尼(だきに)天は、この豊川稲荷のように開運出世の 福徳神として信仰をされ、しかも荼枳尼天は人を選ばないと いわれているので、誰もが願望を成就させると信じられて 博徒や遊女、被差別階級の人らからも信仰を集めたそうだ 無論、その霊力にすがるのは庶民ばかりではない。開基の 今川義元や、織田信長、豊臣秀吉、九鬼嘉隆、徳川家康など 戦国武将からの帰依を受け、江戸時代になると大岡忠相や 渡辺崋山。更には皇族の有栖川家等も帰依し「豊川閣」の 篇額を寄進した為に、豊川閣とも呼ばれるようになった マリナーズのイチローが、初詣に訪れる事でも有名だとか ちなみに豊川稲荷では「豊川だ枳尼真天(「だ」は口偏に 「託」の旁)(とよかわだきにしんてん)といい、稲穂を荷い 白い狐に跨っているお姿だとか 元々はヒンドゥー教の破壊神としてのシバ神(大自在天)が 仏教に入ったもので、中国では床几(しょうぎ)に腰を掛け 金袋を持つ姿となり寺の厨房に祀られたのを、最澄によって 天台宗の寺院に祀られたのが、大国主命(おおくにぬし)と 類似していたのが要因か、福の神となり商売繁盛を願う 商家や農家の田の神として信仰を集めるのが「大黒天」だ この「景雲門」の彫刻があまりにも素晴らしいと思ったら 諏訪大社の彫刻でも有名な、信州諏訪の立川流によるもの であった。初代の富棟は、江戸で幕府御用達建築彫刻師の 立川小兵衛富房の元で修業し、諏訪大社、浅間神社など 多くの社寺の彫刻を手掛けた名門だ ちょうど、神奈川県厚木で開催をされていたB-1 グランプリに出場をして、目当ての「稲荷寿司」の お店は臨時休業。40チームを超える全国のB級 グルメの中で6位と健闘をしたそうだ 富山の材木会社の社長さんが寄進された黄金灯篭は 高さ1.8メートルの白御影石台座の上に、高さが 約3メートルの青銅製の灯篭に、金ぱくを施したもの そして最後に紹介をしたいのが、寺の裏にある慰霊塔だ 東洋一の武器工場と言われ、日本海軍の機銃、弾丸の 製造を行っていた「豊川海軍工廠(とよかわかいぐん こうしょう)」に昭和20年8月7日。米軍のB29爆撃機 124機とP51戦闘機45機という大編隊の空襲があった 数千の爆弾、焼夷弾 無数の記銃弾が投下をされて 12~13歳の国民学校児童や、女子挺身隊員を含む 2700人近い尊い命が奪われ、爆撃は近隣の病院や 一般住宅にも及び犠牲者も出たそうだ ところが翌日の新聞には「豊川付近に爆撃、若干の 被害が有った模様」とのみ書かれていたという 平成22年9月19日に豊川稲荷で撮影
2010年09月29日
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「二度振り返り見てその姿はこの胸を焦がす」と倭姫命が その美しさに、二度も振り返られたので「二見(ふたみ)」と 呼ばれるようになった 昔は「神宮」に参拝をする前には、清き渚と称される 二見浦で、「禊(みそぎ、沐浴)」を行うのが慣わしで あったのが、それに代わるものとして二見興玉(ふたみ おきたま)神社で無垢塩祓いを受けるようなり、これに使う 御幣(ごへい)は、二見の海で採れる海草で出来ている 二見興玉神社の祭神は天孫降臨の際に道案内をされた 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)と、食物を司る 宇迦御魂大神(うかのみたまのかみ、外宮の豊受大神の 別名)であり、開運招福、交通安全、海上守護として 信仰を集めている 更に蛙は猿田彦大神の御使いと信じられ、無事かえる 貸した物がかえる、若がえる等の御利益もあるらしい 有名なのが波間に浮かぶ夫婦岩に、一切の不浄を祓う 注連縄を張巡らし、古くより日の出遥拝所として知られ 晴れた日は遠く、富士山を望む事も出来るそうだ 大きい男岩は高さ9m、周囲39.6。女岩は高さ4m 周囲9mで、両岩を結ぶ大注連縄は長さ35mだそうだ 二つの岩に注連縄が結ばれるようになったのは、室町時代 より以前の事らしく、その沖合数百メール先の海中には 「興玉神石(おきたましんせき、沖の石)」があるそうで 夫婦岩は、その門石(鳥居)と見なされている 「興玉神石」は東の彼方にあるという、常世(とこよ)の 国からやってくる神が、最初に寄り付く聖なる岩とされ 夫婦岩の間に張られた大注連縄は、神の世と俗界とを 隔離する結界の縄だそうだ 夫婦岩は日本各地にあり、2つの岩が夫婦が寄り添うように 見えることから名付けられ、古神道の「磐座(いわくら)」と して、自然に存在をする巨石、岩や山を神体とし、神が 宿る場所とされたとか イザナミとイザナギや、猿田彦大神と天宇受売命のような 神々の夫婦の物語や、夫婦が一体となった双体道祖神などと 「夫婦信仰(夫婦和合)」が、子孫繁栄や祖霊信仰の根幹と 考えられていたのも また「表裏一体」という概念の具現化として、現世(うつしよ)と 常世(とこよ)からなるという考えや、箸や履物が両方揃って 一膳や一足という日本独特な考え方からだとかの夫婦岩 全国の夫婦岩、夫婦石がある観光地により全国夫婦岩サミット 連絡協議会が結成され、「全国夫婦岩サミット」を開催している 明治20(1887)年に建築の日本の伝統建築の粋を今に 残す「賓日館(ひんじつかん)」は皇族や各界要人の宿泊・ 休憩所であった。国の登録有形文化財に登録をされ 今は一般に有料公開されている 都合上、二見の日記を先にしたが、旅はこちらの方が先で 内宮の近くにある猿田彦神社のご祭神は、先ほども出てきた 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)とその子孫の大田命が 祭神である 天照大御神の命令でで邇邇芸尊(ににぎのみこと)が葦原中国を 統治する為に高天原から地上に降りようとされていると、天の 八衢(やちまた)に立って、高天原から葦原中国までを照らす 神がおられたそうだ。天岩戸の前で踊ったあの天宇受売命 (あめのうずめのみこと)が誰であるか尋ねると、国津神 (地に現れた神々)の猿田彦大神と答えられ、邇邇芸尊らの 先導をしようと迎えに来たというのだ 邇邇芸尊が無事に葦原中国に着くと、猿田彦大神は故郷である 伊勢国の五十鈴川の川上へ帰り、天宇受売命もそれに従って 夫婦となった。双体道祖神は猿田彦大神と天宇受売命であるとか 「鼻長七咫、背長七尺」という猿田彦大神は、天狗の原形と されたり、「天地を照らす神」という事から、天照大御神 以前に伊勢で信仰されていた、太陽神であったとする説も 猿田彦大神が邇邇芸尊の先導をした為、交通安全や方位除け そして人生で何かを決めなければならない時に、「万事最も 善い方へおみちびき」になる神様で、この方位の文字盤の 決められた方位の文字に、手のひらを当てて祈願をすると 願い事が叶うとか お昼ご飯は、旦那と娘は伊勢うどんとてこね寿司のセット 私は三重県といえば「松坂牛」の牛丼だ~! 娘いわく、機動戦士ガンダムみたいな色合いの天守閣は 萩本欽一を村長に迎えたテーマパーク「伊勢・安土桃山 文化村」で、ほぼ忠実に再現した安土城だそうである 帰りのおやつは伊勢自動車道のサービスエリアで地元の 大内山牧場の牛乳を使ったソフトクリーム お土産には私の好物の、真珠漬本舗の真珠貝(アコヤ貝)の 貝柱を絹ごしの酒粕でじっくりと寝かし、琥珀色の貝柱に みりんの味がしみて味わい深い、高級珍味の「真珠漬け」は お酒のつまみにぴったりだ 江戸時代の宝永4(1707)年に、皇大神宮前の五十鈴川の 畔で販売をされたのが餅を漉し餡でくるんだ赤福餅の始まりで 漉し餡の三つの筋は、五十鈴川の川の流れを表しているとか よく似た「御福餅」は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の 通称が「御福さん(お多福、おかめ)」である事に因み、二見浦の 波の形を表現をしており、こちらも江戸時代より創業270年以上 という二見浦の老舗餅屋だ 伊勢湾岸自動車道を利用をするときには、必ず利用をするのが 「刈谷(かりや)ハイウェイオアシス」 こんなコーナーもあった えびせんの試食をしていたら、娘の同級生の父母が! このサービスエリアは「デラックストイレ」が利用でき トイレの中で寛いでる奥様たちもいて、長居が出来そう 中央自動車道の屏風山パーキングエリア(上り線)に、牛丼の 「吉野家」と、高速道路初出店「はなまるうどん」の2店舗が 出来たので寄ってみた 「吉野家」では牛丼や豚丼にプラスして、十割そばや天丼も 提供されるそうなので蕎麦も頼んでみた。それにしても牛丼 チェーンも生き残りをかけて新メニューご苦労さん 平成22年5月15日に伊勢、愛知で撮影
2010年07月03日
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5月半ばに旦那の運転で、娘と私のいつものメンバーで 日帰り行楽で出かけた先は、伊勢湾岸自動車道を西へと 渋滞も抜けた事だし、サービスエリアにも立ち寄って 「ご当地B級グルメ」をゲット。津市の学校給食から 生まれたという、大きな揚げ餃子の「津ぎょうざ」は 具は決まってないので、味はお店によって色々らしい いよいよ、お伊勢さんに到着。伊勢神宮は通称であって 正式には「神宮(じんぐう)」といい、二つの御正宮が 存在をしており、正式な参拝は豊受大御神(とようけの おおみかみ)を祀る「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」 通称「外宮(げくう)」が先なので参拝に向かった 天照大御神が雄略天皇の夢に現れ、自分一人では食事が 安らかに出来ないので、丹波の豊受大御神を呼び寄せる ように神託をされたので、内宮に近い山田の地に迎えて 祀ったそうだ 豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれており 御饌(神々にたてまつる食物)を司られており、衣食住 広く産業の守護神として崇められている ちなみに「丹後国風土記」には、丹波の比沼真奈井(ひぬまの まない)で天女八人が水浴をしていた時に、老夫婦に羽衣を 隠された一人の天女が天に帰れず、老夫婦の家に住んでいたが 10年後には家を追い出され、あちらこちらを漂泊した末に 未奈具に辿り着き鎮まったのが豊受大御神であるという説も 俗に「三つ石」と呼ばれる、川原祓所(かわらのはらいしょ)は 地震などで埋まってしまっているが、宮川の支流がここを流れて たそうで、その名残で川原とある昔の祓所で、今も20年毎に 行われる式年遷宮の「川原大祓」は、この場所で行われるが 最近はパワースポットとして注目をされているとか 御池にかかる亀の形に似た大きな一枚岩の石橋は、外宮神域の 奥にあり、江戸時代に「天の岩戸」と信じられていた高倉山 古墳(今は立入り禁止)の入口にあった岩だとか さて、いよいよ車で天照大御神(あまてらすおおみかみ)の 祀られた「皇大神宮(こうたいじんぐう)」、通称「内宮 (ないくう)」に向かう 平田篤胤の思想に基づく平田派の神道家や津和野派国学者らは 万世一系の天皇が日本を統治し、国家の中心に存在するという 王政復古による祭政一致の国家実現を提唱し、明治政府も 開国によるキリスト教流入を防ぎ、神道を国家統合の基幹に しようと「国家神道」が推し進められた 大日本帝国憲法では信教は自由とされ、道徳の範疇にある 敬神を国民の義務とする神道は、宗教では無いという解釈で 神道・神社を他宗派の上位に置き、政府による「神社崇拝」が 進められ、官国幣社は内務省の神社局が所管し、新たな 官国幣社の造営には公金も投入をされた 現御神(あきつみかみ)である「天皇」は、天照大御神から 万世一系の血統をつぐ神の子孫であるので、それが祀られた 「神宮」は、最尊貴の神社として特別な存在だった 太平洋戦争の敗戦によって連合国最高司令部から、神社は 国家から分離するよう通達され、国家神道の時代は終わり 神祇院は解散。皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会が 合同し「神社本庁」を設立し、政教分離による宗教法人と して神社神道が再出発をした 日本全国約八万社の神社を包括する宗教法人「神社本庁」に 属さず、単立宗教法人として運営をされている神社もあり 例えば靖国神社や、日光東照宮、伏見稲荷大社 などだ そして「神社本庁」において、古来より至高至貴神社であり 全国の神社の総親神として「本宗(ほんそう)」と仰がれて いるのが「神宮」である 天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、太陽が神格化した神で 天照大御神―アメノオシホミミ―ニニギ―ホオリ(山幸彦)― ウガヤフキアエズ―神武天皇と連なり、皇室の祖神(皇祖神)の 一柱とされる イザナギがイザナミの居る黄泉の国から生還をして、黄泉の 穢れを洗い流した時に、左目を洗ったときに生まれたとされ 右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に 三貴子と呼ばれ、イザナギから天照大御神は天津神の住まう 「高天原」を治めるよう命じられた 天照大御神は宮中に祀られていたが、垂仁代に皇女倭姫命が 天照大御神を祀る為の土地を探しに各地を巡ると、伊勢国に 着いた時に「この国に留まりたい」との天照大御神の神託が あり、倭姫命は五十鈴川の畔に祠を建て祀り、磯宮と称し たのが「皇大神宮」の始まりだ 「神宮」には、この二つの御正宮の他にも、14の別宮 43の摂社、24の末社、42の所管社が、伊勢市だけ ではなく、度会郡大紀町、玉城町、志摩市磯部町 度会町、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町などにも有り 神宮125社と呼んでいる 江戸時代に、数百万人規模の伊勢神宮への集団参詣が数十年 周期(おかげ年)に、流行をした「お蔭(おかげ)参り」は 奉公人が主人に無断で、子供が親に無断で参詣をしたので 抜け参りとも呼ばれ、幕藩は規制もしたが効果は無かった 庶民(特に農民)の移動は厳しい制限があったのだが、伊勢の 参詣は許され、特に商家の間で天照大御神は商売繁盛の守り神 でもあったので、親や主人に無断に旅に出ても、伊勢神宮参詣の 証拠の品(お守りやお札)を、持ち帰れば良かったそうだ 伊勢神宮参詣の名目の通行手形を発行して貰い、参詣を済ませ 京や大坂などの見物を楽しむ者も多く、伊勢神宮参詣は庶民に とって一生に一度の夢である。伊勢までの旅費は相当な金額で 「お伊勢講」のメンバーは定期的に集まり、お金を出し合って 「くじ引き」で当たった代表者の旅費とした 当たった者は次回からはくじを引けないので、講のメンバーは 全員が当たるよう配慮がされ、軽くて小さな壊れない土産にと 御祓い(御札)や新品種の農作物の種、松阪や京都の織物などを 持ち帰り、そこで見聞きした芸能などの最新の文化が伊勢から 全国に発せられた 元和3(1617)年、慶安3年(1650)年、宝永2(1705)年 明和8(1771)年、文政13 / 天保元(1830)年に起こった 日本一小さな造り酒屋の伊勢萬 「おかげさまにごり梅酒」を一杯(有料) それとは別に、慶応3(1867)年は「ええじゃないか」と 呼ばれ、天から御祓い(御札)が降ってきたのを慶事の 前触れだと、民衆が仮装をして「ええじゃないか」等 囃子言葉を連呼しながら踊り、町々を巡ったそうだ そんなお蔭参りで、伊勢が最も賑わった江戸後期から明治 初期の伊勢路の建築物が移築、再現をされ、老舗の味や 名産品、風習、人情までをも感じられる「おかげ横丁」だ 創業明治42年。牛肉にこだわり豚を捨てたので名づけ られた「豚捨」でミンチカツと、牛肉コロッケをぱくり 豆腐庵山中のおとうふソフトもぱくり。でもでもお昼は これからなんだよね。伊勢の旅はまだまだ続く! 平成22年5月15日に伊勢で撮影
2010年07月02日
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今は愛知県豊田市に編入をされた「足助(あすけ)町」は 三州街道(中馬街道、塩の道)での奥三河の中継地として 往年は富栄えた宿場町であった そんな面影を今に残す古い町並みには、マンリン小路という 美しい小路もあって、以前にもこのブログでお雛様ともども 紹介をした事もあった(↓トラックバックでどうぞ) 「足助で、懐かしき昭和の時代にタイムスリップ」 今年の春に出かけたのは、発掘調査に基づいて整備をされた 全国でも初めての試みである、戦国期の「足助城(真弓山城)」 である(平成9年以降、4年連続で法面が崩壊し、平成12年の 東海豪雨では大規模な被害を受け、近代的な補修もされた) 平成元(1989)年、愛知県の愛知のふるさとづくり事業と 国のふるさと創生基金を利用をする事で、足助町に城の 復元を行なうことが計画をされた 当初は香嵐渓の象徴でもあり、平安時代末期に足助氏初代の 足助重長による飯盛山城を復元をしようとしたが、飯盛山は 県の史跡指定がされ、城の年代が古いので櫓など小規模な 城になるので断念 その代わりに標高301のメートルの真弓山にあったという 戦国期にこの地を治めた、足助鈴木家の本城であるという 「真弓山城」を復元する事となり、1990年から1992年に かけて綿密な発掘調査と復元が行なわれた この城は古くから、足助城、松山城、足助松山の城などとも 呼ばれ、足助氏の築いた足助七屋敷の1つと言われていたが 発掘調査では、足助氏統治時代の遺構が出てこなかったそうだ この城に所縁は無いようだが、この地をかつて治めた足助氏は 平安時代末期に浦野重遠の孫の重長が、この地に住みついて 足助氏を称して飯森城を本拠としたそうである 河内源氏の嫡流に臣従をした足助重長は、源為義の八男である 源為朝(鎮西八郎)の娘を娶り、その娘は鎌倉幕府二代将軍 源頼家の室となって、公暁の母になるなど有力な御家人だった その活躍は目覚ましく、初代の足助重長は治承・寿永の乱の 「墨俣川の戦い」で兄らと共に参戦をしたが、戦後には捕虜と なり平家方に処刑をされたそうだし、その後には後鳥羽上皇が 倒幕の兵を挙げた「承久の乱」では、京方として戦って二代目 足助重秀の子の重成が討死にした 後醍醐天皇による「元弘の乱」は、事前に討幕計画が幕府に 知れてしまい、笠置山に逃れる事になった天皇の呼びかけに 集った二千五百人の総大将を務めたのが、七代目惣領の足助 重範であった 弓の名手であった重範は、荒尾九郎、弥五郎兄弟を遠矢で討ち 取るなどして奮戦をしたが、落城後に幕府方に捕えられて京都 六条河原で処刑をされた。その後の足助氏は南朝の宗良親王を 支援をしていたが、足助を離れて全国に散り散りとなり、一部は 室町幕府に降り、奉公衆に取り立てられ重んじられたとも伝わる そんな足助氏は本城の飯盛山城の他に、真弓山城(豊田市足助町) 大観音城(豊田市足助町)、城山城(豊田市足助町)、成瀬城 (豊田市足助町)、黍生城(豊田市井ノ口町)、臼木ヶ峯城 (豊田市岩神町)などの城砦を配置し、足助七屋敷と呼ばれる 南朝に与した足助氏の没落後は、足助鈴木氏が勢力を増すと 足助城(真弓山城)を本拠とし、八桑城(豊田市新盛町)、安代城 (豊田市富岡町)、浅谷城(豊田市山谷町)、大沼城(豊田市大沼町) 阿須利城(場所不明)、田代城(豊田市下山田代町)を足助七城と したそうだ 紀伊国藤白を本拠にする、藤白鈴木氏の出自である鈴木重善が 三河国矢並(豊田市矢並町)に土着をしての「三河鈴木氏」は 三河西北部に台頭し、戦国時代になると、寺部(豊田市寺部町) 酒呑(豊田市幸海町)、足助(豊田市足助町)、則定(豊田市 足助町大字則定)などの諸家に分かれていった 足助鈴木氏は、忠親、重政、重直、信重、康重と五代が続いた そうで、三河岡崎城主の松平清康(家康の祖父)に攻められて 松平氏に臣従をしたが、武田信玄の奥三河侵攻により足助城も 落城。武田信玄は下条信氏を城代に置いて城を支配下とした 武田信玄没後に、徳川家康は嫡男の信康に命じて、足助城を 奪還させて、旧城主の鈴木康重を足助城に戻したのだが、徳川 家康の関東移封に従い鈴木康重も関東に移った為、足助城は 廃城となり(鈴木氏は徳川から離れて浪人となったとそうだ) 江戸時代になると、足助は徳川幕府直轄の天領地となった 戦国時代の山城を忠実に復元をした足助城であるが、南の丸 腰曲輪跡から、井戸跡、西の丸腰曲輪跡、その上部の西の丸跡に 敵の侵入を防ぐ柵列と西物見台。南の丸跡には、はねあげ戸や カマド小屋と2棟の厨(くりや)が復元をされている 本丸跡には江戸時代の天守にあたる、掘っ建て柱の二階の高櫓と 長屋が復元され、その眼下に足助の町並みも眺められる。山深い 土地でありながら、この地は三河、尾張、美濃、信濃の国を結ぶ 交通の要所であった こちらは帰りに寄った豊田市武節町針原の国道153号に ある「道の駅どんぐりの里いなぶ」で、米粉が入ったパンや 稲武の特産である「朝紫」という古代米を混ぜて炊いた 山菜おこわなどが人気であるとか そのすぐ脇の小高い城山には、戦国期に田峯城の菅沼定信の 支城として築城された武節(ぶせつ)城があり、武田信玄の 三河侵攻で本城の田峯城と共に落城し、武田の支配下となり 「長篠の戦い」で敗れた武田勝頼は武節城へ落ちのび、梅酢湯を 飲んだという。この城も家康の関東移封に伴い廃城となった 平成22年3月28日に奥三河の足助、武節で撮影
2010年06月30日
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織田氏は系図上は桓武平氏流と自称をしているが、実際は 越前国の織田庄(福井県丹生郡越前町)にある織田剣神社の 神官の出自であるといわれている 敦賀の豪族である藤原有仁の一族の藤原信昌、藤原兵庫助将広 父子が越前織田家の先祖ではないかとも言われ、実際に信長も 自らを「藤原信長」と称した事もあるそうだ 越前国や尾張国の守護を務める斯波氏の配下となり、尾張国へ 移住をして尾張守護代となった織田氏は、斯波氏に代わって 戦国大名として勢力をつけ、尾張上四郡を治めた岩倉織田家と 尾張下四郡を治めた清洲織田家に分裂をし対立を深めた 清洲織田家が岩倉織田家と抗争を繰り広げる中で、それを 補佐するべきはずの同族である、清洲三奉行家(藤左衛門家、 因幡守家、弾正忠家)が台頭し、主家をしのぐ始末であった その中でも、尾張南西部を支配する勝幡城主である弾正忠家 織田信秀は、今川氏豊の居城であった那古野城(名古屋城)を 奪取し、愛知郡(名古屋市)に勢力を拡大し、西三河や、美濃 までにも触手を伸ばす有様で・・・ わずか2歳にして那古野城主となった、織田信秀の嫡子である 吉法師(信長)は奇矯な行動が目立ち、主筋である清洲織田家の 清洲城に数騎で火を放つなど、尾張の大うつけと称されていたが 信秀が没した為に若くして家督を継くことになった ところが清洲織田家の織田信友は、信長の弟である織田信行の 家督相続を支持し、信長謀殺計画を企てたのを、名ばかり守護の 斯波義統が事前に信長に密告をした為、織田信友は怒りに任せ 斯波義統を殺害をしてしまったのだ 息子の斯波義銀が信長を頼ったのをさいわいに、尾張守山城主で 叔父の織田信光と協力をし、織田信友を謀反人として殺害た為に 清洲織田家は滅亡し、信長は那古野城から清洲城へ本拠を移し 岩倉織田家を討ち、斯波義銀を追放し、尾張国を手に入れたのだ そんな信長様の清州城に行ってみようと、まだ春浅き頃に 出かけたのだが・・・・・リニューアルの為に臨時休業だった (今なら、リニューアルをした城も見えるでしょう) 仕方がないから、城外にいる敵を討つ為に鉄砲を放つ 「鉄砲狭間(てっぽうはざま)」から、中をうかがう ちなみに、この城は新幹線で名古屋を過ぎた頃に間近に 見ることが出来るので、よくお知りではないだろうか 尾張国の中心に位置し、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し 中山道にも連絡する交通の要所として、長らく栄えた 清州であったが、関ヶ原の戦いの後に徳川家康の九男の 徳川義直が入城して後・ ちょうど四百年前の慶長14(1609)年に、徳川家康によって 清須から名古屋への遷府が指令をされた為に、清須城下町は 名古屋城下に移転(清州越し)され、清須城も名古屋城築城の 資材として利用をされ、廃城となった 清洲城の資材を使った、名古屋城の御深井丸西北隅櫓は今も 残っており国の重要文化財に指定をされている。また愛知県 尾張旭市にある良福寺山門は、裏門を移築したものだそうで 清洲城の障壁画は、名古屋市にある総見寺に移されているとか 歴史の中に埋もれてしまった清州の城跡もまた、時の流れと 共に開発によって大部分は消失してしまい、東海道本線と 東海道新幹線によって分断をされてしまい、今では本丸の 土塁の一部が残っているのみだ 東海道本線の南側の城跡(清洲公園)には、信長の銅像があり 北側の城跡(清洲古城跡公園)には、清洲城跡顕彰碑があり 城址の脇の五条川の護岸工事で発掘された石垣の一部も 復元をされていた 今の天守は平成元年に旧清洲町の町制百周年を記念し、城跡に 隣接をする清須市清洲地域文化広場内に建設された模擬天守だ 斎藤道三と小見の方(明智光継の娘)の間に生まれ、信長の 正室である「濃姫」とは、美濃国出身の高貴な女性という 意味からだそうで、帰蝶(きちょう)というのが本名だとか 信長を本能寺で討った明智光秀とは、従兄妹同士という説も 最後に、フィギュアスケート選手で織田信長から数える事 17代目の末裔である織田信成が、「清須越四百年事業」の PR役として、清州城の名誉城主となった 中部国際空港(セントレア)が開港された事で、長年の間 名古屋と世界を結んでいた、名古屋(小牧)空港の国際線 ターミナルビルが閉鎖をさてたので、その広大な建物は 100店舗以上が入る大型複合商業施設に生まれ変わった そこかしこに、国際空港の雰囲気も残したアレンジが面白い 一日中ここにいても飽きない感じで、家族でまったりと 週末を過ごすのもいいかも うちの場合は食事に寄ってみたが、何を食べるか悩む 屋上のスカイデッキからは、県営名古屋空港を発着する 民間の飛行機や、滑走路を共有をしている航空自衛隊の 小牧基地の軍用機も見物できる なによりでかいウルトラマン。子どもが小さかったら 喜んだろうなぁ 平成22年2月27日に愛知県で撮影
2010年05月28日
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愛知県西部にあたる尾張(おわり)に生まれたのは 織田信長に豊臣秀吉。愛知県東部の三河(みかわ)の 徳川家康といった三英傑の他に、それに与して大名と なった武将らも、この両国での出身者が多い その中でも江戸幕府の初代征夷大将軍にとなった家康の 祖先が誕生をしたのが、室町時代に興った弱小な豪族の 松平(在原?)氏の本拠であった三河国加茂郡松平郷 (愛知県豊田市松平町)といわれている 室町時代初期(14世紀後半)に、清和源氏の新田氏の 支族である世良田氏(得川氏)の一族の世良田有親の子 世良田(得川)親氏が、鎌倉公方(または斯波氏)に敗れ 足利氏の追捕を避ける為に出家をして、徳阿弥(とくあみ)と 名乗り諸国を流浪していた 三河国加茂郡松平郷に流れ着いた徳阿弥を、領主である 松平(在原?)信重は、その器量を見込んで末娘の婿養子と したので、徳阿弥は還俗し松平三郎親氏と名乗り、松平郷に 郷敷城を築いて「中山七名」と呼ばれる近隣の領主らを 滅ぼし勢力を拡大させ、その後の松平氏の基礎を築いた しかし証拠となる史料などは無く、東国から流れてきた 一武士が、松平信重の家を乗っ取ったのだとか、諸国を 放浪をする職人だったとする説などもあるが、おそらく 将軍家の出自だけに、上記のような箔をつけた次第だ 松平氏の重臣となった酒井氏の系譜では、初代となった 酒井広親は、徳阿弥(親氏)が松平氏の後を継ぐ前に 三河国碧海郡酒井村の領主の婿に入った時の子だそうで 酒井氏も松平氏の同族であるという 徳川家の家紋の「三つ葉葵」は、元々は酒井家のもので 酒井忠次の代に、松平氏の家紋であった「片喰紋」と 交換をしたそうだ 他にも松平親氏が松平郷に入った後、賀茂明神に祈願し 加茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)にちなんで葵を家紋と したとか、第七代の松平清康が吉田城や田原を攻める際 本多正忠が味方したことで、勝利をおさめたと喜んで 本多家の家紋であった「三つ葵」を召し上げたという説も 葵紋はウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化をした もので、フタバアオイの通常の葉は2枚で、三つ葉葵は 架空のものであるそうだ 松平親氏を助けて共に活躍をした、親氏の嫡子(叔父か 弟ともいわれている)の泰親が、松平氏二代目を継いで 近隣十数か村をも領有をするような、氏族に育てあげたと 伝わっている 松平家系譜の史料などで、実在が確認できるのは三代目の 松平信光からで、第二代の松平泰親(叔父か大叔父とも 言われている)、もしくは初代の松平親氏の嫡子(または 末子)といわれており、生母は松平信重の娘であるそうだ 松平信光は、室町幕府の政所執事を務める伊勢貞親に仕えて いたそうで、安祥(愛知県安城市)に進出をして西三河にも 勢力基盤を築き、戦国大名としての松平氏の足固めをした こうして松平氏が平地に進出をする中、元来の所領である 山間部の松平郷は、松平親氏の庶長子である松平信広に 継承されたが、安祥松平家が台頭をするまでは、元来の 所領を受け継いだ事から、その当初は松平嫡宗家と見られて いたらしい 松平信重までの松平郷の領主が名乗る、太郎左衛門少尉の 通称から、松平郷松平家(松平太郎左衛門家)の当主も 代々「松平太郎左衛門」を通称として名乗っていたという 戦国の世で大きな手柄に恵まれず、江戸時代を迎えての 所領は250石余り(のちに加増を受け440石)の旗本身分に 留まったのだが、将軍家の発祥の地である松平郷を領有し 松平親氏の直系の家である為、「交代寄合」として大名並みに 参勤交代を行う家柄とされたそうだ この松平郷松平家のように、特別の由緒がある地方の豪族や 大名家の分家、改易をされた大名家の名跡を継ぐものなどが 「交代寄合」に列せられたそうだ。松平郷松平家には江戸に 拝領屋敷はなく、参府の際には分家もしくは、前回にここで 紹介をした、陣屋大名の「奥殿(のち田野口)」の大給松平家に 宿したそうだ 明治中旬に生まれた松平郷松平家二十代目の松平信博は、東京 音楽学校の器楽部を卒業し、外国航路の楽士として世界各国の 楽譜を収集し、詩人の西條八十と組んでの流行歌や、映画音楽 管弦楽曲などを残している 郡司次郎正の小説「侍ニッポン」は5度の映画化をされているが 昭和6年の大河内傳次郎主演での主題歌は代表作となり、その 歌碑があった 人を切るのが 侍ならば 恋の未練が なぜ切れぬ 伸びた月代 寂しく撫でて 新納鶴千代 苦笑い そんな流行歌で有名になった信博を苦々しく思って いたのが、四人兄弟の長女として生まれ、思春期を 迎えた娘の松平須美子で、とかく横道にそれてしまい アコーディオンなど買い込む父親に、もっと本格的な 芸術をやれと喧嘩をふきかけて父娘二人が、大声で 言い争いをする始末だった そんな東京の下谷区上野桜木町の松平家からは、彫刻家の 木内克のアトリエが見え、黙々と彫刻をつくり続ける姿に 須美子は自分の父親にはない、芸術の道に真摯に打ち込む 芸術家の姿に次第に憧れていった 昭和23年。須磨子が22歳の時、木内が裸婦モデルを必要と している事を知って「私は芸術は好きだが、自分で創作する事は できない。だから役立つものなら、そういう仕事をしたい」と 志願をして以来、30年にもわたって木内の専属モデルとして アトリエに通い詰め、木内に献身したそうである。当時、木村は 56歳で、あんな賑やかな落着かない娘にできるわけがないと 思ったそうである 1952年3月末の木内のアトリエ開きでは、純粋で感受性の 強い須美子は「牧神の午後」のイメージで、木内と新アトリエの 為に一糸まとわぬ裸で乱舞し、一同は静まりかえって、須美子の 姿に吸い込まれたそうである 1977年3月4日、急性肺炎のために85歳で木内が亡くなり 須美子は人目もかまわず、激しく泣き伏したそうである。歴史と いうものは面白い。国を動かすような政治家や、経済人、文化人 だけではなく、沢山の無名の人たちこそが、この国を作り上げて 歴史を作ってきたのではないかと思う そんな訳で将軍や音楽家や、芸術の女神ミューズをも生み出す 事になった松平氏のふるさと。山深き里には松平氏の城や 館、菩提寺、墓所などなど所縁の史跡が立ち並んでいる 帰りには大きな饅頭、紅白の饅頭なども売っている和菓子屋の ノーマルな松平まんじゅうを土産に買った 平成22年3月28日に松平郷で撮影
2010年05月17日
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久しぶりに娘のところのパソコンを使ってみたら・・・ ・・・・遅い。やっぱウィンドウズ7&光ファイバーは 早いです。ストレスなしって事で 今までは5枚の写真登録に20分以上かかってたのが わずかに2分って事で、3月半ばから新しいパソコンに ため込んでいた旅日記の写真も、みんな登録を済ませ ブログの日記下書きにタグも貼り終えたので、下書き 状態の日記が一気に28件・・・。一番古いのは3年前 まだ古いパソコンに、昨年暮れから3月上旬までの写真が 残されているので、早急にそれも今のパソコンに移して へたすりゃ下書き上限50件も夢じゃない! こちらのブログで時期を逸しず、紹介を出来ればいいの だけど・・・と、最近はハイペース更新中だったりもする 写真の登録中に「今年の桜」が、まだ残っていたのに気が ついた。時期は3月28日。春浅き頃の愛知県岡崎市での 旅日記はジンヤからスタート! 陣屋(ジンヤ)とは、江戸時代に徳川幕府の直轄領の お代官の住居を兼ねた役所が置かれた屋敷や、小藩の 中で城を持たない大名が、陣屋に藩庁を置いているのを 無城大名や陣屋大名と呼んだ 徳川秀忠に仕えての大坂の陣の戦功で、三千石を与えられた 松平真次から奥殿松平家は始まった。二代目の松平乗次の 時に、一万六千石の大名となったそうだ 宝永4(1707)年には奥殿(愛知県岡崎市奥殿町)に 陣屋が完成して以来、文久3(1863)年に、田野口に 移転をするまで、奥殿藩の中心となっていたそうだ 徳川家康が抱える鉄砲組は家康の故郷である松平郷を中心に 三河の若者で固められていたのだが、慶長18(1613)年の 駿府城(静岡市)での上覧花火に刺激をされ、郷里に帰った 若者らが花火作りを村祭りの余興に出したとか、砲術家の 稲富伊賀守直家が尾張藩へ身柄預かりとなって、稲富流 花火が三河に誕生をしたとも言われる ちなみに最後の藩主で、老中となった松平乗謨(大給恒)は 佐野常民とともに、博愛社(日本赤十字社の前身)の設立と 育成に貢献し、日本赤十字社をつくり育てた人と言われている 廃藩置県で御殿、役所、書院、学問所などは移築や取り 壊しを行われたが、岡崎市桑原町の龍渓院の庫裏になって いた書院が移築復元をされている 陣屋の裏手には徳川家康の祖である、松平家の親藩として 初代の真次から代々の藩主墓塔が立ち並ぶ。七代乗友の 五男は裏千家十一世玄々斉宗室であり、八代乗尹の子の 永井尚志は、旗本の永井尚徳の養子となり、幕府の日本初の 海軍学校である、長崎海軍伝習所創設時に総監理となった 後に若年寄にまで出世もし、榎本武揚と共に蝦夷へ向かって 函館奉行となり新政府軍と戦っ人物で、明治政府にも出仕し 開拓使御用係、左院小議官、元老院権大書記官に任じられた 余談だが、永井尚志の養子である永井岩之丞の娘の夏子は 官僚の平岡定太郎に嫁いで、その孫が平岡公威。小説家の 三島由紀夫であるそうだ 更に平岡定太郎は夏目漱石と東大予備門で同期であるそうで 夏目漱石の小説「それから」に出てくる平岡常次郎と、「門」の 安井のモデルとも言われている 奥殿陣屋の向かいにある工場の脇に植えられた、何でもない ような桜を見上げたり、携帯電話で撮影している人もあり 何がそんなに珍しいのかと、近くに行けば飛騨の三大桜の 株分けされた桜だった まずはは岐阜県高山市一之宮町の「臥龍(がりゅう)桜」で 千年を超えるエドヒガンザクラで、龍が地に臥しているように 見えるので、この名がつけられた 「淡墨(うすずみ)桜」は、岐阜県本巣市(旧本巣郡根尾村)の 樹齢1500年以上のエドヒガンザクラで、蕾の時は薄いピンク 満開時には白色、散りぎわには特異な「淡い墨色」になるそうで 継体天皇お手植えという伝承も そして岐阜県高山市荘川町の国道沿いの「荘川(しょうかわ)桜」 樹齢四百年と推定されるアズマヒガンザクラという野生種の桜で 御母衣ダムの建設で水没をした照蓮寺、光輪寺の庭にあった 二本の巨桜を移植したもの そんな荘川桜の話に感銘を受けて、旧国鉄バス名金急行線(名古屋~ 御母衣~金沢間)の車掌であった佐藤良二氏は、太平洋と日本海を 桜で繋ごうと桜を植え続け、映画化やドラマ化もした「さくら道」 飛騨の桜は見た事がないのだが、えらいところで三大桜が揃い咲き 平成22年3月28日に愛知県岡崎市で撮影
2010年05月14日
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名古屋市の周辺30~40キロ圏をぐるりと結ぶ環状道路 「東海環状自動車道」は、MIE、AICHI、GIFUの各県の 頭文字を取ってMAGロードという愛称が付けられている その豊田アローズブリッジ(矢作川橋) を通過して向かうは 愛知県半田市だ 今年もまた、地元スーパーで日本酒を買って応募すると 酒蔵見学と試飲、蕎麦打ちが出来る体験が当たったので 旦那の運転で娘と三人で参加したのは、8月下旬の週末の ことだった 半田出身の新美南吉が岩滑(やなべ)の矢勝川や、お隣の 阿久比にある権現山を舞台にして書いたのが、彼の代表作 「ごん狐」だ 両親がいない小狐のごんは、人里に出てきては悪さばかりを しており、村人を困らせていたそうだ。ある日も猟師の兵十が 川で魚を捕っているのを見つけたごんは、兵十が捕った 魚やウナギを逃してしまった ところが十日ほどたって、兵十の母親の葬列を見たごんは 悪戯で逃がした魚やウナギは、病気の母親に食べさせたいと 兵十がとっていたと知って後悔をし、償いの気持ちから鰯売り から鰯を盗んで、兵十の家に投げ込んだ 鰯泥棒と間違われた兵十が鰯売りから殴られ、反省したごんは 自分の力で栗や松茸を採っては、毎日のように届けるのだが 兵十は神様のおかげだと思い込んでいた ごんが家に忍び込んだ気配に気がついた兵十は、また悪戯を しに来たものだと思い込み、母親にウナギを食べさせる事が 出来なかった復讐心もあって、ごんを撃ってしまった ごんに駆け寄ると、土間には栗が置いてあるのに気がついて 栗や松茸は、ごんの償いの行為であったと知った兵十だった 本文から 「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、くりをくれたのは。」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。 兵十は、ひなわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、 まだつつ口から細く出ていました 結核で29歳の若さで亡くなった為、作品数は多くないが 童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した南吉は 地方で教師を務めて、若くして亡くなった童話作家という 事から、宮沢賢治と比較され「北の賢治、南の南吉」とも 呼ばれていた。ごん狐は10代の時に雑誌「赤い鳥」に 掲載をされ、国語教科書に何度となく採用をされたので 知っている方も多いだろう 幼くして母親が亡くなり、複雑な家庭関係から実母の実家 (新美家)で血のつながらない祖母と二人暮らしを始めたが 半年程で再び父親のもとに帰ったそうだ。その養家を訪ねた なんて寄り道をしていたら集合時間になったので、半田運河 にも近い中埜酒造の古い酒蔵を使った「酒の文化館」に到着 「国盛」で有名な中埜酒造の歴史と、お酢のミツカンとの関係は 昨年の日記で詳しく紹介をしたので、興味のある人は↓のある トラックバックを利用してご覧になってください そんな訳で中埜酒造のお酒の数々を、娘と二人いろいろと試して みるが、指をくわえる運転手の旦那には・・・・蕎麦打ちで活躍を してもらおう。ゴメン セントレアや、ミッドランドスクエアなどにも支店があるという 名古屋の「紗羅餐(さらざん)」は、フランス語でそばの事だ そうであるが、国盛の大吟醸で舌鼓~ 蕎麦打ち道場も開催をしている店主による蕎麦打ち体験が始まり ほろ酔い気分で・・・・ この蕎麦がきがまたおいしいんですよ。蕎麦粉に熱湯を加えるか 水を加えて加熱し、箸ですぐかき混ぜることで粘りを出し塊状と したもので、蕎麦の産地では昔からおやつとして食べられていた 昨年はひし形になってしまった旦那のリベンジで、今年は真四角で 見た目もとってもおいしそう・・・。娘の打ったのと共に家に大満足で 土産で持ち帰り、そば三昧。むろん日本酒や、甘酒、手ぬぐい などのお土産も頂戴をした この懸賞、まだやっているので近くにスーパーのアピタ&ピアゴ チェーンがあったら、日本酒コーナーの国盛の首に応募はがきが あるものを購入して、応募されてみるといいかもしれない うちの他にも、昨年に続いてのリピーターのご家族もいた ところで明治23(1890)年3月30日に、半田では日本で 最初の「陸海軍統合大演習」が催され、その時の「大本営」が ここに設置されたそうだ。陸軍は近衛、第三、第四師団など諸兵 35000名。海軍は御召艦八重山以下、軍艦28隻が参加して 明治天皇や親王、百官および諸外国駐在武官が見守る中で まさに国家の威信をかけた大演習であったそうだ 目の前の「業葉(なりは)神社」には、斐芽の祠(ひめのほこら)と いう末社があって、江戸時代に大相撲の巡業があった際に、関取が 大きな石を運んできて、近所の子供らに、この石を撫でて大きく育つ ようにと伝えたそうで、子安、子宝、安産の御利益があるらしい 帰りには、トヨタが生産台数累計1000万台達成を記念をして 昭和49年に竣工をした「トヨタ鞍ヶ池(くらがいけ)記念館」 (入場無料)を見学をした トヨタの創業に関する展示の他に、トヨタ所蔵の絵画などを中心に 企画展をしている、鞍ヶ池アートサロンでピカソなど内外の有名な 絵画も見学出来る 残念ながら外観のみの見学であるが、豊田喜一郎の別荘として 昭和8(1933)年、名古屋建築界を代表する鈴木禎次が 設計し、名古屋八事・南山に建てられた邸宅が移築保存をされ ていた。この別邸は「南山農園」とも呼ばれていたそうだ 平成21年8月23日に愛知県で撮影
2009年09月11日
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雪がそぼ降る中で、ブログ紹介の為に3度目の 登城を果たし、天守の目の前まで行きながらも 昨年の「年末休業」で家族で泣く泣くひき返した 因縁の城についにリベンジを果たす事が出来た 世界遺産にもなった優美な姫路城(白鷺城)や 遠くにはアルプスの峰々を望む力強い松本城や 「ひこにゃん」という面妖な猫が住む彦根城も 良いが、この小さな天守の魅力は何と言っても 木曽川の川面にせり出したような、見事な立地だ 長江の丘上にあるという、白帝城をよんだ李白の 詩の「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなみ 荻生徂徠が、この城を「白帝城」と命名したという ちなみに長江の白帝城は、元は紫陽城という古城で 地形が非常に険しく、古来から軍事の要衝であった 前漢末期に公孫述が蜀を手に入れると、古井戸から 白い霧が立ち昇るのを、白い龍が天に昇る姿のよう だと、それを吉兆として白色を崇め、公孫述は白帝と 称して、白帝城と改めたそうで、「三国志」の劉備が ここで隠居し臨終を迎えた 「岩倉織田氏(伊勢守家)」の一族で、尾張上四郡の 守護代であった、織田敏広の弟である織田広近が ここに砦を築いたのが、犬山城の始まりであった 戦国の世になって「織田弾正忠家」の当主である織田信秀 (織田信長の父)の弟の織田信康が、1537(天文6)年 居城であった木ノ下城を廃し、砦を直し城郭を造営した 現存をする天守の2階までは、この頃に作られたとされ それが現在のような姿となったのは、尾張藩付家老の 成瀬正成が改修をした1617(元和3)年頃だそうで 3、4階が増築をされて、唐破風がついたそうだ 日本の城の天守のうちで、封建時代に建てられたものが 現代まで保存されている現存天守は、12天守しかなく そのうち国宝に指定をされているのは姫路城、松本城 彦根城と、この犬山城だけで、これでブログで4つ全て 紹介をする事が出来た 特にこの城は、近年までは城主であった成瀬家が 個人で所有をする国宝文化財であったのが、現在は 財団法人に譲渡をされている 廃藩置県で中央集権が目の届きにくく廃城を逃れたり 太平洋戦争の空襲などで焼失しなかった天守は、東北や 四国などの遠方に多く、重要文化財に指定をされた8つの 現存天守のうちで、実際に見学をしたのは松江城のみだ 次はこの8つの城の制覇・・・って、遠いし 歴女、戦国乙女なる、戦国時代を愛する女性が増えて いるのは、草食系と呼ばれるファツションや美容を気にし やさしい青年が増えているので、最近女性は知略を講じて 人を蹴落としてでも生き抜く、肉食の戦国大名に惹かれる そうである 書店でも戦国大名のコーナーが出来ており、ゲーム風の イラストの武将らは誰もが、20歳前後でイケメンで 私が乙女の頃に、新撰組(土方歳三さん)にはまった ような感じかな 当時はマムシの道三や、恰幅の良い信玄などオヤジっぽい イメージもあって戦国武将はどうも苦手で、若くして この世を去った志士も多い、幕末の方がね~好きでした 今年の大河はイマイチだというが、戦国オトメが求める ような猛々しい戦国武将では無く、今の草食男子っぽい 直江さんは物足りないのかも。謙信役の阿部寛さんや 信長役の吉川晃司さんはギラついていて、かっこが よかったけどなぁ~肉食系イケメン! 阿部さんの鋭い目つきが気に入ったと、タイの国際的な アクション映画の監督が起用して、かの国で大人気だとか 上杉景勝も実際に、無口なの寡黙な人だったらしいけど 個性派のギラついた闇の似合う好きな役者さんだけ 淡白な感じがなんだか勿体なくって・・・ 掃除の行き届かない、ラーメン屋さんのこびりついた 油のようなギトギトさ、家族すらも信じられない闇の 夜の謀略、謀反、血生臭さといった、下克上の戦国の 世の持つ独特の危うさが、ドラマ全体から感じられない まるでホームドラマ。まだ野球部のルーキーズの方が 男くさかったりして 坂本龍馬も福山さんだそうだし、イケメンだからとか 民放ドラマなどで人気だからOKってのは違うと思う 女性が主役のと、男性が主役の大河では視聴者層も 違ってくるし、ドラマ自体に求めるものも違うから だけど土方さまは無論、イケメンで! だって実際に イケメンだったもの仕方がない。結局、イケメン好き なかなか愛嬌のありそうな、サムライわんこがお見送り 平成21年5月2日に愛知県犬山市で撮影
2009年05月21日
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常に「もしも」という危機感を持って、先手を打つ カタチで行動をしたほうが良いというのは、この春に 品切れになったETC本体でも、痛感をしている 関西での新型インフルエンザが、いつ何時に他地方に 広がるのか判らないし、家族用に使い捨てのマスクを 事前に、買い置きしておこうかと思って薬局に出かけた 広告の品であった、お得なマスクは既に売り切れていたが 使い捨てのマスクはあるなぁ~と、棚の前で物色をして いると、「○○さんやに!」とお隣にいた奥さんが声を かけてきた 息子の同級生のお母さんも、同じ理由からマスクを買いに きたそうだが、そればかりではないようだ。つい最近に 下の高校生の息子さんが部活で、大坂の高校に出かけて 交流試合をしてきたばかりだそうだ そういえば吹奏部の息子もまた、数人のメンバーが大坂の 高校まで出かけて、一緒に楽器を吹いたことがあったけど 週末の学生は、思いのほか部活などで活発に動いている インフルエンザで何人も部員が休んでいながら、交流試合も しなきゃいけないようだし、この週末の雨の中でも地元の 小学生位の子供達が、ずぶぬれになって野外で試合をしてた けど、風邪をひかないものかとオバサンは心配になった 高校からインフルエンザ集団感染の連絡がありながら、海外の 渡航が無いからと新型ではないと思い込み、検査をしなかった 行政も、既に国内にウィルスは入ってるかもしれないと、詳しい 検査を依頼した民間の医師のように「もしも・・・ったら」という 気持ちがあれば、もう少し早くから手が打てたのだろうに 娘が地方ニュースで車上荒らしが相次いでおり、アパート などの共同駐車場の車が狙われていると、うちの旦那の車を 娘のアパートにとめた時に、狙われないかと心配をして連絡を してきた。お母さんのおんぼろ車なら狙われないのにね~(笑) 今朝のこちらの地方版にも、やはり不況になって車上荒らしが 2倍になっており、特に埋め込み式のカーナビが狙われており リサイクルショップに転売をされているようだ 普通のねじ回しでは緩められない、特殊なねじに変えるなど ユーザー側の自己防衛も必要だそうだが、盗品が持ち込まれる リサイクルショップでも、もしかしたら盗難品かもしれないと思い 買取時には、相手の身分証明書のコピーを取るなどして、犯罪 抑制に努めて欲しいものだ さてゴールデンウィークのドライブの続きだが、東海地方の テレビコマーシャルなどを見て、一度位は出かけてみたいと 思っていた季節ごとの色とりどりの花々や、冬場のイルミ ネーションでも有名な「なばなの里」に立ち寄ってみた 懸賞で当たった行楽施設の利用が出来るクーポン券2種が ここでは利用が出来ないそうで、自腹でお金を払わないと いけないのだが、入園料が園内でのみ使えるという千円分の クーポン券付きで1500円というシステムだそうである 日本最大級の温室に、世界中のベゴニアが咲き誇るという ベゴニアガーデンでも、そのクーポン券が使えるそうだが 入園料が別に千円も必要なのか・・・・貧乏人はパス! 高さ45メートルまで上昇して、最頂部で展望台が1回転を して、360度の景色を堪能できるというアイランド富士も 別料金で500円だけど、クーポン券すら使えないそうで 高いところが好きなので、もしもクーポン券が使えたのなら 乗ってみたかったのに残念だが、パス!! あかん。財布の紐が硬いファミリーにはキツすぎる 3人分で3千円分のクーポン券で、何か買わなきゃいけないと 物産コーナーで、美味しそうなケーキやパン、ジュースなどで 一休み。お決まりのアレは、チューリップのソフトクリームでと 食い物にお金を使うのは、財布の紐もゆるゆるで、まったく苦に ならない家族だった・・・・ 花より団子 今朝の新聞の読書欄で、どこかの奥さんの投稿で低額や無料で お財布にやさしい行楽に公園やサイクリングは、飽きたという 息子というのに笑い出してしまった。どこも同じなんだなぁ~ その奥さんは考えた。お子さん達と近くの山に登ってそこからの 景観に感激をしたそうだ。笠置山に(車だけど)登ったときの 事を思い出した 広大な花園は、手作業で管理をされている 何もお金を使わなきゃ、行楽が出来ない訳ではないという事を 最近の人たちは知ったから、こういった施設でも少ないお客から 別料金だ、クーポン券だとお金を使ってもらわないと運営維持が 出来ないのかもしれない 足湯も楽しめる リピーターの多い東京ディズニーランドは、別格としても 他のテーマパークや観光地の経営はどこも苦しい。黙って いても集客できて、お金をバンバン使ってもらえる時代では なくなったのだ それだけお金に余裕が無くなり、行楽にお金の使える人の数が 減ってしまったのだ。車のドライバーだけで、しかもETCを つけている人のみが恩恵を受けるといわれ、温暖化に逆行を していると、批判もされる週末の高速料金千円だけど・・・ テレビで言っていたが、これは都市部からは遠い地方の観光地を 救う為のものだという。国からの補助金も無くなり、公共事業も 無くなり、農林水産業もたちゆかなくなり、工場も閉鎖相次ぐと なれば、どう地方は自立すれば良いというのだろう。最後の砦と いえば「観光」で地域活性化? 映画のロケ地誘致をしたり、つちのこ捕獲など変わったイベント などで知名度を上げて・・・と、その土地ならではの良さを 沢山の人に知って貰い、都会から遊びに来て(お金を使って 欲しい)と思う地方は多い その後押しをするようなカタチでのETC千円効果で、信州の お花見でも、熊本や秋田などと普段は見かけることの無い ような遠方のナンバーが数多く見られた春だった 実際、我が家でも電車や飛行機などの事前の予約とか、日にちを 要するような団体旅行は、会社員の旦那が参加をする事は難しく 比較的に自由が利く車の旅行でも、高額な高速料金がネックで 近場と相場が決まっていた でも、今回のETC千円が後押しをしてくれたら新潟や、群馬 和歌山、日光だって行けるかも~。欲を出さず九州や東北とは いわないところが根っからの貧乏性かも。だってガソリン代も かかるし、貴重なドライバーもへばって文句が出たら、今後の 行楽にも支障をきたすので。人間何事も、身の丈の幸せでよい 今日になって、学校という限られた場所だけではなく、不特定 多数の方に接する街中のサービス業の方とか、ご老人など 社会人の感染も出たそうで、地域での拡大が心配をされてます 関西の皆さん。当分は生活に支障をきたす事が続くかと思い ますが、ご自愛下さいますようお見舞い申し上げます。また 他の地方の皆さんも油断は禁物ですよ 平成21年5月2日に三重県で撮影
2009年05月18日
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2009年のゴールデンウィークを迎えた週末 今年はいつもとは何かが違っている。そう国が 景気対策の一つに始めた、ETC搭載車の 高速料金千円均一があるからだ 予想通りの例年の2倍の渋滞の出現に、お盆休暇や 年末年始休では、休日に帰省が集中をしないように 期間中の平日も千円均一にするようである 突然のETC取付け助成金で、店頭は混乱し 国ではなく、車屋さんのご好意から5250円を 割引して貰っての注文から1月ちょっと。念願の ETCも取り付けられた旦那の車で、ゴールデン ウィークで帰ってきた娘と、青空の下で日帰り 高速ドライブに出かけた こういった時には田舎暮らしはありがたい。既に 朝から都市部から地方に向かう、渋滞の車を反対 車線に見ながら、スイスイとかなり久しぶりの中央 自動車道を名古屋方面に向かった 東名&名神は渋滞をしているのは目に見えているし 有料道路なので、一度も利用をする事が無かった 憧れだった「名港トリトン」をドライブしてみよう! 土岐ジャンクションで、中央自動車道に合流する車が 多いのだろう。東海環状自動車道もまた反対側は かなりの渋滞だった。こちらも完全に止まってる! 中部国際空港セントレアや、知多半島に出かける 時にも利用する観覧車が目印の「刈谷ハイウェイ オアシス」で朝食をとる事にした 懸賞で当たったグルメカードが利用が出来たので 200円位しか使わなくても済んだのが有り難い 三河地方の海の幸や、農産物などが売られていたが まだ旅も始まりなので、購入ができないのが残念だ 知多半島の名物であるえび煎餅のショップでは試食が できるので、朝食を食べたばかりの旦那とかバリバリ 娘もバリバリ。私もバリバリ・・・・ いよいよ伊勢湾にかかる「名港トリトン」を渡り始めた 名港トリトンは伊勢湾岸自動車道のうちで、東海ICから 飛島ICの間にある三つ橋の愛称で、トリトンが海の神 ポセイドンの息子であり、トリが3つを意味するtriに 通じているから名づけられたそうだ 長大斜張橋が、3つも連立をしているのは世界的にも 珍しく、東側から青い「名港東大橋」で700メートル 中央のが白い「名港中央大橋 」で1170メートル 西側には赤い「名港西大橋」の758メートルだ ちなみに斜張橋(しゃちょうきょう)とは、塔から斜めに 張ったケーブルを、橋桁に直接つなぎ支える構造のものだ 社団法人土木学会による、橋梁、鋼構造工学で優れた業績に 対して、関東大震災後には帝都復興院初代橋梁課長として 東京の隅田川にかかっている永代橋や、清洲橋といった数々の 名橋を生み出した田中豊博士に因んだ「土木学会田中賞」を この「名港西大橋」も受賞をしているが、確かにかっこいい 日記の最初の写真のもこの橋だ 四日市ジャンクションを基点にする渋滞が始まって、前にいる 大型トラックに近づきすぎて、橋自体の写真が撮れなかったが トゥインクルと呼ばれる、世界初のPC・鋼複合エクストラ ドーズド橋(説明省略・笑)が2つあり、ナガシマスパー ランドが見えた 岐阜に始まり、愛知に入ったドライブもいよいよ三重県だ 本当は伊勢方面に出かけたかったけど、さすがにゴールデン ウィーク。四日市方面の渋滞を抜けるのに軽く1時間以上 要するのは勿体無いので、ルートを急遽変更! 1000円の料金表示に気をよくして、高速から降りて 絶叫系の苦手な旦那や娘もいるし、お金も無いので ナガシマスパーランドも車窓見学(笑) 関在住の姉の家の姪らが、よく利用をしていると聞き 前から興味のあった堤防道路で、岐阜に戻る事にした といっても姪らが行くのは遊園地ではなく、三井アウト レットパークジャズドリーム長島でお買い物だが・・・ 岐阜県南部と三重県北部、愛知県西部の木曽川、長良川 揖斐川とその支流地域は「木曽三川(きそさんせん)」と 呼ばれ長らく水害に悩まされてきた 木曽三川公園の展望タワーの左側にあるのが千本松原と 呼ばれ、木曽川、長良川、揖斐川の三川分流工事に伴う 分流堤に、約千本の九州から取り寄せた「日向松」が 植えられている 以前にも紹介をしたが、幕府の命令で薩摩藩が工事に あたり多数の死傷者を出した責任を感じ、平田靱負も 完成後に切腹をした「宝暦治水」で作られた 車窓から眺めてみると、沿線にはこんなレトロな洋館も 果たしてどんな建物かと検索するが、判らなかった お昼には、またもやラーメン(前にも岐阜では確か・・・) 名古屋近辺にチェーン展開をしているらーめん専門店 「ごまめ家」で、うまい!とドライバーの旦那も喜んで いたので、ま、良かったか 名港トリトンのような、立派なかっこいい橋ではないが 木曽川にかかるレトロな鉄橋も、今も地域の人たちの 為に活躍をしていた お天気にも恵まれたゴールデンウィークの前半のETC デビューも兼ねたドライブは、結局、帰りは一般道に なったのだが、そのおかげであちらにふらり、こちらに ふらり・・・・と。その様子はまた次回に。続く! 平成21年5月2日に岐阜県、愛知県、三重県で撮影
2009年05月16日
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2009年03月04日
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2009年03月02日
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2009年02月27日
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2009年01月06日
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2008年12月03日
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2008年12月02日
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2008年11月26日
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中東の笛で一躍、有名になった男子 ハンドボールは、アジア予選のやり 直しで、既に韓国が北京行きの切符を 手にしている しかし、世界最終予選を間近に控え 壮行試合(定期日韓戦)が、昨夜 愛知県豊田市にあるスカイホールで 開催をされたのだ ネット懸賞でペアチケットが当選を したので、甥と観戦に出かけたのだが う~む。普段は目にする事のない ウォーミングアップの様子なども 見物ができて面白い 作戦タイムなどで、円陣を組む選手や 監督の表情も真剣だ。ちなみに7番の 選手が、メディア露出ナンバー1の 宮崎選手で、昨夜も大活躍だった その円陣の選手の顔を捉えようとする カメラマンもまた必死だった 球を奪取したとたんに、一気に敵陣に なだれ込み、一気にシュートで得点を するようなスピーディな試合展開は とにかくスリリングで、目を離せない しかも選手の息遣いまでもが伝わる ような至近距離での観戦は、野球や サッカーでは味わうことはできず 屋内競技の醍醐味であろう 僅差で敗れはしたが、試合後に行われた 世界最終予選へ向けてのセレモニーでは キャプテンの9番、守りのかなめでもある 永島選手から、力強いコメントを聞く 事ができた ちなみに、選手家族席のそばでの観戦 だったのだが、永島選手の奥様は女子 レスリング世界チャンピオンであった 山本姉妹の妹の聖子さんで、応援に 駆けつけていた 日韓ワールドカップサッカーには使用を されなかったが、市制50周年の記念に 作られた、豊田スタジアムが近くにあり ジャパンラグビートップリーグのトヨタ 自動車ヴェルブリッツのホームスタジアムと なっている またサッカーJリーグの名古屋グランパス エイトの準ホームであり、以前、息子と 大阪ガンバ戦を観戦をした事があるのだが すごいゴージャスなスタジアムだった 試合前の時間潰しに、図書館で本を 読もうと、まるでシティホテルのような 吹き抜けホールもある参合館に向かった 豊田市民センター地区市街地再開発 事業で建てられ、コンサートホールや 能楽堂もあるそうだ 3階から6階までの図書館は半端じゃない 蔵書量で、本が好きな娘が行ったら目を 輝かしそうだ 無論、ハンドボールの試合もすごかったが 全国市町村で製造品出荷額がトップの 町だけあって、ゴージャスな公共施設に 圧倒をされた一日であった 平成20年5月9日、豊田市で撮影
2008年05月10日
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岡崎の最後を飾るのは、徳川(松平)家の 菩提寺である大樹寺である。ここでの 一番の見ものが、歴代の徳川将軍の位牌で それぞれに、将軍の臨終時の身長と同じに 制作をされているというのだ しかしラスト・ショーグン。十五代慶喜は 将軍職を退いても存命であり、臨終に際し 神式で葬られたいと遺言し、位牌は無い 大樹寺多宝塔 (重要文化財) 「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると 19歳の松平元康(徳川家康)は、岡崎に 逃げ帰り、大樹寺の松平家先祖の墓前で 自害しようとしたのだが、大樹寺の住職で ある、登誉上人が「厭離穢土欣求浄土 え(お)んりえどごんぐじょうど」と諭した 苦悩の多い穢れたこの世を離れ、阿弥陀仏の おわします極楽浄土への往生を切望すると いう意味で、お前こそがこの乱れた戦国の 世を平定し、平和な世を作れという事らしい こうして「厭離穢土欣求浄土」は家康公の 旗印となった。たぶん歴史が変わった時だ 元康は大樹寺の僧と共に、織田軍を迎え撃ち 豪僧の祖洞坊は、寺の総門の貫木を振り回し 織田軍をけちらし、元康の窮地を救った 家康公お手植えの椎の木 平成19年3月18日 岡崎市内で撮影 ここからは第二部。夏休みに娘と出かけた 名古屋でのお楽しみは、名古屋駅から 「名古屋臨海高速鉄道」の西名古屋港線 別名「あおなみ線」に乗って出かけた先は ヨーロッパっぽい建物の向こうに見える のは、コンビナート。へんてこな光景だ フットサルの競技場も建設をされていた ので、出来たら観戦をしたいと思う そして目的地の、名古屋市国際展示場 (ポートメッセなごや)に到着をしたのだ 前に幸運ならぬ、運幸(恐竜のう○こ)を 触ったので、今回は恐竜の卵!! 会場にはところせましと首長、肉食、翼竜 草食恐竜のホネでいっぱいで、ワクワクした 平成19年8月25日 名古屋市内で撮影
2007年11月07日
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